宗教

2008/06/03

【四川大地震】「宗教的に正しい」シャロン・ストーン発言

2ハリウッド女優シャロン・ストーンが中国の四川大地震に対して行った発言が物議を醸し出している。シャロン・ストーンは、彼女がモデルを務めるクリスチャン・ディオールを通じて謝罪声明を発表したとされていた。しかし米ニューヨーク・タイムズ紙によると5月29日夜の彼女とのインタビューでは、謝罪声明は勝手に書き換えられたもので、「ディオールの幹部には『私は何も悪いことはしていないし、私は謝らないわよ』と伝えていたのに」という。
今でも発言は正しいと確信しているのだろう。

問題のシャロン・ストーンの発言は、カンヌ映画祭の会場で次のようになされた。
「中国のチベットに対する扱いに不満を持っている。ダライ・ラマは私の友人。地震が起きて『これはカルマか?』と思った。良くないことをすれば、悪いことが起きるでしょ?」
「カルマ」とは、オウム真理教によるサリン事件の時に散々聞かされていたので思い出すと、「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうく」といった様な意味だったと理解している。
彼女の主張によれば、チベットを弾圧した報いが四川大地震だということになるのだろう。
結論だけ見れば、日本の一部のブログが主張している「天罰」と同じ見方である。

しかしよく考えると、彼女の主張は変だ。もし因果応報であるなら、チベット民族を弾圧した張本人が被災する筈であり、決してそうなってはいない。実際には弾圧に係わっていなかった人が大きな被害を受けている。第一、四川省は元々チベット族の人が多数暮している。神だか仏だかが罰を与えるのなら、少なくともチベット族のいない地域に地震がおこりそうなものだ。
関係ない人々を巻き込んでおいて、「カルマ」という言い方は無いだろうと思う。
こういう理屈が通らないのが、宗教の恐ろしいところだ。

もう数十年前になるが、職場の友人に創価学会の熱心な信者がいて、3ヵ月ばかり聖教新聞をとらされてことがあった。その時期に国鉄(当時)鶴見事故と言う惨事があり、大勢の方が亡くなった。新聞を読んでいたら、乗客の中で創価学会の信者は助かったという記事にぶつかった。私は友人に、この書き方は信心をしていなかったから死んだという意味に取れ、おかしいではないかと食って掛かった。友人の答えは、宗教の信者からすれば当然の見方であり、正しいというものだった。信仰していない人間には分からないよというのが、その友人の見解だった。
要は、ある宗教を信仰していない人間は、いつかは報いを受けるという事を言いたいのだ。

シャロン・ストーンの発言は、きっと「宗教的には正しい」のだろう。しかし社会常識とは遊離している。
「信ずる者は救われる」なら「信じない者は救われない」のだろうか。
こんな宗教なら、コチトラァ真っ平ご免である。

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2007/12/26

宗教法人の財務を公開させよ

Shinsekai_2「神世界」グループの霊感商法事件で、神奈川県警の吉田澄雄警視が係わった疑いで現在捜査が行われている。先日行われたこの宗教団体に関係するヒーリングサロンの経営者・杉本明枝社長の会見では、およそ宗教活動とはかけ離れた「色と金」の世界が語られていた。この件では他に県警幹部が関与していた疑いや、問題のサロンには複数の現職国会議員が通っていたことが会見で語られており、今後更に問題が拡がっている可能性がある。

毎年のようにいかがわしい宗教団体の事件が起きているが、その殆んどが「金」絡みだ。宗教活動を維持するために金を集めているのか、金集めが目的で宗教を隠れ蓑にしているのか、区別がつかない。また事件にこそなっていないが、巨大教団による資金集めに対して、度々批判が行われていることも事実である。
宗教団体の資金の調達と運用が、正当な宗教活動なのか、それとも不法な詐欺的行為なのかを明らかにするために、資金の透明化を確保することが必要ではなかろうか。
その方策として、宗教法人の認証の条件に、教団の財務諸表などの情報公開を義務付けることを提案したい。

先ず現状はどうなっている。
前提として、憲法で定められている信教の自由により、個人、団体を問わず宗教活動は法令等に違反しない範囲であれば一切自由であり、宗教活動をすること、宗教を創設すること等も自由である。
しかし宗教法人となるためには、宗教団体が創られ、宗教活動をしていることが必要である。所定の書類を整え、所轄庁(文化庁か都道府県)に申請し認証を受けて宗教法人として活動ができる。

宗教法人は、規則及び認証書のほか、役員名簿、財産目録等を事務所に備え付けなければならない。またその一部の写しを、毎年の会計年度終了後4ヶ月以内に所轄庁に提出する必要がある。
では提出すべき書類とは、次の通りである。
①役員名簿(全法人が提出)
②財産目録(全法人が提出)
③収支計算書(収益事業を行ってなく、年間収入が8,000万円以内であり、かつ、収支計算書を作成していない法人は提出する必要はない)
④貸借対照表(作成していない法人は提出する必要はない)
⑤境内建物に関する書類(境内建物が借家である法人が提出)
⑥事業に関する書類(事業を行っている法人が提出)

宗教法人が作成した書類を閲覧したい場合は、宗教法人法第25条第3項により、次のように定められている。
「宗教法人は,信者その他の利害関係人であって前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり,かつ,その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があったときは,これを閲覧させなければならない。」
つまり信者その他の利害関係人のみが閲覧できるが、一般の人は閲覧請求ができないことになっている。

以上の現状の規定を踏まえての私の提案は次の通りである。
(1)現在収入が8千万円以下とされている収支報告書について、全ての宗教法人に提出させる。
(2)提出種類のうち、①役員名簿 ②財産目録 ③収支報告書 の3点は公開を義務づける。
(3)その他の書類については、従来通り利害関係者のみが閲覧請求できる。
(4)違反した場合、一定の猶予期間をおいた後、宗教法人の認証を取り消す。

宗教法人には非課税などの収益に対する優遇措置があり、それと引き換えに財務の透明性を要求することは当然ではあるまいか。
公開が求められるのは資金の調達と運用の実態だけであり、宗教活動そのものには一切手を触れない。
宗教法人サイドから見れば事務の煩雑さはあるものの、公開により「痛くも無い腹を探られる」こともなくなり、宗教界全体の信用度が増すというメリットがある。
勿論、こうした公開を避けたければ、宗教法人として認証を受けずに宗教活動は続けられるわけで、信教の自由に何ら差し障りは無いと思われる。

財務の公開制度が、詐欺まがいのエセ宗教を淘汰し、正常な宗教活動が確保されると思うが、どうだろうか。

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2007/08/07

「イスラム過激派」という名のゴロツキ集団

Tariban先日、当ブログへの書き込みに、次のような文章が紹介されました。
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたりして、四代法華、五代法華と誇っている家ほど悲惨な生活をしているのである。」(池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」)
ナルホド、我が家は先祖代々の日蓮宗ですから、私がいくら努力しても報われないのは、そのセイか。
でも未だ発狂はしていないぜ。

他の宗派の方がこれを読んだら、創価学会っていうのは、何てひどいことを言うのだろうと思われるかも知れませんが、宗教的には間違ってはいないでしょう。社会通念上からいえば、クレージーですけど。
こうした考えをトコトン突き詰めていったのが、オウム真理教です。
普通の人から見れば、人を殺しておいて何が救済かと思われるでしょう。彼らからすれば、不幸になることが分かっているなら、命を絶つことが人助けという理屈になります。

宗教に名による殺人は、なにもオウムの専売特許ではありません。
中世ヨーロッパの宗教戦争、中でもキリスト教のカソリックとプロテスタントの争いは、正に血で血を洗うような凄惨なものでした。
例えばフランスでは、16世紀末のナントの勅令によりようやく宗教戦争は終結するのですが、パリの市民が半分になったと言われる大きな犠牲を払った末のことです。

最近でいえば、イラク開戦前のブッシュ大統領による十字軍発言、何だか中世の時代に逆戻りしたような気分ですね。

我が国だって例外ではありません。
明治政府によって行われて神道の国教化により、廃仏毀釈と呼ばれる仏教弾圧が全国で引き起されました。
この時に抵抗する僧侶が井戸に投げ込まれたり、多くの重要文化財が破壊されたりしました。

こうして見ると、宗教により救われた人と、不幸になった人、一体どっちが多いんでしょうね。
差し引きゼロ以下なら、宗教なんか要らないということになりますが。

ここから本日のネタに入ります。「宗論」です。
マクラがちょっと長過ぎましたかね。これじゃまるで柳家小三治だ。

アフガニスタンで韓国のキリスト教関係者23名がタリバンに拉致されて人質となり、既に二人の犠牲者が出る悲劇を生んでいます。交渉は膠着状態にあり、残る人たちの安否が気がかりです。
この事件に関するネットの論調ですが、今時アフガニスタンに行くほうが悪いとか、布教活動をする方が間違っているとか、自己責任論が根強いようです。
しかしこうした主張は、タリバンの蛮行を免罪していることになります。
痴漢にあった女性に、「そんな短いスカートを穿いているからだ」と説教するようなもんですね。

タリバンはこの事件以外にも、ドイツ人やフランス人などの外国人を人質にとったり、射殺したりしています。日本人の中学教諭二人も殺害されています。
イラクにおいても同様の事件は日常茶飯事ですが、アフガニスタン同様に、標的とされるのは民間人、それもジャーナリストだったり、ボランティアであったり、どちらかと云えば、現地を支援する側の人々が多数犠牲になっています。
それもいきなり拉致し人質にして、仲間の釈放や金品を要求し、受け容れなければ殺害する、これでは強盗と同じです。
そこには何の正義もありません。

9・11事件を思い起こして下さい。
あの事件を起こして、イスラム教国にとって何か良い事があったでしょうか。何一つ無かった。
ブッシュを勇気づけ、アフガニスタンやイラクへの侵入の口実を与えただけです。
だから未だに、米国の陰謀説がくすぶっているのです。
もしウサマ・ビン・ラディンの犯行だったとするならば、彼こそ天下の大馬鹿者です。そうでなければ、ブッシュの手先か、そのどちらかです。

私はアメリカのアフガン戦争、イラク戦争は侵略戦争であり、間違っていると思います。
従って、自国を侵略された国民が、抵抗運動を起こすのは当然の権利です。
しかし現在のイスラム過激派の手口は、抵抗運動にも値しない、テロリストと呼ぶのさえ恥ずかしい、単なる強盗集団、ゴロツキ集団でしかありません。

もしビン・ラディンやイスラム過激派の連中が、こうした蛮行を神の名の下に行っているとしたら、一体イスラム教とはナンなのでしょうか。
宗教といえども社会的存在です。
法律や社会的規範を無視するような教義は、許される筈がない。

こんなこと言ってると、今度はイスラム教からバチがあたるかな。

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2007/01/29

今度は米国産「宗教」で洗脳ですかい

Hiruman「パワー・フォー・リビング」という名前を最近耳にされた方も多いでしょう。
TVでCMが大量に流されていますし、新聞には全面広告、週刊誌のグラビア頁でも大々的な宣伝を行っています。
日ハムのヒルマン監督や久保田早紀(おお懐かしや「異邦人」)が出演しているといえば、気付かれた方もいるでしょう。
10億円の資金をかけて日本のメディアをジャックしているのだそうで、大変なお金持ちであるのは間違いありあません。

数百万人の人生を変えたという本「パワー・フォー・リビング」を無料で進呈するという団体の正体は、米フロリダ州に本部を置く「アーサーS・デモス財団」といいます。
この本には,「神はあなたを愛している」「人類は罪深い」「何人たりとも神を受け入れねばならない」といった教訓が書かれているそうです。
まさか「神を受け入れない人間は抹殺せよ」とは書いていないでしょうね。
人類愛を説くことと、アフガニスタンやイラクで何も罪の無い一般市民を殺戮している事と、どう説明できるのでしょうか。

新聞報道によればこの団体は「キリスト教福音派の中でも、中絶反対や進化論否定などを訴える右派と関係が深い財団。米国では福音派の保守的な価値観が盛り返し、ブッシュ大統領の当選にも貢献した」だそうです。
なるほど、ブッシュ再選を支えた米国キリスト教イデオロギーを、これからは日本に持ち込んで洗脳してやろうという魂胆ですかね。
米国教への洗脳は、小泉純一郎サンと安倍晋三サンだけで十分です。

欧米でも既に33億円かけてCMをうっているそうですが、ドイツでは「宗教色が濃すぎる」としてCMが放送中止となりました。
日本のTVキー局では、今のところフジTVとTBSはCMを流さない方針のようで、報道機関の姿勢としては評価したいと思います。

話は変りますが、韓国産宗教団体である「摂理」の韓国籍の女性幹部が、日本国内での在留資格を不正に取得していた疑いが強まったとして、千葉県警は1月18日出入国管理法違反(資格外活動)容疑で女性幹部宅や集団の関連施設など関係先を家宅捜索しました。
この「摂理」は韓国人の教祖鄭明析が『聖書』の記述を独自に解釈した教団として設立したもので、現在は基督教福音宣教会(CGM)と呼ばれているそうです。
ナニが福音ですかねえ。
この教団、合同結婚式を行っていることからすると、統一教会と酷似しています。

この鄭明析が実はトンデモ教祖で、女子大生への強姦容疑で指名手配され逃亡、中国を経由して現在は台湾に潜伏していると見られています。
韓国の脱会支援団体「エクソダス」によると、女性信者の性的被害者は韓国人が1万人以上で、日本人も100人以上いるとのことです。
先に捜査を受けた女性幹部が信者の若い女性を教祖の所へ連れて行き、この女性幹部宅で性的暴行が繰り返されていたようです。
この教団も、キリストの教えと教祖の行為がどう両立するのか、訊いて見たいですね。

アメリカでも韓国でも、宗教団体が自国の法律に従って布教活動を行うのは自由です。
どうか我が国へは「輸出」しないでくれ。
我が国の婦女子を惑わせたり、被害を与えないでくれ。
教育基本法の改正論議の中で、いわゆる「宗教教育」が検討項目に上がっていましたが、私はそれより「反エセ宗教」教育の方が大事だと思いますけど。

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2006/04/15

「ユダは裏切り者」だったか?(その2)

Papers
今回このテーマを選んで、ただいま後悔しているところです。
しかし書きかけで放り出すのもナンですから、続けることにしましょう。
今回米国ナショナル ジオグラフィック協会から発表された文書によれば、初期キリスト教文書『ユダの福音書』の現存する唯一の写本を含むコプト語のパピルス文書が、専門家チームによる鑑定、修復、翻訳を経て、その一部が公開されました。

コプト語の写本の元になった『ユダの福音書』のギリシャ語の原典は、正典福音書の成立期から紀元180年までの間に、初期のグノーシス派に属する人々によって書かれたようです。
しかしこの原典は、存在は当時の文献から推定されているようですが、実物は発見されていません。グノーシス派は、真の救済はイエスが側近たちに伝えた秘密の知識を通じてもたらされると考え、この秘密の知識は魂を物質的な肉体から解放し、人間の内部にもともとあった神とのつながりを復活させるものだと主張しました。さらに彼らは、イエスの父である神は、物質世界を創造した旧約聖書の神より、上位の存在だと信じていました。
「ユダ福音書」は、グノーシス派の考え方が色濃く反映されたもののようです。

このコプト語のパピルス写本は、紀元300年ごろに書かれたとみられます。この写本は1970年代にエジプトのミニヤー県付近の砂漠で発見され、エジプトからヨーロッパを経由して米国に持ち込まれました。その後複雑な変遷をたどった後、専門家チームが結成され、調査が始まりました。
パピルスの放射性炭素年代測定や、インクの成分分析から、この写本が当時のものであることが確認されました。

さて「ユダの福音書」の冒頭には、「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」と書かれています。つまり最後の晩餐を行う以前の1週間に、イエスとユダがさしで話し合いをしたというわけです。
福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。

イエスはユダにこう語ります。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。ユダはイエスから物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するというのです。
この福音書からは、キリストがユダに対してと格別の信頼感を持っていたことが、窺われます。
たとえばイエスはユダに、「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」と語っています。
また「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」とイエスは言っていますが、非難は当っていますが、君臨は外れてしまったようです。
福音書の最後には、「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した。」と書かれていますが、その後のキリストの磔刑や復活については触れられていません。

この記述通りであれば、キリスト処刑当日の使徒たちの行動は、辻褄が合います。キリストの意図を、当初は彼らが理解できなかったということなのでしょう。

私は前回に記したように、旧約聖書のイザヤの預言を、キリストが実行しようとしたのではないかと考えていました。
「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」
「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
イザヤの預言は、キリスト自身の死によって実現されたと考えます。

いずれの理由にせよキリストの死は避けられないし、教祖の死は教団の消滅を招きかねません。とすれば、弟子たちがこぞって反対したかも知れません。
処刑当日、彼らが姿を見せなかったのも、そうした理由からでしょう。
しかしキリストの死と復活を経て、初めてその死の意味を理解し、キリストの思想に深く帰依した使徒たちは命がけで布教活動を開始し、その後の教団の隆盛をもたらしました。
教団組織の側から見れば、教祖の命と引き換えに、繁栄を手に入れたことになります。

それがユダという一人の使徒の裏切りの結果なのか、キリスト個人の意思によるのか、キリストと一部の弟子による計画なのか、あるいは教団全体の合意によるものか、2000年前の出来事にはまだまだ謎が多いようです。

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2006/04/13

「ユダは裏切り者」だったか?(その1)

Juda
最近「ヤッパリソウダッタカ」と、膝を打った出来事がありました。それは4月7日マスコミ各社が、「ユダは裏切り者でなかった?」という古文書について、一斉に報道したことです。
ユダといえば、キリストを裏切って敵側に引き渡した人物として知られ、裏切り者の代名詞ともなっています。ダヴィンチの有名な絵画「最後の晩餐」でも、ただ一人光冠(聖人の印である頭の上の輪)が描かれていません。
それが裏切りでなかったとしたら、歴史を書き換えなければなりません。

このブログの別館(My Link参照)で、昨年の9月6日から10月30日にかけて、「イスラエル紀行」を21回にわたり連載しましたが、その中でユダがキリストを裏切ったとされていることに、疑問を投げかけていました。
詳細は別館の記事(2005年10月掲載)を読んで頂くことにして、その疑問の要点は次の通りでした。

①最後の晩餐でのユダの席が、キリストの直ぐ近く、多分隣の席であったと推定されます。この時の晩餐は宗教的行事として行ったものなので、席順は教団内部の序列に従っていた筈です。ユダは高い地位についていたか、あるいはキリストの信任が厚かったか、いずれにしろ重要なポストにいたことが窺われます。

②晩餐の席上でキリストがユダを裏切りを予告するのですが、その後の逮捕・処刑を回避する態度が見えないこと。それどころかユダが退席した後、キリストは自分の流される血が、神との新たな契約となることを予告しています。全てが「想定内」だったのではという疑問です。

③その直後キリストはゲッセマネの園で最後の祈りを捧げるのですが、ここでも自らが十字架で死ぬことを受け容れています。この時最も信頼する使徒3名を伴うのですが、キリストが祈っている最中に、3人ともぐっすりと眠りこけてしまうという暢気さが気になります。

④イエス処刑当日の12名の使徒の行動が、余りに不可解です。教団トップが処刑されるという天下の一大事なのに、誰一人として何もしようとしません。
特に最も忠実な使徒ペテロに至っては、イエスに「死ぬまであなたについて行きます」と言うと、イエスは「お前はニワトリが鳴く前に、私のことを知らないと3回言うだろう」と言われてしまいます。翌朝イエスが捕らえられ、周りから「あなたの知り合いでしょ」と聞かれると、ペテロは「いや知らない」と本当に3回言うことになります。そこでニワトリが「コケコッコー」と鳴き、ハッと気が付くというボケぶりです。
この使徒たちの緊張感の無さは、何なのでしょう。

⑤その一方、キリストの裁判から処刑、遺体の安置に至る過程で、キリストに手を差し伸べる人も出てきます。ただし活躍するのは、アリマタヤのヨセフ、クレネ人シモン、ベロニカ、マグダラのマリアなど、使徒以外の人々ばかりです。

キリスト教の正典である聖書が、その日の使徒たちの行動を書き留めなかったのは、何か理由があったのでは、というのが私の疑問です。
この疑問を解く鍵は、旧約聖書のイザヤ書にあると思います。
イエスは、イザヤが預言していた救世主の通りに生き、そして死んでいったと考えれば、イエスの処刑はその完成を意味しています。
ユダの行動はキリストの意向に沿ったものではないだろうかというのが、これが私の推論でした。

この項、次回に続きます。

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2006/02/19

イスラム諷刺漫画と表現の自由

muhammad
米国に対する批判が多いこのブログですが、今回はアメリカ政府の見識を評価したいと思います。
デンマークの新聞がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載した問題で、イスラム教徒による抗議行動が世界的広がりを見せています。
概して西側のジャーナリズムの反応(日本を含む)は、表現の自由を理由にして、こうした抗議行動に批判的な論調が目立ちます。
先日米国務省のヒギンズ報道官が会見で、「このようなやり方で宗教的、民族的な憎悪を煽ることは受け入れられない」「これらの漫画はまさにイスラム教徒への侮辱だ」「我々は皆、言論・表現の自由を完全に尊重しているが、その自由には言論側の責任も伴う。すべての社会およびその宗教上の信条・行為に対する寛容と尊重を呼び掛けたい」と語っています。〔AFP=時事〕

こうした見解と、米国のアフガニスタンやイラクに対する武力行使と、どう整合するのか疑問ではありますが、それはそれとして先ずはこの発言を支持します。

私が問題にしたいのは、ムハンマドが爆弾の形をしたターバンを巻いている図柄を描いたこの諷刺画の作者が、「イスラム教の信仰がテロリズムの『精神的な弾薬』になっているとの思いを漫画にしたと」と主張している点です。この作者はどの程度イスラム教やコーランを勉強しているのかと、疑問を持ちます。
確かに現在一部のイスラム教徒が神の名の下に自爆テロを行って、毎日多数の犠牲者を出しています。しかしこのテロにより死亡したり傷ついたりする人の中には、多くのイスラム教徒やその支援者、米国のイラク戦争に反対している人も含まれています。
こうした無差別テロは厳しく批判されなくてはいけませんが、それとイスラム教そのものを冒涜することとは全く別の問題です。

テヘラン在住の日本人が書かれているブログ『イランという国』(http://malicieuse.exblog.jp/m2006-02-01/#4146257)の記事の中から、コーランについての記述を引用したいと思います。
「いけないのは、他人に不当なことをして、むやみやたら日常で横暴を働く者ども。こういう者どもは今にひどい天罰を蒙ろうぞ。だが本当は、害されてもじっと堪え、赦してやるのが誠の道というもの」(コーラン相談章第37-42節)
「人を殺したとか、あるいは地上で何か悪事をなしたとかいう理由もないのに他人を殺害する者は、全人類を一度に殺したのと同等に見なされ、反対に誰か他人の命を一つでも救った者はあたかも全人類を一度に救ったのと同等に見なされる、とした」(コーラン食卓章第32節)
「自分の敵とする人々を憎むあまり正義の道を踏み外してはならぬ。常に公正であれ。それこそ真の敬神に近い。アッラーを懼れまつれ。アッラーは汝らの所行一切に通暁し給う」(コーラン食卓章第8節)

悪いのは、コーランの片言隻語を取り出して捻じ曲げ解釈し、無差別テロを煽る一部の指導者であって、諷刺画の作者が言うようにイスラム教がテロの精神的な弾薬ではないし、この点は作者の曲解ないしは無知によるところでしょう。

言論・表現の自由は大事ですが、同時にマスメディアは、「人情あればご先祖様や尊敬する先人を公衆で貶されたアラブの方々やイスラームを信仰する方々に同情せざるをえません。この事件をきっかけにマスコミ各社が主張している『言論の自由』は『無知やら無縁を理由にできる公衆での嘲笑』の権利を含むのでしょうか」という指摘に(ブログ『Tant Pis!Tant Mieux!そりゃよござんした。』〈http://malicieuse.exblog.jp/m2006-02-01/#4146257〉より)、耳を傾けるべきでしょう。

日本もこれから少子化対策として、いずれ海外から労働力を受け入れることになります。
その際そうした人々の宗教や民族、祖先に対する敬愛、誇りに対して、十分な配慮が必要になると思います。
(今回の記事は、性格上引用が多くなりましたが、ご了承下さい。)

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2005/07/26

再び「子供と宗教」について

horiyoichiro
又、アヤシゲナ宗教団体をめぐる事故(今後立件される可能性はある)がありました。堀洋八郎という人物が代表をつとめる、「次世紀ファーム研究所」の施設内で、12歳の少女が死亡したものです。
少女は、以前から小児糖尿病を患っており、7月12日に母親がこの施設に連れてきて、16日に母親は帰宅、一人残された少女は18日に死亡したものです。死因は糖尿病性昏睡と、25日岐阜県警が発表しました。

厳密にいえば、この「次世紀ファーム研究所」は、宗教法人ではありません。しかし、代表の堀氏は、真光元(まこも)神社という宗教団体に関与しており、会員に堀氏を宗祖と呼ばせていたこと、石原知事の勧めにより(石原氏は否定)、宗教法人の申請を行う予定であったと言っているところから、実質的に宗教団体と見てよいでしょう。
何より、この団体が販売している健康補助食品「真光元」の、次の説明が、宗教的性格を強く感じさせます。
“自然に存在する天力(太陽)と地力(大地)という空間で真光元(ヒメガマ)と動物質(ツバ、汗、体液)が一
体になることによって発生するものを私達は光合堀菌とよんでおります。“

堀氏は、この「真光元」を服用すると、糖尿病は消え去り、又再発することも無いと説明していましたので、少女の母親はこの言葉を信じ、インシュリン治療を行うこともせず施設に置き去りにし、最悪の結果を招いたものです。
先程の「真光元」の効能書きといい、どこからどう見ても胡散臭い人物としか思えない堀氏への心酔といい、通常の判断力を持っている人間であれば、イカガワシサを感じると思うのですが、この辺りがやはり「洗脳」効果なのでしょうね。
しかし、事情も知らずに死んでいった少女は、実に痛ましい。

以前このブログで「子供を宗教活動に巻き込むな」というタイトルで記事を書いたところ、全部で15通のコメントが寄せられました。この数は、過去の記事中最多であり、多くの方の関心を呼んだテーマであったと思います。
その時の記事は、聖神中央教会という宗教法人で、代表者のパウロ永田こと金保が、多数の信者の少女を強姦したとして、逮捕された事件を受けて書いたものです。

少しタイトルがセンセーショナルだったという気がしますが、要は判断力の無い子供に特定の宗教を押し付けるべきでない、特に子供を宗教施設に連れて行くべきでないという主張でした。
私は、主に日本の新興宗教を対象にして、書いたつもりだったのですが、寄せられたコメントの多くは、クリスチャンの方々からで、これは予想外でした。
コメントの内訳ですが、私の主張に賛意を示されたご意見が6通、親が信仰している宗教を子供に勧めるのは当然というご意見が5通、その他4件でした。
賛否は、完全に割れています。
それだけ、このテーマは難しい問題なのでしょう。

私は、憲法の「信教の自由」は、子供にも適用されるべきだし、親の都合で子供の宗教を決めるべきでないと、今でもそう思っていますが。

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2005/07/18

これが「詐欺」なら・・・「法の華」裁判

fukunaga
「最高ですか~」「頭を取る」など、独特の用語で話題になっていた、「法の華三法行」の元代表・福永法源に、判決が出されました。福永法源は、信者から巨額の金を騙し取った詐欺罪に問われ、無罪を主張していましたが、7月15日東京地裁の青柳勤裁判長は、「教団トップに君臨し、犯行を推進した首謀者」と断じ、懲役12年の実刑判決を言い渡しました。
弁護団の「信教の自由を侵害する」という主張は、一蹴されました。

被害を申し出た人は1800人、被害総額は146億円ですが、泣き寝入りした人が多数いて、実際の被害は1000億円と推定されています。ただ、教団は既に破産宣告を受けており、被害の一部しか取戻せていません。
被害者の中には、病気が治るといわれて、大金を取られた揚句、病気も悪化した元信者もいて、被害は相当深刻なようです。

福永法源は、脱サラして事業を興し、一時期は自社ビルをもつほどの成功を収めますが、その後手形詐欺にあい会社は倒産。全財産を失います。
元々本人は「生長の家」の信者だったようですが、宗教は儲かるからと、立教したようです。
こうした経歴は、他の新興宗教の教祖と、実に良く似てますね。
彼の場合母親から、「生活の糧にするために、特別な声を聞こえることにして、宗教を始めて欲しい」と入れ知恵されところが、一風変わっています。

かくして教祖福永法源が誕生し、信者らの強引な勧誘活動により勢力を拡大してきました。
彼は、宇宙からの数々の啓示「天声」を聞くことができ、宇宙のエネルギーを取り込み、それを天行力として放出することにより、これを浴びた人は体の中の悪いもの、悪い霊はすべて浄化されるという教義を作り上げました。これも、他の宗教の借り物です。
「特講」という名の集中セミナー、足裏診断、掛け軸や福永被告の手形、釈迦の骨(当然ニセモノ)を法外な値段で売って、金集めに奔走します。
これも程度の差はあれ、世間でよく聞く新興宗教の手口と、余り変わり無いですね。

私がこの裁判で注目したのは、判決文で「福永被告が、『天声』を聞くことができ、足裏を見て病気などを治す力を持っているというのは、明らかに虚偽」と、断定している点です。
もし、この理屈が通るなら、世の中のアヤシゲナ宗教やナントカ占いなど、みんなインチキになりますぜ。
本来宗教とか占いというのは、信じる人の内面の問題であって、他の第三者が虚偽かどうかを判断するというのは、アリなんですかね。
例えば細木数子センセイの予言、あれは真実なんですか、それともサギ、裁判所に聞いてみたい。

「法の華三法行」は2001年に解散となりましたが、現在は「よろこび家族の和」と名前を変えて、活動を続けています。
色々な宗教を転々としながら、宗教活動のノウハウを取得し、教団を設立する。不祥事を起こせば、別の組織に衣替えして、活動を続ける。オウムなどの悪徳宗教団体というのは、多くの共通点を持っているようです。
もう一つ、ねずみ講と一緒で、一度この世界に入ると、なかなか止められない。
「世に盗っ人の種は尽きまじ」
「〇〇と教祖は3日やったらやめられぬ」
でしょうか。

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2005/04/09

”子供を宗教活動”への反論を掲載します

前回の記事“子供を宗教活動に巻き込むな”について、ree さんと言う方から反論(コメント欄にも公開されてますが)が送られてきましたので、全文を掲載します。
一点だけ excuse させて貰えば、”パウロ永田”のパウロがキリストの使徒の名であることは、十分承知しています。しかし本人の行った行為との落差が余りに大きく、又パウロ永田という言葉の響きが、お笑い芸人のようでしたので、軽口をたたいたものです。軽口は本性なので、ご容赦を。
信仰を持たれている方から見れば、私のような神仏を含めて世の絶対的権威を認めていない人間のこうした意見は、恐らく天下の暴論と映るだろうと、掲載前から予測しておりました。
私の意見が絶対正しいなどとは、爪の先ほども思っておりません。皆様から広くご意見を伺えれば、幸いです。


プロテスタントの教会に通うクリスチャンです。今回の事件には心を痛めますが、日本人の中に聖書に対する知識のなさとそれを平気で”信教の自由”につなげて発言してしまう方の多さに驚いています。
「パウロ永田」という名はおそらくイエスの弟子から付けられたもので、この牧師以外にも「ペテロ○○」とか、「ヨハネ○○」といった名を付けられて牧会を行っておられる先生は多くおられます。
子供に宗教を・・と問題提起されていますが、子供が自己の意志をはっきり確立させる12~3歳くらいまでは(あくまでも平均的に、ですが)着る物、食べる物、住むところなどはほぼ親の意志で決定して与えているのに、人の命や人生観や魂の行く先まで関わる信仰の問題はもっと親が真実に信じているなら強く勧めるのは当然ではないでしょうか。
我々プロテスタント教会のほとんどは、12~3歳くらいまでの子供には嫌がらない限り「幼児洗礼」を受けさせ、一緒に礼拝に出たり聖書を読み聞かせたりお祈りをしたりします。それ以降は自分の意志で信仰するのかどうかを決めさせ信仰を続ける意志のある子供にはもう一度洗礼を受けさせます。
「お前は・・・」というフレーズを書かれたおかげで、すべての誠実なコメントが汚れて浅はかに見えてしまうことが残念です。

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2005/04/08

子供を宗教活動に巻き込むな

seishin
予定を一日繰り上げて、宗教と子供についてのテーマです。
聖神中央教会という宗教法人で、代表者のパウロ永田(お前は、吉本のお笑い芸人か)こと金保が信者の少女を強姦したとして、逮捕されました。オウム真理教事件以来、こうしたカルトに対する世間の眼は厳しくなっていますが、類似の事件が後を絶ちません。
カルトで、教祖と女性信者との間の性的な関係が問題となるのは、決して珍しいことではありません。洋の東西を問わず、どうもカルトの代表者というのは、概して精力絶倫の男が多いようです。私などは、それだけで教祖失格です。
今回の事件が悲惨なのは、信者自身ではなく、その子供の少女達が犠牲になったことです。他にも多数の被害者がいるようですが、殆どが10代前半と見られており、中には数年間も継続して暴行を受けていた少女もいたようです。この代表は、余程のロリコン親爺だったのでしょう。

6日には被害者の会の記者会見が行われていましたが、その様子をTVで見て多少違和感を覚えました。今回の事件は、信者である彼らが宗教施設に子供を連れて行き、宿泊までさせていたことにも原因があったのではないか。子供さんたちは確かに被害者で、本当にお気の毒と思いますが、親である信者は、見方によっては加害者ではないだろうか。厳しいかも知れませんが、親としての保護責任が問われると、私は思います。

日本の憲法には信教の自由がうたわれています。戦前の日本では国家神道が事実上の国教となって、信仰が強制されたのですが、現在は宗教を信じる自由も、信じない自由もあります。つまり信教は、個々人の心の問題です。
ここで私が疑問に思うことは、多くの宗教で、親が入信すると、自分の子供も同じ信者にしてしまうケースが多く見受けられます。小さな子供は判断力がありませんから、親の宗教をそのまま信じてしまうでしょう。それでなくても、子供は自分の親を悲しませたくないので、親の言うことに従います。
これは、その子供個人の信教の自由を奪っていることにならないでしょうか。
私の子供が未だ小学生の頃、日本最大と云われる宗教団体の信者の子弟が、クラスに数名いました。一緒にお祭りに行っても、罰が当たると言って、神社の鳥居から先へは入らないそうです。社会科の授業で、イエス・キリストの話になると、耳を塞いでいたそうです。私の子供にも、その宗教の集会だか催し物だかに、勧誘もありました。一体子供達にこんなことを吹き込んだのは、誰なのでしょう。

親がどの宗教を信じようと、それは自由です。しかし子供は親の従属物ではない。子供には子供の人権があり、人生があります。どうか、子供達に自分の宗教を押し付けないで欲しい。今回の事件を通して、改めてこのことを強く感じました。

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