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2014/08/20

【寄席な人々】客席での「化粧直し」

8月18日の鈴本で私の両側の席が女性でした。二人とも独りで来られていて左側は20代、右側が40代ぐらいとお見受けしました。夜の部の開演は17時20分ですが、開演直前になって二人ともコンパクトを取り出しそれぞれ化粧直しを始めました。電車の中ではしばしば眼にする光景ですが、寄席の客席で見たのは初めてです。
私は男なので、化粧する人の心理は分からないのですが、この女性たちにとってこれから出会う人というのは高座の芸人ですよね。
「誰に見しょとて紅鉄漿(べにかね)つきょうぞ みんな主(ぬし)への心中立て」
とは、「京鹿子娘道成寺」の詞章ですが、その伝でいけば「主」は「寄席芸人」という事になりはしませんか。
落語家も高座から見て綺麗な人がいると嬉しくなり、ついつい熱演するってなこと、あるのかな。
化粧品の香料に敏感だというせいもありますが、近くで化粧や化粧直しされるのは気分が悪い。

一般に男性が、車内で女性が化粧するのを好まないのは、一つには自分が無視されている気分になるからだと思います。
化粧している女性にとって、近くに、あるいは目の前にいる男というのは存在しない相手です。この露骨な「無視」にカチンと来るんだと思います。
以前、宇都宮線の古河駅から乗ってきた隣の女性客が尾久駅までの間、化粧落としから最後の仕上げまで約50分かけて化粧し続けた時は、蹴飛ばしてやりたくなりました。もちろん、やってませんよ。
こういう事もありました。
私ともう一人の男と女性一人の3人で会食した時、私と女性が早目に席に着いていて、もう一人が10分ほど遅れると連絡がありました。女性にそれを伝えると、彼女はコンパクトを取り出し私の前で化粧直しをしたのです。この女性とは二度と会食しないと決めました。
これって年寄りのヒガミ?

美しくありたいという女性の気持ちは尊重せねばなりませんが、マナーには気を付けて欲しいものです。

2014/03/19

【寄席な人々】観客のマナー

寄席や落語会での客の迷惑行為について何度かふれてきたが、コメントで寄せられた意見を含めあらためて整理してみたい。
(1)携帯電話に関するもの:呼び出し音、メールの受信音、モニター画面の灯り
(2)客同士の会話:私語、ネタの解説、オチを先に言う
(3)雑音:買い物袋のガサガサ音、いびき、時計のアラーム
(4)客席への入退場:口演中の着席または退席
(5)近くにいると気になる行為:前方の席での長時間の熟睡や読書、長時間の探しもの、派手な拍手や笑い
まとめると、次の様になる。
(1)無用な音を立てない
(2)口演中の入退場は避ける
これは落語会だけではなく他の演劇やコンサートなどでも守るべき事項だ。
この点は共通認識としておきたい。

ただ寄席とそれ以外の落語会とでは求められる基準は少し違うと思う。
先ず寄席のマナーだが、当代の金馬が語っていたように以前に比べると格段に良くなっている。
昔との大きな違いはヤジを飛ばす客がいなくなったことだ。なかにヤジられた芸人の贔屓がいたりすると客席からヤジり返し、時には喧嘩が起きるなんて光景はかつてはあった。
これはマナーとは異なるが、今はどんな芸人にでもほとんどの客が拍手を送る。以前は前座に拍手する人など稀だった。女性客が増えたという要因もあるかも知れない。
都内にある4軒の寄席(定席)のうち鈴本を除く他の3軒はいずれも昼夜入れ替えなしだ。昼前から夜の9時近くまで興行を行っている。この間の入場や退場は自由だ。開演から終演までいようと途中から入場して途中で退場しても一向に構わない。
前座は開演前に上がるので入退場は構わないが、二ツ目以後については口演中の入退場は避けて芸人が入れ替わる間に済ませたい。私の場合、途中入場の時は後方で立ち見をして入れ替わる時に着席している。
客席の照明を落とさないので客席が明るい。本だって読める。もちろん睡眠も自由だ、寄席というのはそうした緩やかな空間でもある。ただそうした行為は後方の席でして欲しい。
以前に最前列で前座からトリまでずっと足を投げ出して熟睡していた女性客がいて、数日後にまた出会ったら同じように最前列で熟睡していた。こうなると嫌がらせとしか思えない。
最前列で新聞や本を読む男性客を見たことがあるが、あれも遠慮して欲しい。
芸能で客席内での飲食が可能なのは寄席と歌舞伎ぐらいだろう。とはいえ歌舞伎の場合、開演中に食事する人は見かけないから、飲食自由なのは寄席だけだろう。隣合わせで飲んだり食べたりしているとついつい会話もしてしまう。だから飲食は出来るだけ二ツ目が上がる前か仲入りで済ませて欲しい。
以上が寄席で注意すべき諸点ということになるだろう。

それ以外の落語会の場合は、他の演劇などと同様のマナーが求められる。なかに落語会ならではの苦情もあるので検討してみたい。
先ず、私語の中身としてネタやサゲの解説というのがある。大抵が詳しい人と初心者との組み合わせのケースで、例えば落語ファンが馴れない奥さんを誘って来たような場合だ。本人としては連れ合いに面白さを理解して貰おうとサービスしている積りだろうが、休憩時間にゆっくりとやって欲しい。
派手な拍手や笑いが気になるという声もある。私も神社の柏手のような大仰な拍手をする人や、何が面白いのか初めから終わりまで大笑いをし続けてる人(ゲラさん)が近くにいると、そちらが気になってシラケテしまう事がある。
ただこれはマナー違反というわけではない。笑いのツボはそれぞれ違うし、大笑いしたくて落語会に来る人もいる。反対に終始ニコリともしない人がいるとそれも気になる。妻と一緒に行くと私があまり笑わないので、「あんた、面白くないの?」と訊かれることがある。だから笑い方の大小については大目に見るべきだろう。
歌舞伎に「大向う」といって役者の屋号を掛ける人がいる。舞台が引き立つし聞いていても気分が良い。しかし一度すぐ後ろの席でこれをやられたら結構きつかった。なにしろ声が大きいしそれが数十回にも及ぶのだ。気になって芝居に集中できなくて困ったが、こればかりは注意するわけにも行かない。不運と諦めるしかない。

自己には厳しく周囲には多少の寛容の精神を持つことが落語を楽しむコツかも知れない。
色々書いた割には、当たり障りのない結論になってしまった。

2012/02/04

「指定席の膝送り」って、どうでしょう

「膝送り」(意味)座ったままで順にひざをずらして席をつめること。
昔の寄席は畳敷きが多く、座布団にすわって聴いていた。最初のうちはバラバラでいるが混んでくると係員から「お膝送り願います」と声がかかり、客は前から順に席をつめていた。
寄席の多くが椅子席になった今では、末広亭の桟敷席でしかこうした光景が見られなくなったと思っていたら、先日池袋演芸場でこの「お膝送り願います」の声を久々に聞いた。
空席めがけて客が座りに行くのではなく、座っている人が前方あるいは中央部に向けて席をずらしておいて、空いた所に座る方が合理的ではある。

演劇やコンサートだけではなく、落語の世界でも定席以外のホール寄席や独演会の大半が指定席になっている。
クラシック・コンサートでは開演中の入場を禁止する例も多いが、芝居や寄席では途中入場が認められているのが一般的だ。
ただ大事なシーンで遅れてきた客が入り込んでくると、時に興がそがれる。
先日も観劇の最中、木製の階段をカツカツと大きな靴音を響かせながら前方の席に座った女性客がいて腹が立った。
交通事情などで本人の責任に帰しえない理由で遅刻する場合もあり、一律に入場禁止にするわけにもいかない。

そこで提案だが、指定席であっても開演直前に「膝送り」したらどうだろうか。
例えば、開演5分前になったら既に着席していた客に「膝送り」を促す。後ろの人は前に脇の人は中央へ向かって、それぞれに席を移動して貰う。
席を移りたくない人はそのまま所定の席に着いていても良い。
遅れて来た人は空いた席に座るようにすれば、開演中の客席にさほど迷惑を掛けずに済むし、後から来た人も気兼ねなく着席できるのではなかろうか。
ヨーロッパの公演では既にこうした方法が行われていると聞く。
最初は戸惑いもあるだろうが、慣習化すればスムースに行くと思う。
もっとも落語の場合は、途中からの人は後ろで立ち見をして貰い、出演者の入れ替えの時に着席すれば良いのでは。

検討の余地があると思うが、いかがだろうか。

2011/11/01

【寄席な人々】「ケータイ警報」発令!

先日ひさびさに鈴本演芸場の公演中の客席で、携帯の呼び出し音にでて通話をはじめる人をみた。過去に2回経験しているので、今回で3人目ということになる。
演者の高座に水をさすばかりでなく、周囲の人に不快な思いをさせ、まことに迷惑な話しだ。
他の方のブログをみても、そうした例は少なくないようだ。
客席での通話はさすがに他の芝居やコンサートでは見たことがないから、こういう客は寄席や落語という芸能をナメテいるとしか思えない。注意されても悪びれた様子がないのは、そのためだろう。
このての人は入場禁止にして欲しいくらいだが、実際には難しい。

ここまで極端でなくとも、公演会場での携帯の呼び出し音にはしばしば悩まされる。
開演前の恒例ともなっている「ケータイ警報」だが、何度もしつこく注意しても鳴ることもあれば、全く注意せずにいても最後まで鳴らないこともある。その会場の客層にも因るのだ。
主催者側としては、さぞ頭が痛いことだろう。
困るのは本人は電源を切ったつもりでいるから、音が鳴り続けているのにいつまでも止めようとしないことだ。
妨害電波を放っている会場もあるが、そのせいか安心して電源をオフにせずにしていたのだろう。そういう劇場でも呼び出し音が鳴ることもある。
こうなると、100人に1人程度は不注意な人がいることを覚悟せねばならないのだろう。

音が鳴らなければそれで良いかというと、そうではない。
マナーモードの振動音も、静かな会場では周囲に響きわたる。
もう一つ、公演中にメールチェックするのだろうか、待ち受け画面を見ている人がいる。場内はうす暗いから、この光がかなり目だつ。周りにこういう人がいると気が散ってしょうがない。
もしかするとツィッターとやらで、公演のツブヤキでもしているのかも。

こうすれば完全に防げるという妙案は無いのが実状だ。
どうしても携帯の電源を切れない人や、切るのを忘れそうな不注意な人は、劇場に足を運ばぬよう自主規制して貰うしか手があるまい。
それも出来ないとあらば、ケータイは家に置いて出てきて欲しい。
そう願うばかりだ。

2011/08/18

【寄席な人々】「名人」は遠くなりにけり

初めて寄席へ連れていかれたのは小学校低学年の時。
何度か行くうちに、観客としての作法のようなものは、周囲の大人たちを観察しながら身につけていったような気がする。
その一つに拍手の仕方があった。
子どもながらに、見よう見まねで覚えたのは、次のようなものだった。
・噺家が高座に姿をみせた時の拍手は、「待ってました」の迎えの拍手。お気に入りや贔屓にしている噺家に対する特別の拍手。
・座布団に座って最初に頭を下げたときの拍手は、期待の拍手。
・一席終わって最後に頭を下げたときの拍手は、評価の拍手。
とまあ、ざっとこんな感覚でとらえていた。

当時は前座に拍手する人は稀で、2,3人がパラパラとやる程度だった。そりゃそうだ、向こうは修行のために客の前で落語を演らせて貰っているわけだから、客としては勝手におやんなさいだ。
二ツ目から真打へと進むに従って拍手の数がだんだん増えてくるが、知らない芸人や気に入らない芸人には、拍手をしない人が多かった。
その代り、出来が良かった面白かった時は大きな拍手が送られた。
今は「受ける」というと「笑いが取れる」と同意語になっているようだが、あれはもしかすると「拍手を受ける」から来ているのではなかろうか。
芸人への期待も評価も全て拍手がバロメーターだったし、客はシビアだった。

私は今でも前座には拍手をしない。
だから開演して前座が登場するや、いきなり盛大な拍手を浴びていたりすると違和感がある。
最近のお客はとても優しい。
誰かれとなく出てくる芸人には、ほぼ平等に拍手している。一席終えたあとも、出来不出来にかかわらず一斉に拍手で送る。
でもどうだろう、あれでは噺家が自己評価できないのではなかろうか。
受けたかどうか拍手で分からなければ、笑いの大きさや頻度、つまり笑いが取れたかどうかで判断することになりはしまいか。

ここで志ん朝の「文七元結」のマクラ(1982年本多劇場での録音)で語った名人論を思い出す。
「大変にお上手だとか、上手いという方は多くいらっしゃいますけど、やっぱり名人という方は、一人もいないんじゃないかと」と志ん朝は言っている。
その理由として、今は仲間うちでもあまり厳しいことはお互いに言わなくなった。厳しいことを言うと周囲から敬遠される。言って恨まれては損だから、他人が厳しいことを言わなくなってきているという事を挙げている。
志ん朝はここで落語家の仲間うちについて述べているのだが、観客についても同様の傾向があると思う。
あるいは世の中全体が、そういう風潮になっているのかも知れない。
その結果として、志ん朝はこう続けている。
「だから・・・、自由な芸というのはどんどん生まれますな」。
大衆芸能である落語は、観客によって大きく左右される。客が落語家を育てる。
志ん朝のこの高座から約30年、優しい客のもとで自由な芸がどんどん生まれている。

志ん生は「寝床」の中で、「褒めるってぇことほど、芸をダメにするもなぁありません」と言っている。
かくして、「名人は遠くなりにけり」。

2011/06/13

「鯉のあらい」と「氷」

落語「青菜」で、涼感を醸し出すために、鯉の洗(あら)いの下に敷かれている氷を頬張るという演出が行われていて、私はこれに対して異論をはさんでいます。
この点について、少し補足したいと思います。

先ず「あらい」の意味ですが、通常の刺身と異なり、鯉の身をそぎ切りにしたものを水で洗うことから、この名が付けらえています。
ではなぜ鯉は刺身にせず「あらい」にするかというと、一つは川魚独特の生臭さがあるためです。水で洗って、臭みを除くのです。
次に、氷水で冷やすことにより身を引き締めて、食感を良くするためです。植木屋さんが「歯ごたえがあって美味しい」と言っているには、このためです。
もう一つは、川魚に付着している寄生虫を殺すため、一度お湯に浸してから冷水で洗うことがあります。
夏によく用いられる調理法なので、氷の上に置いて出します。飲食店ではザラメと言われる細かな氷の上に、鯉のあらいを並べて出すことが多い。
さらに生臭さを消すために、酢味噌につけて頂きます。

夏場の氷ですが、今は冷蔵庫で簡単にできますが、昔は夏になると氷屋が売りにきて、それを各家庭で買ったもんです。
アイスボックスと呼ばれる箱の中に入れ、夏場の食品保存に使いました。
あるいはアイスピックを用いて「ぶっかき氷」に砕き、適当な大きさのものをそのまま頬張ったり、水を入れて氷水にして飲んだりしました。
ぶっかき氷は大きさも形も不揃いです。
「青菜」の氷も「ぶっかき氷」だっと思います。
ザラメじゃ、頬張れませんし。

「青菜」ではそうした氷を使ったでしょうから、そのままでは「あらい」は上に乗せられません。
おそらく氷の上に布巾を敷いて、その上に鯉の洗いを並べたものと推測されます。
植木屋は布巾をめくって下にある氷を取りだし、頬張ったのでしょうか。
いずれにしろ、生臭い魚の下に敷かれた氷を口に入れるような事はしませんね。
なぜこうした演出にしたのかと想像するに、この噺の前半はこれといった面白い場面がなく、笑いを取るために入れた。
あるいは、このシーンを入れることにより涼感を増すと考え、こうした演出を行ったのでしょう。

鯉のあらいと氷をめぐる一席、お粗末さまでした。

2011/05/28

落語家の素質、才能

中学生のころ、寄席通いしていた友人が、あるとき興奮してこう語りかけてきた。
「昨日みたんだけど、朝太っていう、すげえ上手い前座がいてな。」
後の古今亭志ん朝である。
立川談志が最初に注目を浴びたのも、ある名人会の前座(小よし)で出たときだった。
先代の三遊亭圓楽や春風亭小朝は、二ツ目当時から評価が高かった。
私も末広亭で二ツ目時代の桂小金治「禁酒番屋」を聴いて、ひっくり返って笑った記憶がある。
「栴檀は双葉より芳し」で、彼らは若い頃から素質(才能、資質)に恵まれていた。

落語家は本人が希望し師匠が許してくれれば、誰でもなれる。
共通一次もなければ口頭試問もない。
早い時期から頭角を現わす人もいれば、年を重ねてもサッパリという人もいる。
なかには素人目からみても、芸人に向いていないのではという噺家もいるが、スタートから人生をやり直すのは容易ではなかろう。
劇団民藝のトップだった宇野重吉が著書に書いていたが、俳優の中にも明らかに不向きの人がいるのだそうだ。
彼はそういう人に対して、早く俳優をやめて他の職業に就くように説得したという。
本人は稽古熱心で、そこそこ演技も上手いのだが、宇野の眼からみると将来絶対にモノにならないことが分かるのだそうだ。
だから本人のためを思って、転職を勧めたとある。

かく言う私も中学のころ、落語家になろうかと志したことがあった。
2年生だったか愈々将来を決めようかと思い悩んで、あるとき鏡に顔をじっと映してみた。
その結果、落語家になることを断念した。
俺の顔は芸人向きじゃない、そう悟ったからだ。
小学生の頃から寄席に行っていたお蔭で、流行る人と流行らない人はどこが違うのかが区別できていた。
芸人として大事なのは華と愛嬌、そしてルックスも無視できない。
二枚目である必要はないが、やはり男前であることは有利だ。
中学時代の私の決断は正しかったと、今もそう確信している。

二ツ目の春風亭一之輔への世評が高い。
小朝以来と、その素質を称える向きもある。
先日、彼を評して当方がコメント欄に『志願すれば誰でも落語家になれますが、その中で才能のある人は一握りです。これからどこまで大きくなるのか、楽しみです。』と書いた。
これに対して「言志館」という方から、次のようなコメントが寄せられた。
『「五人廻し」、「百川」を一之輔さんは十分に咀嚼して、圓生を乗り越えようとしていました(いずれも横浜にぎわい座)。
実は、このワザオギの会の開演まで間があったので、半蔵門線「永田町」国立劇場出口前にあるコーヒーショップに入ったのですが、一之輔さんがキャスター付バックを持って当方の通路隔てた真ん前に座られ、コーヒーをすすられながら、大学ノートを広げて、ネタを熱心にさらっておられました。
こうした勉強熱心が今の充実を作っていると感じいった次第です。
「才能のある人は一握り」なので、鈴本も、池袋も、いつも同じ顔。』

才能があるということは、必要条件ではあるが十分条件ではない。
才能だけで罷り通れるほど、芸の世界は甘いものではない。
ひたむきな努力があってはじめて、大成への道が開かれる。
これからも一之輔に注目してゆきたい。

2011/05/26

「落語好き」だが「ファン」でも「通」でもない

当ブログに何人かの落語家の方がコメントを寄せて下さっているが、レスはするものの、彼らのサイトを訪れたことがない。
芸には興味があっても、私生活には関心がないからだ。
電車や路上、時には会場のエレベーターの中で落語家をみることはあるが、挨拶したことも声をかけたこともない。
いわば通勤途上で、見知らぬ人に声をかけられても迷惑かなと思うからだ。
落語会が終わったあと打ち上げなどで、落語家と酒席をもうけることがあるが、一度も参加したことがない。
かつて「あなたは本当に落語ファンなのですか」というコメントを頂いたことがあるが、こちらの記事を読んでそう感じたのだろう、鋭い指摘だ。
「この人、何が楽しくて落語を聴きにいくんだろう」、そう思ったに違いない。
お答えします、「落語ファン」ではありません。

落語をテーマにしたサイトをみると、あれも楽しかった、これも面白かったと書かれているケースがあり、読んでいてご本人の嬉しさが伝わってくる。
打ち上げで噺家たちと呑んだ楽しさを書いたり、道で出会ってこんな会話を交わしたという話も眼にする。
雑誌「東京かわら版」(未読です)や、あちこちの落語家のサイトをチェックし、彼らの動静や今どんなテーマに取り組んでいるかを落語仲間と語らっている人々がいる。
好きな噺家を追いかけて、大阪や九州の公演まで出向いている人もいる。
こういうのを本当の「落語ファン」と呼ぶのだろう。

昔から「落語通」と呼ばれる人たちがいる。
落語や噺家に詳しいのは勿論(「酢豆腐」なら”モチリン”でげす)、一家言を持った方々だ。
昔でいえば安藤鶴夫や久保田万太郎らが代表格。
今ならさしずめ立川談志、この人が代表的なオピニオンリーダーだろう。
談志の書いた本や記事を読むと、なるほどと感心することもあるが、こうあるべきで「これが分かるのを落語が分かるという」などと断定されると、ついつい反発を感じてしまうのだ。
これじゃまるで、アンツルが家元に置き換わっただけじゃないか。
旧ソ連じゃあるまいし、大衆文化に公式など存在しない。
100人いれば100人、見解が違っていて良い。だから常に一人称でしか語れない。
こんなこと言ってると、「分かってないヤツ」に分類されるのだろう。
ハイその通り、全く分かっておりません。
「落語通」など、遠い世界でございます。

だから日々、高座をみて感じたことをそのまま書いている。
これでも十分楽しんでいるんですよ。
「落語好き」ではあるんです。

【追記】
後から知ったんだけど、「落語通検定」ってぇのがあるそうですな。
名前からして、野暮なモノをこさえたもんだねぇ。

2011/05/10

【寄席な人々】前の席に「大きい人」が・・・

あまり身長の高くない方なら、何度か経験がおありだろう。
落語会に限らず催しすべてに共通することであり、誰の責任でもないし、だから対策のとりようもない。
でも実際に困るのは、前の席に「大きな」人が座ることだ。
背が高いだけならまだ頭の間から見ることもできるが、これが歌武蔵のような体格の人だと、もうダメだ。
それでも座席が脇の方なら見えにくい程度で済むのだが、中央付近の席だと時には全く見えなかったということになる。
自由席や空席のある会場なら移動する手があるが、満席だとそれもできない。
せっかくライブを見に行ったのに、声だけしか聴けなかったというのは、いかにも残念だ。
小中学校のころ生徒を身長順に並ばせ、背の低い人から前の方の席に座らせていたが、あれは合理的だったんだと今になって思う。

これは劇場ではなく航空機内でのことだが、体格のいい人と隣り合わせになって困ったことがあった。
米国行きのフライトで、既に窓側に座っていた人がまるでプロレスラーかアメフト選手のような、立派な体格の黒人だった。
身体は完全な逆三角形で、私が座る隣席の方へ、その人の肩がかなりはみ出していた。
従ってこちらは少し斜めに肩を捩らないと、座れない。
空席があれば変わりたかったのだが、あいにくの満席。
それでも当方の英語が達者なら、多少なりともコミュニケーションが取れたのだろうが、至って不調法ときているのだからどうにもならぬ。
あちらも大きな体をシートに沈めジッと座っているだけだったが、こちらも斜めの体制を保ち続け、とうとう12時間そのまま動けずじまい。
あれは拷問みたいでしたね。

体格も体形も一人一人ちがうし、それが狭い空間を共有するのだから、不便は避けられない。
理屈では十分判っているのだが、でも「被害」に出あうと、なんとなく割り切れない気分に陥るのだ。

2011/04/02

【寄席な人々】今の落語界は層が薄いって?

“落語CDムック 立川談志3(竹書房)”に川戸貞吉という人がこう書いている。
「我々が育った戦後の落語界に比べると、随分層も薄くなっています。それから立川流、圓楽党が、一緒に協会の人たちと寄席に出なくなる。(中略)まあ一つの落語の危機が、密かに続いていると考えても良いかもしれません。」
このシリーズでは毎号、家元・談志と川戸貞吉との対談が掲載されているのだが、どうも旦那とタイコモチとの会話を連想してしまうのは、私だけだろうか。
それはともかく、川戸貞吉といえば、「貞やんを(落語界で)知らぬ者はいない。知らない奴は馬鹿かモグリだ」と談志から評される業界名物人間だそうだ。
そんなエライ人が、昔に比べると今の落語界は層が薄いなどというと、そのまま信じてしまう人がいるかも知れないので、ここで一言反論を。

先ず寄席の数だが、昭和23年の記録によれば都内に9軒で、全て落語の定席だった由。
それに対して落語家が何人いたのかは分からないが、桂小金治が戦後に入門した時の落語家の数を200名と言っている。
その場合は寄席1軒あたりの落語家の数は22名となる。
現在の寄席の数は4軒、それに対する落語家の数は両協会(立川流、圓楽一門を除く)で約420名。
寄席1軒あたりの落語家の数は105名、戦後のおよそ5倍である。
寄席に出演できる芸人の数は限りがあるので、落語家の人数からいえば現在の方が遥かに層が厚い。

そう言うと、いや昔は人数こそ少なかったが、名人上手が綺羅星のごとくいたという異論があるかも知れない。
ところがドッコイ、何せ一方に戦争が終わって娯楽に飢えていた国民がいて、片方でラジオの民放局が次々と開局する。
いきおいコンテンツは手っ取り早く落語を中心とした芸能番組になる。
戦後の第一次寄席ブームの到来である。
各ラジオ局は人気落語家たちを自局につなぎとどめておくために、こぞって専属契約を結んでいた。
因みに昭和27年当時、専属契約していた顔ぶれはというと。
NHK:柳橋、三木助
ラジオ東京:文楽、圓生、正蔵、小勝、小さん、円遊、小柳枝、桃太郎
文化放送:可楽、今輔、痴楽、さん馬(文治)、百生
ニッポン放送:志ん生、柳枝
その他フリー:小文治、金馬、円歌、圓馬、助六、馬生、圓右、米丸など
こうした噺家はラジオの出演で忙しくなり、寄席への休演や代演が頻繁に起きていた。
特に名人クラスになると、普段の寄席に出る機会が少なくなっていた。

今でこそ、休演や代演が事前に公表されたり、寄席の前にはり出されたりするようになったが、当時は開演になってみないと分からない。
それも落語の代演に色物の芸人が出てきたり、ひどい時は芸人の頭数そのものが足りなくて、さっき出ていた色物芸人がまた出てきて同じ芸を演るなどという、今では考えられないこともあった。
新宿の末広亭で2代目三遊亭円歌がトリだというので楽しみにでかけたが、最後まで現れず。
「円歌、来なかったね。」
「雨だからじゃない。」
なんて客同士が話していたのを憶えている。
そんな風だったから、戦後の寄席ブームが急速に萎んでいったのにも理由があったのだ。

唯一昔の方が優れていたと思われるのが、講談だ。
当時は貞山、貞丈、馬琴、松鯉といった名人級の講釈師がズラリと顔を揃えていて、トリが講談というのも珍しくなかった。
あとは音曲の芸人、これは時代が違うのだから致し方あるまい。

落語家については、今の方が明らかに水準は高いと思う。
寄席に行っても昔と違って、ガッカリするようなことは少なくなった。
現在の落語ブーム・寄席ブームはおよそ10年になり、定着した感がある。
お客は正直であり、面白いから足を運んでくる。
川戸貞吉が危惧だか期待だかしているような「落語の危機」は、私は感じていない。

川戸は談志との対談の中で、寄席の存在意義そのものにも疑問を呈しているようだが、それはまた別の機会に。
(敬称略)

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