医療・福祉

2020/04/27

Coverage gap between "new corona" and "seasonal flu"

According to Toshimi Yoshida (Tokyo Institute of Technology) in the Tokyo Shimbun dated April 6, about 10 million people in Japan are infected with seasonal influenza each year, and the number of related deaths reaches about 10,000. Regardless, he states that no declaration was made.
This number is far greater than the damage caused by COVID-19, which is now a big problem.
So why didn't the damage caused by seasonal flu become a big problem?

This issue has been mentioned several times in this blog, but I would like to consider the reason.
The reason may be that the damage caused by seasonal flu has been tolerated as "unavoidable".
It seems unreasonable, but I can't think of any other reason.
Therefore, the government and local governments did not announce the number of infected people every day, and the media did not report it.
Even if it were reported, people would not have shown much interest.
This caused a gap in coverage.
Building on the indifference of the people, the government has continued to implement policies to reduce the cost of infection research and reduce the number of hospital beds.
This is one of the factors that threaten the current medical collapse due to COVID-19 infection.
There is a high possibility that new virus infection problems will occur in the future.
In order to build a system to deal with it, we should be more interested in countermeasures against infections and damages such as seasonal influenza and medical systems.

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「新型コロナ」と「季節性インフルエンザ」との報道格差

4月6日付け東京新聞に吉田俊実(東京工科大教授)が、日本では毎年約1千万人の人が季節性インフルエンザに感染し、関連死者数が約1万人に達しているにも拘わらず、何の宣言も出されていなかったという意見を述べている。
この数字は、いま大きな問題となっているCOVID-19の被害に比べても遥かに大きい。
では、なぜ季節性インフルエンザによる被害は大きな問題にならなかったのか?
この件は、当ブログでも何度かとりあげているが、その理由を考えてみたい。

理由は、季節性インフルエンザによる被害は「仕方ないこと」として黙認されてきたからだろう。
理不尽なようだが、他に理由が思いつかない。
だから、政府や地方自治体が日々感染者数を発表することもなく、マスメディアが報道することもなかった。
仮に報道しても人々は大して関心を示さなかっただろう。
こうして報道格差が生じてしまったのだ。
国民の無関心に乗じて、政府は感染研究の費用を減らし、入院ベッド数を減らす政策をとり続けてきた。
この事が、今のCOVID-19の感染による医療崩壊の要因の一つとなっている。
今後、また新たなウイルスの感染問題が生じる可能性は高い。
それに対応する体制を築くためにも、季節性インフルエンザなどの感染や被害に対する対策や医療体制にもっと関心を持つべきだ。

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2020/03/10

新型コロナウイルスを「正しく恐れる」理由

新型コロナウイルス感染問題は常にトップニュースとして扱われ、ワイドショーなどでは朝から晩までこの話題にで持ち切りだ。
未知のウイルスであることに対する恐怖心に加え、政府の後手後手というよりは悪手悪手の連発で日本社会に混乱が拡がっている。
しかし、このウイルスの感染については既に各国政府や研究機関から公表がなされており、徒に恐怖を煽ったりオーバーリアクションにならぬよう注意することも必要だ。
今年1月に国内でも新型コロナウイルスの感染が大きな話題になっていた頃に、ある病院で5人の患者が院内感染による肺炎で亡くなった事が報じられていたが、新聞では小さなベタ記事の扱いだった。
人の命に軽重はない筈だが、その扱いの差には釈然としない気持ちが残った。
今では更に新型ウイルスの感染は大きな問題となっているが、冷静に見れば従来の季節性インフルエンザに罹るリスクの方が遥かに大きいのだ。治療法があるとはいえ、後述の様に毎年多くの人々がインフルエンザで命を落としている。

先ず、日本国内での過去の季節性インフルエンザの感染者数と死者の数の推移を見てみよう。
これについては厚労省のHPで次の様に示されている。
【質問】
通常の季節性インフルエンザでは、感染者数と死亡者数はどのくらいですか。
【回答】
例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。
国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。
また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。

ザックリといえば、日本国内では毎年
季節性インフルエンザの年間感染者数:およそ1000万人
同上 死亡者数:およそ1000人
同上 超過死亡者数(インフルエンザが原因で肺炎などで死亡):およそ1万人
というのが現状である。

下記に1950年から2010年までのインフルエンザによる死者数のグラフを示す(クリックで拡大)。
Deathbyflu
ここで2005年(SARSは2003年)のデータではこうなっている。
年間死亡者数:1818人
年間超過死亡者数:15100人
過去のデータから「感染者数=死亡者数X10000」とすれば、推定感染者数は1800万人となる。
この被害はパンデミックと言っても良い規模だが、全国一斉休校もなければテレワークも無く、イベントやスポーツの自粛要請は無かったと記憶している。人々は日常的な生活を送っていたことになる。
つまり過去には、この程度の被害は大きな問題とはされなかったという事だ。

次に、いま流行の新型コロナウイルスの現状を見てみよう。
3月9日現在の世界の感染者と死者は次の通り。
全世界 感染者108808人 死者3868人(致死率3.6%)
日本国内 感染者1216人 死者17人(致死率0.1%)
中国のみ 感染者80735人 死者3119人(致死率3.8%)
中国を除く 感染者28073人 死者749人(致死率0.3%)

WHOでは新型コロナウイルスの致死率を3.4%としているようだが、これは中国を含んでおり、中国を除けば今の所0.3%程度となっている。
また、少し以前の中国国内のデータでは次の様になっている。
中国全土 感染者20818人 死者563人(致死率2.7%)
湖北省を除く 感染者19665人 死者549(致死率0.3%)
中国国内でも湖北省を除けば致死率はおよそ0.3%となっており、前記の中国を除く全世界の数字と一致している。

話は変わるが、現在アメリカではインフルエンザが大流行していて、2019/10/1~2020/2/1の間で、感染者が約2200~3100万人、死者数が約1万2000~3万人となった報告されている。死者数からみて単なる季節性インフルエンザではなく、コロナウイルスの疑いも持たれているようだが、今のところ米国政府はこのインフルエンザに対しては特別な措置は取っていないようだ。

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2018/01/14

予防接種したのにインフルエンザだって

「(検査結果をみながら)陽性ですね。インフルエンザです」
「でも先生、去年11月末に予防接種したばかりですが」
「ああ、それでもインフルエンザにかかることがあるんです」
「でも、それじゃ予防の意味ないですよね」
「その代り症状が軽く済みますから」
38-39℃の熱が3日も続いているというのに、軽く済んでるって?
医者のいう事は正しいようだが、それなら予防接種の前にその事を伝えるべきでは。

お陰で、落語会と演劇各1回がパーになってしまった。
ヤレヤレ!

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2016/03/20

人は独りでは生きていけない

「図書」2016年3月号に、国際保健学が専門の山本太郎(アノ人ではありません)長崎大学教授の『人は独りでは生きていけない―受け継ぐもの、手渡すもの』という文章が掲載されている。
なんだか人生論みたいなタイトルだが、中身はヒトに常在している細菌のことだ。
近代医学は感染症が微生物によって引き起こされ病気であり、ワクチンや抗生物質によって制御できることを明らかにした。
抗生物質のお蔭で感染症で亡くなる人は激減したが、それがいま新たな問題を私たちに突きつけているというのだ。

人間というものはこれまで、一個の独立した存在と考えられてきたが、どうやらそれは間違いであるらしい。「私」は、実は「私」に常在する細菌とともに「私」を構成しているというのだ。こうした常在細菌叢のことを「マイクロバイオータ」と呼ぶのだが、「私」は「マイクロバイオーター」との相互作用を通して、生理機構や免疫を作動させ、「私」たちヒトを形づくる。
そうか、私たちは、私たちにくっ付いている細菌類とともに生きているのか。「さいきん」まで知らなかったなぁ。
そのマイクロバイオータだが、種類は1000種類を超え、数は数百兆個(WOW! ちなみにヒトの細胞の数は約60兆個)、総重量は数キログラムに達する。遺伝子総数は約300万個で、ヒトの遺伝子のおよそ30倍の数の遺伝子が、私たちの身体の中で常に発現している。
ウ~ン、数からいったら細菌がヒトに常在しているというより、ヒトが細菌に常在しているという方が近いかな。
その大事なマイクロバイオータが今、大きな攪乱に見舞われている。
・抗生物質の過剰使用
・帝王切開の乱用
・伝統的食生活の変化
によって、である。

マイクロバイオータを大まかに分類すると、三分の一が人類に共通で、三分の一が人種や地域に共通で、三分の一が個人で異なる。
そうした細菌叢は祖母から母、母から子、子から孫へと受け継がれ、3歳までに微生物の骨格相が決まる。
乳幼児期における抗生物質の過剰投与や帝王切開はその骨格を動揺させ、長く受け継がれてきた細菌叢の多様性を消失させ、希少だが重要な細菌(中枢細菌)の喪失を引き起こす。それが病気の発症リスクを増大させるらしい。
抗生物質がヒトの常在細菌叢へ影響することはなんとなく分かるが、帝王切開はどうなんだろう。少し難しいのだが、こういう事らしい。
妊娠中に母の膣内では乳酸桿菌が優位になる。出産とともにそれまで無菌状態だった児は、羊膜の破裂とともに膣内に存在していた乳酸桿菌と接触する。これによって母の細菌が児に移植される。人類は長くこの営みを繰り返してきた。児は、こうして新たな命を始めるために必要な細菌を獲得していたのだ。
ところが帝王切開の場合はこの過程を通らないため、児は乳酸桿菌と接触せず、母親の細菌が児に移植されないのだ。

ヒトに常在する細菌は決して偶然の産物ではない。祖母から母へ、母から娘へ、娘から孫へと受け継がれてきた長い進化の過程で、私たちはヒトに役立つ細菌を選択してきた。そうした細菌の喪失は人類にとって大きな損失となる。
一度失われた種や細菌が再び回復することはない。
細菌種の喪失は、私たちの身体の中の生態系を回復不可能にし、病気を引き起こす。
肥満や糖尿病、自閉症、食物アレルギー、炎症性腸疾患、ガンなど、いずれもここ30年で大きく増加した「現代病」と呼ばれる。
マイクロバイオータの多様性や、中枢細菌の喪失がその発症リスクを高めているというのだ。
もちろん、抗生物質や帝王切開は多くの命を救ってきた。問題はその乱用だ。

どうやら私たちは細菌とともに生きている、と言うよりは細菌によって生かされているらしい。
しかも遺伝子は人間とともに、細菌の遺伝子も脈々と受け継がれているというのだ。
考えさせられるなぁ。

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2013/08/10

「降圧剤データ操作」にみる「産学官」の癒着構造

製薬会社ノバルティスファーマの降圧剤「ディオバン」(一般名バルサルタン)の医師主導臨床研究で、同社の社員(当時)がデータ操作に関与した疑いが指摘されている問題で、同社が医師主導臨床研究を行った京都府立医科大など5大学に対し、2002-12年の間に11億円を超える寄付をしていたことが明らかになった。
大学ごとの寄付金額は、
京都府立医科大:約3億8170万円
名古屋大:約2億5200万円
千葉大:約2億4600万円
慈恵医科大:約1億8770万円
滋賀医科大:約6550万円
の順。
いずれも同社の医師主導臨床研究にかかわった大学で、臨床研究の主任研究者が主宰する研究室などに対して寄付したとしている。

ヤッパリ、というのが率直な感想だ。
製薬会社からカネを貰ったから、大学側がデータを改ざんし、効果があるような形で論文を書いたという、実に単純な話なのだ。
やれ元社員がどうの、元教授がどうのと責任を押し付けているが、それは違う。
こんなに多額の寄付を頂きながら、試験を依頼された薬品がまったく効果がありませんなんて結果が出せるわけがない。
もし効果が不明瞭なら、効果がはっきりするような条件に変更してテストする。
それでもダメならデータそのものをいじるしかない。
それで大学側も製薬会社も双方ハッピーになり、また来年からも継続して寄付が頂けるという寸法。
どこでもやってることだから、研究者も罪の意識に苛まれずにすむ。
製薬会社の社員が論文そのものを書くことだってそう珍しいことではない。

大学側にも事情はある。
研究には多額の費用がかかる。しかし十分な研究予算が確保できるわけじゃない。
教授側は学生に卒業論文や博士論文をまとめさせねばならないが、大学側からの研究予算だけではとても足りない。
実験機器や測定器というのはバカ高いのだ。しかも日進月歩、どんどん新しい機器が開発される。先進的な研究をしようと思えば、測定機器も最新なものが欲しい。
頼れるのは製薬会社だ。次々と新薬を開発しなくてはならないし、カネは唸るほどある。
ここで相互の利害は完全に一致するというわけ。

企業から大学への寄付は二通りあり、一つは使途を特定しない奨学寄付金方式で、もう一つは契約書で取り決めた使途にしか使用できない委受託研究契約方式に分けられる。
ノバルティスファーマ社は前者の方式をとっていたようだが、どちらを選択しても本質的な違いはない。

こんな実情、厚生労働省は百も承知、二百も合点。
見て見ぬふり、つまりは暗黙の了解を与えている。
厚労省は常に製薬会社の味方だ。経産省が電力会社の味方と同じように。
かくして治療効果のない新薬が次々に発売され、私たち患者は医療費を払いながら治験者にされているわけだ。

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2010/11/20

アテにならぬX線検査

今月始めにひいた風邪の症状がなかなか治まらず、15日(月)に病院で受診したところ、X線検査で異常がなく単なる風邪という診断で、安心していた。
ところが昨日その病院から電話があり、レントゲン写真を改めて呼吸器の専門医が調べ直したところ、「肺炎」と診断されたというのだ。とりあえず22日(月)に再度来院して欲しいとのことだ。
きく所によると、肺炎に限らずX線検査で医師が見落としてしまい、誤った診断をするケースというのは少なくないそうだ。
そのため、この病院では専門医が1週間分のX線写真をまとめてチェックしているのだそうである。

レントゲンの誤診では、長女にも苦い思い出がある。
生まれた娘にオムツをあてる際、脚の開きが悪いことに気付いた妻が股関節脱臼を疑い、小児科に連れていってレントゲン検査を受けた。
その結果、医師は娘の骨の状態には全く異常がなく、心配いらないという診断を下した。
数ヵ月後に妻が同じ病院の整形外科を受診したときに、医師にたまたま娘の脚の状態を話したところ、その時のX線写真を直ぐに取り寄せて、これは明らかに股関節脱臼なので直ちに治療をするようにと指示があった。
娘の場合、リーメンビューゲルという簡単なバンドを肩から足にかけてつるして直したが、それでも半年かかった。
もう少し発見が遅れれば、完全に直らなかった可能性もあったということで、子どもの将来にも係わりかねない。

私たち患者からすれば、医者がX線検査を見落とすなどということは信じ難いのだが、現実は決してそうでない。
誤診が分かっただけでも、幸いと思わなくてはいけないのかも。
そんなわけで、今日行く予定にしていた#104朝日名人会は断念、又しばらくは大人しくすることになる。

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2010/07/27

「電子カルテ」で医師が患者の顔を見なくなった

電子カルテがいま多くの医療機関で導入されている。
医師が診療の経過を記入するカルテだが、長い間、紙に書かれていた。
これを電子的なシステムに置き換え、電子情報として記録し管理するというのが「電子カルテ」の仕組みだ。一括してカルテを編集・管理し、データベースに記録する仕組みのことである。
厚生労働省の肝いりで推進されており、私の通う診療所でも1年以上前から導入され実施されている。
カルテの管理に必要なスペースと手間がなくなり、検査結果などがデータベース化されるので、複数の診療科にまたがって診察を受ける患者にとっては有効なシステムといえる。
処方箋もコピー&ペーストで書きこめるから、時間は短縮されるし間違いも減る。
一見、良いことずくめのように見えるのだが、ここに大きな問題が生じている。
それは、医師が患者を見ることなく、専らモニターと対話する状況が生まれている。

こんな具合だ。
「はい、〇〇さん、どうぞ」
と言いながら、医師はカルテと検査データが表示されているモニターを見ている。
そのままの姿勢で、「その後いかがですか」と訊ねてくる。
患者が病状を説明すると、それを医師はキーボードで入力する。もちろん、モニターから眼を離さない。
「検査結果ですが、特に問題はありません」と、これもモニターに向かって話しかけ、「それではいつもの薬を4週間分出しておきます。」と言いながら前回の処方箋をそっくりコピー&ベーストする。
「では次回は4週間後で、0月00日ですね。予約は午前10時でいいですか。」とここで処方箋と予約表を渡され、「では、お大事に」と帰される。
近ごろは聴診器をあてる医師などメッタにいないから、診察の間、医師が患者の顔を一度も見ずに終わってしまうことになる。
特に内科系の場合は、一日中医師がモニターとキーボードにかかりっきりになっていて、ただ患者だけが次々と入れ替わるような状況になる。

患者は医師に診てもらいたくて通うのだが、医師はモニターしか見ない。
キーボード入力に不慣れな医師が、どうしてもそっちの方に気をとられるのは止むを得ないだろう。
人は顔色を見ただけでも体調の良し悪しが分かる。
患者の顔を見ずに、果たして正確な診断が下せるのだろうか。
こいなると厚労省の指針に「電子カルテ運用にあたっては、医師は必ず1分間以上患者の状態を眼で観察すること」と書き加えねばなるまい。

電子カルテでもうひとつ心配なことは、これからはカルテの書き換え、改ざんが容易になるということだ。
医療ミスの係争で、患者が不利にならねば良いのだが。

【追記】
麻酔医をされている方から指摘があり、電子カルテの場合は時系列で記録されるため、カルテの改ざんは出来ないとのことでした。

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2010/05/31

股股「玉にキズ」

ちょうど5年前に切り取った「陰のう腫瘍」、つまり玉袋の先っちょの腫物だが、また出来てしまった。
同じ病院に行ったのだが、前回は若き美人女医だったのが、今度は男の医師。
なんだか見せ甲斐がないなあ。

「先生、なんで同じ場所にできたんですかね?」と訊くと、「まあ、たまたまでしょう」と気のない返事。
「玉玉、玉袋に股股」ってぇところなのかねぇ。
「印ろう」なら、水戸黄門。
「陰のう」なら、見ろ肛門。

「このまま放っておきます?」と、医者は明らかに投げやり。
どうせこれから使いモノになるわけじゃなし、というのが顔に表れている。
こっちも意地になって「前回と同じように切ってくれませんか」と言うと、「ええ、切るんですか。範囲が広いし周囲に血管が集まっているし、リスクが大きいですよ」と、やはりヤル気なし。
こっちがしばらく黙っていると、「そうしたら、取り敢えず焼いてみましょう」と言い出した。
ナンだ取り敢えずって、ビールじゃないぞ。

液体窒素をつかって、患部を焼いてしまおうというわけだ。
窒素ガスを-200℃以下に冷却すると液体になるので、要はこれを塗って低温火傷をおこして腫瘍を除去するというもの。
「じゃベッドに横になって、下半身は全部脱いで。看護婦さーん、こっちへ来て、はいソコをしっかり握ってて」と、なんだか恥ずかしいやら嬉しいやら。
これから液体窒素を塗りたくられたのだが、これが痛いこと痛いこと。
なにしろ男性にとって最も敏感なトコロですからね、そりゃもう呻いたね。
「ほー、真っ白になったね」と医師はまるで他人事。
仔細にみれば、小山に雪がかぶったような姿。
「これでダメなら切りますよ」という言葉を背中に、病院を後にした。

でも、その後がまた大変。
とにかく歩くとスレて痛むから、がに股でヨチヨチと歩くことになる。
座っても先端が床に接してやはり痛い。
寝ていると楽だが、そう一日中寝てばかりいられない。
痛みはおよそ5日間は続くそうなので、その間はジッとガマン。

ブログで他人様の悪口ばかり書いているのでバチが当たったんだな、きっと。

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2009/11/19

高齢者への家庭内虐待

読売新聞によれば、自宅で高齢の家族を介護する人の4人に1人は虐待をしそうになったことがあるそうだ。佐賀県内の大学や市町でつくる「高齢者虐待防止ネットワークさが」の調査結果だ。
また、介護施設・事業所で働く人の10%以上が虐待を目撃しているが、このうち40%近くは他人に知らせていないことも分かった。
2007年度、家庭で虐待を受けた高齢者は全国で13727人、そのうち7割が要介護認定者だという。
死亡に至ったのは27件というから、事態は深刻なのだ。
しかし、これらの数字は氷山の一角にすぎない。

2006年に高齢者虐待防止法が制定され、虐待の「おそれがある」と思われる段階で、地域包括支援センターへの通報できることが明示され、早期の発見と対処が図られている。
しかし家族と同居している高齢者への家庭内虐待は、明らかにされにくい。事実をつきつけても言い逃れされることが多いのだ。
これを行政の力だけでやろうとしても、所詮はムリがある。
さらに虐待を発見しても、家族に介入して虐待をやめさせることはとても困難だ。
いま住民の協力を含めた地域ネットワークを活用して、高齢者への虐待をやめさせる自治体の努力が求められている。

この点に関して山陽新聞が今年4月に、ある自治体での取組みを紹介している。
この自治体では、市内の小地域ケア会議を中核とした「高齢者見守りシステム」をつくり、そこを通してケアマネージャーや民生委員らから具体的な情報が寄せられる。
こうした活動を通して住民の理解も得ることができて、過去には年に1,2件だった通報が、このシステムができた以後の2006年度からは30件前後と急増したという。
寄せられた情報をもとに地域包括支援センターでは、社会福祉士が中心となって、虐待が疑われるケースについては更なる情報収集と確認作業をすすめる。
事実が確認され、かつ緊急性がある場合は、被害を受けている高齢者を家族から引き離し、あるいは施設に措置入所させるなどを行政が判断することになる。

行政を地域住民との信頼関係が築ければ、行政側も支援センターを窓口に迅速に対応できるようになり、家庭という密室を乗り越える力になるわけだ。
ただ、こうした自治体は全体的にみれば限定されるだろうし、支援センターがその機能を十分に発揮しているとはいえないのが実状だろう。
家庭内の虐待は、される方もする方も共に悲劇なのだ。
行政は一日も早く、こうした体制を構築できるように努力してほしい。

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