本間秀樹さんのこと
毎年6月になると、会社の同僚であった本間秀樹さんのことを思い出す。数年前の6月に、まだ40代の若さで逝ってしまった友人のことだ。
亡くなる1年前の6月、彼が体調の異状に気付き病院で検査を受けたところ、胆嚢にガンが見つかった。
8月に入院して手術を行ったが、既に肝臓にまで転移していて切除できずに終わってしまった。その後は抗がん剤の投薬を行いながら、入退院を繰り返すことになった。
その前年の人事異動で私は関連企業に出向となり、私たちは別の部署に分かれていたが、自宅と彼の入院先の病院が近かったので、度々病室に見舞いに行った。
本間さんはいつもベッドの上であぐらをかいたまま、本か新聞を読んでいた。
話題といえば仕事のことばかりで、会社の動きなども、どこで仕入れてきたかと感心するくらい詳しく、また毎回私の仕事のことで色々アドバイスをしてもらった。
誰が見舞いに行ってもそんな風だったようで、本間さんの所に見舞いに行くと、却ってこちらが励まされて帰ってくると、知人らが口を揃えて言っていたことを思いだす。
最後の入院となった時、彼自身も末期であることを医師から知らされていたが、姿勢は全く変らなかった。
毎朝、病院の玄関で日経新聞を買ってきては目を通し、何か気付いたことがあると私を含め会社の知人に電話をかけてきて、アイディアを提供してくれる。
もし私が彼の立場だったら、もはや仕事のことなぞクソ食らえだったに違いない。
その頃から、見舞いに行くたびに痩せていき、大きかった目がさらに大きくなっていた。
6月20日過ぎに本間さんから、担当医から「あと1週間だ」と言われたと電話があり、急いで病院に行くと相変わらずベッドの上に座っていて、仕事の話をし出した。
医師に、これは自分の意思だと一切の延命治療を断ったことを、その時聞かされた。
私の方といえば、涙が溢れそうになって言葉が出てこない。
結局それが彼との最後の別れとなってしまった。
亡くなる3日前、本間さんは病院の許可を得て一時帰宅した。身辺整理をし、奥様には自分が死んだ後の色々な手続きなどの説明を行ったそうである。
最後にビデオカメラを自身に向けて据え、奥様と二人の娘さんに対するビデオメッセージという形の遺言をのこして病院に戻った。
亡くなる前日もいつもの通り新聞に目を通し、夕方には奥様に向かって、もし元気になったら自分はこんな仕事をしてみたいと、抱負を語っていたそうである。
死の直前まで仕事への執念と希望を持ち続けた精神力に、ただただ頭が下がる思いだ。
深夜に様態が急変し、翌日の早朝、本間さんは家族に見守られながら静かに息を引き取った。
連絡を受けて早朝タクシーで病院に駆けつけた私は遺体と対面したが、実に穏やかな表情だった。
本間さんの告別式には彼を慕って、300人を越える人が参列し見送った。
3回忌に彼の自宅を訪れた際には、机もパソコンもそのままで、側に愛用していたカバンが置かれ、スーツとネクタイもそのまま吊るされていた。
今にも本間さんが会社に出勤するような、そんな錯覚を覚えた。
専業主婦だった奥様は就職し、正社員として勤務されていた。
二人の娘さんはそれぞれ、自分の希望する進路に進んだと、後に奥様から便りがあった。
きっと父親の背中を見ていたのだろう。
人間は必ず死ぬ。
事故などで突然命を奪われない限り、死を迎えるまでの猶予期間というものがある。
どのように死を迎えるかは人それぞれだが、本間さんの最期はその一つの典型を私たちに見せてくれたのだと思う。
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