医療

2008/04/14

やっぱり「早死医療制度」だ

自宅近くに良心的な診療を行っている病院があり、そこの院長をしていた方が「高齢者にこそ最高の医療を提供すべきというのが私の信念です」と言っておられて、感激したことがあります。しかし今回の後期高齢者医療制度が導入されてからは、二度とこういう医師は現れないでしょうし、もしそんな信念を持っていたら病院は直ちに潰れます。
新しい制度では75歳以上の人に限って、従来とは異なったシステムを導入しています。
一つは診療報酬の「包括払い」
二つ目は「主病ルール」
です。

先ず「包括払い」あるいは「包括医療」とは、どういうものなのでしょうか。簡単にいえば、診療に要する費用を一定額に定めるというシステムです。
定額制度になるとどうなるでしょうか。診療報酬は一定金額に抑えられるため、病院としては何をやっても収入は一緒ということになります。先の院長のように、親切な医療を行おうとすれば赤字になり、沢山の慢性疾患を抱えた患者は病院から敬遠されるようになるでしょう。
新制度では、「検査」「画像診断」「処置」「医学監理など」の合計が月額で6000円と定められています。今回だけを見ればそう大きな影響は受けないと思われるかもしれませんが、いったんこうした制度が作られると、範囲や金額はいつでも変えられます。

では、定額を超えてもなお医療が必要となると、患者はどうするでしょうか。止むを得ず「自費」で支払うようにするしかありません。これこそが厚労省の最大の狙いなのです。
最低の医療は健保で診るが、あるレベル以上の医療は患者が自分の金で診て貰えという、いわゆる「混合診療」制度に道を開くものです。
この結果、お金の有無で健康や生命が左右されるようなことになり、日本の医療制度の根本が崩壊につながる危険性があります。

もう一つの「主病ルール」とはどんな制度でしょうか。複数疾患の中から一つだけの主病名に限って診療報酬を算定するというというもので、これからは一人の患者は、一人の主治医のもとで、一つの「主病の診療」を1ヶ月間にわたり受けるというルールです。その患者と「契約」を交わした医療機関が「登録医」となり、「登録医」以外で治療する時は安い診療報酬しか支払わないという仕組みを作りました。
お年寄りはいくつもの病気を抱えているのが普通で、その中から一つだけ主病を選ばせることに、どだい無理があります。

年齢で医療に差別を持ち込む制度は、世界にも例がありません。
ではなぜ、75歳以上に人を対象に、こうした制度を作ったのでしょうか。私は二つの理由があると思います。
一つは、政府が推進している医療費の抑制を、一番弱い立場の層、75歳以上の高齢者をターゲットにしたものと思われます。厚労省は終末期医療についても、自宅で死ぬ人の割合を、現在の20%から2035年には40%に引き上げようとしています。厚労省の狙いは、年寄りは「家で死ね」「病院に連れてくるな」ということに尽きます。
もう一つには、実はここで書いた後期高齢者医療制度の内容は、かなり簡略化したもので、実際にはもっともっと複雑な制度になっています。こういうと失礼かも知れませんが、高齢者の方はなかなか完全に理解できない仕組みだろうと想定されます。理解出来なければ反対もないだろう。気がついた頃には既成事実が先に進んでいて、もう後戻りはできまい、そう企んだものと考えます。

日本は古来より、年寄りを敬い大切にし、長生きを寿ぐという伝統がありました。古稀、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿などでは、家族や孫たちが揃ってお祝いをするという風習がありました。
医療費の増加を高齢者にせいにして世代間の対立をあおり、75歳で区切って別の医療制度を持ち込むことにより、こうした伝統も次第に薄れていくのではないでしょうか。
何だか長生きすることで、肩身の狭い思いをするような社会になることを、私は憂慮しています。

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2008/04/09

「早死医療制度」が始まった

Masuzoe_yoichi4月1日からスタートした後期高齢者医療制度、福田首相のアイディアで「長寿医療制度」と名称を変えられました。勿論これは総理のブラックジョークです。だって本当は「早死医療制度」なんですよ、知ってました?
ニュースで75歳以上のお年寄りが、「まるで私たちに早く死んでくれと言っているようだ」と語っていましたが、その通りなんですよ。
「戦後の混乱期を乗り越え、日本の復興と経済成長を支えてきた皆さん。もう用は無いし、これ以上長生きされても金が掛かるだけなので、早く死んでください。」
これが政府の願いであり、今回の制度改正の本当の狙いです。

若い方も、やがては老人になって、この「後期高齢者医療制度」(以下「新制度」)のお世話になりますから、今年の3月末まで実施されていた「老人保健法による老人保健制度」(以下「旧制度」)と比較しながら、一体どんな制度なのかを、先ずはかいつまんでご紹介します。

(1)旧制度では目的に「健康の保持」が謳われていたが、新制度ではそれが「医療費の適正化の推進」に変えられている。健康など二の次で、要は医療費を削るのが目的。
(2) 運営主体と財政責任は、現在の市町村から、都道府県ごとに作られる「広域連合」に変った。この結果、今まで市町村単位で行われてきた低所得者などへの減免措置が廃止される。
(3)給与所得者の扶養家族だった人(推計200万人)は旧制度では保険料を払わなくて良かったが、新制度では75歳以上になると保険料を払わなくてはならない。この結果、乏しい年金の中から、新たに保険料が天引きされることになる。
(4)旧制度の「基本健診」が廃止され、健診を行うかどうかは各広域連合の努力義務となった。厚労省は広域連合に対し、高血圧や糖尿病の患者には健診を受けさせないよう指示を出している
(5)新制度では、医学管理や基本的な検査、画像診断、処置が、包括点数(月1回600点)となった。定額のため、病院は何回治療しても診療報酬は変わらない。つまり手厚い治療をする病院ほど、医療機関の持ち出しが多くなることになる。
などなどなど・・・、キリがありません。

こうした制度改正によって、例えば東京都の広域連合によると、単身で厚生年金の平均受給額201万円の場合、国保の保険料は23区で年額3万円程度だったのが、新制度では5万3800円と2倍近くになります。それでも東京都はまだ恵まれていて、保険料は安い方なんです。
名古屋市では、市独自の減免措置により全額免除だった年金収入153万円の単身者は、今年度から1万2千円を支払うことになり、168万円の人の場合は、4700円から2万3100円と一気に約5倍に保険料が上がります。

「早死医療制度」と名付けたの、分かって頂けましたか。
まったく厚労省というのは、「やらずぶったくり」の役所ですね。
日本という国、いつからかくも無慈悲な国になってしまったのでしょうか。

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2008/04/05

「代理出産」は禁止が妥当

Mukai_aki4月4日に、諏訪マタニティークリニック(長野県)の根津八紘院長が、これまで独自実施してきた代理出産のデータを公表しました。
これまで15例が試みられ、その結果8例で出産に至り、3例では流産、4例は妊娠しなかったことが明らかにされました。
注目されるのは、どういう人が代理母になったのかということですが、妻の実母が5例、実姉妹3例、義姉妹が7例となっています。35歳以上が15例中10例を占め、うち55歳以上の人も4例(いずれも妻の実母)います。

代理出産、正式には代理母出産(だいりははしゅっさん、だいりぼしゅっさん)ですが、その定義は「ある女性が別の女性に子供を引き渡す目的で妊娠・出産すること」で、その出産を行う女性を代理母といいます。
代理出産が世間で注目を浴びたのは、根津八紘医師による国内での実施の公表と、タレントの向井亜紀による海外での代理出産の実行でした。特に向井亜紀がTVなどのメディアを使って、大々的に喧伝したことも、大きなインパクトとなっています。
この問題で政府は、日本学術会議に代理母出産の是非についての審議を行うよう依頼しており、それを受けて学術会議では代理出産を原則禁止とする報告書を近く正式決定する予定です。
数年前から代理出産の禁止は議論されており、政府としては禁止の法制化を図ってきましたが、なかなか実現しないまま今日に至り、いわば既成事実だけが積み重ねられています。

今回の根津八紘により公表されたデータの中に、代理出産の問題点が明らかになっています。
子どもが欲しいというのは夫婦間の問題あるにも拘らず、実際に代理母には、妻の実母や姉妹がなっています。
私の予測では、夫の母が代理母になっている例は皆無と思われます。
なぜでしょうか。
子どもが出来ないのは妻に責任があり、それを不憫と思って、母や姉妹が身代わりをつとめているからです。
妊娠出産は現在でも危険を伴い、時には妊婦が死亡することもあります。そういうリスクを背負って引き受けるのは決まって妻の親族であり、あるいは海外でそれなりのお金を払って、代わりを頼むしかありません。
社会的、経済的弱者の犠牲の上に立って、子どもを授かるというのが、代理出産の構図です。
単純に子どもを授かったと喜んでいる向井亜紀や根津八紘医師は、そこに思い至っていない。

臓器移植も同様の問題をはらんでおり、規模が小さいうちは周囲の善意に支えられます。しかし市場経済の元で、規模がどんどん大きくなれば、臓器売買のマーケットが出来ることは避けられません。既に一部の国では臓器売買が行われ、そのための誘拐事件や殺人事件も起きています。
ここでも社会的、経済的弱者の犠牲の上に、強者が恩恵を受けるのであって、絶対にその逆は起こりえない。

代理出産については様々な議論があるでしょうが、私は禁止すべきと思っているし、混乱を避けるためにも法制化を急ぐ必要があると考えます。

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2007/11/16

病院が「社会的弱者」になった

Hospital入院費を払わない人を7年間も入院させ、退院の時は自宅まで送り届けたのに引取りを拒否され、挙句のはてに「置き去り」と非難されたんじゃ、病院もやってられないですね。
それなら治療費を払えない患者は、最初から診療拒否すれば良いのでしょうか。
マスコミも自らの報道が、どういう結果を招くかを良く考える必要があります。

私は医療機関で仕事をしたことがありませんが、自身や家族を含めて何回か入院の経験があり、病院には随分とお世話になってきました。
入院患者の世界というのも、社会の縮図でもあります。立派な人もいますが、病院や職員、周囲の患者に迷惑をかける困った患者も少なくありません。
最近になって、「院内暴力」ということが問題視されているようですが、以前からそうした行為はありました。

もう20年ほど前になると思いますが、日曜日に近所の病院職員から電話があり、手が空いていたら至急来て貰えないかという依頼でした。経緯は次の通りです。
この病院の男性患者の中に、当たり屋がいたんです。
当たり屋というのは、わざと自動車などに近付き、交通事故を起こさせ、損害金・賠償金などを要求してくる人間で、最終的には法外な保険金を詐取する保険金詐欺になります。
この病院には外科があり、事情を知らない医師がその当たり屋を診察し、入院させてしまったわけです。
当たり屋の男というのは大体ヤクザに近いですから、入院してもルールは守らず、病院の職員や看護婦に暴言をはくなど、問題患者になっていました。処が、担当医の前に出ると途端に卑屈な態度を取り、急に大人しくなるものですから、強制退院にまでは出来なかったのです。

日曜日にその当たり屋が、暴言をとがめた看護婦に暴力をふるうという事が起きました。
病院は早速その男を会議室に移し、退院を勧告したわけです。当たり屋としては、ここで退院させられたら飯の食い上げですから、言を左右にして抵抗するわけです。
休日ということで男性職員が少なく、事態によって再び暴力沙汰になる可能性があります。
私に、急いで病院に来て、近くで黙って立っていて欲しいと言うのです。
「オレは用心棒か」と思いながら、知り合いの職員からの依頼だし、ナマの当たり屋を見るのも向学のためだと思い、取り敢えず病院に駆けつけました。

会議室の窓越しで見ていると、椅子に座った中年の男を二人の病院職員がなにか説明し、男が反論している様子が窺えました。その当たり屋は、身長は低いですが、一見してヤクザ風の男でした。
廊下に立っている私のことが少し気になるようで、チラチラこちらを見ていましたが、やがて職員の説得に応じ、間もなく退院してゆきました。
何事も無かったので、そのまま私もお役ゴメンとなりました。

後日談ですが、私に電話した職員によると、その当たり屋は私を見て、「なんで刑事を呼んだんだ」と言ったそうです。
処が、事情を知らない別の職員は私を、「当たり屋が仲間のヤクザを呼んだ」と勘違いしたとか。
当たり屋からは刑事と間違われ、職員からはヤクザと間違われる、オレってよっぽど目付きが悪いんだなと苦笑するしかありません。
いずれにしろ、多少お役には立ったようで感謝されました。

この病院によると、看護士が暴力を振るわれそうになったりする例は、結構あるのだそうです。
入院中の母親が亡くなったのに、一度も見舞いに来なかった息子の暴力団員が、数ヶ月経ってから病院を訪れ、医療ミスがあったので慰謝料をよこせと要求されたこともあったとか。
救急指定の病院になっていますが、救急車で運びこまれる患者の中には、保険証は勿論、現金も身分証明も持たず、治療が終わるといつの間にかドロンしてしまう者も少なくないそうです。
治療費や入院費の未払いも増えており、そうかと言って診療を拒否するわけにもいかず、病院の経営を圧迫する結果となっているという問題が起きています。
救急患者のたらい回しはマスコミを賑わせますが、医療費を払わない患者は非難されない、これは片手落ちです。

今や医療機関が社会的弱者になってきた、そう言えるのではないでしょうか。

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2007/11/13

東京でも子どもが産めなくなる!

Ebara_hospital救急車で妊婦が搬送されても、受け容れてくれる病院がないということが社会問題となっていますが、出産を取り巻く危険な状況はそうした「飛び込み出産」だけではありません。
地方にくらべると比較的産科施設が充実していると思われている東京でも、安心して子どもを産めなくなるという危機が進行しています。

都立だった荏原病院を、東京都が公社化したのは昨年4月でした。
その際、東京都は「都立の時と同じ医療サービスを行う」「診療科目もこれまで通り」という約束をしました。その舌の根も乾かぬ今年4月から、いままで産科で扱っていた分娩を半分に減らすと発表しました。
更に、10月1日より産科を休止し、約100名の妊婦は他の病院に移されました。
東京都は代替案として、院内に助産婦を置く事にしたのですが、そこで分娩できるのは経産婦で、しかも持病が無い人に限っているので、利用できる人は限られています。

大田区を例にとると、区内の年間分娩件数はおよそ5500件で、この内2割近くの約1000件が荏原病院で分娩しましたので、これから出産を控えている妊婦は大きな影響を受けることになります。
東京都は当初約束したように、公社化した病院の医療サービスの維持を守らねばなりません。

これは何も荏原病院に限ったわけではありません。
以下は、東京都内の公立病院や大学付属病院で、ここ最近分娩を休止ないしは制限した病院の一覧です。

【分娩休止】
 東京逓信病院/H19.1月
 都立豊島病院/H18.9月  
 国立病院機構災害医療センター/H18.10月 
 都立荏原病院/H19.10月  
 駿河台日本大学病院/H19.3月
 東十条病院/H19.10月(全科休診)
【分娩制限】
 都立墨東病院/H18.11月 外来制限
 東京医科大学八王子医療センター/H18
 公立阿伎留医療センター/H19.1月
(註:公立がその後公社化した医療機関があるが、そのまま表示した。)

こうした傾向の根本にあるのは、産婦人科医不足です。
産婦人科学会によると、産婦人科をめぐる状況は、次の通りです。
・産婦人科医師がゼロになった病院数(2003年~2004年:厚生労働省HPより)
1186病院中 117病院(9.9%)
・産婦人科医師定員不足の病院数(2003年~2004年:厚生労働省HPより)
31.8%
・日本産科婦人科学会員の年齢分布(2003年~2004年:厚生労働省HPより)
50歳以上が52%を占め、40歳以下は減少し、70歳以上が増加している

全国的にもここ数年で産婦人科が廃止(休止)となった病院は1割に達し、およそ3分の1の病院が産婦人科の医師不足であり、若い医師がなかなか産婦人科医にならないため、高齢化が進んでいることを示しています。
なぜ産婦人科医が避けられるのかその原因ですが、他の科に比べ激務の割に収入が少ないという理由のほかに、医療訴訟の3割が産婦人科医に集中しているという実態があります。
その中でも特に問題とされているのは、2004年に起きた福島県立大野病院での医療事故での、担当医の逮捕と起訴です。

この件は、以前当ブログでも記事にしましたが、
(http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_59c3.html)
福島県立大野病院の産婦人科医である加藤克彦医師が、帝王切開中の大量出血により患者が死亡した医療事故(2004年12月17日死亡)に関して、業務上過失致死罪および、異状死の届出義務違反(医師法違反)で逮捕、起訴された事件で、現在裁判が行われています。
この事件の妊婦の方は癒着胎盤という症例ですが、1万件に数件という珍しいケースで、通常一人の医師が一生に一度出会うかどうかという症例です。
癒着胎盤という症例の難しさは、分娩が終わった後でしか分からない、つまり事前に検査で分かっていて準備するわけにはいきません。
医療ミスには違いないですが、様々な要因が重なって起きたミスであり、医師を逮捕して起訴するという警察や検察のやり方は、不当であると思います。
またこの事件により、いっそう産婦人科医を志望する医師が減ったとされており、安心して子どもを産めるという環境に、暗い影を落としてしまいました。

少子化を克服し、出生率を上げるうえで、安心して子どもを産み育てる環境整備は不可欠です。
今見て来た通り、病院での産婦人科の廃止や、分娩の休止・制限は、全て医療行政にかかわる構造的な要因が大きいと思われます。
厚労省は現在、年金問題を最大の課題としていますが、分娩・出産をめぐる問題はそれに劣らず重要課題です。
緊急措置と、抜本的な解決の方策とを切り分けて、それぞれスピードを上げて取り組むことが迫られています。

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2006/10/18

奈良県の意識不明妊婦の死亡事故

Ooyodo_1本来大変おめでたい出産が、一転して不幸な事態を招いてしまった医療事故が明らかになりました。
奈良県の町立大淀病院で今年8月、出産中の妊婦が意識不明の重体に陥り、この女性(32)は脳内出血のため転院先の病院で8日後に死亡したというものです。

経過は次の通りです。
この女性は出産予定日の約1週間後の8月7日に大淀病院に入院。主治医は妊婦に分娩誘発剤を投与したところ、この女性は8日午前0時ごろ頭痛を訴え、約15分後に意識を失いました。
主治医は分娩中にけいれんを起こす「子癇(しかん)」発作と判断、けいれんを和らげる薬を投与する一方、同日午前1時50分ごろ、奈良県立医大付属病院などに受け入れを打診しましたが、19ヶ所の病院に「ベッドが満床」などと拒否されました。
最終的に妊婦は、約6時間後に約60キロ離れた大阪府吹田市の国立循環器病センターに搬送され、脳内出血と診断されて緊急手術で男児を出産しましたが、妊婦は8月16日に死亡したものです。

詳しい経緯が分かりませんので一般論になりますが、大淀病院の担当医の判断は確かに誤りであったと思われます。
しかし妊婦が頭痛を訴えけいれんを起こして意識を失えば、医師としては先ず子癇(しかん)発作を疑うというのは、ごく自然なことだと思われます。
妊婦が血圧が高いという症状があれば別ですが、陣痛の際に脳内出血を起こす例は稀であり、当初子癇発作を想定したことに大きな誤りはないと考えます。
問題は、その段階で検査をして確かめたかが問われますが、この場合大淀病院に深夜の検査体制があったかどうかが問題です。

そしてこの大淀病院には子癇発作を処置する設備が無かったのでしょう、他の病院へ転送を打診したわけです。
しかしこの処置が出来る病院となると、先ずは産婦人科があって、更に夜中の午前2時に緊急手術が行える医療機関というのは、極めて限定されます。
この事故をマスコミ各社は「18病院が転送を拒否」と報じ、とかく世間からも医療機関が冷たいという批判が生じますが、受け入れ態勢が不十分のまま処置を引き受ければ、そちらの方が余程無責任だし、罪が重い。病室が満床なら、拒否して当然なのです。万全の体制がとれる病院を見つけ出すのに時間がかかったのは、ある程度止むを得ないでしょう。

国立循環器病センターに移送されて始めて脳内出血という正確な診断が出来たのですが、既に陣痛が始まっていますから、先ず出産(恐らく帝王切開と思われますが)を先に行い、その後脳内出血の手術を試みたのでしょうが、しかし患者さんの命は救えなかった。
もし最初の病院で正しい診断が出来ていたら、この女性の命は助かった可能性はありますが、いずれにしろ陣痛開始後の脳内出血の発症は、極めて危険な状態であったと思われます。

医療は結果が全てですから、大淀病院の担当医の診断ミスは責任が問われます。今後刑事事件に発展する可能性もあります。
しかし、この担当医のミスを責めるだけで、果たして今後こうした事故は防げるのでしょうか。
“医者タタキ”“病院タタキ”だけでは、何も問題は解決しません。

当ブログでは医療事故のテーマを幾度か採りあげてきましたが、この中では現在の医療制度の下で、特に地方の医療機関において、産婦人科や小児科が次々と廃止に追い込まれていること、残された医療機関の医師に、過重な負担がかかっている現状を指摘してきました。
その一方、そうした劣悪な条件により引き起された医療ミスに対して、殺人罪など重罪を科して担当医を逮捕・起訴するケースが目立ちます。
こうした事を続けていれば、一方でますます専門医の空洞化を招き、他方では緊急手術を要するような患者の受け入れに、医療機関がさらに慎重にならざるを得ない。
こうした医療制度を改革しなければ、これからも今回のような悲劇が繰り返されるのは必至です。

安心して子供を生み育てることが出来ない社会にしておいて、何が「美しい国」でしょうか。

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2006/08/07

やはり警察の先走り「羽幌病院」事件

Haboro
秋田県藤里町の児童連続殺人事件で、被害者の米山豪憲君の父親が秋田県警に提出していた質問状に対し、8月3日県警より、一切お答えできないと電話で回答があったことが判明しました。
質問状は、畠山彩香さん殺害事件の初動捜査が、適切に行われていなかったことに関するものです。
現場の状況から他殺の可能性が高く、又県警の捜査員の中にも他殺の可能性を指摘する声があったにも拘らず、事故として処理されてしまいました。

売春を業としていた容疑者の客に、県警の関係者がいたとの噂が絶えないし、そのために彩香ちゃん事件での捜査方針が曲げられたという記事が週刊誌に書かれています。
しかも豪憲君殺害事件では、父親が怪しいとの情報を報道機関にリークしていたわけで、実に手口が陰湿かつ悪質です。
事実に反するのであれば、回答を拒否して逃げ回るのではなく、警察はきっぱりと自らの潔白を証明すべきです。

さて、以前このブログに「これは「殺人事件」だろうか」(http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post_f1a1.html)というタイトルでとり上げた、道立羽幌病院の医師が殺人容疑で書類送検された事件の続報です。
北海道羽幌町の道立羽幌病院で2004年2月、無呼吸状態になった男性患者(当時90)の人工呼吸器を取り外し死亡させたとして、当時勤務していた女性医師が殺人容疑で書類送検された事件です。

事件の経緯は、自発呼吸を停止し、瞳孔が開いた状態で人工呼吸器を付けられていた男性患者に対し。医師は「脳死状態」と判断して、家族の同意を得た上で呼吸器を外したものです。
男性患者は約15分後に呼吸不全で死亡しました。

旭川地検は8月3日、この医師について嫌疑不十分で不起訴処分にしたと発表しました。
理由について、人口呼吸器の取り外しと死因との因果関係が薄いとした上で、呼吸器を外さなくても、男性の余命が十数分程度だった可能性は捨てきれず、取り外しが死期を早めたと認めるのは難しい、との見解です。
死亡した男性患者の家族は、「いい先生だった。不起訴になってよかったと思う。処罰感情はなかった」と話しています。

私が以前書いた記事では、次のようにコメントしておりました。
『この事件の場合、脳死判定を担当医個人で行ったことには問題がありますが、家族の同意を得て人工呼吸器を外していますし、故意で人を殺した殺人事件とは、どう考えても馴染みません。
これを立件化した北海道警の判断は、誤りだと思います。』
今回の検察の判断も、同様の見解でした。

私のような素人でも判断できることを、一体全体警察は何を考えて殺人事件と判断したのでしょうか。
そもそも、最初から事件性など存在しなかったのではないのだろうか。
警察は、自らの使命と責務をもう一度真剣に考えて欲しいと思います。

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2006/03/30

「医師は加害者」ですか-射水市民病院での延命措置中止

Hosp
近所に病院があって、余り規模は大きくないのですが親切な診療をしてくれますので、罹りつけにしています。入院したこともあって、医療に関する話題を聞いたことがあります。
私たちは普段は専ら患者の立場から医療機関を眺めるわけですが、一方医療機関の側から患者の側を見ると、別の面が見えてくるようです。

この病院に年配の女性が入院していて、容態が変わり緊急手術が必要となりました。家族として一人成人した息子さんがいるのですが、一度も見舞いにも来ないし、連絡が取れない。しかし手術承諾書にサインして貰わないと手術は出来ないので、連絡のため八方手を尽くしたが、最後までその息子の居場所が分らなかったそうです。
しかし患者の容態は待ったが利かないので、止むを得ず承諾書のないまま手術を行いました。手術そのものは成功したのですが、その後の経過が思わしくなく、暫くしてその患者が亡くなりました。
そしておよそ半年過ぎたこと、一人の中年男が病院を訪れて来ました。その行方が分らなかった息子で、暴力団員だったそうです。「手術承諾書を見せて欲しい」と要求してきて、病院側は経過を説明して承諾書が無いと答えたところ、その男は病院のミスだから裁判を起こすと言い出し、それがイヤなら2千万円出せと脅かしてきたそうです。
仲間を引き連れて何回も病院に脅しに来たそうですが、病院側は決して屈することなく要求を拒み続けました。幸い彼らも脅迫を諦めて落着したそうですが、肉親の面倒を見て貰ったことに感謝するどころか、世の中には母親の死させ金にしようとする不心得者もいるわけです。

小児科で一人部屋に入院していた女の子が、深夜侵入してきた男にイタズラをされるという不幸な事故がありました。
病院側としては警察に届ける一方家族に謝罪し、補償についても和解が成立していたのですが、何者かがこの件をネタに病院の管理体制を批判するビラを作り、病院の周辺にビラをまいたそうです。
更にTV局や週刊誌記者が取材にくるなど、一時は騒然となりました。
被害者が小学生の少女だったため、病院側は身元が特定されないよう相当神経を使ったようです。
ここは救急指定もされていますので、外部から侵入しようとすれば、これを完璧に阻止することは極めて難しいのです。他の医療機関でも同様の問題を抱えています。
管理体制うんぬん言われても、入院患者がいる以上は、夜間でも家族が駆けつけてくるケースもあるし、夜間完全シャッタアウトしたら、急患の人が困ってしまいます。

救急指定病院というと、直ぐに“たらい回し”が問題となります。患者の側からすれば、医師がいるのに診て貰えなかったと不満が出るのでしょうが、当直医師が内科医であれば、手術を伴う患者は受け入れられないし、小児科の救急患者にも応じられません。
数日前に、1999年に幼児が喉に割り箸をさして頭蓋骨を損傷させ死亡した事故で、救急搬送された病院の医師が十分な検査をせずに見逃し、業務上過失致死罪で起訴されていた事件で、無罪を言い渡されました。この医師も耳鼻咽喉科が専門でしたが、もしこの症状なら脳神経外科の医師の診療が必要でした。
しかしすべての救急病院で、夜間あらゆる専門医を揃えておくことは、採算性が前提の現状では不可能です。まして医療事故で時には逮捕投獄されるケースも出てくるのでは、専門外の患者の治療には慎重にならざるを得ないでしょう。
この結果、公立病院でさえ救急指定を外す事態が生まれています。
救急で運ばれてくる患者の中に、いわゆる“行き倒れ”の人もいます。健康保険には入っておらず、生活保護の申請もしていない、身分証明も無い、勿論現金は持っていない。入院させて衣服まで病院が用意して治療し、2-3日して少し回復すると勝手に病院から出て行ってしまう。そうした患者を相手に診療する医療機関は大変だと思います。
救急医療体制を確立するには、公費支出が避けられないでしょう。

現在富山県射水市の射水市民病院で、患者7人が人工呼吸器を外されて死亡した問題で、呼吸器外しを指示した外科部長が県警から事情聴取を受けています。
この件は全容がつかめておらず、事件性があるのかどうかはっきりとしていません。しかしTVのニュースショーの中には、頭から殺人事件の容疑者扱いしていた局もあります。
終末期医療での回復不能か否かの判定、延命措置と中止、本人又は家族の同意の確認方法など、我が国では未だ多くの点が法制化されておらず、現場医師の裁量に委ねられているのが現状です。
末期で、しかも患者が激しい苦痛を伴うような場合、従来は医師と家族の“あうんの呼吸”で、延命治療が中止されることが多かったのは事実です。
同意文書が無かったと言いますが、家族の死を決する事柄に同意したことを文書に残すのは、一般に相当抵抗感があります。
私は、医師と本人または家族に加えて第三者が立ち会って(例えば遺言の公証人のような立場の人)、同意を確認する方法がとれないかと思っています。

警察や検察、マスコミなどが、医師側が悪と決め付けて世論を煽っても、何も解決しません。
むしろこうしたやり方は、現在の医療制度を崩していくのではないかと危惧します。
これを機会に、終末期医療のあり方や尊厳死のルール化について、医師も家族も禍根を残さず、双方が納得しうる法制化を真剣に取り組むべきと考えます。

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2006/03/22

この逮捕はおかしい「福島県立病院・産婦人科医の医療ミス」

fukushima
子供の頃、近所の罹りつけの開業医が口癖のように言っていた言葉を覚えています。「医者は3人くらい殺さないと一人前になれない。私も何人も殺してきましたよ。」と言うのです。患者の方はあまり良い気分にはなれなかったが、事実なんだろうなと受け止めていました。
この医師が言った“医者が患者を殺す”は、医療過誤により患者を死に至らしめたことを意味しているのでしょう。つまり当時は、医療行為に誤りは付き物であるし、医療関係者も患者の側も、ある程度そうした事実は容認していたと言うことです。
わずか数十年の時代の流れの中で、現在は全く事情が変わってきました。

2月18日福島県立大野病院の産婦人科医である加藤克彦医師が、帝王切開中の大量出血により患者が死亡した医療事故(2004年12月17日死亡)に関して、業務上過失致死罪および、異状死の届出義務違反(医師法違反)で逮捕されました。
新聞各紙は、「帝王切開のミスで死亡、医師逮捕 福島の県立病院」(産経新聞2月17日)の見出しで報道しましたが、実際には帝王切開そのものが失敗したのではありません。
この患者の場合は、胎盤が子宮に癒着又は食い込む胎盤癒着と言う症状でした、通常は分娩が終わると胎盤は子宮から剥離して体外に排出されます。それに伴い子宮が収縮して出血が止まるのですが、この症状の産婦の場合は胎盤が剥離しないので出血が止まらず、死に至るケースがあるわけです。
全分娩中に、1万件に僅か数件という確率で発生する稀有な症例です。

実は私の妻が、実の母親をこの症状で亡くしています。こうした場合、出産したばかりの赤ちゃんと父親が後に残されますので、その後の家族は大変苦労します。従って今回の事件のご家族の辛さは、十分理解できます。
しかしこの件は、本当に刑事事件として逮捕勾留するような必要性があったのでしょうか。
このブログでは以前も医療事故の問題をとり上げた際に、警察や検察の行き過ぎた捜査を批判してきました。問題の医師は事故発生後も病院での診療を続けており、逃亡や証拠隠滅の恐れがあったとは思えません。
例えば耐震偽装事件などへの対応と比べても、今回の処置は納得がいきません。

この胎盤癒着という症例の難しさは、分娩が終わった後でしか分からない、つまり事前に検査で分かっていて準備できる性質のものでないという点です。
ここからは想像に過ぎませんが、帝王切開で胎児を取り出した後に胎盤癒着が確認されたため、医師はクーパー(手術用ハサミ)で剥離を試みました。癒着が軽いものであれば、それで隔離できるのですが、この患者の場合は強い癒着であったため剥離に失敗して、出血により死亡させたものと思われます。
結果としては、子宮を全部摘出する(全摘)手術を施すのが正解だったと思われますが、帝王切開と子宮全摘手術とは違う施術となります。その当時の病院に、即応できる体制があったのかどうかが分かりません。
それと子宮全摘を行うと、その後の出産が不可能となりますので、医師としてはできるだけ避けたいという気持ちが働いたとも想像されます。事実、以前に子宮筋腫で全適を受けた患者が、医師を訴えたケースもありました。
今回の事件にしても、もし結果として軽い癒着だったのに子宮を全摘していたら、逆に患者の家族からクレームがつく可能性があったと思います。
つまり今回のケースは、結果としては医療ミスになってしまいましたが、業務上過失致死として刑事事件で逮捕されるような性格のものではない、これが私の意見です。

もちろん理想的には、いかなる処置に関しても、医療機関は常に最悪の事態に備えて体制を作り上げておくべきでしょうが、その負担は誰がするのか。
一方で医療費の削減が声高く年々叫ばれていく中で、その両立は可能でしょうか。
大都会や、地方でも都市部であれば、そうした体制を構築することは可能かも知れませんが、過疎地を含む全国至る所にそうした体制を作るには、今の医療制度を変えていかねばならない。
「小泉改革」とは正反対の政策を進めなければなりません。

今全国で産婦人科がない医療機関、あっても今回の福島県立大野病院のように、医師が一人という医療機関が増えています。
一人医師では、今回のような不測の事態が起きたときの対応には無理があります。
原因は採算が合わないのと、医療事故による訴訟が急増しているという事が背景です。同じ問題は小児科救急診療にも起きており、乳幼児の急病に対する不安は、都市部でも起きています。
大学側が今後一人医師の病院に医師を派遣しないとの方針を決めたとなると、今後ますます産婦人科の無い病院が増えていきます。

医療行為というのは、殆どが人手で行われます、である以上ミスは避けられないし、要は出来るだけミスが起きぬような体制作りが肝要です。
無論今回のような悲劇が繰り返されぬよう、ミスの原因と再発防止を医療サイドが検討することは必要ですし、ご遺族への補償も行わなければならない。
しかしそれは、医師を逮捕拘留し、刑事事件として処罰することとは別の問題です。

全国どこに住んでいても安心して赤ちゃんが産める、乳幼児が育てられる医療体制は、公費でまかなっていかねばなりません。これからの少子化対策としても、極めて重要な課題だろうと思います。
経済大国の我が国に、この程度の費用負担ができないことは無い筈ですし、こうした事に税金が使われることに対しては、恐らく多くの国民の納得が得られると思います。

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2005/12/18

ソウル大「黄」教授の「灰色」論文疑惑

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お隣の韓国で、ソウル大の黄禹錫(ファン・ウソク)教授の研究成果ねつ造疑惑が起こり、揺れています。何しろ黄教授は、クローン胚からES細胞を作ることに成功させた国民的英雄であり、ノーベル賞の期待も持たれていた人ですから、事は重大なのです。

ES細胞というのは、これからなんにでもなれる大元の細胞で、この細胞一つで、体を構成するあらゆる種類の細胞を作り出す能力を持っています。
例えば臓器移植が必要な患者の場合、自分自身の体からES細胞をつくり、そこから新たな臓器を作れる可能性がありますから、再生医学においては画期的な偉業でした。

黄教授チームのメンバーの研究員が、今年5月に米科学誌サイエンスに掲載された論文の写真が黄教授の指示でねつ造されたものであることを明らかにしています。
黄教授自身は、ES細胞は存在するとしながら論文は撤回するという意向であり、名前は「黄」ですが、研究成果は限りなく「グレー」のようです。

“だから韓国は・・・”などという声もあるようですが、日本も余り偉そうなことは言えません。
医薬の世界では、製薬企業が新薬を開発するために、治験や臨床試験を医師、病院などに依頼して、症例データの提供を受けています。
この際、治験を担当する医師が、データを企業の都合のよいように捏造する見返りとして、製薬企業から多額の謝礼や研究費名目での寄付を貰う、この手の話は後を絶ちません。
中には報告書自体、製薬会社の人間が書くことも少なくないそうです。
医学部教授が海外で行われる学会で論文を発表する際に、論文の執筆からスライドの作成、航空券やホテルの手配まで製薬会社やその代理店の丸抱えというのも、医学の世界では現実にあります。

今回の黄教授の疑惑も、こうした世界の反映なのかも知れません。

ES細胞疑惑とは直接関係無いかも知れませんが、私が以前から気になっていた研究分野での“悪習”について、触れてみたいと思います。
文系の方は良く知りませんが、理系の世界では論文あるいは書籍の著者と、実際に書いた人(ゴーストライター)が別人であることは、ごく日常的なことです。
私は、昔ある高名な大学教授が書かれた論文について、詳細を伺いに訪問したことがあり、その際教授から実際の執筆者を紹介されました。大学の場合は大抵教授のお弟子さんが書くようですね。
著者自ら、「実はボクも、細かな所は見てないので」などと言われ、唖然としたことがあります。

企業でも同じような事があります。
私が所属していた会社でも、在職中に博士の学位を得た人がいましたが、その学位論文の殆どを、部下に書かせていた人が少なくありません。
それで学位を取得しているのですから、ああいうのは「偽装博士」だと思うのですが、学会で問題になったと聞いたことがありません。
会社での職務発明でも同様のことが起きます。重要な発明ですと、発想した本人の上司の名前で特許を出願するケースだってザラでしょう。

著作権がうるさく言われている時代、こうした慣習は改める必要があると思います。
特に人の生命に係わる分野では、「偽装研究」「偽装論文」だけは是非御免蒙りたい。

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2005/11/25

「鳥インフルエンザ」への対応は冷静に

chicken
鳥インフルエンザの話題が、連日新聞やTVを賑わしています。
国の予想では、最悪の場合全国で3200万人の患者が発生し、17-64万人の死者が出るというのですから穏やかじゃない。
行政機関の立場からすれば、最悪のケースを想定し、ワクチンの確保や医療施設の点検を行うことは、必要なのでしょう。

世界保健機構(WHO)は、1997年の香港での発生直後から、トリインフルエンザの監視体勢を強化しています。
又現在世界各地で流行しているト鳥インフルエンザが、いつ新型ヒトインフルエンザになって、世界的な大流行を起こしてもおかしくないと警告しています。ここでも最悪の場合、世界で750万人が犠牲になるとの推定も行われていますが、私は多少眉に唾つけて聞いています。
この話になると、1918-1919年に2500万人の死者を出したスペイン風邪が引き合いに出されますが、当時と今とでは医療設備、医療技術、予防・治療薬など比較になりません。「結核は死の病」の時代の話を持ち出されても、という感じで聞いています。

実際に鳥インフルエンザにより、近年どの程度の犠牲者が出たのか、1991-2004年の統計を見てみたいと思います。
<1991-2004年の鳥インフルエンザ死者数>
1991-1996年 0名
1997年      香港:6名(幼児)
1998-2002年 0名
2003年      オランダ:1名(獣医)
2004年      タイ:8名、ベトナム:15名(推定)
過去の数字だけ見れば危険性は殆ど無視できますし、オランダの獣医の例を除けば、死者は全て特定の東南アジア地域に限られています。

この中ではベトナムの死者が目立ちますが、これはメコン・デルタ地域での鳥インフルエンザの発生が顕著なためです。この地域は、家族単位で多数のニワトリやアヒルの放し飼いが一般的で、しかも人々が広範囲に移動するために鳥インフルエンザウイルスが伝染しやすく、更に衛生管理も出来ていないことが、大きな要因と思われます。
もう一つ犠牲者が多い国で私が感じるのは、いずれも生きているニワトリをそのまま食肉として売っている地域に限られているということです。
そうした地域でも、鶏肉以外の食肉は日本と同じようにカットして販売していますから、鶏肉も同等の流通に乗せることは不可能では無いと思うのですが。
養鶏での衛生管理と、ニワトリと人間の接触の機会を減らすことが肝要です。

過去の経験からすると、専門家の警告というのは額面通り受けて良いのか、要注意ですね。
9・11テロ直後に多くのテロ問題専門家と称する人たちが、明日にも日本でアルカイダがテロを起こすようなことを連日TVで喋っていましたが、その後どうだったのでしょうか。
以前の「ミレニアム騒動」とか、今回の鳥インフルエンザの件もそうですが、専門家というのは、往々にして何かの意図を持って発言することが多いという点も、私たちは認識しておくべきでしょう。

必要な手は打つ、しかし徒に恐れたりパニックに陥らず、冷静に対処する態度が要なのではないかと思います。

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2005/05/21

これは「殺人事件」だろうか

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北海道羽幌町の道立羽幌病院で2004年2月、自発呼吸できない男性患者(当時90歳)の延命治療を中止し、死亡させたとして、北海道警は5月18日、当時の担当医だった道職員の女性医師(33)を殺人容疑で旭川地検に書類送検しました。
今回は、高齢の心肺停止状態で入院してきた患者が、意識が戻らず、医師が脳死と判断し、患者家族も同意の上、人工呼吸器を外し、死亡させたとのことです。
延命治療の中止で医師が刑事責任を問われるのは、全国でも多分始めてのケースだろうと思います。
この事例ですが、果たして殺人罪として立件するような、中身だったのでしょうか。

5月20日、与党の有志議員が、「脳死はすべて人の死」と定める臓器移植法の改正案を最終的にまとめ、法案を公表しました。一方、協議に加わっていた議員の一人は、現行法通りに「臓器を提供する場合に限って脳死を人の死とする」と定めるという、別の改正案を公表しました。両者はそれぞれ、与野党に呼びかけて議員立法としての法案提出を目指すそうです。
このように、脳死一つをとっても、その解釈は大きく分かれているのが現状です。

「延命治療の中止」については、以前横浜地裁判決が①回復の見込みがなく、死期が迫っている ②治療行為の中止を求める患者の意思表示か、患者の意思を十分に推定できる家族の意思 ③「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定-の三要件を満たすことが必要、との判断を示しています。

ここでいう自然死とは、どのような定義なのでしょうか。
法律上は、病気によるものを自然死、それ以外の死因がはっきりしない変死、自殺、交通事故などを事故死と、分けています。
生理学(正確な言い方かどうか分かりませんが)では、老化とともに回復力(生命力)が落ちてきて、バランス良く生命を全うしたとき、それを自然死と言い、きんさん、ぎんさんのような場合が、これに当てはまるそうです。
一方最近では、臨床的には、無駄な延命医療を中止して病気の成り行きに任せての死(いわゆる尊厳死)のことを自然死と呼んでいるようです。
「自然死」を取り上げても、その解釈はさまざまです。

「患者の意思確認」も同様で、意識不明の患者の意思など、誰も確認できません。
家族の同意とありますが、家族はどの範囲なのでしょうか。末期患者の場合、付きっ切りで看病している家族と、遠方にいて滅多に見舞いにも来られない家族との間で、意見の相違があることは珍しくありません。
そして同意の方法は、文書なのですか、それとも口頭で良いのでしょうか。“患者が死亡することに同意します”という文書に、果たして署名する人がいるのでしょうか。

「人の死」をめぐっては、現在あまりに問題が多すぎるのです。

医師は、患者の治療に全力をあげることが要求されますが、同時に患者家族とも向き合わねばなりません。長期になれば、看病による精神的肉体的負担や、経済的負担など、家族の事情もある程度考慮しなくてはならない。患者が苦痛に喘いでいれば、“先生、早く楽にして上げて下さい”という、家族も出てくるでしょう。

この事件の場合、脳死判定を担当医個人で行ったことには問題がありますが、家族の同意を得て人工呼吸器を外していますし、故意で人を殺した殺人事件とは、どう考えても馴染みません。
これを立件化した、北海道警の判断は、誤りだと思います。

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2005/04/05

玉にキズ

先日、ちょっとした手術をしました。日帰りの軽いものですが、一応腫瘍だったので、病理検査が必要らしいです。14日には結果が分かるそうです。病院での女医(実物は若くて美女;D)と患者の私(実物は定年過ぎのオッサン;P)とのやり取りを、コント風に書いてみました。今回は画像を出すと、法律違反になりますので、割愛しています。

D-どうしました?
P-先生、小豆大の腫瘍ができてるので、見て欲しいんですが。
D-場所はどの辺ですか?
P-実は、その、陰のうなんですが。
D-ああ、水戸黄門が持っている。
P-先生、それは印籠。私のは、陰のう、つまり玉袋ですよ。
D-ああ、そう。でも陰のうも印籠も、どちらも傍に黄門〔肛門〕がいる。
P-山田君、座布団2枚!
D-じゃあ、早速シタを見せてください。
P-ベー。
D-舌を出してどうするの。下よ。パンツを脱いで、そこに仰向けになって。
P-(モゾモゾと、ここで下半身を丸出し)
D-あら、意外に小さいのね。
P-先生、なんか言いました?
D-勘違いしないで。腫瘍が小さいと言ったのよ。
P-なら良いけど。何だか肉体的欠陥を指摘されたかと思いましたよ。
D-こりゃ、すぐ切りましょう。一応この手術承諾書にサインして。
P-なになに、陰のう腫瘍摘出手術。えらい大袈裟な名前ですね。
D-なんてことないのよ。先端をちょん切るだけだから。
P―先生、慎重にお願いしますよ。何しろ大事な場所なんですから。
D-ふん、どうせもう、お役ご免でしょうに。
P-先生、又なんか言いました?
D-それから、研究のために、患部の写真撮っていいかしら?
P-えー、ここを撮るんですかー。恥ずかしいなあ。
D-じゃあ、撮るわよ。ハイチーズ。
P-チーズって、どういうリアクションすりゃいいんですか。
D-準備できたので、今から手術を始めます。
P-麻酔はするんでしょうね?
D-しますよ、局部麻酔、なーんてね。
P-山田君、座布団1枚!
(30分後、無事終了)
D-終わりました。今度は手術後の写真、では、ハイポーズ。
P-だから、ポーズってどうすりゃあいいんですか。
D-切ったもの、念のため病理検査に出しますね。悪性かどうか調べるから。
P-悪性というのは、ガンですよね。なんというガンになるんですか?
D-こうガンかな。
P-ふざけないで、教えてくださいよ。
D-それなら、きんガン。
P-先生、真面目に。
D-まあ、いずれにしろ、直ぐには命に別状無いから。
P-今日切った所は、どうなるんですか?
D-切って縫ったんだから、傷は残るわよ。これが本当の玉にキズ。
P-山田君、先生の座布団、みんな持って行きなさい!

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2005/03/28

終末期医療―ある裁判から―

kawasaki何とも切ない事件で、何ともすっきりしない結末だなというのが、この裁判の印象です。今回は、少々深刻なテーマを採り上げます。
1998年に川崎共同病院に入院した気管支喘息の重症患者に、担当医師が患者への延命治療を中止し、筋弛緩剤を投与して死亡させたという事件の裁判です。医師と検察側、患者家族との見解は、真っ向から対立しました。医師は家族の要請と了解の下に行ったと主張し、検察側と家族は医師が勝手に判断して行ったと主張していました。
この事件が不可解なのは、患者が死亡して3年経って、しかも家族からではなく同僚医師の内部告発から、事件が表面化したことです。

この裁判は、回復の見込みの無い終末期医療と安楽死という重要なテーマをはらんでいます。
回復の見込みが無くて、激しい苦痛に絶え間なく襲われる患者に対しは、ある意味主治医と家族との間のあうんの呼吸で、延命措置が止められ、死を迎えるというのは、過去にはそれほど珍しい話ではありません。
入院が長期にわたれば、患者の苦しみ、付き添い家族の肉体的、経済的負担を全く無視は出来ません。患者の生命の尊厳と、どこで折り合いをつけるかという決断を迫られるのです。
そこに家族から、“先生お願いですから、楽にさせて上げて下さい。”と言われれば、医師としては、これは家族が死を覚悟していると判断するでしょう。しかし後になって、家族は了承していなかった、そんなつもりではなかったと証言されれば、法的には今回の裁判のように、殺人罪が適用されてしまう、これは医師の側からすれば、厳しい判決だと思います。

一方では、体中にチューブを巻かれて無理やり生きさせているといった、家族から病院の延命治療に対する苦情も良く聞かれます。医師が最善を尽くし、患者が一命をとりとめたが後遺症が残り、あの時死なせてくれたほうが良かったなどと、家族から嫌みを言われるケースもあるそうです。患者の延命について、家族や親戚間で、意見が対立することもあります。
家族側にも、建前と本音があるのです。

25日に出された横浜地裁の判決は、懲役3年執行猶予5年でした。終末医療での的確な診断と患者や家族との意思疎通を指摘した判決理由は、妥当なものでしょう。今後生命に係わることは、暗黙の了解やあうんの呼吸は認められないということになります。

高齢化社会を迎え、終末医療、病院の医療体制、尊厳死、安楽死の問題は、私たち一人一人が避けて通れない問題です。
今回の裁判は、こうした課題を社会全体につきつけたものとなりました。

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