映画・テレビ

2009/11/11

森繁久彌の死去を悼む

11月10日森繁久彌(弥)が亡くなった。96歳だった。
「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエ役を、引退する前年1985年に家族揃って観たのを思い出す。ブロードウェイのミュージカルではあるが、これは紛れもなく森繁さんの芝居だった。
森繁久彌という人は、純日本風というよりは大陸の匂いのする人で、だからテヴィエ役が似合ったのだろう。
何をやらせても上手い人で、マルチタレントのはしりだった。

森繁久弥という名前を初めて知ったのはラジオだった。
NHKの人気番組「愉快な仲間」や「日曜娯楽番」で軽妙なボードビリアンぶりを発揮し、後者の番組の中で挿入歌「僕は特急の機関手で」を歌って(合唱)いる。
歌といえば、NHK紅白歌合戦にも何度か出場している。
当時の紅白には、いうなればコミックソングみたいな特別枠があって、毎回珍妙な歌を披露していた記憶がある。

森繁さんをスターダムに押し上げたのは、1950年代に始まった喜劇映画「社長シリーズ」だ。彼が持っているある種のバタ臭さが、東宝の都会派喜劇にピッタリだった。
細かな筋はいちいち思い出せないが、女性のお尻を撫でるシーンがお定まりで、その撫で方が実に上手いのだ。
「綺麗だよ」「可愛いよ」という、いわば挨拶代わりにツルッとお尻を撫でていて、とてもスマートに見えた。セクハラなどという概念が無かった時代だった。
当時の女優さんたちからは、「半径10m以内には近付かない」と云われていたようだが、普段からよほど稽古を積んでいたんだろう。
意外に思われるだろうが、時代劇にも出ていて、森の石松は当たり役だった。

演技者としても森繁久弥で印象に残るのは、なんといっても映画「夫婦善哉」だ。「おばハン、頼りにしてまっせ」というセリフが流行語になった。
「猫と庄造と二人のをんな」でもそうだが、生活力のないボンボンで、どこか憎めなくて女性の母性愛本能をくすぐるような役が上手かった。
そうかと思うと「警察日記」では、一転して田舎の巡査を好演して、芸域の広さを見せた。

1970年以降は活躍の場はTVや舞台に移るが、芸人としての森繁久弥の全盛は、1950年から20年間だっと思う。

森繁さんといえば忘れてならないのがヨット「メイキッス」号だ。
一度だけ葉山のヨットハーバーで見かけたことがあるが、見上げるような船体の偉容にビックリした。

晩年になってから番組の名前は忘れてしまったが、「戦友」を一語一語かみ締めるように歌っていた姿を思い出す。
若いころ、きっと言い尽くせないような苦労をされたのだろう。

ご冥福をお祈りする。

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2009/04/08

「地デジ化」という弱者いじめ

昨年の夏ごろからだろうか、我が家のTV画面の右上に「アナログ」という表示が現れるようになった。NHKの場合、綜合、教育、衛星放送など全ての番組に表示がされている。
言うまでもない、「お前の家は未だにアナログ放送を受信しているので、早く地デジに切り替えろ。」いう嫌がらせだが、TV局はどうしてこんな脅迫まがいの手口を使うのだろう。
我が家のTVは今でも、アナログ、厚型、スタンダードという「TV弱者」だ。
いちいちTV画面で警告されなくとも、自分のところがアナログだという事は百も承知なのだ。でも何ひとつ不自由はしていないし、地デジに切り替えなくてはいけない義理もないから、そうしているだけなのだ。
放っといて欲しい。

デジタル放送を決して否定するものではない。
ただ、自分がデジタルだから、あなた方もデジタルにしろという強制に納得がいかないのだ。
総務省は「2011年7月24日までに現行のアナログテレビ放送を終了する。」と勝手に決めてしまった。
今はアナログとデジタルが共存し、視聴者が自分の判断でどちらかを選んでいる。それで良いのではないか。
なぜアナログ放送を終了してしまうのか、選択肢を奪い強引に全てを地デジ化する、そこが問題なのだ。

それでは総務省のHPから、「なぜデジタルなの?」の解説を見てみよう。
【引用始め】
・多様なサービスを実現
現代の生活のなかで最も身近な「テレビ」もテレビのデジタル化によって、今までにない多様なサービスを実現します。
地上デジタルテレビ放送では、デジタルハイビジョンの高画質・高音質番組に加えて、双方向サービス、高齢者や障害のある方にやさしいサービス、暮らしに役立つ地域情報などが提供されています。
また、携帯電話、移動体向けのワンセグサービスも開始されています。
・電波の有効利用
電波は、もう、目いっぱい使われています。
通信や放送などに使える電波は無限ではなく、ある一定の周波数に限られています。現在の日本では、使用できる周波数に余裕がなく過密に使用されています。
デジタル化すればチャンネルに余裕ができます。
デジタルテレビ放送では大幅にチャンネルを減らすことができます。空いた周波数を他の用途への有効利用が可能になります。
・世界の潮流
地上デジタルテレビ放送は1998年にイギリスで最初に開始されました。現在は欧米ではアメリカ、ドイツ、イタリアなど、アジアでは韓国、中国、ベトナムなど、世界の20以上の国と地域で放送されており、デジタル放送は世界の潮流となっています。
・情報の基盤
地上デジタルテレビ放送対応テレビをネットに接続し、より多くの情報を得ることができます。テレビをデジタル化することで、誰もが情報通信技術の恩恵を受けられるような社会にすることは国の重要な未来戦略であり遅らせることのできない施策です 。
【引用終り】

【反論】
(1)TVに高画質、高音質を求めるかどうかは、利用者の趣味の問題だ、現状で十分だという人の意見は無視するのか。TVの双方向サービスとやらも、大きなお世話である。
(2)暮らしに役立つ地域情報というのは、通信技術の問題ではなく、コンテンツの問題だ。デジタル化によって番組内容が向上するわけではない。
(3)空いた周波数を他に有効利用とあるが、現在どんな障害が起きていて、将来どんな事に利用しようとしているのか、それが国民生活にとってどれだけ有効なのか、全く説明がない。
(4)世界で20カ国ということは、未だ世界の1割しか導入されていないということだ。なぜこれが「世界の潮流」と決め付けられるのか、意味不明である。
(5)地デジをネットに接続とあるが、これなど噴飯ものだ。別にTVを接続しなくとも、利用者としては何ら痛痒を感じない。
(6)これらの説明はいずれもデジタル放送の特質を述べているもので、アナログ放送を終了させる理由は一切触れられていない。
以上のように総務省は、理由にもならない三百代言を並べ立て、「御上の威光」を振り回して全国民に地デジを押し付けようとしている。

こうした総務省の強引な手口の裏には、隠された理由があるのだろう。
これは推定だが、恐らく次の二つだと思われる。
(1)総務省官僚の放送産業への天下りの確保。
(2)デジタル化推進議員に対する電気・通信産業からの政治献金。
早く言えば、国会議員の金集めと官僚の天下りのために、私のようなTV弱者を犠牲にしようとしているわけだ。
それを「高齢者や障害のある方にやさしいサービス」のためなどと、心にもないことをほざいている。
こういうのを「お為ごかし」という。

総務省の「2011年7月24日までに現行のアナログテレビ放送を終了する」という方針を撤回することを、強く要求する。

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2009/02/23

祝!「おくりびと」アカデミー外国語映画賞受賞

本日、第81回アカデミー賞の発表・授賞式が行われ、外国語映画部門で滝田洋二郎監督の「おくりびと」が受賞しました。この部門での日本映画の受賞は始めての快挙となりました。
今日は朝から家族の者に、「絶対に『おくりびと』が選ばれるから」と宣言していたので、何だか私まで嬉しさ一杯というところです。

映画をご覧になった方はご存知のとおり、「おくりびと」には人間の「生と死」と、「家族愛」という二つの大きなテーマが描かれていますが、これは世界中どこの国の人々にとっても普遍的なテーマです。
同時にこの映画が、日本人の死生観を色濃く映し出しており、こうした点が高く評価されたのだと思われます。

この映画は主演の本木雅弘が10年以上前から映画化を目指していた企画で、彼の納棺師の演技にはそうした執念が感じられました。
また巨額な資金を投入し大作を作ってきたハリウッド映画界に、一石を投じるものとなるでしょう。
先ずは滝田監督をはじめスタッフ、出演者の皆様に心より祝意を表したいと思います。

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2008/09/24

日本映画の秀作「おくりびと」

Motoki今年カナダで開かれたモントリオール世界映画祭でグランプリを授賞した話題の映画、「おくりびと」を観に行く。
ここ数年映画といえば年に1回くらい、それも日本映画しか観ていないのだが、その大半がその年の邦画ベスト・ワンに選ばれている。つまりハズレが無いわけだ。それならもっと沢山の映画に行けば良いのだろうが、どうも舞台や寄席のナマの魅力には勝てないのだ。

さて「おくりびと」だが、ストーリーはチェロ奏者の夢を絶たれた男(本木雅弘)が、妻(広末涼子)の美香を連れて故郷の山形に戻り、求人広告で見つけた仕事に就く。処が、その会社の仕事というのが遺体を棺に納める納棺師。社長(山崎努)の下でアシスタントとして日々納棺の作業を続ける破目になる。
友人からは蔑まれ、妻には去られ、何度か挫折しそうになるが、やがて納棺師の仕事が、誰しも避けて通れない死への旅立ちを「おくる」大事な仕事であることに気付き、人間的にも成長してゆく。

主役の本木雅弘の発案だそうだが、納棺師という聞きなれない職業にスポットを当てた着想が、先ず良い。
棺の蓋が閉って初めて人間の評価が定まると言われるが、確かに人生の最期をどう迎えるかは、その人の過去の総決算だと言えるだろう。
映画は、人の死生観が問われるような重いテーマを投げかけているにも拘らず、小山薫堂の脚本と滝田洋二郎監督の演出は、親子の情、夫婦の絆や友情などをちりばめ、泪と笑いを誘いながら、爽やかな感動を与えてくれる。
背景となる庄内平野(山形県酒田市)の自然の美しさと、久石譲の音楽がストーリーを盛り立てていた。

俳優では社長役の山崎努の演技が断然光る。亡き妻の遺影の前で食事をする時や、主人公の弾くチェロの演奏を聴くときの表情の上手さ、溜め息が出る。
本木雅弘も好演で、かなり練習を積んだのだろうが納棺の手捌きが実に鮮やか。私の時もこういう人に頼みたくなった。チェロ演奏の形も堂に入っていた。こうしたディテイルが映画の質を左右するのだ。
事務員役の余貴美子の存在感が光る。過去を持つ陰を背負った女を演じきった。
火葬場の職員を演じた笹野高史が、相変わらず渋いところを見せていた。
それと、冒頭シーンでの遺体の役を演じた白井小百合、あれだけ弄くり回されたのに微動だにしない。拍手。
広末涼子に色気が出てきたが、あの台詞回しがどうもねえ。

メッタに映画に行かない人間が言うのもナンだが、この作品も今年のベスト・ワンではなかろうか。

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2007/12/09

こんなものイラナイ「街の声」

Shinbashi_ekiTVのニュース番組などで、ある出来事を報道した後「街の声をきいてみました」と称して、街頭インタビューを紹介するのが一つのパターンになっていますが、あれってどういう意味があるんでしょうかね。
「ガソリン代が過去最高を記録しましたが」という質問に答えて「困りますね、何とかして欲しいです」。「年金の横領について、どう思われますか」「絶対に許せない」。確かにその通りでしょうが、報道する価値がどこにあるんでしょう。
仮に「ガソリン代はもっと高くして」とか、「年金横領はこれからも続けて」という声があったらニュース価値があるでしょうが、まあ放映されませんね。

私が勤めていた会社が一時期新橋駅の近くにありましたが、駅前広場では毎日のようにどこかのTVクルーが街頭インタビューを行っていました。沢山の人が待ち合わせで立っているので、意見を聞きやすいんです。現に各局のニュースの「街の声」では、必ずといって良いほど新橋駅前でのインタビューが写ります。
でも時々TV局の仕込み(サクラ)が配置されていますので、この場所での「街の声」は要注意です。

面白いのは、内容によってインタビューする場所が変わることで、先の新橋駅前は事件や芸能、スポーツなどの題材によく使われます。
これが政治や経済問題となると東京駅の丸の内側の通称三菱村とよばれる一帯か大手町、または日比谷などが選ばれています。
朝青龍だの亀田一家だのというと新橋、大連立だの円高だのというと丸の内や日比谷と、ちゃんと棲み分けがされているんですね。ここにも格差社会が存在します。
TV局としては、何も国民のナマの声を集めようなどとは露ほどにも考えていません。要は絵になっていて、局の方針に沿った「街の声」が集められば良いのです。

似ているものにアンケート「100人にききました」というのがあります。
以前ある作家が、売れない時期に「100人アンケート」を一人で作っていたと告白していましが、そんなものなのでしょうね。
あらかじめアンケート結果は決まっているのですから、一人でも作れるわけです。
街の声にしろ、アンケートにしろ、所詮は結論に対するお飾りでしかありません。

これとは少し違いますが、事件がおきて容疑者が捕まると、近隣の人に「どんな人でしたか」ときいて回る場面が写りますが、あれも意味が分からない。
TVの「水戸黄門」じゃあるまいし、外見からして悪人などという人は極めて少数で、ごく普通の人が凶悪な事件を起こすのが一般的です。顔に殺人鬼などと書いている人は先ずいません。
「この男、普段はごくごく普通の生活ぶりだったようです」などと解説されても、何の役にも立ちません。
以前、男が大便を容器につめて通行人の女性にかけるという事件がありましたが、犯人はごく普通のサラリーマンでした。近所の人がインタビューで、「そんな事をする人のようには見えなかったですよ」と言ってましたが、当たり前です。見るからに大便をかけそうな人間がいたら、そっちの方が恐い。

先日容疑者が捕まった香川県坂出市の殺人事件では、被害者の父親が犯人と名指しするような報道がありました。父親へのインタビューには明らかな悪意がこもっており、容疑が明らかになれば、そのまま犯人の映像として使えそうなカメラワークでした。
私は昔から思っていることですが、被害者の家族へのインタビューは、代表取材にすべきです。それでなくても、家族の方は警察から事情聴取されるなど、大きな精神的負担を負わされます。
家族の了解を得て、代表の記者が単独でインタビューし、これ以外の取材は自粛する、それで十分だと思います。

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2007/08/08

田原総一朗様、いつ後を追うんですか?

Tahara_soichiro田原総一朗様、あなたは2001年に「私たちの愛」という本を出版なさいましたね。
当時乳ガンと闘っておられた奥様節子さんとの40年間の愛の記録、素晴らしいご本でした。
なかでも感動したのは、この本の副題ともいうべきあなたのお言葉、
「ぼくは君が死んだら、すぐに後を追うよ」です。
TVで拝見する外見からは想像もつかない、純粋なあなたの姿を、そこに見ることができました。

本が出版されて3年後に、ご不幸なことに奥様はお亡くなりになりました。
私たちは、田原総一朗様の「ぼくは君が死んだら、すぐに後を追うよ」という決意を信じて、毎日新聞の記事に眼を通して参りましたが、未だにその兆候が見られません。
これは一体どういうことなんでしょうか。
まさか、病床にあった奥様に対する、その場しのぎのセリフだったんじゃないでしょうね。
それじゃあまるで、落語の「三年目」です。
あなたに限ってそんな事は絶対に無いと、私たちは固く信じています。

「すぐに・・・」という時期はいささか失した感がありますが、田原総一郎様のお人柄からして、奥様とのお約束を必ずや実行して下さるものと、国民一同固唾をのんで見守っております。

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2007/07/09

「アンパンマン」のテーマは悲しきラブストーリー

DokinTVの幼児番組というのは、自分の子供が幼い時に見る機会があっただけですが、ここ数年は孫のお守りをしている関係から、久々にNHK教育TVの「からだであそぼ」やアニメ番組に付き合っています。
毎日のように見ているとこれがなかなか面白いんです。

幼児番組といえども、作りは大人向けのものと余り違わないことに気付きます。
「クレヨンしんちゃん」は、毎回シモネタ満載で、子供より先にこっちがニヤッとしてしまう。
「ドラえもん」でのしずかちゃんの入浴シーンは、「水戸黄門」の由美かおるのそれと二重写しになります。

「それいけアンパンマン」というアニメも、実際に見るようになって随分と印象が変わってきました。
アンパンマンは単なる狂言回しで、実際の主人公は、毎回手を変え品を変えアンパンマンたちに悪さを仕掛ける「ばいきんまん」と、その相棒の「ドキンちゃん」です。
ドキンちゃんが、あれが欲しいあれが食べたいとオネダリすると、その望みを叶えるべく、ばいきんまんが知恵を絞って奮闘努力する。
しかし最後は正義の味方アンパンマンの“アーンパンチ”を食らって、バイキン城に飛ばされて終わりというのが毎回のお約束です。

キュートだがやたら他人のモノを欲しがる女の子ドキンちゃんの、まるで女王様気取りのわがままを全て受け入れ、ばいきんまんはひたすら努力する。
しかし最後は必ず失敗に終わるわけで、ドキンちゃんからは感謝されたためしがない。
人間社会でいけば、ばいきんまんは風采が上がらぬ中年男、ドキンちゃんは20才前後のピチピチギャルというところでしょうか。
いくらブランドものを買ってやっても、高いレストランへ連れて行っても、いくら尽くしてもサッパリ相手はなびいてくれない。
美女と野獣、ノートルダム・ド・パリ、人類永遠の愛のテーマですね。
しかもドキンちゃんには、「しょくぱんまん」という意中の人がいます。
永遠に報われぬ愛に苦しむばいきんまん、涙無しでは見られません。

その一方でばいきんまんは、敵方の可憐な少女「めろんぱんな」にも、ほのかに好意を寄せています。
片方でコケティッシュな女性に惹かれながら、同時にもう一方では可憐な女性が好きになる、この辺りはビミョーな男心を衝いています。
「ウン、分かる、分かる」とうなずいている男性諸氏もおられるでしょう。
かつての苦い思い出が蘇ってくる男性も少なくないと思います。
「それいけアンパンマン」は、中年男の悲しきラブストーリーなのです。

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2007/02/18

他人事ではない、映画「それでもボクはやってない」

Soredemo男性であれば、いつでも誰でも痴漢の被疑者になり得ます。
以前会社にいた同僚が通勤電車内で痴漢の疑いをかけられ、随分と悩んでいたことがあって、痴漢の冤罪事件について考えさせられました。
それと、私は若い頃ある民事事件に係わり、証人として法廷に立った経験があるので、裁判制度に強い関心を持っています。

周防正行監督が11年ぶりにメガフォンをとった作品は、痴漢の冤罪事件を題材にして、日本の刑事裁判の実態を鋭く描く意欲作となりました。

ストーリーは、主人公のフリーターが、満員電車で女子中学生から痴漢の疑いをかけられます。駅員室に連れて行かれた青年は、身に覚えのない痴漢を頑強に否定しますが、間も無く警察がやってきてそのまま留置されます。
あくまで否定し続ける青年は長期間勾留され、やがて起訴されて裁判を受けることになります。
ようやく彼が痴漢をしていなかったと証言してくれる女性が現れ、無罪を確信して判決を迎えるのですが・・・・・。

映画の中で語られている通り、日本の刑事裁判の99.9%は有罪判決です。又被告が無罪を主張した裁判でも、97%は有罪判決が出されています。
つまり刑事事件で起訴されれば、先ず有罪になってしまうというのが、我が国の刑事裁判の実情です。
日本においては「疑わしきは罰せず」とは絵空事で、原則は「疑わしきは罰する」なのです。

この理由も映画の中で語られているように、有罪になれば検察や警察の顔が立つ。無罪なら被告が喜ぶ。裁判官としてはどっちを採るかといえば、もちろん前者です。
一審で無罪判決を出しても、上級審で覆されるケースが多く、そうなると裁判官自身の査定に係わります。
もう一つ、裁判官の能力が処理件数で評価される結果、早く判決を出そうとする傾向があります。
あれやこれやで、有罪判決を出すのが無難という結論になるわけです。

我が国の過去の冤罪事件で、最も大きなものは「松川事件」でしょう。
事件の経過は省きますが、一審では被告の中の5名が死刑、5名が無期懲役という判決でした。
最終的に、被告たちが無罪となる決定的な証拠を検察が隠していたことがバレて、最高裁で差し戻しとなり、14年の歳月を経て全員の無罪が確定した事件です。
この事件の最高裁では、確か1票の差で差し戻しとなったと記憶しています。もしあと1人の裁判官が有罪と判断していたら、彼らは死刑になっていた可能性が大きいわけで、そう考えると慄然とします。
それと当時、中央公論や文藝春秋といった総合雑誌が、弁護団側の意見を積極的に掲載していたことも、大いに影響したと思われます。
今では全く期待できないですけどね。

この他、留置所での非人間的な取り扱い、罪を認めれば直ちに釈放される一方、否認していると微罪でも数ヶ月間勾留されてしまう現在の制度についても、リアルに描かれています。

日本の刑事裁判のあり方は、以前から問題とされてきましたが、なかなか大きな世論にならなかった。被告に対する非人間的な取り扱いについても、悪い事をしたんだから当然という空気がありました。
しかし、私たち誰でもがその被告席に立たされる可能性があると考えると、決して今のままで良いとは言えません。
そうした中でこの映画が公開され、沢山の人々が刑事裁判の実情を知ることは、とても意義のあることです。

映画の出来ですが、ネットで見ても評価が分かれているようで、テーマを重視して観た人は評価が高く、映画そのものを評価した人は点数が辛い。
概ね妥当な所だと思います。

出演者では主人公の友人役の山本耕史が爽やかな演技で好演。留置房のオカマ役の本田博太郎の怪演に存在感があり、事件の判決を下す裁判官役の小日向文世にリアリティがありました。
他に痴漢被害者の女子中学生役の柳生みゆが可憐。

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2007/02/08

「捏造・ヤラセ発覚!まだある大事典」

Minomonta_1どうしてこうも懲りないものかと呆れるのがTV業界です。
今度はTBSの番組「人間!これでいいのだ」で、捏造・ヤラセが発覚しました。
2月3日夜放送された同番組では、2万ヘルツを超える高周波を含む「ハイパーソニック音」を聴くと、アルファ波という脳波が出て集中力や記憶力が高まる可能性があると紹介しました。
「頭が良くなる音」だそうですよ。
そんなこと、有る訳ないでしょう。

番組の中で、生徒に風鈴の音を聞かせている学習塾のシーンがありましたが、実際には番組の制作スタッフが持ち込んだ風鈴を下げて撮影していたことが分かりました。TBSは「行き過ぎた演出で視聴者に誤解を与えた」と言っていますが、普通こういうのをヤラセというのです。

ここでも研究者の見解が紹介されていましたが、事前に番組スタッフがその研究者とコンタクトした時には、「記憶力向上には結びつかない」とはっきり断っていました。
それを研究者に無断で、異なった見解を紹介したのですから、性質が悪い。
こういうのを普通は捏造と呼ぶんです。

関西テレビの「発掘!あるある大事典2」の捏造・ヤラセが、あれだけ大問題になっているにも拘らず、こうした不正な行為をするのですから、もう確信犯ですね。

TBSではもう一つ、1月24日放送の「緊急特番!みのもんた激ズバッ!」が問題となっています。
みのもんた自身が、財政破綻した北海道・夕張市に出向き、地元の人々の声を聞くという企画で、「男泣き」「涙の夕張レポート」などと報じられていたものです。
処が、番組内で82歳の女性が、みの氏に偶然目に止められ「大変だね、雪かき」と声をかけられシーンがあったそうですが、実は事前に「雪かきのリハーサル」を何度もやらされたのだそうです。
典型的なヤラセ。

ついでにお断りしておきますが、人間は訓練すると涙はいつでも出せます。
私は学生時代、素人芝居をやっていましたが、舞台でいつでも涙が流せました。
俳優やタレントの涙は演技ですから、くれぐれも騙されないように。

みのもんたと言えば、日本テレビの例の「おもいっきりテレビ」がありますが、この番組についてみのもんたは、「私のやってる健康番組、20年続きました『おもいッきりテレビ』、なぜ続いたと思いますか? 捏造だとか、ウソだとかは通用しないんです」 と語っています。
しかし群馬大学の高橋久仁子教授によれば、インタビューで「『おもいッきりテレビ』も『あるある』と同じぐらいひどい」と語っています。

その例として高橋教授は、2004年3月8日放送の「怖い糖尿病にならないために」で引用された学術論文が、次のように改変されていたと指摘しています。
・「食後に大量のシナモンを摂取」が「食事に少量のシナモンを加える」に
・「アルコールを適度に飲む」が「アルコールを毎日、適度に飲む」に(しかも、みのもんたが「ビールが最高にいい」と発言)
・「マグネシウムを多く摂っている」が「ナッツを多く摂っている」に

やっぱり、「おもいっきり」捏造やっていました。

以前、「くまえり」と称する女が、自分のブログのアクセスを増やそうと近所に放火し、それを撮影してネットで公開、逮捕されましたが、TV局の人間の頭の構造というのは、「くまえり」と何ら変らない。

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2006/04/20

春歌が溢れる映画「寝ずの番」

Nezunoban
4月15日に鈴本演芸場へ、桂三枝が鈴本初登場ということで満員の客でした。豪華な顔ぶれの割に中身が薄く、全体としては不満が残りましたが、お目当ての三枝だけは、さすがでした。私は三枝は2回目でしたが、今回の高座は少々お疲れの感がありましたが、そのサービス精神だけは客席に十分伝わり、お客は満足して帰ったと思います。
東京ではなかなか見る機会が少ないのですが、上方の落語家は総じてサービス精神が旺盛で、とにかく愛嬌があります。高座の出でも、東京の噺家は横向きに出てきて、座布団に座った時に客席を眺めますが、上方の噺家は三枝のように、高座に出た段階で客席に一礼する人が多い。
演芸の主体が漫才だという大阪と、落語が主役の東京の違いなのでしょう。
その上方の落語家の世界を描いた映画「寝ずの番」が、現在公開されています。

原作は一昨年52歳の若さで急逝した異色の作家中島らもの小説で、監督はマキノ(津川)雅彦です。マキノの祖父省三は日本映画の父ともいうべき名監督でしたし、叔父雅弘は監督として生涯261本の作品を映画史に残した娯楽作品の名手でした。
マキノ雅彦は日本映画の伝統である「洒落と粋」を再現させたいと、この映画作りに取り組んだそうです。

ストーリーは寝ずの番つまりお通夜をテーマに、上方落語家の重鎮、その一番弟子、師匠の女将さんが次々と亡くなり、そのそれぞれの通夜の席で、所縁の人々が故人の思い出話をするというものです。その大半がいわゆる猥談ですから、ボッカチヨの「デカメロン」のような趣です。
又映画の作りは、かつて伊丹十三が監督した「お葬式」に似ていて、遺体の目から会葬者を見上げるショットは、同じ手法を使っています。
R-15に指定されているのは、映画の始めから最後まで、放送禁止用語がマンサイのせいでしょう。
この映画の本当の主役は春歌(春の歌ではありません。ワイセツな歌詞の歌、Y歌です。)です。
私たちが若い頃は、宴会といえば春歌が定番でした。しかし最近は、とんと聞く機会が減りました。多分若い人は、耳にする機会も無いでしょうね。
このまま行けば、日本の伝統文化の一つである春歌が、絶滅しかねない。今回の映画制作者には、そうした危機感があったのではないでしょうか。
特に最終シーンで、昔売れっ子芸者だった女将さんの通夜に、昔の馴染客であったタクシー運転手が弔問に来て、落語家とその奥さんたちと、延々と春歌合戦を繰り広げ、歌い踊り狂うシーンは圧巻で、可笑しくて可笑しくて涙がでました。

この映画のもう一つの魅力は、キャスティングの妙です。
中井貴一や木村佳乃といった俳優に、春歌や隠語を連発させている意外性もありますが、師匠を演じる監督の実兄長門裕之(久々にスクリーンで見ました)、一番弟子役の笹野高は揃っての名演。
そして何と言っても女将さんを演じた富司純子のなんという上品な色香。自分の通夜に芸者姿で登場して、春歌版「十三夜」を舞うその美しさと香りたつような色気、短いシーンでしたがウットリと見とれていました。

日本映画の良さを残して行きたいという、映画作りの熱気が感じられる作品でした。

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