映画・テレビ

2021/02/17

自国の負の歴史と向きあう映画(7)『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』2015年 アメリカ映画
監督:ジェイ・ローチ
脚本:ジョン・マクナマラ
主演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン
本作品のテーマは『真実の瞬間(とき)』と同様ハリウッドの赤狩りだが、登場人物が全て本名であり、ドキュメンタリー色の濃いものとなっている。
1930年代には共産主義はアメリカの理想主義の若者の間で人気のある思想であった。第二次世界大戦中は米国はソ連とともにドイツ、日本と戦ったが、戦後ソ連が東欧諸国に対する弾圧を行ったため多くのアメリカ人が共産主義を敵とみなすようになる。背景には米ソの覇権争いもあった。
1947年、共産主義者との疑いをかけられたか、自分自身がアメリカ共産党員であったことを認めた人々は破壊分子と見なされ、映画産業界で働く人物に対しては非米活動委員会によって呼び出され尋問を受けた。
この中には、アメリカ合衆国憲法修正第1条で保障された基本的人権を根拠に、証言したり召喚されたりするのを拒んだ者がいた。「ハリウッド・テン」と呼ばれるこれら10人は1948年に議会侮辱罪で有罪判決を受け、1950年に半年ないし1年の実刑を受けた。この映画の主人公のダルトン・トランボもその一人だ。
「ハリウッド・テン」のメンバーは馘首もしくは停職処分となり、彼らが無罪と見なされるか嫌疑が晴らされ、又は彼らが共産主義者ではないと自身で誓わない限り再雇用されることはないという措置が取られた。その結果、かなりの長期間アメリカの映画・テレビ業界で働くことができなくなり、名前をスクリーンから削除された。
他に「ハリウッド・ブラックリスト」が存在し、膨大な数の人物がリストアップされていたようで、例えば下記のように名前があげられていた。
オーソン・ウェルズ (映画監督・俳優)
ピート・シーガー (フォークソング歌手)
ポール・ロブスン (黒人霊歌歌手)
エドワード・G・ロビンソン (俳優)
アーサー・ミラー (劇作家)
ハリー・ベラフォンテ (歌手)
赤狩りを主導したのは共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員(マッカーシズムとも呼ばれている)で、当初はマッカーシーの強硬な姿勢が国民から大きな支持を受けたものの、マスコミをはじめ政府、軍部内にマッカーシーに対する批判が広がる。
1954年の12月、上院はマッカーシーに対して「上院に不名誉と不評判をもたらすよう行動した」として事実上の不信任を突きつけ、ここに「マッカーシズム=アメリカにおける赤狩り」は終焉を迎えた。しかし疑いをかけられた人々の名誉回復は1970年になってからだ。
マッカーシズムが吹き荒れた中で、自らが標的となることに対する恐怖によって、アメリカ国内におけるマスコミの報道や表現の自由に自主規制がかかったり、告発や密告が相次いだことなどから、多くの人々がダメージを受けた。またアメリカが掲げた「自由主義で民主主義の国」という言葉に対し、国内外から多くの疑問が呈された。
余談だが、トランプ旋風やその支持者たちの行動を見ていると、源流がマッカーシズムにあるような気がする。

前書きが長くなったので作品解説は簡単に。
第二次世界大戦後、共産主義排斥“赤狩り”の嵐が吹き荒れるアメリカ。理不尽な弾圧はハリウッドにも飛び火し、脚本家ダルトン・トランボは議会での証言拒否を理由に投獄されてしまう。出所後、最愛の家族の元に戻ったものの、キャリアを絶たれたトランボには仕事がない。そんな中、イアン・マクレラン・ハンターから名前を借りて偽名で執筆した『ローマの休日』の脚本がアカデミー賞を獲得し、彼は再起への道を歩み始める。やがて俳優のカーク・ダグラスから『スパルタカス』の監督の依頼が舞い込み、同時期にプロデューサーのオットー・プレミンジャーから映画『栄光への脱出』の監督の依頼がある。両作品で再びトランボの名が公にクレジットされ、興行的にも大成功する。
①トランボのいかなる弾圧にも負けぬ不屈の精神
②それを支えた家族愛。授賞式でトランボが家族に感謝する場面は感動的。
③実名なので例えばジョン・ウエインが映画では戦争で活躍するが実際には戦地に行っていないとか、『スパルタカス』の試写をみながらカーク・ダグラスがスパルタカスは自分自身だと呟く(トランボ自身でもある)などのエピソードが散りばめられている。
といった見所が随所に描かれている。
作品としても良く出来ていて、未見の方は実際に鑑賞することをお薦めする。

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2021/02/15

「コスモポリタン」としての山口淑子(李香蘭)

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ある年齢層の方には記憶が残っていると思う。山口淑子(李香蘭)は、女優、歌手、タレント、ジャーナリスト、政治家と幅広く活躍をしてきた。
1920年、山口は満州に生まれ、両親とも日本人だったが父親から北京語を叩きこまれ、北京の女学校に通い、満州に亡命してきたイタリア人オペラ歌手から声楽を習った。完璧な中国語、日本人離れした美貌、美声を備えた彼女を、日本軍部と満州国が日満友好のシンボルとして利用する。
1938年、日本人ながら中国人の女優“李香蘭”としてデビュー。映画『白蘭の歌』、『支那の夜』などに出演し、日本でも爆発的なヒットとなった。また、歌手としても『夜来香』、『何日君再来』などをヒットさせた。
同じ1920年生まれの原節子がドイツを親日にするために利用されたと同じように、山口は中国や満州を親日にするために利用されたのだ。
終戦を上海で迎えた山口は、日本に協力した中国人=漢奸として死刑になるところだったが、日本人である事が証明されて追放刑となり、難を逃れた。
清朝の王族ながら軍服姿で日本の諜報活動に身を投じ、「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子が中国籍だったため漢奸として銃殺されたのと、対照的な運命をたどる。
1946年に帰国し、名を本名の山口淑子と改めて『わが生涯の輝ける日』『暁の脱走』などの映画に主演。一方、シャーリー・ヤマグチの芸名でハリウッド映画に出演し、チャプリンやジェームス・ディーンとも親交があった。
1958年に外務官僚の大鷹弘と再婚し、テレビの司会者をするかたわら、ジャーナリストとしてパレスチナや北朝鮮を取材した。
1974年には自民党の参議院議員に当選、3期18年務めた。主に中国、中東、北朝鮮外交に尽力した。
山口は総理大臣の靖国参拝には反対し続け、1995年から「アジア女性基金」副理事長として、元慰安婦に補償金を手渡す作業にも関わった。それは山口自身が戦時中に満州や中国で見聞きした体験に基づくものだ。
残念ながら今の自民党には山口の様な人物は皆無である。
2014年9月7日に死去、94歳だった。

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2021/02/13

自国の負の歴史と向きあう映画(6)『真実の瞬間』

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『真実の瞬間(とき)』1991年 アメリカ映画
監督、脚本:アーウィン・ウィンクラー
主演:ロバート・デ・ニーロ
映画のタイトルとしては原題の『Guilty by Suspicion』(疑わしきは有罪)の方が内容にピッタリだ。
1950年代、マッカーシズムに揺れるハリウッドで共産主義者の疑いをかけられた映画監督を主人公にしたもの。
1951年、フランスから帰国した新進気鋭の映画監督デヴィッド・メリルは20世紀フォックスの社長から呼び出され、連邦議会下院の下院非米活動委員会が彼を召喚しようとしていると告げられる。メリルは疑いを晴らすために誰かを売るように弁護士から助言されたが断った。するとメリル自身が疑いの標的にされ、撮影中の監督を降ろされ、ハリウッドから事実上追放されてしまう。メリルは家族とも離れて一人各地を転々とするが、どこにいてもFBIの尾行がついてきて、メリルの就職まで妨害する。無職となったメリルはロスアンゼルスに戻り、妻は教師に復職し家計を支える。
メリルは弁護士を伴って公開聴聞会に出席するが、議長や下院議員から激しい追及にあい、仲間の名前を言うように強制されるが、彼は最後まで口を割らなかった。聴聞は終わり、メリルは共産党員と見なされる。
かくして多くの映画人が赤狩りでハリウッドを追われ、彼らが名誉を回復するのは1970年になってからとなる。

1940年代後半から1950年代中期ごろ、マッカーシズムによる赤狩り旋風が吹き荒れる中、その中心的機関であった下院非米活動委員会 (HUAC) が取り調べを行なうため、ハリウッドを中心とする娯楽産業で活躍していた映画監督、脚本家や映画俳優などの芸能人の中で人生のある時期に共産党と関連があったと見做した人物を召喚し証言を求めた。仲間の名前を言うよう強制され、拒否した者は議会侮辱罪で有罪判決を受けた。チャップリンの様に国外追放になったケースもある。
主人公デヴィッド・メリルは、実在の映画監督ジョン・ベリーがモデルになっている。ベリーは非米活動委員会での証言を拒否しハリウッドから追放された映画関係者を取り上げたドキュメンタリーを制作し、そのことで彼自身もまた赤狩りの対象になり、妻子を残しフランスへの亡命を余儀なくされた。
映画関係者の中でグレゴリー・ペックやヘンリー・フォンダ、バート・ランカスターらはこうした弾圧に反対したが、ロナルド・レーガン、ウォルト・ディズニー、ゲイリー・クーパー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは赤狩りに協力した。
赤狩りの中心となったのは共和党上院議員のマッカーシーで、赤狩りをマッカーシズムとも呼ばれている。民主党の中にも赤狩りを支持した者もいて、ジョン・ケネディはその代表格と言ってよい。

赤狩り(レッドパージ)は連合国軍占領下の日本において、1950年にGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーの指令により、日本共産党員とシンパ(同調者)が公職追放された。公務員や民間企業において「日本共産党員とその支持者」とした人々を解雇され、1万を超える人々が失職した。指令が解除された後もそうした人々は再就職が困難だった。
アメリカの黒歴史であるハリウッドの赤狩りを真正面から描いたことに本作品の価値があり、今後への警鐘となっている。

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2021/02/07

自国の負の歴史と向きあう映画(5)『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』

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『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』2016年製作 ドイツ映画
監督:ステファン・ワグナー
脚本:アレックス・ブレシュ
主演:ウルリッヒ・ノエテン
ナチス残党を追い詰めた検事フリッツ・バウアーの実話をもとに映画化した作品。1959年の西ドイツ、ナチスによる戦争犯罪の時効まであと7年に迫る中、検事のフリッツ・バウアーが中心となり、ナチ犯罪追及センターが設立される。しかし過去の罪を消したい政府や組織内のスパイに妨害されてしまう。自身にも監視が付くようになり自由に動けなくなったバウアーは、若き検事ヨアヒムを助手に任命。バウアーとヨアヒムの決死の捜査で真実が次々と明らかになる中、彼のもとにナチスの親衛隊にいたアドルフ・アイヒマンが南米のアルゼンチンに身を隠しているとの情報が入る。政府に起訴と身柄送検を要請するが、元ナチス幹部らの妨害や圧力があり、思うように進まない。アイヒマンを国内に移送したり裁判にかけることを断念したバウアーは、イスラエルのモサドと接触し、彼らにアイヒマンの拘束と裁判を依頼する。1960年5月11日、モサドの工作員らはアイヒマンを拘束し、身柄をイスラエルに移して裁判にかける。

世間にはドイツ神話みたいなものがあると前から気になっていた。戦後ドイツは戦前のナチスの犯罪を認め、被害者に謝罪し罪を償ってきたというものだ。言葉は悪いが、どうもこの神話にイカガワシサを感じてきた。ナチス政権は民主的な手続きで誕生したものであり、戦前は大半のドイツ人はヒットラーを支持していた。それが戦後には一転して、揃って前非を悔い反省していたというのは本当だろうかと。
本作品では、決してそう単純ではなかったことが示されている。かつてナチスの高官で今も思想はあまり変わっていない人物が、政府の要職に就いていたこと。警察や検察、裁判官などには依然としてナチス思想が残存していて、ナチスによる戦争犯罪を追及することに反対する勢力が根強くあった。バウアーの元には連日のように脅迫状が届き、彼の住居の壁には「ユダヤ人」という落書きがある。バウアーが「お前なんか又アウシュビッツに送ってやる」と面罵されるシーンもあった。
加えて当時の世界情勢、例えばナチス追及に及び腰だった西ドイツの首相を米国が強く後押ししていたとか、ナチス追及が東ドイツを喜ばせその背後にいるソ連の利益になるという心配とか、ドイツとイスラエルとの微妙な関係とか、様々な背景が描かれている。今では評価の高いアイヒマン裁判も、当時のドイツでは決して手放しで支持されていたわけではない。
むしろ、そうした複雑な経緯をたどって今日のドイツの姿に至ったのだ。ここでは神話ではないリアルなドイツの戦後史が刻まれている。
この点に本作品の価値がある。

アイヒマンが取り調べ中に語った以下の言葉は、現代人の胸にも刺さる。
「戦争中には、たった1つしか責任は問われません。命令に従う責任ということです。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」
「私の罪は従順だったことだ。」
私たちは果たしてアイヒマンを克服しているだろうか?

 

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2021/01/30

自国の負の歴史と向きあう映画(4)『国際市場で逢いましょう』

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『国際市場で逢いましょう』2014年制作、韓国映画
監督:ユン・ジェギュン
脚本:ユン・ジェギュン
<主なキャスト>
ユン・ドクス:ファン・ジョンミン
オ・ヨンジャ:キム・ユンジン
チョン・ダルグ:オ・ダルス
朝鮮戦争中の1950年、興南(現在の北朝鮮・咸鏡南道咸興市)から脱出しようとしていたドクスとその一家は、戦乱の最中で父と末の妹と離れ離れになるが、長男であるドクスは父から「お前が家長になるんだ。家長はどんな時でも家族が優先だ」と家族を任される。この時ドクスは父と「国際市場で逢う」ことを約束する。釜山へと渡ったドクスら一家は、国際市場にある叔母の店(コップンの店)で働くようになる。
やがて青年になり家計を支えるようになったドクスだったが、弟の大学進学資金を稼ぐために旧友のダルグと共に炭鉱作業員として西ドイツに出稼ぎに出る。想像を絶する辛い作業の中、ガス爆発事故のために坑内に閉じ込められたドクスとダルグだったが、ドイツ人の監督の制止を振り切って仲間が助け出す。病院で治療を受けたドクスは、ここで韓国から看護師として出稼ぎにきていたヨンジャと知り合い、愛しあうようになる。
1966年、ドクスは帰国をはたし,遅れて帰国したヨンジャと再開し二人は結婚する。
頼っていた叔母が亡くなり店を手放す状況になった伊勢を、ドクスが店を買い取ることにしてその費用捻出のため、1974年ベトナム戦争の技術兵としてベトナムに渡る。テロや戦闘に巻き込まれるても無事に脱出するが、川に落ちた現地の少女を助けたドクスは銃弾で足を負傷する。
1975年ベトナム戦争終結、ドクスは帰国し家族との暮らしが始まる。
1983年テレビ局主催の朝鮮戦争で離れ離れになった家族を捜索するテレビにドクスは出演し、父と妹を探す。その中でアメリカ人の里子として引き取られていた妹が見つかり涙の再開を果たすが、ついに父親の消息は不明。
父と国際市場で再開することが叶わなかったドクスは、「コップンの店」を売る覚悟を決めヨンジャに告げる。

本作品の特長は、ドクスの成長過程がそのまま韓国の現代史と重なっていることだ。だから「自国の負の歴史と向きあう」という趣旨とは少し異なる内容と言える。
1945年日本の敗戦と共に解放された朝鮮だが、1950年に始まった朝鮮戦争で民族が分断され、国家も北と南に分かれる。その過程でドクスの一族の様に家族同士、親類同士が分かれ分かれになって消息すら不明の悲劇が続く。今も南北統一の悲願はここに生まれる。
かつて韓国へ観光に行った時、現地ガイドが統一を切々と訴えていたのを思い出す。
戦争で国土が荒廃した韓国は、軍事独裁政権の下で人々は苦しい生活を送る。ドクスの様に家族を養うために海外に出稼ぎに行かざるを得ない人たちもいた。
私が初めてエジプトに行った時1970年代、当時は途中でトランジットがあった。バンコク、デリー各空港で機内の清掃をする人がいずれも韓国の人だった。エジプトの着いてからカイロに一軒しかないというカラオケ店に行ったら韓国人のグループがいて、「釜山港に帰れ」という曲を韓国語で繰り返し合唱していた。当時のカラオケには日本語の歌詞しかなく、歌えるのはこの曲しか無かったのだ。訊いてみると、カイロの建設現場に出稼ぎに来ているという。先の機内清掃といい、韓国の人々のエネルギッシュさに感心したが、それは国内での貧困の裏返しでもあったのだろう。
ドクスたちのドイツでの炭鉱労働は過酷なもので、監督のドイツ人の冷たさとあいまって当時の西ドイツがこうした低賃金労働者を使って経済発展していたことが伺われる。
ドクスたちはベトナム戦争でも生命の危険にさらされ、ドクスは足を負傷してしまう。ベトコンに追われて川に落ちた少女を救う場面は、朝鮮戦争の際の自分たちの姿を思い起こすのだ。
やがて経済発展した韓国では、ドクスの「コップンの店」の様な小規模の商店は再開発の波に吞まれて消えてゆくことになる。
本作品で印象に残るのは韓国の人たちの家族愛だ。やはり儒教の影響だろうか、家族のためには身を犠牲にすることに躊躇しない。これは別の映画で見たのだが、両親を失った兄妹が曽祖父の兄弟の家に世話になる場面があったが、日本では考えられないことだ。ただ家族や一族の絆が強すぎることは、階層社会を生み出したり、コネ社会に陥ることがある。
作品に対する不満といえば、視点が現状肯定であることだ。例えば、ベトナム戦争の場面ではベトコンが悪者風に描かれている。確かに韓国軍に対しては敵ではあるが、元々韓国がなぜベトナム戦争に参戦せねばならなかったのかという問題が無視されている。ドクスたちがこれに何も疑問を感じないのはむしろ不自然に思えるのだ。
そうした欠点を持ちながらも、韓国人の苦難の歴史を端的に描いているのが本作品の優れた所だろう。

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2021/01/27

自国の負の歴史と向きあう映画(3)『軍中楽園』

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『軍中楽園』2014年製作 台湾映画
監督・脚本:ニウ・チェンザー
主演:イーサン・ルアン、レジーナ・ワン
1969年、中国と台湾の中間に位置する金門島。両国間が緊迫した状況の中、その島は攻防の最前線として砲撃が降り注いでいた。その島のエリート部隊に配属された台湾青年兵ルオ・バオタイは、カナヅチで泳げないことが判明し、831部隊と呼ばれる小部隊に転属となる。そこはさまざまな事情を抱えた女性たちが働く「軍中楽園」と呼ばれる娼館を管理する部隊だった。
どこか影のある女、ニーニーと出会い、奇妙な友情を育むバオタイ。男たちに愛を囁く小悪魔アジャオとの未来を夢見る一途な大陸出身の老兵ラオジャン。過酷な現実に打ちのめされた若き兵士ホワシンは空虚な愛に逃避する。ある日、バオタイのもとに純潔を誓った婚約者から別れの手紙が届く。その悲しみを受け止めてくれたニーニーにやがて惹かれていくバオタイだったが、彼女が許されぬ「罪」を背負っていると知るが…。

中国の内戦に敗れた蒋介石、国民党は台湾に逃亡し、再び中国への上陸を目指し大陸反抗作戦を展開する。その最前線が金門島で、台湾に徴兵制をしいて若者たちを送り込む。しかし圧倒的な兵力の差がありその企ては失敗する。映画でも戦闘シーンがあるが、いかにもノンビリとしてもので、あまり戦意を感じない。
この作品の特長は戦争映画でありながら、軍の娼館(慰安所)を中心に描いたものだ。軍隊に娼館を設けることは第一次世界大戦以来、各国で行われてきた。しかし公にしたくない事情から、表沙汰にはしてこなかった。
それを敢えて物語の中心に持ってきたことにこの映画の意義がある。徴兵されながら娼館の世話係に配置された兵士の屈折した思いや、自らが犯した罪を軽くして貰うために娼婦になった女性や、この場から何とか逃れたいともがく女性の姿が描かれている。
彼女たちの愛唱歌がモンローの『帰らざる河』だったり、前線の慰問に歌手のテレサ・テンが来たりと、映画の背景が遠い昔の話ではないことが分かる。
エンディングで、台湾軍の娼館が廃止されたのは1990年だと知らされる。つい最近の出来事だったのだ。

韓国のいわゆる従軍慰安婦問題をきっかけに、それぞれの国での調査が行われるようになり、資料や論文が発表されつつある。
例えば、従軍慰安婦問題にかかわったドイツの研究者であるレギーナ・ミュールホイザーは故国ドイツでの資料を調査し『戦場の性』(姫岡とし子監訳、2015年初版、岩波書店)という本を上梓している。この本では戦時の兵士と女性との係りを
①性暴力
②取引としての性
③合意の上での関係
に分類している。ただこの分類は厳密なものではなく、境界線が不明確なケースも多いという。
本書で特筆すべきは、性暴力が従来はナチスの仕業とされてきたが、実際には一般のドイツ兵士によっても起これていて、その損害賠償にドイツ政府は積極的ではないと指摘していることだ。連合軍もまた占領地各地で性暴力を引き起こしていることも記されている。
今後、こうした研究が各国で進むことを期待したい。

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2021/01/25

自国の負の歴史と向きあう映画(2)『誰でもない女』

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『誰でもない女』2012年制作 ドイツ映画
監督・脚本:ゲオルク・マース
主演:ユリアーネ・ケーラー
ドイツ占領下のノルウェーでドイツ兵とノルウェー人女性の間に生まれたカトリーネは、出生後に母親から引き離されて旧東ドイツの施設で育つ。成人後に命がけで亡命し、母親との再会を果たした彼女は、現在はノルウェーで母親と夫、娘や孫に囲まれて平穏な日々を送っていた。
ベルリンの壁が崩壊した1990年、カトリーネと母親の元に弁護士が訪ねてくる。かつてドイツ兵の子を産んだ女性を強制収容所送りにしたノルウェー政府と、産まれた子供を母親から引き離してドイツに送り施設に収容したドイツ政府に対して訴訟を起こすため、カトリーヌと母親2人の証言が欲しいという。しかしカトリーネは証言を拒否してドイツへと旅立ち、自分の過去の足跡を消すような不審な行動に出る。弁護士がさらに調査を進めると、本物のカトリーヌは死亡していて、生き残った少女がカトリーヌに成りすましてノルウェーの家族として暮らしていたことが分かる。彼女は生き残ることと引き換えに東独のスパイにさせられノルウェーの情報を東独に送る任務についていたのだ。苦しみの末、彼女は全ての事実を証言する決意を固めるが・・・。

第2次世界大戦時のナチスドイツは欧州各国を侵略するが、占領下でドイツ兵と現地女性の間に産まれた子どものうち、金髪碧眼の子どもだけドイツに送ったドイツ民族の人口増加計画「レーベンスボルン(生命の泉)」が、この映画の背景だ。しかし送られた子どもの多くは死亡してしまい、生き残った子どももスパイなどに仕立てられていた。
これだけでも非人道的なことだが、加えてノルウェー政府はそうした母親たちを2年間強制収容所に送っていたのだ。恐らくはドイツ人の子どもを産んだ事への懲罰だったのだろう。
戦争というのは侵略したドイツのみならず、侵略されたノルウェーまでも狂気に追いやっていたことになる。
映画ではドイツ・ノルウェー両政府に対する訴訟は不備に終わることを示唆しているが、戦争の傷跡は現在も癒えていないことをこの作品は示している。

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2021/01/20

自国の負の歴史と向きあう映画(1)『ブラックブック』

巣ごもり状態なので、しばらく遠ざかっていた映画(ビデオ)をせっせと観ている。昨年の12月から100本ほど観ただろうか。戦前の名画から最近になって公開されたものまで、それぞれ面白かった(駄作もあったが)。知らなかった事も多く、例えば日本の植民地下にあった台湾で反日同盟という組織があったことや、平穏な暮らしをしていたアフリカの国でダイヤが産出したことが知れた途端に内戦が起きるといった過程がよく分かった。
その中で、自国の負の歴史と向きあうような映画作品が何本かあり印象に残ったので紹介する。
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『ブラックブック』2006年制作
ポール・バーホーベン監督が母国オランダに戻って製作した作品で、出演はカリス・ファン・ハウテンとセバスチャン・コッホなど。
1944年、ナチス・ドイツ占領下のオランダ。ユダヤ人の女性歌手ラヘルは、オランダ南部への逃亡中に、何者かの裏切りによって家族をドイツ兵に殺されてしまう。復讐を胸に誓った彼女は、名前をエリスと変えてレジスタンスに身を投じる。彼女はスパイとしてドイツ将校ムンツェに近づき、彼の愛人になりナチスの動きやスパイが誰かといった情報を仲間に伝える。ムンツェとレジスタンスの間でお互い殺し合いをやめようと合意しかけるが、別の将校の思惑でとん挫しエリスも捕らえられてしまう。連合国軍がオランダに入りナチスが敗退するが、エリスはナチスの協力者としてオランダ市民から糾弾されるが、やがて誤解も解けてイスラエルに渡り余生をすごす。

欧州各国を占領したナチスドイツは、現地でのユダヤ人狩りとレジスタンスの動きを封じ込めるためにスパイを作る。この作品ではナチスとレジスタンスと、その間の協力者、スパイの物語だ。スパイはユダヤ人やレジスタンスの同志とみせかけて潜入しているので、なかなか見抜けない。
一方、ナチスの側も支配地の犠牲者をできるだけ抑えようとする幹部もいれば、私腹を肥やすために金持ちのユダヤ人を狙って金品を強奪する者もいる。
この作品では、ナチス=悪、オランダ人=善、という構図にしていない。
オランダ人に寛容だったナチスの将校も最後は殺されてしまい、単純な勧善懲悪のストーリーにしていない。
ナチスの協力者でも連合国軍が入ってきた途端に転身してしまう者もいれば、エリスの様に市民から糾弾される者もいる。
この映画で描かれている光景は、恐らく欧州各国でも展開されていただろう。
米軍占領下の日本でも事情は同じで、米軍の協力者となって活動した日本人も少なからずいた。その中から総理大臣まで昇りつめた者も(ついでに孫も総理)出たのはご存知の通りだ。残念ながら日本の映画界では、この問題をテーマにした作品は皆無だろう。

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2021/01/12

国家に翻弄された女優「原節子」

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月刊誌「選択」1月号に「婚姻の自由なき国家的女優」として原節子が紹介されている。原については当ブログでも以前に記事にしたことがあるが、95歳で世を去ってもなお注目され続けている。
原節子の特長は上の写真にあるように日本人離れした容貌に気品が備わっていることだ。この特徴が彼女の女優としての運命を決定づけた。
当初はその高貴な美貌が大衆受けせず、人気が上がらなかった。その彼女に対する世間の評価が一変したのは、戦前に日独合作映画の主演に抜擢されたからだ。
当時、両国は「日独防共協定」の締結を目指し水面下で交渉中だった。その障害になる要素の一つに、日本と組むことに対するドイツ国民感情があった。日本の知名度が低く、もともと黄色人種への蔑視が根強かったのだ。
そうしたイメージを変えさせるために、ゲッペレス宣伝相が映画を利用しようとした。最も重視したのは、日本のイメージを好転させるような女優選びだった。ドイツから派遣されたアーノルド・ファンク監督が見い出したのが原節子で、無名の新人女優だった原の抜擢に反対する映画関係者に対してファンク監督は「彼女しか美しく見えない」と言って押し切った。
かくして「日独防共協定」の補完の役割を負った映画『新しき土』が製作され、原は知性と気品に溢れる娘で結婚して満州に渡り開墾に励むヒロインを演じた。
映画は日独両国で大ヒットし、原はドイツ各地で大歓迎を受けた。このニュースが伝わると日本国民も歓喜した。
この映画での原のヒロイン像は、その後の役を決定づけた。戦時中は戦意高揚映画で軍人の娘や銃後をを守る夫人を演じた。
そして敗戦。
戦後は一転して映画界はGHQの管理下に置かれ、民主主義を啓蒙する映画を作る。日本の封建的な家制度を解体し、恋愛結婚を賛美するような作品が奨励される。
その線に沿って、原節子も新時代に相応しいヒロインを演じ続けた。いつの時代にあっても原節子は日本の正しさを示す役割を負い、「清く正しく美しい」ヒロインを演じた。
原自身はこうした作品にしか出して貰えなかったことと、自分が演じたい作品とのギャップに悩み不満を持っていた。
ある時期、無名の助監督との恋におち女優をやめて結婚しようかと思ったが、映画会社がその助監督を追放してしまい、原は自分には恋をする自由がないのだ悟って、生涯を独身で通した。
実際の原節子はスモーカーでビール好き、得たギャラで不動産投資に励み、それで引退後も不自由なく暮らしていけた。
下世話な余談だが、戦後に原がマッカーサーのお相手をさせられたという噂が流れた。根も葉もないフェイクだが、ここでも原が日本という国を象徴する存在だったことが窺われる。

 

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2020/12/10

ビデオ「地の群れ」

映画フアンというほどではないが、かつては映画をよく観にいった。中年に差し掛かった頃から映画館から足が遠のいてしまった。このご時世、外出もままならず、仕方なく amazon prime などで好きな作品をビデオで観る日が続いている。お陰で戦前の名画や、戦後の話題の作品で見逃したものを観ることができる。その中の1本を紹介する。
 
「地の群れ」(制作1970年)
原作:井上光晴
脚本:井上光晴 熊井啓
監督:熊井啓
【あらすじ】
昭和16年、長崎の炭鉱で働いていた宇南親雄(鈴木瑞穂)は、同じ炭鉱で安全灯婦をしていた朝鮮人の朱宝子を妊娠させてしまう。宇南は宝子の姉に妊娠の責任を追及されると炭鉱を抜けだし、宝子はお腹の子を流産させようとして坑木置場から飛び降り、あやまって自分も死んでしまう。
戦後、宇南は医師になり共産党に参加するが、親友が活動中に死亡したことで党を抜ける。
佐世保で診療所を開いた宇南の患者に、明らかに原爆病と思われる少女がいた。しかしその娘の母光子(奈良岡朋子)は、自分は長崎に原爆が投下された日には他県にいて絶対に被爆していないと言い張る。被爆者の集落の仲間と思われるのを恐れていたのだ。
宇南も原爆で死んだ父を捜し求めて爆心地を何日もさ迷い歩いたことから自分も被爆者ではないかと思っていた。宇南は自分が被差別部落出身者であることも加わり、結婚しても子供をつくるまいと決心していた。子供が欲しい妻の英子(松本典子)はそんな夫の秘密を知らず夫を責め続け、宇南は耐え切れずに酒に溺れる。
ある日、被差別部落の徳子(紀比呂子)が、強姦された証明書を書いてくれとやってきた。字南は断るが、戦前の自身の過去を思い出し苦しむ。
強姦の容疑は、徳子と顔見知りの被爆者信夫(寺田誠)にかけられ警察に留置されるが無罪と分かり釈放される。信夫の話で犯人が信夫の住む被爆者の集落の青年であることが分かり、徳子は部落に行き青年を問い詰めるがシラを切られ、青年の父宮地に(宇野重吉)に罵倒される。怒った徳子の母松子が部落に乗り込み青年と父親に談判するが、却って殺されてしまう。
この事件をきっかけに被爆者の集落と被差別部落との間の対立は決定的になり、その渦中になってしまった信夫は逃げだす・・・どこまでも、地の果てまでも。

監督が熊井啓で、出演者の大半が民藝と前進座というバリバリの社会派映画だ。しかも制作時は70年安保闘争の真っ最中。随所に佐世保の米軍基地の様子が映され、警察が信夫を犯人にでっち上げようとするシーンもある。
今では信じ難いだろうが、戦後しばらくは被爆者に対する差別が存在した。私の知り合いにも広島で被爆したことをずっと隠していた人がいる。この映画では被差別部落や朝鮮人に対する差別も描かれている。
そうした社会矛盾を一身に集約されたのが医師宇南親雄の姿だ。一見、救いのない映画に見えるが、宇南の医師として生きてゆく姿がこの作品の救いだろう。
今日の映画界では作れそうもない貴重な作品だ。

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