【寄席な人々】落語にみる「いい夫婦」
今日11月22日は「いい夫婦の日」だそうですね。するってぇと「わるい夫婦の日」ってぇのは、いつなんですかねぇ。
そんな日にちなんで、落語に出てくる「いい夫婦」像について書いてみた。
落語にも仲のいい夫婦は出てくるのだが、ただただ仲がいいというのでは物語になりにくいので、少しひねっている。
「短命」では夫婦仲がよすぎて励むあまり、亭主が次々と若死にする。「何よりも側(そば)が毒だと医者がいい」。 長生きしたけりゃ、あまり美しい妻を娶らぬことだという教訓だ。やはり「長命」がなにより。
「三年目」では先立つ妻が夫に心を残してしまうあまり、夫の再婚を防ぐべく新婚初夜(もう死語になりましたね)に幽霊になって現れると約束する。ここでは死ぬもの貧乏、生きていりゃこそ人生ということになる。
「小間物屋政談」では、手違いで旅の途中で死んだと判断されてしまった亭主が江戸に戻ると、女房と弟が所帯を持っていた。悲劇と思いきや、奉行の裁きで一転して亭主も幸せになる。まさに「禍福は糾える縄の如し」。
「大山詣り」では、亭主たちが水死したとウソを聞かされた女房たちが皆、頭を丸めて尼さんになってしまう。そこへ亭主たちが戻ってきて、「お毛が(お怪我)なくってお目出度い」となる。
「小言幸兵衛」で借家を借りにくる豆腐屋も夫婦仲がいいらしい。所帯を持って七年も経つのに未だに子どもが出来ないならそんな女房は追い出しちまえ、腰の温まった子どもをどっさり産むような女を世話してやると大家が言うと、泣き出してしまう。よほど恋女房なんだろう。
「替わり目」も亭主が飲んだくれだが、夫婦仲はいい。夜中に呑んで帰ってきた亭主のためにおでんを買いに行く。その後姿を拝んで感謝する亭主だったが・・・、という話。
「ざこ八」では婚礼の直前に逃亡してしまった男が十年ぶりに江戸の戻り、悪い亭主を持って乞食同然に落ちぶれてしまっていたかつての婚約者と所帯をもって、商家を建て直すというストーリー。鶴吉とお絹の純愛物語である。
「お直し」では、落ちる所まで落ちてしまった夫婦が、なんとかどん底から這い上がっていこうとする姿を描く。これも一種の純愛ものだといえる。
「芝浜」では、浜で財布を拾って有頂天になる亭主を夢だと騙し、仕事一途にさせる女房が描かれる。「女房と畳は・・・、やっぱり古いほうがいい」のだ。
「中村仲蔵」の女房も貞女だ。失敗して落ち込んでいる亭主を励まし、一流の役者に仕立てあげるのを手助けする。「夢でもいいから持ちたいものは、金のなる木といい女房」。
「猫久」では、普段おとなしい亭主がある日血相を変えて家に帰り「刀を出せ」と女房に言うと、女房は神棚の下で三度押し戴き亭主に手渡す。そのことを聞いた侍が「女丈夫。貞女なり、烈女なり、賢女なり」と讃える。
まだまだ沢山ありそうだが、ここらでお後が宜しいようで。
「楽しみは春の桜に秋の月、夫婦仲良く三度食う飯」
どちらさんも末永く、ご夫婦仲睦まじく過ごされるよう心よりお祈り申し上げます。
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