「指輪と飾りでバッテンボー」
このフレーズに聞き覚えがある方は70代以上でしょう。
戦後、ラジオを通じてアメリカのジャズがどっと日本に入ってきました(まるで川柳川柳だね)。
私が小学校に入学した頃に、最初に耳にしたジャズが「ボタンとリボン」でした。映画「腰抜け二丁拳銃」の主題歌で、スクリーンでは主演のボブ・ホープが歌っていました。この曲はアメリカのアカデミー賞の作曲賞を受賞しています。
レコードは「Buttons And Bows」のタイトルで1948年に発売、歌唱はダイナ・ショアでミリオンセラーになりました。
日本では1950年に池真理子の歌唱でレコード発売され、大ヒットとなりました。
この曲の中で池は、
♪ 指輪と飾りで Buttons And Bows
と歌っていたのですが、私たちには
♪ 指輪と飾りでバッテンボー
としか聞こえなかったのです。
多分、同世代の人も同じ感想を持っていると思います。
余談ですが、映画「腰抜け二丁拳銃」には女優のジェーン・ラッセルが出演していましたが、彼女こそ日本人男性に女性のバストの魅力を開眼させた功労者です。
ジェーン・ラッセルが主演した別の映画「ならず者」では(上はそのスチール写真)、男性観客のほとんどがストーリーそっちのけで、彼女の胸元ばかり見ていたという伝説が残されています。
私の記憶では同じ時期に「センチメンタル・ジャニー(和名「感傷旅行」)」が流行っていたと思うのですが、こちらはドリス・デイの歌唱で1945年、つまり終戦の年にアメリカでミリオンセラーになっていた様ですから、日本には遅れて入って来たものと思われまっす。
♪ Gonna take a Sentimental Journey
「ゴナテイカセンチメンタルジャニー」で始まるあの気怠い歌い方が、戦後の国民の気持ちにフィットしたのでしょう。
これらより少し後で流行ったのが「Come on-a my house(和名「家へおいでよ」)」、米国ではローズマリー・クルーニーの歌唱で1951年にレコード発売され、ミリオンセラーになりました。
日本では1952年に当時15歳の江利チエミが歌い、「テネシーワルツ」とカップリングされたシングルが大ヒットしました。
私は原曲のローズマリー・クルーニーの歌の方が好きで、
♪ Come on-a my house, my house, I'm gonna give you candy
「カモナマイハウス マイハウス アイゴナギブユキャンデイ」と意味も分からず口ずさんでいました。
もう一つの「The Tennessee Waltz(和名「テネシー・ワルツ」)」は元は戦前の曲でしたが、1950年にパティ・ペイジがカバーしたものがマルチミリオンセラーとなりました。
♪ I was waltzing with my darlin' To the Tennessee waltz
日本では前述の様に江利チエミが歌い大ヒットしました。今改めて聴いてみると、江利チエミはこの曲を日本調で歌っています。やはりDNAですね。この哀調に満ちた歌い方が当時の日本人の心をつかんだのでしょう。
江利チエミの活躍を契機に、少女歌手が次々とデビューし、ジャズをヒットさせる現象が起きました。
当時、新土佐節のこんな替え歌がありました。
♪ 今の子どもは ジャズを歌って お金を稼いで
大人は 無邪気に パチンコやっている
そうだそうだ まったくだーよ ♪
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