皇室の危機

2011/12/02

若旦那、別れるなら今だ!

あの結婚は失敗だった。口にこそ出さないが、皆そう思ってる。
世間には嫁さんを非難する者もいるが、それは違うね。あの人は賢い人だし人柄だって悪くない。ただ家風に合わなかったんだ。若旦那に見込まれてしまい、あの頃は親父さんの商売の都合もあって断り切れなかったんだろうけどね。
何しろあの「家」は古風で、伝統と格式をやたら重んじる家柄だ。それに大旦那の存在が全てであって、家族、親戚から奉公人にいたる全員が大旦那に奉仕するという特別の「家」だ。そこんところを呑み込んでおかないと、あそこの嫁は務まらない。
そこに男顔負けの外回りをこなすような人が嫁に入ったんだから、元々無理があった。いうなれば水と油。だから心の病ってやつに罹かっちまった。
あの病気は環境を変えなきゃ治らないんだってね。いくら医者よ薬よとやったって、ちっとも良くなりゃしない。あの「家」を出なけりゃ永久に治らないと、アタシは思うね。
このままいけば本人はもちろん、あの「家」全体が不幸になる。
ここいらで若旦那も思いきって見切りをつけて、嫁さんと別れるしかないんじゃないかな。
そりゃ辛いだろうけど、「家」を守るためには仕方ないんじゃない。だって普通の家とは違うんだから、そこんとこの分別はつけなくっちゃあ。

近ごろ心配なのは大旦那が病気で時々休むことだ。だいぶ高齢ということもあり、いつまでもバリバリと仕事を続けるわけにもいかなくなる。
これは宿命だから仕方がないけど、いずれ若旦那が大旦那の仕事を受け継がなきゃならない時期がくる。そうなった時は、今の嫁さんじゃもたんぞ。
代替わりしてから別れる切れるは、いよいよ不可能になってくる。
だから大きなお世話かも知れないが、別れるなら今だ。
若旦那だって、今からならやり直しがきく。
その方がお互いに幸せになる。
世間体とかなんとか、昔と違って今どきは、親類も周囲も得心してくれると思うよ。
どこかの婆さんが、長男を勘当して次男を跡に直せなどと喚いているようだが、それじゃこれからのあの「家」の秩序が保てないだろう。

家系に男の子が少ないので、将来は「女主人」のことも頭に入れておきたいと番頭が言い出しているらしい。
それも時代の流れかも知れない。
ただここで考えておかなくちゃいけないのは、あの「家」に嫁のきて、婿のなりてがいなけりゃあ、いずれ家系は絶えてしまうってことだ。
そりゃ誰でもよけりゃ相手はいるだろうが、そうはいかない。
あれだけの格式のある「家」だ。相手もそれ相応の家柄から貰うことになる。
そうした良家の息子や娘たちはふだん自由で良い暮らしをしているわけだから、好き好んであの「家」に入りたいと思うだろうか。
嫁に来たい婿に入りたいという若い男女が、門前市をなすような状況をこさえていくにはどうしたら良いか、そこを考えておかないと、どんなにいい制度を作っても絵に描いた餅になっちまうと思うよ。

色々言いにくいことも言ってきたけど、気を悪くしないでね。
これでも本気で心配してるんだから。

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2009/03/30

皇室の危機(3)「『皇位簒奪』の仕掛人」

本シリーズ1回目は「反皇太子キャンペーン」、2回目は「『秋篠宮を天皇に』大合唱」と続いてきましたが、それがなぜ「皇室の危機」に結びつくのかが今回のテーマです。
「簒奪」という言葉がありますが、これは皇位(王位)を奪うという意味です。他の国と同様、日本の歴史上でも皇位の簒奪をめぐる争いが数多く繰り広げられてきました。
その最も典型的な事例は「壬申の乱」です。
大化改新の中心人物であった天智天皇が亡くなったあと,天皇の弟の大海人皇子と天智天皇の子の大友皇子との間で皇位継承問題がおこります。両者の戦いは太子であった大友皇子が自害して果て、弟の大海人皇子の勝利に終わり、天武天皇として即位します。反乱軍側が皇位を簒奪したとあって、戦前は義務教育では教えないことにしていました。
これとは別に、周囲の取り巻きの思惑で、皇位の簒奪や継承問題が起きた例も過去にはあります。

それほど遠く遡らなくとも、昭和天皇の時代にも皇位をめぐる事件が起きています。
その一つは、1936年(昭和11年)に起きた通称「島津事件」と呼ばれるものです。
宮中の元女官長であった島津ハルが、神道系カルト教団の神政龍神会に入信しますが、やがて島津ハルは昭和天皇が早晩崩御するから、高松宮を擁立すべきと主張するようになります。
逮捕後の取調べの中で島津ハルは、「国体明徴維神の道を立つるには、高松宮殿下を擁立しなければなりませぬ。」と答えています。またカルトの祈祷師・角田つねも同様に「国体明徴は、現皇統には高松宮殿下を措いて他になし・・・」と、取調べで述べています。
もちろん戦前は、こうした事実は一切公表されていません。

この島津ハルというのは宮中の女官長という要職にあったばかりでなく、かつての薩摩藩国父・島津久光の孫であり、当時の香淳皇后とも親戚関係だったという大変な家柄だったわけですから、これは大事件でした。というより、政府にとっては難問でした。
結局この事件で、島津ハルらは精神異常者として不起訴となり、入院の措置がとられます。
当局としては何としても裁判を避けたかったんですね。
これとは別に神政龍神会の責任者は不敬罪で逮捕、起訴されます。
こうして島津事件は一件落着となります。

もう一つの事件はより深刻でした。
1936年(昭和11年)2月26日に日本中を震撼させた重大事件が起きます。陸軍兵士1400人が決起し、政府要人を殺害し、国会議事堂や総理官邸など政府の施設を占拠した軍事クーダター、二・二六事件です。
事件は、昭和天皇自らが指揮して、叛乱軍を鎮圧するという強い態度を示したため失敗に終わり、首謀者は処刑されます。
この事件を主導した将校たちが、昭和天皇に代わって皇弟・秩父宮を擁立する動きがあった、こうした噂が全国を駆け巡ったとされています。
事実ならそれこそ一大事だったわけで、根も葉もないウワサ話とされている反面、単なる風説とは片付けられない証言もあります。

事件当時、秩父宮は陸軍第八師団(青森)に属していましたが、事件のその日に列車で東京に向かいます。
これを聞いた皇国史観で知られる歴史家で、皇室にも影響力のあった平泉澄帝大教授が上野から列車に乗り込み、途中の水上駅で宮の列車に乗り換えます。
その時の模様を後年、
「車中拝謁の上、此際極めて大切なる事は、皇室の御意志の完全なる統一であって(中略)一乱鎮定までは、終始高松宮殿下と並んで、陛下の御左右に御立ちになり、最高の地位に於いて陛下を御補佐遊ばされますように御願申上げ・・・」
と書いています。

事件の5年前に、内大臣・牧野伸顕が元老・西園寺公望を訪れ、こんな話をしていました。
「秩父宮が汽車に乗って何処かに行かれる時に、その列車に陸軍の大佐が入って来て、殿下を担ぎたいということをじかに申上げたという事実がある。」
軍の一部に秩父宮を担ぎたいという気配があることは重臣の耳に届いていて、心を痛めていたようです。
火の無い所に煙は立たぬ、という所でしょうか。

二・二六事件後、西園寺公望が秘書の原田熊雄にこう語っていました。
「日本の歴史にも随分忌まわしい事実がある。例えば神武天皇の後を承けられた綏靖天皇は、実はその御兄君を殺されて、自分が帝位につかれた。(中略)まさか今日の皇族にそういう方々が、どうこうということは無論あろう筈がないが、しかしこういうことはよほど今日から注意しておかねばならん。」
「まさか陛下の御兄弟にかれこれいうことはあるまいけれども、しかし取巻きの如何によっては、日本の歴史にときどき繰り返されたように、弟が兄を殺して帝位につくというような場面が相当に数多く見えている。(中略)皇族の中に変な者に担がれて何をしでかすか判らないような分子が出てくる情勢にも、平素から相当に注意して見ていてもらわないと・・・」
こうした発言に、事件の影を見ることができます。

皇位をめぐる争いについて、前記の平泉澄は次のように憂慮していました。
「ただ一つ心配なのは、万々一皇族の間に御意見の不一致があれば、その間隙に乗じて魔手が謀略を逞しくするかも知れないという事であります。之を壬申の乱や保元の乱に見ても、或は南北両統の争に見ても、皇室が二つに割れる事が、最大至重の病根であります。」

3回にわたり「皇室の危機」と題して雑文を書いてきましたが、ここまで読んでもらえば私の言いたい事は理解して頂けたと思います。
「秋篠宮を天皇に」と主張し、「反皇太子キャンペーン」を展開している人々に対し、皇太子こそが正当な後継者だと主張する人も必ずいる筈です。
そうなると、お互いの正当性をぶつけ合うことになり、やがては双方のネガティブキャンペーンがエスカレートしていくでしょう。
例えていえば、今の麻生太郎首相と小沢一郎代表の争いみたいに。
そうなれば、やがて国民の皇室に対する信頼感や敬意が薄れてくるのは眼に見えています。

こうした主張を煽っている人は、ほぼ例外なく皇国史観の持ち主です。彼らは、皇位或はその継承者の地位を簒奪せよと、けしかけている事になります。
さて仕掛人はいったい誰で、果たして何を謀っているのでしょうか。

(終わり)

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2009/03/24

皇室の危機(2)「『秋篠宮を天皇に』大合唱」

前回、一部の右翼的な学者や文化人、ブログなどで激しい「反皇太子ご夫妻批判キャンペーン」が行われていることを紹介しましたが、これと相反するように彼らは「秋篠宮を天皇に」(文藝春秋の記事についてはタイトルとは異なっている)の主張を強めています。
ある学者なぞは「次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる」ことを望むと、ハッキリ明言している程です。

年配の方なら覚えておられるでしょうが、今上天皇が皇太子だった時代に、当時の右翼が昭和天皇と比べると「民主主義教育を受けた」「軟弱な平和主義者」と批判していました。「昭和天皇と違い、命をかけてまで守ろうとは思わない。」と言い放った右翼幹部もいました。
また批判の的が、しばしば美智子さん(現皇后)に向けられていたのも、今と同じような状況です。
右翼というのは皇室崇拝主義かと思うのですが、どうも代々の皇太子(近ごろは東宮と表記するのが流行りらしい)ご夫妻が気に入らないようです。

さかのぼると、そうした人々が敬愛してやまぬ昭和天皇の皇太子時代にも、実は同じようなことがありました。
1912年に皇太子時代の昭和天皇が、半年にわたりヨーロッパ旅行を行っています。
これに母親の貞明皇后は、皇太子が西欧文化の影響を受けることを危惧して、欧州行きに反対し皇太子と対立します。
果たせるかな、帰国後の皇太子は宮中の制度改革に乗り出します。
それまでは後宮という制度がありました。映画や芝居でおなじみのように、そこには沢山の未婚女性がいて、全員がそこで生活していました。気に入った女性がいればやがて側女にというわけです。
現代の人から見れば「え~」という制度にうつるかもしれませんが、代々男系の男子が皇位を継承するための一種の保険でもあったわけです。
皇太子時代の昭和天皇は後宮の女官制度を一新し、女官は通いで務めるものとし、既婚女性でも構わないとしました。更に古いしきたりの女官言葉を廃止して、普通の現代語を使うように改めたわけです。
当然のことながら、当時の宮内大臣牧野伸顕を始め宮中の側近たちはこれに反対しますが、皇太子は自説を押し通します。
かくして昭和天皇は、歴史上初めて皇室の一夫一婦制を確立することになります。

このように、制度を改革しようとする側と、旧態依然とした制度にしがみつく側との対立は、今に始まったことではないのです。
余談になりますが、皇太子が重要な儀式である新嘗祭を休んで、四国へ旅行に出かけてしまうというような事もあったようで、この時も貞明皇后は皇太子は西洋風の習慣に影響されてしまい、宮中祭祀をないがしろにしていると思われたそうです。
何だか、現在の皇太子批判ととてもよく似た状況だったわけですね。

秋篠宮に対する評判は上々で、一昔前のあの世評はどこへ行ったのかと思えるほどです。
誰もが知っている「あんなこと」や「こんなこと」、全てすっ飛んでしまいました。
皇室の中の問題は一切情報公開されないので、いずれも真偽のほどは分かりません。それは皇太子ご夫妻に対する非難についても言えることです。
事実かどうか、それはかなり後年にならないと分からないことです。

世評の風向きが変ったのは、やはり秋篠宮家の長男・悠仁さんの誕生でしょう。
皇太子の側には男子が生まれない、それに対して秋篠宮家は男子が誕生した、この事実が大きかったのです。
おりから、女性天皇を認めるべく皇室典範を改正する動きがあったのですが、これにより女帝反対派が俄然勢いづきました。このことを契機に、「女帝反対」=「反皇太子」=「秋篠宮擁立」という図式が出来上がったと思われます。

では仮に彼らが言うように、秋篠宮こそ次の天皇に相応しいとしましょうか。しかも国民の多数がそれを支持したとしましょうか。でも結論からいえば、皇位継承にはなんら影響はありません。
日本が近代国家になって大日本帝国憲法を制定するにあたり、「天皇」についての規定をどうするか、これは大きな問題でした。
明治憲法は一般にプロイセン憲法をモデルにしていると言われていますが、例えばプロイセン憲法で摂政に関する規定は次のようになっていました。
「第57条 国王未成年ニ属シ若クハ久シク故障アリテ政ヲ親ラスルコト能ワザレバ、最近ナル支親ノ成年ナル者摂政ノ事ヲ行ウ。此ノ時ハ其ノ人必ズ速ニ両院ヲ徴聚シ、両院合会シテ摂政ヲ設クルニ必要ナルコトヲ宣告セシムベシ。」
つまりプロイセン憲法では、摂政の設置については議会両院が決定権を持っていました。

これに対して、明治憲法制定を担った一人である井上毅は、
「皇室ノ大事ヲ以テ民議多数ノ裁判ニ委ネ、従テ人民ニ勢力ヲ誘導シ,将来皇室ヲ左右スルノ漸ヲ啓クコト」
になると、これを批判しました。
つまり議会を関与させれば皇室の尊厳が脅かされ、国民が皇室に口を挟むことに道を開く、井上毅はこう考えたわけです。
この結果、摂政の設置について旧皇室典範では次のように定めていました。
「天皇未ダ成年ニ達セザルトキハ摂政ヲ置ク。 天皇久キニ亘ルノ故障ニ由リ大政ヲ親ラスルコト能ワザルトキハ皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ摂政ヲ置ク。」
こうして戦前の日本では、摂政を置く場合は「皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ」として、議会や国民の意思が入る余地がないように決めたわけです。

では、現行の皇室典範でこの条項はどうなっているでしょうか。 
「第16条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
旧法と比べ「枢密顧問」が抜けているだけで、基本的な考え方はそのまま引き継がれています。

繰り返しますが、現在の皇室典範においては皇位継承を、あの人の方が相応しいからと国民や議会が決定するというシステムになっていません。
従って「秋篠宮を天皇に」といくら主張しても、所詮は「遠吠え」にしかなりません。
もし本当に実現しようとするのであれば、皇室典範を改正するか、何か特別のウルトラ-Cでもあみ出さないと無理です。
(続く)

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2009/03/19

皇室の危機(1)「反皇太子キャンペーン」

2年ほど前になりますが、当ブログで書いた皇室関係の記事が専門サイトにリンクされて、そこには皇室に関する問題をテーマにしたサイトがいくつかありました。
それらに共通しているのは、凄まじいまでの皇太子ご夫妻に対する聞くに堪えない悪口雑言です。
いずれも主張の特徴から、右翼系の人たちだと思われます。
いわく「左翼」「反日」「怠け者」などと口汚くののしり、果ては皇太子が次の天皇になると日本は滅びるとのことで、何としても阻止しないといけないなどと主張する有り様です。

そうした極論が一部のサイトにとどまらず、最近では安倍晋三さんのお友達である学者や知識人ら、一部の皇室評論家などから同様の主張が公然と叫ばれ始めてきました。
顔ぶれをみると、概ね「女帝反対」論者=「反皇太子」論者 という図式になっているようです。
その頂点ともいうべきものが「秋篠宮が天皇になる日」(文藝春秋2009年2月号)で、この記事の内容はタイトルほどは過激ではないのですが、「浩宮の作文が喜怒哀楽の感情表現に乏しく、当人の気持が伝わってこない」という、学習院当時の担任の指摘を引用までして、やはり皇太子批判を行っています。
総合誌にこうした記事が堂々と掲載されたこともあって、反皇太子キャンペーンは一層勢いづいてきたというのが、現状ではないでしょうか。
どうもこの手の人たちというのは、自分たちが気に入らないと直ぐに「反日」というレッテルを貼りたがり、「このままだと日本国が滅亡する」と悲憤慷慨するというのがワンパターンのようです。

戦前の大日本帝国憲法の下では不敬罪、大逆罪がありました。
「不敬罪」の対象とされたのは、下記の通りです。
①天皇
②太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太孫など天皇に準ずる皇族
③神宮
④皇陵
⑤②以外の普通の皇族
不敬の対象というのは皇族だけなく、歴代天皇の墳墓や神宮まで含まれていたのです。

では「不敬の行為」とはどのような行為だったのでしょう。
①軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為。
②公私の別を問わず、即位の前後を問わず、事実の有無を問わず、事実の摘示の有無を問わず、一切の行為。
③公然・非公然の別を問わない(日記の記述も含まれる)。
④要求される敬意を払わないことも不敬行為。
こちらも実に広範囲だったわけです。

刑罰ですが、刑法には次のように規定されていました(1947年に廃止された)。
第1章 皇室ニ對スル罪
第73条 
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス
第74条 
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス
神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ
第75条 
皇族ニ對シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ處シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ處ス
第76条 
皇族ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ二月以上四年以下ノ懲役ニ處ス
最高刑は死刑という、極めて厳しい規定でした。

次に現在の「皇室典範」の皇位継承の規定はどうなっているでしょうか。
第1章 皇位継承 
第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。 
第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
 1.皇長子
 2.皇長孫
 3.その他の皇長子の子孫
 4.皇次子及びその子孫
 5.その他の皇子孫
 6.皇兄弟及びその子孫
 7.皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前2項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
つまり皇位継承順位の第一位は皇太子であり、次の天皇になられるのはほぼ100%確実です。

さて、現在行われている「反皇太子キャンペーン」ですが、戦前の法律を適用したとすれば、
先ずは「皇太子ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス」ということで、懲役刑は免れない。
次に「皇太子の即位を阻止・・・云々」という主張は、明らかに「皇太子ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス」に抵触すると思われ、これだと死刑ということになります。
つまり、今「反皇太子ご夫妻キャンペーン」を展開している人たちは、死刑にされても仕方がなかった。
あるいは特高に捕まり、やがて死体となって戻ってきたというような事だって有り得たわけです。
戦後に生まれて良かったですね。現在の言論の自由を最大限に享受しているわけですから。
処がこういう人々に限って、戦後の民主主義は・・・とか、今の憲法は・・・などと主張するのですから、ワケが分からない。

私見ですが、最近の「反皇太子ご夫妻キャンペーン」には、いささか首を傾げざるを得ません。
第一に、皇太子ご夫妻に対する罵詈雑言は、いずれ天皇皇后及び皇室の権威を貶め、国民の敬意を失わせるものだということです。天皇制や皇室を廃したいというのであれば、それでも構わないのですけど。
第二に、誹謗中傷される側に、直接に反論する権利がないということです。現在は内閣総理大臣が代わって名誉毀損罪や侮辱罪の告訴を行うことができますが、実際に告訴することは難しいと思われます。
反論ができない方に度を越した批判をすることは、フェアーでないというのが私の見解です。

こうした言論を展開している人々がどこまで自覚しているかは疑問ですが、いま皇室が危機をむかえているというのは事実でしょう。
(続く)

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2008/02/23

「雅子妃」タタキ、ではどうしたいの?

中年以上のご婦人の間では、しばしば話題にのぼるようです。ツアーなどで一緒になると、年配のご婦人同士でこの話題で盛り上がっていますが、結論としては概ね「あれはもうダメよね」「別れるしかないわよ」という所に落ち着いています。きっと全国津々浦々、そんな会話が交わされているのでしょう。マスコミには絶対のりませんけど。
いうまでも無く、話題の主は皇太子ご夫妻、特に雅子妃のことです。

発売される週刊誌の見出しを見ている限りでは、雅子妃の記事が載らない日はないのではと思う位、このテーマが採りあげられています。そのほか日刊紙や月刊誌でも度々記事になっていますが、不思議にTVのワイドショーでは滅多に放映されません。ネットでも勿論、多くのサイトで議論されています。

私が不思議でならなのは、右翼的言論人、恐らく皇室崇拝者だと思われますが、そうした人々ほど皇太子ご夫妻に対して厳しい批判をしていることです。
今のままいけば、皇太子ご夫妻が次の天皇皇后になられるのは、ほぼ100%の確率です。
かつてはどの国にも王様がいましたが、今日先進国で王室(皇室)が存続している国は、むしろ少数派です。皇室がよって立つ由縁というのは、国民から尊敬されることにあると思います。皇室崇拝者が、皇太子ご夫妻を貶めるような発言をすることが、果たして将来どのような影響を及ぼすのであろうかと、皇室とはご縁の無い私でも心配になります。

雅子妃に対して、一挙一動が批判の対象になっていますが、ではどうして欲しいのかが不明確なのです。
つまり批判はするが、対案が出されない。
今の状態を変えるには、恐らく次に二つしか無いでしょう。
①ご本人が変わる(それまで待つ)
②環境を変える(何らかのアクションを起こす)
もし、ご本人自身が変わる可能性が低いとなれば、次の方策は、
③ご本人が受け入れられるように、皇室の制度や慣習を変える
④離婚する
になると思います。
もし皇室の制度や慣習を変えないのであれば、具体的方策は①と④しか残らないのではないでしょうか。あまり選択肢はないのです。

お孫さんを祖父母に会わせる回数が少ないと、ハゲタ使用人から記者会見で苦情を言われ、それが全国に伝わる。
もしあなたが嫁の立場だったら、とても耐えられないでしょう。何でそんなこと、わざわざ世間さまに公表するんだと、私ならキレますよ。これでは、フツーの人でも神経がおかしくなってしまう。

現在、皇太子ご夫妻や雅子妃を厳しく批判する人々に訊きたい。結局あなたはどうしたいのかと。
ご本人の気持ちが変わるのをひたすら待つのであれば、先ず周囲が静かに見守ることが肝要でしょう。
それではダメだ、早く何とかせねばというなら、具体的は方策を提案すべきではないでしょうか。そうでないと、ますます問題がこじれる一方になると、私はそう考えます。

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2008/02/14

宮内庁長官が異例の「苦言」会見

若旦那さま、番頭の信兵衛でございます。
先ほど玄関でお嬢さまにお目にかかりましたが、すっかり大きくなられて、ますますお楽しみでございますね。
若奥さまのお加減の方は? はっ? 時々、外出も、されるように、ああさようで、それは結構でございますね。気鬱の病には、外の空気を吸うのが何よりでございますから。

今日は若旦那さまに少々、へへ、申し上げたいことがございまして、参上いたしました。どうかお気を悪くなさらずお聞き下さいませ。
実は、以前にも一度申し上げましたが、大旦那さまがお孫さまのお顔を見たいと申しております。聞くところによりますと、こちらのお嬢さまと会えるのは年に2、3度とか。それではやはりお寂しいことでございましょう。
お嬢様とはいえ、やがてはこのお店の跡取りになるお方。大旦那さまとしても、今から色々教えておきたいこともございましょう。

それと、これはまあ手前どもの勝手な勘繰りと、お聞き流して頂きたいのですが、大旦那さまがお孫さまに会いたいと仰るのには、へへ、本当は若旦那さまに、ちょくちょく本家に顔を出して欲しいという思いがおありではないかと、まあそう思っているんでございますよ。
そりゃ若旦那さまが所帯を持たれてから、分家はされていますが、ご本家とは目と鼻の先。それが滅多にお出掛けにならないとなると、へへ、やはり世間体ということもございましょう。
俗に口に戸は立てぬといいますが、人さまの中にはお家の中がうまくいっていないんじゃないかと、そう邪推する者も出てまいります。
手前どものような商売は、へへ、世間さまの信用だけが財産でございます。世間さまから陰口をたたかれるようにでもなれば、これはもう肝心の商売にも差し障りが出てまいりましょう。
どうかその辺りを、若旦那さまも心に留めておいて頂きたいのです。

それから、お願いついでと言ってはなんなのですが、大旦那さまも大奥さまもお歳を召され、今までのようにお得意さま回りを続けるのは、段々と大変になっているのではと、気になっております。
つきましては、若旦那さまに、もう少し手助けをして頂けないかと。いや、若奥さまのお加減のことは、重々承知しております。ですから無理を承知で、へへ、かようお願いしております。

番頭の身で、差し出がましいことを申し上げて、申し訳ございません。
どうかこの通り、羽毛田アタマを下げてのお願い、お聞き届け下さいまし。

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2005/07/29

「皇位継承」への一提案

皇室典範に関する有識者時会議の論点整理が、7月26日発表となりました。当初は、女性天皇容認論で固まるかと予想されていましたが、両論併記という「議論をする土俵」という段階に留まっているようです。
「女性天皇」に対しては、皇室の伝統が崩れるという反対意見が、「旧皇族の復帰」に対しては、皇族と一般国民との区別があいまいになるとの反対意見が、各々上げられています。
一長一短、帯に短し襷に長し、というのが目下の結論です。

王(皇)室というのは、国にとって絶対に必要なものではない。世界的に見ても、王室があるのは少数派であり、ロシア、中国、ドイツ、フランスなど、伝統的な王室や皇帝が存在した国でも、近代化民主化に伴い、廃止されています。
ここでは、皇室の存続を前提に、進めてゆきます。

皇室の拠って立つ基盤というのは、国民の支持と、アリガタミではないかと思います。それと天皇の重要な行為の中に、神事(まつりごと)があるのですが、ここではケガレという概念から、女性は避けられます。
何を今時古臭いとの批判はあるでしょうが、宗教や文化というのは、時に民主主義思想とは、相容れない存在です。大相撲や歌舞伎の世界を見れば、分かりますね。
「女性天皇」がすんなり認められないのも、そうした事情もあるのでしょう。

私は、皇位継承問題を考える際に、もう一つ重要なことがあると思っています。
それは、人間の心の問題です。
皇室の継続にとって、皇族以外の人を皇族に受け入れるというのは、必要条件です。従来は結婚のパートナーですが、これからは養子という形も有り得るでしょう。
その時に、今後果たして、「なりて」「きて」がいるのか、ということです。美智子皇后、雅子妃二代続いて、民間から皇室に入るのがどれだけ大変なことか、国民は身に沁みて感じています。
女性であれ男性であれ、皇族や宮内庁のオメガネに適う身分の人で、果たして今後皇室に入る希望者がいるのかという事が、本当は一番大きな問題だと思います。

皇族の生活というのは、我々外側からしか、分からないわけですが、どう考えても楽しそうには見えません。四六時中監視の目が光っていて、プライベートなど無いに等しい。いわゆる「ご公務」も、年間スケジュール管理されていて、個人の事情や意志が通る余地は無いでしょう。
それでいて、日本の皇室は世界一質素な王室だと言われているように、贅沢な生活ができるわけじゃあ無い。事実上、離婚の自由も無い。

ある程度の経済力と、社会的地位のある人で、一体誰がこんな生活、すき好んでしますかね。
第一、皇族の中でさえ、過去皇籍離脱を希望した方がいるのですから。
いくらセレブ婚がトレンディーでも、王妃になりたいと思う女性は、先ずいないでしょうね。仮にいても、今度は先様がお断りになりますしね。

結局、外部から見ても魅力のある皇室にすることが、先決だと思うのです。
花嫁あるいは花婿を募ったら、門前市をなす状態になるのが、望ましい。
公務を大胆にカットし、個人の自由時間を増やす、警備を簡素化する、ある程度贅沢な生活も容認する、離婚の自由も認めるなど、見直しが必要です。
いずれにしろ、「周囲の状況から、やむなく」とか、「泣く泣く」という状態は、決して長続きしないと思いますよ。

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