宗教

2017/06/02

「清涼寺」の僧侶にレッドカード!

5月下旬に京都と奈良の寺社のいくつかを巡ってきた。連れがあまり長時間歩けないので、1日に4時間以内の行動と決め、今回はメインの観光コースから外れたところや、久々に訪れるところを中心に観光した。
市内バスの路線図と大まかな地図を片手にしての観光だったので、一つの寺社の観光を終えると、次に行く寺社までの道のりや交通機関を訪ねながらの移動だったが、どこの寺社でも丁寧に教えて貰い有り難かった。

ただ、最終日の最後に訪問した京都「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」の窓口だけは最悪だった。
この寺は拝観料を支払うと直ぐに本堂がある。本尊である三国伝来の釈迦像を参拝したあと、この寺には通常置かれているような「拝観順路」の標識が見当たらない。
そこで入口に戻り、受付の若い僧侶に拝観の順路をたずめたところ、いきなり
「お金払いました?」
と訊かれた。
こちらとしては今入ったばかりだし、私たち以外の拝観者は2組だけだ。それを、金を払ったかとは何と失礼な言い方だろう。
チケットを見せながら
「払いましたよ、拝観の順路はどうすれば良いですか?」
と訊くと、今度は
「自由に見てください」
と言うのだ。
その自由な見方が分からないから訊いているのだが。
ラチがあかないので、案内図を見ながら庭園や阿弥陀堂などを見学した。
一通り見て回り、ここが最後だったので受付の僧侶に京都駅行きのバス停をたずねたら、
「自分で探してください」
ときた。
さすがにムッとしたが、こんな人間を相手にしても仕方ないので、寺の周囲を歩きバス停を探した。
そうしたら、門を出て200m位の所に「嵯峨釈迦堂前」というバス停があるではないか。
改めて、この「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」の受付の僧侶の不親切さに腹が立った。

この寺の僧侶は一体どんな修業をしているんだろう。
住職はどんな指導をしているのだろうか。
仏教の僧として失格である。
京都・奈良観光も、最後の最後で後味が悪かった。

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2017/03/31

「納骨堂」が「幽霊ビル」に?

いま都心部で雨後のタケノコのごとく「納骨堂ビル」や「ビル型墓地」とよばれる建物がたてられているのをご存知だろうか。
その数は2000年には287棟だったのが2004年には387棟と急増しており、その大半は都心に建てられた。
理由は、次のようだ。
1.都内の墓地が高価格で、都立霊園で200万円、それも抽選では数倍の競争率だ。民間だと300万円以上する。とても庶民が簡単に手を出せる金額ではない。
2.少子高齢化により、墓の守り手がいなくなる。
そこで、10万円程度から高くとも150万円で永代供養してくれる納骨堂に人気が集まっている。
近い、安い、お手軽、を謳い文句に急成長しているのだ。

しかし、大きな問題がある。
多くの納骨堂では年間使用料が1基あたり数千円から1万円程度で、なかには最初の購入費のみで永代使用料がゼロというケースもある。
これでは建物やエレベーターなど機器のメンテナンス費用は到底まかなえないのだ。
ビルが老朽化し劣化が激しくなっても改修の費用はままならず、まして建て替え(ビルなので一定期間が過ぎれば建て替えが必要になる)など、不可能といってよい。
納骨堂を運営する宗教法人は永代供養を約束していても、将来にわたって誰が保証してくれるのだろうか。

月刊誌「選択」2017年3月号によれば、納骨堂ビルは宗教施設というより商業施設としての色合いが濃いようだ。
典型的な例として、デベロッパーやコンサル会社が寺と組んで、寺有地やワケアリの土地に納骨堂ビルを建て、十数億円単位で売りさばく。およそ3分の1が寺の取り分で、後はデベロッパーとコンサルの懐に入る。もちろん、建設を手掛けたゼネコンも利益があがる。
つまり全員がハッピーなのだ。
大金が転がり込んできた寺の住職は高級車を乗り回すなど贅沢三昧。しかし、寺には老朽化するビルと激減する収入という未来が待ち受けていて、まさに地獄に向かうわけだ。

そんな状況を見て、遂に東京都が動き出した。赤坂浄苑に対して固定資産税の納入を求めたのだ。寺側は宗教施設として非課税を主張し裁判になったが、東京地裁は「宗教団体として主たる目的のために使用しているとは認められない」として寺側の請求を棄却した。
当然の判決だ。
これからのビル型墓地の建設には、課税というリスクが加わることになる。
それもこれも、仏陀の教えに反して目先の金に目がくらみ拝金主義に陥った寺の住職らの罪である。

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2015/12/26

宗教を「商品化」したのは誰?

以下、共同通信の記事から引用。
【インターネット通販大手アマゾンジャパンのサイトで、法事・法要で読経する僧侶を手配するサービス「お坊さん便」が始まったことを受け、全日本仏教会(東京都港区)の斎藤明聖理事長は24日、「宗教行為をサービスとして商品にしている」と批判する談話を発表した。
斎藤理事長は「お布施はサービスの対価ではない。諸外国の宗教事情を見ても、このようなことを許している国はない」と指摘。「アマゾンの宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」とした。仏教会はサービスの取り扱いを中止するようアマゾンに要請することも検討している。】

問題の「お坊さん便」については、下記の朝日の記事が詳しい。
【アマゾンは今月上旬、葬儀社紹介サイト運営の「みんれび」(東京)が提供する僧侶の手配サービス「お坊さん便」をサイトに掲載しはじめた。サービス自体はみんれびが2年前に始めたもので、定額・追加料金なしで僧侶を法事や法要に仲介する。登録する僧侶は約400人で、主な宗派をそろえているという。仲介の実数は公表していないが、2014年は前年の3倍の受注があったとしている。
みんれびはサービスを広げようとアマゾンに「出品」した。売買されるのは僧侶の手配を約束するチケット(手配書)で、基本価格は税込み3万5千円。クレジットカード決済もできる。アマゾンやみんれびの手数料を除いた分が僧侶に「お布施」として入る。アマゾン経由でみんれびに10件以上の申し込みがあった。】

記事から分かる事は、元々「みれんび」という葬儀社が行っていた僧侶の手配サービスをアマゾンに出品したというものだ。
葬儀社による僧侶の手配は他でも既に行われており、全日本仏教会がクレームするなら先ず葬儀社にすべきだろう。それが出来ないのは仏教寺院と葬儀社が持ちつ持たれつの関係にあるからだ。アマゾンへの抗議は八つ当たりの様に見える。
第一、葬儀を商品化したのは仏教界ではなかったか。死者に戒名を与え、対価としてお布施を数十万円、それも戒名にランク付けまでして受け取る、それこそ「商品化」ではないか。
こうした戒名制度は日本だけのもので、日本の仏教の特異性を示している。
「拝観料」というのも良く分からない。料金を取るなら僧侶が文化財の案内や解説をしてくれるのが筋だろう。ただ入り口で金を取るだけなら、それは「入場料」だ。
アジアの仏教国であるラオスでは寺院や僧侶はお布施として現金を受け取らない。お布施は食料や衣類、建築材料などのモノに限られる。
現地で日本人の戦没者慰霊碑にお参りした際に近くの寺から声がかかり、座敷に招かれてお茶と茶菓子の接待と受けた。もちろん謝礼は受け取らない。
ラオスでは僧侶が尊敬され、飛行機の搭乗でも僧侶が優先なのは納得がいく。
京都で由緒ある寺にも拘らず、観光コースから外れているある寺院を訪れた際に、僧侶から収蔵している文化財について丁寧な説明を受けた。帰りに感謝の気持ちからいくばくかの謝礼をお渡ししたが、これが本来の「拝観料」だと思う。

仏教会が宗教の商品化を批判するのは当然だろうが、先ずは自らを省みるべきではなかろうか。

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2014/09/15

宗教法人に課税を

日々、新聞を見ていて気付くのは宗教団体(宗教法人とその関連団体)の広告が多いことだ。それも5段抜きの大きなスペースをとったものが大半で、なかには全面広告というケースもある。
この不景気に宗教団体だけは景気がいいなぁと思われた方もおいでだろう。「やっぱり税金払ってないからな」と。
印象だけではない。ある調査によれば主要全国紙4紙に掲載された広告だけで、今年の5月6月の2か月間だけで創価学会関連が19回、幸福の科学出版が19回、ワールドメイト関連が26回とのこと。これに地方紙などを加えたら膨大な数に達するのだろう。各団体が新聞社に払っている広告代は年間で数億円になると推定されている。この中でワールドメイト関連というのがピンとこないかも知れないが、近ごろ「進撃の阪神 ロックコンサート」「ネアカ・スピリチュアル本」といった派手は広告を目にすると思うが、あの団体だ。
こうした広告は単に宗教の宣伝という意味より、新聞社に広告代を支払っていることに意味があるようだ。要はマスコミ対策ということ。

日本国憲法 第30条は、納税の義務を規定している。
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」
法律によって個人は所得税を、法人は法人税を納入せなばならない。違いは個人の場合は家計が赤字だろうが所得に応じて課税されるが、法人は利益に対して課税される。この他に間接税の消費税があり、消費に応じてこれは誰もが等しく徴税されている。
法人の中でも公益性の高い公益法人には様々な優遇措置がとられ、税率が低減されている。
とりわけ宗教法人だけは特別な優遇措置がとられている。主なものは以下の通り。
・宗教活動(非収益活動)や公益活動、金融活動からの収益の非課税
・収益活動への軽減税率の適用
・宗教施設の固定資産税、不動産取得税、都市計画税の免除
私たちから見ると、まさに至れり尽くせりだ。
このうち、宗教活動の中の非収益と収益活動の線引きがアイマイで、脱税の温床となっている。
宗教法人の従業員が受け取る給料については非課税措置がなく、法人が所得から天引きすることになっている。
処が、この源泉所得税について国税が査察を行った結果、ここ3年間で対象となった約700法人のうち8割に徴収漏れが見つかっている。これはもはやウッカリミスを通り越した悪質な所得隠しだ。
こうして得た金で派手な遊興費や風俗通いに消費されているケースがあるのは周知の通りだ。

私見だが、宗教法人に対する優遇措置は「性善説」に基づくものと思われる。私たちへの徴税は一般に「性悪説」が前提だ。
現に悪いことをする宗教団体がある以上、宗教法人に対しても「性悪説」で臨むべきかも知れない。
当たり前のことだが、法人税は利益に課税されるので利益の出ない法人には無関係だ。

宗教法人への課税で常に問題となるのは、信教の自由への侵害という声だ。
しかし、信教の自由と宗教法人に課税することとは全く別問題である。新聞社やTV局に課税したら言論の自由を侵害するのだろうか。そう考えれば分かることだ。

宗教法人への優遇措置の見直しについては、過去にも何度か検討されてきたが、実現に至らなかった。その最大の原因は政治家と宗教団体との密接な関係だ。
自民党や公明党を中心に殆んどの政治家が特定の宗教団体となんらかのつながりを持っている。具体的には票とカネだ。選挙ともなれば関係する宗教団体は票田となり、宗教団体から政治家へは献金が行われている(一説によればカネが渡ってないのは共産党だけという)。彼らにとってはこれほど有り難い存在はない。だから宗教法人への課税が課題に上がっても、常に潰されてきたのだ。
加えて、冒頭にあげたマスコミへの広告料に垂れ流しにより、マスコミもこの件については腰が引けている。
つまり宗教法人-政治家-マスコミの鉄のトライアングルが阻んできたわけだ。

いま日本は財政難で、増税案件が目白押しだ。その一方、宗教法人の優遇措置の見直しだけで数兆円の税収が見込めるという試算もある。
儲かっている宗教法人への適切な課税を急ぐべきだ。
今年4月には政府税制調査会が公益法人への課税強化を検討し始めた。本丸は宗教法人だが、政界関係者によれば安倍首相はヤル気がないそうだ。
安倍政権は法人税減税を進める一方、消費税の値上げを図っている。税制面でも「弱きをくじき強きを助け」る政策を採っている。
宗教法人への課税は、この悪評を排せるかどうかの試金石となろう。

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2013/12/05

【秘密保護法】創価学会員はどう考えているんだろう?

安倍政権はなにがなんでも「特定秘密保護法案」を成立させたいと、今日にでも参院での採決を強行する腹らしい。何が安倍らを駆り立てているのか、この法律が通れば彼らにとってよほど良いことがあるに違いない。
ただ分からないのは公明党の動向だ。この法案が出来ると公明党にとって、さらには支持母体の創価学会にとって、どんな得があるのだろうか。

安倍政権が目指すものは戦後民主主義の否定と戦前への回帰だと思う。現に、彼らが作成した新たな憲法草案を見ても、戦前の大日本帝国憲法へ一歩も二歩も近づいている。
創価学会の前身は、1930年に教育者だった牧口常三郎と戸田城聖らが中心となり組織した「創価教育学会」だ。初代会長は牧口。
戦時中は国家神道を批判するなどで弾圧を受け、1943年6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに不敬罪によって逮捕され、牧口は獄死する。
1945年7月に出獄した戸田は、組織名を創価学会に改名し第2代会長となった。
その後の発展も、戦後に治安維持法や不敬罪が廃止され、現憲法により「信教の自由」が保障されたからだ。そのことは創価学会にとっても信者である会員にとっても、身に沁みているはずだ。

だとしたら、「治安維持法」にも繋がりかねない「秘密保護法」に賛成するばかりでなく、自民党の強行成立に手を貸す理由は一体どこにあるんだろう。
そこが理解不能なのだ。
仮に公明党議員や学会幹部が与党の立場を守るためには自民党にすり寄るしかないと判断していたとしても、一般会員の方々はそれを受け容れているのだろうか。
どうも良く分からない。

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2012/11/14

やっぱり「宗教はアヘン」か

エジプトのイスラム教厳格派サラフ主義のモルガン・ゴハリー導師が、古代エジプト時代に造られたピラミッドやスフィンクスは偶像崇拝を禁じたイスラム教に反しているとして破壊を呼び掛け、物議を醸していると報じられている。
民放番組の中で「これらの偶像は不敬の象徴だ。全イスラム教徒は立ち上がらなければならない」と訴えた。スフィンクスなどは、アフガニスタンの旧タリバン政権が2001年に破壊したバーミヤンの巨大石仏と同じ運命をたどるべきだと主張したというのだ。

10月9日にはパキスタン北西部スワト地区で、ブログなどを通じてイスラム武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TPP)」を批判していた少女・マララ・ユスフザイさん(14)が下校のためにスクールバスに乗っていたところ、TPPの銃撃を受け重体になった。
TPPは声明を発表し、「われわれを邪魔する女はすべて殺す」と犯行を正当化し、ユスフザイさんを再び狙うと宣言した。

一方、11月に行われたアメリカ連邦議会上院議員選挙では、共和党保守派のリチャード・マードック候補がレイプ被害者の中絶も認められないとして「生命は神の贈り物。たとえレイプというひどい状況で命が芽生えたとしても、それは神が意図したことだ」と発言している。
これとは別に、共和党保守派候補が「レイプ被害者はほとんど妊娠しない」と発言し、謝罪に追い込まれた。この言でいけば妊娠したのであれば、それは本当のレイプではない、言い換えれば合意だったということになる。

かたや中東と中央アジアのイスラム教原理主義、こなたアメリカのキリスト教原理主義。
もうキチガイ沙汰としか思えない発言や行為だ。オウム真理教でさえ例外とは思えなくなるほどだ。
怖ろしいのはこうした教理が中東諸国やアジア、米国それぞれの国で浸透し、影響力を拡大しつつあることだ。

「宗教はアヘン」という有名な言葉がある。
マルクスの著作の中に出てくるとされているが、実際は「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書かれていて、ニュアンスは異なる。
しかし上記の事柄からすれば、文字通り「宗教はアヘン」と言っても間違いではない気がしてくる。
中世の宗教戦争を引き合いに出すまでもなく、過去の歴史の中では宗教の名のもとに実に多数の犠牲者を生み出してきた。
宗教というのは果たして人類を幸せにするのだろうか。
それとも一部の原理主義だけが異常と考えるべきなのか。

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2011/04/04

だから私は無宗教

アフガニスタン北部の都市マザリシャリフで4月1日、大規模なデモが発生。
暴徒化したデモ隊が国連事務所を襲撃し、7名を殺害するという悲惨な事件があった。
死亡した7人の国連関係者のうち3人はノルウェー、スウェーデン、ルーマニアからの職員で、4人はネパール人の警備員だという
今回のデモのきっかけは、米フロリダ州のテリー・ジョーンズ牧師がイスラム教の聖典コーランを焼いたと公言したことによる。
ジョーンズ牧師は昨年、911事件の9周年記念日にコーランを焼却すると発表したが、国内外から激しい非難を浴び、一度は計画を中止した。
しかし、先月になって教会のウェブサイト上に「殺人や性犯罪、テロの元凶となり有罪だと判断されれば、コーランは処刑の対象になる」と掲示、その後「コーランを施設内で燃やした」と書いていた。

キリスト教の牧師が、911の報復としてコーランを燃やし、その報復としてイスラム教徒が無関係の国連職員を殺害する。
これはもう、狂気としか言いようがない。

今でこそ宗教戦争といえば、キリスト教とイスラム教との争いを指すが、かつてはカトリックとプロテスタントとの戦争を意味していた。
その戦争による犠牲者の数は、想像を絶する。
例えば17世紀に起きた「ドイツ30年戦争」で、当時のドイツの人口が1800万人から700万人に激減している。
フランスでは1598年にアンリ4世がナントの勅令を発布し、これによりプロテスタント(ユグノー)などの新教徒とカトリック教徒とが和解し、フランスの宗教戦争「ユグノー戦争」が終結するのだが、この戦争でパリ市民の半数が犠牲になったとされている。
1096-1270年にかけて行われた十字軍の遠征では、どれだけの犠牲が出たか想像もつかない。
その傷跡は、現在もキリスト教、ユダヤ教とイスラム教との対立に引き継がれている。
イスラム教と一口にいっても、スンナ(スンニ)派とシーア派、ハワーリジュ派、ワッハーブ派などに分かれていて、抗争を繰り返している。

宗教というのは、人類を幸福にするために存在しているのではないのか。
宗教のために幸せになった人と、不幸になった人とで、後者の方が多ければ、宗教は人類にとって有害な存在でしかない。
私は、形式的には日蓮宗の檀徒ということになってはいるが、実際は宗教を一切信じていない無宗教である。
それで良かったと、しみじみ思う。

昭和天皇の直宮であった秩父宮は1953年に亡くなるが、その遺書にこうある。
「僕は神――此の字で表現することの適否は別として宇宙に人間の説明し能はない力の存在を認めないわけにはいかぬ――を否定しない。然して現代の宗教に就いて一としてこれと云ふものはない。現在の宗教は何れも平和をもたらすものとは云えない。相互に排他的であり、勢力拡張のためには手段を選ばない傾向さえある。」
現在の日本においてもエセ宗教が跋扈している現実を見るとき、秩父宮の遺した言葉は重い。

神仏がいると信じている方に伺いたい。
この度の大震災の被災者に対し、神はなぜあのような罰を与えたのかと。

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2011/02/11

違法な宗教法人への規制を厳格に

本日付けの朝日新聞に、葬儀の際に遺族から僧侶に渡したお布施の一部が、リベートとして葬儀社に支払われる仕組みが慣行化している例が紹介されている。
そのリベートだが、4割から時には7割にも達しているというから驚きだ。
遺族の弱みにつけこんで、知らぬうちにお布施にリベートを上乗せさせられているわけで、これだけでも相当タチが悪い。
加えて、リベート分が宗教法人の口座を通じて葬儀社に入金される。
宗教法人としておけば、お布施が非課税になることを悪用しているわけだ。
こうした宗教法人を利用した脱税行為は後を絶たず、高額で休眠の宗教法人が売買されているのが現実だ。
この問題を解決するためには、宗教法人に対する規制を強化すべきだ。

こういうと直ぐに信教の自由ウンヌンという反論があるかも知れないが、「宗教法人への規制」と「宗教活動への規制」は全く別のものだ。
宗教法人法ではその目的を次のように定めている。
【第1条 この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。】
つまり法人になっても、不動産等を所有する権利主体となれるだけであり、法人格を取得していなくとも、宗教活動を行うことは完全に自由である。

法律では宗教法人への解散命令について次のように規定している。
【第81条 裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
1.法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
2.第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は1年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。
3.当該宗教法人が第2条第1号に掲げる宗教団体である場合には、礼拝の施設が滅失し、やむを得ない事由がないのにその滅失後2年以上にわたってその施設を備えないこと。
4.1年以上にわたって代表役員及びその代務者を欠いていること。
5.第14条第1項又は第39条第1項の規定による認証に関する認証書を交付した日から1年を経過している場合において、当該宗教法人について第14条第1項第1号又は第39条第1項第3号に掲げる要件を欠いていることが判明したこと。】
ここでいう第2条及び第14条の規定とは、次の通りである。
【第2条 この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
1.礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体
2.前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体】
【第14条 所轄庁は、前条の規定による認証の申請を受理した場合においては、その受理の日を附記した書面でその旨を当該申請者に通知した後、当該申請に係る事案が左に掲げる要件を備えているかどうかを審査し、これらの要件を備えていると認めたときはその規則を認証する旨の決定をし、これらの要件を備えていないと認めたとき又はその受理した規則及びその添附書類の記載によってはこれらの要件を備えているかどうかを確認することができないときはその規則を認証することができない旨の決定をしなければならない。
1.当該団体が宗教団体であること。
2.当該規則がこの法律その他の法令の規定に適合していること。
3.当該設立の手続が第12条の規定に従つてなされていること】
当たり前のことだが宗教法人というのは宗教団体であり、もし実態が宗教団体を逸脱し、営利団体あるいは政治団体であった場合は、法律に基づき解散命令を出すべきなのだ。
この条項の厳格な運用により、違法な宗教法人を排除できると思われる。

次に休眠法人を排除する対策として、第81条の解散命令に下記の条項を追加するよう法律を改正することを提案したい。
【第25条第4項の規定による書類の写しの提出を怠つたとき。】
その第25条第4項の規定とは次の通りである。
【第25条 宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、毎会計年度終了後3月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならない。
2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければならない。
1.規則及び認証書
2.役員名簿
3.財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
4.境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
5.責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
6.第6条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類
3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であって前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。
4 宗教法人は、毎会計年度終了後4月以内に、第2項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項第2号から第4号まで及び第6号に掲げる書類の写しを所轄庁に提出しなければならない。】
現行法では、年に一度、法人としての活動状況を報告することが義務付けられており、違反すれば罰則も設けられているのだが、これに加えて法人の解散命令が下せるように法律を改正すれば、休眠の宗教法人の大部分が排除できると思われる。

いうまでもなく、法人として認証されるには権利と同時に義務も要るのであって、義務を履行しなければ法人格を失うのは当然であろう。
宗教法人といえども、例外ではない。
もちろん、正当な活動を行っている法人についてはなんら影響はなく、悪質な法人が排除されることにより、宗教法人全体の信用度が向上するのではなかろうか。

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2009/05/25

あの「幸福の科学」が今度は政界へ進出だと

5月10日日比谷公会堂で開かれた教団「幸福の科学」の集会で、大川隆法総裁が「幸福実現党」なる政党を設立し、政界に進出すると語った。
とりあえず次期衆院選への候補者擁立を目指し、今日25日午後に都内で記者会見を行うとしている。
大川総裁は以前から政界進出の意図があったようだが、今までは専ら自民党を応援してきた。
きっかけとなったのは、千葉のウソツキ知事・森田健作を当選させたことで、これで自信を深めたようだ。
信者の数が公称1000万人(1995年時点)いるそうで、もし一人が2票獲得すれば総理大臣を出すことも夢じゃないかも知れない。

大川隆法といえば、1991年にTV番組「サンデープロジェクト」にナマ出演したことがあった。
司会とのインタビューの中で、有名人たちの前世を語っていたのが印象的だった。あまりバカバカしいのでメモを取っていなかったが、「今日の愛国通信」というサイトに記録が残っているので紹介する。
大川隆法によれば・・・
田原総一朗の前世は柳生石舟斎、前前世は日蓮の弟子
宮沢喜一の前世は菅原道真
渡辺美智雄の前世は蜂須賀小六
三塚博の前世は加藤清正
金丸信の前世は松永弾正
小沢一郎の前世は伊達政宗
竹下登の前世は斉藤龍興
田中角栄の前世は斉藤道三
紳助の前世は「瓦版売り」
サンプロの女性司会者の前世は「舞姫、名前はわからない」
何となく本人のイメージから適当に前世をご託宣しているようで、しかも相手が軽いと見ると途端にいい加減になる。
私の目には「舌先三寸」にしか映らなかった。

大川隆法ご本人は「仏陀の再誕」とのことだったが、風貌から前世は「バカボン」ではないかと拝察される。まさに「お釈迦様でも気が付くめぇ」というところだ。
この辺りまでは多少ご愛嬌であるとしても、大川の著書『親鸞聖人霊示集』には、「親鸞聖人の過去世は、イエスの弟子パウロ」と書かれているそうだ。
(キリストに「本当ですか?」とたずねたら「イエス」と答えた、というのはココだけの話)
こうなるともうマトモな神経では付いていけない。

「幸福の科学」のHPによれば、憲法の中の改正すべき矛盾点として、第9条(戦争放棄)と第20条(信教の自由)をあげている。
9条については自民党と同一の主張だろうが、問題は20条の改正である。
条文は以下の通り。
【第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。】
戦前の国家神道の反省の上に立って、信教の自由と政教分離を規定している条項だ。

教団広報局の見解(週刊文春の報道)によれば、信教の自由だけで終わらせ、「いかなる宗教団体も・・・」以下を改正したい意向であるそうだ。
特定の宗教団体が国家権力を握り、統制しようという場合、確かにこの政教分離の規定は邪魔になる。
しかし本音をいえば世間から疑惑の目を向けられる。
それだけに宗教団体はこの条項にデリケートなのだ。
敢えてこの条項の改正に踏み込むとしたら、教団の意図を世間はどう評価するだろう。

宗教団体あるいはカルトが政党を結成し政界に進出するのは、過去に創価学会やオウム真理教がある。
創価学会のほうは成功し、いまや我が国の権力の一翼を担いつつある。
その一方オウム真理教は選挙で惨敗し、これが一つのきっかけとなって非合法活動に向かい、破滅していった。
さて「幸福の科学」の政界進出の果ては、いったいどうなっていくのだろうか。
「幸福実現党」ならぬ「不幸実現党」にならねば良いが。
(敬称略)

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2008/06/03

【四川大地震】「宗教的に正しい」シャロン・ストーン発言

2ハリウッド女優シャロン・ストーンが中国の四川大地震に対して行った発言が物議を醸し出している。シャロン・ストーンは、彼女がモデルを務めるクリスチャン・ディオールを通じて謝罪声明を発表したとされていた。しかし米ニューヨーク・タイムズ紙によると5月29日夜の彼女とのインタビューでは、謝罪声明は勝手に書き換えられたもので、「ディオールの幹部には『私は何も悪いことはしていないし、私は謝らないわよ』と伝えていたのに」という。
今でも発言は正しいと確信しているのだろう。

問題のシャロン・ストーンの発言は、カンヌ映画祭の会場で次のようになされた。
「中国のチベットに対する扱いに不満を持っている。ダライ・ラマは私の友人。地震が起きて『これはカルマか?』と思った。良くないことをすれば、悪いことが起きるでしょ?」
「カルマ」とは、オウム真理教によるサリン事件の時に散々聞かされていたので思い出すと、「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうく」といった様な意味だったと理解している。
彼女の主張によれば、チベットを弾圧した報いが四川大地震だということになるのだろう。
結論だけ見れば、日本の一部のブログが主張している「天罰」と同じ見方である。

しかしよく考えると、彼女の主張は変だ。もし因果応報であるなら、チベット民族を弾圧した張本人が被災する筈であり、決してそうなってはいない。実際には弾圧に係わっていなかった人が大きな被害を受けている。第一、四川省は元々チベット族の人が多数暮している。神だか仏だかが罰を与えるのなら、少なくともチベット族のいない地域に地震がおこりそうなものだ。
関係ない人々を巻き込んでおいて、「カルマ」という言い方は無いだろうと思う。
こういう理屈が通らないのが、宗教の恐ろしいところだ。

もう数十年前になるが、職場の友人に創価学会の熱心な信者がいて、3ヵ月ばかり聖教新聞をとらされてことがあった。その時期に国鉄(当時)鶴見事故と言う惨事があり、大勢の方が亡くなった。新聞を読んでいたら、乗客の中で創価学会の信者は助かったという記事にぶつかった。私は友人に、この書き方は信心をしていなかったから死んだという意味に取れ、おかしいではないかと食って掛かった。友人の答えは、宗教の信者からすれば当然の見方であり、正しいというものだった。信仰していない人間には分からないよというのが、その友人の見解だった。
要は、ある宗教を信仰していない人間は、いつかは報いを受けるという事を言いたいのだ。

シャロン・ストーンの発言は、きっと「宗教的には正しい」のだろう。しかし社会常識とは遊離している。
「信ずる者は救われる」なら「信じない者は救われない」のだろうか。
こんな宗教なら、コチトラァ真っ平ご免である。

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