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2019/04/17

【街角で出会った美女】レバノン編

日産のカルロス・ゴーン事件ですっかり有名になったレバノンですが、この国の最大の宗派は、キリスト教東方典礼カトリック教会の一派で、マロン派と呼ばれています。大統領がマロン派から選出される慣行を持つなど、国内外の政治・経済両面において大きな影響力を持っています。
レバノンでは1970年代から約15年間にわたる内戦が続き、国土は荒れ果てました。この内戦で、多くのレバノン人が国外に流失してしまったのです。
レバノンは、紀元前のフェニキアの時代から貿易で稼いだ国なので、海外に出たレバノン人もそれぞれの国でビジネスで成功を収めた人も少なくありません。
カルロス・ゴーンやブラジル大統領のミシェル・テメルもそのうちの一人で、いずれもマロン派の信者です。
歴史の長いレバノンなので数々の遺跡がありますが、とりわけバールベック遺跡は中東でも最大規模を誇っています。
スキーと海水浴が同時に楽しめるリゾート地としても知られ、とても魅力のある国です。

写真は、フェニキア時代から5000年続いている町で、バイブルの語源ともなったビブロスで出会った少女です。エキゾチックな容貌が印象的でした。

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2018/09/14

【街角で出会った美女】モルドバ編

モルドバは旧ソ連に属していましたが、歴史的にはルーマニアとの関係が深い国です。ソ連からモルドバが独立した際には、ロシア系住民がモルドバを離れて沿ドニエステルという別の独立国(国際的には未承認)を作りました。
モルドバの国に入って目につくのは一面のブドウ畑です。そう、この国は東欧で有数なワインの産地として知られています。
旧ソ連の末期、ゴルバチョフ大統領時代には、酒を飲むからソ連人は働かないからという理由で、彼の命令でモルドバ国内のワイン醸造所が閉鎖され、貯蔵していたワインは強制的に廃棄させられたそうです。だから今でもゴルビーの評判は極めて悪い。
私たちはモルドバ国内で最も規模も大きいワイナリーを訪れました。見学したワインセラーの全長が120kmという途方もない規模なのです。
ワインの試飲がありましたが、これが飲み放題です。
驚いたのはお土産に赤、白、ロゼの3本のフルボトルのワインをプレゼントしてくれたんです。太っ腹ですね。
夕食は家族経営のオープンエアレストランで、ここもワインは飲み放題。食後は家族総出でモルドバのフォークソングを合唱してくれました。
最後は歌に合わせてのダンスで、これには私たちも一緒に参加し踊りました。フォークダンスの様な振り付けでしたが、何せ若い女性と手をつなぐなどというのは久しぶりで、ちょっとドキドキしました。
画像はその時の女性たちで、みな美人。
♪酒は旨いし ネエチャンは綺麗だ ウーワウーワ ウーワワー♪
ヨーロッパ最貧国のモルドバですが、そんなこと微塵も感じさせない国でした。

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2018/07/16

【街角で出会った美女】クロアチア編(5)

クロアチアで最も人気の高いドブロヴニク、入場門からメインストリートを進んで一番奥の辺りに教会があります。
ここで結婚式を挙げる人が多いようで、周辺は式に参列する人の姿が見られます。
また、教会の外には恐らくは花嫁の友人でしょう、花束を抱えて出待ちしている女性たちがいます。例外なく美しく着飾っていて、なかには花嫁さんを食っちゃうじゃないかと思われる人もいました。
教会の近くに桟橋があり、挙式した後で参列者一同が遊覧船に乗り込む姿も見られます。
この写真の花嫁は、船の出港に遅れないようにとかなり急いで走って行きました。
手前の出待ちの女性は、別の花嫁に贈る花束を抱えてその姿を微笑みながら見送っていました。
ちょっと面白いスナップだったので、ご紹介します。

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2018/05/03

【街角で出会った美女】沿ドニエステル編

海外旅行をしていると、独立宣言をしているのに国際的には独立を認められていない国にぶつかります。もちろん、国連には未加盟です。
でも国としての形は整っているので、入出国審査や通関検査も行っています。
沿ドニエステルもそうした国の一つで、ソ連からモルドバが独立した際に、ドニエステル川の沿岸に住んでいたロシア人やウクライナ人が、モルドバから分離独立を果たしました。独立の際にはモルドバとの間で戦争になりましたが、今は休戦協定を結んでいて、ロシア軍などから停戦監視団が派遣されています。
独自の通貨も発行していて、スーパーなど地元商店では沿ドニエステル・ルーブルしか通用しません。看板や標識はロシア語。
最大の特徴は、地上から姿を消したはずの「ソ連」が残されていることです。
国会や市議会の前にはレーニン像がたっていて、国章はソ連の国旗をデザインしたものを使っています。
建物も何となくソ連スタイルで、頑丈そうだが野暮ったい。
ガイドに言わせると、旧ソ連を味わいたかったら、この国が一番だそうです。

写真は昼食に立ち寄ったレストランのウエイトレスで、カメラを構えたらポーズを取ってくれました。

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2018/03/01

【街角で出会った美女】ウクライナ編

20世紀に最も大きな悲劇に見舞われた国として思い浮かぶのはウクライナです。
ウクライナはヨーロッパ最大の穀倉地帯ですが、それが悲劇の元ともなりました。
ソ連時代のスターリンによる人工的飢餓(ホロモドール)により、多数の農民が死亡しました。
第二次大戦ではウクライナは独ソ戦の主戦場となり、国民の5人に1人が犠牲になりました。
犠牲者の数は、どちらも1000万人前後と見られています。
いずれもスターリン、ヒットラーが自国の食糧確保のために引き起こした大量虐殺です。
さらに、ソ連時代に起きたチェルノブイリ原発事故では関連死を含め4000人が犠牲となり、220万人の人たちが別の地域に移住させられました。
今世紀に入ってからも、ロシアによるクリミア編入の戦乱により、ウクライナ人が5000人死亡しています。

さぞかしソ連、あるいはロシアを恨んでいるだろうと思っていたら、現地ガイドからは意外な反応がかえってきました。
「ソ連についてどう思う?」
―「ソ連時代の方が良かった。今もソ連に憧れている」。
「なぜ?」
―「みんなが平等だったから」
「クリミアがロシアに編入されてしまったが、どう思う?」
―「クリミアの人たちが羨ましい」
私たちにはなかなか理解できない所です。

黒海の畔にあるオデッサはウクライナ最大のリゾート地で、沢山の観光客で賑わっていました。
特に人気は映画『戦艦ポチョムキン』の撮影が行われた「ポチョムキンの階段」付近です。
ウクライナは美人の国と言われていますが、同国に限らず東欧の若い女性は美しい人が多いです。
下の写真は、「ポチョムキンの階段」付近で撮った1枚。

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次は首都キエフで、通勤途上の女性をパチリ。

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2017/10/24

【街角で出会った美女】ベラルーシ編

「ベラルーシ」、私たちが学生の頃は「白ロシア」で習いました。「ベラ」は「白」、「ルーシ」は「ロシア」なので、そのままなんです。
かつてはソ連の一員で社会主義国でしたが、ソ連崩壊とともに独立し、市場経済に移行しました。
ただ、未だに首都ミンスクの中央広場にレーニン像が建っている世界でも珍しい国です。
現地ガイド(彼女もなかなかの美人でした)は日本に語学留学しただけあって流暢な日本語を話していました。
私は旅行でかつてのソ連だった国や、その衛星国と言われていた国々のガイドに対し、毎回「ソ連時代と今とでは、どちらが良いか?」と訊くことにしています。
既に10ヶ国を超えていますが、今まではなべて「国民の中にはソ連時代の方が良かったという人もいるが、今の方が良いと言う人が多数」という答えが返ってきました。
処が、このベラルーシのガイドだけは「ソ連が良かった」と言うのです。高校生の時にソ連崩壊を迎えた彼女ですが、「私は、国籍はベラルーシだが、心はソ連人」とまで。
「レーニンは正しかった」「スターリンは沢山人を殺したことは悪かったが、ナチスドイツを破った英雄」と、何か久々に筋金入りの人に出会った感じでした。
この国は今でも大統領の独裁と言われていますが、この点についても「独裁は決して悪いことではない。ベラルーシは独裁だから国内がうまくいってる」と。
確かに旧ソ連の中では比較的経済は順調で、政情も安定しています。
私たちの価値感とは大きな隔たりがありますが、こういう国もあるんです。

世界遺産のミール城では結婚式が次々と行われていて、下の写真はその中の参列者の一人です。
こんな華やかな女性がいると、花嫁さんが霞んでしまいそうです。

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2017/05/15

【街角で出会った美女】パキスタン編

パキスタンに行くというと必ず訊かれるのは、「何があるの?」です。
パキスタンはインダス文明発祥の地であり、西北部にはガンダーラ文明の遺跡、東北部にはK2を始めとする8000m級の山々がそびえ、その麓には桃源郷と呼ばれているフンザがあります。
今年2月に訪れたのはインダス川周辺でしたので、インダス文明やムガール帝国時代の遺跡の数々を観光してきました。
テロの心配もありましたが、パキスタン国内で起きているテロの大半は軍や警察を狙ったものです。
観光中はバスの前後を警察車両が警備についてくれたのですが、かえって危険なんじゃないかと思いました。
イスラム教の国はどこでも日本人がウエルカムですが、特にイランとパキスタンは顕著です。町を歩けば一緒に写メをせがまれたり、時にはサインを頼まれたリと、ちょっとしたタレント気分になれます。
イスラム教では女性にカメラを向けるのは禁止されていますが、パキスタンでは気軽に撮影に応じてくれます。
そんな写真の中から、上の2枚は女子高生、下は既婚の女性です。

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2016/10/23

【街角で出会った美女】スイス編

今年の夏はスイスへ行きました。ベストシーズンで天候にも恵まれ、スイスの素晴らしい景観を堪能してきました。
ヨーロッパの自然の景観ではスイス、オーストリア、ノルウェイの3国かなと思います。
久々に先進国は清潔で快適ですが、なんか物足りなさを感じてしまいます。
私にとって海外旅行というのは日常性からの脱却、つまり日本で経験ができないことを見聞することにあります。
そういう点で、先進国はワクワク感がないのです。
とはいえ、この年になると以前に訪れたような国々を巡るのは体力的に難しくなってきているのも事実です。
もうそろそろ海外は打ち止めにしようか、もう少し頑張ってみるか、迷う所ではあります。

さて今回の美女は、スイスとイタリアとを鉄道で結ぶベルニナ線のモルテラッチ駅前のレストランで、戸外の席で開店準備をしていた店員です。
ツアーの中のオジサンの一人の、可愛いこがいるという一声で、他の男たちも一斉にカメラを持って近づきました。私も、その一人です。
この娘さん、おそらく夏休みのアルバイト店員でしょうが、被写体なれしているようでポーズを取ってくれました。

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2016/07/26

【街角で出会った美女】インド編

インドを最初に訪れたのは、今から約30年ほど前になります。6月末というインドでも最も気温の高い季節に行ったのは無謀でしたが、とにかく暑さと不潔さで参りました。レストランに入るとウエイターが肩からちょうどバスタオルの様な布を掛けていました。黒ずんでいてどう見ても清潔には見えない。その布で皿を拭いてからテーブルに出してくるんです。ところが彼らも暑いんでしょう、その同じ布で汗を拭いていました。もう食欲なんてなくなってしまいます。コップの水をすすめられて、デンジャラスだからいらないと断ると、コップを透かして「濁ってないよ」って言うんです。
下痢に悩まされて、もう二度と来るもんかと思いましたね。
でも、妻がどうしても行ってみたいと言うので、10数年前に2度目の訪問をしました。最初に比べれば衛生状態は良くなっていましたが、ツアーの参加者のいく人かは腹を壊しました。
そして今年の初めに3度目の訪問です。
先ず驚いたのはムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港がきれいになった事です、日本風の庭園まであるんですよ。エアコンもきいていて、かつての空港を充満していたインドの香りは全く感じません。それでも空港からバスで出たとたんにスラム街が見えました。ああ、やっぱりインドだと思いましたね。今回のツアーでは参加者で体調を崩す人が一人もいなかった所をみると、インドの衛生状態もだいぶ改善されているようです。
今回のツアーでは、インドが誇るアジャンタ、エローラの二つの石窟群の観光をしましたが、実に素晴らしい。宗教遺跡としては恐らく世界でもトップクラスだと思います。
写真は、その石窟群で出会ったインド美女です。

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2015/12/03

【街角で出会った美女】中国・西安編

今年8月に中国西部を訪問した際に気が付いた事ですが、一つは入国審査の際に顔写真を撮影されたこと。いつから始まったのかは分かりませんが、気持ちいいものではありません。もっともアメリカでは顔写真撮影と指紋採取があるので、それよりはマシですが。もう一つはホテルの部屋にマッサージ勧誘(実態は売春勧誘)が一度も無かったこと。訪問都市のせいかも知れませんが、習近平の進めている「掃黄」(風俗一掃)政策の結果かとも思われます。これは良くなった点です。
西安は日本でいえば京都のあたる都市で、中国の他の大都市に比べると落ち着いた雰囲気の街です。乗用車とバスなど公共交通機関では燃料を全て天然ガスにしてますし、バイクは全て電動です。ようやく環境改善に力を入れ始めてきたという印象を受けました。
ツアー最終日の夜に「唐歌舞」を鑑賞してきました。唐の時代の衣服や踊り、楽器を再現させた舞踊ショーで、踊り手は全員が女性なので中国版宝塚といった趣きでしょうか。
下の写真はその出演者の舞台を撮影したものなので「街角で出会った」とは言えませんが、中国の美女であることには違いありません。

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