日記・コラム・つぶやき

2009/12/17

「させて頂く」コトバを禁止!

いつの頃からか、コトバの末尾に「させて頂く」「させて頂きます」という、もってまわった表現がくっ付くようになった。
最初は政治家(連発するようになったのは鳩山由紀夫あたりか)や芸能人だったのが、今時はフツーの人々までが濫用するようになってきた。
「させて頂く」というのは相手方や第三者の承認、あるいは許諾を得るという意味合いだが、コッチが認めたとも何ともいわないうちに、勝手に「させて頂」いちゃうんだから始末に悪い。

「婚約しました」で済むところを「婚約したことを報告させて頂きます」とくる。
するってぇとなにかい、お次は、
結婚させて頂き
床入りさせて頂き(これは順不同)
妊娠させて頂き
出産させて頂き
浮気させて頂き
(タイガー・ウッズならホール・インさせて頂き)
別居させて頂き
離婚させて頂く
ってぇワケかい。
そう訊かれたってコッチは、どうぞご自由に、と答えるしかない。

マニフェストを出させて頂き
仕分けさせて頂き
国債を増発させて頂き
公約実行が無理だと分かって頂く
そのついでに
政治資金規制法違反は見逃して頂く
ったって、そうか行くかい!

マニフェストを実行しようと思ったら予算が足りないのでやめる、これだけで済む話なのだ。
一見シタデに出ているようで、その実は一方的な押し付けなのがこの「させて頂く」言葉である。
こういうのを慇懃無礼という。
「表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼な」な表現なのだ。
まわりくどい言い方で実態をアイマイにするような役割もある。

先ずは政治家から、「させて頂く」コトバを禁止させよう。
もっと真っ直ぐに国民に意志を伝えてもらおう。
そして、私たちもできるだけ受動態ではなく能動態で表現していこう。
せめてコトバだけでもアクティブに。

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2009/10/21

「いい年して」って、いくつなの?

「いい年(歳)して」と言われたことのある人は多いだろう。特に男は。
ワタシの場合も、美しい女性の画像や映像をウットリ見ほれていたりすると、同居人から「いい年して、もぉー」の非難の声を浴びる。あれって、最後の「もぉー」はナンなんですかね。
だいたい女性に興味を失ったら、オトコ稼業はオシマイだよね。そう思いませんか、全国のお父さん!

その「いい年」て、いったい何歳を指すのだろうか。その定義が分かれば、「オレはまだ、いい年じゃないぞ」と反論ができるわけだ。
そんなことはどこにも書かれていない。
試しにgoogleで「いい年して」を英訳してみたら、”Have a good year.”と出てきた。違うんだよなぁ。
ネットで調べていたら、あるサイトでアンケート結果が出ていたので、参考までに下記に示す。

いい年      票数
15歳        1票
18歳        5票
20歳        1票
22歳        5票
25歳       32票
27歳        1票
30歳       34票
40歳        3票
対象者の年齢  9票
見た目が老けた人3票
―――――――――――
総投票数     94票

この結果からすれば、25-30歳あたりから「いい年」になるようだ。
ただしこのアンケートは、おそらく若い年齢層の人たちの声であって、あまり参考になりそうもない。
国民全体から無作為抽出で調査したら、もっと異なった答になっていただろう。まあ、そんなバカバカしいことをする人は、誰もいないだろうが。
若い人なら親から、中高年なら妻や友人から、熟年になれば子供から言われるだろうから、シチュエーションによって該当する年令も変化してくる。
上のアンケートの回答の中でも、「対象者」や「見た目」の回答が的を得ているような気がする。

「いい年して」というのは絶対的な年令ではなく、言動が実年令に相応しくないという意味になるだろう。
数式化すれば、こうなる。
「いい年」度=(実際の年令)―(思考や行動から類推される年令)
つまり「いい年」の度合いが大きいうことは、年令と言動のギャップが大きいということであり、歳のわりに言うことや、やる事が若いネということだ。
ここに至って、実は「いい年して」というにはホメ言葉だと確信できた。
ご同輩の諸君、いつまでも精神的な若さを保ち、「いい年して」と言われ続けようではないか。

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2009/09/23

ゴキブリの自殺




コネタマ参加中: トイレのふたは閉める? 開けておく?

我が家ではトイレのフタはいつも開けている。
そのせいだろうか、きのうトイレに入ったら、長さ2cmくらいのこげ茶色の虫が便器の中で浮いていた。
よく見るとゴキブリで、もう全く動いていなかったので、すでに死亡していたと思われる。
便器のふちを歩いていて滑落したとは考えにくいから、たぶん覚悟の投身自殺だったのだろう。
フタが閉っていたら、自殺は防げたのかも。
生活苦だったのか、あるいは将来を悲観したのか原因は分からないが、人間でさえ住みづらい世の中なくらいだから、きっとゴキブリも生きていくのが辛かったのかも知れない。

ゴキブリという生物、考えてみれば気の毒な身の上だ。なにも悪いことをしていないのに、見つかるとスリッパで叩かれたり、ゴキブリジェットを吹っかけられたり、とにかく目の敵にされるのだ。
仏教の「輪廻」にしたがって生まれ変わるとしても、ゴキブリになるのだけは御免だね。

「黄金虫」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)という歌をご存知だろう。
こんな歌詞だ。

黄金虫は 金持ちだ
金蔵建てた 蔵建てた
飴屋で水飴 買って来た

作詞の野口雨情は茨城の出身だが、茨城の地域によってはゴキブリを今でもコガネムシと呼んでいるそうだ。
その昔、ゴキブリは主に蔵の中に住んでいたようだ。寒風にさらされることがなく、食べ物にも不自由しないから棲みかにはもってこいだったのだ。
だからゴキブリがいるということは、その家が金持ちだという証拠であり、ゴキブリはリッチのステイタスだったわけだ。

それが経済が豊かになって飽食の時代になり、住宅事情がかわるにしたがい、ゴキブリは一般家庭にまで出没するようになった。
その結果、人間から毛嫌いされるように至ったわけだ。
数億年生き抜いてきたゴキブリにとって、今が最大のピンチかも知れない。
水洗のレバーを引きながら、そんなことを考えてしまった。

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2009/04/09

美人「すぎる」ってナンダイ?

近ごろよく耳にする言葉に「美人すぎる」というのがある。美人は分かるのだが、後ろの「すぎる」というのが良く分からない。
一般化したのはどうやら、八戸市議である藤川優理(ゆり)に対して、ネットでもてはやして使われるようになったのがキッカケのようだ。
だいたい「すぎる」とつけると誉め言葉ではなくなり、どちらかというと批判的な、否定的な言い方になる。
例えば
「頭が良すぎる」
「人が良すぎる」
「話が上手(うま)すぎる」
などなどだ。
奥さんに「あなたは早すぎる」と言われたら、これはもう完全な侮辱だし。

六十有余年の人生で、美人だと思う人には2人しか会わなかったもので(女房には君を入れて3人とウソをついている)、美人すぎるという藤川ゆりという人の画像を検索してみたら、下の写真が出てきた。
Photo
感想としては、美人「すぎない」というのが私の見立てだ。

議員と名の付く人は国と地方を合わせれば、およそ6万人に達する。その中には色々な人がいるだろう。
過去にも美人議員ともてはやされて、週刊誌のグラビアなどに紹介されていた人がいた。
そういう人ほど、容姿で選挙に受かったと思われるのを嫌い、美人であることを売り物にしてこなかった気がする。
藤川優理の場合、恐らく美人であることを広く宣伝する仕掛け人がいて、マスメディアへの露出を増やし、人気を煽ったのだろう。
写真集やらDVDやら、市議としていささか矜持に欠けると思われるが、どうだろうか。
そう考えると「美人すぎる」という表現に、なにやら彼女を侮蔑する意味合いが込められているのかも知れない。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。
やはり「すぎる」のは良くないのだ。

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2008/10/22

カラオケは「擬似コミュニケーション」のツール

会合や宴席の二次会=カラオケ、という風になったのはいつ頃からだろうか。
カラオケの発達史を見ると、
1971年  カラオケの発明
1980年代半ば カラオケボックスの出現
1992年  通信カラオケの登場
となっているので、もうかれこれ20年は経つと考えて良いだろう。

二次会の目的というのはメインの会合や宴席が終わった後、いわゆるショバを変えて、あるいは参加者のメンバーを絞って、更にコミュニケーションを深めるということにある。会合が商談や交渉の場合は、飲食を伴って本音の議論や腹を割った会話が行われる場であった。
ホステス(「女の子」)がいる店が好まれたのも、男同士のコミュニケーションでは女性がいた方が話が弾むからだ。

しかしカラオケの登場で状況は一変する。カラオケスナックなるものに入っても、席に座るやいなや、いきなり分厚い歌の索引が配られマイクが回される。客はひたすら自分が歌う曲の選曲に没頭し、次々と曲の番号をリクエストする。その後は時間を惜しむかのようにひたすら歌い続ける。一応他人の歌を聞く振りはして、歌唱が終わると「ヨーヨー」と声をかけて拍手したりするが、関心は次の自分の選曲や順番待ちの確認に向かっている。
ホステスなど一応存在はしていても、要はカラオケのオペレーターであり、接客の技も能力もそこには無い。
ホステスに外国人が多数を占めるようになったのは、接客の必要が無くなったからだ。会話が要らなければ、日本語が喋れなくても問題がない。
これを局限化したのがカラオケボックス(ルーム)であり、ここでは密室の中で歌いまくるという機能しかない。しぶしぶ付き合わされて人にとっては、まるで強制収容所である。

カラオケで楽しんでいるグループは外見上は和気藹々と映るが、実際には何もコミュニケーションはしていない。
第一、あの狭い空間の中の大音量では、会話が成り立たない。せっかく二次会に行ったのに、一言も言葉を交わさずに終わることになる。
そこにあるのは双方向の意志の伝達ではなく、歌い手と聞き手という一方的関係が交互に繰り返されるだけだ。
そうしてみるとカラオケというのは、実際はコミュニケーションせずに外形上コミュニケーションしているように錯覚させる、「擬似コミュニケーション」ツールなのかも知れない。
当たり障りなく付き合い、相手の心には絶対に踏み込まない今の時代の対人関係の反映だと言えよう。
そう考えれば、カラオケの出現は時代の要請なのだろう。

以前のエントリーで、“ブログは書くカラオケ”としたが、ブログにもそういう面はある。
希薄な人間関係を、もっともらしく覆い隠す「擬似コミュニケーション」という点では、共通性がある。

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2008/10/04

女性はなぜ長生きするか

私が住む集合住宅も築30年を越え、当初に入居した人たちが高齢になって亡くなるケースが目立つ。それもご夫婦の場合、例外なくご主人が先に亡くなっている。日本人女性の平均寿命が世界一だということを、日々実感している。
日本人が長生きする理由として、一つには永いあいだ戦乱が無かったことがあげられるだろう。世界を旅してつくづく感じることは、第二次大戦後一度も戦争もなければ内乱もないということが、どれほど幸せかということだ。それから平均所得が比較的高いということも理由の一つだ。長寿の国というのは例外なく経済先進国だ。医療制度が進んでいるというのも、大きな理由だろう。
こうして長生きの理由を並べていくと、これからの日本人の平均寿命には異変が起きてくるかも知れないという予感がする。
Photo_2

それにしても日本人の平均寿命だが、女性の方が男性に比べおよそ7歳も上回っているのはなぜだろう。勿論、世界的に見ても女は長生きなのだが、男女で7歳も差があるのはざっと見て日本とフランスぐらいだ。この理由は一体なぜなんだろう。

外国の事情は良く分からないが、日本人の夫婦の場合、妻に先立たれると夫も後を追いように亡くなるケースが多いが、夫に先に死なれた妻はかえって長生きするようだ。つまり男の側は依存心が強く、女は自立心が強いという事だろう。自立心=生命力と考えれば納得がいく。

老年になって、女性の方がアクティブになるというのも理由の一つかも知れない。私が定年退職した直後、女房から「あなたは引きこもり」と散々言われた。自分では同年輩の男と比べても活動的だと思っているが、妻から見ればこれでも「引きこもり」と映るらしい。ということは、女がいかにアクティブかという逆の証明でもある。確かに毎日どこかに出掛けていて、感心する。

亭主を早死にさせる方法で最も有効なのは、毎日嫌なことを亭主に吹き込むことだそうだ。それで思い当たるのは母親が更年期の頃から毎日毎日父に、ここが悪いあっちが痛いとと訴えていたことだ。嫌な顔をして聞いていた父は60代で亡くなったが、病苦を訴えていた母は90代まで生きた。
男は勤め先であった嫌なことを家庭に持ち帰らない傾向があるが、奥さん方は概してその逆だ。
ちょうど母の年齢に達したあたりから、妻も日々身体の不調を訴えるようになった。一日として気分爽快という日はないようで、常に苦痛を抱えている。さぞかし辛いだろうと同情していると、これが朝から晩まで外へ出歩いているの。この辺がどうも良く分からない。

ある程度年をとってくると、確かに身体はガタが来ていて、どことなく具合が悪いと感じるものだ。でも男は家人に対してあまり口外しない。よほど悪ければ医者に行くし、それ程でなければ我慢する。それがいけないのかも知れない。知らず知らずの内にストレスがたまるのだ。
女性の方はといえば、夫に話すことによりストレスを発散、それを受け止める夫の方は、更に妻のストレスの分まで抱え込んで早く死んで行く。
かくして落語のオチではないが、「アア、俺は短命だ」という結末になるのだ。

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2008/07/01

ここらでチョットひと休み

ブログ“HOME★9(ほめく)”始めて3年半、
書いたヨタ記事620本、
ここらでチョットひと休み。
******************
7月は全休、
8月からは落語や芝居の劇評を時々。

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2008/03/30

通勤電車の中の「奇人・変人・暴人」

Tsuukin_densha_2サラリーマン時代、およそ40年間戦車通勤をしていましたので、往き帰りに様々な変わった人物に出会いました。さすがに朝の時間帯は滅多にいないですが、帰りの電車で奇人・変人を見かけました。
【股旅オジサン】回し合羽の三度笠、腰には長脇差を落とし差しという中年男です。最初はチンドン屋かと思うのですが、洋服を着ているしカツラも被っていません。何より片手にテープレコーダーを持って、ずっと股旅演歌を流しているのが特徴的です。何度か見たので、股旅マニアなのでしょう。
車内でもテープを流し続けるので、かなりウルサイのが欠点ですが、なにせ向こうは刀を持っているので誰も注意しません。苦笑しながら眺めているだけで、車内の空気が和むという効果がありました。
【キリストおばさん】未だ電車にエアコンが付いていなかった真夏の頃、車内の窓は全部開けたままです。始発駅から乗ると、60歳過ぎと見られる女性が乗り込んできて。その車両の窓を片っ端から閉め出しました。最初は呆気にとられていましたが、その内一人の男性客が「暑いんだから窓を閉めるなよ」と注意したところ、「あなた、そんなこと言うとキリスト様に叱られますよ」と一喝されてしまいました。キリストに叱られるのはチョット困るので、皆さん汗をかきながら大人しくしていました。
そのうちシートに正座し、カバンの中から聖書のようなものを取り出して、賛美歌を歌い出しました。もうこうなると、誰も手がつけられません。ただただ敬虔な気持ちで拝聴するだけでした。
【独白オジサン】朝の通勤時に、車内で大きな声で喋っている中年の男の人がいて、誰かと会話しているのかと思ったら、これが一人なんです。背広にネクタイ、膝にカバンを抱えていましたのでサラリーマンなのでしょう。独り言なら未だ良いのですが、架空の誰かとずっと会話しているので、気味が悪かったのです。もし会社員なら、どんな仕事に就いているんでしょうね。
【はるみオバサン】終電での乗り換え駅で連絡が悪く、待ち合わせに20分間以上かかっていました。その当時毎回のように出会う中年女性がいまして、反対側のホームで都はるみの「好きになった人」を歌うのです。恐らく水商売の人だと思います。決して美声ではありませんが、ホームの端から端まで踊りながら大声で歌うのですから、もうサービス満点です。1曲終わる度に、こちら側のホームで待っている乗客が一斉に拍手すると、何回でもアンコールを繰り返します。退屈しのぎにはモッテコイでした。
【ターンお兄さん】車内で乗客をかき分けて、車両の中を移動する人を見かけますが、この若い男性は変わっていて、車両の端に着くと、クルリと向きを変え、逆方向に戻ってきて、これを何回も繰り返すのです。最初は皆、訝しげに見ていましたが、その若者の顔が真っ青で長髪、目が泳いでいましたので、黙って見送っていました。
【車掌オジサン】ドアの近くで進行方向に向って立ち、車掌の車内放送を真似てしゃべり続ける男性です。次の停車駅の案内やら、「本日は雨のため傘のお忘れ物が多くなっています」とか、発車近くなれば「駆け込み乗車はお止め下さい」と注意があります。「発車いたします、次の停車駅は〇〇、〇〇」が駅名を間違えず、実にタイミング良く案内されます。少々うるさいことを除けば、なかなか便利でした。
【ガイド車掌】こちらは出張で乗った東海道新幹線の本物の車掌さんです。車内放送で沿線のガイドをしてくれるのですが、読書したり居眠りしたりしていると、これが邪魔なんですね。「ただ今右手に富士山が見えております」なんて言われなくたって、ちゃんと分りますよ。傑作だったのは関が原付近を通過している時、「戦国時代この関が原で徳川家康と豊臣秀吉による天下分け目の合戦が行われました」の説明があり、何だかヘンだなと思っていたら数分後に「先ほど・・・・・・・・と申し上げたのは誤りで、徳川家康と石田三成が決戦を行ったと訂正します」との訂正放送がありました。車掌さんとしてはサービスでしていたのでしょうが、あまり評判が良くなかったのか、その後一度も沿線ガイドに当たりません。

世の中には変わった人がいるもので、この程度であれば、面白いエピソードで片付けられますが、中には車内暴力に行き会った経験もあります。こちらは笑ってすまされない出来事です。

【暴力オジサン】目の前に止まった車両がガラガラだったので、ラッキーとばかり乗り込んだら、床に血を流した男性が倒れていて、その傍の座席に一人の男が座っていました。額から頬にかけて傷跡があり、よく漫画などでは見かけますが、実際にそういう人相の人を見たのは初めてでした。そのうち「オレは人を殺すことなんぞ何でもねえんだ」と語り始めたのですが、車内はその二人以外に乗っていたのは、私一人。車両が空いているワケです。
こういう時の人間の心理というのは、我ながら不思議なもので、別の車両に行けば良いものを、身体が固まって動かないのです。とにかく次の駅に着いたら降りて、駅員に連絡しようと思い、じっとそのまま座っていました。たかだか2分間位の時間なのに、とてつもなく長く感じました。ようやく次の駅に着いたら、前に誰かが連絡していたのでしょう、数名の警官と駅員が乗り込んできて、その男と倒れていた男性を連れ出していきました。あれは恐かったですね。

車内暴力ではこの他に、目の前で男が拳で、列車のドアの窓ガラスを割ったのを見たことがあります。ガラスの破片が飛び散り、あの時も恐い思いをしました。
ニュースなどで、「車内暴力に乗客は見て見ぬふり」などと書かれていますが、実際にそうした場面に立ち会うと、あの男らに立ち向かうのは命がけだなと思います。
もし立ち向かって怪我をしたり、場合によっては命を奪われたら、誰が補償してくれるのでしょうか。あるいは相手を負傷させた場合、免責が法律上定められているのでしょうか。
そうした法的な整備がないままに、乗客に制止を求めるのは、余りに酷だと私は思います。

幸い痴漢にだけは、一度もあっていません。
当たり前か。

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2007/11/17

「書くカラオケ」

Kashima_shigeru岩波書店のPR誌「図書」11月号に、フランス文学者・鹿島茂教授(私は氏の書く「性書」類の愛読者)が「いきなり『書く人』」と題する一文を寄せている。少し長くなるが一部を引用する。
【引用始め】
昔は、「書く人」というのは、その前段階においては、必ず「読む人」であった。本を読んで、他人の言葉を我がことのように感じるという「同化」の過程がまず存在したのである。
ついで、どうも自分の感じることは他人と違うのではないかと思い定めた人が現れ、その未だに表現されていない何かを表出するために机に向かった。こうした場合、表出の前提として自他の「比較」がまずあった。自分と他人を比べて類似と差異を見極め、その谷間に自己の独自性を発見するという回路がごく一般的であった。
(中略)
「書く人」は「読む人」の段階を経ないでいきなり「書く人」になろうとするのである。
では、なぜいきなり「書く人」になりたがるかといえば、それは生まれた時から自分は他人と違っていると思い込んでいるからである。なにゆえに、こうした天上天下唯我独尊タイプの人が増加したのであろうか?
(中略)
このタイプの人には自他の比較がない。自分は初めからユニークだと思って比較なんてする必要がないし、本を読んで自己同一化を図るなんてこともない。
(中略)
かくして、日本は「読む人」が皆無で、「書く人」ばかりのカラオケ社会とあいなったのである。
【引用終わり】

ウ~~ン、読んでいて自分のことを言われているようで、実に耳が痛い。
このブログを開設した当時、ブログは「書くカラオケ」という記事を書いたが、奇しくも鹿島氏と同じ結論となっていたわけだ。
原稿を書く段階で、一応テーマに関する事実関係の確認と、出来れば自分の主張と反対の意見にも眼を通す努力はしているつもりだが、「自己同一化」などとは程遠い。

若い人の活字離れが問題視されることが多いが、最近の調査ではむしろ年齢が高くなるほど本を読まなくなるという傾向が現れている。
自分では、平均よりは少し多く本を読んでいると思っているが、それでも読書家とは到底いえない。
サラリーマン現役時代、社内でも読書家を自他共に認める社員と一緒に出張したことがあるが、この人は1ヶ月に段ボール1箱の分量の本を読んでいた。それも半分は専門書だ。
英顎、ドイツ語、フランス語など外国語で書かれた本も混ざっていて、とにかく半端じゃない。
この人が書く報告書は見事に「自己同一化」が行われており、感心するしかなかった。
でもオレじゃあ無理だなとも思った。

私もアレコレ言える立場ではないが、世の中には「唯我独尊」タイプのサイトが氾濫しており、それも人気ブログランキングの上位にいるブログほど、その傾向が強いというのは困った現象ではある。

こちらも、日々世の中の役にも立たない駄文を書き連ねていることには、反省するばかりだが、反省はするが決して改めようとしないのだから、我ながら始末が悪い。
かくして又明日から、埒(らち)もないことを書き綴る日々を送るのだろう。

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2007/07/31

管理人のボヤキ

え、丸川珠代が当選だって、マジかよ。
このブログの丸川批判のエントリー、評判良くってさ、2本合わせて3000アクセスもあったんだぜ。
これでヤツは落選間違いなし、オレはいよいよ人気ブロガーの仲間入りと喜んでたのによぉ、これじゃ意味無いじゃん。

そういやぁ、オレが今までけなしてきた連中、みんな選挙で揃って当選してんだよな。
このままだと、ネット選挙が始まったら、候補者の連中から悪口の原稿依頼がドットくるぜ。
そうしたら原稿料でⅠT企業を立ち上げようっと。社名は「HOME★9.com」(ほめく・どっと混む)、なんちゃって。

なんだかこのシャレ、古いよなぁ。アア、冴えねえ。
今夜は、丸川当選祝いのヤケ酒でもかっくらって、ションベンして寝ちゃお。

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