フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

2023/01/08

「生存確認」歌合戦

もう旧い話題になるが、昨年の大晦日もNHK「紅白」はスルーし、TV東京の「年忘れにっぽんの歌」を観た。
理由は簡単で、こちらの番組で歌われた曲も歌手も全て知っているからだ。年の終わりに酒を飲みながらボーと観てられるのは心地良い。
久々に見る顔も多く、まだ現役で歌ってるんだと感心したり、さすがに声が落ちたなと感じたり。北島サブちゃんが車イスで登場したが歌詞を間違えたりと。
歌手と自分の年齢と比べながらというのもこの番組の楽しみの一つだ。
なかには、あまりに声が落ちすぎてこの人を見るのも今年で最後かなと思う時もある。
事実、過去に何人かこれが最後のTV出演となった人もいる。そんな時、ああやっぱり見ておいて良かったなとしみじみ思うのだ。
新年明けのNHKは相変わらず番宣、徳川家康一色だ。受信料をこんな事に使うなら返金しろと言いたくなる。
新年早々のニュースで、「広島サミットまであとOO日」の表示ボードができたと、隣に立つ岸田首相の姿と共に報じていたが、一体どこにニュース価値があるんだ。広島サミットに関心がある国民なんてごく少数だろう。報道というよりは完全な政府ゴマすりである。
NHKはスクランブル放送にすべきだと真剣に考える時期にきている。

2022/04/26

山本圭になれなかった

俳優の山本圭が3月31日に亡くなった。81歳だった。私のほうが少し年下だが、ほぼ同年配だ。
思い出すのは1966年にTV放映された連続ドラマ『若者たち』だ。両親を亡くした5人兄弟(男4人、女1人)が、逞しく歩き続けて行く青春ドラマで、ディスカッション・ドラマだったと記憶している。
山本圭は三男の役で、爽やかで正義感の強い男を演じ、憧れの存在だった。ああいう男になろうと思ったが、ダメでした。
先ず外観がいけてない。
初対面で出会う時に、こちらの特長を伝えるのだが、「頭が白く、顔が黒く、目つきの悪いのがいたら、それが私です」と言っておくと、「イヤーOOさん、初めまして」と直ぐに分かってしまう。刑事に間違えられたことが2回、ヤクザに間違えられたことが1回と、およそ山本圭にはほど遠い。
正義感はそこそこあるのだが、爽やかさは皆無。
山本圭になるのは、無理でしたね。
ドラマの主題歌『空にまた陽が昇る時』も流行った。「君の行く道は はてしなく遠い」は今でもソラで歌える。ギター漫談家のペペ桜井がこの歌を、ハモニカを吹きながら歌ってみせる芸を披露している。

山本圭さん、心から哀悼の意を表します。

2022/03/14

ガマンの限界だ「鎌倉殿の13人」

何年ぶりかのNHK太河ドラマ、今年の「鎌倉殿の13人」は、1年間通してみるつもりでいたが、10回目で断念することにした。理由は、つまらないから。
三谷作品の「軽さ」は好きだが、それが「軽妙」ではなく「軽薄」になっている。内容が薄い、もっと言えば「薄っぺらい」。個々の登場人物の掘り下げが足りない。
戦国武将にとって合戦は、敗れれば領地は奪われ、一族郎党が滅亡する危機に陥る。従ってリーダーは情報を集め、誰と組み誰を敵にするかを選択し、戦略と戦術を編み出す。そうした鋭利な感覚を持った者だけが勝者となる。状況に流されたり、出たとこ勝負では勝てない。それは現代社会にも通じるもので、そこに時代劇の魅力がある。
ドラマ「鎌倉殿の13人」には、そうした感じを持てない。
時代考証がどうのと、うるさいことは言いたくないが、あの時代の女性の地位はどうだったんだろう。視点が現代的すぎないか。「~をお願いして貰っていい?」なんてセリフが飛び出すと、愕然としてしまう。
時代劇を演じられる役者が少なくなってしまったのか、一部を除き今の若者がただ鎧を着て刀を差して歩いているとしか見えない。
もはや、質の高いドラマは期待できないのか。

2022/01/24

NHK太河ドラマ「鎌倉殿の13人」解けない疑問

NHK太河ドラマ「鎌倉殿の13人」1-3回を視聴。三谷作品らしい面白い出来ではあるが、期待した最大の謎については残されたままだ。
それは北条家(特に当主の時政)が源頼朝をかくまうばかりでなく、長女の政子を頼朝に嫁がせた理由だ。
時は「平家にあらずんば人にあらず」であり、関東周辺にも平家の影響力が及んでいた。一方の北条家は、伊豆国田方郡北条を拠点とした在地豪族であった。また時政の妻・牧の方の実家は平頼盛の家人だった。
そうした中で北条が、源氏への旗幟を鮮明にして平家と戦う体制を固めたのは、ギャンブルだった思う。ギャンブルはリスクと勝算とのバランスであり、リスクははっきり見通せるが、果たしてどの程度の勝算があったのだろうか。
時政は何をもってどの様な勝算を抱いていたのか、そこがこのドラマ序盤の見所だと思っていた。
しかし、3回までの展開では、時政の勝算や決意は見えてこない。これといった戦略もなく、何となく時流に流されている様子だ。
4回以降にこの点がどれほど解明されるのか、展開を見ていこうと思う。

2022/01/12

久々のNHK太河ドラマ

もう何年ぶりだろう、1月10日久々にNHK太河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見た。
太河ドラマに限らずここんとこのNHK連ドラは、やれ東京オリンピックだの、古関裕而だのと、国策の臭いが強くて最初から敬遠していた。見てないから断言はできないが、古関裕而は戦時中は嫌々ながら軍部に協力したなんて筋だったんだろう。
さて、鎌倉幕府は、源頼朝が創設した日本の武家政権だが、「平家物語」や「源平盛衰記」と「太平記」の間に挟まれ、加えて3代で終わってしまったこともあり、あまりスポットライトが当っていなかったきらいがある。しかし、その後数百年と続く武家政権の端緒となったもので、歴史的意義は大きい。
中央ではいちおう平家が権力を握ったとはいえ、のちに清盛亡き後は木曽義仲に京都を追われ都落ちするばど基盤は脆弱だった。それを見こし、特に東国の武家たちは、平家を倒し次は我こそと思ったのだろう。
奥州藤原は義経をかくまい、いずれ何かに使えるとみたのだろう。結果はこれが裏目に出て奥州藤原は滅亡させられてしまうのだが。
一方。伊豆の有力な豪族だった北条家は、流人として伊豆にいた源頼朝に目をつけた。源氏の正当な継承者として、平家打倒の看板としての資格十分と見たのだろう。長女・政子を妻にして体制を整えた。そして意図通り、平家を倒したのちに頼朝の死後は、名実ともに北条が実権を握ってゆく。とりわけ、妻の政子は幕府樹立から承久の乱に至る大事な時期に、尼将軍として力を奮う。日本の歴史上でも、女性が最高権力を動かした最初の例ではあるまいか。
まあ、この見立ては私の素人了見にすぎないが、これを三谷幸喜がどう料理するかが楽しみだ。
話は変わるが、近ごろのNHKは年配者を切り捨て若者にシフトした番組作りを進めているようだ。年配者は黙ってても受信料を払ってくれるので、不払いの多い若者にターゲットを合わせているとか。でも、あまり甘く見ていると、しっぺ返しを受けるよ。

正月、年始に来た娘から「笑点」に桂宮治が新加入したのをどう思うか?と訊かれた。新メンバーは芸協から選ばれるとみていて、それなら宮治か柳亭小痴楽のどちらかと思っていたから、予想通りだったと答えた。宮治は前座の頃から何度も見ているが、あのガツガツした芸風は好みじゃないけど、とも。
落語が好きだというと、よく「笑点」が話題に出るが、もう何十年も見ていない。なにせ私が見ていた頃の司会は、立川談志や前田武彦だったんだから。「笑点」の主題歌も今は楽器演奏だけだが、かつては歌が入っていた。「笑う点なら、そのものズバリ、それがご存知それがご存知、笑点だーよ」なんてね。
今は昔の物語。

2021/08/14

ベルリン五輪を撮影した映画監督「レニ・リーフェンシュタール」

先日、閉会したオリンピックだが、TV中継の合計視聴時間は60分以下だから殆んど見てないと言って良い。元々、スポーツ番組はプロ野球か大相撲ぐらいしか関心がない。以前はフィギュアスケート(女子)は見ていたが、キムヨナと安藤美姫が引退してから見る気がなくなった。その理由は・・・おっと、ここは口を閉じておこう。
せっかくだから五輪ネタを。
1936年に開かれたドイツ・ベルリン五輪大会の記録映画を撮影した映画監督「レニ・リーフェンシュタール」についてです。
当時のドイツはナチス政権下にあり、ヒットラーや宣伝相のゲッペルスが重視したのは映像、とりわけ新しい芸術だった映画だ。その頃のドイツは映画先進国で、『嘆きの天使』『会議は踊る』『三文オペラ』など、映画史上に残るような数多くの作品を作りだしていた。
才能のある映画監督も次々生まれたが、その一人にアーノルド・ファンクがいた。その彼の元に一人の女性から売り込みの手紙がくる。その名をレニ・リーフェンシュタール。ファンクは彼女に会うとその美貌に一目惚れし、早速主演女優に抜擢する。レニはファンクの傍らで技術を学ぶと、自ら監督兼主演女優となって映画『青の光』を制作する。
この作品を見て、ヒットラーは彼女の芸術的才能に着目し、ニュルンベルクにおけるナチス党大会の撮影をレニに依頼する。彼女はその期待に応えて、『信念の勝利』『意志の勝利』を完成させる。作品は単なる記録映画の範囲を超え、芸術的なプロパガンダ映画に仕上がった。作品はドイツ全土で公開されて大衆は熱狂し、ナチスの人気が高まった。
気を良くしたヒットラーは、ベルリン・オリンピックの公式記録映画の製作をレニに依頼する。彼女はナチスの庇護のもと、巨額な予算と大勢のスタッフをしたがえて、『民族の祭典』『美の祭典』を完成させる。公開されるや、ドイツのみならず世界中でヒットし、ヒットラーの狙いは的中する。
その一方、レニを見出したファンクは不遇をかこっていたが、ナチスから「日本人俳優を使って、ドイツ人が日本に好感を抱くような映画を作れ」という命令を受ける。日独同盟へ世論を盛り上げるための対策だった。日本に渡ったファンクは無名の新人女優・原節子を見出し、主演女優として抜擢して成功。ファンクは女優を発掘する才能はあったわけだ。
1945年、第2次世界大戦が終結し、ナチスは崩壊する。レニは一転してナチスの同調者として糾弾され、映画界に戻ることは許されなかった。生前、レニは「私のどこに罪があるというの」と語ったという。芸術家にとって時に政治との係りは命取りとなる。
今回の東京五輪の公式記録映画を担当したのは、河瀬直美監督だ。
(以上、『選択』8月号の記事を参考にした)

2021/06/27

政府のためか国民のためか、映画『オフィシャル・シークレット』

機密漏洩の罪に問われた主人公が、政府に雇用された人間だから政府のために働くべきだと追及されると、「私は政府ではなく国民のため」と答えたのが印象的だ。命をかけて真実を守ろうとした赤木さんもこんな気持ちだったのだろう。
Photo_20210627091301
『オフィシャル・シークレット』2019年 英米合作映画
監督:ギャヴィン・フッド
脚本:ギャヴィン・フッド、グレゴリー・バーンスタイン、サラ・バーンスタイン
原作:マルシア・ミッチェル、トーマス・ミッチェル『The Spy Who Tried to Stop a War』
主な出演者 :キーラ・ナイトレイ、マット・スミス、リス・エヴァンス、マシュー・グード
【あらすじ】
主人公のキャサリン・ガンは、英国のGCHQ(イギリス情報機関)に勤務している。台湾出身で日本の広島で暮らしていた時期もあった。夫はクルド人。
ある日、米国がイラク戦争を始めるために、英国に国連の非常任理事国の動静を諜報するよう協力を求めていることを知る。キャサリンは戦争を阻止するために、最高機密の米国からのメールをコピーし、反戦運動をしている友人にメディアにリークするよう託す。
ロンドンのオブザーバー紙のマーティンは、イラク開戦に反対する記事を書こうとするが、社の方針は戦争支持でフセインを悪人にする記事を載せろと命じられる。
マーティンは知り合いの女性から、キャサリンのメールのコピーを渡され、専門家に真偽を確かめると本物だという。マーティンは戦争反対の立場をとるジャーナリストのエドとコンタクトを取り、エドがメールの差出人が米国のNSA(国家安全保障局)に実在していることを突き止める。
エドはオブザーバーの関係者と協議し、メールの内容を報道するが決まる。記事は大きな反響を呼び、最終的に文書は本物を考えられ、報道されることになります。キャサリンは事の重大性に驚く。
GCHQでは、この文書を盗んだ職員の調査が始まり、キャサリンも当初は否定するが、同僚が尋問にあう姿を見て、リークしたのは自分だと名乗り出る。キャサリンは警察に連行されて取り調べを受け、秘密情報を盗むのはスパイ行為だと言われる。キャサリンは動機を聞かれると、戦争を止めるためだったと答える。「この戦争はフセインへの戦争ではなく、イラクの一般国民を大量に殺す」ものだと。
夫が国外退去処分にされそうになるなどの嫌がらせを受けるが、不法であることを関係先に訴え、取り消しさせる。
キャサリンは起訴され、人権派の弁護士に弁護を依頼する。弁護士から「無罪を主張すれば罪は重くなる、有罪を認めれば軽い罪になる」と言われが、キャサリンは戦争は違法とし国家機密の公示は合法と主張し、裁判では無罪を主張することに決まる。
2004年に裁判が開始され、キャサリンは無罪を主張する。処が検察側は起訴を取り下げると言い出し、裁判長と傍聴人が驚く中裁判は終わり、キャサリンは無罪放免となる。裁判によって英国政府の違法行為が明らかになるのを恐れて、裁判を避けたのだ。それでもいったんはキャサリンを起訴したには見せしめのためだと、後日検事が語っている。

イラク戦争により、数十万人から百万人ともいわれるイラク人の死者を出した。その混乱は現在も続いている。開戦の口実とされた大量破壊兵器は最後まで見つからなかった。フェイクだったわけだ。我が国も当時の小泉首相が国会で、大量破壊兵器はあると大見得をきって自衛隊の派遣を決めた。
映画は実話に基づくもので、当時の実写フィルムが随所に挟みこまれている。キーラ・ナイトレイが演じる主人公の、静かだが一途な正義感は感動をおぼえる。

 

2021/05/03

日本映画を代表する女優といえば、「京マチ子」でしょう

Photo_20210503160101
Photo_20210503160201

Photo_20210503160202
Photo_20210503160203
Photo_20210503160204

日本映画を代表する女優というと、「原節子」の名をあげる人が多いだろう。「山本富士子」「高峰秀子」「若尾文子」「吉永小百合」をあげる人もいるだろう。
でも森の石松じゃないが、大事な人を忘れてはいませんか? そう「京マチ子」だ。
始めのころは「肉体派、ヴァンプ(妖婦、魔性の女)女優」とよばれ、主演した映画が次々と国際映画賞を獲得すると「グランプリ女優」、ハリウッドにも進出して「国際派女優」。当時の米国の映画評には「モンローの様だ」と書かれていた。
溝口健二、黒澤明、小津安二郎、衣笠貞之助、成瀬己喜男といった日本映画を代表する監督の作品に主演し、谷崎潤一郎や川端康成らの文芸作品のみならず、ミュージカル、喜劇、時代劇、そして50歳を過ぎてから「男はつらいよ」シリーズでは寅さんの最高齢のマドンナを演じた。映画以外でもTVドラマや演劇の分野でも活躍した。
これだけ幅広いジャンルで活躍した女優は、京マチ子をおいて他にいないだろう。

京マチ子の特長はジャンルの広さだけではない。一口に言えば戦後女性の生き方をスクリーンを通して体現したことにある。
戦前の男にかしずく淑やかな良妻賢母タイプでなく、男と渡り合う自立した女性という戦後の女性像を演じたことにある。
時には身体を張って家族を支える女性の姿を演じ、豊満な肉体をスクリーンにさらけ出した。その強烈なエロティシズムも京マチ子の魅力の一つだ。特に足の美しさは絶品で、映画でもたびたび足のアップがされている。
身長は159㎝だったが松竹歌劇団で鍛えられた体は、見事なプロポーションを形成していた。着物姿も美しい。30代半ばの年齢で10代の役を演じたり、銀座のクラブのママから浅草の踊り子まで、良家のお嬢さんから娼婦まで演じたのだから驚異的だ。
実物の京マチ子は物静かな、どちらかというと古風な女性だったそうだから、そのギャップが大きい。
冒頭に掲げた画像は、いずれも京マチ子が主演した映画のDVDの表紙で、上から『踊子』『夜の蝶』『牝犬』『赤線地帯』『春琴物語』。

2021/04/03

「文化大革命」を描いた中国映画

数年前、中国に観光で行った際に、現地ガイドに「今の中国国民は毛沢東についてどう思っているか?」と訊いたところ、ニコニコしていたガイドの顔色が一瞬で変り「みな尊敬してます」との答え。そこで「中国政府は文化大革命を正式に否定してますよね。それを引き起こしたのは毛沢東でしょう?」とツッコムと、ガイドの顔はさらに青ざめ少し間を置いてから、「毛沢東は国民にとって象徴なんです」という答え。
このガイドの反応を見て、中国では未だに文革の話題はタブーなのだと悟った。
文化大革命や天安門事件が公に語れるようになるには、今の中国の政治体制が大きく変わる時になるだろう。

今の若い方には馴染みがないだろうが、「文化大革命」とは、1966〜76年中国における毛沢東の奪権闘争とそれに伴う政治的社会的動乱である。
大躍進の失敗で国家主席をしりぞいていた毛沢東は,劉少奇・鄧小平らを「資本主義の道を歩む実権派」と批判し,1966年から全国で紅衛兵を動員して大衆運動による奪権闘争を開始した。これに国防相林彪指揮下の人民解放軍も加わり,各地で「造反有理(反逆には必ず道理がある)」のスローガンのもと,武闘がくりひろげられて,政治的迫害や職場・学校・地域内でのつるしあげが横行して社会は大混乱におちいった。毛沢東は林彪国防相と結んで軍を味方につけながら青少年を〈紅衛兵〉に組織して実権派批判に向けた。〈四旧〉(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)打破をかかげて打ち壊しが行われ,著名な学者・芸術家らも攻撃された。1969年林彪が毛の後継者とされたが,1971年には毛と対立して国外逃亡中に墜死。周恩来らによる脱文革の動きに対して,江青ら〈四人組〉が文革を主導し,周を攻撃。1976年9月の毛の死を契機に〈四人組〉は逮捕され,文革は実質的に終わった。間接の被害者も含めて死者2000万人に及ぶといわれる文革を,中国共産党は1981年の中央委員会で〈指導者が間違ってひき起こした内乱〉として全面的に否定した。
約10年間に及ぶ混乱は、経済のみならず、多くの知識人が迫害や投獄を受け、また若い人たちがまともな教育を受けられなかったことから知識や倫理が欠如するなど、その後の中国社会に大きな影響を与えている。
反面、文革は欧州やアジア、中南米諸国の政治運動にも大きな影響を及ぼした。
日本もその例外ではなく、1970年前後の青年・学生運動の中には毛沢東思想や文革から刺激を受けた層もいた。知識人の中にも文革を支持する人がいたし、新聞などメディアも(産経と赤旗を除き)総じて中立的あるいは好意的な報道をしていたと記憶している。
その文革を描いた中国映画2本を紹介する。

Photo_20210403154301

『活きる』
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)
脚本:余華(ユイ・ホア)・蘆葦(ルー・ウェイ)
主演:葛優(グォ・ヨウ)、鞏俐(コン・リー)
1940年代の中国。資産家の息子だったフークイだが、賭けに負けてしまい全財産を失う。身重の妻チアチェンは愛想をつかして実家へ戻ってしまった。しかし、半年後、長男が誕生したのを機に夫フークイのもとへと戻ってくる。心機一転、困窮する一家の家計を支えようとフークイは得意の影絵の巡業を始める。そんな矢先、フークイは国民党と共産党の内戦に巻き込まれてしまう。フークイがやっと家族のもとに戻ってきたのは、共産党の勝利が決まり内戦が終結した後だった。50年代は共産主義の躍進期。国の推進する集会で、息子が事故死。60年代に聾唖の娘は結婚し、妊娠。しかし文化大革命により医者はすべて摘発されており、病院は素人の若い女性ばかりで娘は出産は果たすものの、合併症を起こして死んでしまう。数年後、年老いたフークイとチアチェンは、孫息子の面倒を見ながら生活し、彼らの人生は続いていく。
戦前戦後を通じて中国の内戦から共産主義国家の誕生、経済再建を経て文革の時代を生き抜いた中国人家族の物語。期待していた文革の場面は、フークイの友人が弾劾され自殺に追い込まれる場面と、病院の医師や看護師が追放されてしまい紅衛兵らの治療によってフークイの娘が死亡する場面のみだった。文革の本質的な部分はすっぽり抜けていて、やはり今の中国ではこの程度が限界なんだろう。
作品としては、この時代を生きた人間の辛苦が描かれていて、良く出来ていたと思う。

Photo_20210403154401

『妻への家路』
監督:チャン・イーモウ
脚本:ヅォウ・ジンジー
主演:チェン・ダオミン、コン・リー、チャン・ホエウェン
教師の婉玉とバレエを習っている娘の丹丹が共産党員に呼ばれ、追放中の夫・焉識が逃亡したが、連絡があったら通報することといわれる。丹丹は「革命模範バレエ」の主役に決まりそうだった。父から母と駅で会いたいという連絡を丹丹が受けるが、駅には追っ手が来ていて婉玉の目の前で焉識は捕まる。丹丹は逃亡犯の娘ということで主役から外される。1977年、文化大革命が終わって焉識が右派分子の罪を解かれ、20年ぶりに帰宅する。しかし妻の婉玉は焉識のことは全く忘れ、方という男と間違える。周囲は説得にあたるが、思い出してくれない。丹丹はバレエを諦め、家を出て紡績工場の寮に住んでいて、焉識はその守衛室の隣で暮すことになる。婉玉は毎日、駅へ夫を迎えに通う。医者から心因性の記憶障害だとされる。写真を見せて婉玉に思い出さそうとしたり、焉識が懐かしいピアノ曲を弾いてみせるが、自分を思い出してくれない。西域から大量の手紙が入った荷物が届き、焉識が読んであげるが、「手紙を読む人」としか理解されない。新しく手紙を書き、丹丹と和解してくれと頼み、婉玉はようやく娘を許し同居を再開する。しかし訪れた焉識に、婉玉は「方さん、出ていって」と狂乱状態になる。それから何年も経って、雪の中、焉識が幌付きの自転車で婉玉を迎えにくる。二人で駅へ焉識を迎えに行くが、今日も虚しく待つだけだった。
文革のために夫が20年間も収容された結果、妻は心因性の記憶障害により夫の顔を忘れてしまう。夫も娘も記憶を取り戻させようと必死に努力するが、最後まで妻の記憶は戻らない。そうした妻を優しく見守り、妻が夫を迎えに駅に立つのを付き添う。
これ以上ないような夫婦の純愛物語で、泣かせる。作品としては同じ監督の『活きる』より優れている。
悲劇の原因は文革だが、その背景がほとんど描かれていないので、文革の非人間性への訴求は弱い。
この辺りは、中国映画の限界なんだろう。

2021/03/02

韓国「光州事件」をテーマにした作品『タクシー運転手 約束は海を越えて』『1987、ある闘いの真実』

韓国は長期にわたり軍事独裁政権が続いていて、民主化がなされたのは1990年代の始めになってからだ。今では信じがたいかも知れないが、当時は日本でも右派は親韓(岸信介、安倍晋太郎が代表的)、左派が嫌韓だった。日韓条約は自民党が推進し、社会党などが反対した。日本国内では韓国のスパイが暗躍し、来日した韓国人が誰と面談しどんな会話をしたかを本国に連絡していた(ある韓国の学者から聞いた実話)。私などは未だにその頃の韓国のイメージが強く残っている。
なかでも「光州事件」は、中国の天安門事件と並ぶ韓国の黒歴史で、概要は以下の通り。

1980年全羅道の中心都市光州において起きた反政府運動を,成立直後の軍事政権が弾圧した事件。
クーデタで成立した軍事政権は金大中 (キムデジユン) をはじめとする国会議員を逮捕したが,その多くが全羅道の出身者で占められていた。これに対して光州市の市民・学生らは激しい反政府運動を展開したが,軍隊の導入で徹底的な弾圧を受けた。公式発表では死者174名とされたが,数千人が死亡または行方不明になったとされる。全羅道という政治的・経済的に冷遇されてきた地域の人々の不満が背景にあり,金泳三 (キムヨンサム) ・金大中の文民大統領によって当時の軍人・政治家の処罰および光州市民の名誉回復が行われた。
(旺文社世界史事典 三訂版)

韓国の民主化以来、ようやく被害の実態と被害者救済が進められてきたが(その点は中国とは大違い)、未だに事件の全貌が明らかになったとは言えない。10年ほど前から韓国の映画界で光州事件を扱った作品が公開され、反響をよんでいる。その中から2作品をとりあげてみたい。

Photo_20210302155101
『タクシー運転手 約束は海を越えて』 2017年 韓国映画
監督:チャン・フン
脚本:オム・ユナ
主演:ソン・ガンホ
実話をもとにしたフィクション、主要な人物には実在のモデルがいる。
1980年5月に韓国の全羅南道光州市で起こった民主化を求める民衆蜂起の光州事件が描かれている。全斗煥らによる軍事クーデターや金大中の逮捕を発端として、学生や市民を中心としたデモが戒厳軍との銃撃戦を伴う武装闘争へと拡大していった事件。作中ではソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、10万ウォンと言う高額な運賃が得られることを期待し、ドイツ人記者のピーターを乗せ光州へと車を走らせ、検問をかいくぐり光州へ入る。ピーターは軍による暴虐を目撃し、その事実を全世界に発信するため撮影記録を持ち帰ることを決意する。キムも無残にも次々に死んで行く彼らを見るうち、次第にピーターの使命を理解するようになり、キムは軍の追手を振り払いながらピーターを無事ソウルに送り届ける。この映像により初めて全世界に光州事件の実態が明らかになる。
軍隊が市民を虐殺していく映像が衝撃的で、今起きているミャンマー軍による市民殺害とダブってしまう。

1987

『1987、ある闘いの真実』 2017年 韓国映画
監督:チャン・ジュナン
脚本:キム・ギョンチャン
主演:キム・ユンソク
1987年1月14日の学生運動家朴鍾哲拷問致死事件から6月民主抗争に至る韓国の民主化闘争を描いた作品で、実話にもとずく。
1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国で、内務部治安本部対共捜査所長のパクは北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。運動のリーダーだった学生が軍に射殺されたのをきっかけとして全市民を巻き込む民主化闘争に発展する。
「光州事件」から7年後の物語で、反共のためならどんな不正も許された時代が続いていた。しかしこの時代には真実を暴く人々が現れ、報道するジャーナリストもいた。彼らの命がけの闘いが民主化を導いていったことがよく分かる。

両作品から、韓国の民主化がいかに大きな犠牲の上で勝ち取られたかが良く分かった。特に大学生ら若者が先頭に立っていたのも印象的だった。
振り返って我が国で、ああした状況になった時に、若者たちが立ち上がるであろうか。

より以前の記事一覧