芸能・アイドル

2016/01/09

そろそろ”芸能「下半身」ニュース”をやめないか

芸能ニュースというと、誰と誰とがくっ付いたのだの別れたのだのという「下半身」にだけ関心が集まるんだろう。どうでもいいじゃん。所詮は男と女の関係(近ごろは同性のケースもあるか)、何があっても不思議ではない。自分の胸に手を当てれば察しがつくというもの。まして芸能界であれば尚更だ。

私の両親は終戦後から数年間、中野で飲食店をしていた。国民全体が食うや食わずの時代だ。食べ物や飲み物を売っていた我が家も家計は火の車で、家族はコメの飯など食ったことがなかった。
そんな時代に店に来る客はといえばヤクザが芸能人だけだ。どっちも恰好は同様で、白のスーツに白のズボン、靴も白で帽子をかぶっていた。小学校の同級生の中には履物がなく裸足で通学していた子もいたし、傘がないので雨が降ると学校を休む生徒もいた、そんな時代にだ。
そして彼らは例外なく店でヒロポン(覚せい剤)を打っていた。
子ども心にも、私たちとは別世界の人間だと思った。

小学校上級から中学にかけては中野の別の街へ引っ越していたが、隣家に女性クラブ歌手が住んでいた。同じクラブに出演していたバンドマスターと結婚していて、近所でも評判の仲のいい夫婦だった。処がその女性歌手にある大手レコード会社から声がかかり、メジャーデビューすることになった。若くて美人だったせいもあり独身という触れこみにした。そうなると亭主は「存在してはならない」わけで、つまり日陰の身になってしまった。正体がバレルまでその状態が数年続いたが、結局二人は離婚した。
都々逸にもあるでしょ。
♪鷺をカラスと言うたが無理か 場合にゃ亭主を兄と言う♪
芸能界というのはそういう世界だし、芸能人は「商品」だ。「純真」だのなんのと言ったってそれは「商品イメージ」に過ぎないわけで、消費者が勝手に描いた「幻想」だ。本人の実態と違うなんて怒ったり驚いたりしても何の意味もない。
芸能人を侮るつもりはサラサラないが、シロウトとクロウトでは住んでる世界が違うし、倫理観も違うのだ。
もう、いい加減に
芸能ニュース=芸能下半身ニュース
を卒業しませんか。

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2015/04/20

名作浪曲の歌い出し(外題付け)

戦後の娯楽といえばラジオだ。最初はNHKだけだったが1951年から民間放送が始まると、落語や漫才、浪曲(浪花節)などの大衆芸能が電波にのって家庭に流される。なかでも浪曲は今では想像もつかない程の人気で、子どもでも虎造の清水次郎長伝の一節ぐらいは唸ることが出来た。銭湯に行けばどこかのお兄さんやオジサンが湯船で浪曲を唸る声が聞こえていた、そんな時代だった。
当時、一世を風靡した名作の歌い出し(外題付け)を以下に紹介する。

2代目広沢虎造「清水次郎長伝~森の石松」
浪曲師として決して美声とはいえないし何より声が小さいという欠点がありながら、独特の「虎造節」と清水次郎長伝で大当たりした。浪曲といえば虎造であり、虎造を1ヶ月呼んで興行を打てばその興行師は家が一軒建つといわれた程の人気者。私もラジオの連続口演(「虎造アワー」)を熱心に聴いたものだ。

旅ゆけば駿河の国に茶の香り
名題なるかな東海道 
名所古蹟の多いとこ
なかに知られる羽衣の 
松とならんでその名を残す
街道一の親分は清水港の次郎長の
数多(あたま)身内のある中で 
四天王の一人で乱暴者といわれたる
遠州森の石松の苦心談のお粗末を 
悪声ながらもつとめましょう。

2代目玉川勝太郎「天保水滸伝」      
虎造と人気を二分した浪曲師で「玉勝」の愛称で知られていた。平手造酒(ひらてみき)というヒーローを生んだ名作。

利根の川風袂に入れて
月に棹さす高瀬舟
人目関の戸たたくは川の 
水にせかれる水鶏鳥(くいなどり)
恋の八月大利根月夜 
佐原囃子の音も冴え渡り
葭(よし)の葉末に露おく頃は 
飛ぶや螢のそこかしこ
潮来あやめの懐しさ
私しゃ九十九里荒浜育ち 
というて鰯の子ではない

寿々木米若「佐渡情話」
人情浪曲の代表作。美声でしたね。

佐渡へ佐渡へと草木もなびく
佐渡はいよいか住みよいか
歌で知られた佐渡が島
寄せては返す波の音
立つやかもめの群れ千鳥
浜の小岩にたたずむは
若き男女の語り合い 

浪花亭綾太郎「壷坂霊験記」
演者が盲人であり、盲人の話を語るので文字通り紅涙を絞る演題だった。ライブで観たことがあるが、曲師の奥さんに手を引かれて舞台に上がっていたのが印象的だった。

妻は夫をいたわりつ
夫は妻を慕いつつ
頃は六月なかのころ
夏とはいえど片田舎
木立の森のいと涼し
小田の早苗も青々と
蛙のなく声ここかしこ

三門博「唄入り観音経」
浪曲師というより演歌師に近いような発声だったが、ウットリするような美声だった。レコードが200万枚売れたというから当時としては驚異的な大ヒットだった。

遠くチラチラ灯りがゆれる 
あれは言問こちらを見れば 
たれを待乳(まつち)のもやい船 
月にひと声雁が鳴く 
秋の夜更けの吾妻橋

初代春日井梅鴬「赤城の子守唄」
野太い声で唸る独特の梅鴬節で絶大な人気を博していた。いまでも上方の芸人が浪花節の物真似をする時はこの「梅鴬節」が多く使われている。

満つれば欠くる月の影 
昨日の淵は今日の瀬と 
移り変わるも人の世の 
定めとあれば是非も無く 
飛ぶ鳥落とす勢いの 
国定忠治も情けなや 
今じゃ十手に追い込まれ 
明日をも知らぬその命

初代相模太郎「灰神楽三太郎」
この人もライブで観たが愛嬌のある人だった。コミカルな浪曲で、 昭和30年代の大人気ラジオ番組「浪曲天狗道場」の審判を務め「ちょいと待ったぁ」という掛け声でも有名であった。

毎度みなさまお馴染の
あの次郎長に子分はあるが
強いのばっかりそろっちゃいない
なかにゃとぼけた奴もある
ドジでマヌケでデタラメで
その上寝坊でおっちょこちょい
付けたあだ名が灰神楽とて
本当の名前が三太郎

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2013/04/09

「日本調歌手」っていなくなりましたね

「日本調歌謡」「日本調歌手」って正式なジャンルじゃないかもしれませんが、一応定義として「日本髪に和服姿で民謡や俗曲風なメロディの曲を歌う歌手」で、「多くは芸者出身」ということにしておきましょう。
日本髪っていっても色々種類がありますが、芸者姿なら島田や銀杏返しといった髪型でしょう。
俗曲に、
♪丸髷に結える身をばもちながら 粋な島田やホントニソウダワネチョイト銀杏返し 取る手も恥ずかし左褄 デモネェ♪
とありますから。
「左褄(ひだりづま)」とは着物の褄を左で取ることで、「芸者」を意味します。子どもの頃、母親から教わりました。 
「うぐいす芸者歌手」という言い方もあるようです。
芸者の「鈴を鳴らしたような」歌唱法からこう呼ばれたのでしょう。「鶯鳴かせたこともある」なんてセリフもありますからね、言われたことはないけど。
いずれにしろ、現役歌手としてはゼロではないかと思われますし、昭和の時代までは懐メロ番組で聴けたのですが、それも今はなくなりました。

歌手としては、先ず藤本二三吉、「浪花小唄」「祗園小唄」のヒットと、他に新民謡の代表的歌手でもありました。
小唄勝太郎、歌い終わった時にニッコリ微笑むのがなんとも言えぬ愛嬌がありましたね。「島の娘」で一躍スターになりこの種の歌が「ハァ小唄」と呼ばれるようになった程です。そして何といっても全国を席巻した「東京音頭」、日本中が踊り狂ったという伝説が残されています。他に「明日はお立ちか」「さくら音頭」。後者はお花見の代表的な唄ですが、近ごろは流行らないようです。
次いで勝太郎とともに「市勝時代」を築いた、市丸。新民謡の「ちゃっきり節」「天竜下れば」のヒットがあり、戦後のブギウギブームにのった「三味線ブギウギ」でも知られています。
市丸姐さんは歌もさることながら、下の写真のように艶姿が印象に残ります。踊りも綺麗で、「ちょいとブギウギ」という歌い尻で会場に流し目をするのですが、これが実に色っぽい。私の知る限りでは84歳までTVに出ていましたが色香は失っていなかった。
Photo
以上の3名はいずれも日本橋葭町(よしちょう)の芸者でした。旧吉原(葭原)だけに芸者の本場です。
美ち奴は浅草の芸者、「あゝそれなのに」「うちの女房にゃ髭がある」のヒットで知られ、甲高い声が特長でした。
赤坂小梅は太い声で、いかにも芸者らしい気風の良さが舞台にも出ていました。「ほんとにそうなら」の他に、九州の出身らしい「黒田節」「おてもやん」のヒットで知られています。
その他印象に残る歌手として、「蛇の目のかげで」「炭坑節」の日本橋きみ栄、「十三夜」「お俊恋唄」の榎本美佐江、「ゲイシャ・ワルツ」の神楽坂はん子、「十九の春」の神楽坂浮子といった人たちの名前が浮かびます。
ここまでが芸者出身の歌手。

芸者以外の日本調歌手では、音丸。「船頭可愛や」「博多夜船」のヒット曲があります。
久保幸江は「トンコ節」「ヤットン節」で知られています。「トンコ節」は歌詞の一部が卑猥ということで、確かNHKでは放送禁止だったと記憶しています。「あなたに貰った帯留めの だるまの模様がちょいと気にかかる さんざ遊んで転がして・・・」の部分がいけなかったとか。
この後にも「お座敷ソング」というジャンルで活躍した歌手もいますが、いわゆる「日本調」とは異なると思います。

「日本調歌手」の衰退の原因ですが、一つには花柳界の衰退と歩をいつにしているように思えます。吉原が無くなったのも影響あるかも知れません。
寄席で音曲師が少なくなってきているのも同じ理由でしょう。
私見ですが、宴会で唄う機会が無くなったというのも要因の一つではないでしょうか。
かつての宴会というのは皆が車座になって、無伴奏で手拍子で唄ったものです。お花見でもそうでした。いきおい日本調歌謡のような単純で、合唱が出来るような唄が好まれていた。
それがカラオケの普及により、合唱が独唱にとって代わられ、いよいよ日本調歌謡の出番が無くなったというのが私の推測です。
しかし伝統文化の一つと見れば、このまま無くなっていくのは残念な気もするのですが。

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2013/01/08

岡本敦郎と抒情歌謡

Okamoto歌手の岡本敦郎が昨年12月28日、脳梗塞のため死去していた。88歳だった。
ご冥福をお祈りする。

岡本敦郎は1946年に安西愛子とデュエットしたラジオ歌謡「朝はどこから」でデビュー。明朗な歌声で「白い花の咲く頃」「リラの花咲く頃」「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」「ピレネエの山の男」などのヒット曲が知られている。その多くは、NHKラジオ歌謡という番組から生まれたものだ。
上記の曲のワンコーラスは今でも唄えますね。ただしウロオボエなので歌詞が正しいかどうか自信がないけれど、順に頭だけ。
♪朝はどこから 来るかしら
あの空越えて 雲越えて・・・
♪白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日・・・
♪リラの花が 胸に咲く今宵
ほのかな 夢の香に・・・
♪汽車の窓から ハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束なげる・・・
♪南の丘を はるばると
郵便馬車が やってくる・・・
♪ピレネエの 山の男は
いつも一人 雲の中で・・・

これらの歌詞が抒情的な所から「抒情歌謡」とよばれ、岡本敦郎はその第一者だった。
戦後の経済復興、経済成長に伴い、地方から都市へ沢山の若者が移動してきた。
抒情歌謡はそうした人々の故郷や家族、両親への思い、恋人や友人との別離といったテーマが主だった。だから国民の大半の共感を得ることが出来た、そういう時代だった。
NHKラジオ歌謡にはこの他に「あざみの歌」、「山小舎の灯」、「さくら貝の歌」、「森の水車」、「雪の降るまちを」などがあり、現在も歌い継がれている曲の多くは抒情歌謡だ。
1962年にラジオ歌謡は終了するが、やがてこの流れはその後の「別れの一本杉」「リンゴ村から」「からたち日記」「踊り子」「柿の木坂の家」といった曲につながって行く。
しかし時代は変ってしまった。
馬車も夜汽車も連絡船もなくなった。
波止場で手を振る人もいなければ、プラットホームの柱の陰で泣く人もいない。
主な地方都市とは飛行機や新幹線で結ばれ、アッという間に着いてしまう。
スマホだってあるしね。
段々に抒情歌謡の居場所が失われた。

NHKラジオ歌謡で、もう一つエピソードを紹介しよう。
1946年、歌手の藤山一郎が戦地から復員して3日目にNHKに出向いた。
局員からこういう歌があるので、ラジオ歌謡で唄ってみないかと言われて出されたのが「三日月娘」という歌の楽譜。
その中に、
「恋は一目で 火花を散らし
やがて真赤に 燃えるもの」
という詞があるのでビックリした藤山は、公共の電波でこんな歌詞を流していいのかと訊いた。
そうするとNHK局員から「お前もう戦争は終わったんだ、頭を切り替えろ」と言われ、ああ、平和って良いもんだとな思ったと、NHKの番組で語っていた。
ちょっと川柳川柳の「ガーコン」の世界に似てる。

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2012/11/14

森光子の死去

女優の森光子(本名・村上美津)が11月10日、肺炎による心不全のため都内の病院で亡くなった。享年92歳だった。
森光子といえば誰もが「放浪記」を思い浮かべるだろうが、私にとっては「がしんたれ」だ。
八千草薫、中山千夏、三遊亭圓生、榎本健一(エノケン)らの錚々たる顔ぶれが揃った舞台、しかも脇役での出演だったが、最も鮮烈に印象に残っているのは森光子だった。
それほどこの芝居での林芙美子役は適役だった。
この舞台がきっかけとなって菊田一夫により「放浪記」の主役に抜擢されていく。
以下は2005年2月21日付のブログ記事の再録である。

”人間は3種類に分かれる、男と女と女優である。”だそうです。この言葉を聴く度に、森光子を頭に描きます。
私が初めて森光子の舞台を見たのは1960年で、17歳の高校生の頃でした。あれからもう44年経ったわけですね。その舞台では八千草薫がまだ娘役で、中山千夏は子役でしたから、まさに隔世の感があります。
当時彼女は40歳前後でしたが、今でも見た目は余り変わらないのですから驚きです。確かにアップされると、さすがに年齢は隠せませんが、むしろ現在の方がキレイになっているのではとさえ思います。
その舞台ですが、“がしんたれ”という菊田一夫の自伝を芝居にしたものです。森光子は林芙美子の役を演じてましたが脇役で、ほんのワンシーンの出演であったと記憶してます。ただその時、何と上手い役者だろうと感心したことだけは覚えています。 結局この時の演技が認められ、放浪記の主役に抜擢されて、今日の森光子があります。歌手で売れず、映画女優でもパットせずでしたが、舞台女優で花を咲かせたわけです。
孫のような年のタレントのエキスを吸って、いつもでも若く美しい森光子、やっぱり女優は化け物ですね。

心より哀悼の意を表します。

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2012/10/23

「小林幸子」騒動にみる「紅白」の裏側

小林幸子という歌手がいる。
その昔TVに子役で出ていた記憶があり、しばらく顔を見ないと思っていたら1980年前後に「おもいで酒」という曲のヒットで名前が売れるようになっていた。
ちょうどカラオケブームが始まった頃で、スナックなんかでよく上司の下手な唄を聞かされたもんだ。
その後もいくつかヒット曲が出て、いつしかNHK紅白の常連になり、昨年までに33回連続出場したそうだ。
そう言ってはなんだが特別に歌唱力が優れているわけじゃなし、ヒット曲を量産しているわけでもない。それが紅白でこれだけの実績を積めたのは、よほどの強力な「推し(or押し)」とNHKへの営業力だろうと想像していた。話題は唄われる曲そのものより専ら豪華衣装の方だった。
昨年は結婚も果たした。

しかし良いことばかりは続かないもので、今年の春ごろに永年のビジネスパートナーでもあった幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇しトラブルとなっている。一説によれば小林の夫と社長側との確執があったとされる。
この経緯については各種の芸能ニュースが微に入り細を穿つ報道を行っているのは御承知の通り。
芸能界は魑魅魍魎の世界なので、どちらの言い分が正しいのかは分からないが、解雇された社長らは小林のマネージャーとして下積み時代から支えてきたようだ。小林とはファミリー同然だったところへ新パートナーがファミリーに加わった。とうぜん人間関係は変るし、そこに金銭やら嫉妬心やらが渦巻き、定番のお家騒動に発展といったというような経過ではなかったかと推測している。世間よくあること。
小林は騒動の影響か日本コロムビアレコードとの契約も解除となり、新レーベルのもとで新曲を発売した。
その売れ行きも捗々しくなく、今年の紅白出場は難しくなったという観測もなされている。

その紅白出場問題について、大方の解説記事を要約すると次のようになる。
【解任した元社長のバックには芸能界のドンとされる人物(実名報道のケースもある)がついていて、その人物が紅白に出場できるかどうかに多大な影響力を持っている。だから小林幸子側が元社長に直接会って頭を下げない限り紅白復帰は難しいだろう。】
NHK最大の看板番組「紅白歌合戦」に誰を出演させるかという事に関して、芸能界のドンとされる人物が多大な影響力を持っているというのだ。

通常「ドン」と称する場合、単なる実力者だけでなく、いわゆる裏社会にも顔が利く人物という意味が含まれることが多い。まして芸能の世界だから、暴力団との深いつながりを連想させる。
しかしNHK側がこうした報道に抗議したり、事実を否定したというのは寡聞にして知らない。
NHK紅白については以前からジャニーズ事務所の発言力が大きく、司会から出場者までコントロールされていると報じられてきた。確かに顔ぶれをみればそうかなと納得してしまう(注)。
そうなると紅白という番組はNHKのものではなく、実質的には
「ジャニーズ+ドン」プロデュースによるイベント
ということになりはしまいか。
しかも私たちの受信料を使ってだ。
(注)ジャニーズ事務所の所属タレントはNHK紅白歌合戦に1980-2012年連続して出場している。SMAPの中居正広は紅白合わせて6回も司会を務めており、2010-2012には嵐がグループで白組の司会を担当した。

公共放送たるNHKはこれらの報道に対してどう考えているのか、反論や反証を示す意思があるのかどうか訊いてみたいものだ。

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2012/06/28

シャボン玉ホリデーの時代

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「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミが6月15日に亡くなった。享年71歳だった。
「ザ・ピーナッツ」の二人は1975年に芸能界を引退しているので若い方はご存じないかもしれないが、私たちの年代の人間にとってはTV番組「シャボン玉ホリデー」と共に忘れることができない。
まだテレビが家庭の主役だった時代、日曜日夕方6時からは「てなもんや三度笠」、そして6時半からは「シャボン玉ホリデー」を観るのが家族の儀式だった。
この番組は当初司会者のザ・ピーナッツの冠番組「ピーナッツ・ホリデー」として放送することとなっていたが、スポンサーである牛乳石鹸の意向でタイトルが変ったものだ。だから実質的には彼女らの番組といって良い。
優れた歌唱力と美しいハーモニーが彼女らの魅力だった。

テーマソングの
♪シャボン玉 ルルルルルルル
シャボン玉 ラララララララ
ロマンチックな夢ね 丸いすてきな夢ね
リズムにのせて 運んでくるのね
ホリデー ホリデー シャボン玉
シャボン玉 ホリデー♪
が始まると、もうワクワクして今日は植木等や谷啓がどんなコントを披露するのか楽しみで仕方なかった。
そう、もう一組のレギュラーが「ハナ肇とクレージーキャッツ」だった。中心メンバーは元々が「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に参加していて、ジャズプレイヤーとしても一流だった。
そして番組の台本がしっかりしていた。
作者として青島幸男、前田武彦、塚田茂、河野洋、はかま満緒らが腕をふるっていたのだから、面白くなかろうはずがない。
エンディングのザ・ピーナッツの「スターダスト」が流れると、ああこれで週末が終わったなという気分になったものだ。

今ではバラエティ番組というと雛壇芸人たちがお互いにふざけ合ってそれを笑い合うというイメージが強いが、当時はこの「シャボン玉ホリデー」や「夢で逢いましょう」に代表される洒落た番組が多かった。
何より出演者に「芸」があった。

1972年に番組が終了する3年後にはザ・ピーナッツは芸能界を引退する。「シャボン玉ホリデー」は彼女らの芸能生活それ自身だったのだろう。
ハナ肇が肝臓がんで入院した時は二人交代で看病をしたそうで、いよいよ重篤となる前に病室内に番組のセットを設け、二人が「シャボン玉ホリデー」当時の衣装をつけて歌ったとある。ハナさんはさぞかし嬉しかったろう。
二人の優しさを物語るエピソードだ。

伊藤エミさんのご冥福をお祈りする。

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2012/06/08

秋葉の入れ札

八-おとつい吉原の秋葉屋がてえへんな騒ぎだったそうじゃねえか。
熊-おめえにも見せたかったなぁ。何しろ年にいっぺんの「秋葉の入れ札」ってんで、黒山の人だかりよ。
八-その入れ札ってぇのはなんなんだ?
熊-秋葉屋にゃ花魁が48人いるってんだから豪勢だろ。それが張見世の中にずらっと並ぶんだが、この並び順ってぇのがでえじなのさ。
八-そりゃそうだろうさ。やっぱり上(かみ)にいる方に客が付くだろうからな。
熊-その並び順を客の入れ札で決めるってぇのが秋葉屋の趣向なのさ。花魁たちにしてみりゃそれで稼ぎが決まるんだから、必死で自分たちの入れ札を客に売るってぇ寸法よ。
八-なんでぇ、入れ札にや銭がかかるんか?
熊-一枚につき一分かかる。なかには一人で何枚も札を買わされた客もいたようだぜ。
八-そんで、その銭はどこに入るのよ?
熊-決まってるじゃねぇか、置屋の主、康の懐さ。
八-へえー、あの康って野郎は因業だってことは聞いちゃいたが、阿漕な真似すんじゃねぇか。
熊-これで人気が上がりゃあ揚げ代も上がる。康だけがますます肥え太るってぇ寸法よ。
八-上に選ばれた女たちゃ喜んでいただろう?
熊-そう、客の前で泣いたり吼えたり大騒ぎしてたけどねぇ。
八-それもどうせ康に仕込まれた手練手管ってぇやつよ。でもあんまり大勢の客が付いたんじゃ花魁の身体がもたねぇんじゃねえのかい。
熊-そんときゃ又、康が新しい女を仕入れてくるんだろうさ。
八-でもあれだね、来年から年貢を上げるのどうのと老中で評議してるってぇ時に、こんなことしてていいんだろうか。
熊-一揆だの打ちこわしだのが起きねぇようにと、こんだの入れ札騒ぎも御上と康が仕組んだものかもね。
八-ダメ元でかい?
熊-いいえ、秋元。

(お断り:この記事はフィクションであり、実在の人物、組織とは無関係です。)

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2011/09/27

亀治郎が「猿之助」を襲名、香川照之は「中車」に

歌舞伎界から嬉しいニュースが飛び込んできた。
市川亀治郎(35)が、来年6月に行われる新橋演舞場「初代市川猿翁・三代目市川段四郎五十回忌追善 六月大歌舞伎」公演で、四代目市川猿之助を襲名することが決まった。
同時に当代猿之助(71)の長男で俳優の香川照之(45)が市川中車を名乗り、香川の長男・政明(7)が市川団子を襲名し、それぞれ初舞台を踏む予定とのことだ。
当代猿之助は二代目猿翁を名乗る。

二代目猿之助(初代猿翁)は、当代の猿之助と段四郎の祖父にあたる人だ。
私は一度舞台を観ているが、未だ子どもだったので殆んど中身を憶えていない。
経歴を見てみると、当時の歌舞伎俳優としては異例である海外留学をし、海外の舞台の演出を歌舞伎に採りいれたりしたとある。
歌舞伎以外の舞台や映画にも出演するなど、歌舞伎界の風雲児、異端児などと呼ばれていたらしい。

当代の猿之助もスペクタクルな舞台作りが、時に歌舞伎通からは「けれん」であるとか、女・子ども向きなどと批判されてきた。
そのスーパー歌舞伎の舞台は何回か観たが、面白いし観客も楽しんでいた。
大衆芸能である歌舞伎は、お客が喜んでくれるのが何よりだ。
新猿之助となる亀治郎には、そうした澤瀉(おもだか)屋の良き伝統を受け継いだ、エキサイティングで楽しい舞台をみせて欲しいし、またその能力は十分にあると思う。

香川照之については、いつか歌舞伎の世界に入ってくることを期待していただけに、嬉しい。
市川中車は澤瀉屋ゆかりの名跡のひとつ。八代目中車は二代目猿之助の弟で、名脇役として知られていた。
当時のある漫才師のギャグに「市川中車の弟子で市川かちゅうしゃ」というのがあった位、名の知れた俳優だった。
歌舞伎役者としてどんな演技を見せてくれるのか、今から楽しみだ。

こうなりゃ、来年6月の舞台は女房を質に置いてでも(預かってくれないか)行かざぁなるめぇ。

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2011/03/31

半井小絵さんサヨナラ「大特集」

7年間、NHKニュース7の天気アナをつとめ、「午後7時28分の恋人」という異名をとっていた半井小絵さんが、この3月で番組を降板することになった。
当ブログへのアクセスキーワードで、半井小絵は常にトップ、それも断トツだった。
こちらのサイトとしてもドル箱を失うことになり、残念だ。
しかし彼女も来年は四十路、そろそろ引き際だったのだろう。

半井小絵は、中高年のオジサンたちに絶大な人気があるといわれていた。
なかには、「いつも胸元ばかりに目が行っちゃって、天気予報の方は覚えてないんだよな」などという、不届き者もいたが。
彼女の魅力の秘密は、「上品な色気」にあると思う。
オジサンたちの日常は、下品に取り囲まれている。
職場に行っても下品だらけ、家に帰っても下品な女性が目の前に座っている。
だから半井小絵のような、いかにも品が良さそうな人を見ると、ホッとして気持ちが和むのだ。
しかも、よく見るとけっこう色っぽい。
つまり半井小絵は、中高年男の精神安定剤の役割を果たしていたわけだ。

そんなオジサンたちのために、ここで半井小絵の画像を一挙公開する。
期末の大サービスです。

Nakarai11

Nakarai12

Nakarai13

Nakarai15

(いずれの画像もクリックで拡大)

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