映画・テレビ

2021/08/14

ベルリン五輪を撮影した映画監督「レニ・リーフェンシュタール」

先日、閉会したオリンピックだが、TV中継の合計視聴時間は60分以下だから殆んど見てないと言って良い。元々、スポーツ番組はプロ野球か大相撲ぐらいしか関心がない。以前はフィギュアスケート(女子)は見ていたが、キムヨナと安藤美姫が引退してから見る気がなくなった。その理由は・・・おっと、ここは口を閉じておこう。
せっかくだから五輪ネタを。
1936年に開かれたドイツ・ベルリン五輪大会の記録映画を撮影した映画監督「レニ・リーフェンシュタール」についてです。
当時のドイツはナチス政権下にあり、ヒットラーや宣伝相のゲッペルスが重視したのは映像、とりわけ新しい芸術だった映画だ。その頃のドイツは映画先進国で、『嘆きの天使』『会議は踊る』『三文オペラ』など、映画史上に残るような数多くの作品を作りだしていた。
才能のある映画監督も次々生まれたが、その一人にアーノルド・ファンクがいた。その彼の元に一人の女性から売り込みの手紙がくる。その名をレニ・リーフェンシュタール。ファンクは彼女に会うとその美貌に一目惚れし、早速主演女優に抜擢する。レニはファンクの傍らで技術を学ぶと、自ら監督兼主演女優となって映画『青の光』を制作する。
この作品を見て、ヒットラーは彼女の芸術的才能に着目し、ニュルンベルクにおけるナチス党大会の撮影をレニに依頼する。彼女はその期待に応えて、『信念の勝利』『意志の勝利』を完成させる。作品は単なる記録映画の範囲を超え、芸術的なプロパガンダ映画に仕上がった。作品はドイツ全土で公開されて大衆は熱狂し、ナチスの人気が高まった。
気を良くしたヒットラーは、ベルリン・オリンピックの公式記録映画の製作をレニに依頼する。彼女はナチスの庇護のもと、巨額な予算と大勢のスタッフをしたがえて、『民族の祭典』『美の祭典』を完成させる。公開されるや、ドイツのみならず世界中でヒットし、ヒットラーの狙いは的中する。
その一方、レニを見出したファンクは不遇をかこっていたが、ナチスから「日本人俳優を使って、ドイツ人が日本に好感を抱くような映画を作れ」という命令を受ける。日独同盟へ世論を盛り上げるための対策だった。日本に渡ったファンクは無名の新人女優・原節子を見出し、主演女優として抜擢して成功。ファンクは女優を発掘する才能はあったわけだ。
1945年、第2次世界大戦が終結し、ナチスは崩壊する。レニは一転してナチスの同調者として糾弾され、映画界に戻ることは許されなかった。生前、レニは「私のどこに罪があるというの」と語ったという。芸術家にとって時に政治との係りは命取りとなる。
今回の東京五輪の公式記録映画を担当したのは、河瀬直美監督だ。
(以上、『選択』8月号の記事を参考にした)

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2021/06/27

政府のためか国民のためか、映画『オフィシャル・シークレット』

機密漏洩の罪に問われた主人公が、政府に雇用された人間だから政府のために働くべきだと追及されると、「私は政府ではなく国民のため」と答えたのが印象的だ。命をかけて真実を守ろうとした赤木さんもこんな気持ちだったのだろう。
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『オフィシャル・シークレット』2019年 英米合作映画
監督:ギャヴィン・フッド
脚本:ギャヴィン・フッド、グレゴリー・バーンスタイン、サラ・バーンスタイン
原作:マルシア・ミッチェル、トーマス・ミッチェル『The Spy Who Tried to Stop a War』
主な出演者 :キーラ・ナイトレイ、マット・スミス、リス・エヴァンス、マシュー・グード
【あらすじ】
主人公のキャサリン・ガンは、英国のGCHQ(イギリス情報機関)に勤務している。台湾出身で日本の広島で暮らしていた時期もあった。夫はクルド人。
ある日、米国がイラク戦争を始めるために、英国に国連の非常任理事国の動静を諜報するよう協力を求めていることを知る。キャサリンは戦争を阻止するために、最高機密の米国からのメールをコピーし、反戦運動をしている友人にメディアにリークするよう託す。
ロンドンのオブザーバー紙のマーティンは、イラク開戦に反対する記事を書こうとするが、社の方針は戦争支持でフセインを悪人にする記事を載せろと命じられる。
マーティンは知り合いの女性から、キャサリンのメールのコピーを渡され、専門家に真偽を確かめると本物だという。マーティンは戦争反対の立場をとるジャーナリストのエドとコンタクトを取り、エドがメールの差出人が米国のNSA(国家安全保障局)に実在していることを突き止める。
エドはオブザーバーの関係者と協議し、メールの内容を報道するが決まる。記事は大きな反響を呼び、最終的に文書は本物を考えられ、報道されることになります。キャサリンは事の重大性に驚く。
GCHQでは、この文書を盗んだ職員の調査が始まり、キャサリンも当初は否定するが、同僚が尋問にあう姿を見て、リークしたのは自分だと名乗り出る。キャサリンは警察に連行されて取り調べを受け、秘密情報を盗むのはスパイ行為だと言われる。キャサリンは動機を聞かれると、戦争を止めるためだったと答える。「この戦争はフセインへの戦争ではなく、イラクの一般国民を大量に殺す」ものだと。
夫が国外退去処分にされそうになるなどの嫌がらせを受けるが、不法であることを関係先に訴え、取り消しさせる。
キャサリンは起訴され、人権派の弁護士に弁護を依頼する。弁護士から「無罪を主張すれば罪は重くなる、有罪を認めれば軽い罪になる」と言われが、キャサリンは戦争は違法とし国家機密の公示は合法と主張し、裁判では無罪を主張することに決まる。
2004年に裁判が開始され、キャサリンは無罪を主張する。処が検察側は起訴を取り下げると言い出し、裁判長と傍聴人が驚く中裁判は終わり、キャサリンは無罪放免となる。裁判によって英国政府の違法行為が明らかになるのを恐れて、裁判を避けたのだ。それでもいったんはキャサリンを起訴したには見せしめのためだと、後日検事が語っている。

イラク戦争により、数十万人から百万人ともいわれるイラク人の死者を出した。その混乱は現在も続いている。開戦の口実とされた大量破壊兵器は最後まで見つからなかった。フェイクだったわけだ。我が国も当時の小泉首相が国会で、大量破壊兵器はあると大見得をきって自衛隊の派遣を決めた。
映画は実話に基づくもので、当時の実写フィルムが随所に挟みこまれている。キーラ・ナイトレイが演じる主人公の、静かだが一途な正義感は感動をおぼえる。

 

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2021/05/03

日本映画を代表する女優といえば、「京マチ子」でしょう

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日本映画を代表する女優というと、「原節子」の名をあげる人が多いだろう。「山本富士子」「高峰秀子」「若尾文子」「吉永小百合」をあげる人もいるだろう。
でも森の石松じゃないが、大事な人を忘れてはいませんか? そう「京マチ子」だ。
始めのころは「肉体派、ヴァンプ(妖婦、魔性の女)女優」とよばれ、主演した映画が次々と国際映画賞を獲得すると「グランプリ女優」、ハリウッドにも進出して「国際派女優」。当時の米国の映画評には「モンローの様だ」と書かれていた。
溝口健二、黒澤明、小津安二郎、衣笠貞之助、成瀬己喜男といった日本映画を代表する監督の作品に主演し、谷崎潤一郎や川端康成らの文芸作品のみならず、ミュージカル、喜劇、時代劇、そして50歳を過ぎてから「男はつらいよ」シリーズでは寅さんの最高齢のマドンナを演じた。映画以外でもTVドラマや演劇の分野でも活躍した。
これだけ幅広いジャンルで活躍した女優は、京マチ子をおいて他にいないだろう。

京マチ子の特長はジャンルの広さだけではない。一口に言えば戦後女性の生き方をスクリーンを通して体現したことにある。
戦前の男にかしずく淑やかな良妻賢母タイプでなく、男と渡り合う自立した女性という戦後の女性像を演じたことにある。
時には身体を張って家族を支える女性の姿を演じ、豊満な肉体をスクリーンにさらけ出した。その強烈なエロティシズムも京マチ子の魅力の一つだ。特に足の美しさは絶品で、映画でもたびたび足のアップがされている。
身長は159㎝だったが松竹歌劇団で鍛えられた体は、見事なプロポーションを形成していた。着物姿も美しい。30代半ばの年齢で10代の役を演じたり、銀座のクラブのママから浅草の踊り子まで、良家のお嬢さんから娼婦まで演じたのだから驚異的だ。
実物の京マチ子は物静かな、どちらかというと古風な女性だったそうだから、そのギャップが大きい。
冒頭に掲げた画像は、いずれも京マチ子が主演した映画のDVDの表紙で、上から『踊子』『夜の蝶』『牝犬』『赤線地帯』『春琴物語』。

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2021/04/03

「文化大革命」を描いた中国映画

数年前、中国に観光で行った際に、現地ガイドに「今の中国国民は毛沢東についてどう思っているか?」と訊いたところ、ニコニコしていたガイドの顔色が一瞬で変り「みな尊敬してます」との答え。そこで「中国政府は文化大革命を正式に否定してますよね。それを引き起こしたのは毛沢東でしょう?」とツッコムと、ガイドの顔はさらに青ざめ少し間を置いてから、「毛沢東は国民にとって象徴なんです」という答え。
このガイドの反応を見て、中国では未だに文革の話題はタブーなのだと悟った。
文化大革命や天安門事件が公に語れるようになるには、今の中国の政治体制が大きく変わる時になるだろう。

今の若い方には馴染みがないだろうが、「文化大革命」とは、1966〜76年中国における毛沢東の奪権闘争とそれに伴う政治的社会的動乱である。
大躍進の失敗で国家主席をしりぞいていた毛沢東は,劉少奇・鄧小平らを「資本主義の道を歩む実権派」と批判し,1966年から全国で紅衛兵を動員して大衆運動による奪権闘争を開始した。これに国防相林彪指揮下の人民解放軍も加わり,各地で「造反有理(反逆には必ず道理がある)」のスローガンのもと,武闘がくりひろげられて,政治的迫害や職場・学校・地域内でのつるしあげが横行して社会は大混乱におちいった。毛沢東は林彪国防相と結んで軍を味方につけながら青少年を〈紅衛兵〉に組織して実権派批判に向けた。〈四旧〉(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)打破をかかげて打ち壊しが行われ,著名な学者・芸術家らも攻撃された。1969年林彪が毛の後継者とされたが,1971年には毛と対立して国外逃亡中に墜死。周恩来らによる脱文革の動きに対して,江青ら〈四人組〉が文革を主導し,周を攻撃。1976年9月の毛の死を契機に〈四人組〉は逮捕され,文革は実質的に終わった。間接の被害者も含めて死者2000万人に及ぶといわれる文革を,中国共産党は1981年の中央委員会で〈指導者が間違ってひき起こした内乱〉として全面的に否定した。
約10年間に及ぶ混乱は、経済のみならず、多くの知識人が迫害や投獄を受け、また若い人たちがまともな教育を受けられなかったことから知識や倫理が欠如するなど、その後の中国社会に大きな影響を与えている。
反面、文革は欧州やアジア、中南米諸国の政治運動にも大きな影響を及ぼした。
日本もその例外ではなく、1970年前後の青年・学生運動の中には毛沢東思想や文革から刺激を受けた層もいた。知識人の中にも文革を支持する人がいたし、新聞などメディアも(産経と赤旗を除き)総じて中立的あるいは好意的な報道をしていたと記憶している。
その文革を描いた中国映画2本を紹介する。

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『活きる』
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)
脚本:余華(ユイ・ホア)・蘆葦(ルー・ウェイ)
主演:葛優(グォ・ヨウ)、鞏俐(コン・リー)
1940年代の中国。資産家の息子だったフークイだが、賭けに負けてしまい全財産を失う。身重の妻チアチェンは愛想をつかして実家へ戻ってしまった。しかし、半年後、長男が誕生したのを機に夫フークイのもとへと戻ってくる。心機一転、困窮する一家の家計を支えようとフークイは得意の影絵の巡業を始める。そんな矢先、フークイは国民党と共産党の内戦に巻き込まれてしまう。フークイがやっと家族のもとに戻ってきたのは、共産党の勝利が決まり内戦が終結した後だった。50年代は共産主義の躍進期。国の推進する集会で、息子が事故死。60年代に聾唖の娘は結婚し、妊娠。しかし文化大革命により医者はすべて摘発されており、病院は素人の若い女性ばかりで娘は出産は果たすものの、合併症を起こして死んでしまう。数年後、年老いたフークイとチアチェンは、孫息子の面倒を見ながら生活し、彼らの人生は続いていく。
戦前戦後を通じて中国の内戦から共産主義国家の誕生、経済再建を経て文革の時代を生き抜いた中国人家族の物語。期待していた文革の場面は、フークイの友人が弾劾され自殺に追い込まれる場面と、病院の医師や看護師が追放されてしまい紅衛兵らの治療によってフークイの娘が死亡する場面のみだった。文革の本質的な部分はすっぽり抜けていて、やはり今の中国ではこの程度が限界なんだろう。
作品としては、この時代を生きた人間の辛苦が描かれていて、良く出来ていたと思う。

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『妻への家路』
監督:チャン・イーモウ
脚本:ヅォウ・ジンジー
主演:チェン・ダオミン、コン・リー、チャン・ホエウェン
教師の婉玉とバレエを習っている娘の丹丹が共産党員に呼ばれ、追放中の夫・焉識が逃亡したが、連絡があったら通報することといわれる。丹丹は「革命模範バレエ」の主役に決まりそうだった。父から母と駅で会いたいという連絡を丹丹が受けるが、駅には追っ手が来ていて婉玉の目の前で焉識は捕まる。丹丹は逃亡犯の娘ということで主役から外される。1977年、文化大革命が終わって焉識が右派分子の罪を解かれ、20年ぶりに帰宅する。しかし妻の婉玉は焉識のことは全く忘れ、方という男と間違える。周囲は説得にあたるが、思い出してくれない。丹丹はバレエを諦め、家を出て紡績工場の寮に住んでいて、焉識はその守衛室の隣で暮すことになる。婉玉は毎日、駅へ夫を迎えに通う。医者から心因性の記憶障害だとされる。写真を見せて婉玉に思い出さそうとしたり、焉識が懐かしいピアノ曲を弾いてみせるが、自分を思い出してくれない。西域から大量の手紙が入った荷物が届き、焉識が読んであげるが、「手紙を読む人」としか理解されない。新しく手紙を書き、丹丹と和解してくれと頼み、婉玉はようやく娘を許し同居を再開する。しかし訪れた焉識に、婉玉は「方さん、出ていって」と狂乱状態になる。それから何年も経って、雪の中、焉識が幌付きの自転車で婉玉を迎えにくる。二人で駅へ焉識を迎えに行くが、今日も虚しく待つだけだった。
文革のために夫が20年間も収容された結果、妻は心因性の記憶障害により夫の顔を忘れてしまう。夫も娘も記憶を取り戻させようと必死に努力するが、最後まで妻の記憶は戻らない。そうした妻を優しく見守り、妻が夫を迎えに駅に立つのを付き添う。
これ以上ないような夫婦の純愛物語で、泣かせる。作品としては同じ監督の『活きる』より優れている。
悲劇の原因は文革だが、その背景がほとんど描かれていないので、文革の非人間性への訴求は弱い。
この辺りは、中国映画の限界なんだろう。

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2021/03/02

韓国「光州事件」をテーマにした作品『タクシー運転手 約束は海を越えて』『1987、ある闘いの真実』

韓国は長期にわたり軍事独裁政権が続いていて、民主化がなされたのは1990年代の始めになってからだ。今では信じがたいかも知れないが、当時は日本でも右派は親韓(岸信介、安倍晋太郎が代表的)、左派が嫌韓だった。日韓条約は自民党が推進し、社会党などが反対した。日本国内では韓国のスパイが暗躍し、来日した韓国人が誰と面談しどんな会話をしたかを本国に連絡していた(ある韓国の学者から聞いた実話)。私などは未だにその頃の韓国のイメージが強く残っている。
なかでも「光州事件」は、中国の天安門事件と並ぶ韓国の黒歴史で、概要は以下の通り。

1980年全羅道の中心都市光州において起きた反政府運動を,成立直後の軍事政権が弾圧した事件。
クーデタで成立した軍事政権は金大中 (キムデジユン) をはじめとする国会議員を逮捕したが,その多くが全羅道の出身者で占められていた。これに対して光州市の市民・学生らは激しい反政府運動を展開したが,軍隊の導入で徹底的な弾圧を受けた。公式発表では死者174名とされたが,数千人が死亡または行方不明になったとされる。全羅道という政治的・経済的に冷遇されてきた地域の人々の不満が背景にあり,金泳三 (キムヨンサム) ・金大中の文民大統領によって当時の軍人・政治家の処罰および光州市民の名誉回復が行われた。
(旺文社世界史事典 三訂版)

韓国の民主化以来、ようやく被害の実態と被害者救済が進められてきたが(その点は中国とは大違い)、未だに事件の全貌が明らかになったとは言えない。10年ほど前から韓国の映画界で光州事件を扱った作品が公開され、反響をよんでいる。その中から2作品をとりあげてみたい。

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『タクシー運転手 約束は海を越えて』 2017年 韓国映画
監督:チャン・フン
脚本:オム・ユナ
主演:ソン・ガンホ
実話をもとにしたフィクション、主要な人物には実在のモデルがいる。
1980年5月に韓国の全羅南道光州市で起こった民主化を求める民衆蜂起の光州事件が描かれている。全斗煥らによる軍事クーデターや金大中の逮捕を発端として、学生や市民を中心としたデモが戒厳軍との銃撃戦を伴う武装闘争へと拡大していった事件。作中ではソウルのタクシー運転手キム・マンソプは、10万ウォンと言う高額な運賃が得られることを期待し、ドイツ人記者のピーターを乗せ光州へと車を走らせ、検問をかいくぐり光州へ入る。ピーターは軍による暴虐を目撃し、その事実を全世界に発信するため撮影記録を持ち帰ることを決意する。キムも無残にも次々に死んで行く彼らを見るうち、次第にピーターの使命を理解するようになり、キムは軍の追手を振り払いながらピーターを無事ソウルに送り届ける。この映像により初めて全世界に光州事件の実態が明らかになる。
軍隊が市民を虐殺していく映像が衝撃的で、今起きているミャンマー軍による市民殺害とダブってしまう。

1987

『1987、ある闘いの真実』 2017年 韓国映画
監督:チャン・ジュナン
脚本:キム・ギョンチャン
主演:キム・ユンソク
1987年1月14日の学生運動家朴鍾哲拷問致死事件から6月民主抗争に至る韓国の民主化闘争を描いた作品で、実話にもとずく。
1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国で、内務部治安本部対共捜査所長のパクは北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。運動のリーダーだった学生が軍に射殺されたのをきっかけとして全市民を巻き込む民主化闘争に発展する。
「光州事件」から7年後の物語で、反共のためならどんな不正も許された時代が続いていた。しかしこの時代には真実を暴く人々が現れ、報道するジャーナリストもいた。彼らの命がけの闘いが民主化を導いていったことがよく分かる。

両作品から、韓国の民主化がいかに大きな犠牲の上で勝ち取られたかが良く分かった。特に大学生ら若者が先頭に立っていたのも印象的だった。
振り返って我が国で、ああした状況になった時に、若者たちが立ち上がるであろうか。

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2021/02/17

自国の負の歴史と向きあう映画(7)『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』2015年 アメリカ映画
監督:ジェイ・ローチ
脚本:ジョン・マクナマラ
主演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン
本作品のテーマは『真実の瞬間(とき)』と同様ハリウッドの赤狩りだが、登場人物が全て本名であり、ドキュメンタリー色の濃いものとなっている。
1930年代には共産主義はアメリカの理想主義の若者の間で人気のある思想であった。第二次世界大戦中は米国はソ連とともにドイツ、日本と戦ったが、戦後ソ連が東欧諸国に対する弾圧を行ったため多くのアメリカ人が共産主義を敵とみなすようになる。背景には米ソの覇権争いもあった。
1947年、共産主義者との疑いをかけられたか、自分自身がアメリカ共産党員であったことを認めた人々は破壊分子と見なされ、映画産業界で働く人物に対しては非米活動委員会によって呼び出され尋問を受けた。
この中には、アメリカ合衆国憲法修正第1条で保障された基本的人権を根拠に、証言したり召喚されたりするのを拒んだ者がいた。「ハリウッド・テン」と呼ばれるこれら10人は1948年に議会侮辱罪で有罪判決を受け、1950年に半年ないし1年の実刑を受けた。この映画の主人公のダルトン・トランボもその一人だ。
「ハリウッド・テン」のメンバーは馘首もしくは停職処分となり、彼らが無罪と見なされるか嫌疑が晴らされ、又は彼らが共産主義者ではないと自身で誓わない限り再雇用されることはないという措置が取られた。その結果、かなりの長期間アメリカの映画・テレビ業界で働くことができなくなり、名前をスクリーンから削除された。
他に「ハリウッド・ブラックリスト」が存在し、膨大な数の人物がリストアップされていたようで、例えば下記のように名前があげられていた。
オーソン・ウェルズ (映画監督・俳優)
ピート・シーガー (フォークソング歌手)
ポール・ロブスン (黒人霊歌歌手)
エドワード・G・ロビンソン (俳優)
アーサー・ミラー (劇作家)
ハリー・ベラフォンテ (歌手)
赤狩りを主導したのは共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員(マッカーシズムとも呼ばれている)で、当初はマッカーシーの強硬な姿勢が国民から大きな支持を受けたものの、マスコミをはじめ政府、軍部内にマッカーシーに対する批判が広がる。
1954年の12月、上院はマッカーシーに対して「上院に不名誉と不評判をもたらすよう行動した」として事実上の不信任を突きつけ、ここに「マッカーシズム=アメリカにおける赤狩り」は終焉を迎えた。しかし疑いをかけられた人々の名誉回復は1970年になってからだ。
マッカーシズムが吹き荒れた中で、自らが標的となることに対する恐怖によって、アメリカ国内におけるマスコミの報道や表現の自由に自主規制がかかったり、告発や密告が相次いだことなどから、多くの人々がダメージを受けた。またアメリカが掲げた「自由主義で民主主義の国」という言葉に対し、国内外から多くの疑問が呈された。
余談だが、トランプ旋風やその支持者たちの行動を見ていると、源流がマッカーシズムにあるような気がする。

前書きが長くなったので作品解説は簡単に。
第二次世界大戦後、共産主義排斥“赤狩り”の嵐が吹き荒れるアメリカ。理不尽な弾圧はハリウッドにも飛び火し、脚本家ダルトン・トランボは議会での証言拒否を理由に投獄されてしまう。出所後、最愛の家族の元に戻ったものの、キャリアを絶たれたトランボには仕事がない。そんな中、イアン・マクレラン・ハンターから名前を借りて偽名で執筆した『ローマの休日』の脚本がアカデミー賞を獲得し、彼は再起への道を歩み始める。やがて俳優のカーク・ダグラスから『スパルタカス』の監督の依頼が舞い込み、同時期にプロデューサーのオットー・プレミンジャーから映画『栄光への脱出』の監督の依頼がある。両作品で再びトランボの名が公にクレジットされ、興行的にも大成功する。
①トランボのいかなる弾圧にも負けぬ不屈の精神
②それを支えた家族愛。授賞式でトランボが家族に感謝する場面は感動的。
③実名なので例えばジョン・ウエインが映画では戦争で活躍するが実際には戦地に行っていないとか、『スパルタカス』の試写をみながらカーク・ダグラスがスパルタカスは自分自身だと呟く(トランボ自身でもある)などのエピソードが散りばめられている。
といった見所が随所に描かれている。
作品としても良く出来ていて、未見の方は実際に鑑賞することをお薦めする。

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2021/02/15

「コスモポリタン」としての山口淑子(李香蘭)

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ある年齢層の方には記憶が残っていると思う。山口淑子(李香蘭)は、女優、歌手、タレント、ジャーナリスト、政治家と幅広く活躍をしてきた。
1920年、山口は満州に生まれ、両親とも日本人だったが父親から北京語を叩きこまれ、北京の女学校に通い、満州に亡命してきたイタリア人オペラ歌手から声楽を習った。完璧な中国語、日本人離れした美貌、美声を備えた彼女を、日本軍部と満州国が日満友好のシンボルとして利用する。
1938年、日本人ながら中国人の女優“李香蘭”としてデビュー。映画『白蘭の歌』、『支那の夜』などに出演し、日本でも爆発的なヒットとなった。また、歌手としても『夜来香』、『何日君再来』などをヒットさせた。
同じ1920年生まれの原節子がドイツを親日にするために利用されたと同じように、山口は中国や満州を親日にするために利用されたのだ。
終戦を上海で迎えた山口は、日本に協力した中国人=漢奸として死刑になるところだったが、日本人である事が証明されて追放刑となり、難を逃れた。
清朝の王族ながら軍服姿で日本の諜報活動に身を投じ、「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子が中国籍だったため漢奸として銃殺されたのと、対照的な運命をたどる。
1946年に帰国し、名を本名の山口淑子と改めて『わが生涯の輝ける日』『暁の脱走』などの映画に主演。一方、シャーリー・ヤマグチの芸名でハリウッド映画に出演し、チャプリンやジェームス・ディーンとも親交があった。
1958年に外務官僚の大鷹弘と再婚し、テレビの司会者をするかたわら、ジャーナリストとしてパレスチナや北朝鮮を取材した。
1974年には自民党の参議院議員に当選、3期18年務めた。主に中国、中東、北朝鮮外交に尽力した。
山口は総理大臣の靖国参拝には反対し続け、1995年から「アジア女性基金」副理事長として、元慰安婦に補償金を手渡す作業にも関わった。それは山口自身が戦時中に満州や中国で見聞きした体験に基づくものだ。
残念ながら今の自民党には山口の様な人物は皆無である。
2014年9月7日に死去、94歳だった。

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2021/02/13

自国の負の歴史と向きあう映画(6)『真実の瞬間』

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『真実の瞬間(とき)』1991年 アメリカ映画
監督、脚本:アーウィン・ウィンクラー
主演:ロバート・デ・ニーロ
映画のタイトルとしては原題の『Guilty by Suspicion』(疑わしきは有罪)の方が内容にピッタリだ。
1950年代、マッカーシズムに揺れるハリウッドで共産主義者の疑いをかけられた映画監督を主人公にしたもの。
1951年、フランスから帰国した新進気鋭の映画監督デヴィッド・メリルは20世紀フォックスの社長から呼び出され、連邦議会下院の下院非米活動委員会が彼を召喚しようとしていると告げられる。メリルは疑いを晴らすために誰かを売るように弁護士から助言されたが断った。するとメリル自身が疑いの標的にされ、撮影中の監督を降ろされ、ハリウッドから事実上追放されてしまう。メリルは家族とも離れて一人各地を転々とするが、どこにいてもFBIの尾行がついてきて、メリルの就職まで妨害する。無職となったメリルはロスアンゼルスに戻り、妻は教師に復職し家計を支える。
メリルは弁護士を伴って公開聴聞会に出席するが、議長や下院議員から激しい追及にあい、仲間の名前を言うように強制されるが、彼は最後まで口を割らなかった。聴聞は終わり、メリルは共産党員と見なされる。
かくして多くの映画人が赤狩りでハリウッドを追われ、彼らが名誉を回復するのは1970年になってからとなる。

1940年代後半から1950年代中期ごろ、マッカーシズムによる赤狩り旋風が吹き荒れる中、その中心的機関であった下院非米活動委員会 (HUAC) が取り調べを行なうため、ハリウッドを中心とする娯楽産業で活躍していた映画監督、脚本家や映画俳優などの芸能人の中で人生のある時期に共産党と関連があったと見做した人物を召喚し証言を求めた。仲間の名前を言うよう強制され、拒否した者は議会侮辱罪で有罪判決を受けた。チャップリンの様に国外追放になったケースもある。
主人公デヴィッド・メリルは、実在の映画監督ジョン・ベリーがモデルになっている。ベリーは非米活動委員会での証言を拒否しハリウッドから追放された映画関係者を取り上げたドキュメンタリーを制作し、そのことで彼自身もまた赤狩りの対象になり、妻子を残しフランスへの亡命を余儀なくされた。
映画関係者の中でグレゴリー・ペックやヘンリー・フォンダ、バート・ランカスターらはこうした弾圧に反対したが、ロナルド・レーガン、ウォルト・ディズニー、ゲイリー・クーパー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは赤狩りに協力した。
赤狩りの中心となったのは共和党上院議員のマッカーシーで、赤狩りをマッカーシズムとも呼ばれている。民主党の中にも赤狩りを支持した者もいて、ジョン・ケネディはその代表格と言ってよい。

赤狩り(レッドパージ)は連合国軍占領下の日本において、1950年にGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーの指令により、日本共産党員とシンパ(同調者)が公職追放された。公務員や民間企業において「日本共産党員とその支持者」とした人々を解雇され、1万を超える人々が失職した。指令が解除された後もそうした人々は再就職が困難だった。
アメリカの黒歴史であるハリウッドの赤狩りを真正面から描いたことに本作品の価値があり、今後への警鐘となっている。

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2021/02/07

自国の負の歴史と向きあう映画(5)『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』

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『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』2016年製作 ドイツ映画
監督:ステファン・ワグナー
脚本:アレックス・ブレシュ
主演:ウルリッヒ・ノエテン
ナチス残党を追い詰めた検事フリッツ・バウアーの実話をもとに映画化した作品。1959年の西ドイツ、ナチスによる戦争犯罪の時効まであと7年に迫る中、検事のフリッツ・バウアーが中心となり、ナチ犯罪追及センターが設立される。しかし過去の罪を消したい政府や組織内のスパイに妨害されてしまう。自身にも監視が付くようになり自由に動けなくなったバウアーは、若き検事ヨアヒムを助手に任命。バウアーとヨアヒムの決死の捜査で真実が次々と明らかになる中、彼のもとにナチスの親衛隊にいたアドルフ・アイヒマンが南米のアルゼンチンに身を隠しているとの情報が入る。政府に起訴と身柄送検を要請するが、元ナチス幹部らの妨害や圧力があり、思うように進まない。アイヒマンを国内に移送したり裁判にかけることを断念したバウアーは、イスラエルのモサドと接触し、彼らにアイヒマンの拘束と裁判を依頼する。1960年5月11日、モサドの工作員らはアイヒマンを拘束し、身柄をイスラエルに移して裁判にかける。

世間にはドイツ神話みたいなものがあると前から気になっていた。戦後ドイツは戦前のナチスの犯罪を認め、被害者に謝罪し罪を償ってきたというものだ。言葉は悪いが、どうもこの神話にイカガワシサを感じてきた。ナチス政権は民主的な手続きで誕生したものであり、戦前は大半のドイツ人はヒットラーを支持していた。それが戦後には一転して、揃って前非を悔い反省していたというのは本当だろうかと。
本作品では、決してそう単純ではなかったことが示されている。かつてナチスの高官で今も思想はあまり変わっていない人物が、政府の要職に就いていたこと。警察や検察、裁判官などには依然としてナチス思想が残存していて、ナチスによる戦争犯罪を追及することに反対する勢力が根強くあった。バウアーの元には連日のように脅迫状が届き、彼の住居の壁には「ユダヤ人」という落書きがある。バウアーが「お前なんか又アウシュビッツに送ってやる」と面罵されるシーンもあった。
加えて当時の世界情勢、例えばナチス追及に及び腰だった西ドイツの首相を米国が強く後押ししていたとか、ナチス追及が東ドイツを喜ばせその背後にいるソ連の利益になるという心配とか、ドイツとイスラエルとの微妙な関係とか、様々な背景が描かれている。今では評価の高いアイヒマン裁判も、当時のドイツでは決して手放しで支持されていたわけではない。
むしろ、そうした複雑な経緯をたどって今日のドイツの姿に至ったのだ。ここでは神話ではないリアルなドイツの戦後史が刻まれている。
この点に本作品の価値がある。

アイヒマンが取り調べ中に語った以下の言葉は、現代人の胸にも刺さる。
「戦争中には、たった1つしか責任は問われません。命令に従う責任ということです。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」
「私の罪は従順だったことだ。」
私たちは果たしてアイヒマンを克服しているだろうか?

 

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2021/01/30

自国の負の歴史と向きあう映画(4)『国際市場で逢いましょう』

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『国際市場で逢いましょう』2014年制作、韓国映画
監督:ユン・ジェギュン
脚本:ユン・ジェギュン
<主なキャスト>
ユン・ドクス:ファン・ジョンミン
オ・ヨンジャ:キム・ユンジン
チョン・ダルグ:オ・ダルス
朝鮮戦争中の1950年、興南(現在の北朝鮮・咸鏡南道咸興市)から脱出しようとしていたドクスとその一家は、戦乱の最中で父と末の妹と離れ離れになるが、長男であるドクスは父から「お前が家長になるんだ。家長はどんな時でも家族が優先だ」と家族を任される。この時ドクスは父と「国際市場で逢う」ことを約束する。釜山へと渡ったドクスら一家は、国際市場にある叔母の店(コップンの店)で働くようになる。
やがて青年になり家計を支えるようになったドクスだったが、弟の大学進学資金を稼ぐために旧友のダルグと共に炭鉱作業員として西ドイツに出稼ぎに出る。想像を絶する辛い作業の中、ガス爆発事故のために坑内に閉じ込められたドクスとダルグだったが、ドイツ人の監督の制止を振り切って仲間が助け出す。病院で治療を受けたドクスは、ここで韓国から看護師として出稼ぎにきていたヨンジャと知り合い、愛しあうようになる。
1966年、ドクスは帰国をはたし,遅れて帰国したヨンジャと再開し二人は結婚する。
頼っていた叔母が亡くなり店を手放す状況になった伊勢を、ドクスが店を買い取ることにしてその費用捻出のため、1974年ベトナム戦争の技術兵としてベトナムに渡る。テロや戦闘に巻き込まれるても無事に脱出するが、川に落ちた現地の少女を助けたドクスは銃弾で足を負傷する。
1975年ベトナム戦争終結、ドクスは帰国し家族との暮らしが始まる。
1983年テレビ局主催の朝鮮戦争で離れ離れになった家族を捜索するテレビにドクスは出演し、父と妹を探す。その中でアメリカ人の里子として引き取られていた妹が見つかり涙の再開を果たすが、ついに父親の消息は不明。
父と国際市場で再開することが叶わなかったドクスは、「コップンの店」を売る覚悟を決めヨンジャに告げる。

本作品の特長は、ドクスの成長過程がそのまま韓国の現代史と重なっていることだ。だから「自国の負の歴史と向きあう」という趣旨とは少し異なる内容と言える。
1945年日本の敗戦と共に解放された朝鮮だが、1950年に始まった朝鮮戦争で民族が分断され、国家も北と南に分かれる。その過程でドクスの一族の様に家族同士、親類同士が分かれ分かれになって消息すら不明の悲劇が続く。今も南北統一の悲願はここに生まれる。
かつて韓国へ観光に行った時、現地ガイドが統一を切々と訴えていたのを思い出す。
戦争で国土が荒廃した韓国は、軍事独裁政権の下で人々は苦しい生活を送る。ドクスの様に家族を養うために海外に出稼ぎに行かざるを得ない人たちもいた。
私が初めてエジプトに行った時1970年代、当時は途中でトランジットがあった。バンコク、デリー各空港で機内の清掃をする人がいずれも韓国の人だった。エジプトの着いてからカイロに一軒しかないというカラオケ店に行ったら韓国人のグループがいて、「釜山港に帰れ」という曲を韓国語で繰り返し合唱していた。当時のカラオケには日本語の歌詞しかなく、歌えるのはこの曲しか無かったのだ。訊いてみると、カイロの建設現場に出稼ぎに来ているという。先の機内清掃といい、韓国の人々のエネルギッシュさに感心したが、それは国内での貧困の裏返しでもあったのだろう。
ドクスたちのドイツでの炭鉱労働は過酷なもので、監督のドイツ人の冷たさとあいまって当時の西ドイツがこうした低賃金労働者を使って経済発展していたことが伺われる。
ドクスたちはベトナム戦争でも生命の危険にさらされ、ドクスは足を負傷してしまう。ベトコンに追われて川に落ちた少女を救う場面は、朝鮮戦争の際の自分たちの姿を思い起こすのだ。
やがて経済発展した韓国では、ドクスの「コップンの店」の様な小規模の商店は再開発の波に吞まれて消えてゆくことになる。
本作品で印象に残るのは韓国の人たちの家族愛だ。やはり儒教の影響だろうか、家族のためには身を犠牲にすることに躊躇しない。これは別の映画で見たのだが、両親を失った兄妹が曽祖父の兄弟の家に世話になる場面があったが、日本では考えられないことだ。ただ家族や一族の絆が強すぎることは、階層社会を生み出したり、コネ社会に陥ることがある。
作品に対する不満といえば、視点が現状肯定であることだ。例えば、ベトナム戦争の場面ではベトコンが悪者風に描かれている。確かに韓国軍に対しては敵ではあるが、元々韓国がなぜベトナム戦争に参戦せねばならなかったのかという問題が無視されている。ドクスたちがこれに何も疑問を感じないのはむしろ不自然に思えるのだ。
そうした欠点を持ちながらも、韓国人の苦難の歴史を端的に描いているのが本作品の優れた所だろう。

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