映画・テレビ

2019/05/16

イラク戦争の情報操作を暴いた映画『記者たち』

今トランプ米国大統領が日々大量のフェイクニュースを流しているが、16 年前にアメリカ政府が自国民と世界中を欺く巨大な嘘をついていた。
それは「イラクが大量破壊兵器を保有している」というもので、これが2003 年におけるイラク戦争の主な開戦理由だった。のちに大量破壊兵器は見つからず、情報が捏造だと明らかになった。
しかし当時、ニューヨークタイムズやワシントンポストなど大手メディアは軒並みこのジョージ・W・ブッシュ政権の嘘に迎合し、権力の暴走を押しとどめる機能を果たせなかった。
これに対して、1社だけこの情報が捏造であることを暴いた新聞社があった。
本映画は、実在の新聞社「ナイト・リッダー」の記者たちの姿を、当時の映像を挟みながら描いたものだ。

『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』
(2017年/アメリカ映画/本編91分)
監督:ロブ・ライナー
出演:ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン、ロブ・ライナー、ジェシカ・ビール、ミラ・ジョボビッチ、トミー・リー・ジョーンズ
なお、タイトルの「衝撃と畏怖」はブッシュ政権がイラク戦争に名付けた作戦名である。
「UPLINK渋谷」にて上映中。

【あらすじ】
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件への報復として、ブッシュ政権はアフガニスタンへ侵攻し、2002年には「大量破壊兵器保持」を理由に、イラク侵攻に踏み切ろうとしていた。
新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)は部下のジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)、ウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)、そして元従軍記者でジャーナリストのジョー・ギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)に取材を指示。しかし破壊兵器の証拠は見つからず、やがて政府の捏造、情報操作である事を突き止めた。
つまり、初めに戦争ありきで、イラクの大量破壊兵器云々はその理由付けに使われていたのだ。
ナイト・リッダーの記者たちは、真実を伝えるために批判記事を世に送り出していくが、大手新聞社は政府の方針を追認してしまう。ナイト・リッダーはかつてないほど愛国心が高まった世間の潮流の中で孤立していく。
それでも記者たちは大儀なき戦争を止めようと、米兵、イラク市民、家族や恋人の命を危険にさらす政府の嘘を暴こうと奮闘するが・・・。

昨今、日本でも多くのメディアが政府の方針を無批判的に報道する傾向が強まる中で、イラク戦争における米国メディアの誤報は他山の石とせねばならない。意義のある映画と言える。

ただ、この作品には不満も残る。それは、名だたるアメリカの大手メディアがなぜニセ情報を流し続けたのかという疑問に応えていないからだ。
映画では実際にあった話として、政府内でもイラクの大量破壊兵器保持について疑問を持っていた人たちがいたのだ。情報が捏造であることを証言していた人もいた。もしアメリカがイラク戦争を起こせば泥沼化し、長期にわたる内戦状態に陥ると(結果はその通りになった)予測した人もいた。
なぜ、大手メディアはそうした情報を黙殺したのか。それは政権に屈服したのか、政権に忖度したのか。あるいは当時の米国民の愛国感情に同調してしまったのか、その理由が分からない。その点を掘り下げていれば、本作品の価値はもっと高まったろう。そこが惜しまれる。

 

日本映画の黄金時代を代表する女優、京マチ子の訃報に接した。
親父が彼女のファンで、いつもは恐い顔をしている親父が「京マチ」の事になると相好を崩していた。
気品とコケティッシュを併せ持った、稀有な日本人女優だった京マチ子。
ご冥福を祈る。

 

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2019/05/02

「慰安婦問題」論争ドキュメンタリー映画『主戦場』(2019/5/2)

10連休に映画の1本も観ようかと思い立ち、5月2日に渋谷「シアター・イメージフォーラム」へ。最初の上映開始時間10時50分の回に入場したのだが、30分前にはこの日の4回の上映チケットは全て完売だった。
へえー、あっし同様の物好きが多いのかな。前日に予約しておいて良かった。

この映画の監督・脚本・撮影・編集・ナレーションを担当したミキ・デザキの経歴は以下の通り。
1983年、米フロリダ州生まれの日系米国人2世。ミネソタ大ツイン・シティーズ校で医大予科生として生理学専攻で学位を取得後、2007年に来日し、外国人英語等教育補助員として5年間、山梨県と沖縄県の中高等学校で教壇に立つ。同時期から、YouTuberとしてコメディー映像や日本、米国の差別問題をテーマにした映像作品を数多く公開。タイで仏教僧となるための修行の後、15年に再来日した。
本作が初映画監督作品。

ミキ・デザキがなぜ従軍慰安婦問題に関心を持ったかというと、日本の差別問題をとりあげた作品をこさえたとこ、そのスジから「日本には差別なんかない!」「そんなこと言う奴は中国人か朝鮮人だ!」といったお馴染みの非難、中傷、脅迫を浴びた。
デザキは、そのスジの人たちの主張に却って好奇心を掻き立てられ、敢えて従軍慰安婦をテーマにした映画に取り組んだようだ。

ミキ・デザキ監督は先ず、このテーマの日・韓・米の論客たちにインタビューした。27人の人はいずれも本作品の中に登場している。
トニー・マラーノ(a.k.a テキサス親父)、藤木俊一(テキサス親父のマネジャー)、山本優美子(なでしこアクション)、杉田水脈(衆議院議員・自由民主党)、藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州の弁護士、日本のテレビタレント)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会)、イン・ミョンオク(ナヌムの家の看護師、元慰安婦の娘)、パク・ユハ(日本文学者)、フランク・クィンテロ(元グレンデール市長)、林博史(歴史学者)、渡辺美奈(アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館)、エリック・マー(元サンフランシスコ市議)、中野晃一(政治学者)、イ・ナヨン(社会学者)、フィリス・キム(カリフォルニア州コリアン米国人会議)、キム・チャンロク(法学者)、阿部浩己(国際法学者)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)、植村隆(元朝日新聞記者)、中原道子(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター)、小林節(憲法学者)、松本栄好(元日本軍兵士)、加瀬英明(日本会議)

映画は、慰安婦たちは「性奴隷」だったのか?「強制連行」は本当にあったのか? 元慰安婦たちの証言の信憑性は? 日本政府の謝罪と法的責任とは? といったテーマごとに肯定派と否定派それぞれの主張を紹介し、主張の元になった資料や映像が挟まれるドキュメンタリータッチ。
論点が浮き彫りになるにつれ、論争の背後にあるカラクリが次第に明らかになって行く。
タイトルの「主戦場」の意味も。
それは、見てのお楽しみ。

印象に残ったのは、否定派の面々の仕草や表情だ。
テキサス親父は、ブスとやる時は相手の頭に紙袋をかぶせるんだと言いながら、慰安婦像の頭から紙袋をかぶせていた。親父、大丈夫か?
資金の件を質問された櫻井よしこは、一瞬当惑の表情を浮かべてからニッコリと「お答えしません」。さすが、元キャスター。
杉田水脈を見て、かつてのオウム真理教の「ああ言えば上祐」を思いだした。薄っぺらい言葉を並べるとこがね。
そして、最後に登場した日本会議の代表委員であらせられる加瀬英明、トリに相応しい実にいい味を出していた。この男の表情を見、発言を聞くだけでもこの映画を観る価値があるかも。

 

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2019/04/30

【書評】「原節子の真実」

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石井妙子「原節子の真実」 (新潮文庫-2019/1/27刊)

日本映画史上、最も美しい女優は?と問われたら、ある年齢以上の人であれば大多数の人は「原節子」と答えるだろう。日本映画を代表する女優は?と問われても、やはり大多数の人は彼女の名前をあげるだろう。
日本国内だけではない。小津安二郎監督の作品が国際的評価を受ける中で、原節子の名も世界に拡がっている。
大スターだった原節子だけに噂やゴシップには事欠かない。それも映画関係者や作家などから流されたものも少なくない。大半はガセネタだが、原がそうした情報を肯定も否定もせず一切無視してきたため、未だに事実として罷り通っているものさえある。
とりわけ、銀幕から突如引退し、以後は世間と隔絶した生活を死去するまで送ってきた彼女の生活態度が、多くの憶測や誤情報を生んだ。
本書は、原の関係者やその家族を取材し、文字通り「原節子の真実」を明らかにしたものだ。

原節子(1920年6月17日生 - 2015年9月5日死去)が映画界入りしたのは1935年、15歳の時だ。幼い頃から成績が良く、本人も教師になることが夢だったが、家業が傾いた事や母親が精神を病んだりし、彼女が生活費を稼がねばならなくなった。
原より美人と言われていた次姉が映画界入りしていて、夫の監督の熊谷久虎の勧めに従って映画界に入ることになった。これ以後、原は終生、義兄の熊谷久虎から大きな影響を受け続ける。
映画界が無声映画からトーキーに移り、それまで男優が女形を演じていたのが女役は女性が演じる風になったので、女優への需要が一気に増えた。当初は芸者など花柳界から採用されていたが、次第に普通の子女を採用するようになっていた。
ただ、当時の女優の地位は低く、撮影所でも女中がわりに酒食の接待や、時には監督やスタッフの夜のお相手までさせられていた。原がずっと映画も女優も好きになれずにいたのは、こうした女優の状況への反発があったようだ。
彼女はこうした周囲に溶けこまず、撮影所の往き帰りは電車に揺られ駅からは徒歩で通い、昼食は自分で用意した弁当を一人で食べ、撮影の合間は読書に耽り、仕事が終われば真っ直ぐ家に帰る。宴席に出ることはなかった。接待や舞台挨拶、水着撮影は一切お断り。付け人は付けず、身の回りのことは全て自分でやった。このスタイルは後年大スターになっても崩すことは無かった。

原の女優としての運命を決定づけたのは、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢されたことだ。撮影中に見学にきたドイツのアーノルド・ファンク監督が、映画会社から推薦された女優たちを蹴って、無名の新人だった原を主役に選んだのだ。この映画はその後に締結される日独防共協定の下準備になる国策映画だった。ドイツに渡った原はゲッペルスと面会するなど大歓迎を受け、帰国するまでフランスやアメリカを巡る。
ここで原が気付いたのは、海外での女優の立場が日本と全く異なり、俳優として尊重されていたことである。
帰国後、一躍スターとなった原に次々と仕事が舞いこむ。だが時は日中戦争から太平洋戦争に至る時期で、戦意高揚映画に数多く出演することになる。原の清純な容姿が出征する兵士を励ましたり、銃後を健気に守る娘役にピッタリだったのだ。
この時期、義兄の熊谷は映画界から離れ、国粋主義思想団体「スメラ学塾」を作り、軍部と結んで本土決戦を叫び、また敗戦前には九州独立運動を起こす。原もまた、この義兄の思想に深く共鳴し、一時期運動を手助けすることもあった様だ。

敗戦を迎え国民全部が茫然自失する中、家族を養うために原は自らが栄養失調になりながらも農村に買い出しに出かけ、2斗の米を背負って自宅に持ち帰る生活を送っていく。
実は、米軍占領下で映画会社からはGHQの幹部への接待や、米軍相手の舞台出演などの要請が原にあった。そうした要請に応じていれば、有り余るほどの食料が手に入れられたし、当時の人気スターたちの多くがその恩恵に与っていたのだが、原は一切拒否していた。
それに、敗戦になった途端に、戦中には上からの命令で止むを得ず戦争協力をしたとして、戦後は手のひらを反す様にGHQの指示に従う映画人たちに心から愛想が尽きていたのだ。
GHQから公職追放の指示が来ると、映画人が集まって戦争協力の犯人捜しを始め、映画監督としてはこれといった実績の無かった義兄の熊谷を指名して熊谷が映画界から追われた事も、原の反感を増幅した。
原にとって戦後の民主主義の良かった点は、女性への差別を否定し権利を認めていたことだ。これは戦前から原が望んでいたのだ。
また、戦後外国の映画が一斉に日本で公開されると、そこに描かれる自立した女性の姿に共鳴し、イングリット・バーグマンらの映像を見て自分もああした内面の美しさを表現できる女優を目指す決意を原は固める。

女性が自らの意志で運命を切り開いてゆく、そうした役を演じる女優になりたかった原にとって、最も尊敬できる監督は黒澤明だった。作風が、どこか義兄の熊谷久虎に似ている所も惹かれた。黒澤監督のもとで主演した作品『わが青春に悔なし』のヒロインは、原にとってこれこそ演じてみたかった役に巡り合えたのだ。
ところが、最後は米軍の戦車まで出てきた東宝映画の大争議の影響で、原は東宝を去り黒澤監督との縁も切れてしまい、以後は主に松竹映画に出演するようになる。
原は、1949年に初めて小津安二郎監督と組んだ作品『晩春』に出演し、以後1961年の『小早川家の秋』まで小津監督の6作品に出演を果たすことになる。特に1953年の『東京物語』は小津にとっても、原にとっても代表作となる。一連の小津作品によって、原は代表的スターになる。

しかし、小津作品はホームドラマであり、役どころはいずれも父親や夫に尽くす良妻賢母タイプのものだった。
つまり原に求められる役は、戦前戦後を通じて男性から見た理想的女性だった。
原が必死に求めた、自らの手で運命を切り開く女性像とはほど遠いものだった。そうした役を求めて、1951年に黒澤明監督の『白痴』や、義兄の熊谷監督のいくつかの作品に出演するが、皮肉な事にいずれも興行的には惨敗する。
原は、細川ガラシャを主人公にした映画を希望し続けたが、終生実現せずに映画人生を閉じてしまう。

40歳に近づくと、原は容姿の衰えという残酷な事実に向き合うことになる。先輩女優たちの姿を見てきて、自分には老け役になる気がない。映画の中身も変わってきて、次第に自分の居場所もなくなりつつあることに気付く。
戦後の栄養失調の影響もあって健康にすぐれず、何より長年の撮影で視力が衰えていた。
遂に1962年に引退を決意したが、その翌年には小津監督が60歳の誕生日の日に亡くなってしまう。
原は終生独身を通し、死去するまで人目を避け、ごく少数の人しか会わぬ隠遁生活に入ってしまう。

原節子は人間的にも優れた人だったようで、ある映画雑誌が新人女優に「最も尊敬できる俳優は?」というアンケートを取ったところ、全員が「原節子」と回答したため、企画が流れてしまった。
戦後、良家の子女が安心して映画界入り出来たのも、原節子の影響とのこと。
本書のあとがきで、原の映画を見たイタリアの若者が、彼女の印象を「聖母」や「女神」に例えていた事が紹介されているが、内面の美しさが表出した稀有な日本人女優だったと言える。

本書はタイトルの通り原節子の評伝であるが、日本映画の裏面史ともなっている。
多くの映画監督が戦時中徴兵され戦地に送られているが、黒澤明だけは免れている。軍部と繋がりの深かった東宝が、そのツテで有望な黒澤が戦地に行くのを防いだようだ。
反対に小津安二郎は中国戦線の、それも毒ガス部隊に送られた。村に毒ガス弾を撃ち込み、逃げ惑う住民を刺し殺すという任務だった。娘を強姦され抗議に来た母親を上官が斬り殺した現場も見ている。
小津は、戦前に戦争映画を見て、戦争なんてこんなもんじゃない、自分なら本当の戦争映画が描けるとずっと思っていたそうだ。
しかし、最後まで小津は戦争映画を撮ることはなかった。
ただ、1962年に撮った作品『小早川家の秋』は、小津の戦争体験と、中国で戦死した親しかった山中貞雄監督へのオマージュになっていたようだ。

 

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2019/02/22

映画『金子文子と朴烈』(2019/2/22)

Fumiko
『金子文子と朴烈』
監督/イ・ジュンイク 
脚本/ファン・ソング
<   主なキャスト   >
チェ・ヒソ:金子文子
イ・ジェフン:朴烈(パク・ヨル)
キム・インウ:水野錬太郎(内務大臣)
山野内扶:布施辰治(弁護士)
キム・ジュンハン:立松懐清(予審判事)
金守珍:牧野菊之助(裁判長)
配給/太秦 PG12
2月16日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中

映画館に行くのは年に1回あるかないかだが、韓国映画『金子文子と朴烈』という作品を観に、渋谷の宮益坂上近くの小さな映画館「シアター・イメージフォーラム」に出向く。
金子文子と朴烈についてはその事件とともに、多くの資料や評論、小説やノンフィクションでとり上げられていて、最近もある月刊誌で金子文子の生涯についての連載記事が載っていたことから興味を覚えたのだ。
登場人物は全て実名である。

1923年の東京。アナーキストらが集うおでん屋で働いていた金子文子は「犬ころ」という詩に心を奪われ、この詩を書いた朝鮮人の朴烈に出会う。彼に共鳴した文子は直ちに同志、そして恋人として生きる決心をする。二人は、日本人や在日朝鮮人による「不逞社」を結成するが、その直後の9月1日に関東大震災が発生する。
震災の混乱に乗じて、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、火を放っている」というデマが流され、自警団による朝鮮人虐殺事件が各地で起き、犠牲となった朝鮮人は数千人に及ぶといわれている。
朝鮮人大虐殺を招いた内務大臣・水野錬太郎は国際世論をかわすために、朝鮮人たちが爆弾を使って皇太子(その後の昭和天皇)の暗殺を企てたという筋書きを作り、そのスケープゴートに選ばれたのが朴と文子だった。
二人は水野がでっち上げた「大逆罪」をあえて認めることで法廷に立ち、大日本帝国の権力者たちを糾弾し、文字通り命懸けの闘いに挑む。特に天皇制に対する批判は峻烈だ。
この法廷闘争により、関東大震災時の朝鮮人虐殺が国際的にも知られるようになる。
しかし二人は、予審判事や弁護士の助力にも拘わらず死刑判決を受け、その後恩赦で終身懲役に減刑されるが、文子は獄死(自殺という説もある)してしまう。

韓国の作品だが、金子文子と朴烈二人は事件に関与していないと確信した予審判事が罪を軽くするよう腐心したり、困難な中で弁護活動をした布施弁護士らの活躍や、法廷に提出するため文子の書いた文書を添削してくれた刑務官がいたりと、決して日本人を一方的に悪人として描いていない。
出演者では文子を演じたチェ・ヒソの知的で凛とした美しさが光る。
ただ作品の中で、金子文子がなぜ死を賭してまで日本の権力者と闘わざるを得なかったのか、その背景がもう一つ描き切れていなかった憾みがある。

不都合な事実は「無かったこと」にしようとする昨今の日本の風潮に一石を投じる作品として注目されよう。

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2018/10/20

DVD「善き人のためのソナタ」

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「善き人のためのソナタ」(原題:DAS LEBEN DER ANDEREN/THE LIVES OF OTHERS)
2006年制作、ドイツ映画
<  スタッフ  >
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
音楽:ガブリエル・ヤレドステファヌ・ムーシャ
<  主なキャスト  >
ウルリッヒ・ミューエ :ヴィースラー大尉(シュタージ)
セバスチャン・コッホ:ゲオルク・ドライマン(作家)
マルティナ・ゲデック:クリスタ=マリア・ジーラント(女優)
ウルリッヒ・トゥクール:ブルビッツ部長(シュタージ)
フォルカー・クライネル:アルベルト・イェルスカ(演出家)
トーマス・ティーメ:ヘムプフ(大臣)
<受賞歴>
アカデミー賞 第79回(2006年) 外国語映画賞

【あらすじ】
1984年の東ドイツ。
シュタージ(国家保安省)の局員ヴィースラーは、劇作家のドライマンと恋人で舞台女優のクリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう上司のブルビッツから命じられる。ヴィースラーは盗聴器を通して彼らの監視を始める。
ドライマンの友人で演出家のイェルスカは当局から睨まれ仕事を干されていた。彼はドライマンに「善き人のためのソナタ」という曲の楽譜を贈り、自殺してしまう。ドライマンはこうした実態を西側に伝えるべく動き出す。
ヴィースラーは監視活動を続ける中で、クリスタが大臣の愛人に強要され、監視の目的が彼女の動きを探ることにあった事を知る。
やがてヴィースラー自らの惨めな生活に比べ、監視対象者たちの自由な言動に疑問を抱くようになり、監視報告書に嘘を記載するようになってゆくが・・・。

以前に日本で劇場公開されていたが見過ごしていた作品だ。
旧東ドイツではシュタージ(国家保安省)という組織があり、徹底した監視態勢で東ドイツ国民を支配していた。非公式協力者と呼ばれる密告者を組織し、反体制側の人々を徹底的に弾圧した。その数は、国民10人に1人という膨大なものだった。
こうした個人情報記録は、東ドイツ崩壊後に本人や家族に限り閲覧が出来る様になった。それによって家族や親友や同僚がシュタージの協力者であったという真実を知り、家庭崩壊や極度の人間不信に陥った人々も少なくなかった。
この映画は、そうした実態の一端をヴィースラーという一人のシュタージの目を通して静かに告発したものだ。
ヴィースラーの改心が正義感によるものか、それとも監視者への羨望なのか、それは観る人に委ねられている。
悲惨な物語だが、エピローグで主人公たちに救いを持たせている。
こうしたテーマを映画化したものは他にもあるが、シュタージ自身を主人公にした作品は珍しいと思われる。

この物語は決して過去のものではない。
ロシアやサウジアラビア、北朝鮮といった独裁国はもとより、目的や規模こそ違えアメリカのCIAなども類似の活動を行っているのは周知の事実だ。
もちろん、日本もその例外ではない。
一歩間違えれば、こうした監視社会になることをこの映画は警告していると思う。

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2018/09/03

昭和怪優伝「三原葉子」

鹿島茂 (著) 「昭和怪優伝 - 帰ってきた昭和脇役名画館」 (中公文庫-2013/10/23)
Photo著者の鹿島によれば、1970年代におよそ3000本の映画を見たとある。それも多くは邦画のようだ。これらの映画の中で特に印象に残った脇役12人をとり上げて熱く語った書籍だ。
従って日本映画史上に残る名脇役を縦覧したものではなく、言ってみれば鹿島茂の独断で選んだものだ。
荒木一郎、岸田森、伊藤雄之助、天知茂、川地民夫、成田三樹夫といった名前を見ると、確かに強烈な印象の名脇役だったなと頷くこともあるが、佐々木孝丸(「赤旗の歌」の訳詩者)の名前を見て、この人はドイツ文学者じゃなかったっけと首を傾げる人もいる。
12人の中に「三原葉子」の名前があったのは妙に嬉しかった。

通っていた中学校の近くに新東宝専門の映画館があった。学校からはあそこには絶対行っちゃいかんというお達しがあったが、クラスの中には見に行く奴もいた。でも館内には生活指導の教師が巡回していて、見つかると直ちに追い出された。
それだけ厳しい規制をする位だから、きっと凄い映画だろうなと想像していた。
処が、1961年にその新東宝がつぶれてしまうと、当時のTV局が一斉に新東宝映画の放映を始めた。会社が倒産したので、きっと安い放映権で手に入れたのだろう。
高校生になっていた私は、どんな凄い映画か楽しみに見たが、よくこんなものを金を取って見せていたな、これじゃ会社がつぶれるのも無理はないと、そう思った。

Photo_2ただ、女優陣の中で一人だけ魅力的な人がいた。それが三原葉子だった。
今はあまり使われていない様だが、当時は女性を評して「グラマー」という言葉が流行っていた。英語本来の意味では「魅力的な」ということらしいが、日本語の語感としては「豊満な」という意味で使っていた。
ただ太ってるだけじゃない、顔も可愛くて体にくびれがあってバストとヒップが発達している女性、というのがイメージだ。
それに三原葉子にはぴったりだった。
新東宝映画の中ではストーリに関係なく、キャバレーやクラブで下着姿で踊るシーンが必ずあった。今風にいえば、この場面になると視聴率が跳ね上がったということか。他には海女をテーマにした映画では常連だった。常に肌の露出が多い役どころだったわけだ。
新東宝も創成期には文芸映画を沢山作っていたが、後年はいわゆるエログロ路線に転換していたので、三原葉子はその路線を体現した女優といえる。

新東宝倒産後は三原葉子は東映に移り、やはりエログロ路線の映画に出ていたようだ。
鹿島茂の著書は、専らこの時代の彼女の活躍をとりあげているが、私は反対にこの時期の彼女の映画はほとんど見ていない。
著書から察するに、ずっと「不健康なエロ」を貫いていたようだ。

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2016/11/06

DVD「グッバイ、レーニン!」

「グッバイ、レーニン!(Good Bye Lenin!)」
監督:ヴォルフガング・ベッカー
脚本:ベルント・リヒテンベルク/ヴォルフガング・ベッカー
出演者:ダニエル・ブリュール/カトリーン・ザースほか
公開:ドイツ 2003年/日本 2004年

Photo普段は映画を見ることが少ないので、10年以上前に公開されたこの作品も見逃していて、今回DVDで鑑賞。
旧社会主義国に旅行で訪れた時に、現地ガイドに必ず訊くのは「今と昔と、国民はどちらの方が良いと思っているか?」という質問だ。ロシアを始めとする旧ソ連諸国、東欧などソ連の衛星国家と呼ばれた諸国、いずれの国々でも返ってくる答えは一緒で、「今の方が良いという人の方が多いが、昔の方が良かったという人もいる」というものだ。
中国の場合だと改革開放の前と後との比較で訊くのだが、これも答えは同様だ。
統制経済から市場経済への移行の中で流れに乗って成功する人もいれば、取り残される人もいる。そこで評価が分かれるのだろう。
そんな事も考えながらこの作品を見ていた。

物語は1989年10月、まだ社会主義政権下の東ドイツで東ベルリンに住む青年アレックスが主人公だ。父親は女を作って西ドイツに亡命。残された母親クリスは社会主義運動に傾倒し、姉のティアーネは大学生だが既に離婚し今はシングルマザーだ。
東独建国記念日に反政府デモに参加していたアレックスを偶然目撃したクリスは、衝撃のあまり心臓発作を起こし昏睡状態となる。
それから8か月、クリスは奇跡的に意識を回復したが、その僅かな間にベルリンの壁は崩壊し東独の社会主義は終焉、東西ドイツ統一も間近に迫っていた。
東側にも市場経済の波が一気に押し寄せ、街の様子から市民の暮らしまで大きく変貌していた。
アレックスもそれまでの仕事は失い今では衛星放送のアンテナのセースルの仕事につき、姉は学校をやめてバーガーショップでアルバイト。
担当医から母親の病状は重く次に心臓発作が起きたら命取りだと聞かされたアレックスは、衝撃を与えまいと友人らの力を借りて母親に以前の東独の暮らしを再現させて見せる。
母親のクリスは喜んでいたが、やがてベッドから起き上がってアレックスが目を離した隙に街を歩き回ってしまう。あまりの変貌に驚くクリス。
再び発作を起こして重篤状態に陥ったクリスは、夫の失踪について真相を語る。本当は夫の後を追って家族で亡命する計画だったが、上手くいかなかったというのだ。死ぬまでに夫に再会したいと言う。
アレックスは西側に住んでいた父親に会いに行くが、結婚していて二人の子供もいた。父親は病院にかけつけ、かつての夫婦は最後の面会を果す。
アレックスは病室で、東西ドイツが統一し西ドイツから多数の人々が希望の国である東ドイツに押し寄せて来たという偽ニュースをクリスに見せ、母はそれを見ながら静かに息を引き取る。

映画は前半で旧東独の秘密警察の取り調べや、市民のデモに対する容赦ない弾圧を描き、社会主義政権下での人々の息の詰まるような暮らしを描いている。
反面、ドイツの統一といっても実態は東独が西独に吸収されたものであることが、東西のマルク紙幣の交換などの場面で描かれている。
また、かつて東独初の宇宙飛行士として英雄だった人物がタクシードライバーの仕事についている姿から、東西統一後の旧東独市民の厳しい生活状況も描かれている。
旧東独でネオナチなど極右勢力が伸長しているのは、こうした現実があるからだろう。
アレックスが死の床にあった母親に見せた偽ニュースこそが社会主義の理想の姿だったが、それは幻に過ぎなかった。
でも母親がそれを信じて死んでいったのか、あるいは事実を知っていたにも拘わらず息子たちのために信じたフリをして死んでいったのか、それは母親本人にしかわからない。

タイトルの「グッバイ、レーニン!」は、ベルリンの壁が崩壊した後で分解されたレーニン像がヘリで撤去される場面から採ったものだろう。
作品は社会主義への決別と同時に郷愁をもコミカルに描いている。
ドイツ国内では数々の賞を獲得し興行的にも大ヒットしたそうだが、日本の映画ファンにはどう受け取られただろうか。


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2016/09/03

松山善三氏の訃報

以下、日刊スポーツcom2016,9,2付記事より引用。

【「名もなく貧しく美しく」などヒューマンな作品で知られる映画監督で脚本家の松山善三(まつやま・ぜんぞう)さんが8月27日午後8時41分、老衰のため東京都港区の自宅で死去した。91歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は養女明美(あけみ)さん。
1948年に松竹入社。木下恵介監督の助監督としてシナリオづくりなどを学んだ後、脚本家としてデビュー。小林正樹監督「あなた買います」「人間の條件」の他、「乱れる」「人間の証明」「恍惚(こうこつ)の人」などの映画やテレビドラマのシナリオを数多く執筆した。
61年に「名もなく貧しく美しく」で監督業に進出。ろう者の夫婦愛を感動的に描いて大ヒットした。他にも「われ一粒の麦なれど」「ふたりのイーダ」「典子は、今」など、社会的弱者に温かな目を向けた作品を発表した。
映画「二十四の瞳」の助監督時代に親しくなった女優高峰秀子さんと、55年に結婚。おしどり夫婦として知られた。】

映画のタイトルを読んでいると、あの当時はせっせと映画館に足を運んでいた事を思い出す。
松山善三がシナリオを書いていた『あなた買います』ではプロ野球のスカウト活動を、『人間の条件』では戦時中の満州における帝国陸軍内部での兵士の苦悩を、といった社会派の映画だった。
監督として手掛けた『名もなく貧しく美しく』『典子は、今』では、当時としては珍しい障碍者を主人公とした映画で、いずれも大きな反響を呼んだ作品だった。
記事にもある通り、松山善三の作品は常に社会的弱者に対してあたたかい目を向けていた。

話は変わるが、9代目桂文治(留さん文治、ケチの文治)の落語の中のマクラやクスグリで、しばしば松山の作品の名が出てくる。
「日本人だから、寄席へ来なくっちゃいけません。これは『人間の条件』ですからな」
「落語てぇものは『名もなく貧しく美しい』もんですからな」
こんな調子だが、客席からは笑い声が起きる。それだけ松山作品が人口に膾炙していたという証左だろう。

ご冥福をお祈りする。

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2016/08/09

映画『帰ってきたヒトラー』、いくつかの違和感

映画館で映画を観るのは何年ぶりだろうか、思い出せない。
おそまきながら映画『帰ってきたヒトラー』をみに行った。館内はガラガラでゆっくり観られたのは良かった。眼の前の席の客が、映画が始まるまでずっと産経新聞を読んでいた。産経とこの映画の組み合わせって、と思った。
映画『帰ってきたヒトラー』の感想についてはネットでも沢山の方が書いていて、概ね好評だ。
1945年に死んだはずのヒトラーが2014年のドイツに突然よみがえったらどうなるかというのがテーマで、風刺のきいたコメディや、ドキュメンタリー手法を織り込んだ映画作りが話題になり、それらの要素は確かに優れていた。
原作を読んでいないので映画だけの感想になるが、いくつかの疑問や違和感も残った。

蘇ったヒトラーが先ず気になるのはドイツがどうなったかだ。彼はナチスが滅びるくらいならドイツ国民は全員が死んでもいいとさえ思っていた。だから復興したドイツを見て驚いたに違いないし、それは映画でも描かれている。
ドイツ以外の国で最も気になる国はソ連だったはずだ。決してポーランドやルーマニアではない。第一声は「ボルシェビキ(ソ連)はどうなった?」と訊いただろう。
何よりヒトラーは熱烈な反共主義者だった。彼が政権をとって最初に行ったのは共産党国会議員の逮捕と投獄だった。次は一般党員から同調者、社会民主主義者と次第に範囲をひろげてゆき、その多くは処刑されるか強制収容所送りとなった。映画でもヒトラーの主要な問題としてホロコーストがとりあげられていたが、これも元をたどれば共産主義撲滅の文脈からきている。
ヒトラーがソ連に侵攻する際にも、他国との戦争とは全く性質が異なることを訓示している。従来の戦闘では民間人の殺戮は避けるよう指示していたが、ソ連に関しては兵士と非戦闘員の区別なく殺戮するよう指示している。
そして対ソ戦の敗北がナチスドイツの破滅の原因となった。ヒトラーの遺体を検分したのもソ連軍だ。
だから、ヒトラーの最大の関心事はソ連(ロシア)がどうなったかだろう。

ヒトラーは自らが選挙で選ばれた、あるいは国民が選んだという主張をしていて、映画ではそこがスル―されていた。
しかし、経緯を振り返ればそれは不正確だ。
確かに選挙でナチスが過半数を占めたことは事実だが、1933年のヒトラーは政権を握ると、国会放火事件を利用し共産党議員全員と一部の社民党議員を逮捕・拘禁して、議会で圧倒的多数を得る。
そうして議会で「全権委任法」を成立させ、全ての権限をナチスが握ることになる。
同法の成立後、ナチスは他の政党や労働組合を解体に追い込み、同時に政党新設禁止法を制定し、事実上の一党独裁体制を確立していく。
つまり、1933年から終戦までの間はナチスの一党独裁体制となっていたので、選挙で国民がヒトラーを選んだわけではない。
ここは誤解のないようにして欲しい。

これは本質的な問題ではないが、ヒトラー役が本人に似ていない。映画のヒトラーは随分と体格がいいが、実物は背が低く中肉だ。顔も似ていない。あれではいくら本物だと主張しても誰も信用しないだろう。
ヒトラー役が現代の民衆の中に入ってゆき、その反応をドキュメンタリー風に撮影しているが、周囲が笑っているのは本人に似てないからでは。もしソックリさんが現れたら(例えば、ブルーノ・ガンツ)、反応は違っていたかも知れない。
この映画が単なる喜劇なら良いが、ドキュメンタリー・タッチを織り込むなら、より最適なキャスティングが必要だったと思われる。

今日8月9日、長崎原爆忌。

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2015/11/27

【憧れの映画スター】ジーナ・ロロブリジーダ

Lollobrigida

少年時代の最大の娯楽は映画だった。母親が映画好きだったので、小学校就学前後あたりから邦画に連れて行ってもらった。多分、私の入場料は無料だったのだろう。ただ小学生には内容が難しくてあまり面白くはなかった。小学校の中学年になると学校の友人たちや親戚の人と一緒にターザン映画やチャンバラ映画を見に行くようになり、こちらは楽しかった。
小学校の高学年になる頃から洋画を見るようになった。一つは隣家に住む同級生の母親が新宿武蔵野館のモギリをしていて、その友人と一緒だとタダで入れた。もう一つは12歳年上の兄が税務署に勤めていたのだが、入場税の係りだったので管内の映画館だと兄が一緒なら無料で入れた(今なら問題になるだろうけど)。そんな事情からせっせと映画館通いができた。
小学生ボウズといえども男の端くれ、洋画ではついつい女優たちの姿に眼が行ってしまう。その頃に見た映画に『空中ぶらんこ』(Trapeze)がある。ハリウッドの人気スターだったバート・ランカスターとトニー・カーチスが主演だったが、助演のジーナ・ロロブリジーダの美しさに目を奪われた。

Photo

世の中にこんな綺麗な人がいるのかと。美人なのは勿論のこと、日本人とは体形が違い見とれてしまった。後からDVDなどで確認すると空中ブランコのシーンはスタントを使っているが、簡単なロープを使った芸やトランポリンでの回転などは本人が演じている。
題名通りのサーカスの空中ぶらんこ乗りの物語で、通俗的なストーリーながら娯楽作品としては良く出来ていたが、この作品はジーナの魅力抜きでは語れない。
スチールを見ると近ごろの女優やタレントに比べるとふっくらとしているけど、私は女性の美しさは曲線美だと信じている。なにか割り箸を並べたような足を見せて「美脚」を押し売りする傾向があるが、本当の美脚はジーナの様な足を言う。
その後、彼女が映画『美女の中の美女』(La donna più bella del mondo)に主演していると聞いて、タイトル通りだと思った。この作品の中では歌手の役で歌を披露している。吹き替えの様だが、ジーナは歌手としてもショーやTV番組に出演しており、歌には自信があったのだろう。
『ノートルダムのせむし男』(Notre-Dame de Paris)ではエスメラルダ役で広場でのダンスシーンがあるが、官能的で見事な踊りを見せている。  
エキゾチックで野性的な魅力から、『ノートルダム・・』や『花咲ける騎士道』(Fanfan la Tulipe)(初期の初々しいジーナの姿が見られる)ではジプシー娘を、『パンと恋と夢』(Pane, amore e fantasia)では逞しい村娘を演じているが、後年の作品に比べこれら初期の作品の方が彼女の魅力が際立っていたように思う。  
ソフィア・ローレンと並んでイタリアの国民的映画女優であるジーナ・ロロブリジーダは80歳過ぎた今も健在で、youtubeなどでは可愛らしいオバアさんの姿が見られる。

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