医療・福祉

2016/03/20

人は独りでは生きていけない

「図書」2016年3月号に、国際保健学が専門の山本太郎(アノ人ではありません)長崎大学教授の『人は独りでは生きていけない―受け継ぐもの、手渡すもの』という文章が掲載されている。
なんだか人生論みたいなタイトルだが、中身はヒトに常在している細菌のことだ。
近代医学は感染症が微生物によって引き起こされ病気であり、ワクチンや抗生物質によって制御できることを明らかにした。
抗生物質のお蔭で感染症で亡くなる人は激減したが、それがいま新たな問題を私たちに突きつけているというのだ。

人間というものはこれまで、一個の独立した存在と考えられてきたが、どうやらそれは間違いであるらしい。「私」は、実は「私」に常在する細菌とともに「私」を構成しているというのだ。こうした常在細菌叢のことを「マイクロバイオータ」と呼ぶのだが、「私」は「マイクロバイオーター」との相互作用を通して、生理機構や免疫を作動させ、「私」たちヒトを形づくる。
そうか、私たちは、私たちにくっ付いている細菌類とともに生きているのか。「さいきん」まで知らなかったなぁ。
そのマイクロバイオータだが、種類は1000種類を超え、数は数百兆個(WOW! ちなみにヒトの細胞の数は約60兆個)、総重量は数キログラムに達する。遺伝子総数は約300万個で、ヒトの遺伝子のおよそ30倍の数の遺伝子が、私たちの身体の中で常に発現している。
ウ~ン、数からいったら細菌がヒトに常在しているというより、ヒトが細菌に常在しているという方が近いかな。
その大事なマイクロバイオータが今、大きな攪乱に見舞われている。
・抗生物質の過剰使用
・帝王切開の乱用
・伝統的食生活の変化
によって、である。

マイクロバイオータを大まかに分類すると、三分の一が人類に共通で、三分の一が人種や地域に共通で、三分の一が個人で異なる。
そうした細菌叢は祖母から母、母から子、子から孫へと受け継がれ、3歳までに微生物の骨格相が決まる。
乳幼児期における抗生物質の過剰投与や帝王切開はその骨格を動揺させ、長く受け継がれてきた細菌叢の多様性を消失させ、希少だが重要な細菌(中枢細菌)の喪失を引き起こす。それが病気の発症リスクを増大させるらしい。
抗生物質がヒトの常在細菌叢へ影響することはなんとなく分かるが、帝王切開はどうなんだろう。少し難しいのだが、こういう事らしい。
妊娠中に母の膣内では乳酸桿菌が優位になる。出産とともにそれまで無菌状態だった児は、羊膜の破裂とともに膣内に存在していた乳酸桿菌と接触する。これによって母の細菌が児に移植される。人類は長くこの営みを繰り返してきた。児は、こうして新たな命を始めるために必要な細菌を獲得していたのだ。
ところが帝王切開の場合はこの過程を通らないため、児は乳酸桿菌と接触せず、母親の細菌が児に移植されないのだ。

ヒトに常在する細菌は決して偶然の産物ではない。祖母から母へ、母から娘へ、娘から孫へと受け継がれてきた長い進化の過程で、私たちはヒトに役立つ細菌を選択してきた。そうした細菌の喪失は人類にとって大きな損失となる。
一度失われた種や細菌が再び回復することはない。
細菌種の喪失は、私たちの身体の中の生態系を回復不可能にし、病気を引き起こす。
肥満や糖尿病、自閉症、食物アレルギー、炎症性腸疾患、ガンなど、いずれもここ30年で大きく増加した「現代病」と呼ばれる。
マイクロバイオータの多様性や、中枢細菌の喪失がその発症リスクを高めているというのだ。
もちろん、抗生物質や帝王切開は多くの命を救ってきた。問題はその乱用だ。

どうやら私たちは細菌とともに生きている、と言うよりは細菌によって生かされているらしい。
しかも遺伝子は人間とともに、細菌の遺伝子も脈々と受け継がれているというのだ。
考えさせられるなぁ。

| | コメント (0)

2013/08/10

「降圧剤データ操作」にみる「産学官」の癒着構造

製薬会社ノバルティスファーマの降圧剤「ディオバン」(一般名バルサルタン)の医師主導臨床研究で、同社の社員(当時)がデータ操作に関与した疑いが指摘されている問題で、同社が医師主導臨床研究を行った京都府立医科大など5大学に対し、2002-12年の間に11億円を超える寄付をしていたことが明らかになった。
大学ごとの寄付金額は、
京都府立医科大:約3億8170万円
名古屋大:約2億5200万円
千葉大:約2億4600万円
慈恵医科大:約1億8770万円
滋賀医科大:約6550万円
の順。
いずれも同社の医師主導臨床研究にかかわった大学で、臨床研究の主任研究者が主宰する研究室などに対して寄付したとしている。

ヤッパリ、というのが率直な感想だ。
製薬会社からカネを貰ったから、大学側がデータを改ざんし、効果があるような形で論文を書いたという、実に単純な話なのだ。
やれ元社員がどうの、元教授がどうのと責任を押し付けているが、それは違う。
こんなに多額の寄付を頂きながら、試験を依頼された薬品がまったく効果がありませんなんて結果が出せるわけがない。
もし効果が不明瞭なら、効果がはっきりするような条件に変更してテストする。
それでもダメならデータそのものをいじるしかない。
それで大学側も製薬会社も双方ハッピーになり、また来年からも継続して寄付が頂けるという寸法。
どこでもやってることだから、研究者も罪の意識に苛まれずにすむ。
製薬会社の社員が論文そのものを書くことだってそう珍しいことではない。

大学側にも事情はある。
研究には多額の費用がかかる。しかし十分な研究予算が確保できるわけじゃない。
教授側は学生に卒業論文や博士論文をまとめさせねばならないが、大学側からの研究予算だけではとても足りない。
実験機器や測定器というのはバカ高いのだ。しかも日進月歩、どんどん新しい機器が開発される。先進的な研究をしようと思えば、測定機器も最新なものが欲しい。
頼れるのは製薬会社だ。次々と新薬を開発しなくてはならないし、カネは唸るほどある。
ここで相互の利害は完全に一致するというわけ。

企業から大学への寄付は二通りあり、一つは使途を特定しない奨学寄付金方式で、もう一つは契約書で取り決めた使途にしか使用できない委受託研究契約方式に分けられる。
ノバルティスファーマ社は前者の方式をとっていたようだが、どちらを選択しても本質的な違いはない。

こんな実情、厚生労働省は百も承知、二百も合点。
見て見ぬふり、つまりは暗黙の了解を与えている。
厚労省は常に製薬会社の味方だ。経産省が電力会社の味方と同じように。
かくして治療効果のない新薬が次々に発売され、私たち患者は医療費を払いながら治験者にされているわけだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/11/20

アテにならぬX線検査

今月始めにひいた風邪の症状がなかなか治まらず、15日(月)に病院で受診したところ、X線検査で異常がなく単なる風邪という診断で、安心していた。
ところが昨日その病院から電話があり、レントゲン写真を改めて呼吸器の専門医が調べ直したところ、「肺炎」と診断されたというのだ。とりあえず22日(月)に再度来院して欲しいとのことだ。
きく所によると、肺炎に限らずX線検査で医師が見落としてしまい、誤った診断をするケースというのは少なくないそうだ。
そのため、この病院では専門医が1週間分のX線写真をまとめてチェックしているのだそうである。

レントゲンの誤診では、長女にも苦い思い出がある。
生まれた娘にオムツをあてる際、脚の開きが悪いことに気付いた妻が股関節脱臼を疑い、小児科に連れていってレントゲン検査を受けた。
その結果、医師は娘の骨の状態には全く異常がなく、心配いらないという診断を下した。
数ヵ月後に妻が同じ病院の整形外科を受診したときに、医師にたまたま娘の脚の状態を話したところ、その時のX線写真を直ぐに取り寄せて、これは明らかに股関節脱臼なので直ちに治療をするようにと指示があった。
娘の場合、リーメンビューゲルという簡単なバンドを肩から足にかけてつるして直したが、それでも半年かかった。
もう少し発見が遅れれば、完全に直らなかった可能性もあったということで、子どもの将来にも係わりかねない。

私たち患者からすれば、医者がX線検査を見落とすなどということは信じ難いのだが、現実は決してそうでない。
誤診が分かっただけでも、幸いと思わなくてはいけないのかも。
そんなわけで、今日行く予定にしていた#104朝日名人会は断念、又しばらくは大人しくすることになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/07/27

「電子カルテ」で医師が患者の顔を見なくなった

電子カルテがいま多くの医療機関で導入されている。
医師が診療の経過を記入するカルテだが、長い間、紙に書かれていた。
これを電子的なシステムに置き換え、電子情報として記録し管理するというのが「電子カルテ」の仕組みだ。一括してカルテを編集・管理し、データベースに記録する仕組みのことである。
厚生労働省の肝いりで推進されており、私の通う診療所でも1年以上前から導入され実施されている。
カルテの管理に必要なスペースと手間がなくなり、検査結果などがデータベース化されるので、複数の診療科にまたがって診察を受ける患者にとっては有効なシステムといえる。
処方箋もコピー&ペーストで書きこめるから、時間は短縮されるし間違いも減る。
一見、良いことずくめのように見えるのだが、ここに大きな問題が生じている。
それは、医師が患者を見ることなく、専らモニターと対話する状況が生まれている。

こんな具合だ。
「はい、〇〇さん、どうぞ」
と言いながら、医師はカルテと検査データが表示されているモニターを見ている。
そのままの姿勢で、「その後いかがですか」と訊ねてくる。
患者が病状を説明すると、それを医師はキーボードで入力する。もちろん、モニターから眼を離さない。
「検査結果ですが、特に問題はありません」と、これもモニターに向かって話しかけ、「それではいつもの薬を4週間分出しておきます。」と言いながら前回の処方箋をそっくりコピー&ベーストする。
「では次回は4週間後で、0月00日ですね。予約は午前10時でいいですか。」とここで処方箋と予約表を渡され、「では、お大事に」と帰される。
近ごろは聴診器をあてる医師などメッタにいないから、診察の間、医師が患者の顔を一度も見ずに終わってしまうことになる。
特に内科系の場合は、一日中医師がモニターとキーボードにかかりっきりになっていて、ただ患者だけが次々と入れ替わるような状況になる。

患者は医師に診てもらいたくて通うのだが、医師はモニターしか見ない。
キーボード入力に不慣れな医師が、どうしてもそっちの方に気をとられるのは止むを得ないだろう。
人は顔色を見ただけでも体調の良し悪しが分かる。
患者の顔を見ずに、果たして正確な診断が下せるのだろうか。
こいなると厚労省の指針に「電子カルテ運用にあたっては、医師は必ず1分間以上患者の状態を眼で観察すること」と書き加えねばなるまい。

電子カルテでもうひとつ心配なことは、これからはカルテの書き換え、改ざんが容易になるということだ。
医療ミスの係争で、患者が不利にならねば良いのだが。

【追記】
麻酔医をされている方から指摘があり、電子カルテの場合は時系列で記録されるため、カルテの改ざんは出来ないとのことでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/05/31

股股「玉にキズ」

ちょうど5年前に切り取った「陰のう腫瘍」、つまり玉袋の先っちょの腫物だが、また出来てしまった。
同じ病院に行ったのだが、前回は若き美人女医だったのが、今度は男の医師。
なんだか見せ甲斐がないなあ。

「先生、なんで同じ場所にできたんですかね?」と訊くと、「まあ、たまたまでしょう」と気のない返事。
「玉玉、玉袋に股股」ってぇところなのかねぇ。
「印ろう」なら、水戸黄門。
「陰のう」なら、見ろ肛門。

「このまま放っておきます?」と、医者は明らかに投げやり。
どうせこれから使いモノになるわけじゃなし、というのが顔に表れている。
こっちも意地になって「前回と同じように切ってくれませんか」と言うと、「ええ、切るんですか。範囲が広いし周囲に血管が集まっているし、リスクが大きいですよ」と、やはりヤル気なし。
こっちがしばらく黙っていると、「そうしたら、取り敢えず焼いてみましょう」と言い出した。
ナンだ取り敢えずって、ビールじゃないぞ。

液体窒素をつかって、患部を焼いてしまおうというわけだ。
窒素ガスを-200℃以下に冷却すると液体になるので、要はこれを塗って低温火傷をおこして腫瘍を除去するというもの。
「じゃベッドに横になって、下半身は全部脱いで。看護婦さーん、こっちへ来て、はいソコをしっかり握ってて」と、なんだか恥ずかしいやら嬉しいやら。
これから液体窒素を塗りたくられたのだが、これが痛いこと痛いこと。
なにしろ男性にとって最も敏感なトコロですからね、そりゃもう呻いたね。
「ほー、真っ白になったね」と医師はまるで他人事。
仔細にみれば、小山に雪がかぶったような姿。
「これでダメなら切りますよ」という言葉を背中に、病院を後にした。

でも、その後がまた大変。
とにかく歩くとスレて痛むから、がに股でヨチヨチと歩くことになる。
座っても先端が床に接してやはり痛い。
寝ていると楽だが、そう一日中寝てばかりいられない。
痛みはおよそ5日間は続くそうなので、その間はジッとガマン。

ブログで他人様の悪口ばかり書いているのでバチが当たったんだな、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/11/19

高齢者への家庭内虐待

読売新聞によれば、自宅で高齢の家族を介護する人の4人に1人は虐待をしそうになったことがあるそうだ。佐賀県内の大学や市町でつくる「高齢者虐待防止ネットワークさが」の調査結果だ。
また、介護施設・事業所で働く人の10%以上が虐待を目撃しているが、このうち40%近くは他人に知らせていないことも分かった。
2007年度、家庭で虐待を受けた高齢者は全国で13727人、そのうち7割が要介護認定者だという。
死亡に至ったのは27件というから、事態は深刻なのだ。
しかし、これらの数字は氷山の一角にすぎない。

2006年に高齢者虐待防止法が制定され、虐待の「おそれがある」と思われる段階で、地域包括支援センターへの通報できることが明示され、早期の発見と対処が図られている。
しかし家族と同居している高齢者への家庭内虐待は、明らかにされにくい。事実をつきつけても言い逃れされることが多いのだ。
これを行政の力だけでやろうとしても、所詮はムリがある。
さらに虐待を発見しても、家族に介入して虐待をやめさせることはとても困難だ。
いま住民の協力を含めた地域ネットワークを活用して、高齢者への虐待をやめさせる自治体の努力が求められている。

この点に関して山陽新聞が今年4月に、ある自治体での取組みを紹介している。
この自治体では、市内の小地域ケア会議を中核とした「高齢者見守りシステム」をつくり、そこを通してケアマネージャーや民生委員らから具体的な情報が寄せられる。
こうした活動を通して住民の理解も得ることができて、過去には年に1,2件だった通報が、このシステムができた以後の2006年度からは30件前後と急増したという。
寄せられた情報をもとに地域包括支援センターでは、社会福祉士が中心となって、虐待が疑われるケースについては更なる情報収集と確認作業をすすめる。
事実が確認され、かつ緊急性がある場合は、被害を受けている高齢者を家族から引き離し、あるいは施設に措置入所させるなどを行政が判断することになる。

行政を地域住民との信頼関係が築ければ、行政側も支援センターを窓口に迅速に対応できるようになり、家庭という密室を乗り越える力になるわけだ。
ただ、こうした自治体は全体的にみれば限定されるだろうし、支援センターがその機能を十分に発揮しているとはいえないのが実状だろう。
家庭内の虐待は、される方もする方も共に悲劇なのだ。
行政は一日も早く、こうした体制を構築できるように努力してほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/11/17

医師が患者をつくりだす(下)

前回の記事で精神科にかかった患者に対して、誤った診断や治療が行われている例を紹介したが、ではなぜこうした間違いが(それも初歩的な)おきるのか。
一つには制度上の問題が横たわっている。
「精神科医院」という看板をみれば、誰だって精神科の専門医が診てくれるだろうと思ってしまうのだが、実は違う。
現在の医師法では、医師の資格さえあれば誰でも「精神科」や「心療内科」の医院を開業できる。
これは「自由標榜」と呼ばれ、麻酔科以外ならどんな名前で開業しようと、それは自由なのだ。
精神科の「せ」の字も知らなくても精神科医になれる、これが恐い。

近ごろ、とりわけ都内で「心療内科」の看板が増えたのは、もう一つ大きな理由がある。
他の診療科と異なり、検査も治療器具も必要ないので、極端にいえば事務所に机と椅子さえあれば開業できてしまう。看護婦も特に必要ないので、設備投資も人件費もいらないという手軽さが受けている。

それだけではない。
診断や治療を間違うというのは医療行為としては避けられないのだが、精神科の場合、多くが見逃されてしまう。
それは精神科の場合、どうしても診断が主観的になるため、患者側から誤診の訴訟が起こしにくいのだ。
それも患者自身が気付くというのは稀で、殆んどの場合、介護している人や家族が気付くことになる。
特にうつ病の人は概しておとなしいし、問題があっても訴える元気がないのでリスクが少ないのだそうだ。

つまり、専門的な知識がなくても、最小限の設備投資と人件費で開業できて、しかも訴えられるリスクが少ないとあれば、見方によってはこんなオイシイ話はないのだ。
もちろん、良心的な医師も少なくないのだが、楽して金を儲けようとする医師が参入しやすい分野であることも否定できない。

抗うつ剤の副作用が世界的に初めて知られるようになったのは、1998年4月の米国コロラド州にあるコロンバイン高校でおきた銃の乱射事件だった。
死者13人、負傷者24人という大きな犠牲を出したこの事件で、二人の犯人のうち一人が事件直前に抗うつ剤“SSRI”を大量に服用していたことが判明してからだ。
日本ではどうかというと、その翌年の1999年7月に起きたハイジャック事件だ。
覚えている方も多いのだろうが、20代の男が羽田発函館行きの全日空機を乗っ取り、機長を殺害して自分で操縦し、レインボーブリッジの下をくぐろうとした事件だ。
この事件で最高裁の判決は、次のように結論づけている。
「本件犯行以前の被告人の内気でおとなしい性格と行動に照らせば、これらの異常で過激な行動は、保崎鑑定(弁護人側の鑑定)の示すように、被告人が服用していた抗うつ剤の副作用としか考えられない」。
誤った治療や投薬は患者本人や家族を苦しめるだけではなく、こうした社会的凶悪事件を引き起す原因にもなる。

精神疾患というのは、レントゲンや血液検査、胃カメラというような検査で診断できるものではない。
患者の症状から医師が主観的に診断するケースが圧倒的だ。
うつ病の場合「診断マニュアル」が存在するが、なかにはこのマニュアル片手に診察する医師もいるそうだからムチャクチャな話だ。
医院に訪れて、医師からいくつか質問を受けて「はいorいいえ」で答えさせられ、「あなたはうつ病です」などと診断されたら、これは要注意だ。

患者は医師を選べないことが多いので、こうした誤った診断や治療から逃れるのは難しいのだが、こんな医者には注意しようという一般的な判断材料としては、次のようである。
(1)あまり患者の話に耳を傾けない
(2)薬以外の治療に対応しようとしない
(3)薬の量をどんどん増やす
(4)薬の効能や副作用を説明しない
(5)治療方法について質問すると不機嫌になる

この問題では困ったことに、現状では厚生労働省も適確な対応ができていないようだ。
どうも患者自身が、自分で自分の身を守るしかなさそうである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/10/29

医師が患者をつくりだす(上)

いま介護に携わっている関係者の中で、密かに話題になっている薬品があるという。
その薬の名前は「リスパダール(一般名;リスペドリン)」という。
元々は「統合失調症」の治療薬なのだが、高齢者の認知症の治療薬として、抗うつ剤として、時には不眠症や精神安定剤としても処方される薬だ。
「リスパダール」を高齢者が服用すると、しばしば、
(1)手足が硬直し身体が動かなくなる
(2)唇の動きが悪くないヨダレが増える
(3)食欲が極端になくなり食べなくなる
(4)床に虫が這いまわるなどの幻覚を訴える場合もある
といったような副作用を呈するそうなのだ。
こうした副作用情報は公開されているのだが、処方している医師の知識不足が問題を引き起している。

症状が重くなってホームヘルパーが気付くケースや、家族が気付いて介護福祉士やケアマネージャーに相談が持ち込まれるケースとがある。
その副作用例は、ある一つの地域で数十例に達するというから穏やかでない。
前記の(1)から(4)の症状を訴えるので、「もしかしてリスパダールを飲んでいませんか」と訊くと、「そうです」という答えが返ってくることもあるという。
時には生命の危険性にさえ及ぶこともあるそうだから、深刻な問題なのだ。

なぜこのような事が起きるのだろうか。
ある症状を訴えて高齢者が医師を訪れる。
治療薬として「リスパダール」が処方され、患者は指示通り服用する。ここまでは良い。
処が、症状が改善されないと、あるいはもっと重くなったと訴えると、知識の乏しい医師の中には、単純に用量を増やしてしまう。
そうすると患者の副作用がさらに強くなり症状が悪化する。それに対して、医者はさらに薬剤の用法用量を増やす。
こうして悪循環におちいっていく。

どこかで歯止めがかかれば良いのだろうが、これがなかなか難しいという実情がある。
元々患者が持っていった症状と副作用が似ているため、原因が薬だと気付きにくいのだ。
まして高齢者の場合、本人が気が付くというのは先ず有り得ない。
もう一つ、これも大きな問題として、患者やその家族が、医師に治療法にモノ申すことはとても困難なのだ。
副作用ではないかなどと訴えると、能力の低い医師ほど治療法が非難されたと受け止め、露骨に嫌な顔をされたり、時には逆切れされることもある。
お世話になっている医者との間が気まずくなるのを避けるため、黙って治療に従って重症に陥っていくというパターンが多いのだ。

相談を受けたケアワーカーやケアマネージャーは、とりあえず家族を説得して、「リスパダール」の服用を止めさせる。
そうすると殆んどの患者の症状が改善し、通常の日常生活に復帰できるのだそうだ。
医師によってはこの薬品に対する知識がなく、「1日量は12mgをこえないこと」という注意書きがあるにも拘らず、その3倍も処方していたケースがあったという。
こういう医者が堂々と看板をだして営業しているのだから恐ろしい。

主に高齢者の副作用が問題となっているようだが、今の日本の医療制度では、上記のような民間の副作用情報がフィードバックできるシステムがないのだ。
例えばイギリスのように、患者や家族、介護者などの個々の副作用情報がフィードバックできるシステムになっていれば、情報の共用が可能になるのだが。
(続く)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009/07/06

胃カメラ検査に朗報

何がイヤだって、あの「胃カメラ」検査、これが実に苦痛です。
以前に一度、検査中に嘔吐したモノが肺の中に入ってしまい、それが原因で肺炎に罹ったことがあります。それ以来、医者から胃カメラという言葉を聞くだけで、身体全体が緊張するんです。
それで医者に、胃カメラを飲むくらいなら胃ガンで死んだ方がマシですと訴えたら、それなら「経鼻内視鏡」なら楽だと勧められ、本日その検査に行ってきました。

普通の胃カメラ(内視鏡)が口から入れる(経口)のに対し、こちらは鼻から(経鼻)カメラを入れます。
一番の違いは、カメラの大きさです。経口用の直径が約10mmあるのに対し、経鼻用はその半分の約5mmです。
なんだ半分かと思うでしょうが、直径が半分なら面積は4分の1になりますから、これは大変な違いです。

次に、口からカメラを入れるとどうしても舌根部を通過させるのですが、この舌の根の部分に嘔吐反射のスイッチがあるのだそうです。
たいたい胃カメラをやるような人は元々胃の調子の悪い人が多く、気分が悪い。そこを更に刺激されるものですから、ゲーゲーとやってしまうわけです。
これが鼻からですと、舌根部を通らずに食道に入れられるので、嘔吐感が生じないというわけです。
実際に経験してみての感想ですが、苦しさは4分の1くらいに小さくなり、かなり楽になりました。嘔吐感もほとんどありません。
これだったら、年に1回位なら辛抱できそうです。

経鼻内視鏡には欠点があり、それは視野がやや狭いことです。だから検査の完全性を求めるなら今までの経口法がベターです。
それから胃がんの摘出など内視鏡を使った手術は、やはり経口のカメラでないと出来ないそうです。
そうした制約はあるものの、検査自体が楽だということは病変の早期発見にもつながりますので、こうした利点は生かすべきでしょう。

なお経鼻内視鏡は発売が2002年なので、まだ備えていない医療機関もありますので、実際に検査を受けるときは医師に相談してみて下さい。
検査なんぞやらやないに越したことはありませんが、どうしても胃カメラを飲まなくてはならない時の、ご参考までに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/02

「豚インフル」列島狂乱

ここ数日、TVなどマスメディアは連日新型インフルエンザの話題で持ちきりだ。
小沢一郎の捜査も検察の腰くだけで尻つぼみ、テポドンもしばらく飛んできそうにない、草なぎ剛は起訴猶予で決着し、解散はいつになることやら、ちょうどニュースの端境期に豚インフルエンザのニュースが飛び込んできた。マスコミとしては待ってました!とばかり、いっせいにこの話題に飛びついたというわけだ。

世界中に感染が広がるとか、もし日本に入ってきたら大変なことになるという危機感だけが強調されているが、現状はどうなのだろうか。
WHOの5月1日の発表によると、新型インフルエンザ(豚インフルエンザ・A/H1N1)の感染が確認された患者は、全世界で333人、死亡はメキシコの8人と米国の1人の計9人となった。これが全てである。
感染者が確認されたのは11カ国で、そのおよそ半数はメキシコだ。

今回の新型インフルエンザについての最大の疑問は、メキシコだけに死亡を含む重症者が多い反面、他の国の感染者は比較的軽症だという点だ。
そういう意味で米国の死亡例は注目を集めたが、死亡した男児は生後22カ月で、インフルエンザの症状を発症する前から「健康上の問題」を抱えており、米保健省の担当者は「男児には免疫的に問題があった」ことを明らかにしている。
そうなると、このアメリカの死亡例は特殊なケースである可能性が高い。

問題のメキシコだが、国立感染症研究所感染症情報センター長の岡部信彦氏らが4月27日、マスメディアに対し説明しているのだが、メキシコの重症患者の具体的な症状については、情報がほとんど得られておらず分からないと言っている。
感染ルートや患者の臨床症状については「不明の点がまだ多い」というのだ。
メキシコに行かれた方ならご存知のとおり、現地の衛生状態は決して良好とはいえない。というよりは、都市の貧困層は、かなり劣悪な環境の中で暮している。
医療制度も我が国とは異なり、国民誰もが適切な診療を受けられる状況にはない。
メキシコの重症者というのも、免疫上の問題や別の細菌による重感染、あるいは元々基礎疾患があったという可能性があり、正確な情報待ちという段階だ。

20世紀初めに世界的に流行したスペイン風邪との類似性を指摘する声もあるが、当時と100年後の現在とでは、検査や治療といった医療レベルが比較にならない。
しかも現時点では、新型インフルエンザは軽毒性だと想定されていることを考えれば、徒に恐怖心を煽るような報道は、百害あって一利なしだ。

政府は冷静に冷静にといいながら、実は危機感を煽っているかに見える。
舛添要一厚労相の日本人感染発表の二転三転のドタバタぶりは、「国民の皆さん、正確な情報が入ればお伝えするので、落ち着いて行動してほしい。」という声明とは裏腹である。
「不要不急であれば人込みを避けるということはやっていただきたい。」と言っていたが、それでは都市に住む人間は外出できないことになる。
おまけに横浜市との責任のなすり合いによる場外乱闘は、「先ずアンタが冷静になれよ」と言いたくなる。
舛添要一大臣といえば、2000年問題(ミレニアム)の際に、飲料水と缶詰を抱えてホテルのこもった「前科」があるが、元々がオッチョコチョイな性格なのだ。

危機感は、国民の心を一つにする。
衆院選を間近に控えた政府・与党としては、当然そうした計算も働かせているだろう。その掌の上でマスコミが踊っているというのが、現状ではあるまいか。
先ずは、新型インフルエンザに関する正確な情報を把握することが肝要だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)