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2006/04/15

「ユダは裏切り者」だったか?(その2)

Papers
今回このテーマを選んで、ただいま後悔しているところです。
しかし書きかけで放り出すのもナンですから、続けることにしましょう。
今回米国ナショナル ジオグラフィック協会から発表された文書によれば、初期キリスト教文書『ユダの福音書』の現存する唯一の写本を含むコプト語のパピルス文書が、専門家チームによる鑑定、修復、翻訳を経て、その一部が公開されました。

コプト語の写本の元になった『ユダの福音書』のギリシャ語の原典は、正典福音書の成立期から紀元180年までの間に、初期のグノーシス派に属する人々によって書かれたようです。
しかしこの原典は、存在は当時の文献から推定されているようですが、実物は発見されていません。グノーシス派は、真の救済はイエスが側近たちに伝えた秘密の知識を通じてもたらされると考え、この秘密の知識は魂を物質的な肉体から解放し、人間の内部にもともとあった神とのつながりを復活させるものだと主張しました。さらに彼らは、イエスの父である神は、物質世界を創造した旧約聖書の神より、上位の存在だと信じていました。
「ユダ福音書」は、グノーシス派の考え方が色濃く反映されたもののようです。

このコプト語のパピルス写本は、紀元300年ごろに書かれたとみられます。この写本は1970年代にエジプトのミニヤー県付近の砂漠で発見され、エジプトからヨーロッパを経由して米国に持ち込まれました。その後複雑な変遷をたどった後、専門家チームが結成され、調査が始まりました。
パピルスの放射性炭素年代測定や、インクの成分分析から、この写本が当時のものであることが確認されました。

さて「ユダの福音書」の冒頭には、「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」と書かれています。つまり最後の晩餐を行う以前の1週間に、イエスとユダがさしで話し合いをしたというわけです。
福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。

イエスはユダにこう語ります。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。ユダはイエスから物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するというのです。
この福音書からは、キリストがユダに対してと格別の信頼感を持っていたことが、窺われます。
たとえばイエスはユダに、「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」と語っています。
また「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」とイエスは言っていますが、非難は当っていますが、君臨は外れてしまったようです。
福音書の最後には、「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した。」と書かれていますが、その後のキリストの磔刑や復活については触れられていません。

この記述通りであれば、キリスト処刑当日の使徒たちの行動は、辻褄が合います。キリストの意図を、当初は彼らが理解できなかったということなのでしょう。

私は前回に記したように、旧約聖書のイザヤの預言を、キリストが実行しようとしたのではないかと考えていました。
「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」
「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
イザヤの預言は、キリスト自身の死によって実現されたと考えます。

いずれの理由にせよキリストの死は避けられないし、教祖の死は教団の消滅を招きかねません。とすれば、弟子たちがこぞって反対したかも知れません。
処刑当日、彼らが姿を見せなかったのも、そうした理由からでしょう。
しかしキリストの死と復活を経て、初めてその死の意味を理解し、キリストの思想に深く帰依した使徒たちは命がけで布教活動を開始し、その後の教団の隆盛をもたらしました。
教団組織の側から見れば、教祖の命と引き換えに、繁栄を手に入れたことになります。

それがユダという一人の使徒の裏切りの結果なのか、キリスト個人の意思によるのか、キリストと一部の弟子による計画なのか、あるいは教団全体の合意によるものか、2000年前の出来事にはまだまだ謎が多いようです。

2006/04/13

「ユダは裏切り者」だったか?(その1)

Juda
最近「ヤッパリソウダッタカ」と、膝を打った出来事がありました。それは4月7日マスコミ各社が、「ユダは裏切り者でなかった?」という古文書について、一斉に報道したことです。
ユダといえば、キリストを裏切って敵側に引き渡した人物として知られ、裏切り者の代名詞ともなっています。ダヴィンチの有名な絵画「最後の晩餐」でも、ただ一人光冠(聖人の印である頭の上の輪)が描かれていません。
それが裏切りでなかったとしたら、歴史を書き換えなければなりません。

このブログの別館(My Link参照)で、昨年の9月6日から10月30日にかけて、「イスラエル紀行」を21回にわたり連載しましたが、その中でユダがキリストを裏切ったとされていることに、疑問を投げかけていました。
詳細は別館の記事(2005年10月掲載)を読んで頂くことにして、その疑問の要点は次の通りでした。

①最後の晩餐でのユダの席が、キリストの直ぐ近く、多分隣の席であったと推定されます。この時の晩餐は宗教的行事として行ったものなので、席順は教団内部の序列に従っていた筈です。ユダは高い地位についていたか、あるいはキリストの信任が厚かったか、いずれにしろ重要なポストにいたことが窺われます。

②晩餐の席上でキリストがユダを裏切りを予告するのですが、その後の逮捕・処刑を回避する態度が見えないこと。それどころかユダが退席した後、キリストは自分の流される血が、神との新たな契約となることを予告しています。全てが「想定内」だったのではという疑問です。

③その直後キリストはゲッセマネの園で最後の祈りを捧げるのですが、ここでも自らが十字架で死ぬことを受け容れています。この時最も信頼する使徒3名を伴うのですが、キリストが祈っている最中に、3人ともぐっすりと眠りこけてしまうという暢気さが気になります。

④イエス処刑当日の12名の使徒の行動が、余りに不可解です。教団トップが処刑されるという天下の一大事なのに、誰一人として何もしようとしません。
特に最も忠実な使徒ペテロに至っては、イエスに「死ぬまであなたについて行きます」と言うと、イエスは「お前はニワトリが鳴く前に、私のことを知らないと3回言うだろう」と言われてしまいます。翌朝イエスが捕らえられ、周りから「あなたの知り合いでしょ」と聞かれると、ペテロは「いや知らない」と本当に3回言うことになります。そこでニワトリが「コケコッコー」と鳴き、ハッと気が付くというボケぶりです。
この使徒たちの緊張感の無さは、何なのでしょう。

⑤その一方、キリストの裁判から処刑、遺体の安置に至る過程で、キリストに手を差し伸べる人も出てきます。ただし活躍するのは、アリマタヤのヨセフ、クレネ人シモン、ベロニカ、マグダラのマリアなど、使徒以外の人々ばかりです。

キリスト教の正典である聖書が、その日の使徒たちの行動を書き留めなかったのは、何か理由があったのでは、というのが私の疑問です。
この疑問を解く鍵は、旧約聖書のイザヤ書にあると思います。
イエスは、イザヤが預言していた救世主の通りに生き、そして死んでいったと考えれば、イエスの処刑はその完成を意味しています。
ユダの行動はキリストの意向に沿ったものではないだろうかというのが、これが私の推論でした。

この項、次回に続きます。