日記・コラム・つぶやき

2022/07/01

ゴキブリをわし掴み

ここ2、3年ゴキブリの姿を見なくて安心していたら、3日前と今日と続けて1匹づつ現れた。
これが過去形なのは、既に処理が済んでいるからだ。
我が家には、老妻という頼もしいゴキブリキラーがいる。素手でゴキブリを捕まえてギュッと握り潰し、トイレにポイと捨てて一件落着。
普段はスローモーションの様な動きなのに、ゴキブリ相手だとなぜあんなに俊敏に動けるのか謎である。そして、妻を前にするとゴキブリの動きが止まる理由もこれまた謎だ。
一方、以前に壁に止まっていたゴキブリに殺虫剤をかけていたら、いきなり私へ向かってブンと飛んできた。その時に逃げ回ったトラウマで、ゴキブリを眼にすると怖気づいてしまう。
今日も、妻が奮闘している姿を遠くから眺めていただけ。我ながら情ない話しである。

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2022/05/01

「谷間」の揺れ

「ココログ」では、記事にアクセスした方々の年代や地域といったデータが表示される。男女別の項目もあるが、データには表示されていない。4月分のデータによれば、年代では30代が約半数を占めていて、大半が40代以下で、50代以上は1%に満たない。当方としては、50代以上の男性が多いとみていたので、意外な結果である。
そして今回の話題も、50代以上の男性向け。
男として気になるのは、女性の胸の谷間だ。しかし、慎み深い日本の女性は谷間をさらすことは滅多にない。
そこいくと、海外では谷間を拝める機会はグーンと増え、目のやり場に困ることが多い(本当は困っていないが)。夏ともなると、襟の大きく開いたTシャツやタンクトップを着た女性たちが颯爽と街を歩くので、眼福にあずかることになる。
イスラエルのテルアビブを訪れた時、ここは大学が多いせいか下校時ともなると、大勢の女学生たちに出会った。揃ってはちきれんばかりのバストにTシャツ姿で、どちらを向いても谷間だらけ。
早速ワルオヤジたちが集まって、「凄かったねぇ」と感嘆しきり。そこから世界の女性のバスト論議が始まり、今見たばかりの印象からかイスラエルが世界一となった。ヨーロッパは東高西低の傾向があるという認識で一致し、イスラエルが大きいのは、東欧やロシアからの移民が多いせいだろうとあいなった。実際に、店の看板にはキリル文字で書かれたものが多い。
エルサレムの土産物店では、ヒップラインの美しい店員に出会った。今までに見たことがない、ちょうどスイカを縦にスパっと半分に切ったような形で、思わず二度見してしまった。
この後がランチで、真向いの席がツアー最高齢の80代男性だったが、その第一声がいきなり「ねえ、見た!」。「ええ、見ましたよ」と、これだけで男同士は感動を分かち合えてしまう。
女性の皆さん、男というものはかくもショウモナイ生物なのです。

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2022/04/18

事件や事故現場での「献花」への疑問

いつの頃からか、事件や事故の現場に花や菓子などがそなえられるようになった。被害者への悲しみや遺族へのお悔やみという気持ちは分かる。しかし、それらを毎日のように片づける人への負担を考えたことがあるだろうか。近所の方が片づけるようだが、ものがものだけに簡単に廃棄するわけにもいかず、処分に困るらしい。
そっと手を合わせるだけで十分ではないか。
勝手な善意は迷惑になるだけだ。
大きな事故や事件だといる、時に記念碑をたてたりする例がある。また、毎年の発生日には遺族の方が集まって現場で祈りをささげるのをニュースで目にするが、遺族の中には負担に感じる人もいるのでは。
人にもよるだろうが、辛い思いは忘れたい遺族もいると思う。
よく「事件を風化させないように」という言い方で、風化を否定的に使っている表現にぶつかることが多いが、もし死にたくなるほどの辛い思い出をずっと引きずっていたら、人は精神的に壊れてしまうだろう。風化は人間が生きてゆく上での知恵ではなかろうか。
家族の法事でも、故人を偲ぶのは3回忌までで、7回忌以降は親戚同士の交流会の趣きになる。
どんな事が起きようと、残された人は生きてゆかねばならぬ。配偶者を亡くした人なら再婚することもあるだろう。兄が亡くなって初七日の時に、義姉には良い人がいたら再婚して下さいと伝えた。
これから生きてゆくことの方が大事なのだ。

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2022/04/12

SNSをやらない理由

ツイッターやフェイスブック、インスタグラムといったSNSはやらないし、他の人のSNSを見ることもない。
理由は、つながりたくないからだ。
ネットを通して多数の人と交流するなんざあ、真っ平ゴメン。
例外にLINEがあるが、これも相手は子どもや孫たちだけだ。友だち申請には友人知人の名もあるが、申し訳ないが全てスルーしている。
自分の主張が正しいから、多くの人に知って貰いたいなんて気はサラサラない。
当ブログのタイトルを「ほめ・く」としているのは、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の、「ホメラレモセズ クニモサレズ」から採っている。
要は、世の中の役に立たない、どうでもいいことを書くのが信条だ。
性格が曲がっているので、世の中が揃って右に向いていると、ついつい左に向きたくなる。
付和雷同を嫌うから、フォロワーだのイイネだの、その数を競う世界には馴染めない。
この性分は治りませんね、この年になるとなおさら。

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2022/03/30

時代の変化についてゆけない爺さんたち

ここでは「爺さん」を70代後半から80代以上の人を対象とする。
爺さんたちが会社に入った当時は、定年が50歳だった。入社したばかりの人にとっては、50歳はすごい年寄りに見えた。
終身雇用が一般的で、給料は年功序列だったから、真面目にコツコツ働いていれば馘首になることもなく、給料は自動的に上がっていった。
特別に忙しい時期を除けば、定時に退社できた。
植木等じゃないけれど、「タイムレコーダーガチャンと押せば、ちょっくらちょいとパーにはなりゃしない」という時代だった。
慰安旅行となると、女子社員への今で言うセクハラが公然と行われていた。なにせ「悪い時はどうぞぶってね、あなた好みの女になりたい」なんて歌が、ヒットしていた時代だから。今なら犯罪だもんね。
30代になる頃に、合理化の波が押し寄せてきた。人員を出来るだけ切り詰め、余った人は「希望退職」という名の「強制退職」させられた。
いきなり別の会社に行かされる「出向、転籍」制度が導入された。給与体系も年齢給から能力給に変わった。
国際競争に勝ち抜くためとして業界再編が進み、企業合併があちこちで行われ、弾き出された社員は退職に追い込まれた。
50歳前後に職場にコンピューターが導入され、馴れない手つきでキーボードを叩く日々が始まる。社内資料は全てデジタル化された。
50代半ばになると、携帯電話が持たされた。出張や外出先にも容赦なく電話やメールがくる。
やれやれと思っていたら、ようやく定年だ。
爺さんたちの中には、時代の変化についてゆけない人もいるから、そこは大目に見てあげて欲しい。
当ブログでも時に失礼な事を書いているでしょうが、どうか温かい目で見てください。

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2022/03/16

常に誰かを差別しないと気が済まない人たち

小学5年の時に、クラスに在日韓国人の男子生徒が編入されてきた。両親は長く日本に住んでいたようで、彼は日本語の読み書きができたが、発音には訛りがあった。この発音に数人の生徒が嘲笑したり馬鹿にしたりするのだ。私たちより一回り体の大きな彼は、その度に背中を丸くして俯いて耐えていた。周囲の生徒の多くは彼に同情し、虐める生徒を非難したが、いっこうに止める気配がなかった。そういう連中は揃って頭の悪い生徒たちだったと記憶している。
いわゆる「部落差別」については、私の周辺では見聞きしたことがなかったので、差別そのものを知ったのは文学作品や映画などからだ。20代のはじめ頃に出張で大阪に行った時、先方の社員と世間話しをしていたら、部落への非難と、同和地区には近づかない方が良いとアドバイスされたことがある。「〇〇線の電車に乗ると、そういう人が多いので気をつけた方がいい」という、具体的なことだった。関西では部落差別が未だ存在しているのだなと実感した。
仕事の関係で、ある大阪の会社に下請けをお願いしていた。従業員はとても仕事熱心な人たちで、何度も助けられた。あるとき地元の人から、あの会社は社長以下全員が部落の人だと言われた。こちらからすれば、「だから何だ」である。仕事とはなんの関係も無い。
ウクライナ戦争との関係で、ロシア人への嫌がらせが起きてるとか。被害はロシア料理店にまで及んでいるとの報道もある。海外でも同様のヘイトが報じられているが、全く意味のないことだ。
「クーリエジャポン」によると、香港の女性ジャーナリストがロシア大使館前でウクライナデモを取材中、たまたま居合わせた右翼団体の男から罵声や威嚇を受けたという。「おまえらは中国共産党」と言いながら詰め寄ってきた。止めに入った大学生に殴りかかろうとして、警官に阻止されたとのこと。
終戦の日の8月15日、靖国神社からの中継中には投石された。12月13日の南京事件について国会議事堂前から中継しているとき、元航空幕僚長の田母神俊雄率いる右派政治運動団体「頑張れ日本! 全国行動委員会」の水島総会長らに取り囲まれ、「皆さん、この人は中国人ですよー」と指差しされながら、同会のライブ中継で晒し者にされたという。
こんな右翼連中は日本の恥だ。
彼女の所属するフェニックステレビは、中国メディアの中では数少ない知日派で、それゆえに彼女の発信したSNSには、中国人からの脅迫や嫌がらせが絶えないという。どの国にも「どうしようもない」連中がいるということだ。
常に誰かを差別しないと気が済まない人たちは、こうした行為でのみ、自己の平衡心が保てないのだろう。もはや病気だね。
ある調査によれば、ネットで嫌がらせや中傷を書き込む常習者は、利用者の0.5%だそうだ。
根絶するのは難しい。

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2022/02/03

「金もらってデモ」があり得ない理由

NHKが、東京五輪についての報道で、「金をもらって五輪反対デモに参加した」という声があることを紹介し、問題になっている。最近のNHKの報道姿勢の一端がうかがえる。
「金もらってデモ」があり得るかどうかだが、かなり以前の(つまり若い頃の)私自身の経験からいえば、答はあり得ない。
デモといっても大きく二種類あり、政府系デモ(官製デモ)と反政府系デモに分かれるが、ここでは反政府系デモに対象を限定する。
先ず、デモの主催者には資金がない、貧しいのだ。集会やデモをするにも、会場費や宣伝カー、音響設備など費用がかかる。金を配るどころか、デモの参加者からカンパを募るのが実態だ。
集会とデモ行進で、3時間程度を要するので、夏季や冬季は身体にこたえる。雨に降られると、傘がさせない時もある。
デモ行進の最中に、交差点で直角に曲がる所があると、数人の公安職員と思しき人物が、参加者を片っ端から撮影している。何かの時に利用するつもりだろう。
デモの周囲を固める機動隊から、汚いヤジを飛ばされることもあった。端を歩いている参加者の腕を引っ張って、振りほどこうとして警官の体に腕が当たれば、公務執行妨害で現行犯逮捕だ。だから警官と面対するときは、両腕は身体の後ろに回しておくことを心がけた。
学生運動が最盛期だったころ、お茶の水駅付近で学生と警察が衝突した時に、たまたまその場を通りかかった女子社員が現行犯逮捕された事があった。事情聴取で誤認逮捕であることが分かり釈放されたのだが、警察から会社に連絡が入り問題にされてしまった。こういう汚い手も使うのだ。
デモ参加者はこれだけ多くのリスクを抱えるわけで、「金もらってデモ」なんて、ハナから絵空事だ。

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2022/01/30

「見て見ぬふり」と簡単にいうけれど

車内暴力事件が起きるたびに、周囲の人は「見て見ぬふり」と、非難するような報道がなされる。こういう報道をする人は、実際の現場に遭遇したら、勇気をもって制止するのだろうか、いつも疑問に思う。
私は過去に2度ほど車内暴力に出くわした。しかし、2度とも駅員に通報するしかなかった。幸い、両方とも暴力をふるった人物は拘束されたのではあるが。あの暴力行為に立ち向かうのは、訓練を受けた人か、よほど腕に自信がある人に限られると思った。止めるのは命がけだ。
また、暴力には至らずとも、何かきっかけがあれば因縁をつけようとウズウズしている人物に出会うこともある。時には向こうから挑発してくる場合があるので、動きに注意し慎重に行動したほうが良い。
もちろん、悪いのは向こうに決まってるが、犯罪に巻き込まれるリスクは避けた方がいい。
世の中には、常識や理屈が通らない人もいる。
稀に、暴力を阻止する勇気ある人がいて、それは賞賛に値する。だからといって、そうした行動をとらなかったから、「周囲の人は見て見ぬふり」などと安易に断定するのは、不適切だ。

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2022/01/16

「子ガチャ」だってあるさ

「親ガチャ」という言葉がある。子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」(「実用日本語表現辞典」)と述べる表現を言うらしい。
しかし、「子ガチャ」だってあると言いたい。
同じ両親から生まれ、同じ環境で同じ様に育てにも拘わらず、兄弟姉妹の性格が全く異なるということは珍しいことではない。
私は二人兄弟の弟だったが、兄は模範的な人柄で親孝行、昼は仕事をしながら高校大学を夜間で卒業した努力家だった。だから、親戚の家に行くと、いつも兄を褒める言葉を聞かされた。ということは、私はその正反対に見られたわけだ。なかには露骨に、「この子は兄さんとは似てないねえ」なんて言われることさえあった。
だから親は困惑しただろう。兄弟で何でこんなに違うんだろうと。
自分が親になって子育てをしてみると、二人の子どもは同じ様に育てた筈だが、性格が正反対なのに戸惑うばかりだ。
結局、その子の本来持っているものが異なるのだから仕方ないと思うしかない。全てはこれも運任せ、「子ガチャ」である。
よく重大事件を起こした子どもの家族が夜逃げに追い込まれたり、時には自殺者まで出してしまうことがあるが、気の毒としか言いようがない。
養育環境についてあれこれ議論したりしても、一部のケースを除けば無意味だと思っている。殆んどが特殊なケースであり、その人の個別の事情によるものだと思う。
だから一般的な背景を詮索しても何も出てこないし、ましてや事件を防ぐことなど不可能だと思っている。
前にも触れたが、私は旅行が好きであちこちのツアーに参加してきた。そうすると、必ずと言っていいほど周囲に迷惑をかける人が一定割合いる。
最初は腹が立ったが、ある時に約5%(およそ20人に1人程度)はそういう人がおり、それは仕方ないことだと諦めたら気が楽になった。だから20人ほどのグループで、何も問題が起きなければ今回はラッキーで、迷惑になる人が2人以上いたら今回はついてないと思うことにした。
世の中には、どうにもならない事があるのだ。

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2021/10/01

加害者の家族に罪はない

事件や事故で加害者になった人の家族に対して、攻撃や誹謗中傷が行われることが頻発している。時には、家族の勤め先まで、嫌がらせがされる例もある。その結果、家族が引っ越しを余儀なくされたり、自殺という事態まで引き起こしている。被害者に同情する心情は分かるが、それとて加害者の家族に対する攻撃は許されることではない。
特に加害者の親が矢面に立たされることが多いが、子育てを経験してみれば分かる通り、親は子どもをコントロールすることは出来ない。同じ両親から生まれ、同じ環境に育ちながら、子どもたちの性格が正反対というのはザラだ。順調にいってるケースもあるが、多くの親にとって子育ては悩みの種だ。
私が中学生の頃、近所に5歳位の女の子に問題児がいた。両親はとても上品な人で、その子も礼儀正しく進んで挨拶し、よその家に上がる時は「お邪魔様です」と声をかけてくる。この一見良い子が、周囲に大人がいないと見ると、幼児を叩くなど乱暴をする。一度、三輪車で遊んでいる子を背後から突き飛ばし、電柱に激しくぶつけるを見た。ぶつけられた子が大声で泣きだしため、家から飛び出した母親に状況を説明し、その母親も女の子を強く叱ったが、ケロッとしていた。子ども心に、私には悪魔の様に見えた。こんな事が続いたため、周りの人の間でもこの女の子のことが評判になり、「将来どんな風になるのかね」という心配の声も上がっていた。しかし、その子の両親に忠告した人はいなかった様で、恐らく親は実態を知らぬままだったろう。また、忠告されても親は戸惑うばかりだったろう。しばらくすると、引っ越してしまったので、その子のその後の事は分からない。
事ほど左様に、子どもは親の思い通りにはならない。成人になった子に対しては、親は無力だ。
ましてや、加害者の兄弟や子どもたちには何の責任もない。
だから、加害者の家族を責めたり中傷したりする行為は、やめるべきだ。
もっとも、そんな事をする連中はネット民と呼ばれる常識の通用しない人たちだろうから、耳を貸してくれるかどうか疑わしいのだが。

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