旅行・地域

2016/05/30

「京都御所」の見学

先週、京都に行く用事があり、その折り京都御所を見学してきました。
春秋の一般開放以外の時期では宮内庁のHPから申し込みができます。
比較的少人数なので、ゆっくり見学できるのが利点です。
ガイド付きで、しかも無料です。
ここ数年、京都は世界の人気都市の連続1位になるなどで、海外から多くの観光客が訪れていますが、
特に外国人にとって御所は隠れた人気スポットとなっています。

8世紀末に平安京に遷都されて以来、明治維新までこの場所が皇居でした。
ただ幾度か火災にあい、現在の建物は1855年に再建されたものです。
全体の広さは東京ディズニーランドとほぼ同じですが、御所以外は御苑として一般に開放されています。
見学者用の門を入って直ぐに見えるのが「宣秋門(せんしゅうもん)」で、皇居に参内する人たちはここから入門しました。
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そこから「御車寄(おくるまよせ)」に向かい、ここが玄関になります。当時の公家たちは牛車の乗って来たので、ここで下車していました。
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「諸太夫の間(しょだいぶのま)」は参内した人の控室。奥には襖絵が飾られているそうですが、保存のために前面にアクリル板が張られていて内部は見えません。
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御所の中心は「紫宸殿(ししんでん)」で、代々の天皇の即位式など重要な行事が行われた正殿です。
御所の中には白い石が敷き詰められていますが、これは建物の内部に照明設備がなく、太陽光を白石の反射によってとり込むためです。
落語の『祇園祭』で京男が江戸の男に向かって
「こっちゃ京の御所の御砂を掴んでみなはれ。瘧(おこり)が落ちるわな。」
と啖呵を切りますが、その御砂がこれです。
向かって左に見えるのが右近の桜、右に見えるのが左近の橘。
昭和天皇の即位式まではこの場所で行われました。
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紫宸殿の正面にある門が「建礼門(けんれいもん)」です。
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紫宸殿の周囲は「朱塗りの回廊」がめぐらされています。
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「清涼殿(せいりょうでん)」は天皇が日常生活を送った場所で、内部は風通しがよく設計されていて、夏場は快適だそうです。
反面、冬の寒さは厳しく、十二単(じゅうにひとえ)の綿入れが発達したのはそのためです。
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写真の左側の建物が「小御所(こごしょ)」で、天皇が将軍や諸侯と対面するときに使われた場所です。
王政復古の後に行われた「小御所」会議はここで開かれました。
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「御学問所(おがくもんじょ)」は学問だけでなく、天皇が臣下と対面するときの場所としても使われました。
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「御池庭」は御所の庭園で、大きな池を中心とした回遊式庭園です。中央に見えるのは欅(けやき)橋。
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「御常御殿(おつねごてん)」は天皇が日常生活を営む場所として、豊臣秀吉が造営したものです。以前は清涼殿がその役割を負っていましたが、生活様式の変化に対応できず、こちらに移されたものです。
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ここから奥はいわゆる「奥向き」となり、立ち入りは出来ません。
御所にはこの他にも多くの建物があり、いずれも平安時代の建築様式が再現されたものです。
ただ、現在はほとんど使われていない様子で、モッタイナイ感がありますが、今の皇室の方々は、ここでは住めないでしょうね。

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2015/09/14

中国旅行を終えての感想

「いま中国国民は毛沢東をどう思っていますか?」と質問すると、それ迄にこやかだった現地ガイドの顔がこわばった。明らかに緊張しているのが分かる。
「皆、尊敬してます。」
「しかし、文化大革命は誤りだった事は中国政府が公式に認めてるし、文革の中心人物は毛沢東だったよね。それでも尊敬してる?」
「でも、毛沢東は良い事もしています。」
「その良い事って何ですか?」
ここで現地ガイドは言葉が詰まり、しばらく沈黙が続いた。どう説明しようか迷ったんだろう。
「文革は確かに誤りでした。しかし当時の人たち(敵視され失脚した人たち)は名誉回復されてます。中国の人はいつまでも過去に拘ることなく、未来を大事にしています。」
中国の長い歴史から見れば、文革の誤りなんぞ取るに足らないのかも知れないが、私から見れば文化大革命の誤りに正面から向き合わねば、これからの中国の正常な発展は無いと思う。
文革の本質が、毛沢東に対する個人崇拝を批判していた当時の指導部に対する毛沢東側のクーデターだったのは明らかだ。彼個人の欲望によって多数の犠牲者と長期にわたる国内の混乱を招いた、その責任は計り知れない。その後、鄧小平や周恩来らによって混乱は収拾され、やがて「改革開放」路線へと転換してゆく。
しかし彼らの改革は毛沢東への個人崇拝を棚上げにし、文革への反省を中途半端に終わらせてしまった。
その結果、後に生じた中国国内の民主化運動を潰し、経済格差を拡大させ、今日に至っている。
私が皮肉半分に「そうか、文革があったから改革開放が出来たと考えれば、毛沢東も良い事をしたってわけか?」と言うと、現地ガイドは苦笑いを浮かべていた。
これ以上議論を拡げるのは中国国内では無理なことは分かっていたので、現地ガイドとの会話もそのまま終わらせた。
中国共産党は現状を社会主義への発展過程と見ているようだが、過去も現在も中国は社会主義や共産主義とは全く無縁な社会である。もはや「共産党」という党名は変えるべきだろう。

中国への旅行は今回が5回目(香港を含めれば6回)となる。観光で4回、仕事で1回。
8月中旬から8日間のツアーで、中国の西安-ウルムチ-トルファン-敦煌と周ってきた。現地のメディアは「対日戦勝記念日」一色でアウェイ感一杯だったが、旅行中特に嫌な気分を味わうこともなかった。
正確にいえば嫌な事はあったが、それは毎度の事で特別ではない。

その嫌な事というのはいくつかあるが、一つは旅行中やたらにパスポートの提示が求められることだ。
ホテルのチェックインでは必ずで、時にはフロントに預けて翌朝に返還なんて事すらある。飛行機に乗る時は仕方ないが、高速鉄道(日本でいう新幹線)の乗車の際にもパスポートの提示が求められる。加えて、主な観光地に入場する際にもパスポートの提示が必要だ。入場券にパスポート番号が表示されていて、入場の際に入場券とパスポートが照合されるケースもある。
目的は唯一つで、外国の旅行者の動静を把握するためだろう。これだけパスポートの記録をしておけば、旅行者個々人の日々の動きが当局には手に取るように分かる仕組みだ。
これは聞いた話だが、中国国内の旅行は人民解放軍が掌握しているとのことだ。数十年前までは現地ガイドは観光客を監視する役目を負っていたらしい。観光客が乗る車両には公安が張りつき、動きに眼を光らせていた時期もあったと聞く。
今はさすがにそういう事は無い様だが、何となく不気味な感じがする。
それと係員が官吏のせいか、やたら高圧的なのも気に障る。

二つ目は観光とショッピングの境界がアイマイなことだ。ツアーの日程表に「00博物館の見学」とか「00工場の見学」と書かれていたら、見学は付け足しでメインはショッピングだ。
それだけではない。観光施設でも案内の途中や終りには必ず売店に案内され、商品の購入を勧められる。
レストランで食事でも、食事が終了した頃を見計らって店の特産品の売込みがある。
見分け方は簡単で、日本語を話す人が出てきて説明を始めたら、最終目的はショッピングだと思えばいい。例えその人が学者だろうと研究者だろうと専門ガイドだろうと、最後は販売員になる。
そう割り切ってしまえば良いんだろうが、何となく騙された様に気分になって嫌だ。買い物好きな人は良いのかも知れないが、30分以上も一ヶ所にとめられ商品を勧められるのは苦痛でしかない。
中国には魅力的で行ってみたい場所が未だいくつかあるのだが、以上の事が気になって行くのが憚れるのだ。

もし中国がこれから多くの旅行者を呼び込もうと思うなら、上記の点は改善した方が良い。

前回(9年前)に比べて良くなった点もある。
①以前に比べれば全体にトイレがキレイになった。
②ホテルの部屋へのマッサージ(実態は売春)勧誘が無くなった。これは恐らく習近平政権の「黄掃」(フーゾク一掃)政策の結果と思われる。
③空港でスーツケースにバンド掛けして10元のチップを要求するという光景が無くなった。これも政権の意向かも知れない。
④西安市でいえばバイクは全て電動に変り、バスと乗用車の燃料は全て天然ガスに変るなど、環境対策が進んでいる。
以前に比べ全体的に浄化されつつあるようだが、経済にどのような影響が出るか注視する必要があろう。

以上が中国旅行の感想だ。異論もあろうが、それは人それぞれという事で。

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2015/08/29

「中国シルクロード旅行記」のご案内

ただいま、別館にて「中国シルクロード旅行記」を掲載しています。
ご興味のある方はお立ち寄りください。

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2015/06/20

「バルト三国旅行記」掲載のご案内

だたいま「ほめ・く 別館」にで「バルト三国旅行記」を連載しています。ご興味のある方はのぞいて見て下さい。

余談ですが、6月3日にラトビアの首都リガの国会や大統領府周辺を観光していたら、人だかりが出来ていました。ガイドから様子をきくと、現在ラトビア大統領選挙の真っ最中で、第1回投票で過半数に達した候補者がいなかったので、この日二人による決選投票が行われたとの事でした(大統領は議員による選挙)。その開票結果を待って国営放送が取材に来ていました。
やはりこうしたニュースはベテランアナウンサーが担当するのでしょう。
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女性アナウンサーに近づきカメラを向けたら笑顔を返してくれました。
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こういう場面に出会えるのも旅の楽しみの一つです。

帰国して日本のニュースを見たら、下記の記事が掲載されていました。
【ラトビアの新大統領の選出
バルト3国の一つ、ラトビアからの報道によると、ラトビア議会は6月3日、次期大統領に国防相のライモンツ・ベーヨニス氏(48)を選出した。任期は4年。現職ベルジンシ大統領は家庭の事情を理由に1期目の任期満了で退任する。】
うちのあの首相も、早く退任してくれませんかね。

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2015/05/14

アムトラックの思い出

以下は昨日起きたアムトラックの事故のニュースの概要。
米ペンシルベニア州フィラデルフィア市で5月12日午後9時30分(日本時間13日午前10時30分)ごろ、全米鉄道旅客公社(アムトラック)の列車が脱線した。同市などによると、首都ワシントンからニューヨークに向かう旅客列車で、少なくとも6人が死亡し、けが人が多数出ている。
アムトラックによると、乗員乗客243人が乗っていた。フィラデルフィア市によると、200人以上が病院で手当てを受けるなどし、重体の人もいる。在ニューヨーク日本総領事館は巻き込まれた日本人がいないかどうか調べている。
調査にあたっている米運輸安全委員会(NTSB)は13日、脱線したアムトラック(全米鉄道旅客輸送公社)の列車が事故当時、時速160キロを越えるスピードで走行していたと発表した。

もう20年ほど前になると思うが、一度だけアムトラックの今回の事故と同じワシントンDCからニューヨークに向かう路線に乗車したことがある。米国では初めての鉄道での移動だったので、停車駅と時刻表を書いて持っていた。次の停車駅に近づくと降りる人が乗降口に集まって準備していた。ところが列車は止まらず駅を通過。あれっと思っていたら、5分ほど走って停車。今度はバックをし始め10分ほどかかって先ほど通過した駅に戻って乗り降りが行われた。
結局、列車は予定を15分以上遅れて出発した。
驚いたのは乗客の誰一人騒ぐこともなく、降車の準備をしていた人も大人しく事態を見守っていたことだ。アムトラックというのは日本では新幹線と同様だと聞いていたので、この冷静な乗客たちの態度に感心した。日本の鉄道だったら大騒ぎになったろう。
同時に思ったのは、もしかするとアムトラックではこの程度のことは日常茶飯事であり、だから乗客も冷静でいられたのかも知れないのでは、と。
今度の事故のニュースに接して、なぜこの列車が所定の2倍もの速度でカーブを曲がろうとしていたのか、疑問に思う。

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2015/04/18

バスルームが2つあるツインルーム

京都観光ではいつもビジネスホテルを利用するのですが、ハイシーズンですと京都市内のホテルをとるのが難しく、今回のように大阪に宿泊することも珍しくありません。京都-大阪間はJR、京阪、阪急電車の3系統があり、洛東に行こうとすれば京阪を利用すると便利ですし、京都駅ならJRを、京都の繁華街である四条河原町に出るには阪急を使います。
4月の旅行では三井ガーデンホテル大阪淀屋橋に宿泊したのですが、このホテルで感心したのは「バスルームが2つあるツインルーム」があることでした。こういう部屋に泊まったのは国内、海外を通じて初めてです。
通常のツインルームではバスルームが1つしかなく、外から戻ってきて二人どちらが先に使うか譲り合うことになります。特に夏場だと汗をかいているので一刻も早くバスを使いたいという時に、相手が終わるまで待たされるというのは苦痛です。2つあればお互いに気兼ねなくバスルームを使用できるのでとても快適です。
もう一つ良いと思ったのは、通常のホテルではバスルームが部屋の隅にあるため、給水の音が隣の部屋に響くという欠点があります。深夜などでは結構気になるのですが、今回のケースだと2つのバスルームは部屋の中央にあり、給水の音が隣室に響くことがありません。
部屋は24㎡と狭いですが、ビジネスホテルに求められるのは経済性と利便さですからここは目をつぶるしかありません。
このホテルは1階にコンビニを併設していて、これも便利だと思いました。
なおツインルームにはいくつかタイプがあるようなので、予約の際に確認しておいた方が良いでしょう。

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2015/04/17

京都の桜2015

4月12-14日、2泊3日で京都の観桜にでかけました。今年は3月末に気温が上がり4月に入って雨が続いたため桜の開花期間が短かったようです。京都でもこの時期、ソメイヨシノはとっくに散っていて、目当ては枝垂桜でした。こちらも代表的な醍醐寺(秀吉が最後に花見を催した所)の枝垂桜も既に葉桜になっていました。おまけに12日だけは天気がもってくれましたが、13-14日は終日雨、それも大雨に近い降りだったので桜見物もままならぬ事となりました。
それでもいくつかの寺社では満開の桜を観ることができましたので、写真を紹介します。なお傘をさしたまま片手で撮影したものばかりなので、写りが良く無いことを予めお断りしておきます。

12日は洛東に向かい、銀閣寺から哲学の道を経て南禅寺まで歩くコースをとりました。銀閣寺の桜は完全に散っていましたが、哲学の道の桜は多少残っていました。
<哲学の道>
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南禅寺も私が見た限りでは、咲いていた桜はこの1本だけだったようです。
<南禅寺>
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この後、円山公園と八坂神社に行きましたが、桜はほとんで残っていません。でも円山公園では大勢の人が花見の宴を楽しんでいました。
夕方は鴨川、高瀬川周辺や新京極通りを散歩し、高瀬川に面した居酒屋で夕食です。

13日は朝から雨。午前中は洛西へ向かい、嵐山から嵯峨野を散策。こちらも桜は散っていて、天龍寺にも立ち寄ったのですが既に葉桜になっていました。
次に向かったのは大覚寺です。京都には20回以上来ていますが、未だに訪れた事がない寺社が沢山あり、この大覚寺も初めてでした。元は嵯峨天皇の離宮だった所で、空海を祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の大本山であり、「いけばな嵯峨御流」の家元でもあります。宸殿や正寝殿など壮麗な伽藍を有する寺院で、五大堂からは庭湖である大沢池が一望できます。
宸殿の脇の枝垂桜が開花していました。
<大覚寺>
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次は仁和寺で、樹高が低く白い花がつくので有名な「御室桜」の名所です。最盛期は過ぎていたようですが庭園一杯に咲き競う御室桜は壮観でした。この頃から雨脚が強くなりました。
<仁和寺>
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石庭で知られる龍安寺では庭園に中央部付近の土塀の向こうに桜の木が1本植えられていて満開を迎えていました。石庭と桜の組み合わせはこの時期にしか見られない貴重なものです。
<龍安寺>
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お馴染みの平安神宮ですが、今回神苑に初めて入場しました。苑内には多数の桜の木が植えられていて、外の喧騒とはまるで別世界。散り始めていた木が多かったのですが、最盛期の桜も何本か観られました。着物姿の女性が多かったのもこの神苑の特徴でした。
<平安神宮>
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泊りは2泊とも大阪で、ミナミに出かけて夕食をと思っていましたが、妻が疲れて歩けないというので近くのコンビニでアルコールとツマミ、弁当を仕入れてホテルの室内でささやかな夕餉となりました。

14日も朝から雨で、午後からは土砂降りとなりました。
先ず洛北の上賀茂神社へ。鳥居をくぐって直ぐの所にある巨大な枝垂れ桜が満開でした。
<上賀茂神社>
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東寺の庭園の桜も開花しているものが多く、最長の高さを誇る五重塔をバックに撮影。
<東寺>
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次いで山科に向かい、これも初の勧修寺(かじゅううじ)へ。大半は散っていましたが、開花中の桜が1本だけありました。
<勧修寺>
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最後の醍醐寺は楽しみにしていた入り口の大きな枝垂れ桜は完全に散っていて残念。
全体に桜の時期からは遅れていて満開の桜を観ることが出来なかったのと、天候に恵まれなかったのは不運でしたが、それでも春の京都を満喫してきました。
米国の旅行雑誌「トラベル+レジャー」が発表した2014年の世界の人気観光都市ランキングで、京都が初めて1位となったとのことです。当然の結果でしょう。京都を上回る観光地など世界のどこにも無いでしょうから。

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2014/07/24

温泉は体に悪い?

小森威典(著)『正真正銘 五ツ星源泉宿66』(祥伝社新書2011年10月初版)
Photo年に2,3回は箱根や熱海周辺の温泉に出かけるのだが、しばしばアトピー性皮膚炎を悪化させて帰って来ることがある。温泉は肌に良いと思っていたが、どうもそうで無いらしい。
どこの旅館でも天然温泉で、中には「源泉かけ流し」を謳っている所もあるが、それにしては塩素の臭い(キッチンハイターの臭い)が強い。そこで温泉施設に義務付けられている「温泉表示」を読んでいたら、末尾に「ろ過」の文字があった。ということはこの旅館の温泉は循環使用しているに違いない。レジオネラ菌防止対策として塩素系の消毒剤を温泉に加えているというわけだ。
こうした経験を何度かしていて、温泉の実態はどうなっているんだろうかという興味から、この本を読んでみた。
著者はTVプロデューザーを25年間つとめ、特に温泉番組の制作を手掛けていて、直接取材した温泉旅館は1600軒以上に及ぶ。
その結果、本物の「温泉」といえる施設は全体の1%しかないことが分かった。全国14380軒の温泉旅館の中で本物が1%だということは環境省も認めているとのことだ。さらに源泉の温度を下げるために加水していない施設になるとその半分しかない。ということは本物はざっと200軒に1軒ということになる。
この他、以下のような事が分かっている。
・草津や別府には本物の温泉は存在しない
・ほとんど浴槽の掃除をしていない宿が驚くほど多い
・天然温泉を謳いながら何倍もの水で薄めているケースが少なくない

温泉の効能というのは源泉にあり、汲みあげた源泉が空気に触れることなくそのまま湯船に供給されなければならない。加水したり循環したりすればその温泉は単なる水溶液に変ってしまう。
従って本物の温泉の条件とは何かというと、以下のようになる。
①源泉100%かけ流しであること(循環などもってのほか)
②加水しないこと
③消毒しないこと
④こまめに清掃して清潔を保っていること
ただし冬場の加温だけは認める。

現在、温泉の消毒剤として従来の製品に比べ遥かに効果的で、かつ塩素の臭いのしない物が開発された。「塩素化イソシアヌル酸」という名の強力消毒剤だ。しかもヌメリが出るという。
1回投与すれば少量で1日効果が持続するという性能があり、多くの旅館で使われている。
処が強力なだけに人体への影響、特に発がん性に疑問が持たれているが、厚労省や保健所での検証は一切行われていない。
プールでも使用されているようで、アメリカやイギリスでは健康障害も指摘されている。
著者によれば、こういう温泉に入る位なら銭湯の方がよほど安心だと言い切っている。

そうした心配を別にすれば、良い景色を眺めながらユッタリと湯船に浸かり、美味しい料理と酒を味わいリラックスできるという効果はあるわけだ。
楽しみ方は人それぞれなので、本物の温泉でなければ全てダメというわけではない。
ただ、施設に掲示してある「温泉表示」をチェックしたり、持病のある人は浴槽の入り方には注意が必要だろう。

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2013/11/03

裏磐梯の紅葉

11月1日より1泊で裏磐梯の紅葉狩りにでかけました。
秋になっても気温が高い日が続いたため、東北の紅葉は1-2週間遅れているようです。裏磐梯も例年なら紅葉が終わりかけている季節ですが、今が真っ盛りのようでした。
今年は台風の影響で葉が落ちてしまい全般に色づきも悪いそうです。
先ず、五色沼の毘沙門沼の紅葉です。画面左下は紫陽花の葉で、その緑と紅葉、青い湖面の対比が鮮やかです。
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ハイシーズンということで大勢の観光客で賑わっていました。
遠くに霞んで見えるのが磐梯山です。
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岩陰が湖面に映し出されています。
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手前にススキも見えて晩秋らしい景色です。
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檜原湖は朝早く出かけたので一面霧に埋もれていました。
貸しボートも寂しげです。
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湖畔では紅葉が見られました。
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宿泊した星野リゾート裏磐梯ホテルの庭です。
写真がボケて見えるのは霧のせいです。
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このホテルの露天風呂から見た檜原湖が絶景なんですが、写真に撮れないのが残念。

途中、会津若松の「御薬園」に立ち寄りました。ここは会津の歴代藩主が庭園として使ってきた場所ですが、三代藩主・松平正容(まさかた)のときに朝鮮人参を栽培したところからこの名で呼ばれています。
戊辰戦争では官軍の治療所になっていたため戦火から逃れ、当時の姿がそのまま残されています。
借景池泉回遊式の大名庭園として国指定名勝となっています。
心字の池より楽寿亭(左)と御茶屋御殿(右奥)を望む。
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ここも紅葉が始まっていました。
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6日まで休みを予告していましたが、取り急ぎ紅葉の速報でした。

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2013/08/22

江戸時代の「茶屋遊び」

石川県金沢市に「ひがし茶屋街」の名称で知られる地区がある。
浅野川の東岸に位置し、文政3年(1820)に当時の加賀藩により公許された茶屋町だ。街路に面して一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を設ける「茶屋建築」が連なっている。
なかでも「志摩」は創建当時の姿をそのまま残していて重要文化財に指定されている。「お茶屋」の重文は全国でもここだけではないだろうか。
8月19日に訪れる機会があったので、建物と共に当時の「茶屋遊び」がどのようなものだったかを紹介したい。

「茶屋」「お茶屋」というのは「客に遊興・飲食をさせる店」の総称で、それこそピンからキリまであるが、ここはかなり格式の高いお茶屋だったようだ。
一階はスタッフルームなので天井高は低く、二階はゲストルームなので高くこしらえている。
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二階の客間だが、押し入れや間仕切りなど一切ない開放的な造りになっているのは、遊芸を主体とした建物だということを示している。
客筋は上流町人や文人たちで、封建時代のもと、わずかに許された町方の娯楽と社交の場であった。
客は床の間を背にして座り、遊芸を楽しむ。
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こちらが舞台となり、様々な芸が披露される。三味線や太鼓、琴、笛に舞、謡曲と披露される芸は実に多彩であったようだ。
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茶室もあってここでは茶の湯、俳諧などが行われていた。
従ってこうしたお茶屋にあがる客も芸妓も、そうした幅広い教養を身に着けていることが求められた。
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もちろん一見さんお断りだが、それも理由がある。
こういう店ではその場で客に金を払わせるなどという野暮なことはしなかった。勘定は全て後日取りに行っていたので、店と客との信頼関係がなければ成り立たぬ。だから常連客に限っていた。
また店側からすれば客によって持て成し方を変えるので、馴染みの客でないと困るという事情もあったようだ。
お茶屋の中庭だが、小ぶりながら粋だ。
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台所だがいわゆる調理場はない。料理は全て仕出しで、店では酒や湯茶だけを供した。
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芸妓たちの化粧室。ここで支度をしていた彼女たちの姿が浮かんできそうだ。
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こうして培われたお茶屋の文化は、後の芝居や音楽、美術工芸にいたる日本文化に多大な影響を与えたというのも納得できる。

因みに落語に出てくる「茶屋」は、掛け茶屋・引き手茶屋・出会い茶屋・芝居茶屋・相撲茶屋などで、
今回のお茶屋とはだいぶ趣が異なる。

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