日記・コラム・つぶやき

2017/04/14

「町内会(町会、自治会)」って、必要なのか

私が住んでいるマンションでは、管理組合の理事長は町内会の役員になることになっている。
これも自分たちで決めたことではなく、入居当初から町内会側が勝手にルール化したものらしい。
町内会の役員の主な仕事は、
・役員会の出席(無視している)
・町会費と近くの神社の氏子会会費の集金
・区の会報などの配布
・分けの分からぬ回覧
・赤い羽根などの募金の集金
・防災訓練などへの参加
といった所だ。

管理組合の役員の方は大変なことも多いが、こちらもお世話になることがあるのでお互い様と割り切れる。
しかし、町内会となると40年近く会員になっているが、何か世話になった記憶がない。
その一方で、会費の集金や上から配布物、各種回覧物などが一方的に持ち込まれる。だから、どうも釈然としないのだ。
特に回覧、この必要性が全く分からない。
先ず、読まない。私も読まないが、周囲の人に訊いてもやはり読まないと言っている。読まなくても誰も困らないし、作り手も読ませる工夫をしていない。
恐らくは、各団体の広報予算の消化に使われているんだろう。
そんな回覧物が毎月数種類も持ち込まれる。

ウウィキペディアで「町内会」を引くと、「日本の集落又は都市の一部分(町)において、その住民等によって組織される親睦、共通の利益の促進、地域自治のための任意団体・地縁団体とその集会・会合」とある。
しかし町内会の歴史を振り返れば、戦時下では大政翼賛会の末端組織として戦争遂行の役割を果してきた。
戦後はGHQにより禁止されていたが、サンフランシスコ条約の発効にともない自治組織として再組織化されるようになり、今日まで続いている。
私の住んでいる地域については、同じ町内なのに番地が違うと別の町内会に分かれていたり、その一方で別の町と同一の町内会を形成している。
区内の他の町内会も似たような形態だ。
どうやら、戦前の町内会組織がそのまま継続しているようだ。

加えて、この町内会は近くの神社の氏子たちが中心となっている。だから、町内会の役員が氏子会の会費の集金をやらされるのだ。
私の様に信教の自由を理由に氏子会の入会を拒否していても、町内会の役員になると氏子会費の集金は手伝わされる。
地元の神社への信仰を否定するわけではないが、神社本庁が「日本会議」の中心であったり、神社が憲法改正の署名を呼びかけたりしている実情を見る時、どうしても戦前の悪夢を想起してしまう。
別の神社が経営している幼稚園では、かなり以前から毎朝の朝礼で君が代を園児に歌わせている。安倍政権の教育政策の先取りである。

少なくとも私の町の町内会を見る限りでは、住民自治とは程遠い。
地方自治体との連携を言いながら実態は一方通行で、「御上から下々へ」の気分が抜けない。
こんな町内会なら不要だろう。
町内会など脱会したいのだが、震災など大きな災害に遭ったときはそれなりの役割もあるかも知れないと思って、疑問を持ちながら会員は継続しているのだが。

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2016/10/25

「家族葬」と「お別れ会」

この年になると、親戚や友人など周辺の人々をおくる機会が増えてくる。
最近、特に眼に付くのが「家族葬」だ。大きな葬儀をするのではなく、家族だけで小さな葬儀をするというもの。
だいたい数百万円のかかる葬儀というのが不自然だったのだ、王侯貴族じゃあるまいし。だからこうした傾向になるのは当然だと思う。
ただ、外部の人には通知がいかないので、例えば年末に喪中はがきが来て初めて亡くなったのを知るとか、時にはこちらから出した年賀状の返信で亡くなったことが知らされるという事になる。
特別に親しかった友人の訃報だったりすると、一言連絡してくれればな、などと思うこともある。

「家族葬」の場合、家族以外の人は参列できないのかという問題もある。
数年前に同じ集合住宅の隣の御主人が亡くなった。親しくもあったのだが、「家族葬」だということで参列は遠慮しようかなと思っていた。
処が、マンションの掲示板に葬儀の日程や会場が告知されていた。
迷ったあげく、とにかく自分だけでも参列しようと会場に着いたら、私ともう一人同じマンションの住民が来ていた。
二人で会場に入ると、ご主人の知り合いの方が数人参列されており、控室も用意されていた。
こうなると「家族葬」って何だろうと思うのだ。
帰って近所の人にこの話をすると、「それなら私も行きたかった」という人も何人かいた。
この辺りの線引きがアイマイな気がする。

「家族葬」の反動というわけなのか、「お別れ会」というのが開かれるようになってきた。
親しい友人たちが有志で、亡くなった方を偲ぶという趣旨のようだ。
しかし、これにも問題がある。
誰々さんは「お別れ会を」やったのに、誰々さんの時はやらなかった( やってくれなかった)という不満の声があがることがあるようだ。
あと、誰と誰を招待するかという人選の問題もある。
私自身も、なぜ自分に声が掛からなかったのかと訝るケースがあった。
せっかくの周囲の好意なのに不満が生じるようでは困る。
また、故人の遺志で静かにおくって欲しいという事で家族葬になった場合、「お別れ会」を開くのは故人の遺志に反することになりはしないか。

私自身は死んだら家族だけでおくって貰い、遺灰は散骨してお墓もいらない。戒名も位牌も法事もいらない。
ごく親しい友人数人だけに、あとで死亡したという通知だけを送ってくれと遺言するつもりだ。
もっとも遺族に、「お墓も作らないのか」という親戚からの横ヤリが入ることもあるそうで、とかく葬儀はヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

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2016/08/06

「不倫」で世間が騒ぐ理由がわからない

ただいま「不倫ブーム」のようだ。この手のテーマを得意とする週刊誌には、毎号誰かの「不倫」記事が掲載されている。
この世に不倫のタネは掃いて捨てるほどあるだろうから、記事に困ることがないというのが報道側の利点といえる。
こうした報道があると、世間の声は不倫を行った人物を非難し、時には社会的制裁にまで発展する。そして不思議なことに当の本人が記者会見などを開いて、「世間をお騒がせしまして・・・」なんて謝罪までする。あれはいったい誰に謝ってるんだろうと、いつも疑問に思うのだ。

先ず「不倫」という用語に抵抗を感じるのだ。過去には「浮気」という言葉がよく使われていたが、なぜか今は「不倫」一辺倒だ。
似たような用語を辞書で調べると、定義は以下のようになる。
【不倫】道徳に反すること。特に,男女の関係が人の道にはずれること。(【人の道】人間としてふみ行うべき道すじ。)
【浮気】①異性から異性へと心を移すこと。②妻や夫など定まった人がいながら他の異性と情を通ずること。
【密通】妻あるいは夫以外の異性とひそかに情を通わすこと
【不貞】貞操を守らないこと。(【貞操】男女が互いに,異性関係の純潔を守ること。)

比べてみると「不倫」の定義だけは非常に抽象的だ。「人の道」といわれても個人によって捉えかたが違ってくる。「悪事はすれど非道はせず」なんて言葉もあるとおり、悪いことはしたが人の道に外れるようなことはしていないという言い方もできる。
それでも「不倫」という言葉だけが繁用されているのは、これも近ごろ流行りの「道徳ファシズム」に関係しているのではなかろうか。
それよりは「浮気」の方が明快な気もするが、「心を移す」を含めると範囲が広がりすぎる感もある。
「密通」がズバリだが、主に女性が対象になるのと、語感が古めかしいのが難点だ。
そうすると、残る「不貞」が最も適切な用語であると思う。
法律的には「不貞行為」とは「配偶者ある者が自由な意思に基づいて配偶者以外の者と性的関係を結ぶこと」と定義されているようなので、以後は「不貞」に用語を統一する。

「不貞」は純粋に配偶者二人だけの問題だ。もし相手が許すならば何も問題ない。許さないとなれば離婚となるが、これも夫婦二人だけの、範囲を広げてもその家族たちだけの問題だ。
赤の他人が口をはさむ余地はまったくない。

既婚者にきいてみたい。あなたは今までに、あるいはこれからも「不貞」を一切しないと誓えるだろうか。誓える人(特に男性)はよほど貞操観念が強い人か、嘘ツキかのどちらかである。
女性のことは知らないが、男性でそういうチャンスがあって妻に絶対バレないとなったら、10人のうち9人は不貞をはたらくだろうと推定している(残る1人は、このワタシ)。
自らを省みれば他人の不貞を簡単に非難はできないはずだ。
現実に不貞はかなりの確率で行われているし、明らかになった後も夫婦関係を継続してケースだって多い。そこには様々な事情があるだろうし、他人はうかがい知れないことだ。

夫婦にしかわからない不貞問題を外野がとやかくいうのはもうよそうよ。特にマスコミは。
落語『明烏』の時次郎のセリフじゃないが、「あなた方には、他にやるべきことが無いんですか」といわれかねない。

今日8月6日、広島原爆忌。

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2015/07/26

すべては家庭平和のため

昨日のことだ。
ある落語会のチケットが販売開始となり、昼席・夜席と別れているのだが両方とも顔ぶれが良いのでそれぞれ予約した。電話が終わってその会のチラシを眺めていたら、妻が怪訝な顔で近づいてきた。
「これって、何枚取ったの?」
「1枚ずつだけど」
「あなたねぇ、私のことを考えて2枚取ろうとは思わなかったの?」
実はまったく頭になかったので、虚をつかれてしまった。
だが、ここで狼狽えてはいけない。落ち着け落ち着け。
「いや、昼と夜を取っただろう。二人でどっちか行けばいいと思ったんだ。」
「ああ、そうなの。だったら2枚は要らないわね。わたし〇〇とXXは初めてだから、昼にするわ。」
「じゃ、オレは夜ね。」
と、すっかりご機嫌を直した妻に(泣く泣く)昼席を譲るハメになった。

これは数日前のこと。
芝居の特等席のチケットを手に入れたのが、妻の眼にとまってしまった。
「何枚買ったの?」
「1枚だけど」
「どうして私の分を買わなかったの?」
しまった! 井上ひさしの芝居に行きたいって前から言ってたっけ。
ここで動揺してはいけない。毅然としなくっちゃ。
「これ、君のために買ったんだよ。ほら、桟敷席だろう。こんな席で芝居を観られるなんてメッタにないだろう。」
「あら嬉しい、今から楽しみだわ。」
と、妻は大喜び。
禍福は糾える縄の如し。

己を戒め、相手を立てる。
これぞ我が家の「平和安全保障政策」。

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2015/05/15

いやはや、恥ずかしいのなんの、まるでタヌキの置物状態

Photoここ数日、他人(ひと)に言えない悩みを抱えていた。陰嚢(つまり玉袋)の表皮が赤く腫れ上がってしまったのだ。ご婦人の方には理解しにくいだろうが、横になっていても座っていても玉袋の先端が底面にあたり痛むのだ。立っていれば良いかというと、歩くと下着にすれてやはり痛む。
腫れてくると万有引力の法則に従い垂れてきて、状態としては上の画像のタヌキの置物(信楽焼)を想像して頂ければ早い。
さすがに放っておけないので、近くの病院の皮膚科に行った。医師は30代と思しき女医さんだった。
症状を説明すると、「じゃ、見せて下さい」と言う。いきなり、カーテンもなにもせずによ。「ここでですか?」と言うと、「ええ」。
「あの~、妻以外の女性には見せたことが無いんですけど」と言ったけど、笑わないんですよ、この女医さんは。
パンツを降ろすと、女医さんは陰嚢を指で挟んで観察し、「ああ、掻いてバイキンが入ったんですね」と言う。「いや、掻いてませんけど」と抗弁してもとりあわず、「掻いたからバイキンが入ったんですよ、抗生剤と痛み止め、出しときますね」と言って処方箋を渡してくれた。
そんなわけで、今日は長い文章は書けないので、この辺りでお終い。

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2015/03/10

東京大空襲と学童疎開

今日3月10日は東京大空襲から70年にあたる。実際は東京は何度も空襲を受けているのだが、とりわけ昭和20年3月10日は、下町を中心に死者10万人といわれる大規模な被害を出した。
中野区の新井小学高6年生だった私の兄は、他の生徒たちと共に昭和19年の春から福島県に学童疎開していた。処が、本土への空襲が激しくなった昭和20年1月に東京に戻されていた。不思議に思って後年、その理由を訊いてみたらこういう事だった。
当時の軍部は最終的には本土決戦を唱えていて、そのためには中学生以上の全ての日本人男子は戦闘に参加するという方針だった。昭和20年4月に中学生になる兄たちは、本土決戦要員として疎開先から東京に戻されたのだ。
私と母は、母の実家のあった神奈川県に疎開していたので、取り敢えず兄は私たち家族の元へ引き取られたが、生徒によってはそのまま東京に留まり、空襲の被害にあった人もいたものと思われる。
非道い話だ。
沖縄戦では、中学生以上の男子は学徒隊に組織され、男子は鉄血勤皇隊、女子は従軍看護婦隊として中学校単位で部隊に配備され、その中から沢山の犠牲者を出している。
もし軍部が主張していた本土決戦が実現していたら、どれだけ多数の日本人が死んで行ったか想像もつかない。

そうした惨禍を二度と繰り返すまいという反省に立って戦後の日本は出発したはずだ。
それがいま安倍政権の下で次々と覆されつつある。
東京大空襲70周年にあたり、私たちは本来の日本の姿を取り戻す決意を固めねばなるまい。

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2015/02/01

2015年1月アクセス数ランキング

2月1日未明にイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)とみられる犯行グループが、後藤健二さんを殺害したとする動画が配信された。強い怒りを感じると共にご家族の気持ちを思うと胸が痛む。
今回の日本人人質事件は湯川遥菜さんに続き、後藤健二さんも殺害されるという最悪の結末を迎えてしまった。
今回の事件の発端は、湯川遥菜さんが民間軍事会社を立ち上げシリアに渡航したことに始まる。やがてISに捕えられ人質とされた。このことは昨年の夏の段階で政府は掌握していたにも拘らず手をこまねいているうちに、ジャーナリストである後藤健二さんが単身で救出に向かい彼もまたISに人質にされてしまう。この事実もまた政府は早くから把握していた。そして安倍首相の中東歴訪で例の「2億ドル支援」の表明があり、今回の事件とその結果につながったと見られる。安倍首相は支援はあくまで難民保護など人道的なものだと力説するが、これがイスラム諸国にどの程度まで伝わっていたのか疑問である。
こうした経緯を分析、検証して、どこに問題があったのかを明らかにすることが今後求められる。少なくとも今度は自衛隊を派遣して、といった様な短絡的な議論は避けるべきだろう。

さて、1月のアクセス数のTOP10は以下の通り。

1 鈴本演芸場二之席・夜(2015/1/13)
2 鈴本演芸場二之席・昼(2015/1/20)
3 【ツアーな人々】消えた添乗員
4 【ツアーな人々】当世海外買春事情
5 【街角で出会った美女】アルバニア編
6 NHKは「番宣」をやめろ
7 「雀々・菊之丞 二人会」(2015/1/22)
8 2014年「My演芸大賞」
9 桂文我の珍しい噺三席(2015/1/16)
10 四派の若手競演(2015/1/28)

10位までのうち寄席・落語会の記事が半数を占めた。
3,4位は常連で、なぜか当ブログのロングセラーになっている。
5位は1月にある民放TVでアルバニアを秘境と紹介した影響と見られる。TV番組の影響は大きい。
6位のNHKでの番宣批判については、紅白を中心として賛同される方が多かったようだ。NHKには公共放送の使命というものをもう一度考え直して欲しい。

この他、ランク外になったが、「古典芸能の入門書にも『桂吉坊がきく 藝』」「警察も検察もウソをつく!『殺人犯はそこにいる』」「スターリン粛清の背景をえぐる『スターリン秘史』」といった書評に予想以上のアクセスが集まった事は喜ばしい。

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2015/01/27

「吉良の仁吉」を知ってますか?

村田英雄のヒット曲『人生劇場』の3番にこういう歌詞があるが、皆さんも一度や二度は耳にしたことがあるだろう。
♪吉良の仁吉は 男じゃないか
 おれも生きたや 仁吉のように
 義理と人情の この世界♪
先日、家族に「吉良の仁吉(きらのにきち)」を知っているかと訊いたら誰も知らない。女房まで知らないと言うので驚いた。同世代の男なら殆んどの人が名前ぐらいは知ってるだろう。
吉良の仁吉は三州吉良(現・愛知県西尾市吉良町)出身の博徒で、清水次郎長の兄弟分。有名になったのは二代目広沢虎造の浪曲『清水次郎長伝』の中の『吉良の仁吉』だ。
博徒の穴太(あのう)の徳次郎が、次郎長一家が世話をしていた神戸の長吉(かんべのながきち)の縄張りであった荒神山を奪ったため、吉良の仁吉は「荒神山の血闘」に乗り込んだ。長吉側が勝利したが、仁吉は鉄砲で撃たれ死亡した。
仁吉は徳次郎の妹・お菊を妻に娶ったものの、長吉の助太刀のために徳次郎とは敵味方になるからと、事前に恋女房のお菊を離縁する。だから「吉良の仁吉は男じゃないか」「義理と人情のこの世界」と歌われているのだ。
では、この話と『人生劇場』とはどういう関係なのかというと、『人生劇場』は作家・尾崎士郎の大河小説で、吉良から上京し早稲田大学に入学した青成瓢吉が主人公の物語。瓢吉青年を助ける侠客に吉良常という人物がいるが、これが吉良の仁吉の末裔だ。だから「おれも生きたや仁吉のように」となる。
家族にとっては全て初めて聞くことばかりだったようだ。

ことの序に『赤城の子守唄』はと訊ねると、歌は知ってるという。「国定忠治」はというと、名前だけは知ってる。ではどういう物語かと訊くと誰も知らない。
赤城山に匿われていた国定忠治は、自分を密告したという罪で子分の板割の浅太郎に命じ、浅太郎の叔父にあたる御室の勘助を殺害させる。勘助は裏切りは忠治を救うためのものであったと釈明しながら、遺児の勘太郎の面倒を託して果てる。浅太郎は勘太郎を背負い勘助の首を抱えて、忠治の隠れ家に赴き事の仔細を告げる。忠治は勘太郎を連れて逃亡の旅に出るというストーリー。だから、「赤城の子守唄」となるのだ。
こちらは初代春日井梅鶯の浪曲でお馴染みだった。
『天保水滸伝』の「平手造酒(ひらてみき)」も、もちろん家族は誰も知らない。

作家の赤川次郎が書いていたが、近年の時代劇ドラマのヒーローはみな権力者側の人間が主人公になっている。「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「銭形平次」、全てそうだ。時代劇だけじゃない、ゴールデンアワーの人気ドラマも「刑事もの」「警察もの」が花盛りである。
侠客やヤクザを主人公にしたTVドラマは自主規制の対象であるらしい。
これからは、アウトローのヒーローは生まれて来ないのだろうか。
何だかツマラナイ世の中になってきた。

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2014/10/22

日本が「監視社会」に

【盗撮】当人に知られないように,撮影すること。ぬすみどり。(「大辞林」より)

都市部に暮らしている人たちは日々「防犯カメラ」によって監視されているといっても過言ではない。いったい日本で何台ぐらいの監視カメラが設置されているのかさえ分かっていない。推計では2010年で約300万台ともいわれていて、しかも毎年38万台ずつ増えているという試算もある。街中に限らずコンビニ、オフィス、鉄道、公共施設など、様々な場所に監視カメラが置かれている。
監視カメラの先進国はイギリスで推定400万台が設置されているという。ロンドン市民は一日に300回撮影されているというのはよく引き合いに出されるが、東京など都市部に限ればそのロンドンに勝るとも劣らぬ監視社会になっているようだ。
防犯カメラと称しているが、実際には犯罪防止に効果が確認されていない。
これらのほとんどは私たちが知らずに撮影されているわけで、「盗撮」である。
一般に女性の下着姿などが小型カメラで撮影される盗撮被害が問題になり「盗撮法」を作る動きもあるが、こうした法律を制定しようと思うと監視カメラの撮影も問題になることから難しいと判断されている。

防犯カメラの映像はしばしば犯罪捜査に使われ、時にはカメラの映像を公開することにより容疑者が捕まることがある。
しかし防犯カメラで撮影されるのは犯人だけではない、私たちの行動も常に撮影されていることも忘れてはならない。
こうした映像がどう利用されているか、実態が不明なのだ。警察から提出の要請があれば、映像データを提出するのが一般的だ。入手した映像データはそのまま警察に蓄積される。問題はその先で、「情報業者」とよばれる人たちが入手しているケースがあるということだ。
月刊誌「選択」2014年7月号によれば、こうした「情報屋」はギブアンドテイクや金銭授受などにより警察から情報を得ているとしている。ある情報屋は、「国家機密、軍事機密以外で手に入らない情報はない」と豪語している。
彼らが入手しているのは映像データだけではない。携帯電話の通話記録、企業の顧客データ、銀行の取引データまで、ありとあらゆる情報が手に入るという。
もちろん非合法なので時に捕まる人間も出るがイタチゴッコになっているのが実情のようだ。
ニーズがあるところに商売は成り立つわけだ。

ではインターネットのデータはどうかというと、こちらはさらに完全な監視が行われている。
2011年の法改正で日本国内のプロバイダーは通信に関して3カ月のログ保存が義務付けられた。内容は発信者、受信者、経路の記録である。通信内容は対象外だが、事業者は保存し活用している可能性は大だ。
私たちがネットで買い物をすると、他のサイトを見ている時にいきなり購入した商品に関連した商品の宣伝が表示されることがある。これなど活用例といって良い。
自動車では公安委員会のNシステムは全国で約1500か所設置されており、自動速度違反取締装置は500か所ある。他に交通量読み取り装置であるTシステムがあり、本来は捜査には使われないことになっているが実際には犯人逮捕で使われた例があるという。

映像処理技術の進歩はめざましく、今では顔認証や歩行認証システムの開発など日進月歩だ。
問題は、監視カメラの運用ひとつをとりあげても、規制やガイドラインが整備されていないことだ。日弁連ではいくつか提言をしているが実現にいたっていない。
今や日本は「監視社会」「監視大国」になった。
自分の行動が常に他人から見られているという社会であることに注意せねばなるまい。

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2014/08/15

新兵の訓練

今日は69回目の終戦記念日。しかし以前に書いたように正式な終戦日は8月15日ではない。軍部が支那派遣軍を除く外地軍に対して全面的な戦闘行動停止の命令は、8月25日零時以降としていた。以後も大陸や北方戦線、北方四島では日本軍とソ連軍との戦闘が続き、全体的に終結したのは8月末になってからだ。
従って正式な「終戦の日」とは、日本政府がポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した、9月2日とすべきだろう。

私には戦争の思い出はない。支那事変から日米開戦にいたる時期は生まれる前だったし、東京大空襲から終戦にいたる時期はまだ赤ん坊だ。戦争や軍隊についての知識は両親や親類の人たちの話、その他は戦記や小説で得られたものだ。
ただ、両親が戦前に中野でカフェ(イメージとしては今のバー、クラブ)を経営していたので、色々な客が訪れた。店の名が「日満」といい、入り口の上には日の丸と満州国旗のぶっちがいが飾ってあったせいか、除隊になったり一時帰国したりしていた兵士が多かったという。店は父親が徴用されて昭和18年ごろまで続いていたようだ。
軍隊帰りの人というのは概して体験を語りたがらないものだが、なにせ酒が入って若い女の子を前にすると、ついつい自慢話、手柄話を披露したくなる。家族などには到底話せないことまでしゃべるわけだ。
酒席だから多少のホラや誇張はあったのだろうが、後年、母から聞いた限りでは中国人に対して相当ひどい事をしていたようだ。中味は、とてもここでは書けないものだ。
中学生の頃だったと思うが、雑誌に、戦中の従軍記者が書いたもので、軍部の検閲でボツにされた記事を特集したものがあった。残虐行為がリアルに書かれていて再びショックを受けた。

近所の男の人から直接軍隊での経験を聞いたのも、中学生のころだったと思う。
その人は徴兵されて中国の戦線に送られたということだが、長い戦闘の中でこれだけは忘れることが出来ない記憶として話してくれたのが、以下の「新兵の訓練」だった。
内地では一通りの訓練は受けたのだが、現地へ行くと上官から新兵だけ集められて特別の訓練がやらされた。それは実際に人を殺す訓練だった。
木に中国人捕虜が縛られていて、新兵がそこへ銃剣で突撃し、一刺しで殺すという内容だった。
嫌だったが上官の命令には逆らえず銃剣を構えて突進する。その時に中国人と眼が合うと凄い形相をしていた。そうだろう、今ここで自分が殺されるのだから当然だ。その眼に堪えられず視線が逸れてしまい、急所を外してしまった。
上官から殴られ、負傷して苦しんでいる捕虜にもう一度突撃を命じられ、相手が絶命するまでやらされた。
訓練はその部隊の新兵全員が終わるまで続いた。
その後、各地を転戦したが、あの時の中国人捕虜の表情だけは忘れることが出来なかったと言う。
戦後は戦犯にされることを怯えて暮らしていたそうで、絶対に戦争は嫌だと、その人は語っていた。

そうした事から戦争だけは、軍隊だけは嫌だと思い続けて今日に至っている。もちろん自分の息子や孫たちにもそうした目に遭わせたくない。
幸い、私たちの時代は国軍も集団的自衛権の行使もなかったので、朝鮮戦争にもベトナム戦争にも参戦せず、徴兵されて戦線に送られることもなかった。
69回目の終戦の日であるが、今年は今までとは異なる気持ちでいる。

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