「大東亜戦争」を主導した武藤章
川田稔『武藤章 昭和陸軍最後の戦略家』 (文春文庫)
昭和10年代から20年にかけて日本が行った戦争は、正式には「アジア・大平洋戦争」と呼ばれる。
本稿ではこの戦争の鍵を握る、いうなれば戦争を主導したと言ってもいい「武藤章」について書くので、その当時の作戦や戦争の推移を含めて、敢えて大東亜戦争という名称を使うことにする。
武藤章はA級戦犯として東京裁判で死刑判決を受け処刑されている。
私もそうだが名前にあまりお馴染みがなく、どんな人物だったか知らなかった。
川田稔の著作を読むと、武藤章は大戦を通して陸軍軍務局長という要職にあり、陸軍きっての戦略家として戦争の企画に係わり主導してきたとと思われる。
武藤が描いた戦略とその結果の概略を記す。
日本は中国に侵出して満州という傀儡国家を作った。
しかし資源が少ない日本は、その資源を求めて北支に侵出する。
そこから中国との全面戦争になるが。中国軍の抵抗が予想以上に強く、重慶に拠点を置く蒋介石政府との戦闘は一進一退で膠着状態に陥る。
そうこうしているうちに戦争の近代化に伴い、戦争は国家をあげての総力戦となり、日本も国民あげての総動員体制が築かれる。
戦争の形態も航空機や船舶の比重が増え、それに伴い石油、アルミ(ボーキサイト)、ゴムの需要が高まるが、中国にはこうした資源がなく、南方に侵出することになる。
そうした国の多くはイギリスやオランダ、フランスの植民地であり、外交交渉が進展しなければ武力侵攻となる。
日本軍は先ずインドシナへ侵出し、そこからシンガポールを占領、他の東南アジア諸国への足場にして他国を占領下において行く。
かくして日本は主導する大東亜共栄圏構想が出来上がる。
一方、日独伊三国同盟を結んでおり、そのドイツが周辺国を破り占領を進めていた。
さらにイギリスを攻撃して、上陸寸前まで行く。
これに危機感を持ったのはアメリカで、もしイギリスがドイツに占領されるような事態になれば、アメリカ本土が危険になる。
そこで同盟国の日本に対しても厳しい対応を取ることになり、日本の南方侵出、即ち大東亜共栄圏と正面からぶつかることになる。
ここに至って、日本として対米戦争に進むかどうか問われることになる。
ここまで戦争を主導してきた武藤章だが、日米の経済力の差があまりに大きく(約10倍の開き)日本の敗北は避けられず、何とか対米戦争を回避しようとする。
最初は三国同盟にソ連を加えて日独伊ソの四国同盟を結成し、アメリカを抑える構想を持っていたが、ドイツの対ソ連の戦闘で実現不可能となった。
しかし大本営や海軍は開戦やむ無しの方針を変えず、御前会議において開戦が決まる。
世上、日米開戦には陸軍が主張し、海軍は批判的だったという風に言われていたが、事実はそうではなかった。
日米戦争は海軍が主体となるので、当然海軍の意志が尊重されていた。
本書を読んで感じたのは、確かに武藤章は対米開戦を回避すべく動いたが、それまで彼が推進してきた中国への侵出や大東亜共栄圏は、最終的には日米戦争に突入せざるを得なかったのではなかろうか。
果実だけ取ってリスクを回避するなんて上手い話はないし、戦略家としては見通しが甘かったように思う。
ただ東京裁判で武藤が死刑になる一方、大本営にいて日米開戦を主導した人物たちが罪に問われなかったという事実には首を傾げる。
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