ES細胞から外れて著作権のお話し
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韓国の黄禹錫(ファン・ウソク)ソウル大教授の研究成果のねつ造疑惑の続報ですが、黄教授は今年5月に科学誌サイエンスに提出した論文では採取した185個の卵子から11株のES細胞の作製に成功したとし、17分の1の高確率で抽出に成功したとされていました。
ところが共同研究者から、実際には1000分の1程度の低確率だったとの指摘があり、更に苦しい立場に立たされています。
偶然出来たというのは科学とは言えませんから、再現性は重要な要素なのです。
ここで一句、“「黄」教授 「レッド」カードで 「青」くなり”、オソマツでした。猪口山人さんに叱られそうですね。
さて前回の記事は、ES細胞の話から脱線して、著作権や工業所有権の話になってしまいました。ハズレついでにこの話題、もう少し続けて見たいと思います。
「代作」を辞書で引きますと、「他人に代わって作ること。また、その作品」とあります。本来の著作権はその作品を作った人のものですが、本人が了解した上で他人の名前で発表された場合は、その他人が著作権を有することになります。
柴田晴廣さんから寄せられたコメントから推察しますと、こうした行為は「著作権法121条の対象となると解され」ますが、「公衆を欺くというような実質的な違法性、反社会性がない場合は、本条に規定する処罰の対象とならないと解され」るようです。
古い話ですが私の高校時代の友人が、レコード大賞を受賞したことがある高名な作詞家に弟子入りしたことがありました。その彼から聞いた所によれば、その作詞家の先生が一つのテーマを与えて、大勢の弟子達に詞を書かせ、中で良い作品をピックアップして、先生の名前で発表する仕組みだそうです。
作曲の世界も、恐らく似たようなものなのでしょう。
いわゆるタレント本は、大半がゴーストラーターが書いています。
以前安部なつみというアイドル歌手が盗作問題を起こした際に、芸能界内部は概して同情的だったのは、この辺りに原因があるのでしょう。
年に数十点も出版しているような売れっ子作家の場合も、やはりゴーストライターの存在は不可欠なようです。
以前TVのコメンテイターをしている評論家の作品に盗作問題が起きたとき、ご本人が「忙しくて自分の作品を読んでいない」と、堂々と釈明していて驚いたことがあります。
昔文藝春秋の社長だった池島信平さんが、菊池寛の作品のいくつかは自分が書いたと後年述べていましたが、文学の世界でもこうした代作というのはあるわけです。
学術分野でも前回書いたように、弟子や部下が書いたものを自分の論文として発表するということは、普通に行われています。
これはある理系の大学教授から聞いた話ですが、A教授とその弟子のBが書籍を出版する際に、Bが全文書いた場合は著者はA,Bの共著、一部をAが書きその他をBが書いた場合はA単独の著作として刊行されるそうで、これは学術分野で暗黙のルール化されているとの事でした。
ある大学の助手が長期にわたる研究の結果をレポートにして教授に提出したら、後日その教授の論文として発表され、とても口惜しい思いをしたと聞かされたことがあります。
こういうのは代作でもないし、盗作ともいえず、なんと呼んだら良いのでしょう。
前回の記事で、企業における職務発明の場合、本当の発明者がその特許の発明者になっていない場合があると指摘しました。工業所有権そのものは出願人(通常は企業)が有するのですが、最近のように発明者に高額な報奨金が支払われるケースが増えてくると、大きな問題になると思われます。
こうした事例を耳にすると、そもそも著作権というものをどう考えたら良いのか、特に企業や学校など組織と個人の著作やアイディアとの関係をどのように考えるのか、難しい問題を孕んでいます。
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