寄席・落語

2019/02/09

「西のかい枝 東の兼好」(2019/2/8)

第二十九回にぎわい倶楽部「西のかい枝 東の兼好」
日時:2019年2月8日(金)19時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<   番組   >
前座・三遊亭じゃんけん『初天神』
三遊亭兼好『看板のピン』
桂かい枝『尻餅』
~仲入り~
桂かい枝『首の仕替え』*
三遊亭兼好『明烏』*
(*ネタ出し)

にぎわい座恒例の「西のかい枝 東の兼好」、特にかい枝は東京での公演が少ないため、この会は楽しみにしている。

兼好『看板のピン』
今年で芸歴21年だそうで、20周年記念落語会を各地で開催するとのこと。明日のさいたま公演が皮切りだが、雪の予報が心配だと。雨で1割、雪で4割客が減るそうだから天候は大事なのだ。
興行は当たれば儲かるし、外れれば損する、博打みたいなものというマクラからお馴染みのネタへ。
この噺、何となく聴いていると気が付かぬが、振ってから伏せた盆の横に事前に仕込んでおいたサイコロのピンを上にして置くというのは、相当な熟達した技術だろう。ここに出てくる親分というのは、そうしたイカサマ賭博を渡世にしていたのだろうが、それを見た若い衆が簡単に真似が出来るとは思えない。
国立演芸場で聴いた遊喜の『看板のピン』では、若い衆が予め練習をしてから別の賭場にという風に説明していたのは、合理的かな。

かい枝『尻餅』
かい枝は英語落語が得意で、先日も外国人向けの落語という番組収録を行ったとのこと。この日も英語で小咄を演じてみせた。
東京でも演じられるこのネタだが、オリジナルの上方版はかなり際どくバレ噺に近い。前夜に夫婦が布団に入ると睦事の描写がある。尻餅の場面では尻をまくった女房の尻の穴を亭主が覗き込もうとする。餅つきの音を両手でリズミカルに響かせるのも上方版の特長だ。

かい枝『首の仕替え』
男が甚兵衛に、女にもてるにはどうしたら良いかを訊ねると、「一見栄、二男、三金、四芸、五声、六未通(おぼこ)、七声詞、八力、九肝、十評判」と教えたくれたが、男には何一つ該当しない。それならと甚兵衛は、医者の赤壁周庵先生の所へ行って、女にもてる首と取り替えてもらえと勧め、男は早速500円持って医者宅を訪れる。
診察室の棚には上からずらりと首が並んでいる。女にもてる首は一番上の歌舞伎役者の首だが、500万円だという。二番目の棚はアイドルだがこれも50万円でダメ。三番目の棚は野球選手でこのクラスでも10万円もする。
500円しか予算がないと聞いた周庵先生は、生ごみのポリバケツの中の首なら500円でいいと言う。男が中を覗くと、みな落語家の首だ。鬼瓦みたいな顔の松鶴、ホームベースの形の仁鶴、ヤーさんみたいなざこば、目だけ笑っていない兼好、どれも女にもてそうもない首ばかり。
中に一つだけいいのがあった。訊けば桂かい枝の首だという。男が気に入ったというので早速医者が手術をして男の首を付け替える。
喜んで帰ろうとする男に医者が料金を請求すると、
「あほらしい、前に回って見てくれなはれ、頼んだやつの首が変わっておます」 でサゲ。
古典なのか新作なのか分からないが、上方では色んな人が手掛けていて、付け替えの首が演者自身というのが特長だ。
役者やアイドルの所でトピックスを入れこんで演じる所が見せ場のネタ。

兼好『明烏』
兼好はこのネタを得意としていて、何度か高座に接しているが、一行が吉原に行くまでの所がちょっともたついて、出来はイマイチだった。明日からの記念公演で頭が一杯だったのかな。

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2019/02/06

国立2月上席(2019/2/5)

国立演芸場2月上席・中日

前座・立川幸吾『出来心』
<  番組  >
山遊亭くま八『魚根問』
ナイツ『漫才』
三遊亭遊喜『看板のピン』
丸一 小助・小時『太神楽曲芸』
春馬改メ
六代目三遊亭圓雀『花筏』
~仲入り~
神田京子『与謝野晶子』
三遊亭圓丸『天狗裁き』
江戸家まねき猫『動物ものまね』
三遊亭小遊三『引越しの夢』

国立演芸場2月上席は芸協の芝居、その中日へ。平日の昼席にも拘わらず一杯の入りだ。そのせいか、出演者は熱演が続き、サラ口からトリまで充実した高座を披露していた。

幸吾『出来心』
達者な前座だ。芸協も遊雀や談幸の入会は良い刺激になったと思う。

くま八『魚根問』
古典に独自のクスグリを入れたの口演だったが、洒落を言った後の「間」の空け方は感心しない。もっとリズム良く演じた方が楽しめると思うが。

ナイツ『漫才』
このコンビ目当てのお客も多かったようだ。
「沖縄でお神籤を引いたら『凶』しか出なかった」
「ほう、どうして?」
「これ以上、『吉(基地)』は要らない」
が受けていたが、ねずっちのネタだとばらす。
プロ野球のマニアックなエピソードを長々と話した後で、これが「寿限無」のパロディになっている仕掛けには感心した。

遊喜『看板のピン』
初見、噺家らしい噺家だ。看板のピンを披露する親分と、それを後から真似る若い衆の造形が良かった。

圓雀『花筏』
2016年に先代が死去した後を継いで、春馬から6代目三遊亭圓雀を襲名。芸協では昇太が十八番にしているが、より重厚な演じ方だ。身体が大きいので相撲ネタはニンか。

京子『与謝野晶子』
二つ目時代から注目していた女流講談師で、この日は与謝野晶子の半生を描いたネタだったが、上出来。読みの切れがいいし、押したり引いたりする呼吸も巧みだ。
落語とは異なり、講談や浪曲では優秀な女流が次々と現れてきて楽しみだ。

圓丸『天狗裁き』
初見、噺家らしからぬ男前だ。膝前にしては重たいネタかと思えたが手際よくまとめていた。男から何とか夢の話を訊きだそうとする女房、隣家の男、大家、奉行、天狗、それぞれの表情の作り方が巧みだった。

小遊三『引越しの夢』
大好きな夜這いの噺と、ネタに入る。
この噺の演じ方には細部に違いがある。
①通常は、女中はその気が無いのに、男の側が一方的に思いを掛けて夜這いを試みる。
②圓生の場合は、男たちに誘惑に女中が片端から色よい返事をしてしまうので、男たちは競って夜這いを仕掛けようとする。
③9代目文治の場合は、特定の男に色よい返事をして、その気にさせる。
いずれも実際に夜這いを実行するのは一番番頭と二番番頭で、小遊三は①の型だったが、もう一人若い奉公人が井戸の釣瓶にぶら下がるという演じ方。
小遊三の高座では、一番番頭が着物や帯をエサにして女中を口説く時のいかにも助平ったらしい表情が良かった。
こうしたネタは小遊三の様に大らかに演じるのが正解だろう。

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2019/01/30

「鯉昇・文菊」(2019/1/29)

にほんばし落語会「鯉昇・文菊 二人会」
日時:2019年1月29日(火)19時
会場:日本橋社会教育会館ホール
<  番組  >
前座・春風亭朝七『初天神』
古今亭文菊『湯屋番』
瀧川鯉昇『餃子問答』
~仲入り~
瀧川鯉昇『持参金』
古今亭文菊『二番煎じ』

当ブログの読者の方はご存知かと思われるが、毎年年末にその年に聴いた高座の中で特に優れたものを「My演芸大賞」と称して、大賞1点、優秀賞数点を数点選んでいる。傾向としては下半期に聴いたものが選ばれるケースが多いが、今年は1月の時点で既にいくつか候補作が上がっている。こいつぁ春から縁起が・・・というわけで、この日は久々に鯉昇と文菊の会へ。
あのトボケタ高座には偶に恋しくなるのだ。

朝七『初天神』
随分と老成した感じの喋りだ。神田の生まれよ、ってか。

文菊『湯屋番』
今年40歳になるそうだ。菊六の頃からあまり風貌が変わらない。毎度お馴染みの十八番。若旦那の妄想に出てくる妾が病的に色っぽい。
この人、マクラで育ちの良さを強調するが、およそ生活感が無いね。

鯉昇『餃子問答』
この日にマクラは「体温計」と「タミフル」、何度も聴いているが完成度の高さでいつも笑える。本当はお金持ちらしいが、この人の貧乏自虐ネタにリアリティを感じるのはやはり人柄(外見?)からか、あるいは師匠だった8代目小柳枝の影響か。
出身の浜松市が宇都宮と餃子日本一を争っているという事で、『蒟蒻問答』ならぬ『餃子問答』。「お前んとこの餃子の中身はこんなか?」「いや、一杯詰まってる」ってな調子。

鯉昇『持参金』
寄席に頻繁に足を運んでくれる客に理由を訊いたら、「落語協会は上手い人ばかりで眠くなる」と答えたとのこと。へりくだっているようでいて、実は皮肉かな。
10万円で妊娠10ヶ月の醜女を押しつけられた男、でも女の性格は良さそうだし、お腹の子の父親は分かってるし、けっこう幸せかも。

文菊『二番煎じ』
火の回りの一組は月番、伊勢屋の主人、黒川先生、辰つぁん、宗助さんの5人だが、文菊の高座はそれぞれの性格や月番との人間関係を丁寧に描いていたのが特長。「火の用心」の掛け声もそれぞれの個性を示して見せた。番屋に戻ってからの宴会も描き方が丁寧だったが、その分ダレてしまった感あり。
鯉昇から皮肉られそうだ。

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2019/01/27

国立名人会(2019/1/26)

第425回「国立名人会」
日時:2019年1月26日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳亭市若『道灌』
三遊亭天どん『初天神』
蜃気楼龍玉『もぐら泥』
林家種平『居残り佐平次』
―仲入り―
三遊亭歌武蔵『宗論』
翁家社中『曲芸』
五街道雲助『火事息子』

こういう会はいきなり真打が登場してくるので、前座はもっと上手い人を選ぶべきだろう。

天どん『初天神』
いかにも天どんらしく古典をひねって、男親と息子の買い物は全て長屋の中という設定。天神がでてこない初天神。最後は上方落語の『鷺捕り』に似た展開だった。天どんの高座は今まで数回観てきたが、この日初めて面白いと思った。

龍玉『もぐら泥』
龍玉らしい丁寧でリアルな仕草で演じた。ただ、滑稽噺を演じる時はもっと「軽み」が欲しい。

種平『居残り佐平次』
高座で出会うのは2度目で、前回は軽い新作ものだったのであまり印象に残っていない。
結論から言うと、なかなか結構な高座だった。
こうした大ネタは、どうしても演者に力が入ってしまい熱演になりがちだが、種平は終始軽く演じてみせた。そうか、この噺は主人公の佐平次の様に風が舞うごとく演じるのが本寸法なのかも知れない。
若い衆にお勘定とせっつかれれば、その場その場で適当な事を言っては煙にまく。
居残りになれば、あちこち座敷を渡り歩いては小遣い稼ぎ。
おまけに、借金を棒引きにして自宅に帰るようすすめる見世の主人には大ウソこいて、金と着物をせしめる。
終いには、「おれは居残り商売の佐平次てんだ、よく覚えておけ!」なんて凄んで見せる。
こうした捉えどころのない人物象を、種平はそのまま演じ、年輪を重ねた芸を見せてくれた。

歌武蔵『宗論』
ネタを並びを意識してか、お馴染みのマクラを長めにふってネタへ。
かなりオリジナルを戯画化していて、終りも、浄土真宗とキリスト教の喧嘩の仲裁に入った番頭が「この壺を買えば幸せになります」でサゲた。

雲助『火事息子』
数ある落語の中でも、勘当した息子と両親の再会を描いたのはこの噺ぐらいではなかろうか。
息子と再会して手放しで嬉し泣きする母親に対して、最後までこみあげる感情を押し殺し息子に接する父親の心情を、雲助は見事に描いて見せた。

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2019/01/25

『文七元結』での金銭貸借関係

落語の『文七元結』は人情噺で、最後は皆がハッピーとなる作品ですが、この噺を金銭の貸借という側面だけから見ると、どうなるでしょうか。

最初に吉原の大見世「佐野槌」の女将が長兵衛に50両を渡します。その際に期限を設けて返済すべき事と、もし返済できない時は娘のお久を店に出す、つまりは花魁として働かせると言明していますので、これは「担保貸付」になります。
もちろん女将は長兵衛の改悛を促し、真面目に働く様にという意図があったのですが、貸付にあたってお久という担保を取っているので、返済の有無に拘わらず損失は発生しない仕組みになっています。

次に吾妻橋の上で身投げしようとした文七を長兵衛が諭し、持っていた50両を文七に渡し自殺を思いとどまらせますが、これは長兵衛から文七への「贈与」になります。

文七から事の経緯を聞いた鼈甲問屋「近江屋」の主人は、「佐野槌」の女将に50両を渡し、担保だったお久を返して貰います。つまり債務者の長兵衛に代わって「第三者返済」を行ったわけです。
次いで「近江屋」の主人は文七を伴って長兵衛宅を訪れ、50両を渡そうとします。長兵衛としてみれば、前日の50両は文七に贈与したのだから受け取れないと拒否します。
これに対して「近江屋」の主人は、50両は文七への貸付だったので返済は当然だと説得し、文七に代わって長兵衛に50両を返し長兵衛もこれを受領します。これも「第三者返済」です。
その後、担保が解除されたお久は自宅に戻ります。

以上の様にこの噺の結末により、長兵衛-「佐野槌」の女将-文七の間の金銭の貸借は全て解消されます。
唯一、「近江屋」の主人が「佐野槌」の女将に対して、長兵衛の債務を「第三者返済」した50両だけが一方的な支出と言えます。
しかし、
・長兵衛の善意により奉公人の文七を失わずに済んだ。
・もし文七が自殺してしまったら、50両のために奉公人を死なせてしまったという噂が立ち、店の看板に傷が付いた。
という点を考慮すれば、50両の出費は決して高くなかったでしょう。鼈甲という贅沢品を扱う「近江屋」にとっては、店の信用が何より大切ですから。

結局、『文七元結』では金銭的にも全ての人がハッピーに終わりました。
ただ、娘が戻り手元には50両が残った長兵衛に再び油断が生じて、博打の虫が起きないかと、それだけが気がかりです。

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2019/01/21

歌舞伎『人情噺文七元結』(2019/1/19)

『人情噺文七元結』
日時:平成31年1月19日(土)午後6時 
会場:国立劇場大劇場
出演:第23回伝統歌舞伎保存会「研修発表会」

1月19日、朝日名人会の有楽町から三宅坂国立劇場に移動。
落語ファンには毎度お馴染みの『文七元結』の芝居を観劇。この日一日だけの公演なので少し無理した。
『人情噺文七元結』は1902年 10月東京歌舞伎座で,5世尾上菊五郎が初演。三遊亭円朝の人情噺を榎戸賢治が脚色したもの。
歌舞伎の世話物として上演が繰り返されてきたが、当方は初めて。
今回は研修発表会ということで若手の芝居、音楽も黒御簾だけという簡易版だ。

歌舞伎版では落語と比較して名称がいくつか異なる。
長兵衛宅 本所達磨横丁⇒本所割下水
吉原の見世 佐野槌⇒角海老
長兵衛と文七の出会い 吾妻橋上⇒大川端
文七の奉公先 鼈甲問屋「近江屋」⇒小間物屋「和泉屋」

場割は次の様で、落語と同様だが、落語にある文七の奉公先での場面がなく、最後の長兵衛宅の場面で50両紛失の経緯が説明される。
・本所割下水左官長兵衛内の場
・吉原角海老内証の場
・本所大川端の場
・元の長兵衛内の場

歌舞伎版もストーリーは落語と同様だが、いくつか細かい点で違いがある。
・娘のお久が吉原に向かうのは昼間
・お久が吉原に身を寄せた理由は、長兵衛夫婦の喧嘩が原因で夫婦別れするのではと危惧したこと。
・吉原の見世での長兵衛への説諭では女将だけでなく、お久の役割が大きくなっている。
・見世の女将が50両をお久の手から長兵衛に渡す。その時にお久は長兵衛に博打を止めるよう念を押す。
・長兵衛は50両を財布でなく、手拭いに包み腹掛けに仕舞う。
・50両の返済期日を来年の3月末としている(期限が短すぎる様に思えるが)。
・文七が主人と共に長兵衛宅を訪れ50両を返す際に、長屋の大家が居合わせて双方をとりもつ役割をする。
・長兵衛は最終的に50両は受け取るが、酒の切手は辞退する。これはお久と博打と酒をやめる約束をしていたからだ。
・お久が戻った時に長兵衛は再び50両を返そうとするが、大家に止められ思いとどまる。
・長兵衛宅で、文七が分家して元結屋を開くことと、お久との婚礼を決めてしまう(未だ手代の文七をいきなり分家させるのは有り得ないと思うが)。この場で、文七とお久は互いに一目惚れしているという設定。

落語なら30-40分だが、芝居だと休憩を含め約90分だった。
全体的な印象でいえば、やはり落語の方が断然面白い。
この日は若手の芝居だったので技量の問題はあるかも知れないが、想像する芸である落語の物語を絵で見せるのは無理があるようだ。
『芝浜』でも同様で(歌舞伎では『芝浜革財布』)、芝居はあまり面白くない。
やはり落語は落語で聴くべきという事だろう。

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2019/01/20

朝日名人会(2019/1/19)

第186回「朝日名人会」
日時:2019年1月19日(土)14時
会場:有楽町朝日ホール
<  番組  >
柳家喬の字『千早ふる』
三遊亭萬橘『堪忍袋』
柳家喬太郎『偽甚五郎』
~仲入り~
古今亭文菊『七段目』
入船亭扇遊『鼠穴』

今年初めの朝日名人会、4人の真打がそれぞれの本領を発揮し、充実した会となった。

喬の字『千早ふる』
今秋、真打に昇進するにしては物足りなさを感じた。

萬橘『堪忍袋』
高座に上がっただけで会場の空気が一気に温まる萬橘、いつもの自虐ネタのマクラから本題へ。
このネタは5代目小さん、3代目金馬、8代目柳枝らでお馴染みだが、萬橘の高座もそうだったが、最近の演じ方は少し変わってきている。
先ず夫婦喧嘩の原因が単純なものではない。例えば女房が、亭主に子どもを銭湯に連れて行ってくれと言うと嫌味を言われると怒る、仲裁に入った大家が、それは尤もだと亭主を叱ると、この夫婦には7つを頭に8人の子どもがいる。それを仕事から帰ってから銭湯に連れていって世話をすると言うのがどれほど大変な事かと亭主が言うと、大家もその通りだと思う。かほどに夫婦喧嘩というのは、それぞれの言い分がある。こんな風だから、仲裁には堪忍袋を使わせるしか手が無いのだ。
サゲも従来の型とは異なり、夫婦に堪忍袋を借りた商家の嫁が姑に対して「クソババア、死ね!!」と絶叫し、袋が一杯になる。処が、その姑が病身で重篤だということで商家の番頭が袋を借りて行くと、姑の前で袋がはじけ袋の中に入っていた嫁の「クソババア、死ね!!」を聴いた途端に姑が元気を取り戻す、というサゲだ。
推定だが、このネタを上方落語に移したものが東京に逆輸入されたと思われる。
この日一番受けていた。

喬太郎『偽甚五郎』
初めて聴くネタだった。神田愛山という講談師がネタを提供し、喬太郎が落語にまとめたものらしい。
ある男が、高野山に母親の遺髪を納める途中に山賊に襲われ身ぐるみ剥がれた所を源兵衛門という人に助けられ、居候することに。職業は大工で名前を甚助というこの男、毎日酒を飲んではぐーたらしている。源兵衛からは、同じく居候している大工の名人がいるから、少し見習えと言われる。
ある日、甚助が良い酒の匂いを頼りに離れに近づくと、そこには左甚五郎が源兵衛から頼まれた鯉を彫っていた。源兵衛は盛んに感心しているが、甚助はその彫り物を見て「この鯉は死んでいる」と酷評する。
怒った源兵衛は、それなら甚助に鯉を彫ってみろと命じ、5日後に鯉を彫り上げる。
二つの鯉の彫り物を比べると、甚五郎が彫った鯉は見るからに立派だが、甚助のものは貧弱だった。しかし水に入れてみると甚五郎のものはプカプカ浮くだけだが、甚助のものは本物の鯉と見まごうばかり。
ここに至って偽の甚五郎は頭を下げ、「自分は師匠に破門になって放浪してる者」と素性を明かし、甚助にあなたこそ甚五郎に違いないと言う。源兵衛も今までの失礼を詫び、鯉の彫り物のお礼にと50両を本物の甚五郎に渡す。甚五郎はその金の一部を偽甚五郎に渡し、これから一生懸命に仕事に精進するよう諭す。
この話が近郊近在に噂で広がり、村人だけでなく旅行者までもが鯉の彫り物を一目見ようと集まってきた。
その中の一人が「この鯉は死んでいるな」と呟き、サゲ。
今も有名人を騙った詐欺がある位だから、情報が乏しい昔は偽物がかなり横行していただろう。甚五郎を騙って大金をせしめようとした者を本物が見破るという趣向もよくあるストーリーだ。この噺がよく出来ているのは、その本物さえ偽物かも知れないと匂わせて終わっている所だ。ここは完全に喬太郎のオリジナルの様で、ストーリがより重層的に仕上がっている。
前列で寝息を立てている客の様子さえアドリブで噺に取り入れる巧みさが光る高座だった。

文菊『七段目』
噺そのものより演者の芝居の所作が見せ所のネタで、どの様な演目をどう演じるかだ。文菊は12世市川團十郎の声色の物真似を披露したが、タイムリーだった事もあって大受けだった。
一つ一つの所作が丁寧で綺麗、良い出来だった。
ただ、あのちょいと嫌味のマクラは何度も聴かされると飽きる。そろそろ再考した方が良いのでは。

扇遊『鼠穴』
この噺、陰惨な所があってあまり好きではないのだが、そう感じさせないのは扇遊の人柄か。例えば圓生が演じる竹次郎の兄は本当に冷酷な人間に見えてしまうのだが、扇遊だと最初から弟思いの優しさが感じられるのだ。田舎から江戸に出てきて人に言えない苦労を重ね成功した人間だからこそ持っている冷徹さと、弟を一人前にしようとする優しさを併せ持つ兄の姿が描かれて好演。
充実の会のトリに相応しい扇遊の高座だった。

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2019/01/18

落語の夢

昨日は鈴本演芸場の夜の部に行く予定にしていた。
昼食をすませた後しばらくして、ついウトウトと居眠りをしまった。
そうしたら、妻が「あんた、また落語に行くの?」と訊くから、「ああ」と答えた。
「今年は落語に行く回数を減らすって約束したじゃない」
「えっ、そんな約束したかな」
「もう忘れてるの、ちゃんと守ってよ」
「分かった」
何せ妻には逆らわない主義だから、この日の鈴本へは断念した。

妻が突然、「ねえ、時間大丈夫なの?」と言うから、「なにが」と答えると、「遅れちゃうわよ」と言うのだ。
「お前が行くなと言っただろう」と言いかけて、気が付いたのだ。
そうか、さっきのは夢だったのか!
妻に言ったら、大笑いされてしまった。
「そりゃあんた、今日は行くなという夢のお告げよ」
そう言われて、時間も過ぎていたので鈴本には行かずじまいとあいなった。

夢と現実の区別がつかなくなっちゃ、これはいよいよ痴呆の始まりかと。
同じ夢でも、落語の『夢の酒』の様な粋な夢だったら良かったのにね。

お粗末さまでした。

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2019/01/16

鈴本正月二之席昼の部(2019/1/15)

鈴本演芸場正月二之席昼の部・中日

前座・春風亭与いち『牛ほめ』
<  番組  >
春風亭一花『黄金の大黒』
ダーク広和『奇術』
鈴々舎馬風『漫談』
柳亭市馬『雑排』
米粒写経『漫才』
林家正蔵『鼓ヶ滝』
古今亭菊之丞『替り目』
のだゆき『音楽パフォーマンス』
隅田川馬石『時そば』
─仲入り─
ホンキートンク『漫才』
柳家小ゑん『ミステリーな午後』
入船亭扇遊『狸賽』
林家二楽『紙切り』
春風亭一之輔『二番煎じ』

ここ数年は新春の定席は鈴本の二之席からスタートとしている。昼の部は代演がなく三平が出演しない中日を選んだ。開場前から長い列が並び、客席はほぼ一杯の入り。

ダーク広和『奇術』
正月らしく和服で登場。相変わらず技術的には優れているのだろうが、視覚的には分かりづらい芸だ。特に床の上での手品は、後方の人は何をしてるか分からないだろう。

市馬『雑排』
気が付けば久々だった。3代目金馬や柳昇のものとは異なり、オリジナルと思われる俳句を入れて聴かせてくれた。短い時間だが高座を締めたのはさすがだ。

米粒写経『漫才』
初見。ネタは良く練られていて面白かったが、ハングル語ネタをあんまりやりすぎると、レイシズムに陥るかも。節度が必要かな。

正蔵『鼓ヶ滝』
時間が短かったため端折り気味だったが、一席にまとめていた。

菊之丞『替り目』
得意の酔っぱらいネタで、ワッと笑わせる職人技。この人が出てくると場内が華やぐ。

馬石『時そば』
何となく可笑しい。翌日のソバ屋の屋号が「虎屋」だったのと、通常は「いま何時だい?」「へい、4つです」の所を「5つ」にしていた。確かに翌日の男は早くからソバ屋を待っていたという設定だから、「5つ」の方が自然かも。

ホンキートンク『漫才』
ハングル語ネタは米粒写経とかぶってしまった。予め立て前座に確認すべきだったのでは。ボケ役の不自然な動きや大声が相変わらず無粋だ。

小ゑん『ミステリーな午後』
後席の扇遊が、同い年なのにいつも若いと言っていたが、いつも元気一杯の高座だ。サラリーマンの昼食格差のネタだが、パワーで笑わせる。

扇遊『狸賽』
柳家のお家芸ともいうべきネタを堅実に。

二楽『紙切り』
お題は「ムーミンの桃太郎」「成人式」。

一之輔『二番煎じ』
先代柳朝の豪快なお上さんの話をマクラに振って、ネタはこの場で考えた様子だった。
この噺の聴き所は次の様だ。
①暖かい番小屋から外に出た時の寒さの表現。
②火の回りをする中で「火の用心」の掛け声をかける場面で、謡や俗曲、吉原での火の回りの再現など、各人の芸を見せる。
③外から番小屋に戻り、焚火で身体を温めるまでの動き。
④酒を酌みかわし猪鍋をつつき合う中で、お互いが和気あいあいとなってゆく様子。
⑤酒宴が進み、都々逸の廻しっこを始める場面。
⑥見回りの役人に気付き、慌てて酒器と鍋を隠す場面。
⑦役人との珍妙なヤリトリの後、役人が酒を飲み猪肉を食べてから、サゲまで。
一之輔の高座はよけいなクスグリは一切挟まず、極めてオーソドックスに演じた。同時に上記の聴かせ所はきちんと抑えていた。
例えば、猪鍋のネギを食べる場面での柔らかなネギと固めのネギの食べ分けや、役人が煎じ薬として差し出されたものを一くち口に含んで、小さくニヤリとする表情が良い。
役人が何かを訊ねるたびに、「それは、この宗助さんが」を繰り返す所も定石通り。
結構でした。

一之輔を見始めてからおよそ10年経つが、この人がこれからどこに着地していくのだろうか、楽しみだ。
もっとも、こっちの方が何年もつかだけど。

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2019/01/11

落語「一目上り」の「亀田鵬齋」とはどんな人

落語好きな方なら「亀田鵬齋」という名に聞き覚えがあるだろう。
そう、寄席に行くと日に一度は誰かが高座にかけるお馴染みのネタ『一目上り』の中に出てくる名だ。

『一目上り』という噺は、男が隠居の元を訪ね、掛け軸の書画に目を止めると、「しなはるるだけは堪えよ雪の竹」と書かれている。隠居はこういう書画を見たら、「いい賛(三)だ」と褒めろと男に教える。
男は、大家を訪ね掛け軸を見せて貰うと、「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」とある、男が「いい賛(三)だ」と褒めると、大家は「これは根岸の亀田鵬斎先生の詩(四)だ」と言う。
今度は男は医者の家を訪れ掛け軸を見せて貰うと、「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売り、汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩をやすむ。柳は緑、花は紅の色いろ香。池の面に月は夜な夜な通えども 水も濁さず影も止めず。」とあった。男が「いい詩(四)だ」と褒めると、医者は「これは一休禅師の悟(五)だ」と言う。
ここで男は初めて気が付き、書画を褒める時は一目づつ上げるのだと判断してしまう。
そこで男は友人の家に行き掛け軸を見ると、大勢の人が小さな舟に乗っている絵が描かれていて、字を読んで貰うと回文で「ながき夜の とおの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな」とある。男が「いい六だ」と褒めると、友人は「なあに、七福神の宝船だ」でサゲ。

月刊誌「図書」2019年1月号の記事によれば、ここに出てくる亀田鵬齋は江戸時代の折衷学派の儒学者。「寛政異学の禁」によって儒官を追われ、以後は江戸下町に住まい子弟を授け、詩を書き書画を売って生計を立てていた。何より大酒を食らっては詩酒に優遊した人物として知られている。
幕府による思想統制に異を唱え、「寛政の五鬼」の一人で反骨の人だった。
落語に出てくる「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」という掛け軸も、鵬齋の販売品の一つだったのかも知れない。
「需侠」鵬齋は逸話に富んだ豪放磊落な人物として、江戸の町の人に人気が高く、酒の詩によっても名高い。
文化13年の江戸詩画人の酒徒番付で東の大関をはった大の酒飲みなので、酒を詠った詩が多い。
「我 渺茫たる宇宙の間を視るに 酣酔の外に取るに足る無し」
「吉野 竜田や墨田川 酒がなければ只のとこ 劉伯倫や李太白 酒を飲まねば只の人 よいよいよいよい よいやさあ」
(上記はいずれも漢詩の書き下し文)
と詠ってのけた酒人なのだ。
鵬齋は書家としても知られ、かの蜀山人が「音にきく大鵬齋か筆の跡」と讃えている。
鵬齋をめぐる逸話の中に、良寛との交流がある。書家で酒好きで反骨脱俗という共通点を持つ二人は、互いの人柄に魅かれたようだ。
良寛が、五合庵の傍に池を掘り、
「新池や蛙とびこむ音もなし」
と詠んだところ、鵬齋がそれを見て、
「古池やその後とびこむ蛙なし」
と返した。

落語『一目上り』を聴いたとき、亀田鵬齋先生の事を思い出すのもまた一興かと。

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