音楽

2008/06/30

ルツェルン交響楽団&ニコライ・トカレフ演奏会

Tokarev6月29日は横浜みなとみらいホールのルツェルン交響楽団&ニコライ・トカレフ演奏会へ。初めて行ったのだが音響効果が優れたホールだった。JR桜木町からは10分以上歩くが、アーケードが続き、雨に濡れなくて済むのが助かる。
こうしたコンサートでは初めて一番安いB席を取った。2階席だったが左側だと舞台の3分の2しか見えない。特に中央付近は指揮者がようやく見える程度となる。又指揮者や演奏家が下手から出入りするため姿が見え難い。歌舞伎座と一緒で、左側の席は避けた方が良い。安いのには理由があるのだ。

当日の演奏プログラムは次の通り。
・メンデルスゾーン:劇音楽 「真夏の夜の夢」 序曲
・グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.16
ニコライ・トカレフ[ピアノ]
~intermission~
・ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 Op.92
オラリー・エルツ[指揮]
ルツェルン交響楽団

ルツェルン交響楽団は、名前の通りスイスの都市ルツェルンを拠点に演奏活動を行っている。指揮者のオラリー・エルツはエストニア出身で、ラトヴィア国立交響楽団の首席指揮者などを務めている。共に初来日公演である。
ニコライ・トカレフはロシア出身の新進ピアニスト、こちらは14才の時に初来日したのを皮切りに、この10年間ほぼ毎年のように日本での演奏会を行っている。

お目当てはグリーグのピアノコンチェルトである。2年前にノルウェーに行った時、旅行の間中この曲の第一楽章が頭の中に浮かんでいた。それほど森と湖の美しい景観とメロディがマッチしているのだ。
冒頭のティンパニの連打からピアノが奏でる下降オクターブのガデンツァと、それに続く第一主題の調べは、一度聴いたら忘れられない。

ニコライ・トカレフとルツェルンの演奏だが、自宅で愛聴している[ピアノ]ディヌ・リパッティ、アルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管絃楽団のCDと比べると、この協奏曲全編を覆う清冽な曲想に欠けているような印象を受けた。
それと他の曲を含めてだが、管楽器の音に不満が残った。

これは演奏家とは関係ないのだが、演奏が終了するや間髪を入れず掛け声と拍手を送る数名の「ブラボー男」がいた。これでは曲の余韻に浸る間がないのだ。
本人たちは「通」を気取っているのだろうが、コンサートの雰囲気を壊しているのに気が付かないのだろうか。
無粋としか言い様が無い。

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2008/06/09

アンネ=ゾフィー・ムターを聴きに行く

Anne_sophie_mutter6月8日サントリーホールで行われたアンネ=ゾフィー・ムターのバイオリン演奏会に出向く。ガラじゃないというご批判もあろうが、今年後半はいくつかのクラシック・コンサートを聴きに行く予定を立てている。昨年の内田光子ピアノ・リサイタルに行き、音楽というものは聴くのではなく、観るものだと悟ったためだ。
特にムターのファンということではない。要は一流といわれるバイオリニストの生演奏を、サントリーホールで聴きたかった。

アンネ=ゾフィー・ムターというと直ぐに頭に浮かぶのは、帝王カラヤンに見い出された天才少女という称号である。当初は名誉な称号だったのだろうが、カラヤン亡き後も未だにそのイメージを引きずられているとすれば、ご本人としては不本意だろう。
13歳でコンサートデビューし、14歳にしてベルリン・フィルにデビュー、翌年には最初のアルバムを出しているのだから天才少女の名に恥じないのだが、その彼女も今年で45歳になる。30年間もの間、世界の第一線で活躍し続けた実績には、文句のつけようがない。

今回の演奏会はトロンハイム・ソロイスツという室内アンサンブルとの共演である。
当日のプログラムは、次の通り。
・バルトーク「弦楽のためのディヴェルティメント」
・J.S.バッハ「ヴァイオリン協奏曲第2番、ホ長調」
・ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲集『四季』」
トロンハイム・ソロイスツというのは、トロンハイム音楽院の弦楽器奏者育成の場として生まれ、現在はアンサンブルとして演奏活動を行っている。構成はヴァイオリン(第一、第二)、ヴィオラ、チェロ、ダブル・バス、ハープシコードであり、チェロ奏者で芸術監督のオイヴィン・ギムセを除くと、比較的若い奏者が多い。

バルトークの作品のみトロンハイムの演奏で、バッハ、ヴィヴァルディの作品はムターとの共演であり、いずれもムターの弾き振りだった。後者の2曲ともに既にアルバム発売されており、今回のプログラムはいうなれば自家薬篭中の作品を選定したということだろう。
バッハは3曲のヴァイオリン協奏曲を残しているが、この第二番は特に第二楽章の旋律が美しい。
「四季」については解説するまでもないだろう。

エメラルドグリーンのロングドレスで登場したアンネ=ゾフィー・ムターは、舞台中央に立ち、まるで舞うかのように身体を前後に揺らし、華やかな演奏スタイルを見せていた。ヴァイオリンという楽器はこれほど美しくも甘美な音色を響かせるものかと、ウットリと聴き惚れてしまった。
クラシック演奏家といえどもパフォーマーであり、姿・形が美しいというのは大事な要素だ。この点、ムターは申し分ない。
「四季」の演奏に関していえば、我が家にはカラヤン指揮のウィーン・フィルと共演したムターのアルバムがあるが、平凡な印象しか受けなかった。今回の演奏はこれとは全く異なり、心を打つものだった。

アンコールで舞台に再登場すること9回、3曲の演奏を行い、2曲は「四季」のサワリだったが、もう1曲はバッハの「G線上のアリア」をご愛嬌に。
十分満足のいく演奏会であった。
クラシックも悪くないですよ。

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2008/03/24

五木ひろし「日本歌謡史100年―昭和編―」in国立劇場

Itsuki昨年「石川さゆり音楽会」で半世紀ぶりに歌謡曲(演歌が嫌いなので)歌手のコンサートに行った時、次は五木ひろしのコンサートと決めていた。
五木ひろしは、声量、歌唱力ともに現役歌手の中で傑出しており、歌詞を大事にし、ポップス調の歌もこなせるという特長を持っている。同時に「五木節」ともいうべき、独特の歌の世界を持っている稀有な歌手でもある。
彼は今年還暦を迎えたので、そろそろ声が落ちる前にライブを観ておきたかったというのが最大の理由だ。

昨年に引き続く「日本歌謡史100年」をテーマにした国立劇場での公演だが、今年は昭和編ということで、二部構成になっていた。
第一部「昭和の名曲を歌う」
第二部「伝統・古典とのコラボレーション」
対象となった昭和30-40年というのは、歌謡曲の黄金時代であった。
経済の高度成長期、沢山の若者が職を求めて都会に移動した時代だった。馴れない都会の生活と故郷への思い、ふるさとに残してきた両親や兄弟・恋人への思い、その一方ふるさとの家族・友人らの本人への思い、そうした心情は当時の日本人に共通していた。あの時代の歌謡曲は、そうした感情を共有した者同士の中で培われ、共鳴しえたのだと思う。
故郷を離れる時は、夜汽車の汽笛、駅のホームや波止場での別れがあった。これが歌謡曲の主な舞台となっていた。
その時代に名曲が数多く生まれたが、オリジナルの歌手の多くは第一線を退き、あるいは物故していて、今の人々はナマの歌を聴く事ができない。それを現役歌手が再現しようとするなら、ざっと歌謡界を見渡しても、五木ひろししかいない。つまり余人をもって代え難いのだ。

第一部は第一回レコード大賞を受賞した「黒い花びら」で幕を開け、「ふるさと」をテーマにした叙情歌謡、股旅もの、「夜空」をテーマにした作品など、五木の持ち歌を含めて様々なジャンルの歌を次々と歌い続けた。
「G.S.」をテーマにした時は、エレキギターの弾き語りを披露するなどサービス満点。
オリジナル歌手も水原弘、フランク永井、坂本久、三橋美智也、春日八郎、東海林太郎、三波春夫、村田英雄、ザ・タイガース、青木光一、田端義夫らで、当時の主な流行歌の歌手を総ナメにした感がある。
特に印象に残った作品として、「おさげと花と地蔵さんと」「一本刀土俵入り」(共に三橋美智也)、「柿の木坂の家」(青木光一)の歌唱が優れていた。

第二部ではオーケストラをバックに五木ひろしの持ち歌を中心に、美空ひばり、石原裕次郎、加山雄三、藤山一郎らのヒット曲を披露した。
ここでは邦楽、日舞などとのコラボレーションが行われ、華を添えていた。
フォークソングのコーナーで歌った、「心もよう」(井上陽水)の歌唱が特に優れていた。
自身のヒット曲は、一、二部を通して「よこはま・たそがれ」「ふるさと」「千曲川」「契り」「細雪」「長良川艶歌」「夜空」「山河」などが歌われ、CDやTVではお馴染の曲だが、はやりナマで聴くと素晴らしい。

今回のコンサートの良さは、五木ひろしの歌唱に尽きる。数えたわけではないが、恐らく40曲を超える歌を歌い続けたと思われるが、音を外さないのは流石である。強いてミスをあげれば、美空ひばりの「哀愁波止場」のワンコーラス目の中ほどで、間のとり方が少しずれた程度であった。
これは立派としか言い様がない。
しかも、どの曲を歌っても自分の歌の世界にしてしまう、大した技量である。
歌唱と楽器の音のバランスが良く、舞台の場面転換もスムーズであり、何より全体として舞台に高級感があった。

今回の公演は、日本人歌手のコンサートとしては、極めて質が高いものだったと思われる。
入場料が高くても、この内容であれば多くの観客は納得するのではなかろうか。
3月23日昼の部にて。公演は25日まで。

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2007/11/11

石川さゆり音楽会@青山劇場

Ishikawa_sayuri11月10日青山劇場での「石川さゆり音楽会」へ。
歌謡曲(演歌キライなので)歌手のコンサートというのは半世紀ぶり。では前回はというと、1950年代に見た日劇の「笠置シズ子ショー」というのだからスゴイ。知らない方もいるだろうが、ブギの女王として一世を風靡した歌手だ。ボクにとっての戦後は、笠置シズ子の「東京ブギ」と、オカッパルの「東京の花売娘」だ。
コンサートのサブタイトルは、「歌手生活35周年記念リサイタル」とある。デビュー年齢+35才ということは? などという、野暮な詮索はよそう。
「石川さゆり音楽会」は10回目だそうだから、恐らく節目節目に開催してきたのだろう。

最近になって、歌謡曲歌手では石川さゆりと五木ひろしは観ておこうかなと思い立ち、チケットを購入した。
歌手というのは年齢を重ねるに従って、時には声が落ちていくが、歌唱力は向上するものだろう。人生経験を積めば、歌は上手くなる筈だ。
処が、現役の歌謡曲歌手の中でそう言えるのは、石川さゆりと五木ひろしくらいではないだろうか。
なかには、デビュー当時が一番上手かったと思える歌手もいる。
それと日本の歌手の多くは、声が落ちると共に歌唱力も落ちていくが、あれはナゼだろうか。

石川さゆりという歌手の良さは、一口に言うと「様子がいい」ことだろう。
舞台での立ち姿、歌っているときの表情や指先がキレイである。いくつになっても可愛く見えて、あの辺が熱烈なファンのオバサマたちには、堪らないのだろう。

なにせ他の歌謡曲歌手のコンサートを見ていないので、比較のしようが無いが、全体の印象としては充実した舞台だったと思う。
先ず感心したのは、幕開けの「津軽海峡冬景色」からエンディングの「天城越え」まで、前座やゲスト一切無しで、一人で歌い切ったことだ。
途中20分間の休憩を挟み、とにかく3時間近く歌いまくるという感じで、サービス精神が旺盛である。

舞台は大きく分けて3部構成になっており、第一部は石川さゆりオリジナルの歌で日本列島を縦断するというもの、第二部が歌芝居で「飢餓海峡」を一人で演じ、第三部は民謡やアップテンポの曲、ジャズ風の曲、他の歌手の持ち歌も入れて、最後はしっとりとした曲で締めるという構成だった。
「飢餓海峡」の一人芝居、熱演で演技力も確かだったし、感動させられた。石川さゆりの演じた八重は、哀しく愛しい。ちあきなおみもそうだったが、上手い歌い手というのは、演技も上手い。

難を言えば、伴奏の音量が大き過ぎて、歌唱とかぶると、肝心の石川さゆりの歌の歌詞が聞き取りづらかった。
後半アコースティックギターとベースの伴奏だけで歌う場面があったが、あの位の音が丁度良い。
情感が持ち味な歌手なので、音量には神経を払うべきだ。

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2007/04/28

ロストロポービチさんの死を悼む

Chero現代を代表するロシアのチェリストであり、偉大な指揮者でもあったムスティスラフ・ロストロポービチ氏が、4月27日モスクワの病院で死去しました。80歳でした。
昨年秋まで旺盛な音楽活動を行ってきましたが、今年に入って手術を受けるなど体調を崩し、心配されていました。

旧ソ連最後の巨匠といわれたロストロポービチ氏ですが、その活躍は音楽にとどまらず、ロシアの民主化を求める政治活動でも知られておりました。
旧ソ連時代には、芸術家への政治介入に反対したため、市民権を奪われていました。
また政府から迫害を受けていたノーベル賞作家ソルジェニーツィン氏を、永らく別荘で保護したことでも有名です。
1991年8月の旧ソ連クーデター未遂事件では、軍部隊に囲まれたロシア共和国庁舎に立て篭もり、軍部と対峙した闘士でもあります。

日本へも度々来日しており、特に阪神大震災の復興支援コンサートや、美智子皇后の70才誕生の祝賀コンサートでの演奏が知られています。

それでは、以前 amazon.com に投稿した、ロストロポービチ氏指揮、パリ管弦楽団演奏、R.コルサコフ作曲「シェヘラザード」のCDに対する批評を、以下にご紹介します。

多くのクラッシックファンは、自分の好きな曲を様々な演奏家、指揮者の異なったディスクを買い求めて聞き比べ、この中から自分の気に入ったディスクを見出していると思われます。
私も通常そうした方法で、my favorite を探索しているですが、中には他のディスクと比べるまでもなく、一聴思わず膝を打つ名演に出会うことがあります。
現代最高のチェリスト、ロストロポーヴィチがパリ管弦楽団を振った、このRコルサコフ”シェヘラザード”は、正しくそれです。
第一曲の冒頭から、ゆったりとした序奏部が聴く者を千夜一夜物語の世界に誘ってくれます。特に第2曲の演奏が実に見事です。各々の楽器のアドリブによるソロ演奏が次々と織り成され、極彩色の世界を紡ぎだして行きます。
第4曲まで全曲を通してルーベン・ヨルダノフのヴァイオリンソロが、甘く切ない音を響かせていますし、パリ管の音の明るさ、美しさが、この曲の魅力を十分に引き出しています。
少し大袈裟に言えば、何か生きている幸せをしみじみ味わせてくれる様な、そんな素晴らしい名盤です。

ご冥福をお祈り致します。

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2006/10/15

ちあきなおみ「戦後の光と影」を聴く

Chiakinaomi2歌手ちあきなおみのCDアルバム「戦後の光と影」(COCP-33177)は、1970年代にレコードとして発売されたアルバムの復刻盤です。最近のブームに乗って,ちあきなおみの当時のアルバムが何点か復刻されましたが、その中の1枚です。
副題に「ちあきなおみ、瓦礫の中から」とあるように、オリジナルのレコード発売時期はまちまちですが、“日本の戦後”をテーマにした曲を集めカヴァーしたものです。

戦後とは、社会的混乱の中で誰もが毎日を生きる事で必死であった時代、明日への不安と将来への希望を持って生きた時代です。大勢の若者が職を求めて地方から都会へ移ってきた時代で、故郷での家族や友人、恋人との別れ、都会での新たな出会いが生まれた時代でした。
生きるために夜の街に立つ女性も多くいましたし、パンパンやオンリーと呼ばれた米兵相手の女性が派手な格好で闊歩していた時代でもありました。

ちあきなおみという歌手は、歌が上手いのは論を俟たない。加えて演歌からジャズ、シャンソン、ラテン、ポルトガルのファドなど幅広いジャンルの曲を歌いこなす歌唱力を持った、稀有な歌手です。
従ってどのようなアレンジの曲でも対応できる、これがちあきの強みです。
このアルバムでも、どの曲を採りあげても実に上手い。恐らくは「フランチェスカの鐘」(オリジナル歌手名;二葉あき子、以下同)を除けば、歌唱力でいずれもオリジナルを上回っているでしょう。
しかしこうしたテーマのあるアルバムでは、歌唱力だけが求められるのではない、何より“戦後の空気”をいかに表現できるかが最も重要な要件です。
ちあきは戦後生まれですが、小さい時から米軍キャンプをまわっていた経験があるせいでしょうか、その“戦後の空気”を見事に表現しています。じっと聴いていると、こみ上げてくるような懐かしさを感じてきます。

もう一つちあきの特長をあげれば、男歌が上手いことです。
このアルバムでも、「泪の乾杯」(竹山逸郎)や「逢いたかったぜ」(岡晴夫)を、ちあきは自家薬篭中のものとしています。
「黒い情念」の世界を描くのが得意のちあきの、別の一面を見せてくれるアルバムです。

この当時の歌を聴いていると、歌詞に生活感、リアリティーが感じられます。
「あなたも私も買われた命 恋して見たとて一夜の火花」(カスバの女)、「飢えて今ごろ妹はどこに 一目逢いたいお母さん」(星の流れに)、「夢が欲しさに小雨の路地で 泣いたあの日が懐かしい」(逢いたかったぜ)などなどなどです。
例えばこの「カスバの女」は、アルジェリアに駐屯する外人部隊の兵士とカスバの娼婦との恋を題材にしていますが、当時の人々は遠くアジアの国々へ送られた日本の兵士と従軍慰安婦との関係を投影させ聴いていたものと思われます。

加えて歌詞の美しさです。「待つ人の音なく 刻む雨の雫」(君待てども)、「細く悲しい竹笛なれど こめし願いを君知るや」(悲しき竹笛)、やあ実にイイですね。
フランチェスカの鐘は、どうしても「チンカラカン」と鳴って貰わなければいけない。

私の好みを言わせてもらえば、一つはこのアルバムの選曲に多少不満があります。
戦後というテーマであれば、初代コロムビア・ローズの歌が3曲入っているのは、いささかバランスを欠いています。
代りに「夜のプラットホーム」(二葉あき子)を入れて欲しかった。服部良一メロディーを、ちあきがどう歌うのかを是非聴きたかった。
それに「かりそめの恋」(三条町子)、これも落とせない曲です。
もう一つ、「フランチェスカの鐘」で、オリジナルの音源にあったセリフ(セリフは高杉妙子)がカットされていますが、これは曲想を知る上で大切な部分なので、やはりちあきのセリフ入りノーカットで聴きたかった。

欲を言うとキリがありませんが、とにあれこのちあきなおみのアルバムは、戦後の日本を再現させた記念碑的作品となると思われます。
(文中の歌手名はアイマイな記憶で書いていますので、間違っていたらゴメンナサイ。)

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2006/08/22

「われら愛す」を知っていますか?

Saji 先日岐阜の飛騨高山と白川郷に旅行した際、中央自動車道をバスで行ったのですが、途中長野県に入って、やっぱり信濃の国は良いなあとしみじみと感じました。諏訪湖から松本にかけての景色は実に美しいものです。

中学時代の親友の実家が信州で、夏休みに2週間彼の実家に泊めて貰ったことがありました。

私としては初めての東京を離れた生活だったのですが、それ以来長野の魅力にとりつかれました。

長野県は湖や沼が多く、そのことから「みすずかる」が信濃にかかる枕詞になっています。本来は「みこもかる」が正しく「みすずかる」は誤読だそうですが、「みすずかる信濃」の方が遥かに語感が宜しい。

恐らくは現在60歳以上の方ならメロディに聞き覚えがあり、それより若い方なら知っている人は少ないだろうと思われる歌があります。

それは「われら愛す」という歌です。

曲は次のサイトにアクセスすると聞きことができます。

http://bunbun.boo.jp/okera/mawa/warera_aisu.htm

どこか甲子園に流れる高校の校歌のようなメロディで、親しみが感じられると思います。

歌詞を下に書きましたが、「アア、アレか」と気が付かれた年配の方もいるでしょう。

われら愛す(新国民歌)
        作詞=芳賀秀次郎
        作曲=西崎嘉太郎
        編曲=高浪 晋一
一、われら愛す
   胸せまる あつきおもいに
   この国を われら愛す
    しらぬ火 筑紫のうみべ
    みすずかる 信濃のやまべ
   われら愛す 涙あふれて
    この国の 空の青さよ
    この国の 水の青さよ
二、われら歌う
   かなしみの ふかければこそ
   この国の とおき青春
   詩(うた)ありき 雲白かりき
    愛ありき ひと直かりき
   われら歌う おさなごのごと
    この国の たかきロマンを
    この国の ひとのまことを
三、われら進む
   かがやける 明日を信じて
   たじろがず われら進む
    空にみつ 平和の祈り
    地にひびく 自由の誓い
   われら進む かたくうでくみ
    日本(ひのもと)の きよき未来よ
    かぐわしき 夜明けの風よ

1953(昭和28)年、洋酒の壽屋(現在の「サントリー」)社長佐治敬三氏が、新しい憲法のもと、国民自身の手で新生日本にふさわしい国歌をつくろうと、「国民の誰もが愛唱し、勇気づけられる歌を」と新聞広告で「新国民歌」を全国に公募したもので、当時実に作詞に約5万点、作曲に約3千点の応募があったそうです。

審査員の顔ぶれが、これまた豪華でした。
《作詞》 堀内敬三・土岐善麿・大木惇夫・西条八十・サトウハチロー・佐藤春夫・三好達治
《作曲》 堀内敬三・山田耕筰・増沢健美・古関裕而・サトウハチロー・諸井三郎

そして審査の結果選ばれたのが、この「われら愛す」という曲でした。

1953年といえば、終戦から8年後、米軍占領下から日本が独立した翌年です。

未だ戦争の爪跡が残されていて、国民の大半は自分達が生きることに精一杯の時代でした。

その時代に国を愛し、平和を祈り、自由を誓うといった希望に溢れたこの歌は、多くの人々に新鮮に受け止められたと思われます。

全国各地で発表会や演奏会が行われ、ラジオからは毎日のようにこの歌が流れていました。

サントリー美術館やサントリーホール設立など、日本の文化芸術活動に貢献した佐治氏としては、国民自身が愛唱する歌を、戦前の「君が代」に変わる新しい国歌としたいという意図があったと思われます。

それは審査員の顔ぶれからも窺えます。

作詞家:西条八十、作曲家:古関裕而といえば、共に軍歌を最も沢山作った人物です。

しかも、その中にはこんな曲もありました。

比島決戦の歌(1944年3月)

(西條八十作詞・古関裕而作曲)

決戦かがやく アジアの曙 

生命(いのち)惜しまぬ若櫻

いま咲き競う フイリッピン

 いざ来いニミッツ、マッカーサー

 出てくりや地獄へさか落とし

そうしたら本当にニミッツとマッカーサーが出てきて、日本がさか落としになってしまいました。

そのマッカーサーは占領軍総司令官として、戦後6年間日本に君臨したのですから、西条と古関の両氏は周囲から「戦犯」と騒がれ、本人達も生きた心地がしなかったようです。

こうした人たちを審査員にしておけば、後で国歌として選定する際に、保守政治家や国粋主義者の反対も起きないだろうと踏んでいたのかも知れません。

私も当時、いずれこの歌が新しい国歌になるのだと、そう考えていました。

その後政府と文部省が、「君が代」を国歌とする方針を固めたため、この新国民国歌構想は立ち消えになってゆきました。

佐治敬三氏も1999年に死去し、今ではこの歌の存在自体も忘れ去られようとしています。

「君が代」の斉唱が強制されるという報道に接するたびに、私はこの「われら愛す」を思い出します。

そして今でも長野を訪れるたびに、“♪みすずかる信濃のやまべ・・・♪”を口ずさんでしまいます。

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