「幇間(タイコモチ)」評論家・記者どもへ
4/21付“Ohmynews”で、新聞書評のデタラメさが取り上げられている。
本の著者が評者を指名することさえあるそうで、「今の日本の新聞や雑誌の新刊書評の8割は、なんらかの「コネ」で発注されているのが現状」とも指摘されている。
要は、お互い仲間内でほめ合っているというのが実状のようだ。
以前に養老孟司という人が書いた「バカの壁」が、文字通りバカ売れした時があった。家族や周囲の友人の中にも、読んだ人が多かった。
大新聞の書評に、「この小さな面白い本が提起する問題はかぎりなく大きく、人類の未来を左右する。」なんて書かれりゃ、誰でも手に取って見たくなろうというもの。
この本が、人類の未来を左右するわけないじゃん。
読後感は散々で、ある知人は「こういうのを買って読む人間が『バカの壁』」と言っていた。
こんな書評を書くなら、文芸評論家という看板を下ろして、広告のコピーライターに転職した方が良い。
こうした甘い批評は、何も書籍にとどまらず、世の中のあらゆる分野にその傾向が見られる。
私は好きでよく寄席に行くが、どうもパッとしないと思っていたのに、新聞の批評欄ではベタホメだったりして、この人本当に見に行ったのかなと疑いたくなることがある。
歌舞伎もそうだ。
欠点には全て目をつぶり、良いことだけを書くとああいう記事になるのかなと、感心させられることがある。
会場で何回かそういうセンセーらしき人物の姿を見たことがあるが、公演関係者らが入れ替わり立ち替わり挨拶に訪れてきて、あれじゃあ悪口は書けないやと思った。
何も欠点だけを採り上げろと言ってるんじゃない。才能を認めて伸ばしていくと言う姿勢も、もちろん必要だ。
しかし専門家である以上は、間違ったこと、未熟な点は指摘せねばなるまい。
スポーツの世界でも同じことが言える。
最近、大相撲の八百長騒ぎがあったが、背景に力士の規律のユルミが指摘されている。仕度部屋に関係者以外の人間が出入りしていたなんて、その騒動で初めて知った。
なぜ相撲評論家やスポーツ記者は、今までそうした事を見逃していたのか。
かつて讀賣新聞の相撲欄に記事を書いていた、彦山光三という名物評論家がいたが、全盛の横綱だろうと人気絶頂の力士だろうと優勝をかけた大一番だろうと、怪しいと思えば翌日には「無気力相撲」とハッキリと記事で指摘していた。
今そんな人物は、どこにもいない。
プロ野球球団の不正資金もそうだ。
予てから新人のスカウトに多額の裏金が存在しているなどという事は、関係者の間では常識になっていた筈だ。
どこでもやっている、皆が知っている、だから不正を不正と思わなかったのは球団関係者だけではなくて、マスコミのスポーツ記者もそうだったのだろう。
政治のスキャンダルや企業の不祥事もまた同じ。
例えば先日、石原都知事が記者から、海外出張での乱脈な経費の使い方を質問されたとき、「あんた方だって一緒だったじゃないか」と切りかえされて、一言もなかった。
同行取材してたんだから知っていたんだろ、というわけだ。
石原知事を擁護するつもりはコレッポチもないが、黙認してきたマスコミの責任は大きい。
ネットやブログで、市井の人々が声をあげることも大事でしょう。
しかし何より、圧倒的な影響力を持つ新聞やTVの記者や評論家らが、澄んだ目でモノを見て、間違ったことや不正な行為を厳しく監視し、報道することが肝要です。
厳しい批評家の眼が、良い芸人を作る。
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