書籍・雑誌

2018/01/07

昔の本を読み返す「神々は渇く」「ゴリオ爺さん」「脂肪の塊」など

10代の頃に読んで面白かったり、感動したりした本を読み返してみようと思い立った。
「チボー家の人々」や「戦争と平和」の様な長大なものは避けて、もうちょっと手軽なものをいくつか探し出して読み始めた。
なにせ半世紀以上前に読んだ本だから、筋は完全に忘れている。だから新鮮だ。そして、とにかく面白い。
ただ読み返してみて、10代の頃に何にそんなに感動したのか、そこは良く分からなかった。

アナトール・フランス「神々は渇く」(大塚幸男・訳 岩波文庫)
やはりこれは名著だ。
フランス革命の末期から寡頭政治に移行する2年間を描いたもので、革命に殉じた青年の悲劇がテーマになっている。
主人公と彼を取り巻く数名の人間以外は、全て実在の人物という歴史小説とも読める。
作者は背景となった2年間の日々の出来事や文書や発言、天候に至るまで丹念に調べ、作品の中に織り込んでいるので、記録文学としての価値もある。
主人公の純粋だが過激な思想や行動が、自ら処刑されてしまう結末を著者は冷徹な目で見ているが、それでも未来への希望は失っていない。
最後の数頁にいかにもフランスの作家らしい香辛料も効いていて、小説の醍醐味を味わうことが出来る。

オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」(博多かおる・訳 集英社文庫)
バルザックの生きた時代は、政治的にはフランス革命後の王政復古からナポレオン帝政時代にいたる。ブルジョワ階級の台頭と貴族社会の没落。初等教育の普及による識字率の向上があり、印刷技術の進歩により大量の出版物が世に出た時代だった。
こうした急激な社会変化の下での、人々の喜怒哀楽を描いた小説だ。
娘たちの幸せだけを願い、全財産を娘たちにつぎ込んで、自らは貧困の中で死んでゆくゴリオ爺さん。
人間の強欲さ、エゴイズム、時にはおぞましさをも深く描きながら、バルザックの底にあるのは人間賛歌だ。
情景や人間心理の細かな描写は、小説の手本といって良い。

ギィ・ド・モーパッサン「脂肪に塊」(太田浩一・訳 光文社文庫)
1870年にフランスとプロイセンとの戦争(普仏戦争)が勃発し、プロイセンが勝利して、ナポレオン三世による第二帝政が終わる。モーパッサン自身もこの戦争に従軍していて、大きな影響を受ける。
作品の背景はプロイセンの占領地域にあるフランスのある街から抜けだして、非占領地域に向かう乗合馬車の一行を描いたもの。
一行の顔ぶれは貴族や成金、大商人、修道女、民主主義運動家だが、そこに「脂肪の塊」の愛称で呼ばれたいた娼婦が同乗している。
他のメンバーは娼婦の存在に露骨に目を顰める。処が馬車はあいにくの天候不良や道路事情により遅々として進まず、戦争下で食料店は閉まっていて、一同は空腹に襲われる。
ひとり娼婦だけが食料を準備してしていて、同乗の人たちに分け与える。途端に周囲の娼婦に対する態度がガラリと変わる。
馬車の進行は大幅に遅れて、宿泊する場所もプロイセン占領地域になってしまう。占領軍の士官が娼婦に何事か言い寄るが、愛国者の娼婦は拒絶する。
そうすると士官は報復のために、馬車の出発を止めてしまう。一行は、娼婦のために馬車がいつまでも動けないと、娼婦にプロイセン士官に身を任せるよう迫り、娼婦は止むを得ず要求に応じる。
その結果、翌日に無事馬車は出発するが、今度は周囲の人たちはまるで汚い物でも見るような目で娼婦を蔑み、娼婦は耐えらえれず泣き続ける。
馬車を舞台に、当時の社会の縮図を描いた作品で、ブルジョワジーたちの冷酷さを見事に描いている。
この一作でモーパッサンが一躍人気作家になって世に出た記念碑的な作品でもある。
でも、高校生の当時に読んで面白さを感じた理由が、ちょっと謎だ。

こんな調子でこれからもシコシコ読み返しを続けるつもりでいる。

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2016/10/10

Amazonのカスタマーレビューを購入者に限定したら

以前にも同様の趣旨の記事を書いたことがあるが、アマゾン(Amazon)の一部の商品で明らかに購入も使用もすることなく、カスタマーレビューが書かれている例がある。
特に眼に付くのは書籍だ。それも社会や歴史に関する本に多い。読んでもいないのに堂々とレビューを書いている。
本の内容紹介や、他の人が書いたレビューを読めば、著書の大まかな主張は分かるのだ。
例えば「従軍慰安婦」や「南京事件」について書かれたものだと、自分の意に沿わないと思うと、頭から内容が「捏造」とか、著者を「反日」「工作員」などと決めつけて書いているケースが目立つ。
用語から察すればヘイト系の人たちだろう。
そうしたレビューを書いている人の過去のレビューも読むことができるが、なかには自分の意見と正反対の書籍にだけ相当な数のレビューを書いている例もある。この人がそうした本だけを選んで読んでいるとは到底思えない。内容も「読む価値がない」とか「買わないように」といった簡単なもので、中身を読まなくとも書けるものばかりだ。
あるいは、特定の著者が書いたものに批判の矛先を向けるというケースもある。著者の人相が悪いなどと、見当はずれのレビューを書いたのもあった。
そうしたレビューは無視すれば済むのだが、Amazonのレビューでは★の数で評価するので、否定的なレビューが集中すると、その書籍の総合評価が下げられてしまう。
書いてる人はその商品の評価を貶めるのが目的だろうが、営業妨害にもなりかねない。

以前に、その商品のCMに出ているタレントが気に入らないということで、★一つの商品レビューが集中して問題になったこともある。
そこで、使っていない、読んでいない人のレビューを除外するために、Amazonのカスタムレビューをその商品の購入者に限定したらどうだろうか。
本来は利用者の声を幅広く集めた方が良いのだが、公平性を担保し悪質なレビューを排除するためには致し方なかろう。
楽天やヤフーの購入サイトではレビューを購入者に絞ることができるので、Amazonも同様の措置を取ることを改めて提案したい。

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2016/06/25

書評『あたらしい憲法草案のはなし』

自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合(自爆連)『あたらしい憲法草案のはなし』(太郎次郎社、2016/6/22初版)

書籍といってもパンフレット程度のボリュームで、内容はタイトル通りの自民党が作成した憲法改正草案(以下、草案)の解説だ。文章は、現在の憲法が決められた時に文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』の文体をまねたもので、いわばオリジナルのパロディ風の作りとなっている。
ただ、著者が前書きにも書いている様に、出来るだけ草案の作成者の意図に沿うように書かれている。
言葉というのは難しく、例えば「原則としては・・・」とか「基本的には・・・」という時は、原則や基本以外の例外を認めることを意図している場合だ。この草案を読む時も、文章に裏にある作成者の意図をつかむことが大切だ。

自民党は結党当時から憲法改正を党是としてきた。しかし草案を読むと、彼らが現憲法の一部や条文改正なんて生ぬるいことなんかやめて、一から根本的に作り変えるという明確な意思を感じる。つまり部分的な条文の改正ではなく、根本原理を変えようとしている。
その典型は、現憲法が「国民を主人公」にしているのに対し、草案は「国が主人公」になっている点だ。憲法全体の理念は前文に示されているのは共通だが、現憲法の書き出しが「日本国民は・・・」となっているのに対し、草案では「日本国は・・・」となっている。現憲法は国民あっての国家であるという立場だが、草案は国家あっての国民なのだ。
現憲法では国民が国(権力)に対して憲法を守ることを命令しているが(立憲主義)、草案では国が国民に憲法を守ることを命令している。
本書では、草案の作成者たちの意図をこう解説する、今の憲法で「国民主権」なんて書いてるもんだから、国民はすっかりいい気になって国に権利を主張する。こうした行き過ぎを是正し、国民は公益や国防のために努力してから権利を主張しろと。

以上を基本に草案の特徴をまとめてみると、こうなる。
・国民の権利の縮小
・戦争放棄の放棄
・基本的人権の制限
以上は、実際に草案の条文全体を読み、作成者の意図を慮ると明白になる。
加えて、最も恐ろしいのは「緊急事態条項」である。
緊急事態になれば内閣は自由に法律(と同等の政令)を作ることができ、予算も自由、地方自治体への命令も出せる。さらに国民もこれに協力する義務を負う。
緊急事態を決めるのは総理大臣であり、国会承認は事後でも構わない。100日を超えれば国会の事前承認が必要になるが、裏返せば100日を超えなければ国会の事前承認は不要だ。
第二次大戦前のドイツでヒトラーが、この「緊急事態条項」を使って、ワイマール憲法を改正することなく独裁体制を構築したのは、記憶に新しい。
もしこの草案通りになったらと考えると、暗澹たる気分になる。

ここで紹介した草案の内容は全体のごく一部で、本書には草案全文も掲載されているので参考にして頂きたい。
現在のところ、現憲法を一気に変えて草案を制定する状況ではないかも知れない。しかし、自民党がこうした意志を持っており、この草案の方向で国民を導こうとしているのは明白だろう。
2時間程度で簡単に読めるので、興味のある方は是非ご一読をお薦めする。
(6/25 一部を加筆)

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2016/06/24

【書評】『戦争するってどんなこと? 』その3(「沖縄の米軍基地」)

米国の植民地としての沖縄
戦後の米軍占領下の1951年に、日本は連合国(但しソ連、中国などは不参加)との間でサンフランシスコ講和条約を締結(発効は1952年)するが、同じ日に「日米安保条約」を結ぶ。両条約はセットとなっており、安保と引き換えに講和条約を結ばされたのは明らかだ。もちろん、米軍の占領下だったので、いずれの条約も「押しつけ」である。いま改憲を主張する人々が「押しつけ憲法」を叫ぶが、不思議なことに彼らが「サンフランシスコ体制」や「安保条約」を押しつけだと非難するのを聞いたことがない。安保が憲法をも超える超法規であるにも拘わらずだ。
安保条約により、アメリカは「望む数の兵力を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を確保」(ジョン・フォスター・ダレス)した。

一方の講和条約では、沖縄を米国施政下に置くことにし、沖縄は引き続き米軍の占領状態が続く。米軍は沖縄の住民から強制的に土地をとりあげ、次々と基地を建設してゆく。1972年に沖縄が日本へ復帰するまでの27年間は、アメリカの植民地扱いだった。
アメリカにとって沖縄は、戦利品だったわけだ。
土地を奪われた農民たちは生きていけない。さすがに見かねた米軍は世界に沖縄の人たちの受け入れ先をさがし、南米のボリビアだけが移民の受け入れ可能と分かると、500世帯単位で移住させた。しかしボリビアでは山を切り開いて畑を作らねばならず、とても惨めな生活を強いられる。彼らはアメリカからも日本からも見捨てられた「棄民」に等しい。
かくして沖縄は日本全土の0.6%しか面積の所に、74%の米軍基地が集中するという今日の事態に至った。

日本の植民地としての沖縄
2013年の朝日新聞の世論調査では、日米安保条約を支持する人は81%だった。一方、憲法9条は変えない方がいいと答えた人は52%だ。
この結果について著者は、「日本は平和な国と思いたいが、米軍基地がないと不安だ」と思っている人が多いのではと書いている。
もっと言えば、米軍には守って欲しいが近くに米軍基地が置かれるのはイヤだという考え方だ。その人たちにとって、米軍基地の大半を引き受けてくれている沖縄はとても好都合だと映るんだろう。沖縄の基地撤去闘争に対して本土の世論が概して冷たく感じるのも、そのせいだ。
1879年に琉球王国は日本の領土となるが、この時の琉球王は明治政府に対し軍の基地だけは置かないでくれと要請するが、政府は「軍隊をどこに置くかは政府が決める」とはねつけ、結局沖縄に日本軍の基地を作ってしまった。
このセリフ、最近どこかで聞いた気がしませんか?
そう、沖縄で辺野古への移転運動が起きて基地反対派が市長に当選したとき、自民党幹部は「基地をどこに置くかは政府が決める」と言い放った。沖縄に対する中央政府の態度は、明治時代と変わらない。
もし同じことが本土の中で起きたら、政府の態度は違っていた筈だ。
明治時代に沖縄を日本領土とした際には、日本の宗教を信じるように、日本語をしゃべるように、名前を日本風に変えるようにという「同化政策」が行われた。これは植民地化そのものだ。
植民地支配の要諦はアメトとムチであり、それは現在の日本政府の沖縄に対する態度そのものといえる。
いま「憲法9条を世界遺産に」という運動が進められている。これに対し著者は、安保条約がある限り、沖縄の米軍基地がある限り、日本がアメリカの核の傘の下にある限り、世界からほめて貰えるとは思えないと指摘している。「国の安全を軍事力に頼らない」という9条の精神が、現実とはあまりに離反しているからだ。
私も憲法9条を世界遺産にとか、ノーベル平和賞をという運動には賛成できない。
それは名実ともに9条を実現させてからの宿題とすべきだろう。

『戦争するってどんなこと? 』という本の中の一部を3回に分けて紹介した。本書の中で著者は、憲法9条の完全な実現を終始うったえている。勇気のいることだし、困難もある。しかし、これだけは世界中で出来るのは日本だけなのだ。

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2016/06/23

【書評】『戦争するってどんなこと? 』その2(「兵士の仕事」「原爆投下」「難民」)

「兵士の仕事」は人を殺すこと
日本では戦争というと国のために死ぬとか、命をかけるというイメージで捉えられることが多い。太平洋戦争では沢山の兵士が死んだので、その時の体験からそう考えるのだろう。
しかし、と著者はいう。兵士の仕事は人を殺すことだと。著者は3年間海兵隊の任務につき、予備役を含めれば10年間兵士としての訓練を受けてきたが、死ぬ訓練を受けたことは一度もない。もし死ぬとすれば、それは失敗したか、訓練が足りなかったか、運が悪かったからだ。
他の組織と違って軍隊の特徴は人を殺すことだ。だから兵士の仕事も人を殺すことになる。
しかし、人間は「殺せ」と命令されても簡単には人を殺せない。したがって相手を殺せるように、殺すことに対する抵抗を乗り越えるための訓練を行う。
先ず、相手を憎む訓練が行われる。相手が人間以下と考えられれば殺しやすくなる。相手を動物に例えるとか、悪と決めつけるとか。
2007年にイラクで、ロイター通信社のカメラマンとスタッフ十数人が、米軍のヘリコプター攻撃によって殺害されるという事件があった。この時の映像がウィキリークスによって公開された。
それによると、市街地を歩くイラク人数名が歩いていて、その中に武器を持っていると思われた人が一人いた(実際には武器ではなくカメラだったのだが)。ヘリの兵士は通信で本部に「撃ってよい」という了解を得て銃撃し、ほとんど皆殺しにする。生き残った一人の負傷者が道路脇にはっていこうとしていると、ワゴン車がきて怪我人を車に乗せようとした。そこを更に銃撃して、その人たちも撃ち殺してしまった。
銃撃のあと、全員が動かなくなったのを確かめたヘリの兵士は、「おお、みんな死んでる、ナイス」と言っている。
後から到着した米軍の装甲車が遺体の上を通ったら、ヘリの兵士たちは「いま遺体を轢いてる」「本当に?」と言って笑いあっていた。
彼らだって普通の市民だ。だが遺体に対する尊厳とか、遺体を踏みつけるのが異常だという感覚が失われている。そういう精神状態にならないと、戦争はやりにくいのだと著者は語っている。
戦場での兵士は「人を殺す」ことのストレスに加え、「殺されるかも知れない恐怖」「仲間が殺される」といったストレスを何重にも抱えることになる。
第二次大戦後のアメリカの研究によれば、兵士が連続して60日間戦場にいると、98%の人が精神に何らかの異常の兆候が出るという結果が得られている。だから米軍の兵士は60日を超えないように一定の期間、休暇を取らせることにしている。ベトナム戦争での休暇先はタイであり、日本の沖縄だった。

米国政府が原爆投下を謝罪しない理由
戦時国際法では兵士以外の民間人を殺傷することを禁じている。しかし飛行機が戦闘の主体になるにつれ状況は一変する。その範囲が武器や資材を運ぶ人たち(兵站、日本政府は「後方支援」と呼んでいるがマヤカシだ)への攻撃も許されるようになる。さらに拡大して武器や弾薬を作っている所なら爆撃してと良いとなった。
次の段階は、人が住んでいる所はどこでも空爆して良いとなり、やがて住民が住んでいる街を空襲すれば、そこに住んでいる人たちが政府に戦争を早くやめるよう圧力をかけるので、結果的に被害は少なくてすむという理屈になってきた。
アメリカが広島と長崎に原爆を投下したのは人道的だとしている論拠はここにある。アメリカは現在もこうした考え方をしている。
もし原爆投下を謝罪したなら、それは二度と核兵器を使わないと約束したことになる。これでは抑止力にならない。相手に使うかも知れないと思わせないと、抑止力が生まれない。謝罪しないのは、米国の軍事戦略上できないからだ。
米国に限らず核兵器を保有している国はすべて、軍人や民間人の区別なく皆殺しにするという覚悟を持っているということになる。

なぜ大量の「難民」が生まれたか
現在の戦争は人の生命を奪うだけでなく、多くの人の生活をも奪っていく。人が住んでいる場所が戦場になると、そこに住んでいた人たちの故郷と生活基盤も奪われる。人々は住む場所も仕事も学校もすべて失い、自立して生きてゆくことが出来なくなる。これらの人びとを「難民」と言う。
第二次大戦後に起きた最初の大規模の「難民」は、「パレスチナ難民」だ。イスラエルによって故郷を追われたパレスチナ難民の数は、現在までに470万人にのぼっている。この人たちは世代を超えて70年近くも難民として生きることを余儀なくされている。
現在も世界各地の紛争地域で難民は生まれ続け、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、その数は4520万人に達している。単純に計算すれば世界の155人に一人が難民ということになる。
UHNCRの活動資金は各国の自発的拠金によって賄われているが、活動資金3520億円のうち63%しか集まっていない(2012年実績)。
私から言わせてもらえば、難民を生んだ原因を作った国が負担すりゃいいじゃないかと思うのだが、そうなってはいないようだ。

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2016/06/22

【書評】『戦争するってどんなこと? 』その1(交戦権、自衛隊)

C.ダグラス ラミス『戦争するってどんなこと? (中学生の質問箱)』(平凡社、2014/7/9初版)
Photoこの本は、タイトルにある通り中学生たちからの質問に答えるという形式で書かれている。「戦争ってなに?」「軍隊って何をするところなの?」といった極めて初歩的な質問に、著者がやさしく回答をしている。しかし、基本的なことだけに改めて説明を読むと、「ああ、そういう事だったのか」と納得させられる。著者が元米軍海兵隊の将校だったということもあり、具体的な内容にもなっている。
やさしいが深い中身になっているので、何度かに分けて内容の紹介と、私自身の見解を付け加えてみたいと思う。

まず著者の経歴だが、1936年アメリカ・カリフォルニア生まれで、カリフォルニア大学バークレー校卒業後、志願して海兵隊に入隊。3年間将校として勤務するが、最後の1年は沖縄基地での勤務となった。まだ返還前の米軍占領下の沖縄の現状を見て除隊し、大阪外国語大学で2年間日本語を学ぶ。その後アメリカに帰国し、カリフォルニア大学の大学院で学ぶが、ここで公民権運動やベトナム反戦運動を経験し、意識が変わっていく。再び来日し1980年から津田塾大学教授として勤務、2000年の同大を退職後は沖縄に住み、沖縄国際大学で教鞭をとりながら講演や執筆活動を行っている。

最初に著者は、戦後の日本人の憲法9条に対する意識の変化について述べている。
初めて著者が大阪外大に入った頃は周囲に戦争を経験した人が多く、「戦争を知っている、だから二度と戦争には行かないし子供たちにも行かせません、だから憲法9条にそう書いてあります」という意見を持っている人が大半だった。
ところが、10数年後に日本の大学で教えるころになると、「憲法9条に戦争をしないと書いてある、だから私たちは戦争することができない」という意見に変わってきた。
戦争しないという意志が先にあって後から憲法がきているのと、憲法が先に来てだから戦争ができないというのでは、大きな違いがある。前者では自分が主語だったが、後者では自分は目的語になっている。
著者は、日本人の憲法9条に対する思いが弱くなっていると感じている。

「交戦権」とは「戦場で人を殺す権利」
近代国家が暴力を持つ権利は3つある。
①警察権:警察官はピストルで相手を撃っても任務であれば処罰されない。国家が警察権という人に対して暴力をふるう権利を持っている。
②刑罰権;裁判で有罪判決がでれば、国家は刑務所に監禁したり、死刑であれば殺しても罪にならない。
③交戦権:国が戦場で人を殺したり、財産を破壊したりする権利。
欧米などでテロリストが殺人を犯せば厳しく罰せられるし(刑罰権)、容疑者を射殺することができる(警察権)。
しかしアメリカなどがアフガニスタンやシリアで空爆を行い、日々沢山の民間人が殺されても兵士は処罰されない。なぜなら戦場で人を殺してもよいという「交戦権」があるからだ。厳密にいえば「宣戦布告」抜きの戦闘なので、これが戦争と言えるかどうかという法的問題はあるのだが。
反面、交戦権があるということは相手国がアメリカに攻撃しても、それは違法ではない。第三国にあるアメリカの基地が戦闘に使われていれば、相手国はその基地を攻撃することも出来る。
日本国憲法第9条では
【第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。】
と定めていて「交戦権」を持っていないので、日本は合法的に戦争はできない。
第二次大戦後に日本が、一度も戦争で人を殺したり殺されたりしたことがなかったのは、そのためだ。
世界で軍隊を持っていない国はあるが、法律で「交戦権を保持しない」ことを定めている国は日本だけと筆者は語っている。
自衛隊がPKOで海外に派遣されているが、交戦権がないので武器の使用は刑法36条、37条に該当する場合に限定されていて、それ以外で人に危害を加えることは許されていない。
刑法36条は、正当防衛の行為の場合は罰せられないという法律で、37条は緊急避難条項で、危機を避けるためにやむを得ずした行為は罰せられないという法律だ。

「自衛隊」の当初の任務は「国内治安維持」
1950年に朝鮮戦争が始まると、アメリカ占領軍の多くは朝鮮半島に出撃してゆく。そうなると米軍最大の任務だった日本国内の秩序を維持することを肩代わりさせる組織が必要になった。そこで日本政府に命じて「警察予備隊」を作らせた。当時は国内でデモやストライキが頻発しており、それを抑える意味合いもあった。やがて警察予備隊は自衛隊となってゆく。
現在の自衛隊の任務にも「公共の秩序の維持」が定められている。

【第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。】

軍隊というと外国との戦争と結び付けがちになるが、実際には国内の秩序維持も重要な任務だ。過去の歴史を振り返るまでもなく、この言葉は国民への弾圧と同意義である。20世紀に戦争や紛争で亡くなった人の数は、外国の軍隊からより、自国の軍隊によって殺された人の数がはるかに多いというという推計がある。
軍隊にはそうした二面性があることに十分注意した方が良い。

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2016/05/10

書評「戦争は女の顔をしていない」

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ (著) 三浦 みどり (翻訳) 『戦争は女の顔をしていない』 (岩波現代文庫 2016/2/17刊)
Photo本作品は2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシ出身の作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの処女作である。そのベラルーシでは出版が許されていないが、ロシアを始め世界各国で出版され大きな反響を呼んだ。
ソ連では第二次世界大戦中に100万人をこえる女性が従軍した。それも他国のように看護婦や軍医というだけでなく、実際に武器を持って戦闘に参加した。なかにはいくつもの勲章を受章した英雄もいた。
処が、戦争が終わってみると、彼女たちは従軍したことを秘密にしたり、戦争体験をひた隠しにした。彼女たちを待ち受けていたのは周囲の女性たちの「戦地に行って男の中で何をしてきのやら」という蔑みの声であり、軍隊では同僚だった男たちも彼女らを守らなかった。そうした女性たちを訪問し、何度も説得して重い口を開かせて聞き書きしたのがこのドキュメンタリーだ。
スタートは1978年でソ連時代だったので証言も制約があった。ペレストロイカの時代になってようやく明らかにされた事実も多く、そうした証言も本書に加えられている。

先ず驚いたのは、彼女たちは自ら志願して軍隊に加わっていたことだ。なかには周囲の反対を押し切り、また軍隊から拒否されてもなお懇願して兵士となった女性も多い。
読後の感想は、ただただ慄然とするだけだった。正直、全てを読み切るのに躊躇した位だ。一夜にして髪が真っ白になった女性、重傷を負って自宅に戻ったら母親が娘だと気付いてくれなかったという女性、赤ちゃんに障害があると知った夫が「お前が戦争で人を殺した報いだ」と非難された女性など、悲しい事実をあげたら切りがない。ソ連崩壊後に明らかにされたソ連軍の蛮行(特に相手国の女性への性暴力)や、捕虜となって帰還した兵士をスパイの疑いで収容所送りをした事実なども、彼女らの証言で明らかになっている。
以下は、従軍したソ連の女性たちの証言からいくつかを抜粋した。

【村を奪還した。どこかで水を汲みたくて探し回った。ある家の庭に入ると、そこにつるべ井戸があった。彫り物で飾った伝統的なつるべ。庭に射殺されたその家の主が倒れていた。そばに飼い犬が座っている。私たちを見つけ歯をむきだした。私たちに襲いかかるのではなく、私たちを呼んでいる風だった。犬について小屋の中に入ると、戸口に奥さんと三人の子供たちが倒れていた。
犬はそのそばに座って泣いているの。本当に泣いているの。人間が泣いているみたいに。】

【戦闘は激しいものでした。白兵戦です・・・これは本当に恐ろしい・・・人間がやることじゃありません。なぐりつけ、銃剣を腹や目に突き刺し、のど元をつかみあって首を絞める。骨を折ったり、呻き声、悲鳴が渦巻いています。頭蓋骨にひびが入るのが聞こえる、割れるのが・・・、戦争の中でも悪夢の最たるもの、人間らしいことなんか何もない。戦争が恐ろしくないなんて言う人がいたら絶対に信じないわ。】

【駅が爆撃されていた。そこに子供たちを満載した列車が止まっていて、子供たちを窓から放り出し始めた。三歳から四歳までの小さな子供たち。そう遠くない所に森があって、そこにみんな走っていく。直ぐ後をドイツの戦車が続く。戦車の列が子供たちを押し潰してゆく。子供たちは跡かたもなく潰された・・・その光景を思い出すと今でも気が狂いそうになるの。】

【モスクワに住んでいる間じゅうずっと、五年ぐらいだったか、市場に行けませんでした。私が戦場で救ったために不具者として生き残った人たちが、私に気付いて、「どうしてあのとき助け出したのだ?」と言うんじゃないかと怖かったんです。若い中尉のことを憶えていたんです。その人の両足はほとんどちぎれていたんですが、爆撃の下で手当てしようとすると、その人は怒鳴ったんです。「長引かせないでくれ! とどめの一発を・・・命令だ!」分かります? その中尉と会ってしまうかもしれない・・・。】

【十年たっても眼を閉じれば浮かんでくるんです。春、戦闘が終わったばかりの畑で負傷兵を探している。畑の麦が踏み荒らされていて、ふと味方の若い兵士とドイツ兵の死体に行き当たります。青々とした麦畑で空を見てるんです。死の影さえ見えません。空を見ている・・・あの目は忘れられません。】

【「来てくれたんだね。来てくれたんだ」そして何かをささやいているんです。何を言ってのか分かりません。もう話せないわ。あの時のことを思い出すといつも涙が溢れてくる。「戦争に行くとき君にキスする間がなかった、キスしてくれ」身体をかがめてキスしてあげる。片方の目から涙がポロッとこぼれて、包帯の中にゆっくり流れて消えた。それで終わり。その人は死んだの。】

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2016/04/20

【書評】本田靖春「誘拐」

本田靖春(著)『誘拐』(ちくま文庫2005/10/5刊)
今さらこのノンフィクションの傑作をという感もあるが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで沸き立つ世間に大きな衝撃を与えた事件を改めて振りかえってみたいと思ったのだ。
事件とは一般に「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」と呼ばれるもので、多くの人が記憶にとどめていると思われる。
事件の概要は次の通り。
1963年3月31日、東京台東区入谷町の村越吉展ちゃん(4つ)が自宅前の公園に遊びに行ったまま行方不明となった。最後に目撃されたのは午後6時15分頃、近所の小学3年生男児が、公園のトイレで水鉄砲の水を入れていた吉展ちゃんに30歳くらいのレインコートを着た男が「坊や、何してんだい。ほう、良い鉄砲だね」と話しかけてきた。暗くなってきたので吉展ちゃんは入り口の方に出て、男もその後を追ったというもの。
午後7時に村越家から警察に捜査願いが出され、まもなく村越家に数度に渡る身代金要求の電話が入る。
4月7日、犯人指定の「品川自動車」に母親が身代金50万円を持っていくが、ここで手違いが起こる。先に5人の捜査員が出発し、受け渡し現場を包囲するはずだったが、母親の運転する車より刑事達の現場到着が2分ほど遅れた。このため身代金は犯人に持ち去られ、吉展ちゃんは戻らなかった。
ミスはまだあり、身代金の1万円札のナンバーもひかえてはいなかった。
当時の警察の誘拐事件への対応はお粗末で、その後の捜査で重要な手掛かりになる犯人の音声も村越家の人たちが録音機をセットして採取したものだ。
もちろん、電話の逆探知も行っていなかった。
警察はこの失態を挽回すべく、特別な捜査態勢をしき大量の捜査員を投入した。
国民の関心も高く、「吉展ちゃんを返して」という看板やポスターが街中に張られた。郵便局や生命保険業界なども捜査に積極的に協力していた。
警察が容疑者としてリストアップした人数は1万3千人にのぼると言われている。
この中で早くから捜査線上に浮かんだ容疑者として時計職人の小原保(1963年当時28歳)がいた。警察が公開していた身代金を要求する犯人の声とよく似ているとの情報提供が保の兄から寄せられた。
しかし、犯人の声を分析した言語学者が年齢が40-50歳と推定していて、保とは年齢が会わなかった。
もう一つ、保は足が悪く、子どもを連れ歩いたり、身代金を素早く奪って逃げるのは無理だと思われた。
さらに保は事件前後に故郷へ戻っていたというアリバイがあり、シロと判定されてしまった。
捜査は行き詰まり2年が経過する。
1965年、警視庁はここに至って捜査陣を一変する。捜査の中心に任ぜられた平塚八兵衛は保の故郷である福島を訪れ、もう一度保のアリバイを洗い直す。
すると保の証言と事実が食い違っていたり、保を見たという証人が日付を勘違いしていた事実などが明らかになり、アリバイが崩れたことを確信する。
平塚刑事により保の3度目の取り調べが始まる。当初はガンとして口を割らなかったが、平塚が新たな情報に基づき保の証言を突き崩してゆき、ようやく自白を得る。
それによると吉展ちゃんはすでに殺害されていたことが判明、荒川区にある円通寺墓地にて遺体が発見された。
1966年、小原保に死刑判決が下され刑が確定する。
1971年、小原保に刑が執行された。

本書の中で永年捜査一課で殺人事件を担当してきた刑事にこう語らせている。
【畢竟、人間というやつは、他の誰かを圧迫しないことには生きられない存在なのであって、犯罪者というのは、社会的に追い詰められてしまった弱者の代名詞ではないのか。】
著者もそうした視点に立ち、本書で犯人である小原保の人生を詳細に追っている。

小原保は福島の片田舎で生まれてがその生活は赤貧洗うがごとき環境で育った。小学校は片道1時間かけ山道を歩いて通学する。履物はワラ草履なので雨や雪の日は裸足て歩かねばならない。足先はアカギレになりそこから黴菌が入って化膿した。きちんとした治療を受けられないまま骨髄炎を患い、足が曲がったままになって片足を引きずって歩くという後遺症に悩まされる。通学もままならず、小学校卒という学歴に終わる。
おまけに小原家の家族や近親者には、癲癇持ちや聾唖者などの先天的障碍者ばかりだった。周囲からは「あの家には悪い血が流れている」と噂され、保は逃げるようにして東京に出てくる。

当時の東京は高度成長の真っ直中で、オリンピックに向けて高速道路や地下鉄の建設などが進められ好況に沸いていた。
しかし保は小卒で、おまけに肉体的ハンディを負っていて、大金を稼げるような仕事に就くのは不可能だった。結局、アメ横の小さな時計店で修理工として働くという都市貧困労働者となってゆく。
扱う時計の中にはブランド品もあり、横流しすればたちまち数万円が手に入る。一方で都会は誘惑が多く、保は寂しさを紛らせるために酒や買春に手を出す。その資金はとても安い給料では賄えず、高級時計の着服や横流しで補てんされる。気が付けば20万円を超す借金となり、日々厳しく返済を迫られる。
仕方なく故郷へ向かい兄弟や親類に融通を頼もうとするが、日頃の不義理から顔を出すことも出来ず悶々として東京に戻ってくる。

追い詰められた保は、先日見た映画『天国と地獄』からヒントを得て、幼児の営利誘拐を思いつく。
身代金が50万円というはいかにも中途半端だと捜査陣が思ったのだが、それは保の借金の返済資金だったからだ。
近所に子ども達がよく遊ぶ姿を見受けた公園に立ち寄り、そこで吉展ちゃんと出会ってしまう。吉展ちゃんの水鉄砲を直してあげるとウソをつき、あっちこっち連れ回した挙げ句疲れて保の膝の上に眠った吉展ちゃんの首をベルトで絞殺した。
本書の後半は平塚刑事に問い詰められ観念して自白する保の姿と、保の自供から吉展ちゃんの遺体が発見され、それを知らされた吉展ちゃんの両親や祖母らの深い怒りと悲しみが描かれる。
そのいずれに対しても、読んでいてやりきれない思いにかられるのだ。

死刑確定から処刑にいたる間に、小原保は独学で短歌を学ぶ。
やがて「土偶短歌会」に加入し、福島誠一というペンネームで投稿を続ける。
その一首。
「明日の死を前にひたすら打ちつづく
 鼓動を指に聴きつつ眠る」
処刑の前日まで短歌を作り続け、辞世の句として最後の投稿が「土偶」の主催者の元へ届いたのは処刑の翌月の1972年1月だった。その年の12月に保の一周忌を期して保の歌集『十三の階段』が参加者に配られた。
「世のためのたった一つの角膜の
 献納願ひ祈るがに書く」
1980年に講談社から刊行された「昭和万葉集」には、福島誠一の名で次の一首が収録されている。
「詫びとしてこの外あらず冥福を
 炎の如く声に祈るなり」

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2016/04/11

不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開(6)~朝鮮戦争の真実~』

6不破哲三『スターリン秘史―巨悪の成立と展開(6)戦後の世界で』(新日本出版社2016/3/5初版)
「スターリン秘史」シリーズは6巻目で最終巻をむかえる。第二次世界大戦終了後の世界にスターリンがどのような影響を及ぼしたのか―もっぱら悪事だが―が書かれている。
本書の内容を大きく分けると、
1.世界各国の共産党に対してスターリンはどのような干渉を行ったか
2.中国革命と新中国の成立にスターリンはどのような態度を取ったか
3.朝鮮戦争へのスターリンが果たした役割
の3点にまとめられる。
では、各項目ごとに内容を紹介する。

第二次大戦中にコミンテルンを解散させたスターリンだが、それに代わるものとして欧州の主要な共産党の情報交換を行う「情報局」、コミンフォルムを結成させる。本来、この組織には各国共産党に指示を与える権利はないのだが、スターリンはコミンフォルムを利用して支配を図る。
第二次大戦後に東欧各国でソ連主導による社会主義国家が誕生するが、唯一ユーゴスラビアだけがソ連の直接的な援助なしに社会主義を目指す。その進め方もソ連のいわゆる「プロレタリアートの執権」抜きに社会主義へ移行するというもので、スターリンの教義に反するものだった。このためスターリンは、ユーゴスラビアはアメリカ帝国主義に手先で反ソ活動を行っていると非難し、国際共産主義運動から排除する。同時に各国共産党首脳部の中のユーゴスラビアの同調者をあぶり出し、でっち上げ裁判を行わせる。世界大戦前に行った恐怖政治の再現である。
スターリンはまた各国共産党の中にソ連の同調者を作り出すために、秘密資金網の創設を企む。ソ連と他の社会主義国が分担し、合計200万ドルの資金を集め、これを各国のソ連内通者へバラマイタのだ。その内通者を通してソ連は各党に干渉を行うのだが、日本共産党でいえば野坂参三がこれにあたる。
余談になるが、1950年にスターリンの支持の元、野坂が中心となって日本共産党を分裂させ、その片方が一方的に非合法活動を宣言し武装闘争の方針を掲げてしまうという事態を招いたが、こうした工作資金に使われた。

前にも紹介したが、スターリンは一貫して中国の蒋介石にシンパシーを感じており、国共内戦も国民党が勝利すると信じていた。意外に思われるかも知れないが、スターリンは自らが係わらない社会主義国など認めたくなかったのだ。
もう一つスターリンの野望は、満州(中国東北部)をソ連に組み込みたいというというもので、これには相手が蒋介石の方が組み易いと考えたのだ。
だから中国で最終的に共産党が勝利し、新中国が誕生したのはスターリンにとっては計算外だった。中国共産党の内部にもソ連の内通者を置き、工作を行うのだが失敗に終り満州のソ連編入を断念する。
ここに至ってスターリンは新中国と友好関係を結び、逆にソ連の世界戦略に中国を利用しようと考える。変わり身の早さである。

1950年に開戦となった朝鮮戦争におけるソ連の動きには大きな謎が残されている。戦争そのものは北朝鮮の金日成による南進政策として始まったものだが、これにはソ連の了解無しには踏み切れなかった。北の南進については当初スターリンは反対していた。それがある時期から南進にGOサインを出す。同時にソ連からの軍事援助も約束する。だが、ソ連はここで不可解な行動に出る。
1.開戦の直前になって何故かソ連は国連をボイコットしてしまう(その後に復帰する)。これによって朝鮮戦争に参戦する米軍が国連軍という肩書を得る。
2.朝鮮戦争が始まればいずれ中国の参戦は避けられないと見ていた(事実はその通りとなった)にも拘らず、開戦直前まで中国に対して秘密にしていた。
また朝鮮戦争開始後、北朝鮮側が一方的に勝利していた期間に、中国から再三にわたって米軍の参戦に注意を払うよう警告があった。毛沢東は米軍が仁川から上陸して、北の補給路を断つに違いないという具体的な警告を行っている(その通りとなった)。しかし、スターリンはこれらの警告を無視し続けたのだ。
こうしたスターリンの一連の動きは不可解で謎とされてきた。
この謎に直接疑問を抱き、スターリンに真意をただした人物がいた。それはチェコスロバキアのゴトワルト大統領だった。
これに回答したスターリン書簡は極秘とされ、ソ連崩壊後に発見され2008年に公表された。スターリンの回答の要旨は次の通り。
1.ソ連が安保理をボイコットすることにより、米国にフリーハンドを与え、安保理での多数を利用して更なる愚行(米軍の出兵を指す)を提供するため・・・。
2.さらに、米国が現在ヨーロッパから極東にそらされていることは明らかである。国際的なパワーバランスからいって、これは我々に利益を与えているだろうか。もちろん与えている。
つまりスターリンにとって朝鮮戦争は、アメリカの眼をアジアにそらせ疲弊させることにより、ヨーロッパでの社会主義の発展のために必要な時間を確保することにあった。
そう考えればソ連の国連ボイコットも、中国を蚊帳の外に置き米国参戦の忠告を無視し続けたことも説明がつく。

1953年2月28日の深夜に別荘でスターリンは倒れ、意識不明のまま床に放置されていたのを3月1日の朝に発見される。直ちに最高幹部たちが別荘に駆けつけるのだが、そのまま放置され、医師が呼ばれて治療が始まるのは20時間以上経過した3月2日になってからだ。
幹部たちはスターリンの病状などそっちのけで、スターリン後の指導体制を協議し、結論が出た3月5日に別荘を訪れスターリンの死亡を確認するのである。ここで巨悪は幕を閉じる。
独裁者の最後というのは、揃って惨めなものだ。

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2016/03/19

まるで「チーママ」みたいな女流作家たち

【「林君、僕はね、すごい発見をしたんだよ。女を歓ばすには、挿入なんて何の意味もないってことをね。」
「はあ・・・」
「君だってそうだろ。ヘンなものが体の中に入ってくるよりも、指でじっくり愛してもらった方がずっといいだろ。」】

言っておくが、これはスナックのチーママと客のオッサンとの会話ではない。「林君」と呼びかけているのが先年亡くなった作家・渡辺淳一であり、相手は作家の林真理子。
林は続けてこう書いている。
【先生(註:渡辺淳一のこと)は最後に、
「女とちゃんとヤルこと」
を徹底的に追求したこの小説を遺作として、あの世にいかれた。『愛 ふたたび』は、到達した者だけが書ける寓話なのである。】
この文章は渡辺淳一の『愛 ふたたび』(幻冬舎文庫、2015年)の林真理子による解説の一部だ。
(【】内は引用、以下同じ)

月刊誌『図書』2016年3月号で、斎藤美奈子女史による『文庫解説を読む』では、渡辺淳一の作品の文庫解説を採りあげている。斎藤によれば渡辺の小説はソフトポルノであり中身はスカスカとのこと。だから論評の対象になるかというと、なかなか難しいだろうとしている。
それでも膨大な数の作品が文庫化されており、それにはいちいち解説がついているというわけだ。最近は解説も女流作家によるものが多いそうだ。

『ひとひらの雪』(集英社文庫、2009年)解説は唯川恵。
【「君はちゃんと恋愛をしているかね」
ある時、渡辺さんがおっしゃった。
渡辺さんは大ベストセラー作家であり、同時に文壇の大御所であるという驚異的存在の方だが、私のような者にも時折、声を掛けてくださる。
「まさか、私なんかが、恋愛なんてもう無理です」
「人間が死ぬ時、思い出すのはどれだけお金を儲けたとか、高い地位を手に入れたかじゃない。かつて好きだった人と、ふたりで歩いていた時、空がきれいだった、そういうことだよ」
どう答えていいかわからず、言葉を探していると、呆れたように笑われた。
「そんなことじゃ、いいものが書けないよ」】

『化身』(集英社文庫、2009年)解説は村山由佳。
【以前、文学賞のパーティーでお目にかかったときのこと。私はちょうど性愛をテーマにした『W/F ダブル・ファンタジー』という小説を上梓したばかりだった。渡辺氏から、今度の作品はいいよ、よくあそこまで書けたね、どうしたの? と訊かれ、じつは少し前に別れて独りになりました、と答えてところ、おお、と破顔して肩を叩かれた。
「それは良かった! 素晴らしいことだよ、おめでとう」】

『うたかた』(集英社文庫、2009年)解説は林真理子。
【「林君、小説家にとって、いちばんおもしろくて難しいことは、男と女の情痴を書き尽すことなんだよ」
渡辺先生がそうおっしゃたのは、ある文学賞(註:直木賞と思われる)の選考会でご一緒した、札幌でのことだったと思う。(中略)ちょうど先生は『失楽園』の準備を始めていらした頃だったはずだ。】

どうやら渡辺淳一という人はパーティーで女性作家に出会えば、肩を叩いて性的な話題をふるというクセがあったようだ。一般社会ならこれはセクハラと呼ばれる。女性作家の方も心得たもので、適当な相槌を打ち渡辺を喜ばせていたわけだ。
これが「文壇」というものなら、スナックの客とチーママ(一般のホステスより少しは高級かなと)との会話と区別がつかない。
チーママは以下のように客をおだてることに長けている。

『愛の流刑地』(幻冬舎文庫、2007年)解説は谷村志穂。
【著者こそが、本来は、どっかりと根を生やして、「存在する女たち」の生理を、もっともよく知るお一人であろう。】

『くれなゐ』(文春文庫、2012年)解説は桜木紫乃。
【女は旅行者(トラベラーズ)で、男は観光客(ツーリスト)―。
そう考えると、男が性愛の相手を違えたがる理由に、ある種の理屈が生まれてくる。】

『くれなゐ』(集英社文庫、2009年)解説は角田光代。
【近著『欲情の作法』で渡辺さんは、その区別を「挿入する性」と「される性」と表現されている。これほど明確な区別はない。】

『失楽園』(講談社文庫、2000年)解説は高樹のぶ子。
【このエロティシズムと死の文学は、長く記憶され続けるだろう。】

ここまでくると、解説というよりは単なるヨイショだ。「あら、ナベちゃん、様子がいいわ」ってなもんだ。
チーママに徹する、これが渡辺淳一の作品に対する女性作家の解説の秘訣のようだ。
もっとも作品がスカスカだから解説もスカスカにならざるを得なかったのかもね。

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