アウトロー

2014/07/11

角田美代子というモンスターを生んだ闇

一橋文哉(著)「モンスター 尼崎連続殺人事件の真実」(講談社刊 初版2014年4月)
Photoこの本に描かれた尼崎事件とは、1998年から2011年にかけて兵庫県尼崎市を中心に、高知県、香川県、滋賀県、京都府の5府県で、複数世帯の家族が長期間虐待のうえ8名の殺害が確認され、他に少なくとも3名、実際には10名近い人たちが死亡あるいは失踪者となっている連続殺人事件である。
報道では「尼崎連続変死事件」「尼崎連続殺人事件」とも呼ばれている。
著者の一橋文哉は全国紙・雑誌記者を経てフリージャーナリストとなり、「ドキュメント『かいじん21面相』の正体」(雑誌ジャーナリズム賞受賞)でデビュー。以後、グリコ・森永事件、三億円強奪事件、宮崎勤事件、オウム真理教事件など殺人・未解決事件や、闇社会がからんだ経済犯罪をテーマにした優れたノンフィクション作品を次々と発表している。
私も主要な著作は全て読んでいて、著者の技量を高く評価している。

日本の犯罪史上稀にみる凶悪事件の主犯・角田美代子の手口は「家族解体ビジネス」ともいうべきもので、ごくありふれた家族のちょっとした弱みにつけ込み巧みに仕組んで、家族同士を反目させた上でその家族の所有している財産を全て奪い取るというものだ。
この「家族解体ビジネス」は前例があり、実は私の近い親類にもこの被害にあい、家族はバラバラにされ、土地と家屋を全て奪われたという実例がる。周囲が気が付いた時は手も足も出ない状況だった。この件はいずれ当ブログで記事にする予定だ。
しかし角田美代子の犯行はこうした手口にとどまらず、家族同士間で虐待、監禁させ、自分に従う者は養子縁組などで美代子ファミリーに取り込み、反抗する人間は家族の手で殺害させるという極めて残虐な点に特徴がある。こうして取り込まれた人間は美代子の「疑似家族」の一員となって次の犯行に加担して行く。もちろん彼らも美代子に反抗したり逃亡したりすれば、凄まじいリンチや殺害が待っているから言う通りになるしかない。
美代子本人が手を下さず被害者の家族を実行犯とすること、美代子が家族の一部と複雑な養子縁組をする事により家族内の揉め事に見せかけ、警察の民事不介入を利用して捜査の手を逃れていたのも特徴の一つだ。
正に角田美代子こそ、その非人間性においてモンスターと呼ぶより他はない。

しかしこの事件の最大の問題は、主犯の角田美代子が2012年12月に、取り調べ中の兵庫県警本部の留置所内で「変死」(公式的には「自殺」と処理されているが、死までの経緯や「自殺方法」には謎が多く、敢えてここでは「変死」とする)してしまい、彼女が事件の核心についてほとんど語らなかった事と、1通の供述書も取れないまま終結してしまったため、事件の真相は永久に闇に葬られることになった。

美代子ファミリーの起こした事件の中には明らかな刑事事件もあり、兵庫県警を中心にいくつもの情報提供があったし、中には被害者が直接警察に駆け込む事さえあったにも拘らず、警察は最後まで動かなかった。これも謎として残されている。もし早い段階で警察が適切な捜査を行っていれば、一連の事件の被害は最初の段階で食い止めることが出来た筈で残念でならない。
そのせいか彼らの悪事が発覚したのは、被害者の一人が監禁場所の兵庫から逃げ出し、大阪府警に駆け込んだのがきっかけだった。
そして肝心の主犯を不手際で留置所内で「自殺」させてしまったのも兵庫県警だ。
著者が事件と兵庫県警を結ぶ接点がどこかにあるのではと疑ったのも当然といえる。

本書では山口組系暴力団幹部のMという男の存在に着目し、そのMこそ角田美代子の犯罪の指南者だったことを突き止める。美代子は多くのメモを残しているが、その中でMから教示された詳細な手口が書かれており、その指示に従って犯行を行っていたことを明らかにしている。
Mからの情報の中には警察の動きや、警察関係者でしか知り得ない情報も含まれており、美代子がより一層Mを信頼する理由ともなった。むろん美代子がMに対し指導料を支払っていたことは想像に難くない。
Mの急死後、美代子はそれまでの犯罪では考えられないようなヘマを犯し、結局それがきっかけとなって事件の全容が明るみに出ることになるのだが、いかにMの存在が大きかったかの証でもある。

著者の調査は更に一歩進み、なぜMが警察関係の情報に詳しかったのかという点について、Mと接点があったと見られる兵庫県警幹部だった県警OBの存在を把握し、面会に行っている。著者が「Mという人物を知っていますよね」と訊ねると、県警OBは「そんな男は知らない。失礼だぞ、君。私はヤクザと付き合いなど無い。」と明確に否定されてしまった。著者がMは男だともヤクザだとも言ってないのにも拘らず。
美代子は拘留中もノートに日記風のメモを残していたが、その最後のページにはこう書かれていた。
「私は警察に殺される」。
角田美代子というモンスターを生んだのは、もちろん生い立ちや生活環境に負う所が大きいが、それだけではない。日本社会が抱える闇の部分が彼女の成長を促進したともいえよう。その闇の中で本人も死んで行ったとするなら、なんと言う皮肉であろうか。

美代子らの犯罪にあった被害者らの家族というのは、揃ってごくありふれた家族であり、家族同士の仲も良かった。だから我々だっていつなんどき彼らの「家族解体ビジネス」の被害者になるか分からない。そういう怖ろしさが本書を読むうちに伝わってくる。
彼らにつけ込まれるような弱み(特に金銭がらみ)を持たない事が肝要だが、そうも行かない事もある。
注意せねばならないには私の親類のケースもそうだったが、美代子も最初はとても親切な人間として登場し、先ず一家の主を信用させ次第に家族の中へ入り込んで来るという手口だ。
そして些細なことで因縁をつけてきて、やがて要求をエスカレートしてくる。
美代子が眼をつけた中にも幸い被害を免れた人や被害が最小限で済んだ人もいるが、共通しているのは最初の段階で要求を毅然とはね付けていることだ。特に戸主の姿勢が大事だという点が教訓のようだ。

余談だが、笑顔を振りまきながら「私たちは日本国民の生命と財産を守るために全力をあげます」なんて言ってる人物には注意が必要かも知れない。
「ファシズムは笑顔でやってくる」と言うではないか。

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2013/09/03

「露店のクジが当らない」って、当たり前じゃないの

9月2日付の産経新聞によると、当たりが入っていないくじを引かせて現金をだまし取ったとして、露店アルバイトの男が詐欺容疑で大阪府警に逮捕されたという。きっかけは賞品の人気ゲーム機目当てに、子供たちに負けじと1万円以上をつぎ込んだ男性の訴えだった。
男性は警察官にこう力説したという。「何度引いても当たらない。あのクジは詐欺だ」。
記事によるとこの事件は7月27日夜、大阪市阿倍野区の阿倍王子神社の夏祭りの初日に起きた。
代金は1回300円、2回なら500円。プラスチック製の箱の中から1~100番までの数字が振られた紙くじを引き、60番以上が出れば最新ゲーム機やゲームソフトなどの賞品が当たるという触れ込みだった。
このクジに1万円つぎこみ当りが1枚もなかったという男性の訴えで、阿倍野署が捜査したところ、外れクジばかりだった。男は捜査員に「当たりは入れていません」と告白。男はそのまま逮捕され、今月起訴されたというもの。

あれ、知らなかったんですか。あの手のクジは当たりませんよ、アタシら、子どもの時から知ってましたよ。
当りを出しだら採算がとれず、店は潰れてしまう。そんな商売誰がやる。
だいいち、ギャンブルにインチキは付き物だ。
自分の子どもがまだ小さい頃、縁日に連れていくとクジを引きたがる。黙ってみていると何枚引いてもハズレばかり。そんな時に「このクジはインチキだ」とイチャモンをつけたりしない。子どもには「残念だったね」という言葉をかけてお仕舞にする。
子どもたちもそうした経験を積んで大人になって行く、それでいい。

若いころ、会社の同僚が浅草へ遊びに行ったら、ストリップ小屋がたっていた。看板には裸の女性が露わに描かれていて興味をそそる。それにしては入場料が格安で、これはお得だとチケットを買って中に入ったら、舞台に出てきたのはサルだった。確かに裸ではあった。
その同僚も含めて客たちは「上手く騙しやがったな」と苦笑しながら外へ出たそうだ。「詐欺だ、金返せ!」なんて野暮な客はいなかったのだ。
かつての見世物小屋なども、みなインチキだったようだ。客もそれを承知で、「今度はどんな手で来るのかな」と、騙されるのを楽しみに金を払っていたらしい。

捜査関係者によれば、くじ引きの露店が詐欺容疑で摘発される例は極めて異例だという。「正直、露店くじをめぐって客が被害を申告したというケースですら今まで聞いたことがなかった。祭りで楽しい気分になったついでにくじを引くせいで、多少損をしても余興と思って目をつぶる人が多かったのではないか」と指摘していると記事には書かれている。
ごもっとも。
警察もご苦労なこった。
新聞もこんな記事で紙面をさくより、もっと大事な問題があるだろうに。

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2011/09/10

ヤクザにも言わせろ

(司会)本日は最近の暴力団追放の動きにつきまして、「誉苦組」組長にお出で頂き、色々お話を伺いたいと思います。
では組長、どうぞこちらへ。

(組長)あんまりこういう公の場で喋ったことがないけど、せっかくの機会なんで言いたいこと、言わせて貰います。
先ず紳助が極心連合会と付き合ってクビになったけど、あれ、何がいけないのかね。
ヤクザと芸能人は同業者だよ。同業者同士仲良くするのは当たり前だろ。
吉本興業なんてのが、あんなデカクなったのは、誰のお蔭だと思ってるんだ。
歌手だってなんだって、地方で興行するときゃ、みんな俺たちの世話になってきた。
相撲取りだってそうだろう。地方巡業を仕切ってきたのは、すべて俺たちだ。
夜になりゃ、飲ませて抱かせて小遣いまでやってさ。
大阪に本場所もってきたんだって、元はといえば山口組の力だ。
それを今になって組員は入場禁止だと、ふざけるなと言いたい。

賭博はいけないなんて言うけど、公営ギャンブルは何故いいの、おかしいじゃない。
やってることは一緒だろ。
サッカー籤なんて文部科学省がやってるんだろう。あれは教育上いいことなのか。
俺らは少なくとも、子どもにバクチはやらせないぜ。
みかじめ料なんて、すっかり悪者にされてるけどさ。
じゃあ訊くが、飲み屋や風俗でトラブルが起きたとき、誰が鎮めるんだね。
警察を呼びぁいいなんてバカがいるが、冗談言っちゃいけない。
ああいう場所に出入りしているのを知られたくない客なんて大勢いる。オマワリなんて呼べる筈ないんだ。
だから俺たちが行って、静かに収めるわけだ。
俺たちがいるから、お客さんが安心して遊べる。
つまり警察に代わって歓楽街の治安を守ってるんだから、報酬を払って貰うのは当たり前だろ。
警察っていやぁ、知り合いのデカには時々拳銃の隠し場所を教えてやって、点数を稼がせてる。感謝されてるさ。
お返しとして、オメコボシには与かってるけどね。
お互い、共存共栄ってとこかな。

暴力団だって、世の中のためになることをしてるんだよ。
福島原発での作業、あんなのやる人間なんていないぜ。
でも、誰かがやらなくちゃいけない。
そこで俺たちに声が掛かったというわけだ。
秘密のノウハウってやつで人間を集め、福島に送ってる。
もちろん、相応の手数料は頂いてるさ。
ピンハネだなんだって非難するのがいるけど、そんならあんた、代わりに原発へ行くかい。行ってくれる人を探せるかい。ムリだろ。
一人一日10万円貰っといて、本人たちへ渡すのは1万円以下っていうのはホントだ。
だけど俺たちの取り分なんて僅かなんだよ。
ほとんどが東電の関連会社に中抜きされてんだから、そっちを非難しろよ。

企業も政治家も、いつも汚い仕事を俺たちに押しつけておいて、邪魔になると除け者にしてくる。
俺たちから見りゃあ、あいつらの方がよっぽど汚いと思うけどね。

世界中どこへ行ったって、ヤクザがいない国なんてどこも無い。
暴力団追放なんて、どだいムリな話さ。

(司会)どうも貴重なお話、有難うございました。
なお会場の皆様にお願いがあります。
時節柄、今日ここで聴いたことは、絶対にブログやTwitterなどに書かないようお願い致します。

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2010/11/26

海老蔵と「どんきゅう」

市川海老蔵のケガ騒動で思い出したが、「どんきゅう」という男の話。
戦前の中野でワタシの両親がカフェをやっていた時代だから、ワタシが生まれる前のことで、親から聞いたものだ。

「どんきゅう」の趣味は喧嘩で、背が小さかったがやたら喧嘩は強かった。仇名も相手を「どん」と突くと、一発で「きゅう」と参ってしまうところから付けられたものだ。
相手はケガをするが、当時の日本では若い男が喧嘩でケガをするなぞ普通のことで、誰も問題にしない。
素手で喧嘩をしている内は良かったが、やがて脇差(ドス)を振るうようにエスカレートしていく。
そうなると血の雨が降り、相手も重傷を負うことになれば、警察沙汰になってゆく。
ところが「どんきゅう」の父親というのが警察署長だったし、「どんきゅう」は一人息子だったので、親の力でいつも事件はもみ消しにされていた。
近所の人たちは、ああいう男こそ徴兵されればいいのにと言っていたが、何故か「どんきゅう」は兵役を免れていた。
昔も今も、抜け道っていうのは変わらないのだ。

その「どんきゅう」が、ワタシの両親がやっていたカフェの女給の一人に惚れてしまった。
名前を仮に志津としておこう。
とても気立ての良い娘で、「どんきゅう」は求婚するが、彼の行状を知っているから志津はウンと言わない。
とうとう父親の警察署長が我が家に来て、志津と結婚したら「どんきゅう」が心を入れ替えると言っているので、何とか嫁にくれないかと泣き付いてきた。
志津にこのことを話すと、私のために「どんきゅう」の行状が改まるならと、結婚を受け容れることになった。

「どんきゅう」は結婚してしばらくは大人しくしていたが、やがてある日のこと、喧嘩で相手に大ケガをさせてしまう。
責任を感じた志津は、ワタシの両親と「どんきゅう」の両親宛てに「私の力が足りず、『どんきゅう』さんに又間違いを起こさせてしまい、申し訳ありません。」という趣旨の遺書を残し、自害してしまう。
さすがに志津の自殺はこたえたらしく、ようやく「どんきゅう」の行状は改まった。
志津の新盆の日、「どんきゅう」は友人らと鎌倉に海水浴に行くのだが、そこで溺れて死んでしまう。
近所の人たちは、きっと志津ちゃんが足を引っ張ったんだよと噂したそうだ。

この話、すごく良い話でしょう。
いつか記事にしようと思っていましたが、たまたま海老蔵が負傷したニュースを見て、書いてみました。
もし海老蔵と新妻の小林真央がこの記事を読んだら、どのように感じるでしょうか。

【追記】
理念に無縁の梨園がリオンに殴られ残念無念

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2008/03/05

「立ち退き」ビジネスは儲かりまっせ

Suruga不動産を買ったのは良いがそこに入居者がいて、住むことも出来なければ取り壊しもできないし、転売しようにも買い手がつかない。この人さえ退去してくれれば、一気に資産価値があがる。普通は転居費用をはずんで立ち退いて貰うのですが、それでもダメな場合は、そのスジの人にお願いする。まあ世間よくあることですね。
東証2部上場の「スルガコーポレーション」(岩田一雄・会長兼社長)が取得した不動産を、大阪市の不動産会社「光誉実業」社長・朝治博容疑者に依頼して入居者を立ち退かせ、解体して転売していたことが発覚しましたが、正に典型的な例ですね。
所有者は転売して儲け、間に入った不動産業者には手数料が入り、暴力団には金が渡され、入居者は多額の立ち退き料が支払われる。かくして関係者全てがハッピーとなり、メデタシメデタシとなるとは限りません。違法な手段で立ち退かせれば立派な犯罪です。

私のサラリーマン現役時代の取引先に、不動産業者がいました。と言っても、社長一人だけの会社ですが。
この人、裁判所の職員と通じていて、適当な競売物件の紹介を受けます。資産価値があるのに入居者がいるため買い手がつかない、そういう問題物件です。
連絡を受けた社長は、その物件を格安で落札します。その後、地元の暴力団に入居者の立ち退きを頼み、無事退去して貰ってこれを転売する。暴力団に手数料を払い、残りが自分の取り分になります。そうそう、情報を流してくれた裁判所職員にも、お礼をせねば。
1年間に2件の物件を扱えば、十分食べていけるそうですから、ボロイ商売ですね。

なかには競売を妨害する目的で、暴力団が入居者を送り込んでくるケースもあります。法外な退去費用をふっかけてくるわけです。
そういう人間を立ち退かせるのも暴力団、つまり攻めるも守るもヤクザということで、何のことはないマッチポンプですね。
こんな事が全国で、日常的に繰り返されているというのが実情でしょう。
だからいつまで経っても、不動産業界や建設業界は暴力団と手が切れない。

不動産の所有権をめぐる法律の盲点、これを改正しないと、これからもこうした不法行為は絶対に無くならないでしょう。

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2007/11/24

ヤクザの一分

Odu_kinosukeこう言うとお叱りを受けるかも知れないが、ヤクザは世の中にとって必要な存在だと私は思っています。ヤクザが社会的責務を自覚して行動してさえしていれば、周囲のカタギの人と共存できる筈です。
以前、銀座のバーのママから、こんな話を聞きました。

彼女が若い頃勤めていたクラブでは、客のツケはホステス持ちになっていた。客の支払いが滞納するとホステスの給料から差し引かれるというシステムだった。高級店になるとツケが月100万円という客もいて、彼女の客で1000万円ツケが溜まったケースがあった。
何度も催促したが埒が明かず、結局地元のヤクザに500万円で債権譲渡した。ヤクザが取り立てに行ったら即刻1000万円支払ってくれたそうだ。
彼女は債権の半額500万円を回収でき、ヤクザは手数料として500万円懐に入れて、双方メデタシメデタシになった。
また、水商売をやっていると性質の悪い客がトラブルを起こして、他の客に迷惑を掛けることがある。そういう時にヤクザに頼むと、彼らは直ちにトラブルを解決してくれ、他の客も嫌な思いをしなくて済む。
ミカジメ料は払っているが、必要経費だと思っている。

飲み屋のツケとなると裁判で取立ては難しいし、かと言ってホステスや店側が全額かぶるのも辛い。
酔客のトラブルにしても、事件でも起きなければいちいち警察を呼ぶわけにもいかない。警官から事情を訊かれたりすれば、お客も嫌な思いをすることになります。
こんな事を引き受けてくれるのはヤクザだけだから、大いに助かるという事なのでしょう。
警察は民事不介入が原則ですから、上のケースはヤクザが民事警察(但し有料)の役割を果たしたということになります。カタギに迷惑は掛けていない。
そんなヤバイ所に近付かなければ良いという意見もあるでしょうが、品行方正ばかりとは限らないのが世の常でもあります。

ヤクザの歴史を紐解いてみると、「博徒」と「的屋」(香具師)に行き着きます。
博徒は文字通り博打打ちで、起源は平安時代に遡るのだそうです。
また、的屋(香具師)の起源は、「古事記」に出てくる火之加具土神(ほのかぐつちのかみ)という説もあるようですから、いずれにしろ古代から存在しているのは確かでしょう。
江戸時代には寺社の境内で賭博を開帳し、収入を得ていました。今でもギャンブルの世界で「テラ銭」という言葉を使いますが、元々は寺で得た金ですから「寺銭」が語源です。
彼らは又、寺社の境内で縁起物を売り手数料を得ていましたし、祭礼の時は会場整理から露天商の取りまとめまで仕切っていました。
そう考えると、江戸時代のヤクザは神社や仏教寺院の経営に貢献していたわけで、日本の伝統的宗教を陰から支えていたことになりますね。

近代において、ヤクザが社会に貢献した例の一つは、戦争直後の新宿の焼け跡闇市でしょう。
終戦から3日目の新聞に、こんな広告が出たそうです。
「転換工場並びに企業家に急告! 平和産業の転換は勿論、その出来上がり製品は当方自発の”適正価格”で大量に引き受けに応ず・・ 新宿マーケット 関東尾津組」
中心人物だった尾津喜之助は、「光は新宿から」というスローガンを掲げて、終戦の8月20日(日にちには異説あり)には、新宿駅周辺の焼け跡にマーケットが立ち並びました。
また、当時無力となっていた警察の代りに新宿の治安を引き受けました。
もちろん不法占拠ですから、東京が復興すると共に小津組も新宿を追われることになりますが、終戦直後の混乱の時期に、「市」を立ち上げ運営できたのは彼らの力に拠るものです。
その後新宿が、東京の商業と文化の中心地として発展したのは、ご承知の通りです。

しかし最近のヤクザは、何たるテイタラクであろうか。
銀行強盗だの偽札作りだの、単なる犯罪集団と化してしまいました。
11月8日に佐賀県武雄市の病院で、入院患者が何者かに射殺される事件が起きました。明らかに暴力団の抗争による人違い殺人と見られていますが、1週間経っても犯人が名乗り出てこない。人間として一片の良心が残っているのなら、直ちに出頭すべきです。
ヤクザの一分、矜持はどこに行ったのか。
こういう世の中に何の役にも立たない、反社会的な存在に成り下がったヤクザ連中には未来はありません。

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2006/06/09

ある女の物語(後編)

Hatakeyama2
娘と二人で暮らし始めたその女にとって、子供をいとおしいと思う反面、そこに分かれた元夫の面影を見ると、疎ましく感じることもある。
女手一つで親子が生きてゆかねばならないから、仕事を始めた。だがどうも長続きしない。女は他人との人間関係を持続するのが苦手だった。もしかすると夫や娘といった家族に対しても、人間関係が保てないのかも知れない、女は次第にそう思うようになった。結局短期間で、転職を繰り返すようになった。
外で仕事をすれば、家庭がおろそかになる。もともと料理が大の苦手だし、家事全般が嫌いだったので、娘との食事はコンビニ弁当か、近くの食堂で済ませた。

そうした女の行動に、周囲の目は段々厳しさを増してくる。女はそれを痛いほど感じると、何だか常に周りから疎外されていた学生時代に戻ったような気がしてきた。
女は寄る辺ない生活を紛らわせるために、パチンコにはまり、金に困ればサラ金、そして最後は自己破産とお定まりのコースを歩み、娘が小学校にあがるころには、生活保護を受けるようになった。

相変わらず男関係だけは派手だった。相手の男の家やラブホテル、そして時には女の自宅で、男達との性的関係を持った。
女は、男達が彼女の体だけを目的にしているのは、十分承知していた。しかし女にとってはそうした時しか、自己の存在感、アイデンティティーが感じられなくなっていた。なにがしかの金を手に得られることも、日々の生活に困っていた女にとっては有り難かった。

男との情事の間は、娘は一人になる。女の自宅が提供される時は、娘はその間家の外に出されることになる。かわいそうとは思ったが、そうするしか方法が無かった。
一軒置いた隣の家に、娘の二つ下の男の子がいて、良く二人で遊んでいた。娘が表に出されている間、家の中に入れてくれて、時にはおやつや食事も与えてくれた。その事には、女は感謝した。
しかしその家の両親から、時には「もう少し娘さんの面倒を見てあげなさいよ。」と忠告を受ける時もあった。周囲の人々も皆同じ思いだったが、本人に直接言ってきたのは、その隣家の親だけだった。
女は言われても仕方ないと思う反面、自分の生活に口出しされると思うと、腹が立った。娘の面倒もこちらから頼んだわけではないし、他人の生活は放っておいてくれ、そうした反発心も抱いた。

ある日娘が下校時間を過ぎても、自宅に戻ってこなかった。夕方になっても姿を見せず、女はその一軒置いた隣家を訪ねた。両親が男の子に尋ねると、下校後しばらく一緒に遊んでいたが、その後男の子だけが自宅に戻ったという答えだった。
深夜になっても戻らず、翌日近くに流れている川の下流で、娘の遺体が発見された。
警察は事故と事件の両面から捜査したが、結局誤って川に転落して水死したとの結論となった。

娘の葬儀に参列した近所の人々の目は、娘を亡くした憐れな母親に対する目ではなかった。男との情事のために、娘を放置してきたこの女に対する深い怒りがそこにあった。
「娘さんは、あんたに殺されたも同然。」という表情が読み取れた。中には露骨にそうしたことを仄めかす者もいた。
「娘の死は事件であって欲しい」と女は真剣に願うようになった。他人の手にかかって殺されたのであれば、周囲の目は一気に同情に変わってくれるだろう、そう思ったからだ。

警察には再捜査するよう、度々要請に訪れた。一向に重い腰をあげようとしない警察に文句を言ったら、「あんたにとっては、事件より事故のほうが気楽なんじゃないの。」と警察官から言われた。警察まで自分を疎外している、その時女はそう感じた。
仕方がないので、娘の目撃情報を得るために手製のビラを作って近所に持っていったが、反応は概して冷淡だった。
娘の水死で警察が捜査に動いた影響から、あれ以来男達もすっかり寄り付かなくなった。
残されたのは、一人ぼっちになった女と、周囲の冷たい目だけだった。

そんな時隣家の親が、生前の娘が写っているビデオテープを持ってきてくれた、再生してみると、娘と隣家の男の子が楽しそうに遊んでいる姿が映し出された。
女は娘の姿に、涙が止まらなかった。何もして上げられなかったことを今更のように思い出し、声を上げて泣いた。
そうしている内に、学校時代からのイジメや疎外感、離婚、転職、サラ金からの督促、自己破産、生活保護に至る辛い思い出が蘇ってきた。
娘を失った今も同情されるどころか、近隣の人たちから警察までみんなが自分を責めている、そう感じた。
そうした数々の思いが、次第にオリのように、女の胸の底に沈殿してきた。

そうして又ビデオを見返していると、普段なら一緒に遊んでくれていた隣家の男の子が、あの日なぜか娘を残して自宅に帰ってしまったことを、ふと思いついた。
何故なんだろうと考えているうちに、隣家の家族に対する憎しみが湧き上がってきた。
今の女の不幸が、まるで隣家に全て原因があるようにさえ、思いつめ始めた。

気が付くと、娘が行方不明になったと思われる時間帯になっていた。
カーテンの開いた窓から、隣家の男の子が一人で歩いて来るのが見えた。周囲には誰もいない。
女は、急いで玄関先に出ると、その男の子に「ねえ・・・」と声を掛けた。

(完)

以上の物語は、もちろん私の完全な創作です。
なぜこの物語を書いたかといえば、秋田の小学校1年生、米山豪憲君殺害事件で、現在畠山鈴香容疑者が逮捕、取調べを受けています。
大変痛ましいこの事件は、まだ全貌が明らかではないのですが、私は特別な人格を持った人間の特殊の犯罪ではないと考えています。むしろ日本中どこでも起こりうる、普遍的な犯罪ではないだろうかとさえ思っています。
親が、あるいは他人の大人が、子供を殺す事件が後を絶ちません。
社会全体が、こうした不幸な事件を少しでも減らすために、何ができるだろうか。この物語を書きながら、その事を考え続けました。

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2006/06/07

ある女の物語(前編)

Hatakeyama
その女はどちらかといえば無口で引っ込み思案な性格だったため、幼い頃から親しい友人が作れなかった。学業もはかばかしくなく、学校に行っても楽しいことなど何も無かった。
最初の転機は小学5年生の時に訪れた。担任の教師がしつけと称して、給食で食べ残したものを手のひらに乗せてまま立たされた。それは教育方針というより、教師から生徒へのイジメとも思えた。

もともと好き嫌いの多かった女は、度々そうした体罰の対象にされた。それを避けるために、給食に出た嫌いなものを自分の机に隠してしまうことにした。時間が経つと机の中の食べ残しは、強烈な臭いを発することになる。「臭い」「汚い」と罵声を浴びるようになり、やがてクラス全体からイジメを受けることになる。
自分の身の回りのことがきちんと整理できない性格もあって、身なりも決して清潔とはいえず、こうした事もイジメの口実となった。
女はますます心を閉ざすようになると、今度は「心霊写真」というあだ名がつき、ますます周囲から疎外された存在となった。

中学、高校と進むが、なにせ狭い地域の中であり、小学生の時の人間関係がそのまま尾を引き、その後も級友からは無視あるいはイジメを受け続けた。
やがて高校を卒業する頃になると、就職を転機に今までの自分を捨てて、新しく生まれ変わろうと決意した。
就職先は県内有数の温泉場にある大きなホテルだった。女はそこで仲居として働いた。
初めて地元のシガラミから抜け出せ、同僚とも新しい人間関係を作ることができた。

女は長身で色白の美形だったから、宴席で度々男の客から声が掛かるようになる。相手の中には性的関係を持つこともあった。バブルという時代背景もあって、小遣いにも不自由をしなくなった。
そうなると女に、人生初めて自信のようなものが生まれてきた。花に吸い寄せられる蝶のように、女の身体を求めて寄ってくる沢山の男達を見ながら、何か自分が生まれ変わったような気分になった。初めて人生の大輪を咲かせたような、弾んだ気持ちに浸れた。
最初は夢中で励んだ仕事だが、ホテルの仲居というのは長時間、重労働で、休みも自由には取れない。遊びたい盛りの年頃の女にとっては、次第に嫌気がさしてきて、結局1年過ぎた頃にホテルを退職した。

嫌な思い出ばかりの故郷だが、女には帰るところはそこしかない。
実家に戻った女は、接客業には馴れていたので、夜は地元のスナックで働くようになった。ルックスも良いし、客あしらいの良かった女に早速馴染みの男性客がついて、間も無くその中の一人と結婚した。新居は実家からも近い新興の県営住宅だった。
そして程なく長女が生まれ、親子3人の家庭ができた。
しかし生来の家事嫌いで、料理も掃除も何もせず、食事は外食かコンビニ弁当という生活に、今度は亭主の方が音を上げた。
やがて協議離婚が成立し、女は娘と二人暮らしの生活を再スタートさせた。

(つづく・・・)
<お断り>この物語はフィクションであり、実在の人物とは関係ありません。

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2005/10/04

身近にあった「人身売買」(その2)

baby
これは人身売買とは云えないかも知れませんが、戦前によくあった「貰い子」の話しです。乳児を別の家族が引き取って育てるのですから、そこにある程度のお金のヤリトリがあったことは、想像に難くありません。

戦前、私の母は「貰い子」の仲介をしていました。相手は主に親類縁者と、私の両親が経営していたカフェ時代の女給さんたちです。元々世話好きの母が、完全なボランティアとして行っていたものです。
当時は、堕胎が自由にできない時代で、婚外で子供が出来て悩んでいる人が多かったようです。避妊方法が今ほど普及していなかったことも、原因です。
今だったら「デキコン」で目出度くゴールインとなるのですが、何せ戦前は親の許しがなければ結婚できなかった。それに不倫や浮気、こちらは当時も結構多かったんですね。

一方、これは現在でも深刻な問題ですが、子供が出来ずに悩んでいる方もいました。母はその間をつなぎ、望まずに生まれてしまった子供を、子供を欲しがっている家庭に仲介したわけです。
これだけなら現在でもある養子になるわけですが、違うのは実子として仲介した点です。
養子の場合、子供が成人してある時期、戸籍を調べれば、自分が本当の子ではないと分かるわけで、それが原因で親子関係が崩れたり、子供がグレル例も多かったそうです。

母は産院や産婆を抱きこんで、ニセの出生証明書を作らせ、譲り受けた赤ちゃんを最初からその家庭の実子として、役所に届けさせるのです。そうすれば生んだ方も何も痕跡が残らず、譲り受けた側も戸籍上は実子となりますので、万事が円く収まるという仕組みです。

母は「貰い子」を仲介するにあたり、鉄則を持っていました。
一つは、赤ちゃんを譲る側と貰う側、双方に会うのは母だけで、絶対に直接顔を会わさせないこと。
もう一つは、赤ちゃんを譲った側の人とは、母はその後一切接触しないこと。
それと、赤ちゃんを譲る側の身元が確かであることを条件にしていました。
例えば、慶応病院の医者が看護とデキテ子供が産まれてしまったというようなケースです。こういう場合は、出生証明書の偽造も、楽だったのでしょうね。
言葉は良くないですが、母には一種の「品質保証」の考え方があったのだと思います。
「実子」を永久に真実とするためには、生みの親との関係を完全に遮断しなければなりません。そのためには、極めて合理的な方策だと云えます。

子供を貰った方の家庭とは、母は親しくお付き合いをしていました。先方は頻繁に母のところを訪ねてきていましたし、母は時々先方に行って子供の様子を観察し、子供に問題が起これば相談に乗っていました。
母はよく私に、「ひとつだけ失敗しちゃったけど、他の子はみんな出来が良くて、上手くいってるよ。」と言っておりました。
そうしてその子供たちは、最初から最後まで実の子として育てられました。

母のこうした行為は、確かに違法です。
でも人間の幸せ、生まれてきた赤ちゃんたちの幸せ、と言う観点に立てば、決して悪いことではありません。

母は神奈川県多摩の農村の生まれですが、子供の頃は未だ乳児の「間引き」が行われていたそうです。
産婆さんが、生まれたばかりの赤ん坊の口に、水で濡らした障子紙を当て、あとは亡骸を山林に埋めておしまいです。
とても残酷な話しですが、当時の貧しい農家が生き抜いていくには、それ以外方法が無かったのでしょう。
それに比べれば、母が仲介した「貰い子」たちは、遥かに幸せだったと思います。

今の人たちの中に、開発途上国での色々な出来事をとりあげて非難する向きがありますが、たかだか数十年前の日本でも、こうしたことが日常的に行われていたことを、知っておく必要があります。
善悪の基準も、時代によって変わってきます。

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2005/08/03

身近にあった「人身売買」(その1)

私が未だ中学生のころ、1950年代の後半の話しで、少し身内の恥を晒すような話しですが、私の伯父に鉄五郎という人がいまして、仕事師だったんですが、博打が大好きでした。この息子、私の従兄にあたりますが、この人の名前は鉄なんとかと言ってました。私たちは、オヤジの方を大鉄、息子の方は小鉄と呼んでました。
その小鉄ですが、怠け者で定職に就かず、ニコヨンと呼ばれていた当時の失対事業で、1日240円の日銭稼ぎの生活です。処が、博打好きだけは親譲りで、いつもピーピーしてました。

小鉄はそれでも女に手を出すのだけは早くて、20代初めには所帯を持ちました。所帯たって、とにかく小鉄は働かず、博打ばかり打っているのですから、生活が成り立たない。そこで、女房が飲み屋に働きに出ていたのです。
その女というのは、美人じゃあなかったが、中肉中背の、いわゆる男好きのするタイプだったと記憶しています。歳は、当時でまだ20代半ばってところでしょうか。

その飲み屋に、クズヤが通って来ていた。当時「クズやー、お払い」といって、一般家庭を回って、クズを買い集めていた商売、今なら環境事業自営業者とでも云うんでしょうね。そのクズヤが、女に惚れちまった。もう40過ぎのいい歳だったのですが独身で、職業柄、いままで女性とお付き合いするチャンスが、無かったんでしょうね。
だけど、小鉄という立派な(あまり立派とは言えないが)亭主がいる。そこで思い余ったクズヤが、小鉄の所に乗り込んできて、女房を譲ってくれと懇願した。小鉄は、そんなら50万円出すなら、お前に譲ってやると、啖呵を切った。当時大学卒の初任給が1万円に達していない頃の50万円、今なら1000万円近い大金です。どうせ出やしないと、高をくくっていたんでしょう。

ところが、クズヤはそれなら50万円出しましょうと言い出した。結構金も貯めていたんでしょうが、余程その女に惚れてたんでしょうね。
小鉄も、言い出した手前後に引けず、そんなら50万円で手を打とうと話がまとまり、その女房はクズヤに売られてしまった。

でもこの「人身売買」、誰も損をしていなのです。
クズヤは、惚れた女と待望の所帯を持つことができた。
女は今までの極貧生活から抜け出して、自営業者夫人に納まり、幸せな生活を送れるようになった。
小鉄は、一度に夢のような大金を手にして有頂天、女房が50万円で売れたと、親戚近所に触れ回っていました。
三方が、みなハッピーな「人身売買」になったわけです。
メデタシ、メデタシ。

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