寄席・落語

2017/10/17

「扇遊・白酒 二人会」(2017/10/16)

「扇遊・白酒 二人会」

日時:2017年10月16日(月)19時
会場:日本橋社会教育会館ホール
<  番組  >
前座・桃月庵ひしもち『元犬』
入船亭扇遊『棒鱈』
桃月庵白酒『山崎屋』
~仲入り~
桃月庵白酒『浮世床(本)』
入船亭扇遊『鼠穴』

ここんとこ雨ばかり。
洗濯ものは乾かないし、スーパーで買い物をしても歩きだから重い袋を下げて来なくいちゃいけない。
いい加減うんざりだ。

さて、扇遊が言っていたが白酒との二人会は初めてとのこと。ありそうで無かった組みあわせ。
でも、白酒とは昨日も仕事で一緒だったけど、二日続けて見る顔じゃないと、扇遊から先制口撃。これも珍しい。

前座のひしもち、センスの良さを感じる。有望。

扇遊『棒鱈』
最近では文菊のを続けて聴いているが、扇遊の方は時間も短く、全体にあっさりしていた。それでも噺のキモは押さえており、こっちの方が江戸前と言えるかも
なお、噺の終盤で1階の料理人がこさえていたという「鱈もどき」だが、レシピにはこうある。
「豆腐に刻んだナッツやゴマなどを混ぜて海苔で巻いて一旦揚げる」
胡椒のことは書かれていなかった。
食べると鱈の味がするそうで、興味のある人はお試しあれ。

白酒『山崎屋』
圓生や彦六も演じていたが、なかでも3代目金馬の十八番。現役では白酒が頻繁に演じている。
マクラで吉原や、花魁道中についての説明があり親切。これが分からないと、サゲが意味不明になる。
それにしても、ここの番頭は相当なワルだ。
噺には出て来ないが、先ず花魁を身請けするのに、親許身請(おやもとみうけ)とはいえ請け代がかかる。
花魁道中をする位だから最上級の大夫だっただろうし、これに嫁入りの持参金300両を加えると、かなりの大金を帳簿で誤魔化すことになる。
大旦那は金銭に細かいという設定になっているが、なぜ番頭のドガチャガに気付かなかったんだろうか。
「親許身請」だが、芸者・娼妓に身を売った娘を親が金を払って買い戻すことを意味する。 請け代は安くなるそうだが、それでも相当な金額が必要になる事には違いはない。
白酒は若旦那と番頭との丁々発止を中心にして面白く聴かせていたが、いくつかミスがあったのは残念。

白酒『浮世床(本)』
本を読む男の表情だけで場内は爆笑。
このネタは白酒の顔芸で魅せるので、ライブで見るしかない。

扇遊『鼠穴』
陰惨なストーリーだが、扇遊の高座ではさほどそれを感じさせなかったのは、やはりこの人の人柄のせいか。
オリジナルの改変や、独自のクスグリを加えることなく、ひたすら真っ直ぐに演じるのが扇遊の特長だが、それでも客を惹きつけるのはこの人の芸の力である。

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2017/10/15

笑福亭福笑独演会(2017/10/14)

「福亭福笑独演会 十年目」
日時:2017年10月14日(土)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・笑福亭茶光『動物園』
笑福亭たま『バーテンダー』
笑福亭福笑『今日の料理』
~仲入り~
ゲスト・桂文治『掛取り』
笑福亭福笑『ちしゃ医者』

たま『バーテンダー』
舞台設定は文枝の『ぼやき酒場』に似ているが、新米のバーテンダーと客とのトラブルを小噺風につなげて一席にしたもの。酔客が同じ話を何度も繰り返したり、向かいの酒屋の配達員を客と間違えたりするところは『住吉駕籠』のパクリのようだ。
酔った客がグラスの中に吐いてしまったものを、間違えて他の客に出して、一口飲んんだ客が「なんだ、これは!」と怒ると、バーテンが「あちらのお客様からです」は秀逸だが、ちょいと汚いね。
でも受けていた。

福笑『今日の料理』
ルーチョンキ先生による中華料理の講座。作る料理はハチャメチャで、ツッコミが入ると「中国人、細かいこと気にしない」で押し通す。
料理を作りながら故郷の歌をと言って、ナポリ民謡を歌い出す。出来た料理が中華風五目炒めナポリターナ。
そして口癖が「腹に入ればみな同じ」。
全編これギャグ。
ルーチョンキ先生の「ワタシ・・・アルヨ」というのはゼンジー北京(日本人です)が使って一躍世間に流布した感がある。今ではネットで中国人を侮蔑する時に、常套句となっている。
実際の中国人が「・・・アルヨ」と言ってるのを聞いたことが無いのだが。

文治『掛取り』
先代文治のエピソードなどをマクラに本題へ。
狂歌の好きな大家との掛け合いだが、さっぱり面白くない。しゃべりのリズムが悪いのだ。
次の掛取りが寄席好きという設定で、ここから柳昇、彦六、桃太郎らの物真似を披露して、ようやく客席が沸いた。
久々に『源平』以外のネタを聴いたが、感心しない。

福笑『ちしゃ医者』
あらすじは以前に記事にしたものを引用する。
村人が急患だということでヤブ医者を訪れ、村人と医者の下男が医者を駕籠を乗せて患者の元に向かう。処が患者は既に死亡したということで、村人は急いで帰ってしまう。残された医者と下男が困っていると、通りかかった百姓が片棒は私が担ぐと申し出て二人は安心するが、その代りに駕籠の中で肥の入った桶を医者が両腕で抱える始末。駕籠が揺れる度に、桶の肥がチャポンとはねて医者の顔にかかり、医者は閉口する。
百姓は肥を汲むために立ち寄った家の婆さんに、肥を汲むお礼に何を呉れるのかと尋ねられる。「いや。今日は何もない。駕籠に医者がおるだけじゃ。」と返事する。「医者」と「ちしゃ」と聞き間違えた婆さんは、駕籠の中の肥桶に手をつっこんで中身を周庵の顔につけてしまう。怒った医者が婆さんを蹴り倒す騒ぎとなる。倒れ込んだ婆さんに息子が駆け寄り、医者を駕籠から引きずり出して殴りかかる。
「これ、何しゃさんす。痛いがな。」と医者。
「おのれは何さらす!母に足かけくさって!」と怒る息子を医者の下男が
「足でよかった。手にかかったら、命がないで。」
でサゲ。
福笑が上方でも最も汚い噺と言っていたが、その通り。
全編これスカトロジー。
「ウンコは誰もみな平等」なんて言いながら福笑はノリノリの高座で、客席は爆笑。

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2017/10/14

「白酒・文菊二人会」(2017/10/13)

第9回文京らくご会「白酒・文菊二人会」

日時:2017年10月13日(金)19時
会場:文京シビック小ホール
<  番組  >
桃月庵ひしもち『寿限無』
桃月庵はまぐり『やかん(序)』
桃月庵白酒『氏子中』
古今亭文菊『棒鱈』
~仲入り~
古今亭文菊『あくび指南』
桃月庵白酒『佐々木政談』

降りそうで降らないは、貧乏人の嫁入り(振袖振らない)。
降らないと思っていたら、降ってくる。全く始末に負えない天候だ。
こういう日は落語でも聴いてスカッといきたい。
白酒と文菊、同じ古今亭一門ながら芸風も体型も、そして恐らく育ちも対照的な二人の会に出向く。

白酒『氏子中』
マクラで総選挙の話題。しゃべってから、選挙中にこういうのはいけないかなと言いながら、マスコミが中立なんて言ってるが中立なんて有り得ないなどと持論をはいていた。
ネタのあらすじ。
商用で出かけた与太郎が2年ぶりに出先から帰宅すると、女房の腹が膨れている。
問い質すと女房は、日頃から子どもが欲しいと氏神の神田明神に毎日参ったゆえ授かったと、いけしゃあしゃあと話す。
親分に相談すると、留守中に町内の若い衆が女房の所へ入れ替わり立ち替わり出入りしていたので、心配していたと。
親分は言うのには、子供が生まれた時、荒神さまのお神酒で胞衣(えな=胎児を包む膜)を洗うと、必ずその胞衣に浮気相手の紋が浮き出る。
与太郎は女房の浮気を疑い、その相手を探そうと出産後、氏子連中を集めて胞衣(えな)を洗う。
そうすると胞衣に、「神田大明神」と現れる。
与太郎が胞衣を見ると、浮き出た文字が「神田明神」。
「そーれ、ごらんな」
「待て、まだ後に字がある」
というので、もう一度見ると「氏子中」
でサゲ。
類似の『町内の若い衆』が頻繁に演じられているのに対し、こちらの噺は風習が廃れたせいか、あまり演じ手がいないようだ。
白酒の高座は、何とか亭主を言いくるめようとする女房と、半信半疑の与太郎との掛け合い、とりわけその時々の与太郎の表情変化で楽しませてくれた。

文菊『棒鱈』
前方の白酒から今日は文菊が中心とプレッシャーを掛けられていたが、私は品が良いので白酒のような毒舌が吐けないとお返ししていた。
このネタ、先日も聴いたばかりだが、改めて文菊が描く田舎侍の相手をしている女将(推定だが)のリアクションの巧みさに感心する。
水商売の女性特有の仕草や喋り方をよく研究している。こういう所が腕の見せどこなのだ。

文菊『あくび指南』
筋の展開といい、あくびを教わる男の表情や仕草といい、亡くなった喜多八を思わせる。もしかすると、喜多八から稽古をつけて貰ったのかも。
特長は、男の目的があくびを指南してくれる美女が目当てだったのが、実は指南者は男でかの女はその女房だったことを知り、がっかりする所から始まる。
あくびに至るセリフが途中から吉原の花魁との妄想に脱線してゆく箇所は、古今亭流。
熱演だったが、もうちょっと江戸前に軽く演じた方が良いのでは。
客席に江戸の風を送れるかが、この噺のポイントだと思うのだ。

白酒『佐々木政談』
白酒の演じる四郎吉は、その小賢しさが良く表現されていた。
私が佐々木信濃守なら、こういうガキは取り立てないけどね。

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2017/10/08

三喬『らくだ』・喬太郎『双蝶々』(2017/10/7)

第23回「東西笑いの喬演」千穐楽
日時:2017年10月7日(土)18時
会場:国立演芸場
<  番組  >
『鼎談』山口一義、笑福亭三喬・柳家喬太郎
笑福亭三喬『らくだ』
~仲入り~
柳家喬太郎『双蝶々』

11年間、この会を主催して来られた「みほ企画」(代表・山口一義)だが、今回をもって終了となる。
こうした貴重な会がなくなるのはとても残念だし、続けて欲しいという要望もきっとあっただろうが、致し方ない。
落語会を継続的に主催するというのは、大変なご苦労があるのだろう。
今は感謝の言葉を申し上げるしかない。

明日から7代目・笑福亭松喬を襲名する三喬にとっても、この日が三喬としての最後の高座となる。
この日に掛けるネタは、大師匠・6代目松鶴、そして師匠だった6代目松喬の十八番だった『らくだ』。
対する喬太郎は、これまた大ネタの『双蝶々』の通し。

冒頭の『鼎談』で三喬が、永らく師匠の十八番である『らくだ』を演じて来なかったが、襲名を機にこのネタに取り組んだという。
稽古は弟弟子の笑福亭生喬からつけて貰ったとのこと。
師弟といっても芸風が全く異なるケースも多いが、襲名となると周囲からは先代の芸の継承が求められる。
襲名というのは挨拶回りや披露目だけでなく、そうした苦労もあるのだ。
司会の山口氏から、喬太郎さんの襲名は?と訊かれ、「師匠がまだ生きてますから」と切り返していた。この人が襲名するとなると談洲楼(柳亭)燕枝ぐらいしか思い浮かばない。長い間絶えていた大名跡だが、喬太郎か三三で復活させたらどうだろうか。

三喬『らくだ』
マクラで「らくだ」という綽名の由来の解説があった。
江戸時代、興行師が象を日本に連れてきて各地で興行をうった。象はあの巨大な体で色々な芸をするので人気が高く大当たり。
そこで、ラクダに目を付けた興行師が日本に連れてきてやはり興行をうったが、ただのそのそと歩き回るだけで何の芸当もない。散々の不評だった。
そこから、定職につかずただブラブラしている者を「らくだ」と称するようになったとか。
説得力のある説明だった。
このネタのタイトルはらくだだが、冒頭で既に死んでいるので活躍の場がない。主人公はらくだの兄貴分の弥猛(やたけた)の熊五郎と紙屑屋だ。
この熊五郎という男はやたら怖い。紙屑屋に月番を通して長屋から香典を集めるよう命じるが、断られたらドスを懐に一軒一軒回って歩くと脅す。
大家が酒と煮物の提供を拒むと、らくだの遺骸を紙屑屋に担がせて大家宅に乗り込み、自分はラクダを肩車にしながら足を動かし、紙屑屋にはラクダの腕を取らせて「かんかんのう」を踊らせる。
そうか、これは文楽のパロディなんだ。
以後は死人のかんかんのうを出すと、皆言うことをきく。それが紙屑屋にとって次第に快感になってゆく。
最初は熊五郎から強制的に飲まされる紙屑屋だが、飲むにつけ酔うにつけ次第に気持ちが大きくなり、先ず身の上話しを始める。
かつては表通りに一軒店を構えた身分だったのが大酒飲みが原因で没落し、裏長屋の貧乏暮らし。最初の女房は一人娘を置いて亡くなる。
仕方なく幼い娘を家に置いて商いに出かけるが、夕方になると娘が長屋の入口に待っていて、父親の姿を見つけると「お父ちゃん」と言って首っ玉に抱き着いてくる。
それで後添いを貰う事にしたが、継母にも拘わらず娘を実の子のようにかわいがってくれる。
毎晩帰ると遠くの酒屋まで女房を酒をかわせに行かせるが、雨風の強い晩に行くのを嫌がった。すると娘が替りに行くと言って飛び出し、全身ずぶ濡れになりながら徳利を抱えて戻ってきた。可哀そうだと思いながら、それでも酒はやめられないと嘆く。
見ると、目の前の熊五郎が肩を震わせ貰い泣きしてるではないか。紙屑屋は、
「あんたなぁ、言葉荒いけどな、あんたえぇ人やで。目ぇに情があるがな。」
この辺りから二人の立場が逆転してきて、
「こぉなったらわれも俺も兄弟分やないかい、気安ぅ兄貴、頼む、とゆえ。」
とまで言われる始末。
後半は、二人がらくだの遺骸を漬物桶に入れて担ぎ、火屋(火葬場)に向かう。
二人ともへべれけに酔っていたので、途中でつまずいてその隙にらくだの遺骸を落としてしまう。
気が付いて元に戻るが、途中で橋の袂に酔って寝ていた乞食坊主を間違えて桶に入れて火屋に着く。
そうとは知らぬオンボウが火の上に棺桶を乗せて焼き始める。
中で乞食坊主が熱いと言って騒ぎ出すと、
「おのれみたいなんはなぁ、大人しぃ焼かれてしまえッ」
「ここは、どこや?」
「ここは、千日の火屋じゃ」
「あぁ、ヒヤか、ヒヤでもえぇさかい、もぉ一杯くれ」
でサゲ。

三喬の高座は、紙屑屋と熊五郎の酒盛りの場面を中心に、二人の立場が次第に逆転してゆく過程を丁寧に描いて好演。
とりわけ紙屑屋の身の上話しの場面はしんみりと聴かせ、周囲に涙を拭く観客の姿も見えた。
社会の最下層に生きる人々の凄まじいばかりのエネルギーを感じさせていた先代松喬とは異なるが、スピーディでメリハリのある三喬の高座だった。

喬太郎『双蝶々』
「双蝶々」と書いて「じゅげむ」と読んでくれなどと、気楽な気持ちで聴いてと断ってからネタに。
ストーリーは、以前に書いたものをそのまま紹介する。
タイトルの「双蝶々」は芝居と同様で、登場人物の父親・長兵衛と倅・長吉の二人の「長」から名付けたもの。
棒手振り八百屋の長兵衛の倅・長吉は、小さいころから手に負えないワル。
継母のお光に小遣いをせびり、断られると大暴れ。酔って帰ってきた長兵衛には母親から虐められていると告げ口し、お光を殴らせる。
仲裁に入った大家が、長吉が普段から盗みをはたらいていると告げる。事実を知った父親は長吉を真っ当な人間にするため黒米問屋・山崎屋に奉公に出す。
奉公先で改心したかに見えた長吉だったが、十八のとき悪友と組んで盗みを働いているところを、不審に思って付けてきた番頭の権九郎に目撃されてしまう。
店に戻った番頭は長吉に盗みを白状させるが、主人には内緒にする代わりに、花魁を見受けする金五十両を主人の部屋から盗み出せと強要される。
まんまと金を盗み出すが小僧の定吉に見咎まれてしまい、その場で定吉を絞殺する。
約束の場所で長吉は番頭と出会うが、むざむざ金を渡すのが惜しくなり番頭を殺して奥州へ逐電する。
長兵衛夫婦は倅の悪事を知り、世間に顔向けが出来ないと長屋を転々とし、本所の裏長屋に越したころには、長兵衛は腰が立たない病になる。
貞女のお光はお百度詣りと偽って内緒で袖乞いをし、ようやく食い繋ぐ日々。
寒風吹きすさぶ中で袖を引いていると、一人の若い男が身の上を気の毒がり大金を恵んでくれる。
提灯の蝋燭の灯りで眼と眼を合せると、それが別れた長吉。今は石巻で魚屋を営んでいるが、一目父親に会いたくて江戸へ出てきていたのだ。
長吉はお光に連れられ父を見舞う。長吉は長年の親不孝を詫びて五十両という金を渡すが、長兵衛はそれよりきっぱりと悪事から足を洗えと諭す。
お互い言い争いになるが、長兵衛は最後は長吉をゆるし、涙ながらに今生の別れを告げる。
雪の降る中、長屋を去った長吉だったが、吾妻橋の手前で追手に取り囲まれ御用となる。

通常は後半の「雪の子別れ」で演じられることが多いが、この日は約1時間かけての長講で、「通し」で演じた。
全体の感想は、上手い人というのは何を演らしても上手いということだ。
声の強弱、高低からセリフの間、どれを採っても上手い!としか言い様がない。
殺しの凄惨な場面では固唾をのみ、父子の再会の場面では話に引き込まれた。
この噺は雲助やその一門、歌丸らが得意としているが、喬太郎の高座は彼らと比べても決して遜色のない出来だった。

三喬と喬太郎、共に渾身の高座を見せてくれた。

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2017/10/06

#74人形町らくだ亭(2017/10/5)

第74回「人形町らくだ亭」
日時:10月5日(木)18時50分
会場:日本橋公会堂
<  番組  >
前座・三遊亭まん坊『からぬけ』
柳家さん喬『肝潰し』
桂雀々『代書』
~仲入り~
三遊亭萬橘『看板のピン』
春風亭一朝『三井の大黒』
(全てネタ出し)

さん喬『肝潰し』
体調が悪いという男の所に兄貴分が見舞いにくる。聞けば原因は恋煩い、それも夢の中の美女に恋いしたのだという。往診に来た医者にこの事を告げると、このまま放置しておくと死ぬが、防ぐには亥の年の亥の月の亥の日の亥の刻に生まれた人の生き胆を食べさせるしかないと言う。
思案に困った兄貴分が自宅に戻ると、奉公に出ていた妹が休みを取って帰っていた。世間話をしているうちに、妹が亥の月日時刻が全て揃っていることを思い出す。どうしても弟分を助けたい男は、寝ていた妹を出刃で刺して殺し生き胆を取ろうとするが、寸前についつい涙を流してしまい、それが妹の頬にかかり目を覚ましてしまう。驚く妹に、兄は芝居の真似だったと言い訳をすると、妹は
「兄さんが出刃を持ってるんで、肝をつぶしたよ」
「それじゃ、薬にならねえ」
でサゲ。
元は上方の噺だが、近年では三遊亭圓生の名演で知られる。
なぜこの兄貴がそこまで思い詰めたのかというと、兄が10歳妹が5歳に時に両親を亡くし、物乞いをしながら酷い暮らしをしていた時に、患っている弟分の男の父親が二人を拾って育て上げてくれた。せめてその恩返しにと妹の肝を食べさせて弟分を助けようとしたのだ。
兄妹が昔の辛かった思い出を語り合う場面では、幼い二人が支え合って生きてきたことが観客に伝わり、憐れみを誘う。
さん喬は、こうした心情を描写するのが実に上手い。
このネタは、やはりさん喬だ。

雀々『代書』
これはもう解説不要でしょう。師匠・枝雀の芸を継承した雀々の十八番だ。
抜けているがやたら陽気な男と、生真面目な代書屋との珍妙なヤリトリに場内は終始爆笑。
上から目線だった代書屋が、抜けてる男に次第に振り回されてゆく過程が何とも可笑しい。
人物を戯画化させたら、雀々は天下一品だ。

萬橘『看板のピン』
周囲から尊敬されたのに誰も尊敬してくれないといういつもの自虐ネタのマクラから本題へ。
親分がサイコロを壺に入れる前に、指先で巧みに操って見せる。周囲の男たちはその技に「一つのサイコロがまるで二つにも三つにも見える」と感心する所がミソだ。確かに看板のサイコロを置くには二つ必要になるので、そこをどう誤魔化すのかがずっと疑問だったが、この日で解けた。
こうした点を萬橘はよく考えている。
看板のピンで一儲けしようとした男が仲間の所へ行くと、もんじゃ焼きの真っ最中。それをやめさせて強引にチョボイチを始めさせるのだが、これが決して蛇足にならず薬味のように効いている。
萬橘は古典を一ひねりする演じ方が多いが、この噺では成功していた。

一朝『三井の大黒』
ご存知左甚五郎もの。ただ甚五郎の性格付けは噺によって大きく変わる、共通点は酒好きということだけで、このネタに出てくる甚五郎は少々ボンヤリとした男として描かれる。
それでも仕事場で若い衆から下見板を削るよう命じられると、さすがにカチンと来てか、その日から棟梁の家の2階で寝たり起きたりの生活を始める。
こうした表には出ない心の動きをどう表現するのかが、演者の腕の見せどころだ。
一度は棟梁から上方へ帰るようにと言われるが、小遣い稼ぎに縁起物の恵比寿大黒でも彫ってみてはと言われ、甚五郎が越後屋との約束を思い出す。
これからの甚五郎は次第に名人の風格を表すようになってゆき、その佇まいから棟梁ももしやと察してゆく。
だから三井の番頭が自宅に訪れて甚五郎と分かった時も、さして驚かない。
一朝の高座は、こうした時々の人の心の動きを表現するのが巧みで、好演だった。

この会の趣旨からすると雀々や萬橘はやや異色の感もあったが、こうした顔づけも結構楽しめた。

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2017/10/01

#411国立名人会(2017/9/30)

第411回 国立名人会
日時:2017年9月30日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・林家彦星『元犬』 
三遊亭兼好『だくだく』        
春風亭勢朝『荒茶』        
伊藤夢葉『奇術』        
入船亭扇遊『妾馬』        
      ―  仲入り  ― 
林家正雀『真景累ヶ淵「水門前の場」』                    
 
兼好『だくだく』                    
不出来な前座で白けた客席を一気に温める。
マクラで最近の政局に触れ、選挙で投票した党がいきなり解散っておかしいと言ってたが、正論。「小池にはまって さあ大変」は流行ってるのかな。
男の引っ越し先は絵の上手い人の隣ではなく、間もなく取り壊しが決まってる長屋という設定。室内の壁に白い紙を貼るのを省いていたが、これは必要だろう。
泥棒が風呂敷を背負って逃げるつもりからはリズミカルに畳み込んでいて、サゲは少し変えていた。
兼好でいつも感じるのは、毎回楽しい高座だが、何かが足りないのだ。
巧みだと思わせるのだが、今一つ満足感がない。

勢朝『荒茶』        
元は講談の『関ケ原軍記』の中の『荒茶の湯』を落語にしたもの。筋は『本膳』に似ていて、『茶の湯』にも似た場面が出てくる。
地噺に近いので、ストーリーの間にクスグリやエピソードを挟んで語られる。勢朝らしい軽い運びで楽しませていた。

扇遊『妾馬』        
八五郎が大家から紋付袴を借りで、いったん家に戻りその姿を母親に見せてから大名屋敷に向かう。ここは後半の伏線になっており、とにかくこの八五郎は母親思い、妹思いの優しい男なのだ。
前半は端折って、後半の八五郎は酔って周囲の奥女中たちに妹をくれぐれも宜しくと頼んだり、妹のお鶴にはいい気にならず周りから可愛がって貰えと忠告したりと、気遣いを見せる。仕舞にはお鶴に対して孫の顔を柱の影でもいいから一目見せてあげてくれと涙を流しながら頼みこむ。
こういう優しい兄だから、お鶴も殿様との面会をねだったんだな得心。
扇遊の人柄が現れていた様な高座だった。

正雀『真景累ヶ淵「水門前の場」』 
ご存知三遊亭圓朝作の怪談噺で、明治から大正にかけて活躍した三遊一朝から8代目正蔵へ、そして弟子の正雀へと伝わる道具立ての芝居噺として演じられる。
マクラでこの噺が生まれた経緯が語られた。
圓朝が芝居噺の得意な2代目圓生から教わったネタを高座に掛けようとすると、その前に上がった圓生が先にそのネタを演じてしまう。やむを得ず圓朝は自分で噺を作り演じるようにしたところ、これが大当たりで人気を博した。その後圓朝は、病に倒れた圓生を自宅に引き取り終生面倒を見たとのこと。                 
三遊一朝から稽古をつけて貰った8代目正蔵と5代目今輔は、晩年の独居していた一朝を自宅に引き取り、半年交代で面倒を見ることにした。
処が一朝は正蔵の家から出るのを億劫がり、亡くなるまで正蔵宅にいた。約束が違うと怒った今輔は、8年間正蔵と絶交してしまった。
ある時、今輔がラジオで正蔵の正直さを褒めたところ、それを聴いていた正蔵が今輔に電話して仲直りしたという。
その昔の、ちょっといい話。
『真景累ヶ淵』は長編で、七人までの妻を呪い殺すと新吉を恨んだ豊志賀の死から、果てることなく続く血族同士の殺し合いの物語。
最も頻繁に演じられるのは『豊志賀の死』で、この日の高座も先ず『豊志賀の死』の粗筋が語られた。
豊志賀の墓参で出会った新吉とお久,その場で二人はお久の実家の下総羽生村へ駆け落ちする決心をする。
江戸を出発するのが遅れ、とっぷりと日が暮れた鬼怒川を渡ると,そこは累ヶ淵。
お久が,土手の草むらにあった鎌で足を怪我して動けなくなる。新吉が介抱しながらお久を見ると、それが豊志賀の顔。
新吉,思わず鎌を振い、お久を惨殺してしまう。
それを目撃した土手の甚蔵と新吉が格闘となるが.落雷の隙をついて新吉は逃げてゆく。
通称は『お久殺し』。
最後の場面で道具立てになり、正雀は芝居の役者のようなセリフ回しと仕草を見せる。
十八番とはいえ、正雀の高座は息も付かせぬ迫真の高座で観客を引き込んでいった。
是非、今後も芝居噺の伝統を絶やさすよう、後継者を育てて欲しい。

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2017/09/27

落語協会真打昇進披露興行「古今亭志ん五」in鈴本(2017/9/26)

鈴本演芸場9月下席夜の部「真打昇進披露興行」・6日目
<  番組  >
三遊亭伊織『大安売り』
松旭斉美智・美登『奇術』
鈴々舎馬るこ『東北の宿(温泉旅館?)』
古今亭志ん輔『替り目』
ホームラン『漫才』
古今亭志ん橋『不精床』
鈴々舎馬風『漫談』
林家二楽『紙切り』お題は「出目金」「古今亭志ん五(先代と当代)」
三遊亭金馬『孝行糖』
─仲入り─
『披露口上』下手より司会の志ん輔、権太楼、金馬、志ん五、志ん橋、馬風、市馬
ストレート松浦『ジャグリング』
柳亭市馬『蝦蟇の油』
柳家権太楼『代書屋』
柳家小菊『粋曲』
志ん八改メ
二代目・古今亭志ん五『子は鎹(子別れ・下)』

寄席に出る芸人の中で嫌いな芸人というのが何人(組)かいる。顔づけにその名前を見ると、行くのをやめることもある。
この日でいうと「松旭斉美智・美登」だ。
あの高座からキャンディを客席に投げる(ラケットで打つ)というのが嫌なのだ。「捕ってよ」とか「落ちたら拾ってよ」なんて言われると、
乞食じゃねぇや!
と言い返したくなる。眼にでも当たったらケガする心配だってあるのに。
別に菓子だけではなく他の品物でも、高座や舞台から客にモノを投げ入れることに不快感があるのだ。
子どもの時から他人から品物を貰うのが嫌いだった。それは今でも変わらない。
「サービス・マジック」を楽しみにしている方もいるだろうが、こればかりは個人の好嫌の問題なので仕方ない。

これと反対なのが、小菊姐さん。
「もー、どうしましょー。ねぇ、フフ。」なんてやられると、ゾクゾクしてくる。
この身を捧げてもいいという気分になるが、向こうは「要らない!」って言うだろうね。
この日は代演だったが、小菊姐さんの唄が聴けただけでシアワセ。

漫才のホームランが相変わらず好調。このコンビ、ネタ合わせせずに全てアドリブではないかと思わせる芸だ。

馬るこ『東北の宿(温泉旅館?)』、どちらのタイトルだか分からないので、両方書いた。
筋は、三遊亭白鳥の「マキシム・ド・のん兵衛」の温泉旅館版といった所。女性客には、この日一番受けていた。

金馬が先代の十八番であり、亡くなった志ん五の持ちネタでもあった『孝行糖』を掛けてくれたのは嬉しい。
『披露口上』で、権太楼がこういう顔ぶれで祝福して貰えるのは幸せだと言っていたが、その通り。師匠と司会者以外は皆古今亭一門以外の人ばかりだ。新真打への期待とともに先代を弔う言葉もあり、良い披露口上だったと思う。

それ以外は、毎度お馴染みなので、もういいでしょ。

さて、志ん五『子は鎹(子別れ・下)』
今秋の真打昇進は3人で、いずれも何度か高座に接しているが、やはりこの人が一番期待度が高いので、この日に来ることにした。
先日、久しぶりに志ん五(当時は志ん八)の高座を聴いた、上手くなったなぁと思ったが、この日の高座も同じ感想を持った。
先ず、セリフの一つ一つ、仕草の一つ一つが丁寧だ。これはとても大切なことだ。
一緒に木場に向かう場面で、番頭が「また元の鞘に納まる気はないかね?」と問うた時の、熊の寂しげな中にはにかんだ様な表情を浮かべる所が良かった。
熊が倅の亀吉に3年ぶりに再会する場面では、亀吉の弾けるような表情も良かった。その笑顔を見て熊もきっと縁りを戻す気になったに違いない。
亀吉が父親の熊に会ったと聞いた時の母親の驚きと、その直ぐ後の期待感が表情に現れていた。彼女は心から熊が好きだったんだ。再婚する気になったのも母子家庭の辛さから逃れるというよりは、熊への愛情が決意させたのだろう。こうして見ていくと、この噺は親子の愛情の物語の様に見えるが、実は男女の機微を描いたものだと思う。
熊と亀が鰻屋の二階で食事しているのを、母親が階段の下から何度も逡巡しながら見上げる仕草を繰り返す場面も良く出来ていた。
これで親子3人、また仲良く暮らせると確信し、心から拍手を送りたくなった。
新真打のお披露目に相応しい立派な高座だった。
結構でした。

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2017/09/25

桂米朝一門会(2017/9/24)

「上方落語会~桂米朝一門会~」   
日時:2017年9月24日(日)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >                    
桂小鯛『時うどん』        
桂歌之助『佐々木政談』
桂米團治『親子茶屋』        
  ―中入り―                     
桂吉弥『狐芝居』        
桂南光『火焔太鼓』

2日続けての国立、この日は上方落語会、米朝一門会。

歌之助『佐々木政談』
初見。東京でもしばしば演じられるが、民話の原話を3代目松鶴が創作したもので、元は上方落語。
もっとも主人公の佐々木信濃守は大阪と東京両方の町奉行を務めていたので、東西どちらでも成り立つ噺ではある。
筋は東京と同じだが、四郎吉が桶屋の倅という設定になっていて、これに因んだサゲがつくこと。
もう一つは、奉行の佐々木信濃守が与力たちの収賄横行に対し、四郎吉の裁きを利用してこれを咎めたという解釈になっていること。
単なる出世物語にしていない点が上方版の特長といえる。
歌之助の高座は、四郎吉の小賢しさがよく表現されていた。

米團治『親子茶屋』 
例によって偉大な父親を持った2代目の苦労を自虐的に語るマクラを振って本題へ。
この噺の難しさは船場の大店の主人で、一見真面目そうだが実は大変な遊び人という人物を描けるかだ。
これは米朝ぐらいにならないと、表現できないのかも知れない。茶屋遊び、女遊びの経験が身についていないと、無理なのかも。
以前に見た吉坊、そしてこの日の米團治の高座を見て、このネタには演者の年季や風格が要るのだと、改めて感じた。

吉弥『狐芝居』
このネタも前日に吉坊で見たばかりで、比較するにはもってこいだ。
感想を言うと、語りの確かさ、忠臣蔵四段目の忠実な再現という点では、吉坊に軍配があがる。
ただ、前の『親子茶屋』と同様に、こうした上方落語というのは芸に艶が求められると思う。 演者の色気や愛嬌だ。
こうした点、やはり吉弥に一日の長がある。       
落語に限らず全ての芸能について言えることだが、ライブでしか分からぬことが多い。音声や映像だけでは評価は下せないのだ。 

南光『火焔太鼓』
古今亭のお家芸ともいうべきネタの上方版、というより南光版か。
道具屋の主はかつてこの店の奉公人で、先代の娘に婿入りして後を継いだが、商売が一向に振るわず嫁さんに頭が上がらないという設定だ。
太鼓は木の枠に納められていて、その木枠に火焔の細工がされていることから火焔太鼓とよばれる事が、後からの説明で明らかにされる。
太鼓はかなり大きなもので、荷車に乗せて運ぶという点も東京とは異なる。
太鼓を買い上げるのは大名ではなく、大阪の大商人である住友の主人だ。     
太鼓の仕入れ値が1分で、売値が300両は東京と同じ。
300両を道具屋の主に払う際は、小判25両の包(切り餅)を2つセットにして50両ずつ渡すのは芸が細かい。
いくつかの差異はあるものの、大筋は東京のオリジナル通り。
サゲは付けずに、「夫婦仲良う繁昌したという、おめでたい話」でエンディング。
違いは、道具屋の主と女房との会話に笑いの要素が多く、いかにも南光らしい爆笑版になっていることだ。
マクラで、南光自身の夫婦のエピソードを語るが、これが本編への導入になってる所が巧みだ。

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2017/09/24

9月花形演芸会(2017/9/23)

第460回「花形演芸会」
日時:2017年9月23日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家小多け『たらちね』
三遊亭小笑『悋気の独楽』
ヤーレンズ『漫才』
昔昔亭桃之助『お絵かき教室』
古今亭文菊『棒鱈』
  ―  仲入り  ―
ゲスト・古今亭菊之丞『酢豆腐』
江戸家小猫『ものまね』
桂吉坊『狐芝居』

この会、チケットを取り損なって諦めかけていたが、3日ほど前にチェックしたら良い席が1席空いていた、僥倖。こんな事もあるんだ。

小多け『たらちね』
最近、前座というと必ずこの人に当たる。
二ツ目が近いようだが、それだけのの力は備わってきている。

小笑『悋気の独楽』
正妻がやたら怖くて、これじゃ旦那は本宅に寄り付かないわな。
旦那が出かける口実に寄席に行くとしていたが、それじゃ妾宅に泊まる時の言い訳が立たないだろう。ここは常法の様にお得意宅へ伺うとした方が自然だ。
小僧の定吉のしたたかさは表現されており、独楽の動きを目で追う仕草はよく出来ていた。

ヤーレンズ『漫才』
初見。自ら実力はあるが人気がないと言っていたが、確かに実力はある。
雑談風な会話の中で笑いを取るという、東京漫才の王道を行っている。
近ごろ東京でも奇声をあげたり大げさな身振りをする無粋な漫才師がいて、困ったものだと思っていたが、ヤーレンズは江戸前だ。
出来れば寄席で腕を磨いて欲しい。

桃之助『お絵かき教室』
初見、いかにも噺家らしい風貌だ。先ず顔で得してる。
変てこな絵画教室に体験入学したというストーリーで、この人絵が得意なんだろう、スケッチブックに絵を描きながらの高座だった。
噺の中身も練れており、楽しませてくれた。
古典の腕のほどは分からないが、面白い存在になりそうだ。

文菊『棒鱈』
高座に上がる姿、座布団に座りお辞儀する姿勢、ここから既に文菊の世界が始まる。声の調子が高く語りを固く感じることもあるが、そこでフッと息を引き取る按配が良いのだ。何より女性に色気がある。
襖一つ隔てた隣同士、片や職人の江戸っ子、もう一方は武骨な田舎侍の対比を鮮やかに描いて好演。
なお、田舎侍が唄う「琉球節(りきゅうぶし)」は鹿児島に伝わる俗謡なので、この武士は薩摩出身だということになる。

菊之丞『酢豆腐』
近ごろ東京の高座でもやたら『ちりとてちん』が掛かるが、安易である。東京は『酢豆腐』でなくっちゃ。
夏の昼下がりの若い衆の埒もない会話や、若旦那の「こんつわ」や「すんつぁん(本当は「しんちゃん」)」が東京の世界なのだ。
いつも通りの軽妙な高座だった。

小猫『ものまね』
アタシは祖父、父とも3代の高座を見ているが、語りは別にして物真似自体の技術は、この人が最も優れていると思う。
研究熱心なのに感心する。

吉坊『狐芝居』
ストーリーは、売れない大部屋役者が侍の恰好で旅をしている。峠の茶屋で余計な時間を費やし、山中に入る頃には深夜になってしまう。木につまずいて提灯の灯りも消えて困っていると、稲荷のすぐ横に芝居小屋が見えた。興味津々で中に入ると、舞台では仮名手本忠臣蔵の4段目、判官切腹の場の真っ最中。
舞台を照らす灯りが狐火だと分かり、役者は狐芝居に迷い込んだ恐怖を感じるが、それより芝居への興味が先に立つ。
舞台は進んでいよいよ判官が腹を切るのだが、ミスなのか肝心の由良助が出て来ない。これじゃ芝居にならないと、くだんの役者、幸い侍の恰好をしているのでと、急遽花道から由良助役で登場する。
舞台は無事に進行していくが、遅刻してきた本来の由良助役が舞台に別の由良助がいるのに驚く。他の連中も異変に気付き、フンフンと鼻を嗅ぎながら別の獣の臭いがすると分かる。途端に芝居小屋がそっくり消えてしまう。
くだんの役者は、夢かと思いつつ、実際には叶えられなかった由良助を舞台で演じることが出来た喜びに浸る。
そこでポンと一つひっくり返ると、一匹の狸が草原に消えていった。
この噺の難しさは、忠臣蔵4段目をほぼ通して高座で演じることにある。通常の『蔵丁稚(四段目)』では、由良助が駆けつけ、判官が待ちかねたというセリフで終わってしまうのだが、この後が結構長いのだ。
ここを持たせるにはよほどの力量が要る。
芝居噺を得意とする吉坊の面目躍如。
小佐田定雄作で、師匠・吉朝の十八番であったネタを見事に演じきった。
アタシは今年度の花形演芸大賞は、たま、吉坊のいずれかと睨んでいるのだが、どうだろうか。

充実の会、結構でした。

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2017/09/18

扇辰・喬太郎の会(2017/9/17)

第71回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2017年9月17日(日)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・柳家寿伴『道具屋』
入船亭扇辰『さんま火事』
柳家喬太郎『二十四孝』*
~仲入り~
柳家喬太郎『すなっくらんどぞめき』
入船亭扇辰『緑林門松竹(みどりのはやしかどのまつたけ)』*
(*ネタ下ろし)

毎回人気で前売り完売のこの会、この日も3連休の中日に加え台風接近というコンディションにかかわらず満員御礼。
処で、安倍政権は来月にも衆院解散、総選挙の実施を謀っているとか。国民には北のミサイルで日々危機感を煽っていきながら、その裏では選挙準備かね。ということは、それほど怖がらなくても良いという事か。
本当に危機なら、敢えて政治空白を作るはずないもんね。

扇辰『さんま火事』
得意の『目黒』の方ではなく、こちらのネタ。
長屋の裏に住む地主がひどくケチで、しかも何かと長屋の連中に迷惑をかける。こないだも地主の娘が前の空き地に簪を落としたので、拾った人には多額の礼をするという。空き地は雑草が生い茂っているので、長屋の連中は総出で草刈りをしたが、簪は見つからない。後で聞いたら、草刈りをやらせるための嘘だったと分かる。万事がこんな具合で、腹の虫が収まらない連中が集って大家を訪れ、仕返しの知恵を借りる。
大家は、それなら長屋全員で秋刀魚を焼いて、団扇で扇いで煙を地主の家に向かわせ、大声で火事だ!と叫ぶ。地主の商売が油屋だから、きっと慌てるに違いない。それを見て皆で笑ってやろうという。
喜んだ長屋の連中は、長屋18軒七輪を並べて秋刀魚を焼き始めた。
この騒ぎに地主も最初は驚くが、煙が秋刀魚からだと分かると、早々に飯の支度。「この匂いを嗅いで、おかずにして食べてしまおう」。
紙切りの初代林家正楽の創作。
蒲焼の煙をおかずに飯を食うという小噺によく似ている。
扇辰の高座は、地主からこんな酷い目にあったと訴える長屋の衆のドタバタぶりが良く出来ていた。

喬太郎『二十四孝』
この日がネタ下ろし。
筋はほとんどの方がご存知だと思うが、二十四孝の故事の引き方やサゲが演者によって異なる。
先ず故事の方だが、喬太郎の高座は王祥の鯉、孟宗の筍、郭巨の釜掘り、呉孟の蚊の4種類だった。
サゲは、男が呉孟の真似で全身に酒を吹きかけようとしたが、ついつい自分でみな飲んで、そのまま寝込んでしまう。
朝起きると蚊の食った跡がないので、男が喜んで「婆さん見ねえ。天が感ずった」。
婆さんが「当たり前さ。あたしが夜っぴて団扇で扇いでいたんだ」でサゲ。
未だ完全に入っていないせいか(呉孟の名前がなかなか出なかった)、おそるおそる演じているようで、喬太郎らしさが出ていなかった。
しかし今後磨いてゆけば、立派な持ちネタになり得ると思わせる高座だった。

喬太郎『すなっくらんどぞめき』
ネタ下ろしから解放されて、見違えるようなハイテンション。今冬に予定している初めての欧州公演や、11月に自らが主演する舞台『スプリングハズカム』のエピソードを嬉しそうに語っていた。
ネタは、古典の『二階ぞめき』の吉原を、かつて池袋駅地下にあった”スナックランド”に置き換えたもの。
ネタそのものよりも、喬太郎の池袋愛、蘊蓄、トリビアの披歴の方が面白かった。
いかがわしさも町の魅力の一つなのだ。

扇辰『緑林門松竹』
ネタ下ろし。
三遊亭圓朝作の長編で、その発端にあたる『医者秀英の家』の口演。
根津七軒町の医者・秀英宅に奉公人として、信州の田舎者というふれこみで入り込んだ新助市。秀英がおすわを妾に囲っていると知った新助市は秀英の妻に、秀英が妻を毒殺して妾を本妻になおす事を計画していると嘘の話しを持ち掛け、毒薬譽石の在り処を聞き出した上、妻を殺害する。
今度は妾宅にとって返し、秀英に妻が間男していると嘘を言い、自宅に連れ出した所で、秀英を毒殺してしまう。
二人を殺して金を奪った新助市は、いずこかに姿をくらます。
とにかくこの噺、登場人物は悪者ばかりで、それが延々と殺人を繰り返して行くというストーリーなのだ。
演じ手が少ないのは、ストーリーがあまりに陰惨だからだろう。
扇辰の高座は、それぞれの人物像を明確に描いていて、相変わらず完成度が高い。これならいつでも再演可能だろうが、口演の場は限られるかも。

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