音楽

2022/03/25

ウクライナ民謡「小さなグミの木」

ウクライナ民謡の中で、日本で最も親しまれていたのは「小さなグミの木」です。
若い頃は、歌声喫茶でよく歌いました。
女性をグミに例え、樫の木に例えた男性への切々とした思いを歌った美しい曲です。
下記のタイトル部分をクリックすると、YOUTUBEに接続します。

「小さなグミの木」

1.
なぜか揺れる 細きグミよ
かしらうなだれ 思いこめて
かしらうなだれ 思いこめて

2.
広き川の 岸をへだて
高き樫(かし)の木 ひとり立てり
高き樫の木 ひとり立てり

3.
グミの想い 樫に伝えん
わが身ふるわせ 語るときに
わが身ふるわせ 語るときに

4.
細き枝を 君によせて
日ごとささやく 若葉のこえ
日ごとささやく 若葉のこえ

5.
グミの心 とどかざれど
永遠(とわ)の願いは やがて結ばん
永遠の願いは やがて結ばん

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2022/03/08

Обращение к российским солдатам.

Люди дома.
Мы ждем ваших новостей.
Мы ждем вашего возвращения.
На далеких, чужих полях сражений.
Прекратите борьбу.
Убийство невинных людей.
Давайте больше не будем этого делать.
И вернуться домой.
Обнимайте своих близких.

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Песни изгнания

1
Красивые горы, красивые реки.
Погоня и преследование, бесконечный путь.
Дорога полна слез, счастья нет.
За пределами страны и в стране
2
Где дом? Где мои родители?
Страна украдена, родственники убиты.
Блуждание, дрейф, некуда идти.
За пределами страны и в стране
3
День радости, страна сокровищ.
Ноги, растоптанные под ногами Голод и страдания
Дни закончатся, гнев содрогнется.
За пределами страны и в стране

(Переведено с помощью www.DeepL.com/Translator )

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Song of exile

1
Beautiful mountains, sweet river
Chased and pursued, endless journey.
The road is filled with tears, and there is no happiness.
Out of the country and in the country
2
Where is home? Where are my parents?
Our country's been stolen, our people killed.
Wandering, drifting, nowhere to go
Out of the country, in the country.
3
A day of joy, a land of treasure.
Feet trampled underfoot Hunger and suffering
Days will end. Anger will tremble.
Out of the country and in the country

(Translated with www.DeepL.com/Translator)

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2022/02/27

私の好きな「あの歌・あの歌手」この1曲【邦盤】

今回は邦盤の好きな歌・好きな歌手をとりあげてみました。選曲は、我ながら雑然としたものになってしまいましたが、青春時代に聴いていた曲が多いようです。
さて、あなたの好きな歌、好きな歌手は?

アントニオ古賀「その名はフジヤマ」
いしだあゆみ「あなたならどうする」
井上陽水「いっそセレナーデ」
島倉千代子「からたち日記」:島倉にしか歌いこなせない
ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」:海外でも人気が高い
ダークダックス「花のメルヘン」
もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」
トニー谷「さいざんすマンボ」:知る限り最高のボードビリアン
岸恵子「ハワイの夜」:和製ハワイアンの傑作
美空ひばり「ひばりの佐渡情話」 :ひばりにしか歌いこなせない
田端義夫「ふるさとの燈台」 
松島詩子「マロニエの木陰」:昭和12年にこんな素敵な歌が
ロス・インディオス&シルヴィア「別れても好きな人」:シルヴィアのフェロモン
テレサテン「愛人」
伊藤久男「山のけむり」:八ヶ岳で炭焼きをした時この歌が浮かんできた
藤山一郎「影を慕いて」
水原弘「黄昏のビギン」
岡晴夫「青春のパラダイス」:暗い戦後を明るく照らした”岡パラ”
岡本敦郎「リラの花咲く頃」:ロマンチックな抒情歌
三橋美智也「あゝ故郷」:歌中に啄木の短歌”やわらかに 柳青める 北上の 岸辺眼に見ゆ 泣けと如くに”が吟じられているが、旧北上川を散策していたら岸辺に柳がそよいでいて、啄木もこの景色を見ていたんだと感慨深いものがあった
音丸「船頭可愛や」:日本調歌謡の代表作
加山雄三「旅人よ」
灰田勝彦「鈴懸の径」:元祖キャンパスソング
岸洋子「希望」
ペギー葉山「学生時代」
近江俊郎「南の薔薇」
織井茂子「君の名は」
五木ひろし「夜空」
五輪真弓「恋人よ」
江利チエミ「さのさ」:柳家三亀松仕込みの本寸法
荒木一郎「いとしのマックス」
高峰三枝子「懐しのブルース」 :元祖歌う映画スター
菅原洋一「今日でお別れ」
坂本九「サヨナラ東京」:九ちゃんの隠れた名曲
ダニー飯田とパラダイスキング「カプチーナ」:増田多夢の歌唱がいい
山口百恵「秋桜」:この曲を聴くたびに涙腺がゆるんでくる
小畑実「星影の小径」
コロムビアローズ(初代)「渡り鳥いつ帰る」
小林旭「惜別の唄」
石原裕次郎「鷲と鷹」
ピンキーとキラーズ「星空のロマンス」
大橋純子「シルエット・ロマンス」
中森明菜「セカンド・ラブ」
石川さゆり「天城越え」
日野てる子「夏の日の想い出」
二葉あき子「巴里の夜」:和製シャンソンの傑作
奈良光枝・近江俊郎「悲しき竹笛」:奈良は元祖美人歌手
はしだのりひこ「風」 
北原謙二「星をさがそう」
松山恵子「未練の波止場」:あのクサさが堪らない
霧島昇「夢去りぬ」:和製タンゴの傑作
岸洋子「夜明けのうた」
来生たかお「夢の途中」
林伊佐緒「麗人草の歌」:元祖シンガーソングライター
ビリーバンバン「さよならをするために」
森進一「襟裳岬」
竹山逸郎・藤原亮子「誰か夢なき」
三浦洸一「踊子」:歌詞が小説のダイジェストになっている

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2022/02/19

私の好きな「あの歌・あの歌手」この1曲【洋盤】

好きな歌・好きな歌手をとりあげてみました。順不同で、懐しい曲が多いのは人間が古いせいです。
アンドレア・ボチェッリ「キサス」
アンディ・ウイリアムズ「いそしぎ」
バーブラ・ストライサンド「ウーマンインラブ」:最も好きな曲
ビートルズ「アンドアイラブハ-」:やはり初期の曲がいい
カーペンターズ「クロズトゥユー」
セザリア・エヴォラ「ベサメムーチョ」:カーボベルデ出身で、素晴らしい声
チェイス・ウエブスター「涙のムーディリバー」
ドメニコ・モドゥーニョ「ヴォラーレ」:ご機嫌な歌
ドリス・ディ「センチメンタルジャーニー」:戦後、物心ついてから聴いた初めてのジャズ
イーグルス「ホテルカルフォルニア」:ライブで聴いて感激した
エドムンド・リベロ「エルチョクロ」
エラ・フィッツジェラルド「ミスティ」
エミリオ・ペリコーリ「アルディラ」
エヴァ・キャシディ「枯葉」:歌声に癒されます
ハリー・べラフォンテ「恋のベネズエラ」
ホセ・カレーラス「マリアマリ」
ファン・ディエゴ・フローレス「アマポーラ」
ジュリー・アンドリュース「エーデルワイス」
ジュリー・ロンドン「クライミーアリバー」
マット・モンロー「慕情」
モーリス・シュバリエ「アイラブパリ」:小粋な歌唱が魅力
ナット・キング・コール「トゥヤング」:青春の甘酸っぱい思い出
パティ・ページ「チェンジングパートナーズ」
ペリー・コモ「バラの刺青」
ピーター・ポール&マリー「500マイル」
フランク・シナトラ「夜のストレンジャー」
ビージーズ「若葉の頃」
プラターズ「トワイライトタイム」:夕暮れ時にはこのメロディが頭に浮かぶ
サイモン&ガーファンクル「サウンドオブサイレンス」
トニー・ベネット「想い出のサンフランシスコ」
ライチャス・ブラザーズ「アンチェインドメロディ」
ルイ・アームストロング「ハロードーリー」
イブ・モンタン「パリにて」
ビング・クロスビー「シボネー」
ケルティック・ウーマン「グリーンスリーブス」:天使の歌声
ジーナ・ロロブリジーダ「ラスパニョーラ」:映画『美女の中の美女』の歌唱が印象的
マリリン・モンロー「帰らざる河」:この人の場合、歌唱力はどうでもいい
エルヴィス・プレスリー「今夜は一人かい」
ビリー・ジョエル「素顔のままで」

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2021/03/06

「弘田三枝子」の思い出

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昨年7月に亡くなった弘田三枝子について、病気療養中だったので追悼文が書けず時期を逸してしまった。ポップス系の歌手として私が唯一ライブをみた歌手として思い出深い。
弘田は私の3歳年下で、ライブは20歳の頃にみた記憶があるので、彼女は17歳ということになる。TVで顔を見ない日がない超売っ子だった弘田のショーなど、私の乏しい小遣いではとてもみに行けなかったのだが、当時は労音(未だあるのかな?)の会員になっていてかなり安い入場料だったのが幸いした。
弘田三枝子は14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー、以後「悲しき片思い」「すてきな16才」「ヴァケーション」「渚のデイト」「悲しきハート」「私のベイビー」「砂に消えた涙」「ナポリは恋人」「夢みるシャンソン人形」と次々ヒットをとばしていた。
弘田の特長はパンチ力に溢れた歌唱力で、これは同世代のポップス系歌手に比べ遥かに優れていた。
ライブの時の弘田は司会もゲストも無しで、およそ1時間半ほど一人で歌いまくった。10代の彼女はキラキラと輝いており、はちきれんばかりの肢体だったと記憶している。
自身のヒット曲を中心にしたポップスと、ジャズのスタンダードナンバーを次々と披露し会場を沸かした。声量、歌唱力、表現力とも、とても10代の歌手とは思えない期待通りでの舞台で、さすが8歳の頃から進駐軍のキャンプで歌っていたと言われるだけの事があると思った。その実力は1965年、東洋人歌手として初めてアメリカ合衆国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に招待されたことからも分かる。
1960年代の中頃から大きなヒットに恵まれず、TVへの露出も減っていたが、1969年に「人形の家」のヒットでカムバックした。しかし、整形とダイエット後の弘田は以前とは別人の様だった。
以後はスキャンダラスな報道もあり、かつての弘田三枝子ファンとして落胆することが多かった。
弘田は後輩のミュージシャンたちに大きな影響を与えていて、桑田佳祐は「チャコの海岸物語」の歌詞にある「ミーコ」は弘田を指し、アルバム「綺麗」では弘田の愛称である「MICO」という作品を収録し、彼女をリスペクトしている。
レコードデビュー60周年の年に73歳で亡くなったのは早世の感もあるが、早足で駆け抜けた人生であったのだと思う。

 

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2020/12/25

古関裕而は「国民的作曲家」か?

2020年3月30日から11月27日にかけて、古関をモデルとした「古山裕一」を主人公とするNHK連続テレビ小説『エール』が放映された影響からか、メディアで古関裕而(こせき ゆうじ)がとりあげられる事が増えた。
私の購読している新聞にも、先日「「国民的作曲家 古関裕而」の見出しが躍っていた。
戦後しばらくして、古関に関するある噂を耳にした。この話は数年前にも寄席で芸人がしゃべっていたので、けっこう広まっていたものと思える。
それは次の様な内容だ。

古関といえば戦時中、軍歌、戦時歌謡を最も多く作曲したと言われている。特に1944年にレコーディングした『比島決戦の歌』では、「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」という歌詞が繰り返されている。二人は当時の米軍の司令官で、マッカーサーは陸軍総司令、二ミッツは海軍総司令。
それが敗戦となって日本が占領下に置かれると、マッカーサーは連合国軍(GHQ)最高司令官となって日本を支配することになる。GHQは戦争協力者を戦犯として告発していて、民間人といえども容赦なかった。
世間には古関も戦犯になるという噂が流れ、古関自身も不安になってGHQに接触したところ、「戦犯にはならない、それよりこれからは平和のための曲を作って欲しい」と言われ、『長崎の鐘』を作曲した、というもの。

噂としては良くできており、それだから口から口へと伝わったのだろう。もっとも『長崎の鐘』は1949年の作品であり、古関はそれ以前に『夢淡き東京』『雨のオランダ坂』『三日月娘』『フランチェスカの鐘』などの歌謡曲を作曲しているので、真偽のほどは疑わしい。
戦時中、音楽家の中では軍部に積極的に協力した人、できるだけ距離を置いた人に分かれるが、古関は間違えなく前者だ。
私見だが、古関裕而という人は有能ではあるが常に国策に沿った曲を作って来たように思える。もし共産主義の国になれば、きっと共産主義を讃える歌を作っただろう。それを「国民的作曲家」と呼べるのか、あるいは無節操と言えるのか、どうなんだろう?

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2020/11/05

昭和コミックソング10選

コミックソングとは「滑稽な持ち味の音楽」の総称で、ここでは昭和に作られた曲の中から、私個人の好みで10曲を選んでみた。

『月光値千金』
歌唱:榎本健一 作詞:波島貞 作曲:ラリー・シェイ(原曲: Get Out And Get Under The Moon)
同名の曲が他にもあるので、『エノケンの月光値千金』と呼ばれている。人気俳優(ボードビリヤン)だったエノケンにはヒット曲が多いが、この曲が最も人口に膾炙している。
『うちの女房にゃ髭がある』
歌唱:杉狂児・美ち奴 作詞・星野貞志(サトウハチローの別名)作曲・古賀政男
男女のデュエット曲で、亭主関白の時代に女房の尻に敷かれる男の様子をコミカルに歌ったもの。同じような内容の曲に『モンパパ』(歌唱:榎本健一・二村定一)がある。
『僕は特急の機関士で』 
歌唱:三木鶏郎・森繁久彌・丹下キヨ子 作詞・作曲:三木鶏郎
NHKの人気ラジオ番組「日曜娯楽版」の中から生まれた曲で、『鉄道唱歌』のパロディ。東海道から始まって山陽から九州、東北、北海道まで続くが、最もポピュラーなのは「東海道の巻・コロムビアレコード盤」。
『毒消しゃいらんかね』
歌唱:宮城まり子 作詞・作曲:三木鶏郎
NHKのラジオ番組「ユーモア劇場」では楠トシエが歌ったが、レコーディングは宮城まり子。「目の毒 気の毒 河豚の毒 ああ 毒消しゃいらんかね」のリフレンが印象的だった。
『泣く泣くかぐや姫』
歌唱:河井坊茶 作詞・作曲:三木鶏郎
古典「竹取物語」をパロディにしたもので、かぐや姫が求婚者に出した難題とその結末を題材にしたもの。「泣く泣く かぐや姫 月の出を見て泣きじゃくる」がリフレンされている。後に『吟遊詩人の歌』というタイトルでカバー曲が出されている。
『さいざんす・マンボ』 
歌唱:トニー谷・宮城まり子  作詞:トニー谷・宮川哲夫 作編曲:多忠修
人気のボードビリヤンだったトニー谷の流行語「さいざんす」「家庭の事情」と珍妙な英語を織り込んで、当時流行ったマンボのリズムにのせた曲。ソロバンを片手に踊りながら歌う姿が印象的だった。
『スーダラ節』
歌唱:ハナ肇とクレージーキャッツ 作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶
「わかっちゃいるけどやめられない」のフレーズは流行語ともなった。植木等の父親で浄土真宗の僧侶だった植木徹誠から、この言葉は「人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる」と言われたというエピソードが残っている。
『有難や節』
歌唱:守屋浩 作詞:浜口庫之助 作曲:パブリックドメイン
作曲がパブリックドメインとされているのは原曲が俗謡から採譜したもの。日本教育テレビで放送された「大学は花ざかり」の劇中で守屋が歌い、その後レコーディングされた。「腹がへったら おまんまたべて 命尽きれば あの世ゆき」というフレーズが印象的。
『じんじろげ』
歌唱:森山加代子 作詞:渡舟人 作曲:中村八大
歌詞が意味不明なナンセンスソング。「ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ ドレドンガラガッタ ホーレツラッパノツーレツ マージョリン マージンガラ チョイチョイ」の部分は、明治から大正にかけて子どもたちに歌われていた。明治生まれの私の母は歌詞を憶えていた。
『自動車ショー歌』
歌唱:小林旭 作詞:星野哲郎 作曲:叶弦大
小林旭はコミックソングを多く歌っているが、その中の代表曲。映画「投げたダイスが明日を呼ぶ」の挿入歌だった。「鉄道唱歌」と「東京モーターショー」とを掛けて、ダジャレで自動車の車種・メーカー名を盛り込んだもので、当時は放送禁止となっていた。

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2019/10/23

終戦後の日本人が愛した歌

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「青春歌年鑑(戦後編)1 昭和21年~23年(1946年~1948年) 」という2枚組のコンピレーションアルバムがある。この時代のヒット曲をレコード会社の枠を超えて年代順にコレクションした内容で、タイトルに青春とあるが世代に関係なくヒット曲が選ばれている。昭和20年のヒット曲も含まれており、終戦からおよそ2年の間に、当時の日本人がどんな曲を好んでいたかを伺い知ることが出来る。
【曲目リスト】
ディスク:1
1. リンゴの唄
2. 愛のスウィング
3. 麗人の歌
4. 東京の花売娘
5. 悲しき竹笛
6. 黒いパイプ
7. 別れても
8. かえり船
9. 青春のパラダイス
10. 啼くな小鳩よ
11. 雨のオランダ坂
12. 夜霧のブルース
13. 長崎エレジー
14. 夜のプラットホーム
15. 三日月娘
16. 港が見える丘
17. 泪の乾杯
18. 夢淡き東京
19. 胸の振子
20. 誰か夢なき
ディスク:2
1. 星の流れに
2. 山小舎の灯
3. 懐しのブルース
4. 君待てども
5. 東京ブギウギ
6. 夢去りぬ
7. 長崎のザボン売り
8. 流れの旅路
9. フランチェスカの鐘
10. 南の薔薇
11. 三百六十五夜
12. 恋の曼珠沙華
13. 男一匹の唄
14. 湯の町エレジー
15. 異国の丘
16. 憧れのハワイ航路
17. 小判鮫の唄
18. 君忘れじのブルース
19. 東京の屋根の下
20. さよならルンバ

アジア・太平洋戦争が敗戦となった昭和20年8月から、戦争の深い爪痕が残る中で人々は必死に生きてきた。親を子を兄弟を亡くした人、家が焼かれてしまった人、大陸から命からがら引き揚げてきた人で国中が溢れていた。人々は今日をどう生きるか必死だった時代。
それでも、というか、それだからこそ娯楽への希求心もまた強かった。
昭和20年の10月には松竹歌劇団(SKD)の戦後第1回公演が開かれ、11月には大相撲と早慶戦、12月にはNHKラジオで「紅白音楽試合」(第1回紅白歌合戦)が放送された。
戦時中は禁止されていた外国の映画やレコードがどっと入ってきて、映画館に人が押し寄せ、戦時歌謡から解放された新しい時代の歌謡曲が続々と作られた。
昭和20年にジャズの「センチメンタル・ジャーニー」「ビギン・ザ・ビギン」がヒット。
昭和21年には、洋画の「カサブランカ」「うたかたの恋」などが上映された。

日本国内でも次々と新しい映画が製作され、その主題歌が出演している歌手によって歌われヒットした作品が生まれる。
映画「そよかぜ」から主題歌「リンゴの唄」:出演と歌唱は並木路子
映画「或る夜の接吻」から主題歌「悲しき竹笛」:出演と歌唱は奈良光枝
映画「懐しのブルース」から主題歌「懐しのブルース」:出演と歌唱は高峰三枝子
などが代表的。
他に、曲がヒットしてから同じタイトルの映画が製作されたものが多数ある。

海外からの曲が紹介されると同時に、それらのリズムが歌謡曲に採り入れられようになる。「00の女王」という呼称が生まれた。
「ブルースの女王」淡谷のり子:「君忘れじのブルース
「スィングの女王」池真理子:「愛のスウィング
「ブギの女王」笠置シズ子:「東京ブギウギ」 
他に、この時期はタンゴの曲が目立つ。「夜のプラットホーム」「誰か夢なき」などで、とりわけ「夢去りぬ」はタンゴそのものだ。

戦後を代表する歌手といえば、やはり「おかっぱる」こと岡春夫だ。
青春のパラダイス」「啼くな小鳩よ」「男一匹の唄」「憧れのハワイ航路」「東京の花売娘」と5曲も入っている。
あの突き抜けるような明るい歌声が、当時の人々の琴線に触れたのだろう。

戦争に関連した曲として次の4曲があげられる。
夜のプラットホーム」歌唱は二葉あき子
当初は1939年公開の映画「東京の女性」(主演:原節子)の挿入歌として吹き込んだ曲で、戦時下の時代情勢にそぐわないと発禁処分を受けたものが、戦後に改めて発売されヒットした。出征兵士を見送るという曲想になっている。
かえり船」歌唱は田端義夫
敗戦時にはまだ多くの日本人が大陸に残されていた。およそ660万人もの人々が引き揚げる船の情景、人々の心情を歌ったもの。当時の国民の多くが身内や親類に引き揚げ者がいたので、強い共感を呼んだ。
異国の丘」歌唱は竹山逸郎中村耕造
昭和18年に満州にいた吉田正が、部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲で、戦後シベリアに抑留されていた増田幸治が作詞したもの。非常に強い望郷の思いを歌っている。シベリア抑留者の間で広く歌われていたものが、戦後NHK「のど自慢」の番組を通して広まった。
星の流れに」歌唱は菊池章子
戦後間もないころに、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に載った女性の手記で、従軍看護婦だった女性が奉天から引き揚げてきたが、家も家族もすべて失われたため、「夜の女」として生きるしかないわが身を嘆いていたというものだった。これを読んだ作詞家の清水みのるは、戦争への怒りや、やるせない気持ち、こみ上げてくる憤りをたたきつけるように作詞した。歌詞の中では明確にされていないが、女性は「パンパン」(米国兵相手の街娼)と見られる。鬼畜米英のスローガンで戦ったのが、戦争が終わるとその米兵相手に身を売らねばならなかったのだ。当初は街娼の間で歌われていたものが、その後広まり大ヒットとなった。
この中で戦争や世相を真正面から告発した曲は「星の流れに」だ。

歌詞のフレーズにある「こんな女に誰がした」は戦争を告発している。又これを歌のタイトルにしようとしていたら、GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、「星の流れに」に変えた経緯がある
「星の流れに」は、日本政府と占領軍の双方への抗議の意思をこめた曲として、永遠に残るだろう。

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