日記・コラム・つぶやき

2021/09/10

「後の喧嘩先でする」

「後の喧嘩先でする」とは、「あとで喧嘩をすることがないように、先に喧嘩しておけという」ということから、「あとからもめ事が起こらないように、事前によく話し合いをしておくべきだ」という意味で使われています。語源や出典は不明のようです。落語の中でも出てきます。セリフになると「後の喧嘩を先にしておく」という言い廻しになります。
『持参金』というネタでは、男の所へ番頭が突然やってきて、「先日貸した5円を今日中に返してくれ」と言い残して帰ってしまう。男が困っていると、そこに隠居が現れ、縁談を持ってきたと言う。隠居は、とかく仲人口といって良い事ばかり伝えるが、「後の喧嘩を先にしておく」と言う事で、女は寸胴で器量が悪く、炊事洗濯は半人まえだが飯は3人まえ食べるし、大酒飲み。おまけに腹の中には8か月の子がいると言う。男は断るが、女の持参金が5円ときいて気が変わり、今日中に連れて来てと頼む。
確かに、これだけ都合の悪いことを予め告げておけば、あとあと隠居と揉めることはないから、賢いやり方です。
これは政治の世界でも言える事で、いま自民党の総裁選挙が行われているし、これから予定されている衆院選でもそうですが、候補者たちが様々な公約を打ち出します。その際に、公約を実現する際に起きる副作用も予め示しておけば、後になって話が違うと言って批判されることもないし、選挙民も正確な選択が出来ることになります。
ワクチン接種についても、ワクチンの効果だけでなく、接種に伴い起こりうる副反応を予め告知しておいて、接種を受けるかどうか個々人が決めることにしていますが、これも「後の喧嘩先でする」例と言えます。
ちょっと話は脱線しますが、アスベスト(石綿)が健康状態に悪影響を及ぼすことは以前から分かっていました。半面、かつてアスベストは工業から家庭製品に至るまで幅広く使われていました。建材や自動車のブレーキにも使われていて、アスベストを使用しないことで人の生命や安全に影響する可能性がありました。その上で、国がアスベストを使い続けることによる健康被害の予測と、使用を禁止した場合の人の生命や安全への影響について情報を公開しておけば、もっと国民の理解が得られたと思います。また、健康被害を受けた方への救済もより迅速に出来たでしょう。
「後の喧嘩先でする」を無視した失敗例です。

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2021/06/17

「ルッキズム」は難しい問題だ

「ルッキズム」とは、「外見にもとづく差別」であり、特に「身体的に魅力的でないと考えられる人々を差別的に扱うこと」を指す。外見至上主義という呼称もほぼ同義として扱われる。
もう10年位前になるが、ある海外のツアーに参加した時に、マスクしている女性がいた。気になって理由を訊いてみると、自分の顔に劣等感があるのだと言う。私から見て、美人とは言えないがいわゆる10人並み。本人は銀行に勤めているが、窓口に配属されたことがないとか。その原因は、自分の容姿が劣っているからだと言う。事実なら、それは「ルッキズム」だ。
今度は女性の方から私に質問。「他の条件は一緒で、片や美人、もう一方は美人じゃないとしたら、どちらを選ぶか」と訊かれた。「そりゃ、美人の方を選ぶね」「ほら、やっぱりそうじゃない」と非難の眼。
私は俗物だから、美しい女性に出会うと幸せな気分になる。当ブログのカテゴリーの中に「世界の街角で出会った美女」がある。海外旅行で出会った美女の写真を紹介したものだ。相手の承認を得て撮影したものが殆んどで、拒否された事はめったに無い。撮影スポットやポーズを指定してくる人もいる。きっと自信があるんですね。
こちらは観光写真のついでに撮影していたが、中には美女の写真だけ、それも自撮りでツーショットの撮影に励んでいた人も。そちらはハードルが少し高いせいか、断われて落ち込んいる時もあった。
外見の問題は男性にもある。女性から見ても、背が高くてハンサムな男性は、やはり魅力を感じるだろう。
知り合いに色男がいるが、若い時から女性にもてていた。こっちは指を咥えて横目で見ているしかなかった。でも結婚してからは、妻にヤキモチを焼かれると、ぼやいていた。私の知る限り、浮気をするような男じゃないが、奥さんから見ると心配でしょうがないらしい。一度もヤキモチを焼かれたことがない私は、幸せ者だ。
SNSの発達によって、世の中はますます「見てくれ」の傾向が強まった。
一般論としては「ルッキズム」は否定されねばならないが、個々の問題としてはそう簡単ではない、悩ましい問題である。

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2021/03/11

組織はなぜ不祥事を隠蔽するのか?

現在、国会で総務省幹部などによる不正な接待が問題とされていて(実態は「贈収賄」)、総務大臣の責任追及がなされている。今回の不正の発覚は週刊誌の報道から始まっていて、それを受けて政府がようやく重い腰を上げたかっこうだ。政府の各機関で、外部からの報道や通報なしに不正が暴かれた例は皆無に等しいだろう。
今回の総務省などの一連の不正は数年前から行われてきた。しかし、不正発覚後も、不正が行われていた当時の管理責任を問う声はない。

こうした事例は民間でもある。
かつて勤務していた会社のある支店の営業マンが3億円使いこんだ事件が発覚した。その人は過去10年間ほどかけて横領していたが、その間に支店長は3代替っていた。新しい支店長が着任して半年で横領の事実をつかんだのだ。会社は本人を懲戒解雇にして、支店長を左遷した。処が、過去の横領が行われていた時の3人の支店長にはお咎めなしで、なかには既に役員になっている者もいた。この処置については社内でもあまりに片手落ちという批判があったが、遡って過去の支店長が責任を問われることはなかった。

民間企業での社員による使い込み事案は、実際にはかなり多い。だが表沙汰になるのはごく一部で、本人や家族が損害を弁済して依願退職扱いにしている例が多い。不祥事が明らかになると、管理職が責任を取らされるから組織をあげて隠蔽してしまうのだ。
私が知っている例では、使いこんだ本人や親族に弁済能力がなかったため、事業部長の指示で同じ事業部の社員が全員で金を出し合って弁済し、本人はそのまま定年退職まで勤めたという酷い例もある。最終的には本人の退職金で金を出してくれた社員たちに返済してチャラにした。

この様に、不正が行われた時期と発覚した時期がずれていた場合、責任を取らされるのは発覚した時点での管理責任者となり、不正が行われていた時点での管理責任者は責任を問われない。
そうすると、自分が責任者であるうちは不正があっても隠蔽してしまう事になる。
こうした慣例が横行しているうちは、組織が不祥事を隠蔽するのを防ぐことはできない。

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2021/03/08

「お月様いくつ 十三七つ」が意味するもの

ある程度の年配の方なら「お月さまいくつ、十三七つ、まだ年あ若いな」というわらべ歌を聞いたことがあると思う。辞書によれば「十三夜の七つ時(4時ごろ)の、出たばかりの月のことで、まだ若いの意」(デジタル大辞泉)とある。
月刊誌「図書」2012年2月号によると、「十三七つ」について女子にとっては一つの区切りをつける年齢と、月への信仰との関連を暗示しているという。
男子の場合は15歳が「元服」だが、女子の場合は13歳が「成女式」といって様々な儀礼をおこない、振袖を着て子どもから大人になった。恐らくは女子の「初潮」を迎える年齢とも関係していたのだろうと推測する。
「十三で大人」は今の時代では早すぎるように感じるだろうが、『赤とんぼ』では「十五でねえやは嫁に行き」だし、浄瑠璃『桂川連理柵』で40歳の男と不倫する「おはん」は14歳、小唄勝太郎の『島の娘』では「娘十六恋心 人目忍んで主と一夜の仇なさけ」と唄っている。今なら刑事事件になりかねないけど、昔は立派な大人として扱っていた。

では「七つ」はどういう意味があるかだが、諸説あるようだ。民俗学の分野では「七歳までは神の子」「七つ前は神のうち」として、無垢な子どもらしさの根拠にしてきた。
しかし歴史学者の柴田純によれば、これは昭和になって生まれた俗説にすぎないという。近代・中世の社会では、幼児は「無服」とされ、神事や刑罰から疎外・排除されて、特別な存在とみなされてきた。これは「養老律令」(757年)で七歳までは「服忌(ぶっき)」の対象外としてことにより、七歳を境界とする観念が生まれたのだという。民俗社会では「七歳未満忌服なし」という言い回しがあり、7歳未満は葬式を出さないとされてきた。
フランスの歴史学者のアリエスによると、かつての伝統的な社会では、子どもが死亡した場合は、すぐに別の子どもが代わりに生まれてくると受け止められいたという。子どもの出生や死について社会は無関心であり、7歳くらいまで生き残った子どもだけが労働力として家族の数に加えられていた。
つまりある時期までは「子供は存在しなかった」のだ。
近年になってから、子どもに対する強い関心と親密な家族関係が生まれた。
このことから、親が子どもを虐待したり、子どもを殺しても「無理心中」などという用語が平気で使われているのも、前近代の名残かも知れないと思った。
宮本常一によると、大阪郊外の農村部では、女の子は7,8歳になると子守として金持ちの家に雇われるか、母親が工場で仕事をしている間に子守をしていたという。そして14,5歳になると自分が工場で働くようになった。
こうして見ていくと、子どもの人権が謳われるようになったのは、つい最近のことになる。

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2021/01/21

マスク嫌い

今日の新聞によれば、マスクは不織布のものに限り、「布やウレタンのマスクの場合はお断り」という所があるという。何だかやかましい事になってきたね。
先日は大学入学共通テストで、監督者の注意に従わずに鼻を出したままマスクを着け続けた受験生1人の成績を無効にしたとの報道があった。ルールだから仕方ないだろうが、鼻を出してマスクしている人はみかける。某政党の幹事長の会見では、いつも鼻を出しているが誰も注意しないようだ。
マスクを拒否したら飛行機から降ろされ逮捕された人もいた。

私はマスクが嫌いだ。だから過去にマスクをしたことがない。
①マスクを装着しているだけで不快になる
②眼鏡が曇って危険
③のぼせて頭がボーっとしてくる
マスクに限らず、帽子もマフラーも不快になるので着けたことがない。このご時世だから我慢してマスクはしているが、本当は嫌で嫌でしょうがない。
私の様な体質の者がマスクを着けて受験するなら、きっと試験に集中できなくなるだろう。
コロナの感染対策はこれから長期戦になるだろうから、もう少し寛容になっても良いのではなかろうか。

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2021/01/18

「風化」は人間の知恵

「風化」とは「記憶や印象が月日とともに薄れていくこと」だが、一般に否定的な意味で使われることが多い。「戦争、災害、事故、事件などの記憶が風化されてゆく」と言った文脈で、風化は防がねばならないという主張がなされる。
本当に「風化」はいけない事だろうか。
人間誰しも一生のうちで何度も、死ぬほど辛いこと悲しいことに出会う。その記憶をそのまま何時までも引きずっていたら、精神が壊れてしまうだろう。私たちはそうした記憶を少しずつ風化させることにより、精神のバランスを保っているではなかろうか。
大事なことは風化ではなく、起きてしまったことから導かれる教訓を残し広めることだ。

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2021/01/10

憂鬱な年明け

予想通りと言おうか、予想を超えてと言おうか、コロナの感染が激増した年明けとなってしまった。
原因は菅政権の失政だ。大方の批判を無視して”GO TO”を強行し、12月に感染が拡がっても止めず、今日の事態を招いた。会見では目が泳ぎ官僚の書いたペーパーを読むだけで質疑応答もまともに出来ない人間がトップにいるわけで、この非常時に実に心許ない。我々は言ってみれば、免許を持たない船長の乗客のようなものだ。
東京に関していえば、菅首相と小池都知事が責任のなすり合いを続けているうちに事態が深刻化してしまった。
そんな連中からやれ行動規制だの自粛だのと言われたくないが、事ここに至っては自分たちの身は自分たちで守るしかなかろう。
7日に国立演芸場の正月興行に行く予定だったが、家族の厳しい視線を浴びて断念した。大相撲初場所のチケットも取ってあるが、これも行けそうにない。
やれやれ、今年も暫くは巣ごもりかと、憂鬱な気分になる。

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2020/12/19

年賀状あれこれ

今年も年賀状の季節がやってきた。私の様な歳になると差し出す枚数が年々減ってゆく。亡くなる人がいるからだ。
親族に不幸があった場合は喪中はがきが届くが、本人の場合は家族の方から返信がくる。その際、ご遺族に故人の思い出を記した手紙を出すことにしている。会社関係だとご遺族の方は仕事ぶりをご存知なかろうと思い、ちょっとしたエピソードを書き加えている。もっとも反応が全くないので読まれているかは不明だが。
年賀状のお付き合いというのは不思議なもので、何十年もの知り合いなのに一度も賀状の交換をしたことがない人がいる一方、一度しか会ったことがないのに何十年も交換している人もいる。お互いに名簿に載せたまま変えない
からだろう。
相手が女性だと時おり苗字が変わるケースがあり、何があったんだろうとついつい想像をたくましくしてしまう。
賀状交換は今年で終わりにしますという文面がぼつぼつ来るようになった。当方もいずれそうせねばならないと思いつつ、なかなか踏ん切りがつかない。
家庭用プリンターという便利なものができてから宛名も文面もみな印刷にしているが、それでは味気ないので何は一言書き添えようとするのだが、これがいけない。ペンで字を書くことが稀になってしまったため、まともに字が書けなくなってきた。
入院中のリハビリで、「果実の名前」「動物の名前」「東京23区名」や「山手線の駅名」を書かされる訓練があったが、漢字がパッと出てこないのには参った。そうしたことを思い知るだけでも年賀状が必要かも。

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2020/11/14

あゝ麗はしい距離(ディスタンス)

   「母」    吉田一穂
あゝ麗はしい距離(ディスタンス)、
つねに遠のいていゆく風景・・・・・・・
 
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)

中学生の頃に読んだ本に書かれていた詩で、印象が深くて暗誦していた。吉田一穂の「母」という詩である。
母とボクは折り合いが悪く、恐らく性格が似すぎていたせいだろうか、いがみ合う事が多かった。上の詩人のような心境にはほど遠かったが、だから却ってこの詩に魅かれたのかも知れない。
母との関係が良くなったのは、ボクが結婚して家を出てからで、母は足繁く我が家を訪れるようになり、2,3度は一緒に旅行にも行った。こんな事は実家にいた時には考えられなかった。
どうやら物理的なディスタンスを置いたことが、母とボクのディスタンスを近づけたようだ。

永い間一年に一度は合う事にしていた友人グループが3つほどあったが、コロナの影響でいずれも今年途切れてしまった。この分では来年もどうなるか分からない。
ボクたちの様な歳になると、お互い元気で会える機会は限られている。
早くコロナが終息し、「つねに遠のいていゆく風景」にならぬよう祈るばかりだ。

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2020/04/11

「伝染病」の思い出

1951年頃と記憶しているが、小学校から帰宅したら家の中がまるで雪が降ったように白い粉が積もっていた。母が言うには、父親が「赤痢」に罹って救急車で運ばれ、それで保健所の人が来て家じゅう消毒をしたと。当時の消毒は「DDT(Dichloro Diphenyl Trichloro ethane)」の撒布で、形状が白い粉末だったので雪の様に見えたのだ。
「赤痢」というのは当時コレラやチフスなどと並ぶ法定伝染病で、戦後だから抗生物質が日本にも入ってきたとはいえ死に至る病だった。
しかし他の家族3人には検疫もなく、さすがに飲食店だった店は閉めたが、私も兄も翌日から何事もなかった様に学校に通った。近所や友人からも何も言われることもなかった。
今ならさしずめ感染経路や濃厚接触者(家が飲食店だったから対象者は多かっただろう)を調べたり、家族は隔離されたり、知事だた区長だかが記者会見を開いたり大騒ぎだったろうが、そういう事もなかった。
幸い、父は大事に至らず暫くして退院してきて、店も再開した。
「DDT」は元々は殺虫剤、農薬として開発されたものだが、当時は主に米軍が防疫のための消毒剤として使っていた。その後、残留農薬や環境ホルモンなどの問題が明らかになり、日本では1969年には稲作への使用禁止、1971年には全面的な販売停止となった。
そんな事も知らず、私たち家族はDDTの積もった家の中で暮らしていたのだ。

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