日記・コラム・つぶやき

2017/05/14

「70歳」は「従心」

70歳の祝いは通常「古希」とされ、私も数年前に子どもや孫たちから祝って貰った。
「古希」の語源はご存知の通り、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)の
「人生七十古来稀なり」
に由来する。
しかし、杜甫の時代では70歳は古来稀だったんだろうが、平均寿命を考えれば今の時代では70歳に達しない人の方が稀になった。
どうも「古希」は座りが悪いなと以前から思っていた。

月刊誌「図書」2017年5月号の巻頭に、チベット仏教学の今枝由郎氏がこの件に触れて、「七〇歳はまた従心の歳」と書いている。
こちらは孔子の論語、
「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
に由来する。
意味は、「70歳ともなれば、心の欲するままに行動しても、道徳の規範に外れるようなことはない」という様な解釈になると思う。
これは孔子が自分の過去を振り返って書いたとされている。
これに対し今枝氏は、孔子が「七〇歳になっても未だ矩を踰えている自分を認識し、『従心』たらんと志した」と解釈してみたらどうかと記している。
我が身を省みれば、確かにこの解釈の方がピッタリする。
それならもう「古希」を過ぎたなんて考えるんじゃなくて、70歳を過ぎてもなお「従心(じゅうしん)」たらんと努力する方が、なんだか人生前向きに捉えられる様な気がする。

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2017/05/13

近ごろ、嬉しいこと二つ

最近、嬉しいことと言えば、
先ず、阪神タイガースの快進撃だ。
未だシーズン序盤だが、21勝12敗、勝率.636、2位の広島に2ゲームの差をつけている(5月12日現在)。
開幕前の評論家の予想では、今年の阪神はBクラスとした人が過半数で、優勝予想は確か一人もいなかった気がする。
また、プロの棋士を破った人工知能(AI)によれば最下位だった。AIが未来を予想することなど不可能だという証明のためにも阪神には頑張って欲しい。
今年2月にパキスタンに行った時、同行者にタイガースファンの方がいて、阪神の話題で二人で盛り上がっていた。
その人から、今年阪神が優勝するとしたら何が必要だと思うかと訊かれた。
私の答えはこうだった。
一つは、センターラインの固定化。
二つは、鳥谷の復活。
現在までの状況を見ると、センターラインは捕手が梅野、二塁が上本(今は怪我で欠場しているが、そして中堅が糸井と、メンバーが固定化しつつある。これが昨季との大きな違いだ。
鳥谷の復活もほぼ間違ないだろう。やはりタイガースというチームは鳥谷が中心なのだ。
だが、このまま首位を突っ走ると考えるほど現実は甘くない。
鳥谷、福留、糸井のベテラン選手のうち、一人でも故障で離脱するようなことがあれば、攻撃力の大幅な低下は免れない。
投手陣でいえば、中継ぎや抑えが頑張っているが、これも夏場になって疲れが溜まってくると崩れる危険性がある。
先発は信頼できるのはメッセンジャーぐらいで、明らかにコマ不足だ。昨年のドラフトで即戦力の投手を1位指名しなかったツケが回ってきている。
こうした点を克服して、優勝で飾れるよう期待したい。

次に嬉しいことは、当ブログの兄弟サイトである「ほめ・く別館」のアクセスが、この半年間で倍増したことだ。
永らく、アクセス数が当ブログの10分の1以下だったのが、少し上昇しつつある。テーマを旅行記に絞っていて、旅行した時しか記事を更新しないのが難だ。
アクセスを稼ぐ気持ちはサラサラないが、やはり一人で多くの方に読んで貰えるのは嬉しい。

人生、たまにはいい事もないとね。

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2017/05/08

東京オリンピックって、何様よ

安倍首相が、東京オリンピックの行われる2020年に合わせて憲法を改正するというアホなことを言い出した。
オリンピックと憲法、どんな関係があるというんだ。
その前は、東京オリンピックのために共謀罪を成立させるんだと言っていた。
オリンピックを口実に、それこそドサクサに紛れてなんでも通してしまおうと意思が丸見えだ。

五輪が東京で開かれるなんて、楽しみにしている方もいるだろうが、前回の1964年の東京五輪の時には私の周囲-会社の同僚や友人-で実際に競技会場に行ったという人は誰もいなかった。
もっとも、会社はオリンピック不況(工事が一段落した後の反動不況)で人員整理を打ち出していて、それどころじゃ無かったけど。
だから皆さん、TV観戦よ。
それも、専ら女子体操のチャフラフスカの演技に見とれてた。
TVで見るなら、どこの国でやっても同じことだ。

五輪憲章では、政治利用を固く禁じている。
安倍首相は頼みもしないのにリオの閉会式に出て(異例の出来事だ)、マリオの恰好までして見せた。
今度は東京開催に合わせて共謀罪だ改憲だと言い出す。
そんなオリンピックなら真っ平ご免だね。

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2017/05/01

バカも休み休み・・・

ここ2,3日「首が回らない」状態が続いている。
どうやら、長時間PCの前に座っているのが原因のようだ。
「馬鹿も休み休み言え」という諺もあるので、ここは拙ブログも休み休み書くことにする。

一方、妻も近ごろ足腰が痛むということでマッサージや鍼灸に通っている。
「お灸をすえに行ってくる」と言うから、それは文法が間違ってるよ。正しくは「お灸をすえられに行ってくる」だろう。

「首の回らない」夫と、「お灸をすえられる」妻、結構な取り合わせじゃありませんか。

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2017/04/14

「町内会(町会、自治会)」って、必要なのか

私が住んでいるマンションでは、管理組合の理事長は町内会の役員になることになっている。
これも自分たちで決めたことではなく、入居当初から町内会側が勝手にルール化したものらしい。
町内会の役員の主な仕事は、
・役員会の出席(無視している)
・町会費と近くの神社の氏子会会費の集金
・区の会報などの配布
・分けの分からぬ回覧
・赤い羽根などの募金の集金
・防災訓練などへの参加
といった所だ。

管理組合の役員の方は大変なことも多いが、こちらもお世話になることがあるのでお互い様と割り切れる。
しかし、町内会となると40年近く会員になっているが、何か世話になった記憶がない。
その一方で、会費の集金や上から配布物、各種回覧物などが一方的に持ち込まれる。だから、どうも釈然としないのだ。
特に回覧、この必要性が全く分からない。
先ず、読まない。私も読まないが、周囲の人に訊いてもやはり読まないと言っている。読まなくても誰も困らないし、作り手も読ませる工夫をしていない。
恐らくは、各団体の広報予算の消化に使われているんだろう。
そんな回覧物が毎月数種類も持ち込まれる。

ウウィキペディアで「町内会」を引くと、「日本の集落又は都市の一部分(町)において、その住民等によって組織される親睦、共通の利益の促進、地域自治のための任意団体・地縁団体とその集会・会合」とある。
しかし町内会の歴史を振り返れば、戦時下では大政翼賛会の末端組織として戦争遂行の役割を果してきた。
戦後はGHQにより禁止されていたが、サンフランシスコ条約の発効にともない自治組織として再組織化されるようになり、今日まで続いている。
私の住んでいる地域については、同じ町内なのに番地が違うと別の町内会に分かれていたり、その一方で別の町と同一の町内会を形成している。
区内の他の町内会も似たような形態だ。
どうやら、戦前の町内会組織がそのまま継続しているようだ。

加えて、この町内会は近くの神社の氏子たちが中心となっている。だから、町内会の役員が氏子会の会費の集金をやらされるのだ。
私の様に信教の自由を理由に氏子会の入会を拒否していても、町内会の役員になると氏子会費の集金は手伝わされる。
地元の神社への信仰を否定するわけではないが、神社本庁が「日本会議」の中心であったり、神社が憲法改正の署名を呼びかけたりしている実情を見る時、どうしても戦前の悪夢を想起してしまう。
別の神社が経営している幼稚園では、かなり以前から毎朝の朝礼で君が代を園児に歌わせている。安倍政権の教育政策の先取りである。

少なくとも私の町の町内会を見る限りでは、住民自治とは程遠い。
地方自治体との連携を言いながら実態は一方通行で、「御上から下々へ」の気分が抜けない。
こんな町内会なら不要だろう。
町内会など脱会したいのだが、震災など大きな災害に遭ったときはそれなりの役割もあるかも知れないと思って、疑問を持ちながら会員は継続しているのだが。

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2016/10/25

「家族葬」と「お別れ会」

この年になると、親戚や友人など周辺の人々をおくる機会が増えてくる。
最近、特に眼に付くのが「家族葬」だ。大きな葬儀をするのではなく、家族だけで小さな葬儀をするというもの。
だいたい数百万円のかかる葬儀というのが不自然だったのだ、王侯貴族じゃあるまいし。だからこうした傾向になるのは当然だと思う。
ただ、外部の人には通知がいかないので、例えば年末に喪中はがきが来て初めて亡くなったのを知るとか、時にはこちらから出した年賀状の返信で亡くなったことが知らされるという事になる。
特別に親しかった友人の訃報だったりすると、一言連絡してくれればな、などと思うこともある。

「家族葬」の場合、家族以外の人は参列できないのかという問題もある。
数年前に同じ集合住宅の隣の御主人が亡くなった。親しくもあったのだが、「家族葬」だということで参列は遠慮しようかなと思っていた。
処が、マンションの掲示板に葬儀の日程や会場が告知されていた。
迷ったあげく、とにかく自分だけでも参列しようと会場に着いたら、私ともう一人同じマンションの住民が来ていた。
二人で会場に入ると、ご主人の知り合いの方が数人参列されており、控室も用意されていた。
こうなると「家族葬」って何だろうと思うのだ。
帰って近所の人にこの話をすると、「それなら私も行きたかった」という人も何人かいた。
この辺りの線引きがアイマイな気がする。

「家族葬」の反動というわけなのか、「お別れ会」というのが開かれるようになってきた。
親しい友人たちが有志で、亡くなった方を偲ぶという趣旨のようだ。
しかし、これにも問題がある。
誰々さんは「お別れ会を」やったのに、誰々さんの時はやらなかった( やってくれなかった)という不満の声があがることがあるようだ。
あと、誰と誰を招待するかという人選の問題もある。
私自身も、なぜ自分に声が掛からなかったのかと訝るケースがあった。
せっかくの周囲の好意なのに不満が生じるようでは困る。
また、故人の遺志で静かにおくって欲しいという事で家族葬になった場合、「お別れ会」を開くのは故人の遺志に反することになりはしないか。

私自身は死んだら家族だけでおくって貰い、遺灰は散骨してお墓もいらない。戒名も位牌も法事もいらない。
ごく親しい友人数人だけに、あとで死亡したという通知だけを送ってくれと遺言するつもりだ。
もっとも遺族に、「お墓も作らないのか」という親戚からの横ヤリが入ることもあるそうで、とかく葬儀はヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

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2016/08/06

「不倫」で世間が騒ぐ理由がわからない

ただいま「不倫ブーム」のようだ。この手のテーマを得意とする週刊誌には、毎号誰かの「不倫」記事が掲載されている。
この世に不倫のタネは掃いて捨てるほどあるだろうから、記事に困ることがないというのが報道側の利点といえる。
こうした報道があると、世間の声は不倫を行った人物を非難し、時には社会的制裁にまで発展する。そして不思議なことに当の本人が記者会見などを開いて、「世間をお騒がせしまして・・・」なんて謝罪までする。あれはいったい誰に謝ってるんだろうと、いつも疑問に思うのだ。

先ず「不倫」という用語に抵抗を感じるのだ。過去には「浮気」という言葉がよく使われていたが、なぜか今は「不倫」一辺倒だ。
似たような用語を辞書で調べると、定義は以下のようになる。
【不倫】道徳に反すること。特に,男女の関係が人の道にはずれること。(【人の道】人間としてふみ行うべき道すじ。)
【浮気】①異性から異性へと心を移すこと。②妻や夫など定まった人がいながら他の異性と情を通ずること。
【密通】妻あるいは夫以外の異性とひそかに情を通わすこと
【不貞】貞操を守らないこと。(【貞操】男女が互いに,異性関係の純潔を守ること。)

比べてみると「不倫」の定義だけは非常に抽象的だ。「人の道」といわれても個人によって捉えかたが違ってくる。「悪事はすれど非道はせず」なんて言葉もあるとおり、悪いことはしたが人の道に外れるようなことはしていないという言い方もできる。
それでも「不倫」という言葉だけが繁用されているのは、これも近ごろ流行りの「道徳ファシズム」に関係しているのではなかろうか。
それよりは「浮気」の方が明快な気もするが、「心を移す」を含めると範囲が広がりすぎる感もある。
「密通」がズバリだが、主に女性が対象になるのと、語感が古めかしいのが難点だ。
そうすると、残る「不貞」が最も適切な用語であると思う。
法律的には「不貞行為」とは「配偶者ある者が自由な意思に基づいて配偶者以外の者と性的関係を結ぶこと」と定義されているようなので、以後は「不貞」に用語を統一する。

「不貞」は純粋に配偶者二人だけの問題だ。もし相手が許すならば何も問題ない。許さないとなれば離婚となるが、これも夫婦二人だけの、範囲を広げてもその家族たちだけの問題だ。
赤の他人が口をはさむ余地はまったくない。

既婚者にきいてみたい。あなたは今までに、あるいはこれからも「不貞」を一切しないと誓えるだろうか。誓える人(特に男性)はよほど貞操観念が強い人か、嘘ツキかのどちらかである。
女性のことは知らないが、男性でそういうチャンスがあって妻に絶対バレないとなったら、10人のうち9人は不貞をはたらくだろうと推定している(残る1人は、このワタシ)。
自らを省みれば他人の不貞を簡単に非難はできないはずだ。
現実に不貞はかなりの確率で行われているし、明らかになった後も夫婦関係を継続してケースだって多い。そこには様々な事情があるだろうし、他人はうかがい知れないことだ。

夫婦にしかわからない不貞問題を外野がとやかくいうのはもうよそうよ。特にマスコミは。
落語『明烏』の時次郎のセリフじゃないが、「あなた方には、他にやるべきことが無いんですか」といわれかねない。

今日8月6日、広島原爆忌。

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2015/07/26

すべては家庭平和のため

昨日のことだ。
ある落語会のチケットが販売開始となり、昼席・夜席と別れているのだが両方とも顔ぶれが良いのでそれぞれ予約した。電話が終わってその会のチラシを眺めていたら、妻が怪訝な顔で近づいてきた。
「これって、何枚取ったの?」
「1枚ずつだけど」
「あなたねぇ、私のことを考えて2枚取ろうとは思わなかったの?」
実はまったく頭になかったので、虚をつかれてしまった。
だが、ここで狼狽えてはいけない。落ち着け落ち着け。
「いや、昼と夜を取っただろう。二人でどっちか行けばいいと思ったんだ。」
「ああ、そうなの。だったら2枚は要らないわね。わたし〇〇とXXは初めてだから、昼にするわ。」
「じゃ、オレは夜ね。」
と、すっかりご機嫌を直した妻に(泣く泣く)昼席を譲るハメになった。

これは数日前のこと。
芝居の特等席のチケットを手に入れたのが、妻の眼にとまってしまった。
「何枚買ったの?」
「1枚だけど」
「どうして私の分を買わなかったの?」
しまった! 井上ひさしの芝居に行きたいって前から言ってたっけ。
ここで動揺してはいけない。毅然としなくっちゃ。
「これ、君のために買ったんだよ。ほら、桟敷席だろう。こんな席で芝居を観られるなんてメッタにないだろう。」
「あら嬉しい、今から楽しみだわ。」
と、妻は大喜び。
禍福は糾える縄の如し。

己を戒め、相手を立てる。
これぞ我が家の「平和安全保障政策」。

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2015/05/15

いやはや、恥ずかしいのなんの、まるでタヌキの置物状態

Photoここ数日、他人(ひと)に言えない悩みを抱えていた。陰嚢(つまり玉袋)の表皮が赤く腫れ上がってしまったのだ。ご婦人の方には理解しにくいだろうが、横になっていても座っていても玉袋の先端が底面にあたり痛むのだ。立っていれば良いかというと、歩くと下着にすれてやはり痛む。
腫れてくると万有引力の法則に従い垂れてきて、状態としては上の画像のタヌキの置物(信楽焼)を想像して頂ければ早い。
さすがに放っておけないので、近くの病院の皮膚科に行った。医師は30代と思しき女医さんだった。
症状を説明すると、「じゃ、見せて下さい」と言う。いきなり、カーテンもなにもせずによ。「ここでですか?」と言うと、「ええ」。
「あの~、妻以外の女性には見せたことが無いんですけど」と言ったけど、笑わないんですよ、この女医さんは。
パンツを降ろすと、女医さんは陰嚢を指で挟んで観察し、「ああ、掻いてバイキンが入ったんですね」と言う。「いや、掻いてませんけど」と抗弁してもとりあわず、「掻いたからバイキンが入ったんですよ、抗生剤と痛み止め、出しときますね」と言って処方箋を渡してくれた。
そんなわけで、今日は長い文章は書けないので、この辺りでお終い。

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2015/03/10

東京大空襲と学童疎開

今日3月10日は東京大空襲から70年にあたる。実際は東京は何度も空襲を受けているのだが、とりわけ昭和20年3月10日は、下町を中心に死者10万人といわれる大規模な被害を出した。
中野区の新井小学高6年生だった私の兄は、他の生徒たちと共に昭和19年の春から福島県に学童疎開していた。処が、本土への空襲が激しくなった昭和20年1月に東京に戻されていた。不思議に思って後年、その理由を訊いてみたらこういう事だった。
当時の軍部は最終的には本土決戦を唱えていて、そのためには中学生以上の全ての日本人男子は戦闘に参加するという方針だった。昭和20年4月に中学生になる兄たちは、本土決戦要員として疎開先から東京に戻されたのだ。
私と母は、母の実家のあった神奈川県に疎開していたので、取り敢えず兄は私たち家族の元へ引き取られたが、生徒によってはそのまま東京に留まり、空襲の被害にあった人もいたものと思われる。
非道い話だ。
沖縄戦では、中学生以上の男子は学徒隊に組織され、男子は鉄血勤皇隊、女子は従軍看護婦隊として中学校単位で部隊に配備され、その中から沢山の犠牲者を出している。
もし軍部が主張していた本土決戦が実現していたら、どれだけ多数の日本人が死んで行ったか想像もつかない。

そうした惨禍を二度と繰り返すまいという反省に立って戦後の日本は出発したはずだ。
それがいま安倍政権の下で次々と覆されつつある。
東京大空襲70周年にあたり、私たちは本来の日本の姿を取り戻す決意を固めねばなるまい。

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