人生論

2018/01/17

川上貞奴~元祖国際女優

川上貞奴、名前は聞いていたが、どういう人物だか知見がなかった。
付き合った男たちがいずれも近代史に名を残す人物だったと同時に、初めて世界の舞台で活躍した女優でもあったのだ。
月刊誌「選択」2018年1月号の「をんな千一夜」に彼女の記事が載っているので、要約し紹介する。

貞は明治4年に両替商の娘として生まれたが、家業が傾き日本橋葭町の芸者屋に引き取られた。置屋の女将がかつて大奥で御殿女中をしていた関係から、読み書きや芸事を仕込み、立派な芸子に育て上げた。
12歳で「小奴」の名で半玉として座敷に出るが、その頃から人に媚びず独特の風格があって政財界の大物に寵愛され、葭町を代表する名妓になっていた。

ある日、貞は好きな乗馬で成田山まで遠乗りしていたところ、野犬の群れに襲われる。
これを助けたのが、後の「電力王」となる岩崎桃介で、二人はたちまち恋に落ちる。この辺りはなんかドラマでも出てきそうだ。
しかし桃介は慶応義塾の苦学生で、塾長の福沢諭吉に見込まれてその次女と結婚することを前提として婿入りしたばかりだった。
貞もまた花柳界のしきたりに従って「水揚げ」を受けることになるが、相手は内閣総理大臣の伊藤博文だったというから凄い。

「奴」と改名した貞は、気に入らなければ高位高官の座敷でも中座するような超売れっ子の芸妓となっていた。
貞は元よりそんな境遇に満足せず、有力者や有名人の女になる気もさらさら無かった。それより何かになりたくて悶えているような男に魅かれていた。
そんな貞が傾倒したのが、壮士芝居の川上音二郎だった。貧しい生まれで学問もなかったが、何かをしようとする気持ちが身体から溢れていたのだ。
貞は音二郎を伴侶に選び、すっぱりと芸者をやめてしまう。

音二郎は社会風刺や政権批判を演劇にして上演するものだから、直ぐに牢屋に入れられてしまう。
選挙に出れば落選し借金まみれ。
追い詰められた音二郎は、新天地をアメリカに求めて出港する。もちろん、貞も一緒だ。一緒というより、夫を叱咤激励した。
しかしアメリカでの音二郎の興行は上手くいかず、飢え死に寸前までになる。

この危機を救ったのが貞奴だった。
芸者時代に鍛えた舞踊劇を演じたところ、これが大当りして、観客が殺到。
ヨーロッパからも公演依頼が舞い込み、英国ではエドワード王子が貞奴に魅了される。
フランスでは大統領夫妻からエリゼ宮殿に招かれ、劇場に出ればアンドレ・ジッドが熱狂。
ロダンは貞奴にモデルになってくれと口説き、ピカソも彼女に夢中になった。
ザクセン王国の国王からロシアのニコライ二世、イタリアの作曲家プッチーニ、画家のパウル・クレーと、彼女の魅力の虜になった男の名を上げればきりがないほどだ。
これをサクセスストーリーで終わらせない所が、彼女の素晴らしさだ。

一方で、厚遇された貞奴は西洋では演劇が文化として重んじられ、俳優や女優の地位の高さ、とりわけ女性たちが社会の中で生き生きとして活動している姿に衝撃を受ける。
日本に帰れば、女優は舞台に立つことさえ許されない時代だった。俳優の社会的地位も低かった。
日本とのあまりに大きな落差だった。
そこで彼女は日本に帰国し、俳優養成学校を作り女優を育成しようと思い立つ。

ところが日本で待っていたのは予想以上の非難、中傷だった。「芸者風情が偉そうに」とバカにあれ、脅迫まで受ける。
特に、夫の音二郎が死去すると、その攻撃はいっそう酷くなる。

そんなおり、貞奴の前に福沢桃介が現れる。再会した二人は既に40歳を超えていたが、桃介の傍にいて支えて欲しいという申し出を受け入れ、女優をやめて桃介と共に生きることを世間に公表する。
ただ桃介には家族がいたため、彼女は妾の身であった。
そこで経済的にも自立しようと桃介から株取引のイロハを習い、女相場師として名を馳せてゆく。
さらに儲けた金で「川上絹布」を立ち上げる。
当時はまだ「女工哀史」の時代だったが、貞は女工の就業時間を9時から17時までとし、寮は個室。茶道や華道、テニスまで楽しめるという理想的な工場を作ったのだ。

貞奴が目指したものは、単に女優の育成という狭い分野にとどまることなく、女性の社会的地位を向上させ、幅広い「幸福」の形を提示したかったのだろう。
婦人解放運動に名を残すことは無かったようだが、終戦の翌年に生涯を終えた貞奴の人生は、女性の手足をしばり男に奉仕することだけを強制してきた日本社会に対する反骨精神に貫かれていた。

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2010/12/03

「孤独」だっていいじゃないか

同級生から仲間はずれにされる、誰も相手にしてくれない、そうした理由から自殺する小学生や中学生の報道をみるにつけ、胸が締め付けられる。
きっと辛かったのだろう。
でも、絶対に死んではいけない。
子どもの自殺によって、両親始め家族や周囲の人がどれほど傷つき、どれほど悲しむかを思えば、自殺は重大な犯罪と言ってもよい。
だから、どんなことがあろうと自殺してはいけない。

私は子どもの頃、いつも独りぼっちだった。
学校の休み時間には、一人でポツンと教室に座っていた。
給食も一人だ。
好きな者同士が隣合わせになるというクラスの席換えでは、誰も私の隣に座る人がなく、常に取り残される。
グループ分けでは、私がいるグループに入るのを嫌がる。
保護者会では、毎度のように担任から「息子さんは成績はともかく、性格が暗い」と、親は注意されていた。
どの位暗かったかといえば、30年ぶりに再会したクラスメイトから「お前、若くなったなぁ」と言われた程だから、察しがつこう。

中学に入ってようやく友人が出来たが、一人は上級生、一人は下級生、もう一人は同じ学年だが別の中学校に行っていた。
だから状況は変わらなかった。
ある時、そんな悩みを友人の父親にしゃべってところ、「〇〇君、それは『君子は孤高を尊ぶ』だよ。」と教えてくれた。
そうか、君子というのは独り高きを尊ぶんだ。
そう考えたら、いっぺんに気持ちが楽になり、孤立していることを気に病まなくなった。
若山牧水の「白鳥は悲しからずや 空の青 海のあをにも染まず漂う」という短歌になぞらえ、自分は白鳥なんだと思った。

就職して社会人になる頃には、さすがにそんな態度ではマズイと自覚するようになって、積極的に人と交わるようになり、少しずつ性格も明るくなっていった。
会社に勤めるようになってから、友人も出来るようになった。
性格というのも、置かれた状況によって変わるものなのだ。

孤独を悩んだり、孤立を恐れたりする必要はひとつも無い。
そんな時は、「君子は孤高を尊ぶ」のだと自らに言い聞かせて欲しい。
そしてクドイようだが、死んではいけない。

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2009/06/05

本間秀樹さんのこと

毎年6月になると、会社の同僚であった本間秀樹さんのことを思い出す。数年前の6月に、まだ40代の若さで逝ってしまった友人のことだ。
亡くなる1年前の6月、彼が体調の異状に気付き病院で検査を受けたところ、胆嚢にガンが見つかった。
8月に入院して手術を行ったが、既に肝臓にまで転移していて切除できずに終わってしまった。その後は抗がん剤の投薬を行いながら、入退院を繰り返すことになった。

その前年の人事異動で私は関連企業に出向となり、私たちは別の部署に分かれていたが、自宅と彼の入院先の病院が近かったので、度々病室に見舞いに行った。
本間さんはいつもベッドの上であぐらをかいたまま、本か新聞を読んでいた。
話題といえば仕事のことばかりで、会社の動きなども、どこで仕入れてきたかと感心するくらい詳しく、また毎回私の仕事のことで色々アドバイスをしてもらった。

誰が見舞いに行ってもそんな風だったようで、本間さんの所に見舞いに行くと、却ってこちらが励まされて帰ってくると、知人らが口を揃えて言っていたことを思いだす。
最後の入院となった時、彼自身も末期であることを医師から知らされていたが、姿勢は全く変らなかった。
毎朝、病院の玄関で日経新聞を買ってきては目を通し、何か気付いたことがあると私を含め会社の知人に電話をかけてきて、アイディアを提供してくれる。
もし私が彼の立場だったら、もはや仕事のことなぞクソ食らえだったに違いない。

その頃から、見舞いに行くたびに痩せていき、大きかった目がさらに大きくなっていた。
6月20日過ぎに本間さんから、担当医から「あと1週間だ」と言われたと電話があり、急いで病院に行くと相変わらずベッドの上に座っていて、仕事の話をし出した。
医師に、これは自分の意思だと一切の延命治療を断ったことを、その時聞かされた。
私の方といえば、涙が溢れそうになって言葉が出てこない。
結局それが彼との最後の別れとなってしまった。

亡くなる3日前、本間さんは病院の許可を得て一時帰宅した。身辺整理をし、奥様には自分が死んだ後の色々な手続きなどの説明を行ったそうである。
最後にビデオカメラを自身に向けて据え、奥様と二人の娘さんに対するビデオメッセージという形の遺言をのこして病院に戻った。
亡くなる前日もいつもの通り新聞に目を通し、夕方には奥様に向かって、もし元気になったら自分はこんな仕事をしてみたいと、抱負を語っていたそうである。
死の直前まで仕事への執念と希望を持ち続けた精神力に、ただただ頭が下がる思いだ。
深夜に様態が急変し、翌日の早朝、本間さんは家族に見守られながら静かに息を引き取った。
連絡を受けて早朝タクシーで病院に駆けつけた私は遺体と対面したが、実に穏やかな表情だった。

本間さんの告別式には彼を慕って、300人を越える人が参列し見送った。
3回忌に彼の自宅を訪れた際には、机もパソコンもそのままで、側に愛用していたカバンが置かれ、スーツとネクタイもそのまま吊るされていた。
今にも本間さんが会社に出勤するような、そんな錯覚を覚えた。
専業主婦だった奥様は就職し、正社員として勤務されていた。
二人の娘さんはそれぞれ、自分の希望する進路に進んだと、後に奥様から便りがあった。
きっと父親の背中を見ていたのだろう。

人間は必ず死ぬ。
事故などで突然命を奪われない限り、死を迎えるまでの猶予期間というものがある。
どのように死を迎えるかは人それぞれだが、本間さんの最期はその一つの典型を私たちに見せてくれたのだと思う。

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2007/01/27

心配ご無用!「団塊世代の大量退職」

Dankai2ここの所マスコミが頻繁にとりあげている問題として、何かと話題の団塊の世代の定年退職があります。
TVでも、毎日どこかの局がどこかの時間で放送していますし、新聞雑誌でも特集が組まれています。
しかし私は、なぜこれが大きな問題なのか、未だに理解できません。

勤め人が定年を迎え、退職していわゆる老後の生活に入るというのは、ずっと昔から毎年続いていたことであり、今始まったわけではありません。
過去数千万人かあるいは億単位になるでしょうか、多数の人が日々経験してきたことです。
たまたま戦後の一時期に生まれた人の人数が多く、その人々が定年を迎える、それだけのことです。
人数という量的な問題はあっても、退職・老後という質的には何も変りはないと思いますけど。

経験豊富なベテランや専門知識を持っている人が退職すると大変になるという事をよく耳にしますが、そんな心配は無用です。
私が入社して間も無く、社長が急死したことがあります。経営が悪化していて懸命に再建に取り組んでいる真っ最中の出来事で、サラリーマンなり立ての私などは、一体会社は明日からどうなるんだろうと、真剣に心配しました。
しかし会社は何事もなかったかのように運営され、後任の社長の下で順調に再建が進みました。
その時初めて、会社という組織のすごさを実感しました。

私は企業に在籍している間に、3回の会社合併と、3回のリストラ(人員整理)を経験しました。あまり自慢になる話じゃありませんけど。
リストラの場合、1-2ヶ月の短期間で予想もしなかった社員が辞めてゆきます。人数も2-3割の方が一時に退職します。
勿論、優秀な方や専門知識を持った方も多数含まれます。
瞬間的には多少業務に影響することはあっても、全体として仕事に支障をきたすことは無かった。
人間というものは、実に素晴らしい能力を持っていて、ちゃんと穴埋めがされてゆきます。
困難にぶつかれば、それを克服する力が人間には備わっています。

「オレがいなくなったら会社は困るだろう」、いいえ、誰も困らないから安心して下さい。
「これから仕事が上手く行くか心配だ」、いいえ、大きなお世話です。
残された人たちが、立派にカバーしてゆきます。
むしろ若い人たちにとってみれば、飛躍する絶好のチャンスです。
今までなかなか定職に就けなかった人たちにとっては、正社員になる良い機会に恵まれたといえます。

定年を迎えたら、これからは会社や仕事のことは何も心配いりません。
元気で仕事が続けられればそれで結構ですし、趣味の世界に行きたければそれも素敵です。
これから数年経てば、又何事も無かったかのように世の中は進んで行っています。

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2006/03/19

家事のこと 家計のこと

usagi
とかく世の亭主族というのは、家事に対する理解が薄いものです。
家事というと直ちに思い浮かぶのは、料理、掃除、洗濯ですが、それは家事全体から見ればそう大した仕事ではありません。
広義の家事を一口に定義するなら、「家(家庭)の管理(management)」であり、それに係わる仕事だと思います。その中には住居や衣服をを整理整頓して清潔に保つという仕事があり、家族の生命と健康を維持するための仕事があります。
子供たちの成長と教育に係わる仕事や、家庭内の相互の人間関係を円滑にするための仕事も重要です。

家事でもう一つ大事なのは、家計の管理です。家計が維持できなければ、家庭は破綻します。
一般には家計簿をつけて月別の収支をチェックし、赤字であれば支出を見直したり、収入を増やす方策を講じたりして、健全な経済状態が維持できるように改善していく、この辺りは会社経営と一緒ですね。
これらは短期計画ですが、ライフプランに基づく長期の計画も必要です。ライフサイクルに会わせた家計の収支予測と資金計画です。

よく男性の中には、「男は外でクタクタになるまで働いてるのに、女房は三食昼寝付きで気楽なもんだ。」などという人がいますが、とんでもない。家庭の主婦は、家では社長としてマネージメントを行っていて、毎日大変なのです。
きっと部屋の本棚の隅には、”〇〇家2004年度貸借対照表と損益計算書”とか、”〇〇家長期経営計画書”などと書かれた分厚いファイルがあるはずですから、一度目を通しておいてください。
え、無いですか、オカシイですねえ。その場合は、ご自分で作るしかないですね。
それと自分に掛けてある保険金くらいは、知っておく必要があります。知らないうちに1億円の生命保険に入っていて、朝起きたら急性心不全で冷たくなっていたなんてこと、時々ありますからね。

さて前置きが長くなりましたが、ここから先が前回の記事の続きと、寄せられたコメントに対する所感です。
家計にとって、資産運用も大切な仕事です。
2005年の調査で、1世帯当りの金融資産の保有高は平均1085万円だそうです。と言っても中央値は400万円ですから、こちらの方が実態に近いのでしょう。単身者はその半分以下の金額になっています。
2004年度の日銀「資金循環統計」における家計の金融資産動向によると、次のような比率になっています。なお( )内は米国の統計です。
現金・預貯金 54.0%( 9.6)
株式・出資金  8.1%(37.3)
債券       7.7%(20.4)

ここから明らかのように、日本の家庭での貯蓄というのは圧倒的に預貯金、それとせいぜい国債を買う程度、要するに元本が保証されていて金利が安い(今はゼロ同然です)商品が大半です。ノーリスク・ノーリターンのこうした商品は条件は平等ですし、預金者間には互いの損得が生まれません。
しかし今後の動向としては、次第に米国型、つまりハイリスク・ハイリターンの株式など証券の比重が高くなって行くとの推測がなされています。こうした傾向を、苦々しく思っている日本人も多いと思いますけど。
コメントに書かれているような金融先物取引の商品、外国為替証拠金(FX)取引などの手持ち資金の数十倍もの取引(レバレッジ=てこの効果)が出来る商品も出ており、更なるハイリスク・ハイリターンになるわけです。
この世界は一方が儲かれば、もう一方は損するという勝負の世界です。それにFX取引のガイドを読むと、勝率6割ならプロ、勝率7割なら世界のトッププレイヤーだそうですから、そうした厳しい現実を十分認識しておく必要があります。

コメントにあるように、現在の「功名が辻」の千代は、こうした金融商品についての知識を見につけ、積極的な運用で利益を上げて家計を助けるということでしょうか。
でもそんな勝った負けたの世界は真っ平だ、清く貧しく美しく生きようという方は、せいぜい郵便貯金で、これもまた人生。
とにかく金融機関の甘言にダマされないよう、信念をもって資産運用することが肝要でしょう。

元手が無い方は、何も悩む必要がなくて楽チンです。

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2005/02/13

中途半端主義

chuutoこのサイトのサブタイトルは、中途ハンパ主義宣言です。

世界的にはどうか分かりませんが、こと日本では一つのことに打ち込んで長期間続けることが賞賛の対象となるようです。いわゆるこの道うん十年というやつですね。
特に様々な困難を乗り越えついに目標を達成した男達、などというのはNHKがプロジェクトXで採り上げてくれたりします。これも先日NHKの別の番組で、醤油だんご作りでこの道40年(30年だったけか?)という人が紹介されていましたが、果たしてどんな意味があるのでしょうね。

しかし世の中、色んなことに興味を持ちあれこれ手を出すが結局何一つモノにならない、一つのことが長続きしない、目標を立てて取り組むが必ず途中挫折してしまう、こういう人が多いのではないでしょうか。こうした世間からあまりホメラレナイ生き方を中途ハンパ主義と呼んで、ポジティブに評価しようという宣言です。
多分、圧倒的多数の方々から支持が得られるだろうと勝手に決めています。

これから日々さまざまなことをチョコチョコと採り上げ、あまり深く掘り下げることなく、中途ハンパにテキトウに書いてゆこうと思ってますので、気楽にお付き合い頂ければ幸いです。

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