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2024/08/23

「落語みすゞ亭」の開催

8月23日付「東京新聞」に「落語みすゞ亭」に関する記事が載っていた。
タイトルの通り、詩人・金子みすゞの作品をテーマにした落語会の様だ。
「金子みすゞ記念館」の館長である矢崎節夫によれば、「どの詩もちゃんとオチがある。みすゞの詩は落語だとずっと言い続けてきた」とのこと。
下記は代表的作品「大漁」。

 朝焼け小焼だ、 大漁だ
 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。
 
 浜は祭りの ようだけど、

 海のなかでは 何万の、
 鰮(いわし)のとむらい するだろう。

先ず詩が起承転結になっていることに気づく。そして最後にオチと、噺の形式を整えている。
オチも芝浜のセリフ「おっと、また夢になるといけねえ」を想起させる。
出演者の一人・柳家小満んは、みすゞの全作品512編を小咄にしたそうだ。82歳、まだまだ元気ですね。
当日は落語1席と、矢崎節夫との対談を予定している。
もう一人の出演者・春風亭柳枝は、亡くなった三遊亭圓窓の創作落語「みんなちがって」を口演する。
みすゞ最後の一日をテーマにしたもので、しんみりとした内容だそうだ。
昨年、関係者がこの噺を誰かに引き継いで貰いたいと思っていて、金子みすゞの展覧会に柳枝が訪れたのを機に、話が実現したとのこと。
恐らくネタ下しになるのだろう。
公演は9月28日午後7時より、会場は文京シビックホール・小ホールにて

2024/08/18

柳亭こみち「女性落語家増加作戦」

月刊誌『図書』8月号に、柳亭こみち「女性落語家増加作戦」の記事が掲載されている。
柳亭こみちの略歴は以下の通り。
社会人の経験を経て
2003(平成15)年 柳亭燕路に入門 前座名「こみち」
2006(平成18)年11月 二ツ目昇進
2017(平成29)年09月21日 真打昇進
高座名は大師匠小三治の「小」と師匠燕路の「路」を合わせ「こみち」から
漫才師の宮田昇と結婚し現在2児の母
2007年に現在の蝶花楼桃花が前座で出た時に、上手い女流が現れたと思いつつ、だけど「落語家は女に向かない職業」と書いて、本人からコメントを頂いた。
今日、女流落語家の活躍を見た時、いささか忸怩たる思い。
柳亭こみちが記事の中で、落語協会では約300人の噺家がいるが女性は20人と圧倒的少数。
女性が少ない理由として次の点をあげている。
1修行時代が大変
2結婚したら辞めざるを得ない
3落語という芸能が女性向きではない
1は、男女共通なので問題ない。
2は、かつて女性落語家が生まれては消えていったのは、結婚すると辞めていったからだ。こみちが結婚したころは、周囲から疑問の声があったそうだが、今はそんな空気はない。
この辺りは一般社会と同様の傾向だ。
問題は3で、女性が男性の役をどう演じるかだ。
こみちがあげているポイントは、技術と姿・体。
声は、男性演者以上に地声と、登場人物らしい声を意識的に作り出すこと。これは稽古によって訓練するしかない。
高座姿は男性以上に気を使う。着物、髪型、身体の使い方だ。例えば手を動かす際に、女性は指が細いので女性っぽく見えてしまう。
やはり、噺の中に女性が出てくるものの方が演じやすい。そういう演目を選んで演じたい。
落語に出て来る女性パターンは、妻・母、妾、花魁・芸者、幽霊。その他は端役ばかり。
その為に、古典落語を女性が主人公になるよう改変してゆくことを試みている。
例えば「らくだの女」「おきんの試し酒」「そばの清子」などで、「船徳」なら乗客を女性にするとか。
その場合、大事にしなければならないのは、「古典落語の空気」だ。
これからも女性が演じやすい演目、女性がやってこそ説得力がある噺を作っていきたいと、こみちは結んでいる。

2024/08/05

『百年目』の補足、番頭の金遣いについて

『百年目』の番頭が、芸者幇間を引き連れて屋形舟を仕立てて豪勢な花見の宴を催したのは、前回の記事に掲載した通り。
ここで幇間や芸者たちが番頭を名前で呼んでいる。つまり花街ではお馴染みの客であること。
花見について、当初は少人数で行う予定が噂を聞きつけた芸者たちが次々と集まり大人数となった。日頃から番頭は花街で相当な金を遣っていた証拠だ。
番頭は駄菓子屋の二階に箪笥を置き、遊びに行くときは着替えて行っていた模様。仕事帰りにちょっと寄るなんてもんじゃなくて、本格的な遊び人風情だ。
これらの原資はやはり商売、それもかなりの規模の取引をせねば得られない金額になると推定される。とても番頭のポケットマネーで済む規模ではない。
大旦那は花見で偶然に番頭と鉢合わせして豪遊ぶりがバレタのだが、今までの番頭の行状に全く気付かなかったとしたら、経営者として管理が不十分だったというしかない。
大旦那にそうした負い目があったからか、番頭の行為を頭から叱責せず穏便に済ませたという可能性もあるのでは。

2024/08/04

落語『百年目』、残された疑問

落語『百年目』は上方落語の大ネタとされ、演者には相当な力量が求められる。
東京でも6代目三遊亭圓生らの口演があるが、このネタだけは上方、特に桂米朝の名演が飛びぬけている。
難しいのは大旦那の「腹」で、特に最後の場面で番頭を説諭する際の風格が出せるかがポイントだ。
ストーリーは、大店の一番番頭は堅物で知られ、今日も今日とて部下の奉公人たちに一通り小言を言ってから得意先を回るといって外出する。
ところが、番頭は特別誂えの高価な着物に着替えて、芸者、幇間を連れて屋形舟を借り切り豪勢な花見に出かける。
扇子で顔を隠していたが、酔って「鬼さんこちら」をやっている最中に、偶然花見に来ていた店の大旦那と鉢合わせ。信用は丸つぶれ。
悪くすればお暇(解雇)、30年間奉公してきた努力がいっぺんに水泡に帰すとしょげかえった番頭。
翌朝、大旦那に呼び出されビクビクしていると、大旦那は一晩かかって帳簿を調べたが一切穴が開いてない。
つまり、番頭は自らの甲斐性で稼いだ金を使ったということになる。
これからは番頭だけが楽しむのでなく、奉公人たちにも露を下すように、上司と部下は持ちつ待たれたでゆくよう諭す。
「それはそうと、あのとき何で『長らくご無沙汰してます。』て、長い事会うてないような言い方したが、どないしたのじゃ」「顔見られて、『しもた、これが、百年目』と思いました。」でサゲ。

一件落着と言いたい処だが、さてこの番頭はどんな甲斐性で金を稼いだのか、という疑問が残るのだ。
番頭が芸者幇間含めを10数人を連れて、屋形舟一艘を貸し切り花見に繰り出すとなると相当な金額になる。
とてもじゃないが、奉公人である番頭のポケットマネーで賄える金額ではない。
番頭が何らかの商売、それも店に内緒で商売し利益を得ていたに違いない。
恐らくは勤務時間中に商売をしたのだろうから、本来は店の売上や利益に繰り入れるべきものだろう。
であれば、番頭の行動は商家のコンプライアンスに著しく違反したことになる。
もし商家の経営者が、奉公人にこうした個人的な取引を許していたなら、経営は成り立たず、店は潰れる。
大旦那としては、今回の件は大目に見ることにしても、番頭に二度と繰り返さぬようクギを刺すか、あるいはいっそ暖簾分けをして本家の経営から切り離すか、いずれかの選択が必要だったではと思う。
露を下すという大旦那の懐の深さには感心するが、経営者としてはどうなんだろうか。

2024/08/02

柳家さん喬が落語協会会長に

報道によれば、この6月に「柳家さん喬」が落語協会会長に就任したとのこと、協会のニュースを見逃していたようだ。
前任の会長・柳亭市馬の5期10年の後を受けての就任だ。
極めて順当な人事というよりはむしろ遅すぎの感さえある。
この25年ほど、協会の寄席を支えてきたのは柳家さん喬と柳家権太楼だ。
そりゃ、小三治や小朝といった人気落語家もいたが、彼らは寄席に出演する機会が限られたいた。
そこいくとさん喬と権太楼は常に二人どちらか、あるいは二人揃って寄席に顔付けされていた。
お盆興行では、さん喬と権太楼が交互にトリと中入りを務め、番組の眼玉にしていた。
二人が踊ることもあったが、さん喬は踊りの名取りだけあって上手い。この人の所作が綺麗なのはやはり舞踊で鍛えられたいるからだろう。
さん喬は人情噺が得意とされているが、私はどちらかというと浅い出番での短い滑稽噺が好きだ。
例えば「徳ちゃん」は、さん喬らしいユーモアに包んでいて楽しめる。
弟子の喬太郎の人気に嫉妬したことがあると本に書いていたが、こういう事を公表するのもさん喬の率直な人柄のせいだろう。
会長としてどんな色を出すのか楽しみだ。

2024/07/09

大瀬うたじの訃報

大瀬うたじ(おおせ・うたじ、本名藤沢能仁)が7月6日に脳幹出血のため死去した。76歳だった。
訃報では漫談家という紹介だが、寄席フアンにとっては、漫才師の大瀬ゆめじ・うたじ時代の記憶を思い出す。
ゆめじが駄ジャレを言うが、うたじはそれがシャレであると分からず、テーマに関する薀蓄を述べる、独特のスタイルだった。
その二人の行き違いが絶妙なタイミングで、真面目な顔をしたうたじの解説を、ゆめじがウンザリした表情で受けるのだ。
主なネタは、うなぎ、割箸など。
このコンビが好きで、寄席では出番が楽しみだった。
残念ながら2013年に解散してしまい、二人揃っての舞台は見ることが出来なかった。
相方のゆめじは昨年11月26日に既に死去している。
ご冥福を祈る。

2024/06/26

落語『文違い』の魅力

江戸時代に四宿、つまり日光・奥州街道の千住、中山道の板橋、甲州・青梅街道の内藤新宿、東海道の品川の四つの宿場をいう。
それぞれの宿場は岡場所にもなっていて、特に品川は繁盛していたようだ。
落語の廓噺の舞台は圧倒的に吉原が多いが、四宿を舞台にしたものもあり、落語『文違い』の舞台は内藤新宿だ。
『文違い』は好きなネタの一つで、登場人物の性格や人間関係がまるで心理劇を見ているような気分にさせられる。
普段の寄席では高座にかかる機会が少ないので、以下にあらすじを紹介する。

内藤新宿の遊郭の女郎のお杉は、間夫(本命)の芳次郎から目の治療費20円を用立てるよう頼まれる。
馴染みの客で我こそはお杉の間夫を自認する半七に、金をせびる父親との縁切り金として20円を無心するが、半七は半額の10円しか集められなかった。
困ったお杉は、別の馴染み客である田舎者の角蔵に、母親が病気で治すためには高価な唐人参を食べさせなけれならないと言って、角蔵が仲間から預かった15円を強引にふんだくる。
お杉は半七のいる部屋に戻ると、金を出すのを渋る半七から5円ださせ、20円というまとまったを持って1階の密会の小部屋に待っていた芳次郎に渡す。
お杉は芳次郎に、今晩泊まってくれと頼むが、芳次郎はこのままでは失明するが、シンジュという20円もする薬を塗れば良くなるし、一刻を争うので今直ぐに医者の治療をうけねばならないと言って、お杉を振り切って杖をつきながら表に出る。
てっきり治療に向かうと思われた芳次郎だが、杖を捨て近くに待機させていた人力車の乗って去る。
この様子を不審の目で見たお杉が、忘れ物を取りに二人の密会の場所に戻ると、そこに置き忘れた芳次郎宛の女からの手紙。
開けてみると、女が身請けの話を断るために20円が必要だと芳次郎への金の無心。眼病だと偽ってお杉から20円騙し取るという手口まで書かれていた。
ここでようやく、お杉が芳次郎に騙されたことに気づき、怒りに震えながら元の自分の部屋に戻る。
一方、半七はお杉の抽斗の中から、芳次郎からの手紙を見つける。
そこには、芳次郎が「眼病を治すために20円が必要で、半七という客から父親との縁切り金として・・・」とあり、騙されたと知った半七もかんかんだ。
鉢合わせした二人は掴み合いの大げんかを始めた。
この騒ぎを部屋で聞いていた角蔵は若い衆に、「早く行って止めてやれ。『15円やったのは色でも欲でもごぜえません』ちゅうてな」
「あ、ちょっくら待て、そう言ったら、おらがお杉の色男だちゅうことが知れやしねえかな」
でサゲ。

この噺の要点は、「間夫は勤めの憂さ晴らし」という言葉にある通り、通ってくる客はみな我こそが間夫だと見栄をはっている。
そこを女郎のお杉はつけ込んでまんまと大金をせしめるが、実はお杉自身が間夫から騙されていたというストーリー。
この噺のもう一つ面白いのは、払う方が相手に謝りながら金を受け取らせるという点だ。
騙す方が相手の弱点につけこみ、脅しをかけながら金を絞り取るのだ。
お杉→半七 夫婦になるのに邪魔な父親との縁切り
お杉→角蔵 夫婦になるのに母親が重病だから治療費が要る
芳次郎→お杉 既に夫婦気取りの間柄で、相手が盲人になったら大変だ
この様に相手の事情に合わせて騙すテクニックは、今の詐欺にも見られもので、この噺が現代でも受け入れられているのは、その為だろう。
しかも、上手く騙して金をせしめたと思われた芳次郎が、実は貢いでいる相手がいたという、どんでん返しが気が効いている。
各登場人物の性格付けや人間関係が明確なのも魅力だ。
知る限りでは、古今亭志ん朝の高座が光る。

2024/06/17

ミュージシャンに愛された「八代目三笑亭可楽」

柳家小三治が、最も好きな落語家として名前をあげたのは八代目三笑亭可楽だ。
ある落語会で顔を合わせた時に、あまり好き過ぎて声も掛けられなかったとマクラで語っている。
二人の芸風は似てないが、客に阿るところが無いのが共通点と言えるか。
古い記憶だが、可楽の高座というのは顎を引いてやや上目つかいで、低い声でボソボソと喋っていた。
ネタが決まれば、マクラからサゲまで全く同じに演じていた。ブレない。
当時の寄席で、明るい酔っ払いは柳好(三代目)、暗い酔っ払いは可楽と言われていた。
確かに十八番の『らくだ』にしても『味噌蔵』にしても、登場人物は心から楽しく酔ってるわけではない。
特に『らくだ』の屑やが、それまで従順に酒を飲んでいたのが、「ふざけんねえ、ふざけんねえ」のセリフを機に、怒りを爆発させる演出は見事だ。
ミュージシャン、それもジャズ演奏者に可楽フアンが多かったことでも知られる。ジャズと可楽の語りにはどこか親和性があったのだろうか。
フランク永井も可楽フアンを公言していた。
不遇で下積みが長く、晩年人気が出た矢先に病死してしまったのが残念だ。

2024/06/05

四代目「紫紺亭志い朝」

四代目紫紺亭志い朝は俳優というよりコメディアンの方が通りが良いか、「三宅裕司」が明治大学落語研究会に所属していた当時の高座名だ。
もちろん古今亭志ん朝の名前からもじったもので、紫紺亭は明大のスクールカラーから、志い朝は「C調」(調子の良いこと、又は人物)から採ったもの。
かつて松竹歌劇団(SKD)に所属していた母親の影響で幼い頃から日本舞踊、三味線、長唄、小唄などを習う。中学時代から落語を始めた。
結局、三宅は進路を落語ではなく喜劇を選び、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)を旗揚げし、現在に至るまで座長を務めている。
その後、明大落研の後輩から紫紺亭志い朝の高座名は、五代目の立川志の輔、六代目の渡辺正行に引き継がれた。
明大出身の落語家は多く、五街道雲助もその一人だ。入学した翌年に飛び級で卒業したとマクラで語っていた。
もし三宅裕司が落語の道に進んでいたら、今ごろは看板の噺家になっていたかも。

2024/05/30

蝶花楼桃花が31日間連続口演

蝶花楼桃花が、7月に池袋演芸場で31夜の連続独演会を行う。
「桃花 31夜」と題して31日間ネタおろしを含む、異なる演目を披露するという。
落語家の中には、これだけ演じる力量がある人はいるだろうが、問題は31日間客が入るかどうかだ。それだけの集客力があるかだ。
現在の桃花の人気から充分にいけるという確信があるのだろう。
何せ、真打昇進後4か月で寄席のトリをとったのは、落語協会では最速の記録だ。
前座でデビューしたのは2007年、当時は春風亭ぽっぽの高座名でネタは「平林」を演じたが、上手い女流が出てきたなという印象で、当ブログに感想を載せた。
私は元々女性は落語家には向かないという信念があったが、桃花と同じ時期に前座でデビューした立川こはる(現在は立川小春志)の二人を見て、考え方を変えた。
2011年、二ツ目に昇進し「春風亭ぴっかり☆」に改名。寄席や落語会で何度か高座に接したが、古典を磨くという姿勢は好ましく感じた。そして着実に力をつけてきた。
2022年3月下席より真打に昇進して「蝶花楼桃花」に改名した。
残念ながら、その頃から当方は体調を崩し、寄席や落語会にも行けない状態になった。従って蝶花楼桃花になってからの高座は未見である。
何時の日か、健康が戻れば桃花の高座を見たいと願っているが、難しそうだ。

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