日記・コラム・つぶやき

2008/07/01

ここらでチョットひと休み

ブログ“HOME★9(ほめく)”始めて3年半、
書いたヨタ記事620本、
ここらでチョットひと休み。
******************
7月は全休、
8月からは落語や芝居の劇評を時々。

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2008/03/30

通勤電車の中の「奇人・変人・暴人」

Tsuukin_densha_2サラリーマン時代、およそ40年間戦車通勤をしていましたので、往き帰りに様々な変わった人物に出会いました。さすがに朝の時間帯は滅多にいないですが、帰りの電車で奇人・変人を見かけました。
【股旅オジサン】回し合羽の三度笠、腰には長脇差を落とし差しという中年男です。最初はチンドン屋かと思うのですが、洋服を着ているしカツラも被っていません。何より片手にテープレコーダーを持って、ずっと股旅演歌を流しているのが特徴的です。何度か見たので、股旅マニアなのでしょう。
車内でもテープを流し続けるので、かなりウルサイのが欠点ですが、なにせ向こうは刀を持っているので誰も注意しません。苦笑しながら眺めているだけで、車内の空気が和むという効果がありました。
【キリストおばさん】未だ電車にエアコンが付いていなかった真夏の頃、車内の窓は全部開けたままです。始発駅から乗ると、60歳過ぎと見られる女性が乗り込んできて。その車両の窓を片っ端から閉め出しました。最初は呆気にとられていましたが、その内一人の男性客が「暑いんだから窓を閉めるなよ」と注意したところ、「あなた、そんなこと言うとキリスト様に叱られますよ」と一喝されてしまいました。キリストに叱られるのはチョット困るので、皆さん汗をかきながら大人しくしていました。
そのうちシートに正座し、カバンの中から聖書のようなものを取り出して、賛美歌を歌い出しました。もうこうなると、誰も手がつけられません。ただただ敬虔な気持ちで拝聴するだけでした。
【独白オジサン】朝の通勤時に、車内で大きな声で喋っている中年の男の人がいて、誰かと会話しているのかと思ったら、これが一人なんです。背広にネクタイ、膝にカバンを抱えていましたのでサラリーマンなのでしょう。独り言なら未だ良いのですが、架空の誰かとずっと会話しているので、気味が悪かったのです。もし会社員なら、どんな仕事に就いているんでしょうね。
【はるみオバサン】終電での乗り換え駅で連絡が悪く、待ち合わせに20分間以上かかっていました。その当時毎回のように出会う中年女性がいまして、反対側のホームで都はるみの「好きになった人」を歌うのです。恐らく水商売の人だと思います。決して美声ではありませんが、ホームの端から端まで踊りながら大声で歌うのですから、もうサービス満点です。1曲終わる度に、こちら側のホームで待っている乗客が一斉に拍手すると、何回でもアンコールを繰り返します。退屈しのぎにはモッテコイでした。
【ターンお兄さん】車内で乗客をかき分けて、車両の中を移動する人を見かけますが、この若い男性は変わっていて、車両の端に着くと、クルリと向きを変え、逆方向に戻ってきて、これを何回も繰り返すのです。最初は皆、訝しげに見ていましたが、その若者の顔が真っ青で長髪、目が泳いでいましたので、黙って見送っていました。
【車掌オジサン】ドアの近くで進行方向に向って立ち、車掌の車内放送を真似てしゃべり続ける男性です。次の停車駅の案内やら、「本日は雨のため傘のお忘れ物が多くなっています」とか、発車近くなれば「駆け込み乗車はお止め下さい」と注意があります。「発車いたします、次の停車駅は〇〇、〇〇」が駅名を間違えず、実にタイミング良く案内されます。少々うるさいことを除けば、なかなか便利でした。
【ガイド車掌】こちらは出張で乗った東海道新幹線の本物の車掌さんです。車内放送で沿線のガイドをしてくれるのですが、読書したり居眠りしたりしていると、これが邪魔なんですね。「ただ今右手に富士山が見えております」なんて言われなくたって、ちゃんと分りますよ。傑作だったのは関が原付近を通過している時、「戦国時代この関が原で徳川家康と豊臣秀吉による天下分け目の合戦が行われました」の説明があり、何だかヘンだなと思っていたら数分後に「先ほど・・・・・・・・と申し上げたのは誤りで、徳川家康と石田三成が決戦を行ったと訂正します」との訂正放送がありました。車掌さんとしてはサービスでしていたのでしょうが、あまり評判が良くなかったのか、その後一度も沿線ガイドに当たりません。

世の中には変わった人がいるもので、この程度であれば、面白いエピソードで片付けられますが、中には車内暴力に行き会った経験もあります。こちらは笑ってすまされない出来事です。

【暴力オジサン】目の前に止まった車両がガラガラだったので、ラッキーとばかり乗り込んだら、床に血を流した男性が倒れていて、その傍の座席に一人の男が座っていました。額から頬にかけて傷跡があり、よく漫画などでは見かけますが、実際にそういう人相の人を見たのは初めてでした。そのうち「オレは人を殺すことなんぞ何でもねえんだ」と語り始めたのですが、車内はその二人以外に乗っていたのは、私一人。車両が空いているワケです。
こういう時の人間の心理というのは、我ながら不思議なもので、別の車両に行けば良いものを、身体が固まって動かないのです。とにかく次の駅に着いたら降りて、駅員に連絡しようと思い、じっとそのまま座っていました。たかだか2分間位の時間なのに、とてつもなく長く感じました。ようやく次の駅に着いたら、前に誰かが連絡していたのでしょう、数名の警官と駅員が乗り込んできて、その男と倒れていた男性を連れ出していきました。あれは恐かったですね。

車内暴力ではこの他に、目の前で男が拳で、列車のドアの窓ガラスを割ったのを見たことがあります。ガラスの破片が飛び散り、あの時も恐い思いをしました。
ニュースなどで、「車内暴力に乗客は見て見ぬふり」などと書かれていますが、実際にそうした場面に立ち会うと、あの男らに立ち向かうのは命がけだなと思います。
もし立ち向かって怪我をしたり、場合によっては命を奪われたら、誰が補償してくれるのでしょうか。あるいは相手を負傷させた場合、免責が法律上定められているのでしょうか。
そうした法的な整備がないままに、乗客に制止を求めるのは、余りに酷だと私は思います。

幸い痴漢にだけは、一度もあっていません。
当たり前か。

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2007/11/17

「書くカラオケ」

Kashima_shigeru岩波書店のPR誌「図書」11月号に、フランス文学者・鹿島茂教授(私は氏の書く「性書」類の愛読者)が「いきなり『書く人』」と題する一文を寄せている。少し長くなるが一部を引用する。
【引用始め】
昔は、「書く人」というのは、その前段階においては、必ず「読む人」であった。本を読んで、他人の言葉を我がことのように感じるという「同化」の過程がまず存在したのである。
ついで、どうも自分の感じることは他人と違うのではないかと思い定めた人が現れ、その未だに表現されていない何かを表出するために机に向かった。こうした場合、表出の前提として自他の「比較」がまずあった。自分と他人を比べて類似と差異を見極め、その谷間に自己の独自性を発見するという回路がごく一般的であった。
(中略)
「書く人」は「読む人」の段階を経ないでいきなり「書く人」になろうとするのである。
では、なぜいきなり「書く人」になりたがるかといえば、それは生まれた時から自分は他人と違っていると思い込んでいるからである。なにゆえに、こうした天上天下唯我独尊タイプの人が増加したのであろうか?
(中略)
このタイプの人には自他の比較がない。自分は初めからユニークだと思って比較なんてする必要がないし、本を読んで自己同一化を図るなんてこともない。
(中略)
かくして、日本は「読む人」が皆無で、「書く人」ばかりのカラオケ社会とあいなったのである。
【引用終わり】

ウ~~ン、読んでいて自分のことを言われているようで、実に耳が痛い。
このブログを開設した当時、ブログは「書くカラオケ」という記事を書いたが、奇しくも鹿島氏と同じ結論となっていたわけだ。
原稿を書く段階で、一応テーマに関する事実関係の確認と、出来れば自分の主張と反対の意見にも眼を通す努力はしているつもりだが、「自己同一化」などとは程遠い。

若い人の活字離れが問題視されることが多いが、最近の調査ではむしろ年齢が高くなるほど本を読まなくなるという傾向が現れている。
自分では、平均よりは少し多く本を読んでいると思っているが、それでも読書家とは到底いえない。
サラリーマン現役時代、社内でも読書家を自他共に認める社員と一緒に出張したことがあるが、この人は1ヶ月に段ボール1箱の分量の本を読んでいた。それも半分は専門書だ。
英顎、ドイツ語、フランス語など外国語で書かれた本も混ざっていて、とにかく半端じゃない。
この人が書く報告書は見事に「自己同一化」が行われており、感心するしかなかった。
でもオレじゃあ無理だなとも思った。

私もアレコレ言える立場ではないが、世の中には「唯我独尊」タイプのサイトが氾濫しており、それも人気ブログランキングの上位にいるブログほど、その傾向が強いというのは困った現象ではある。

こちらも、日々世の中の役にも立たない駄文を書き連ねていることには、反省するばかりだが、反省はするが決して改めようとしないのだから、我ながら始末が悪い。
かくして又明日から、埒(らち)もないことを書き綴る日々を送るのだろう。

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2007/07/31

管理人のボヤキ

え、丸川珠代が当選だって、マジかよ。
このブログの丸川批判のエントリー、評判良くってさ、2本合わせて3000アクセスもあったんだぜ。
これでヤツは落選間違いなし、オレはいよいよ人気ブロガーの仲間入りと喜んでたのによぉ、これじゃ意味無いじゃん。

そういやぁ、オレが今までけなしてきた連中、みんな選挙で揃って当選してんだよな。
このままだと、ネット選挙が始まったら、候補者の連中から悪口の原稿依頼がドットくるぜ。
そうしたら原稿料でⅠT企業を立ち上げようっと。社名は「HOME★9.com」(ほめく・どっと混む)、なんちゃって。

なんだかこのシャレ、古いよなぁ。アア、冴えねえ。
今夜は、丸川当選祝いのヤケ酒でもかっくらって、ションベンして寝ちゃお。

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2007/07/20

訂正記事

前回の記事の中の
「アルツハイマーの人でも、これくらいは分かる。」
は誤りで、
「麻生太郎でも、これくらいは分かる。」
に訂正します。

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2006/05/26

犬は年金を支えない

Parc
ここ数日、子供への犯罪や事故に関する報道がが目立ちます。少子化の中で、社会全体が大事にしていかなければならない子供たちの周辺に、常に危険が存在しているという事実に、心を痛めています。
ほぼ毎日、夕方になると近くに住む孫の面倒を見ているので(こちらの方が見て貰っているのかも)、いきおい近くの児童公園に行く機会が多い。幸いこの地域には、大小沢山の公園があり助かっています。しかしそうした公園の現状を見ても、小さな子供たちを巡る環境は大いに問題ありです。

最近近くの公園で、こんな手書きのカンバンを見つけました。大きなダンボールに太マジックで、こう書いてありました。
「飼い犬を公園に入れないで下さい。子供たちが迷惑しています。犬は年金を支えてくれませんよ!!」。
公園には犬を入れてはいけないと、入り口に区注意書きが立っていますが、犬を連れた人が入ってきます。中には公園の中では、首輪を外す飼い主もいます。
公園には砂場がつきものですが、やはり犬の心理としても、砂場を見ると用を足したくなるのでしょうね。きちんと後始末する飼い主ばかりとは限りません。年配者が多いので、年金支えてくれる子供の方を大切にしろと、カンバンで訴えているわけです。

午前中に公園に行くと、カップめんや飲み物、スナック類の袋が散乱していることが多い。前夜に、ここで飲食する若者がいたのでしょう、こうしたゴミがそのまま放置されてしまいます。
子供を遊ばせる前に、先ずはゴミ掃除をすることになりますが、最近はゴミ箱を撤去した公園がほとんどなので、今度はゴミの捨て場所がない。管理する自治体は、こうした現状を全く把握していないのでしょうね。

自宅から100mほどにあった公園では、朝から近所のご老人が集まって、毎日酒盛りです。最初は折りたたみ椅子を持参で来ていましたが、そのうち自宅から椅子やらテーブルやら運んできて、常設宴会場になってしまいました。
私同様、サンデー毎日の人々らしく、入れ替わり立代り朝から晩まで、不良老人の酒盛りが続きます。
ゴミの片付けはしていますし、場所も公園の隅ではありますが、そうなると次第に子供たちは寄り付かなくなります。いつのまにか、「老人公園」と化してしまいました。

別の公園に、一時期ホームレスの人が一人居つくようになったことがあります。別にテントやダンボールで小屋を建てるのでもなく、ただベンチに横になっているだけですが、やはり子供たちは公園に近づかなくなります。
ホームレスになった方というのは、個々にみれば大変お気の毒な方もいるのでしょうが、やはり公共の場を占拠するのは違法です。
今より遥かに貧しかった時代でも、戸外で寝泊りする人というのは、終戦直後の混乱期を除いては、殆ど見かけなかった。なぜ貧しかった時代にいなくて、豊かになった今日ホームレスが増えているのか、これは別のテーマとして考えていく必要があるでしょう。

公園の安全性で、更に悪質な例としては、砂場の中にガラスの破片や、時にはカミソリのような小さな刃物が入れられていることがあります。こうなると犯罪でしょうが、公園の砂場で子供を遊ばせない親がいるのは、そのためです。
滑り台に糞を塗って子ども達の衣服を汚したり、ブランコをねじって使えなくしたり、一体ナニが楽しくてそんな事をと、怒りの前に呆れてしまいます。

親にも問題ありです。10歳くらいの子供を茶髪に染めさせている親がいますが、そうした母親は例外なくいかにもというヤンママです。「テメー、いくら言ったら分るんだよ」と怒鳴りながら、子供を蹴飛ばしている母親を見ると、ヤレヤレこれでは非行少年の拡大再生産だなと、ため息が出てきます。
ああした光景を見ると、親になる資格審査が必要ではないかとさえ思えてきます。

良い例もあります。公園の植え込みが雑草で覆われていたのを、周辺の住民が協力して整備し、花壇をこしらえた公園もあります。四季折々の花が咲き、荒れた感じの環境がすっかり変わりました。
そうなると自然に、ゴミの放置も無くなります。

私の住む地域でも、住民有志による安全マップの作成が進められ、子供行動範囲全体をカバーするチェックが行われつつあります。
子供たちの安全確保は、登下校の監視だけではありません。子ども達の主な遊び場である公園の整備と安全性の確保は、極めて大事な課題であると思います。
そのための地域コミュニティ作りと、自治体の支援活動が急がれます。

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2006/03/31

「中野島」界隈

Nakanosima
3月20日川崎市多摩区中野島のマンションの15階から、小学校3年生の男の子が転落死した事件は、殺人事件の可能性が高いということで本格的な捜査が始まりました。事実とすれば大変痛ましい事件で、一日も早い解決が望まれます。
中野島は私の母親の生家があり、戦争中は家族が疎開していた場所であり、その後我が家が建って私も20歳から4年間その家に住んでいました。母方の親戚も多くは中野島周辺で暮らしていますので、今でも年に数回は行く機会があります。この辺りの地域は、私が物心ついてから現在までの記憶が詰まっています。

多摩川の流れに沿って、立川から川崎までJR南武線が走っています。そのほぼ真ん中辺りにこの中野島があります。地元の人は「なかんしま」と発音していました。立川寄りと多摩川の向こう岸は東京都という、変わった地域です。私が幼少時には、この地域の殆どの家は農家でした。子供たちもある年齢に達すると農作業を手伝うので、地元の小中学校も農繁期には学校が休みでした。
母の生家は中野島駅から歩いて10分程度ですが、その間数件の家しかありませんでした。
一戸当りの田畑が小さく、決して豊かとはいえない生活でした。それでも都市近郊農業と、関東地方では有数の梨の産地という特徴を生かした農業経営で、当時の農村としてはまずまずの生活を送っていたと思います。

かつては多摩川の堤には沢山の桜が植えられていて、特に近くの稲田堤は東京近郊では桜の名所として知られていました。それと夏には京王多摩川の花火大会がありましので、住民はお花見と花火大会が最大の娯楽でした。
住民はお互いを屋号で呼び合い、ドアに鍵を掛ける家など1件も無かった。祝い事や寄り合いがあれば、自家製のドブロク(もちろん違法)を持ち寄り、どんぶりであおるという生活です。

JR中野島の駅の傍に佐吉という中年の男性が住んでいました。苗字は誰も知らず、さきっちゃんと呼ばれていました。さきっちゃんは恐らく知的障害者だったと想像されます。
時々物乞いに各家を周っていましたが、貧しい農村であったにも拘らず、殆どの家ではさきっちゃんに食べ物を渡していました。その度に、さきっちゃんは「お貰い申します」と丁寧に頭を下げていました。
当時の日本では、障害のあるひとにを周りが助けるという、地域コミュニティが存在していました。
今年1月ミャンマーに行った時、ある観光地で現地ガイドが「絵葉書を買うなら、この人から買ってあげて」と声が掛かりました。物売りは若い知的障害者でした。一人暮らしですが、こうした物売りと近所の手伝いで生活を維持しているそうです。本人は自分が軍人だと思っていて、顔を会わせる度に階級が上がったと得意になって話してくるのだそうです。様子を見ていると、地元の人々から可愛がられていることが良く分かりました。
かつての日本の姿を思い出しました。

戦後日本の経済復興に合わせて、南武線沿線に大きな工場が立ち並び、中野島の子供たちも中学を終えると皆そうした企業で働くようになりました。同時に中野島地区も、東京や川崎、横浜への通勤者のベッドタウンに変貌します。
1960年代に入ると、農家はこぞって田畑を宅地として売り払い、あるいは土地にアパートを建てて、億万長者が続出します。農家の多くは、不動産管理会社へと転換しました。もっとも子弟が農家を継がず、サラリーマンになったので後継者がいなくなったという事情もあります。
地元の話題も、あの家は今度何階建てのマンションを作っただの、親父さんが亡くなって遺産が何億円だったとか、どこそこの家は相続税3億円を現金で払ったとか、そうした話題が主になりました。後はお定まりの遺産争いが続発し、兄弟や親族が仲たがいするようになります。
地元で商店や勤め人をしていた家から見れば、農家は濡れ手で粟の大金を得ていくのが面白くない。かくして地域コミュニティが次第に壊れてゆきました。
さきっちゃんは、そうした地域の変化を見ることなく、1950年代に亡くなりました。

中野島は今でも多少田畑が残っていますが、新しいアパートと高層マンションが立ち並ぶ光景に一変しています。
昔あれほどあった子どもの遊び場は、今は殆ど見当たりません。数十億円を手にした土地成金の中で、児童公園のために用地を提供する人は誰も出てきません。
当時と比べ遥かに豊かになった今、もしさきっちゃんが生きていたら自活が出来ないでしょう。

地域コミュニティの破壊に経済格差の拡大と、中野島地域の変貌は日本社会全体の姿だと思います。
この中で、セイフティネットが破壊され、その矛先が子供や弱者に向けれれていく、こうした社会を変えてゆかない限り、これからも同様な悲劇が繰り返されると思います。

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2006/01/01

年頭妄言

nenga 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します、と誰に言っているのか自分でも良く分りませんが。

以前から、なぜ「明けまして」なのか疑問に思っていましたが、最近になってその理由が分りました.今のように深夜零時になると日付が変るのは明治以降なのだそうですね。江戸時代は「明け六つ」の鐘が鳴って初めて日付が変る、つまり1月1日の東京であれば午前6時50分頃に夜が明けてお正月を迎えるので、「明けましておめでとう」になるんですね。
赤穂浪士の吉良亭討ち入りも、今で言えば12月15日の早朝ですが、江戸時代の暦から言えば夜明け前ですから12月14日となるわけ
です。
元旦が、1月1日の朝という意味であることを知らない人が多いようで、新聞記事でも間違えて使っています。
そういえば”松の内”よいう言葉も死語になりつつあるようですね。門松を1月7日(関東地方では)に片付けるから、1日から7日まで
が”松の内”です。「松が取れたらお伺いします。」と言えば、1月8日以後に訪問することを意味していた。
こういう大事な事は学校では教えてくれない、みんな寄席で習いました。

私は子どもの頃、年末年始がキライでした。何がイヤかというと、クリスマスプレゼントとかお年玉を貰うのがイヤでイヤで、堪らなかったんですね。例え家族からでも、とにかく他人からモノを貰うことがとても屈辱的で嫌いでした。
お祝いされることも嫌いで、従って誕生祝いなどやって貰ったことが無い。今でもそうです。これは成人してから困った事がありまして、他人へ贈り物をすることに気が付かないんですね、自分がイヤだから。日本は何かと贈り物社
会的な雰囲気がありますから、社会人になって結構ハンデでした。
それと子供時代からお祭りが大嫌いでした。だから町内の祭りに行ったことがありません。

それで何が好きかと聞かれれば、寄席と芝居(歌舞伎)と答えました。芝居は7歳、寄席は8歳の時に初めて見に行きました。これが面白かったんですねえ。「7つ8つからイロハを覚え、ハの字忘れて イロばかり」な子供が出来上がっていたわけです。
実に厭なガキですな。
後に犯罪でもやっていたら、「子供時代から心の生育に問題がありました」なんて心理分析されるとこでしたよ、まったく。

当時の寄席に、音曲師で柳家三亀松という有名な芸人がおりまして、これが実に色っぽい都々逸をやるんです。
♪明けの鐘 ゴンと鳴る頃 三日月形の 櫛が落ちてる 四畳半♪ 
♪緋縮緬 肩からすべって 覗いた乳房 にっこり笑って 消す灯り♪ 
なんて都々逸を聴いて、小学校3、4年生でしたが、何となく意味が分りました。
子供なんてえのは、恐ろしいもんです。
「あなた、いけませんわ、さっきのお風呂の中の、あんなおイタ」なんてセリフを聴くと、脳天が痺れました。
あれ以来痺れっぱなしで、未だに頭がハッキリしません。

それでもマトモに成長して、世間様に迷惑を掛けるような事をしなくて済んだのは、時代が良かったんでしょうね。
引きこもりをする場所も無く、自分探しをする暇も無く、とにかく働いて親に楽をさせよう、女房子供を養って一人前の人間になろう、そ
れしかアタマになかったですからね。
選択肢が無いということは、余計な事を考えずに済みますので、幸せだったのかも知れません。
貧しくとも目標があった時代でした。
最近昭和レトロブームと言われていますが、私の高校のクラスの3分の1が母子家庭でしたよ。
皆父親が戦死の人ばかりです。昭和の時代にはそういう現実もあったということは、忘れてはいけない。
それが近頃、又憲法を変えて軍隊を持とうなどと云う声が高くなってきました。
60年経つと忘れてしまう、人間の業ですかね。

昨年12月の天皇誕生日での記者会見で、次の発言がありました。
「日本は、昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに、正しく
理解しようと努めることは日本人自身にとって、また、日本人が世界の人々と交わっていくうえにも、極めて大切なことと思います。」
天皇のお言葉とするより、あの時代を生きてきた一人の人間の感慨として、私は受け止めましたけど。

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2005/12/12

創作小咄「身代わり」

なんにしても夫婦に赤ちゃんが生まれるというのは大変なことで、最初のお子さんでは特にそうですな。
夫“いよいよ明日が予定日だね。順調に生まれるといいね。”
妻“さっきね、お医者さんも多分明日の夕方ごろかなって、仰ってたわよ。でもね、私初めての出産でしょ。あの陣痛というのがすごく痛いらしいのよ。分娩の時だって気絶しそうに辛いんだそうよ。そう考えると、あなた、私もう不安で不安で、いても立ってもいられないのよ。”
夫“そりゃそうだな。それでなくとも君はこれから母親として、出産の後も赤ちゃんの面倒を見なくちゃいけないし、大変だよな。それじゃ、こうしよう。今から神様にお祈りして、母親になり代わって父親が、陣痛や分娩の痛みを全部引き受けるからと、よーくお願いしとくからね。”
妻“まあ、あなた、嬉しいわ。”

夫“今赤ちゃんを見てきたよ。玉のような男の子で、元気に泣いてたよ。自分の子っていうのは実に可愛いもんだね。”
妻“それに、あなたのお祈りが効いたせいか、私陣痛も分娩の痛みも全く無かったのよ。でもあなたの方は大変だったんでしょ?”
夫“それが不思議でさあ。ボクの方も全く痛みがこなかったんだよ。”
妻“まあ、それは良かったわ。きっとあなたが普段から信心をしているお陰よ。神様がゴリヤクを下さったんだわ。”

翌朝、この男が出勤しようと家を出ると、隣のご主人とパッタリ顔を合わせました。
夫“やあ、これはお隣のご主人、何だか今朝は随分と顔色が悪いようですが、どうかされましたか?”
隣家の男“やあ、実は昨日午後からひどいハラ痛になりましてな、夕方までもう七転八倒の苦しみでした。あんな辛い思いをしたのは初めてでしたよ。”

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2005/08/01

愛読「ブログ」

自分でブログを書くようになってから、他のブログを読むことも増えました。私の場合新しい記事を書く際に、キーワード検索で、同一のテーマでどんな記事が書かれているかを、必ず調べます。この辺り、見かけによらず真面目なのであります。そうして、いくつかのブログを見ていくうちに、優れたもの、面白いものは「お気に入り」に入れて、定期的に閲覧しています。その中のいくつかを、ご紹介します。ブログのタイトルと、URL,()内は管理人名です。 

◆木偶の妄言◆(brotherjin)

http://brotherjin.exblog.jp/

ブログの中に、私がオピニオン系に分類しているブログがあります。雑誌で言えば「論座」とか「正論」ですかね。主に政治、経済、時事問題をテーマに採りあげ解説し、自己の見解を主張するという形式です。硬派なブログですね。

こちらのブログは、硬派の記事に、サッカーや業界の話(本業はライター)を織り交ぜて、読みやすいブログに仕立てています。

雑誌「世界」で紹介されるなど、既にメジャーな存在になっていますが、毎日数百人が閲覧しているのは、管理人の文章力でしょう。

それと、靖国参拝問題などビミョーなテーマを繰り返し採りあげていますが、コメントが荒れません。この点も感心します。 

エントロピーは増大し続ける・・・(teshape_p

http://teshape.exblog.jp/

こちらもオピニオン系ですが、ここのところ管理人が寒天ダイエットに凝っておられ、日々の減量記録が掲載されています。

しかし、こちらのブログが最も精彩を放つ(と感じる)のは、やはり政治、時事をテーマにした時だと思います。靖国参拝問題を断続的に採りあげていますが、関連する多くの資料に眼を配り、それを分かり易く解説する手際は見事です。それと、書き手が絶対にアツクならないのが良いですね。

5月27日の記事では、多くのブログの記事に見られる、非論理性を鋭く衝き(ウーン、耳が痛い)、 7月3日の記事では、最近よく耳にする「ジェンダーフリー教育」という言葉が、実は提唱者であるバーバラ・ヒューストン氏の原典を、日本人学者が誤読し、全く正反対に解釈したものだということを紹介しています。

こうした記事は、理系の管理人の面目躍如たるところでしょうか。

 

インターネットの普及で本当に便利になったか?(柴田晴廣

http://blog.goo.ne.jp/zxcv_002

ブログの中には、特定のテーマについて、シリーズで書かれているものがあります。この中には記事というより、論文に近いものがあります。この論文系ブログの代表として、こちらのブログを採り上げました。6月には「この国の思想」、7月には「この国のあり方」という長期のシリーズが連載されています。

その7月のシリーズ中に、更に「相撲部屋の継承と女性天皇」シリーズが含まれていて、この天皇(及び大相撲)に関する記事が実に詳細を極めています。「なぜそんなに詳しいの?」と、聞いてみたくなりますね。そして私が何より驚異を覚えるのは、これだけの長文(一度訪問すれば分かります)を、週に5本も書かれていることです。私の様に、駄文を週3回書いてフーフー言ってるのが、恥ずかしくなります。

この管理人の、天皇については、国の体制から切り離して考えるべきで、文化として残すという意見は傾聴に値しますし、7月30日の「君が代」の起源についての説を読むと、私など、ただただ“ヘーボタン”を押し続けるのみです。 

世界読書放浪(neto)

http://www.doblog.com/weblog/myblog/33838

表題が示す通り、海外に関する本の書評です。海外本といっても、いわゆる旅行記といった狭い意味ではなく、広い意味での海外本が対象です。

先ず驚くのは、こちらのブログもほぼ毎日ニューエントリーされ、時には一日に2つの書評が載ることもあります。

私も、恥ずかしながらamazon.comに、何本か書評を投稿したことがありますが、これが意外と大変な作業です。あれを毎日やれといわれたら、気が遠くなりますね。

7月末現在で、記事数が1067とされてますので、1000冊を越える本の書評が書かれたことになります。私の意見と異なるケースもありますが、日々書き続けておられるその精神力とエネルギーには、敬服します。実際の世界一周より、こちらの本の世界一周の方が、遥かに大変そうです。 

うさぎさん日記(うさぎ)

http://chappy25.cocolog-nifty.com/blog/

ブログで最も多いのは、日常の身辺を記録した、日記風エッセーです。本人を知っていれば別でしょうが、面白いものは少ないようです。

ここで採り上げた表題のブログは、管理人の感性と生き方、文章力で、毎回旅行記を中心とした、魅力的な記事が書かれています。

7月30日の記事で、ご本人が参加している老舗の楽団の話が紹介されていますが、まるで現代の社会、企業の縮図のようで、興味を惹かれました。

読んでいて、心が和む、癒し系、はまり物のブログです。

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2005/05/19

ブログは”書くカラオケ”

早いもので、ブログを始めて3ヶ月になりました。当初は、この”ほめく”のサブタイトルを中途半端宣言としているように、何事も程ほどに、中途半端にという性格から、どこまで続くかなと思っていました。
始めてみると、なんとなく一種の責任感のようなものが生まれてきて、思いの外真面目に取り組んでいる自分を発見しました。皆様から日々寄せられるコメントや、メールなどで送られてくる感想などが、大変励ましになります。

現在この”ほめく”を含めて3つのブログを運営していますが、この”ほめく”に最も時間と脳力(一応アタマを使っておりますです、ハイ)を割いています。
記事は一日置きですが、一日は原稿準備、もう一日で記事をアップして、トラックバックやコメントのチェックをしたり、返事を書いたりしてますので、結局毎日の作業となっています。
やはり一番大変なのは、ネタ探しです。日々のニュースはチェックしていますが、ある程度テンションが上がってこないと、なかなか記事が書けません。そういうテーマをみつけるのに、日々苦労しています。
始めは、政治経済ネタ、事件ネタ、芸能ネタ、シモネタの4本柱で行こうとしていたのですが、結果としては政治経済ネタが、最も多くなりました。シモネタは、一部熱心なファンの方がいらっしゃるのですが、家族からあまり良い顔をされないのが、ネックとなっています。
私の記事を読んで、少数意見ではあるけど、なるほどそういう見方もあるのかと思っていただければ、幸甚です。

現在では、大半のプロバイダーでブログを開設できますが、私の場合、nifty, goo, exciteを使っています。それぞれ一長一短ありますが、niftyが最も使い勝手が良いと感じています。欠点は、他社と違って、毎日のアクセス数が知らされないことです(無料の場合)。Yahooの場合、リアルタイムでアクセス数が表示されますので、その点は便利です。しかし反面、どうしてもアクセス数に引きずられる傾向が生まれます。
日々記事を書き、アクセス数をチェックしていると、どういうテーマを採りあげ、どういう風に書けばアクセスが増えるかが段々分かってきます。そうすると次第に読者におもねる記事を書くようになりかねないので、要注意です。

広告(アフィリエイト)は、これからも掲載しない予定です。人によると思いますが、私の場合、広告を載せるようになると、多分その会社や商品の悪口を書けなくなるからです。
ブログで記事を書く唯一の楽しみは、公然と悪口が書けることです。その楽しみが制限されたら、ブログを続ける意味が無くなります。

gooのブログには、ブログ総数が毎日表示されるのですが、日々すごい勢いで増えてます。プロバイダー各社とも、利用者の増加に設備が追いつかないらしくて、頻繁にメンテを行っています。それでも深夜には、接続トラブルが起きることもあります。
一介の市井の人間が、公の場で思ったことを発表し、赤の他人に読んで貰うと言うブログ形式は、日本人に向いているのかも知れません。

私は、ブログは“書くカラオケ”だと思います。

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2005/04/16

沢山のコメント、感謝します

毎日、多くのコメントが寄せられ、感謝しています。このブログを始めた当初は、賛成意見が圧倒的でしたが、最近は反対の意見や批判、気付きを寄せる方が増えてきました。その一つ一つにお答えしていませんが、ご意見は身に沁みています。 
批判や反対は、健全さの現れですから、今後も大歓迎です。

私は世の中に、絶対的に正しいこととか絶対的正義などというものは無いと考えています。
私は昭和19年生まれですが、その当時の大多数の日本人は天皇を神様だと信じ、“鬼畜米英”を唱えていました。それが昭和20年8月15日を境に一転、天皇は人間であり、アメリカが正しいと180度変わってしまいました。昨日までの正義は不正義となり、昨日までの正しいが間違いとなったのです。
こうした事は、今後も十分起こりうるわけで、寛容と批判的精神は常に保ってゆくべきと思います。

記事を書くにあたり、できるだけ事実関係の確認と、賛成反対両方の意見に眼を通しています。
ですから、ある結論を書く場合でも、これで良いか自問しながら書いています。その反面書いているうちに、ついつい筆が走ると言えば聞こえが良いのですが、調子に乗って余計なことを書いてしまう、これが自分の悪い癖です。軽薄さと冗談好きは、死ななきゃ直りません。

“子供を宗教に・・・”の記事には、特に多くのコメントが寄せられています。この件は又改めて見解を述べるつもりです。私は、特定の宗派を信仰していませんが、宗教そのものに対する関心は持っているつもりです。

郵政民営化に対して、民営化に異論を唱えながら、民営化反対派を批判しているとのご指摘がありました。郵政の中の、郵便貯金と簡易保険事業については過去余りに大きな問題があり過ぎて、これはこれで改革の必要があります。反対論の中に、改革を埋没させてはいけないというのが、私の主張です。

これからも、気楽に読んで貰えて、時々考えるヒントが得られるような記事が書ければ、これに越したことはありません。

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2005/04/11

キライな言葉

hatoyama
キライな言葉使いがあります。殆どが、TVを通じて全国に伝播したもので、芸能人が媒介したものが多いようです。
最近はグンと減ってきましたが、“・・と言えば、嘘になる”が一時期はやりましたね。主な使い方としては、この・・部分が否定形になるので、否定の否定で肯定文となります。それなら最初から“・・です”と言えば済むのであって、なにか言い訳がましくてイヤでした。
先日久々に耳にしたのは、NHKのOBで今は大学の教員をしている人が、インタビューで使っていました。何でも、個人で海外旅行に行っても、それを取材費とか調査費などの名目さえ立てば、NHKから旅費と日当が支給されていたそうで、全くあきれた話しです。その後にご本人が“私もNHKにいた頃、そういう不正を全くしていなかったと言えば、嘘になります。”と言ってました。要は不正していたんじゃん、はっきり言え!
おまわりさん、この人、直ぐにタイホして下さい。
どうやら、後ろめたいけど認めますよという時の、言葉使いなのでしょう。政治家なら“真に遺憾ながら、認めざるを得ません。”とでも言うんでしょうね。
どっちにしても、イヤな言葉に変わりはないですけど。

それに代わって、近頃鼻に付く言葉使いとして、”・・させて頂きます”というのがあります。これも“・・します”の一言で済むはずですが。
乱用されるようになったのは、ここ10年ぐらいでしょうか。芸能人の記者会見などは、”させて頂きます”のオンパレードです。“良いお付き合いをさせて頂いております”だの、“婚約を発表させて頂きます”だの、この分だとその内、マグワイさせて頂き、妊娠させて頂き、出産させて頂く日も近いでしょう。もっとも女性から“出産させて頂きます。”と言われたら、たいがいの男は狼狽しますけど。
あの“させて頂き”は、一体どなたに許可を求めているのでしょうね。プロダクションですか、TV局ですか、それとも和田アキ子?
政治家で乱用が最初に気になったのは、以前民主党の党首だか代表だかしていた鳩山由紀夫氏です。本人は丁寧語を使っているつもりだったのでしょうが、こちらからは優柔不断、慇懃無礼にしか映りません。
現在は芸能人、政治家、ファミレスなどのサービス業から、ビジネスの世界まですっかり蔓延して、パーティーの挨拶などでは、“させて頂きます”の連呼で辟易とします。

言葉ではありませんが、語尾にアクセントを付ける“語尾上げ”があります。自己の見解を披瀝しつつ、相手の同意を得るという使い方らしいのですが、当初は女子高生や若い女性タレント専用だと思っていましたら、最近はいい年したオッサンオバハンまでが使うようになりました。
私は、こういうイントネーションで喋る人の言葉は、信用しないことにしています。

この他、“・・の方”という言葉も嫌いです、10数年前に旅行に行ったとき、ツアコンが連発していて、これは旅行業の業界用語かと思っていました。”お食事の方”“お部屋の方”“お風呂の方”“費用の方”ってな具合でしたが、今や完全に一般用語となりました。
もっとも、以前“消防署の方から来ました”と言って、消火器を売り歩いて、捕まった人がいましたので、使い方にはご注意を。

断定した言い方は、相手を傷つけることがあるので、こうした持って回った表現になるんだそうで、現代人の優しさの現われとの見方もあるようです。こうした余計な装飾語は、本人の意思や主張をアイマイにするような気がして、ワタシテキにはどうも好きになれません。

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2005/03/11

”ほめく”開館1ヶ月

毎度当館をご利用いただき、有難うございます。
お蔭様でオープンして1ヶ月が経ちました。
当館の記事について多くのメールを頂き、又トラックバックやコメントを寄せて頂いた方々に、この場を借りて御礼申し上げます。
管理人の実感としましては、予想以上の反響に少々驚いている反面、プレッシャーも感じてきております。
毎回の記事作成にあたって考慮していること、blogを始めて感じたことを、二,三述べて見たいと思います。

記事を書くにあたって、やはり不特定多数の方に公開することが前提ですので、内容の正確を期する必要があります。テーマに取り上げる人物や事柄は、出来るだけ事前に下調べを行っています。
コラムなので、いちいち出典や参考資料を明記していませんが、いい加減なことは書いていないつもりです。

原則として、1日置きに新記事をアップしています。記事の作成に要する時間は、下調べを含めると1本2時間以上かかっています。
ご存知の方もおられるでしょうが、別館も運営しています。一応公開にはしていますが、向こうは自分自身のための記録として書いてますので、1本30分ほどで仕上げていますが、あちらも一日置きなので、両方あわせて結局毎日1本記事を書いていることになります。日によっては負担を感じることもありますね。
毎回テーマに即した画像を選択するのも、一仕事です。

1回の記事の長さは、2-3分でさっと眼を通して頂けるように、1000字以下にまとめています。あまり厳密ではありませんが、長過ぎないよう心がけています。

シモネタを書く時も、政治経済をテーマにする時でも出来るだけ同じ文体で書くように気をつけています。
それと最後の2-3行に、ちょっとしたオチをつけることも、共通のスタイルとしています。

しばらくはこのペースで当館を続けるつもりですので、引き続きご愛顧頂くようお願い申し上げます。

管理人敬白

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2005/03/07

懐かしの銭湯

sentou昭和30年代の前半の頃までは、東京ではうち風呂を持っている家は少なかった。
だから大抵の人は、銭湯に行ってました。
私は母親と一緒に風呂に行ってたので、小4くらいまで女湯に入ってました(スミマセン!)。

今の方ご存知ないでしょうが、その頃はまだ和服で風呂に来る女性がいました。
下着は腰巻なのですが、紐を解くときタオルを口にくわえてまして、腰巻を下に落とす瞬間、口のタオルがストンと下に落ちてきて、それを身体の中央部あたりで片手で受け止めるんです。それはもう目にも留まらぬ早さでした。昔の日本女性は、実に慎み深かったのです。

当時女性が髪を洗う時は別料金でして、金を払うと木の札と楕円形の桶が渡され、それで髪を洗えるんです。男は洗髪がタダなのですから、おかしな話しでしたね。
”流し”という制度がありました。
お金を払うと木の札が渡され、頃合を見計らって、サンスケと呼ばれる男の人が来てくれます。それで背中を流して、肩をマッサージしてくれるんです。肩に手ぬぐいを掛けて、その上からパーンパーンといい音を出して、叩いてました。
サンスケは勿論女湯にも入って来ます。格好は白い海水パンツのようなビチッとした下着1枚でした。そんな格好の男が、女湯の中を歩き回っているのですから、妙な光景でした。
当たり前ですが、周囲は全員が全裸の女性ですから、噂によると余り敏感な男は、この職業には向かなかったそうです。
女湯では、やはり若くて色白で、男前のサンスケに人気がありました。今で云うと、多少ホストみたいな要素があったのかも知れません。

男湯と女湯の間は仕切りがあるのですが、上の方が少し空いていました。
家族で風呂に来ている場合は、”もう出るぞー”と相手方の風呂場に声を掛け合っていました。
たまには、“オーイ、せっけん貸してくれー”などという声も掛かります。
”赤ちゃん頼むわよー”と母親が女湯から声をかけると、父親とおぼしき男の人が風呂場から脱衣場に向かいます。しばらくすると、風呂屋の女中さんが、女湯からバスタオルに包まれた赤ちゃんを男の所に運んできます。母親の方は、それから自分の身体を洗うのです。

中学に入ったころ、銭湯の開店時間に合わせて、一番風呂に入りました。これには訳があって、普通では人が入れない位熱い湯に、一人で平気な顔で入っています。すると後から大人の人がきて、何気なく入ろうとすると、これが熱くて入れない。水でうめようにも、目の前に子供が入っているので、湯船の前でマゴマゴする、その格好を見るのが楽しかったんですね。

風呂屋の中に中庭があり、周囲に縁側がありました、夏などはそこに扇風機が置かれてました。
涼みながら世間話に花が咲きます。銭湯は一緒のサロンであったわけです。
 銭湯で 上野の花の 噂かな

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