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2022/12/28

舞台あれこれ

親に連れられ始めて歌舞伎に行ったのは6歳のころで、また連れて行ってとせがんだ覚えがあるからよほど芝居が好きだったんだろう。
寄席に行ったのもそのころで、落語はもちろん漫才や講談、音曲、手品といった色物も楽しかった。
高校生のころになると新劇や新国劇(当時は人気があった)にも足を運ぶようになった。
舞台はジャンルを問わずといった具合だが、宝塚と新派だけは好きにならなかった。いずれもTV中継でしか観てなかったが、さっぱり興味が湧かなかった。
食わず嫌いではまずいと思って、一度新派だけは観に行ったがやはり面白くなかった。宝塚もきっと合わないだろう。
現役のころは、なかなか時間の余裕がなくて、志ん朝の独演会が休日に重なった時だけ通う程度で、歌舞伎も寄席も滅多に行かなくなった。
定年後はその反動からか寄席や芝居に足が向くようになり、オペラやミュージカルに凝った時期があった。クラシックコンサートも声楽を中心にトッパンホールに通った。
若いころから歌謡曲のコンサートにも行っていた。振り返るとかなりの歌手のライブを観に行っていた。
思いつくままに、下記に名前を列記する。(*印はリサイタル又はワンマンライブ)
笠置シズ子*
霧島昇
フランク永井
弘田三枝子*
九重佑三子
尾崎紀世彦
ハイファイセット
五木ひろし*
石川さゆり*
島津亜矢
高橋真梨子*
特に、五木ひろしと石川さゆりのコンサートは、いずれもその年の芸術祭賞を受賞したもので、印象深かった。

2022/09/12

芸能人に「清廉潔白」は求めない

以前に作られた映画をみていて、この俳優近ごろ顔を見ないなと思い調べてみると、何かスキャンダルを起こしてスクリーンやドラマから遠ざかっていた。
もったいないと思ってしまう。
もちろん刑事事件の被告になったようなケースは別だが、個人的なスキャンダルなら気にする必要はないのでは。
芸能人が不倫しようと浮気しようと、それは本人と家族の問題であって、我々には一切関係ない話だ。
芸能ニュースというと、とかく誰と誰がくっついたの離れたのという話題ばかりがとりあげられる。私はこれを「芸能人下半身ニュース」と名付けている。
本来の芸能記事というのは、新作映画ではあの俳優の演技が光っていたとか、今度の舞台ではこんな意欲的な取り組みをしているとか、そういう事を報道すべきじゃないの。
私たちにとって関心があるのは、芸能人のパフォーマンスであって、人格や素行ではない。

卑近の例で、マスコミを賑わした香川照之のスキャンダルを見てみよう。経過は次の通り。
・2019年7月に香川氏はその他3人と一緒に銀座のクラブを訪れた。
・個室で接客したホステスのAの服の中に香川は手を入れ、ブラジャーをはぎ取り、そのブラジャーは同行した客3人に渡され、全員がその匂いを嗅いだり、卑猥なことを言ったりした。挙句、香川はAにキスを強要し、乳房を直接なでまわすなどした。
・その後に心的外傷後ストレス症候群(PTSD)を患ったAは、2020年5月に、香川の乱行を止められなかったということで、クラブの女性経営者を被告として損害賠償を請求する裁判を起こした。
・Aが女性経営者に求めた請求額は330万円だった。訴訟は2021年に取り下げられた。訴訟を取り下げるにあたって、Aには330万円以上の示談金が支払われた。
もし、香川が強制わいせつ罪で訴えられていれば、状況は変わってきた。
しかし、被害者Aは経営者に対して民事訴訟を起こしたが、示談となって訴訟は取り下げられている。
つまり形式上は、香川は当事者ではない。
無論、経営者が支払ったという示談金の一部又は全部を香川が負担している可能性があるが、示談の際には協議内容などについての公開禁止条項を付けるケースがあるので、その場合は明るみに出ない。
トラブルが起きたのは3年前であり、1年前には示談が成立していて、法的には何も問題を残していない。
これが果たして香川の俳優生命に係わる程の事柄なんだろうか、どうなんだろう。

2022/09/07

おおたか静流の死去を悼む

歌手の「おおたか静流(おおたか・しずる)が9月5日、癌のため死去、69歳だった。
「花」や「悲しくてやりきれない」などのカバー曲で知られているが、作詞家としての力量を評価する。
なかでもフォクダンスの「オクラホマミクサー」に歌詞をつけた「あんまりあなたがすきなので」は傑作。無謀とも思える試みだが、曲のリズムと歌詞のリズムがよく合っている。
中国の「夜来香」や「何日君再来」では、ロマンティックな歌詞をつけて原曲を引き立たせる。
トルコ民謡の「ウスクダラ」では、「千夜の思いを抱きしめて あなた私の色に染まる」と、エキゾチックな風景を表現している。
そして、どの曲も日本情緒を感じるのだ。

合掌

2022/05/31

美空ひばりは、いつから国民的歌手になったんだろう

先日、ある書籍のキャッチコピーに「焼跡にひばりの歌声が流れた」とあった。チョット待ってくれよ、ひばりのレコードデビューは1949年で、その頃には既に焼跡は見られなくなっていた。ひばりが昭和最後の年(正確には平成元年)に亡くなったこともあって、なんとなく昭和史と重ねてしまうのだろう。
1989年に死去した美空ひばりだが、死後もその人気は衰えず、数々の歌謡番組では頻繁に「ひばり特集」が組まれ、永遠の歌姫、歌謡界の女王の名を恣にし、国民的歌手としての地位を築いた。
しかし、ひばりほど毀誉褒貶が多かった歌手は他にいないだろう。熱烈なひばりファンがいた一方、「アンチひばり」もそれに劣らず多かったのだ。
アンチ派は、
①山口組(田岡組長)の影。美空ひばりと山口組とは二人三脚で、双方が力をつけてきた。ひばりの興行を山口組が仕切り、その代りひばりのボディガードや会場警備を山口組が務めた。ひばりの要所要所の会見や、他社との交渉の場には、常に田岡組長が同席し眼を光らせていた。
②何かと口を出す母親の存在。ひばりの私生活から楽曲にまで口を出してきて、一卵性母娘と陰口を叩かれるほどだった。その家族愛が、暴力団員だったひばりの弟が起こした不祥事をひばり一家がが擁護したことにより、NHKとは疎遠になった。
を問題にしていた。
私の周囲でいえば、ひばりの名を口に出すことさえ憚れる状態だった。もしかすると隠れひばりファンはいたかも知れないが、それを公言すれば馬鹿にされる雰囲気があったので、黙っていただろう。
ひばり好きは低俗、あるいは田舎者という図式が固定されていたように思う。
その雰囲気に変化が起きたのは1980年代になって、母親と二人の弟が亡くなり、田岡組長も死去、さらには親友の江利チエミの急死と続き、ひばりは孤独になっていく。世間のアンチ派もその頃にはひばりに同情的になっていた。
晩年のひばりは、病魔との闘いだった。1987年の入院の時は、歌手として再起できるかという声もあったが、1988年4月11日の「不死鳥コンサート」でカムバックした。立っていることさえ困難な状態だったにも拘わらず、ひばりは予定の39曲を歌いきった。
かくて、ひばりは国民的歌手となった。
今にして思えば、ひばりの舞台を一度見ておきたかった。そこが心残りだ。

2021/04/01

木村花さんを死に追いやったのは誰?

フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していたプロレスラー木村花さんが命を絶った問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会は3月30日に都内で会見し、審理結果としての見解を公表した。花さんの精神的な健康状態に対する配慮が欠けていたとして「放送倫理上の問題があった」と認定した。一方で、「フジテレビ側が放送前に一定の慎重さをもって判断がなされたため、漫然と本件放送を決定したものとはいえない」などとして、人権侵害があったとまでは断定できないと結論づけた。
テラスハウスは、シェアハウスで生活する男女6人の恋愛模様を見てスタジオの芸能人がコメントする形式のリアリティー番組。毎回の冒頭には「台本は用意していません」とテロップが表示された。
2020年3月31日、花さんのプロレスの衣装を共用の洗濯機にかけ破損した共演者の男性に対し、花さんが男性のかぶっていた帽子を脱がせて投げるなど怒りを表すエピソードが配信されると、花さんのツイッターやインスタグラムのアカウントに匿名の中傷コメントが集まり、花さんは自宅で左腕に自傷行為を行った。2020年5月23日未明、連絡が取れないことを不審に思った母の響子さんが自宅を訪ねたところ、ベッドに心肺停止の状態で倒れているのを発見。病院へ救急搬送されたが、死亡が確認された。22歳没。自宅リビングに手書きの遺書と見られるものが見つかったことや硫化水素を発生させたとみられる薬剤の容器が見つかったことから自殺を図ったと見られている。
この問題で、東京区検は3月30日、ツイッターに誹謗中傷する内容の投稿をしたとして、侮辱罪で大阪府の20代男性を略式起訴。東京簡裁は科料9千円の略式命令を出した。
起訴状によると、男性は木村さんのツイッターに「性格悪いし、生きてる価値あるのかね」「いつ死ぬの?」などと匿名で8回書き込み、木村さんを侮辱したとしている。
男性は、番組の中の木村さんの態度が許せなかったと話していると言う。
テラスハウスは台本が無いリアリティー番組ということになっていたが、実際には「やらせ」が行われていた。
木村さんが母や友人に語っていた「やらせ」は、「テラハに出た当初からプロレスラーらしく振舞えって。1のことを100にして盛り上げて欲しいって言われた。」
なお、フジの制作側がスケジュールや演出を含む撮影方針に従わせる誓約書を出演者側と交わしていて、誓約内容に違反して制作に影響が出た場合、出演者側が1話分の制作費を最低額とする損害賠償を負う内容も盛り込まれていた。

どうしてこの様な悲劇が起きてしまったのか。
乱暴な言い方になるが、次の言葉を思いだして欲しい。
①TVは電気紙芝居
②ネットはバカの落書き
TVの生命は映像、つまりどう「絵」を作るかだ。テラスハウスはリアリティー番組(実際にはショー)と称しているが、演出(=やらせ)は当然ある。考えれば分かることだが、一般人を集めて日常を追いかけても面白い絵にはならない。演出のないTV番組など存在しない。それはニュースや報道番組も例外ではないし、ドキュメンタリー番組も同様だ。とりわけ民放は、番組の視聴率が局の収入と直結するので、面白い絵作りに懸命になる。
番組にプロレスラーの木村花さんを起用した時点で、TV局のスタッフとしては彼女の特性を活かすことを考えたろう。その一つが暴力的な出来事を起こすという演出になった。
視聴者もその辺りを理解して、番組を楽しんでいれば何も問題はなかった。
処が、ここに「ネットはバカの落書き」が出てくる。
番組での花さんの演技を本気で信じて、歪んだ正義感から怒りを燃やし、彼女を罵倒する書き込みをしたのだ。こんな連中、相手にしなきゃ良かったんだろうが、ネットという公開の場で執拗に攻撃を受ければ本人は傷つく。こうなると連中は余計に調子に乗ってくるから、始末に悪い。
これが花さんの自死という最悪な結果を招いてしまった。
誹謗中傷を繰り返した男に過料が課せられ、それとは別に民事での損害賠償裁判でも木村さん側が勝訴する模様なのは、せめてもの救いだ。
しかし、こうした誹謗中傷をネットから根絶するのは極めて難しい。

2018/07/24

(続)人の恋路を邪魔する奴は

♪人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ
♪人の恋路を邪魔する奴は窓の月さえ憎らしい

いずれも作者不詳の古い都々逸だが、未だに人口に膾炙されている。要は、そういう奴は「野暮天」だということ。
処が、ネットの世界ではそういう野暮天が大手を振っている。
だいたい、誰と誰が付き合おうが、婚約しようが、自分の子どもでもない限り関心を持たないのが普通だろう。
合ったことも見たこともない人物について、付き合ってるのはけしからんとか、婚約などとんでもないとか、絶対に結婚なんて認められないなんて息巻く意見を見ると、あんたにどういう関係があるのと思ってしまう。

最近では芸能ニュースを賑わしているのが女優の剛力彩芽と、資産家の前沢友作社長とが交際していて、剛力がすっかり舞い上がっているという非難の声が集っている。
舞い上がってたって別にいいじゃない。女優やタレントが金持ちと付き合ったり結婚するのはよくあるパターンだし、そりゃ自家用ジェット機で海外に連れていってくれりゃ舞い上がるさ。
女優として今後の活動にマイナスなんて言ってる人もいるようだが、果たして本人がこれから先も女優を続けるのかどうかだって分からないし。

秋篠宮の長女である眞子さんと、小室圭さん(向こうに「さん」付けしたので)との婚約内定について、ネットの世界ではまるで1億総ヒステリー状態に思える。もちろん、非難の嵐だ。
そして、扱いは完全に芸能ネタである。
どうも相手の男が結婚相手として相応しくないという意見が大半のようだが、二人について何も知らない人がどうしてそうした判断が下せるのか、不思議だ。
男性側の収入が少ないと言われているが、大きなお世話だ。それは相手の女性側が心配することで、第三者が気を揉む必要はない。
皇族だから持参金が付くので、税金を負担している国民にも意見を言う権利があるはずだという声もあるようだ。
それを言い出すと、天皇制、あるいは皇室制度に対して、国民がどの程度のコストを負担すべきかという、より本質的な問題に係わってくる。

上記の反対論の根底には、結局のところ「あのヤロー、うまくやりゃがって」という妬みが存在している気がする。

2018/07/09

加藤剛さん死去

俳優の加藤剛(かとう・ごう、本名たけし)さんが2018年6月18日に死去した。80歳だった。
舞台を中心に映画やTVドラマなど幅広く活躍した。
特に印象に残るのは、TVドラマでは「人間の条件」の主人公の梶を演じたのと、「三匹の侍」。
映画では、やはり「砂の器」だ。
多くの舞台俳優が売れてくると劇団を離れるが、加藤剛さんは最後まで劇団俳優座の座員であった。真面目で誠実な人柄が偲ばれる。
ご冥福を祈る。

2018/06/01

書評「美空ひばり 最後の真実」

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西川昭幸「美空ひばり 最後の真実」(さくら舎-2018/4/9初版)

美空ひばりぐらい毀誉褒貶の激しかった歌手は他にいないだろう。
今でこそひばりは昭和を代表する歌手、昭和の歌姫などという国民的歌手の称号が与えられているようだが、そうした評価になったのは彼女の晩年、もっと言えば亡くなってからだ。
私自身は元より、家族を含めて周囲に美空ひばりが好きだという人は誰もいなかった。仮に好きだったとしても、あまり人前では言い出しにくかったかも知れない。
ひばりは歌が上手いという点では衆目の一致するところだが、俗に一卵性母娘と言われる母親の存在や、世間常識を逸脱した家族愛(特に弟に対する)、尊大な態度、暴力団とのつながり。そうした事が敵を増やし、社会から孤立していった原因だ。
この書籍は、そんな美空ひばりの光と影を余すことなく描こうと試みている。

著者は以前に「美空ひばり公式完全データブック」を上梓しており、内容の正確さは十分に信用できる。
ひばりは戦後まもなくデビューし、日本の復興から高度成長期を経て、昭和の最後の年に亡くなった。従って彼女の歌手人生を描くことは戦後日本を描くことになり、昭和の歌謡史、芸能史も描くことになる。
ひばりの公私にかかわった人々の証言は、貴重な記録でもある。
本書の中で圧巻だったのは、ひばりの沖縄公演と、ブラジルでの公演の記録だ。

ひばりの第1回沖縄公演は、本土復帰前の1956(昭和31)年だ。日本は独立したが、沖縄だけは切り離され米軍統治下にあった時代だ。那覇市の1週間の公演に、実に5万7千人の人が参加した。当時の那覇市の人口が11万5千人だったことを考えると驚異的な人数だった。もちろん、沖縄本島だけに限らず、離れた島々からも船で大勢の人たちが那覇にやってきた。入場料は映画館の数倍と高く、貧しかった当時の沖縄では見にいくことが出来なかった人も少なくなかったにも拘わらずである。
ではなぜ、ここまで沖縄の人々が熱狂したのか。
それは日本のトップスターであった美空ひばりが来ることで、沖縄が日本であることを実感したからだ。つまり、ひばりが日本本土の象徴だったのだ。

ひばりのブラジル公演は、1970(昭和45)年だ。
日本人のブラジル移民は1906(明治39)年に始まる。しかし日本政府がうたっていた内容と現地の実情は大違いで、奴隷同然の扱いを受けていた。
その後、与えられ土地を開墾し自営農家としての道を歩む人も出てくるが、今度は戦争が始まると敵国民として差別や迫害を受ける。
日本語の使用が禁止されたため、戦争が終わっても日本が勝ったと信じる人も出て、日系人の中で勝ち組と負け組が分かれて殺し合いまで行われた。
ブラジル移民の歴史は苦難の歴史である。
サンパウロで行われた美空ひばりの公演は、3日間で3万6千人の動員記録を打ち立てた。
アマゾンの奥地から、隣国のパラグアイから、何日もかけて大勢の日系人がこの公演に駆け付けた。
なかには、ベッドに寝たままの患者までいた。死ぬまでに一目ひばりを見たかったというのだ。
ここまでブラジルの日系人を動かしたのは、故国日本への望郷の念だった。ひばりの姿に日本を見たのである。

私はひばりの生前に、彼女の映画を見たこともなかったし、公演はおろか、1枚のレコードも買ったこともない。
今にして思えば、一度でいいからひばりのライブを見ておきたかった。
それは今にして思うことだが。

2016/01/09

そろそろ”芸能「下半身」ニュース”をやめないか

芸能ニュースというと、誰と誰とがくっ付いたのだの別れたのだのという「下半身」にだけ関心が集まるんだろう。どうでもいいじゃん。所詮は男と女の関係(近ごろは同性のケースもあるか)、何があっても不思議ではない。自分の胸に手を当てれば察しがつくというもの。まして芸能界であれば尚更だ。

私の両親は終戦後から数年間、中野で飲食店をしていた。国民全体が食うや食わずの時代だ。食べ物や飲み物を売っていた我が家も家計は火の車で、家族はコメの飯など食ったことがなかった。
そんな時代に店に来る客はといえばヤクザが芸能人だけだ。どっちも恰好は同様で、白のスーツに白のズボン、靴も白で帽子をかぶっていた。小学校の同級生の中には履物がなく裸足で通学していた子もいたし、傘がないので雨が降ると学校を休む生徒もいた、そんな時代にだ。
そして彼らは例外なく店でヒロポン(覚せい剤)を打っていた。
子ども心にも、私たちとは別世界の人間だと思った。

小学校上級から中学にかけては中野の別の街へ引っ越していたが、隣家に女性クラブ歌手が住んでいた。同じクラブに出演していたバンドマスターと結婚していて、近所でも評判の仲のいい夫婦だった。処がその女性歌手にある大手レコード会社から声がかかり、メジャーデビューすることになった。若くて美人だったせいもあり独身という触れこみにした。そうなると亭主は「存在してはならない」わけで、つまり日陰の身になってしまった。正体がバレルまでその状態が数年続いたが、結局二人は離婚した。
都々逸にもあるでしょ。
♪鷺をカラスと言うたが無理か 場合にゃ亭主を兄と言う♪
芸能界というのはそういう世界だし、芸能人は「商品」だ。「純真」だのなんのと言ったってそれは「商品イメージ」に過ぎないわけで、消費者が勝手に描いた「幻想」だ。本人の実態と違うなんて怒ったり驚いたりしても何の意味もない。
芸能人を侮るつもりはサラサラないが、シロウトとクロウトでは住んでる世界が違うし、倫理観も違うのだ。
もう、いい加減に
芸能ニュース=芸能下半身ニュース
を卒業しませんか。

2015/04/20

名作浪曲の歌い出し(外題付け)

戦後の娯楽といえばラジオだ。最初はNHKだけだったが1951年から民間放送が始まると、落語や漫才、浪曲(浪花節)などの大衆芸能が電波にのって家庭に流される。なかでも浪曲は今では想像もつかない程の人気で、子どもでも虎造の清水次郎長伝の一節ぐらいは唸ることが出来た。銭湯に行けばどこかのお兄さんやオジサンが湯船で浪曲を唸る声が聞こえていた、そんな時代だった。
当時、一世を風靡した名作の歌い出し(外題付け)を以下に紹介する。

2代目広沢虎造「清水次郎長伝~森の石松」
浪曲師として決して美声とはいえないし何より声が小さいという欠点がありながら、独特の「虎造節」と清水次郎長伝で大当たりした。浪曲といえば虎造であり、虎造を1ヶ月呼んで興行を打てばその興行師は家が一軒建つといわれた程の人気者。私もラジオの連続口演(「虎造アワー」)を熱心に聴いたものだ。

旅ゆけば駿河の国に茶の香り
名題なるかな東海道 
名所古蹟の多いとこ
なかに知られる羽衣の 
松とならんでその名を残す
街道一の親分は清水港の次郎長の
数多(あたま)身内のある中で 
四天王の一人で乱暴者といわれたる
遠州森の石松の苦心談のお粗末を 
悪声ながらもつとめましょう。

2代目玉川勝太郎「天保水滸伝」      
虎造と人気を二分した浪曲師で「玉勝」の愛称で知られていた。平手造酒(ひらてみき)というヒーローを生んだ名作。

利根の川風袂に入れて
月に棹さす高瀬舟
人目関の戸たたくは川の 
水にせかれる水鶏鳥(くいなどり)
恋の八月大利根月夜 
佐原囃子の音も冴え渡り
葭(よし)の葉末に露おく頃は 
飛ぶや螢のそこかしこ
潮来あやめの懐しさ
私しゃ九十九里荒浜育ち 
というて鰯の子ではない

寿々木米若「佐渡情話」
人情浪曲の代表作。美声でしたね。

佐渡へ佐渡へと草木もなびく
佐渡はいよいか住みよいか
歌で知られた佐渡が島
寄せては返す波の音
立つやかもめの群れ千鳥
浜の小岩にたたずむは
若き男女の語り合い 

浪花亭綾太郎「壷坂霊験記」
演者が盲人であり、盲人の話を語るので文字通り紅涙を絞る演題だった。ライブで観たことがあるが、曲師の奥さんに手を引かれて舞台に上がっていたのが印象的だった。

妻は夫をいたわりつ
夫は妻を慕いつつ
頃は六月なかのころ
夏とはいえど片田舎
木立の森のいと涼し
小田の早苗も青々と
蛙のなく声ここかしこ

三門博「唄入り観音経」
浪曲師というより演歌師に近いような発声だったが、ウットリするような美声だった。レコードが200万枚売れたというから当時としては驚異的な大ヒットだった。

遠くチラチラ灯りがゆれる 
あれは言問こちらを見れば 
たれを待乳(まつち)のもやい船 
月にひと声雁が鳴く 
秋の夜更けの吾妻橋

初代春日井梅鴬「赤城の子守唄」
野太い声で唸る独特の梅鴬節で絶大な人気を博していた。いまでも上方の芸人が浪花節の物真似をする時はこの「梅鴬節」が多く使われている。

満つれば欠くる月の影 
昨日の淵は今日の瀬と 
移り変わるも人の世の 
定めとあれば是非も無く 
飛ぶ鳥落とす勢いの 
国定忠治も情けなや 
今じゃ十手に追い込まれ 
明日をも知らぬその命

初代相模太郎「灰神楽三太郎」
この人もライブで観たが愛嬌のある人だった。コミカルな浪曲で、 昭和30年代の大人気ラジオ番組「浪曲天狗道場」の審判を務め「ちょいと待ったぁ」という掛け声でも有名であった。

毎度みなさまお馴染の
あの次郎長に子分はあるが
強いのばっかりそろっちゃいない
なかにゃとぼけた奴もある
ドジでマヌケでデタラメで
その上寝坊でおっちょこちょい
付けたあだ名が灰神楽とて
本当の名前が三太郎

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