寄席・落語

2021/09/23

漫才「ホームラン」の勘太郎が死去

Kantarou
漫才「ホームラン」の勘太郎(本名・岡本善陽=おかもと・よしはる)が18日午前零時に死去した。 65歳だった。
勘太郎は小野ヤスシに弟子入りし、1982年に三波伸介の弟子であった相方・たにしとコンビを結成。2006年から落語協会に所属し、寄席を中心に活動していた。
相方の「ホームラン」たにしは、「勘太郎は最高にいい奴で、感謝の気持ちでいっぱいです。いつも心で生きています。」とコメントしている。
また大好きな芸人が一人、世を去ってしまった。ここ2,3年、寄席で顔を見なくなって心配していたが、体調が悪かったのだろう。
結婚式の神父の役で、「あなたは神を信じますか? 私は信じません」のギャグはいつ見ても可笑しかった。
合掌

 

 

 

 

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2021/09/01

柳家三三の「無駄と遠回りと」

月刊誌『図書』9月号に、柳家三三の「無駄と遠回りと、行きあたりばったりと」というエッセーが掲載されている。内容のいくつか紹介と、感想を述べてみたい。
三三と落語との出会いは、小学1年生の頃に両親がみていたTVで「文違い」を聴いたのがきっかけだったと。「文違い」は新宿の遊郭を舞台に、女郎と客の騙し合いを描いたもので、落語の中でも凝ったストーリーになっている。およそ子ども向きとはいえないネタだが、三三は噺の世界に引き込まれ、事の成り行きを物陰から息をひそめて見ているような不思議な高揚感があったと言う。落語好きな人には同じ様な経験をした方がいると思う。私も三三と同じ年頃に寄席に連れていかれたが、落語、漫才、講談など全てが面白かった。だから芸人はジャリ(子ども)だと言ってバカにしてはいけない。廓噺だろうと、色っぽい都々逸だろうと、一流なら子どもでもその良さが分かるのだ。
「落語ってやつは演者の人柄が出る。素直な奴の噺は素直だし、ずるい奴の噺はどこかずるくなる。だから落語の技術以上に人間を磨かなくちゃいけない」とは5代目柳家小さんの教えで、一門はその薫陶を受けて心に留めるものが多いと言う。今の落語界をけん引する噺家に、小さん門下の人が多いのはそのせいだろうか。
落語家として入門してから前座までの仕事は、師匠の自宅に通っては掃除、洗濯、電話番、カバン持ちといった雑用がほとんど。合間をぬって着物のたたみ方、太鼓の叩き方、さらにその合間をぬって落語の稽古。加えて寄席での楽屋働きがあり、楽屋の支度から番組進行の調整、太鼓叩きから出演料を渡すといった仕事がある。何より大事なのは、出演する人たちが楽屋入りしてから出番が終えて帰るまでの手伝い。落語家も十人十色で、それぞれ好みが違う。時には、「どこの弟子だ、何を教わってきやがったんだ」と怒鳴られることもあり、その理不尽さに耐えられない人もいる。面白いのが、こうした理不尽が一体なんの役に立つのか、誰も教えてくれない。
高座に上がって落語を演じることは、暗記したセリフをペラペラしゃべることではない。客の反応という外部の要素によって演じ方は左右される。客が自分の噺にどれくらい興味を持っているか、どの程度理解してくれているかを耳や肌で感じ取り、しゃべる速度や言葉の言い回しを常に微調整しながら演じるという、まさに「ご機嫌を伺う」という稼業だ。この相手の様子を察しながら働くという、これが前座の修行時代に経験する師匠やその家族に受け入れてもらえるように、楽屋の師匠がたが気分良く高座に上がれるように最善の手伝いするといった行為が、何年も経って自分自身に還ってきた、これが無駄と遠回りなのだと。落語のプロとアマの違いっていうのは、この辺りが決定的なんだね。以前に古今亭菊之丞が、アマチュアでもプロより上手い人はいるが、時間(5分、15分、30分と指定されても)で演じることが出来るのがプロの証と言っていたが、その通りだろう。
三三は、前座時代に覚えた噺は6席か7席で、師匠の用事や楽屋の仕事に追われて、「落語なんて、覚えてる場合じゃねえよ」といった具合。ネタ下ろしは、一夜漬けどころかその日漬けも何度もあったという。そうした計画性の無さが、今日まで、そしてこれからといった話は、また機会があったら続きを申し上げるそうで、楽しみに待っていましょう。

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2021/08/25

志ん朝を見たかい?

先日のある落語会、後ろの席の中年の男性客ふたり。片方の人はネタ別に演者を評価するノートをつけていて、「どのネタでも、結局は志ん朝が一番になるね」と言った。もう片方のちょっと年下と思われる人が「志ん朝を見てるんですか?」と訊くと、「独演会に随分と通ったよ」と答えていた。片方の人は「僕は見てないんですよ」と残念そうに言っていた。
志ん朝が亡くなったのは2001年だから、今年は没後20年ということになる。寄席に若い女性客が目立つようになったのは2000年辺りだったから、志ん朝を知らない落語ファンも増えてきた。だから、志ん朝を見たなんて、ちょっと得意げになるのだろう。
今日の東京新聞に、志ん朝の思い出について二人の人が書いている。
一人は矢野誠一で、志ん朝が昭和の落語の集大成、古典落語の規範を作り上げた、と語っている。志ん朝のノートを見ると、並の精神じゃない、噺家としての規格を自ら作り、そこに自分をはめ込んでいった気がする、とも。素質があったのは勿論のこと、研究を重ねて自らを鍛え上げていたのだ。
もう一人は水谷八重子で、志ん朝とはメディアの企画で、成人式の若者同士として会ってからの長い付き合い。舞台でもよく一緒で、脚本が遅くセリフが覚えられない時に、「舞台より落語を覚えることが多いじゃないの」と訊いたら、「芝居と違って人に迷惑かけねえもん、自分でやりくりすれば、どうにかなる」と言っていた。志ん朝も若い頃は、舞台や、TVドラマからバラエティまで幅広く活躍していた。水谷が朝さま(志ん朝をこう呼んでいる)に、志ん生襲名について尋ねたところ、「落語家の襲名の口上なんて、周りが言いたいことを言うだけ、そんなことやってられるか」と笑い話で終わったそうだ。
矢野が言っているように、志ん朝は芸のピークで亡くなった。私が高座での姿を見て、志ん朝の異変に気付いたのは、当代馬生の襲名披露公演の1999年9月だから、亡くなる丁度2年前。死後、周囲の家族や弟子たちが志ん朝の病気に気付かなかったと語っていて驚いたが、周りがもっと早く気が付いて上げたらと、そこが悔やまれる。

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2021/08/19

国立演芸場8月中席(2021/8/18)

国立演芸場8月中席・8日目
前座・神田松麻呂『宮本武蔵より』
<  番組  >
春風亭昇也『牛ほめ』
三遊亭王楽『宮戸川』
母心『漫才』
立川談春『野ざらし』
 ~仲入り~
桂文治『お血脈』
江戸家まねき猫『ものまね』
三遊亭円楽『藪入り』

国立演芸場8月中席は、芸協に圓楽一門+談春という顔付け。お盆には寄席が似合う。かつては浅草演芸ホールのお盆興業の昼席は、志ん朝が主任で、最後に賑々しく住吉踊りを見るのが慣わしだった。はねると地下鉄で上野広小路に移動し、さん喬と権太楼が交互にトリを取る鈴本の夜席に。当時は指定席なんか無くて、17時10分頃に着いても最前列で観られた。いい時代だった。

前座が講談というのは、なんかしっくり来ないね。

昇也『牛ほめ』
ここでようやく客席がほぐれる。前座噺だが、昇也は愛嬌があっていい。「お猿にらっきょう」「落語家に愛嬌」だ。

王楽『宮戸川』
東京都を流れる隅田川、かつては浅草周辺を宮戸川、吾妻橋より下流を大川と呼び、これが佃付近になると大川端となる。タイトルの宮戸川、噺の後半になると登場するが、通常は前半で切るので出てこない。王楽はテンポ良く演じたが、この人、男前過ぎるのが欠点かな。

母心『漫才』
この日は歌舞伎の所作を離れて、漫才とマジックの融合や、鳩づくしを。ネタは練られていたが、客のあしらい方には工夫が要るだろう。

談春『野ざらし』
釣り竿片手に「さいさい節」を唄いながら踊りまくる姿に、客席は大受けだった。3代目柳好や8代目柳枝の様な「粋」には欠けていたけど。

文治『お血脈』
文治は、地噺に独自のクスグリをふんだんに放り込んだ高座で楽しませた。得意の『源平』もそうだが、地噺がこの人のアクの強さと親和性がいいんだろう。

まねき猫『ものまね』
この日は『枕草紙』に乗せてという趣向だったが、肝心の物真似はマンネリ。

円楽『藪入り』
記憶違いでなければオリジナルの3代目金馬は1月だったと思うが、円楽は7月の設定で演じた。サゲも「猫を被っていた」と独自のもの。親子の心情を描いた作品だが、どうも私は苦手で好きになれない。円楽の高座は何度か観てきたが、この人は「陰の人」だね。そこが先代とは違う。

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2021/08/16

「市馬落語集~お盆特別公演~」(2021/8/15)

「市馬落語集~お盆特別公演~」
日時:2021年8月15日(日)17:30
会場:国立大劇場
<     番組    >
●第一部:令和噺競(れいわはなしくらべ)~九代目春風亭柳枝襲名祝~
柳亭市童『黄金の大黒(序)』
桃月庵白酒『代書屋』
柳亭市馬『締め込み』
    ~仲入り~
春風亭一之輔『普段の袴』
春風亭柳枝『船徳』
●第二部:長講二人會
柳家三三『素人鰻』
太田その・柳沢りょう『上げ潮』
柳亭市馬『七段目』

市馬落語集の拡大版という趣向で、九代目春風亭柳枝襲名祝を兼ねる。落語協会としては待望の大名跡の復活だったろう。会場も奮発して国立大劇場、満員とはいかなったがこの時節にしては良い入りだった。ただ箱が大きすぎて、落語には不向きだったようだ。

市童『黄金の大黒(序)』
前座の頃から注目していたが、着実に成長している。個々の人物像も良く描いて見せた。

白酒『代書屋』
面白かったが、う~~んだ。このネタ、どこか昭和初期の匂いがいるのと、代書屋の主人と客との位置関係の表現がポイントだと思う。そこが白酒の高座には見て取れなかった。好みでいえば、三代目桂春団治がベスト。墨の擦り方、筆の持ち方、主人と客の表情変化、全ていう事なし。

市馬『締め込み』
市馬らしい良く纏まった高座だったが、女房のお福にもっと色気と可愛さが欲しい。何しろ、風呂敷包みを見ただけで、亭主の八五郎が女房の浮気を疑うほどだから、お福は余程の男好みだったんだろう。

一之輔『普段の袴』
十八番には違いないが、『又かの袴』かよと、ちょっとガッカリ。

柳枝『船徳』
前半が今一つ締まらなかったのは、二人の客の姿にあまり暑さを感じなかったせいか。後半の徳が船を漕ぎ出す辺りからようやくエンジンがかかってきた。全体的にはマアマアの出来か。

三三『素人鰻』
振り返ればご無沙汰だった気がするが、上手くなったなぁと思った。神田川の金と、侍から鰻屋の主となった男の人物像が巧みに描かれていた。欲を言えば、金が主の前で見せる酒癖の悪さと、翌日の借りてきた猫の様に大人しくシュンとした姿の対比を、もっと強く出してほしかった。

太田その・柳沢りょう『上げ潮』
小唄の題名には自信がないので、間違っていたら御免なさい。簾内だったのが残念だが、下座が高座に上がるべきでないという理屈もその通り。

市馬『七段目』
時間の関係からか、少し短縮した内容だったが、肝心な所での歌舞伎のセリフや所作は本格的。大劇場に相応しい高座で最後を締めた。

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2021/07/26

第508回「花形演芸会」(2021/7/25)

第508回「花形演芸会」
日時:2021年7月25日(日)13時
会場:国立演芸場
<   番組   >
前座・桃月庵あられ『子ほめ』
春風亭一花『黄金の大黒』 
三遊亭小笑『粗忽の釘』 
古今亭志ん五『お菊の皿』  
   ―仲入り―
桃月庵白酒『青菜』 
母心『漫才』
笑福亭べ瓶『らくだ』
 
花形演芸会の出場資格は「入門してから20年目」となっている。落語家でいえば二ツ目~真打昇進数年後といった層にあたる。普段、寄席に出演する機会が少なく、この会を通じて知り得た人も多い。
トリのべ瓶は、以前に一度聴いて注目していた。仲入りの志ん五は、緩い喋りが魅力。
客席は満員だった。

あられ『子ほめ』
達者な前座だ。

一花『黄金の大黒』 
師匠仕込みなのか江戸弁が立つ。喋りは流暢だし有望な女流だ。ちょいと色っぽいと思ったらこの人、人妻なんだね。

小笑『粗忽の釘』 
今年真打昇進。独特の癖のある喋りは、ネタのリズムに合っていた。

志ん五『お菊の皿』  
やたらハイテンションで飛ばす若手が多い中で、ゆったりとした芸風が魅力。
番町の地名の由来は、江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組の住所があったことから番町と呼ばれた。オリジナルによれば、この物語の殿様は、火付盗賊改・青山播磨守主膳とされている。志ん五の高座は全体的には良かったが、殿様に凄みが欠けていたのは、顔が優しいせいか。

白酒『青菜』 
マクラで、オリンピックの開会式や菅首相をネタに毒舌。植木屋がご馳走になった鯉のあらいを、旨くもなんともない酢味噌の味しかしないと言うあたりは、この人らしい。植木屋の女房が押し入れに入るのを見て、亭主が「久々に動くのを見たな」と呟くのが可笑しい。白酒の体形のせいか、前半の涼しさは感じなかったが、後半の暑苦しさは十分に味わえた。

母心『漫才』
お馴染みの歌舞伎の見得を切る所が受けていた。

べ瓶『らくだ』
この人の高座を観ながら思いついたのだが、このネタは東京なら8代目三笑亭可楽、大阪なら近年では6代目笑福亭松喬の名を上げたいが、いずれも顔がちょいと強面。『らくだ』に出てくる人物は、いずれも社会の底辺に属し、一癖も二癖もある人物ばかりだ。このネタの演者は適不適があり、例えば古今亭志ん朝は若い頃演じたが、以後は高座に掛けなかったのは適性がないと思ったからだと推測する。立川志らくで一度聴いたことがあるが無残なものだった。
そういう点でいえば、べ瓶は適性がある。らくだの兄貴分が凄む所は迫力がある。前半はややダレ気味だったが、後半は良く出来ていた。特に屑屋が亡くなった前妻の思い出を涙ながらに語る場面は、グッときた。本当は最後の葬列まで演じて欲しかったが、時間の制約でやむを得なかったのだろう。

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2021/07/23

寄席のお囃子「太田その」

7月23日付東京新聞に、太田そのさんについて書かれている。太田そのと聞いてピンと来る人はかなりの寄席通と思われる。彼女は寄席のお囃子(三味線)なので、高座で顔を見ることはない。高座下手(しもて)の簾内(みすうち)で演奏するので、客席では音を聴くだけだ。出演者が高座に上がるときに演奏する「出囃子」や、曲芸や奇術、紙切りに演奏する「地囃し」が、お囃子の仕事だ。落語家それぞれの出囃子を弾き分け、紙切りで観客からアニメのキャラクターが注文されれば、その主題歌を即興で弾くこともある。寄席囃子の曲は数百曲に及ぶといわれ、三味線の演奏技術に加えて邦楽の知識が求められる。唄を入れることもあるので、喉も必要だ。また流行している曲にも挑戦せねばならず、太田そのの場合は、「鬼滅の刃」「ボヘミアン・ラプソディー」や、米津玄師の「死神」もレパートリーに加えている。
寄席は365日の昼夜公演なので、配置されるお囃子は数多いが、なかでも太田そのは一番腕が立つという(柳家権太楼によれば)。落語家の出囃子では、演者が座布団に座り頭を下げたタイミングで、きれいに音が鳴りやむことが肝要。だから寄席には不可欠な存在なのだ。
新聞記事では、太田そのの経歴が紹介されいて、6歳から日本舞踊を始め、高校時代から三味線を習い、東京芸大の邦楽科を専攻する一方早稲田の落研に所属していたとある。どうしてもお囃子になりたくて、柳家小三治に入門。「仕事の喜びは落語がきけること。『はめもの』(落語の中で、三味線を効果音や効果音楽として使う)で、師匠にご満足いただいた時は本当に良かった、と思います」と語る彼女。
お囃子の中には、独演会の色物などで稀に高座に上がる人もいるが、太田そのは恐らく出たことはないと思う。今回の記事の写真で初めてその姿を見ることができた。
Sono

【訂正】
tkoさんよりコメントで、太田そのは、小三治の独演会で「柳家そのじ」として高座に上がることがあるそうです。本文の該当部分を訂正します。

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2021/07/08

国立演芸場7月上席(2021/7/7)

「国立演芸場7月上席」7日目
前座・柳家ふくびき『やかん』
<  番組  >
柳家蝠よし『ろくろ首』
瀧川鯉橋『青菜』
ぴろき『ウクレレ漫談』
柳家蝠丸『妻の舞妓』
~仲入り~
古今亭今輔『群馬伝説』
宮田陽・昇『漫才』
古今亭寿輔『ラーメン屋』

国立演芸場7月上席は芸協の興行で、顔付けは渋めながら好きな噺家を揃えているので出向く。先日の鈴本よりは入りは多めだが、それでも30名弱。寿輔がいま一番安心で安全な場所は国立演芸場だと言っていた。確かにここならコロナ感染の心配はない。

蝠よし『ろくろ首』
スミマセン、心地よく眠ってしまった。

鯉橋『青菜』
いつもキッチリと古典を演じる。この日は季節感溢れるネタだった。酒の「柳蔭」を奥方が運んでくるのと、植木屋がコップでなくガラスの猪口で飲む所が通常と異なる。上手くまとめていたが、前半の屋敷での場面はもう少しゆったりと演じて欲しかった。マクラを含めて15分程度で演じるには無理があったようだ。

ぴろき『ウクレレ漫談』
いいですね、客席のダレた雰囲気にピッタリだ。

蝠丸『妻の舞妓』
今日は芸協噺で、昭和の香りのする珍しいネタをと。柳家金語楼こと有崎勉作品らしい。近ごろ亭主が女房に関心を持たず、外で飲み歩いていると相談を受けた仲人が、女房に舞妓の格好をしてもてなすことを勧める。他愛ないストーリーだが、蝠丸の話のリズムによく合っていて、面白く聴かせていた。

今輔『群馬伝説』
毎度お馴染みのネタ。「上毛カルタ」を小道具に、群馬を自虐的に紹介するというもの。年配者が多かったせいか、反応は今ひとつ。

陽・昇『漫才』
現役の漫才で、このコンビが一番面白い。東京漫才のスタイルを守りながら、どこか知的な感じがするのだ。
師匠は、先日亡くなった江戸の売り声を披露する漫談家の宮田章司(元は漫才師)で、その師匠は宮田洋容。宮田洋容・布地由起江は昭和20-30年代に活躍した漫才コンビで、ミュージカル風な演出を採り入れるなど独特の芸風だった。

寿輔『ラーメン屋』
小さな声、これは今日の28人分の声で、聞こえなかったらあと50人連れて来てと。そうすればもっと大きな声を出すと。3列目の客をいじりながら、相変わらず惚けたマクラを振って本題へ。
高座に掛けるのは2年ぶりと言っていたが、私は2度目。5代目古今亭今輔の作で、あの臭さが苦手でこのネタは好きになれなかった。寿輔の高座はその臭さがかなり薄められていて、好ましかった。

後半の3席は、いずれも芸協ならではの演目で、色物を含め芸協色の濃いプログラムだった。

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2021/06/30

芸人たちの寄席への熱い思い

いま寄席に通う方々や落語ファンにとって、寄席が消えるなんて信じられないかも知れないが、戦後に多くの寄席が廃業している。私が行ったことのある寄席でも、人形町、目黒、川崎が廃業になった。
コロナ禍の休業や入場制限で都内の「寄席」が存続の危機にある。
出演する芸人たちもまたコロナ禍と向き合っている。窮地にある寄席と芸人はいま——。
「Business Insider」では、は落語家の柳家さん喬(72)・桂米助(73)・瀧川鯉斗(37)・紙切り芸人の林家正楽(73)の4人から寄席への熱い思いを聞いているので、その一部を抜粋して紹介する。

鯉斗
私も真打になってまだ2年。さん喬師匠がおっしゃったように「路頭に迷うような感じ」はあるな、と思います。「凄く悲しいな」と思って……。
僕ら若手にとっても、寄席というのは特別な場所なんです。師匠方から芸だけでなく、芸人としての所作、在り方などいろいろなことを教わることができる特別な空間なんですね。
だからこういう状況の中、ファンの皆さんのお力を頂けたのは、ものすごくありがたいです。

正楽
そうね……。落語はもちろん、色物も同じですけど、やっぱり毎日やってないと芸がダメになるのよね。
特に曲芸や紙切りはそこで大変。自分としてはね、コロナ禍になってから、本当の馬鹿になっちゃってね。寄席が閉まっていた間、頭がぽやぁ〜としちゃって。
日常全てで何をどうしたらいいか分かんない状態だったんですね。もうホントにおかしくなっちゃって

米助
どうしたって家を出て、寄席に行って、舞台が終わってまっすぐ帰る。その繰り返しの日々が続きます。
ただ、僕ら芸人は本来ならいろいろな方とお会いし、話をするのも修行のうちです。
ずっとこの状態が続けば、僕らが「世間の味」が分からなくなっちゃうかもしれないという危機感はありますね。

さん喬
コロナ禍になったことで、我々も寄席の価値や意義を再認識させていただきました。
そしてコロナで噺家とかいわゆる寄席芸人がどんな影響を受けてきたか……。もちろん入場者が少ない、つまりいただける割り(給金)が少なくなったというのはあります。
ですが、それ以上に寄席という場所が「お客様が芸を見てくださる、聞いてくださることが大前提の稀有(けう)な場所」ということです。それを改めて、このコロナ禍の長い期間で感じましたね。
やっぱり、寄席のお客様が芸人を育ててくださる。その「育つ」ことをコロナが圧してるというか、止めてしまっている。
我々がいかにそれを乗り越えて、お客様に接していけるかが一番大事なこと。ですが、寄席がなければそういう策や足元が無くなってしまう。それはあまりにつらいなと思って。

さん喬
コロナ禍の影響で無くなってほしくないのはもちろんです。僕たちには寄席を残していかなきゃいけない義務、責任がある。
それだけじゃない。コロナ禍でお客様が少なくなっていますが、我々はコロナが収束したときにお客様が寄席に戻っていただけるよう、今こそ勉強していかないと。
「お客さんが来なくなった。少なくなった」「お客さん少ねぇし、まあいいか……」と、芸がおざなりになっては絶対にいけない。
どんなに少なくても、この時期に高座を見てくださるお客様を裏切ってはいけない。
「こんな時世だけど、楽しく笑えてよかったなぁ」「短い時間だけどよかったなぁ」「元気になったらまた行こうね」って思ってもらいたい。今こそ、その努力をしないと。

さん喬
でも、寄席の経営は最悪な状態のわけですよ。本当に逼迫している。赤字を出して毎日興行を打っているわけですから。お客様もそれを知ってくだすっている。
「芸人を守りたい」というお声をいただき、それも非常にありがたい限りです。寄席を守ること、それが芸人を守ることにもなります。「芸人を守ることが、寄席を守ること」ではないんですね。
芸人は寄席を守る戦士みたいなもの。その戦士達を育てる場所でもあります。寄席と芸人、その両方が噛み合っているわけですね。
その「育てる場所」が崩れようとしているところを「みんなで支えてやろうよ」とクラウドファンディングでご支援いただいているんですね。

鯉斗
僕にとってはもう、先輩や師匠方に「教わる場」だと思っています。そしてプレイヤーとして、芸を磨く場所でもあります。
それが途切れてしまうというのは深刻。そこでしか教われないものがある。
僕らは楽屋で、他の人とのお付き合いの作法の基本、つまり「気を遣う」ことを学びます。
前座さんであれば、出番前に師匠方にお茶を出したり、師匠方の着物も元の状態に畳んでお返しする。そういう一つ一つの仕事が噺家を育てると思うんです。
師匠方が交わす他愛もない話も「他愛もない」とは思いません。楽屋での会話を聞いて、僕らは育ちます。そういう空間がなくなるというのは、噺家にとって危機的なことなんだろうなと。

正楽
寄席が無ければ僕は今日まで生きてこれませんでした。
寄席は10日間が一興行。もし二日なり三日なり寄席を休んで他の仕事して、それからまた寄席に入ると怖いのね。
寄席は楽しい、だけど怖い。それでも、毎日毎日寄席に行きたくなる。
私が今こうやって紙切り芸人として生活している、生きているというのは、寄席があるからこそ。だから寄席が無くなることなんて考えられないし、ご支援いただいていることは本当に感謝です。
そして、こっちも頑張らなきゃいけない。それを痛切に思っていますね。

米助
心配なく寄席へ来ていただいて「あぁ…。今日はいっぱい笑ったな」って、そういう世界に早くなってほしいよね。
寄席に来て、マスク無しで思い切り笑えるような時代が来てほしい。そして目いっぱい、お客さんを笑わせるしかないです。それだけです。

さん喬
寄席の中でいかに頑張って「あぁ、やっぱり寄席があって良かった」と思っていただけること。
そして、応援いただいた方に「支援して良かったなぁ」って思ってくださることが、お返しできる恩だと思います。
一日も早く、あらゆる芸能で皆さんに喜んでいただける世界に戻ってほしい。寄席に来てくださる全ての方々に笑っていただける。それが全てへのお返しかなと思いますね。
そしていつの日か「あのクラファンのお陰で、俺たちこうやって寄席に出ることができるんだよなぁ」「寄席が無くならなくてよかったなぁ…」と、思い出話ができることを願っています。

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2021/06/24

鈴本演芸場6月下席(2021/6/23)

「鈴本演芸場6月下席」3日目

前座・柳亭左ん坊『寿限無』
<   番組  >
三遊亭伊織『四人癖』
ストレート松浦『ジャグリング』
隅田川馬石『元犬』
柳家小満ん『尿瓶』
柳家小菊『粋曲』
春風亭柳枝『五目講釈』
春風亭一之輔『桃太郎』
ニックス『漫才』
春風亭正朝『普段の袴』
─仲入り─
ぺぺ桜井『ギター漫談』
三遊亭圓歌『やかん(改)』
古今亭菊之丞『悋気の火の玉』
林家二楽『紙切り』
三遊亭歌奴『ねずみ』

久しぶりの鈴本演芸場、出演者もお馴染みの人、久々の人、初見の人と色とりどり。顔付けはなかなか多彩だが、開演時はようやく「ツばなれ」で寂しい入り、これほど不入りの鈴本は初めてだ。コロナ禍の中で一度離れた客足を呼び戻すのは苦労が要るだろう。

伊織『四人癖』
初見。珍しいネタ、素直な芸は好感が持てる。スリムな体形は師匠・歌武蔵と対照的。

ストレート松浦『ジャグリング』
いつ見ても鮮やか、この人数では勿体ない。

馬石『元犬』
この人って何か不思議に面白いんだよね。軽い滑稽噺から長講の人情噺まで、幅広い芸の持ち主だ。

小満ん『尿瓶』
店に冷やかしだけで来る客を符丁で「小便」というが、語源は「蛙の小便、いけしゃあしゃあ」から来たとのこと。参考になった。もっとも「いけしゃあしゃあ」という言葉は最近あまり使われていないので、若い人にはピンと来ないかも。花を生ける手つきといった細かな所作が見所。

小菊『粋曲』
音曲の芸人は、先ず腕が立つ、喉が良い、それに色気が必要だ。小菊の後がまになるような人はなかなか現れない。

柳枝『五目講釈』
もう何年も真打をやってるような風体だ。色々な講談の名場面をつないで演じ、達者な所を見せていた。

一之輔『桃太郎』
「いいですね、この非生産的な空気」、その通り。何を演らしても上手いもんだ。さすが10年に一人の逸材。

ニックス『漫才』
女流漫才師というのは、ネタが結婚に偏ってしまう傾きがある。

正朝『普段の袴』
このネタ、鈴本で一之輔がよく掛けているが、あのリズムに慣れてしまうと、正朝の高座はまどろっこしく感じる。

ぺぺ桜井『ギター漫談』
久々で、元気な姿を見られて良かった。

圓歌『やかん(改)』
古典を換骨奪胎、全て創作ギャグで置き換え。この日一番受けていた。

菊之丞『悋気の火の玉』
5月に喉を痛めたと言っていたが、そのせいか精彩を欠いていた。

二楽『紙切り』
お題は「花見」「芸者」。

歌奴『ねずみ』
声が大きく口調が明確なのがこの人の特長だが、単調になってしまう憾みがある。ねずみ屋の主人が身の上話をする場面では、もっと緩急をつけて欲しかった。

鈴本は感染防止対策がしっかりしているが、反面あまり同じことをくり返し注意されると白けてしまう。その辺の按配が難しい。

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