演劇

2018/05/27

文学座公演「怪談 牡丹燈籠」 (2018/5/28)

「怪談 牡丹燈籠」
日時:2018年5月28日(土)13時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター

原作:三遊亭円朝
脚本:大西信行 
演出:鵜山 仁
<出演者>
早坂直家、石川 武、大原康裕、沢田冬樹
釆澤靖起、相川春樹
富沢亜古、つかもと景子、岡寛恵、梅村綾子
髙柳絢子、永宝千晶

【あらすじ】
この物語のメインストーリーは、飯島平左衛門の忠僕孝助の仇討だが、お馴染みの落語や芝居ではその部分はカットされ、サイドストーリーである伴蔵とお峰夫婦の物語を本筋としている。
圓朝の原作では年代を1743年としているが、大西信行の脚本では約100年ほど後ろにずらし幕末頃に設定している。
旗本飯島平左衛門の一人娘お露はふとした縁で浪人萩原新三郎を見染め、恋い焦がれた末に焦がれ死に、女中のお米もその後を追った。それを伝え聞いた新三郎は念仏三昧の供養の日々を送っていた。折しも盆の十三日、死んだと聞いていたお露とお米が牡丹燈籠を提げて門口に立った。二度と会えぬと思い詰めていた二人は激しく燃えあがる。
平左衛門の妾お国は、隣の屋敷に住む宮野辺源次郎と人目を忍ぶ仲。家督を早く乗っ取りたく焦った二人は、奸計を巡らし平左衛門を斬殺するが、源次郎も足に深手を負ってしまい、二人はそのまま江戸を出奔する。
新三郎は夜毎お露と逢瀬を重ねていたが、この家に出入りをする伴蔵は家の様子を見てお露とお米が幽霊だと見抜く。このままでは新三郎がとり殺されると、新幡随院の良石和尚から死霊退散のお札を貰い、戸口や窓に貼りつけ、新三郎の海音如来の尊像を身に付けさせる。このため家の中に入れず二人は萩原の家の周りを漂うばかり。
新三郎に逢えぬお露の嘆き悲しみを見て、不憫に思ったお米は伴蔵にお札と如来像を取り除いてくれと頼む。それを知った女房お峰の入れ知恵で、百両の大金と引き替えに伴蔵夫婦が一計を案じて新三郎海音如来像を盗み、お札を剥 がすと、牡丹燈籠はうれしげに高窓に吸い込まれて行った。
その1年後、ところは野州栗橋宿の関口屋という大店の旦那におさまった伴蔵とお峰の姿があった。 商売も順調だったが、近ごろ伴蔵は近くの料理屋の酌婦・お国に入れあげ夜遊びの日々。飯島家を出奔したお国と源次郎だったが、この地で源次郎の足の怪我が悪化し、その治療費を稼ぐためお国が店に出ていたのだ。
事情を知ったお峰は伴蔵を問い質すと、伴蔵が居直る、怒ったお峰が新三郎の一件を持ち出し伴蔵を詰る。ここで伴蔵は平謝りして、よその土地に移ってまた二人で一から出直そう説得し、お峰も承知する。
ついては新三郎から奪った金の海音如来を掘り出して逃げようとお峰を幸手堤に誘い出し、見張りをさせていたお峰を伴蔵は背後から刺殺する。

落語の演目でいえば、『お札はがし』『栗原宿』にあたる。
上演時間は休憩を除きおよそ2時間、間に三遊亭圓朝に扮した役者が高座に登場し、ストーリーの足りない部分を解説するという演じ方だった。手際よくまとめられ、筋が分かりやすい様に工夫されている。
「世の中の人の心を分析すれば 色気三分に欲七分」という都々逸があるが、「牡丹燈籠」はズバリその世界だ。
今の惨めな生活から何とか這い上がろうと必死にもがく男女、いったんは幸せを掴んだかに見えたが、その先にはもっと大きな不幸が待っていた。
因果応報という単純なものよりもっと深い、人間の不確実な運命を描いた作品だからこそ、100年経ても色あせないのだろう。

公演は6月3日まで。

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2018/05/24

ヘンリー五世(2018/5/23)

「ヘンリー五世」
日時:2018年5月23日 (水) 13時
会場:新国立劇場 中劇場

作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
演出:鵜山仁
<  主なキャスト  >
浦井健治:ヘンリー五世
岡本健一:ピストル
中嶋朋子:王女キャサリン
立川三貴:シャルル六世
水野龍司:ウエストモランド伯
吉村直:騎士ガワー
木下浩之:皇太ルイ
田代隆秀:キャンタベリー大司教/オルレアン公
塩田朋子:王妃イザベル
浅野雅博:エクセター公
横田栄司:騎士フルーエリン
那須佐代子:ネル/アリス
勝部演之:イーリー司教/バーガンディー公
金内喜久夫:ハーフラー市長/騎士トーマス・アーピンガム
小長谷勝彦、下総源太朗、櫻井章喜、清原達之、
鍛治直人、川辺邦弘、亀田佳明、松角洋平、内藤裕志、
田中菜生、鈴木陽丈、小比類巻諒介、永岡玲央

【あらすじ】
即位したばかりのヘンリー五世の宮廷にフランスからの使節が訪れる。さきごろヘンリーの曽祖父エドワード三世の権利に基づき要求した公爵領への返事を、フランス皇太子から遣わされたのだ。そこにはヘンリーの要求への拒否だけではなく、贈呈として宝箱一箱が添えられていた。中身は、一杯に詰められたテニスボール。それは、若き日のヘンリーの放埒を皮肉った、皇太子からの侮蔑だった。それを見たヘンリーは、ただちにフランスへの進軍を決意し、フランスに内通していたケンブリッジ伯らを処刑する。
フランスに上陸したヘンリー五世の軍は苦戦しながらも、軍勢において圧倒的に不利だったアジンコート(アザンクール)の戦いに大勝利し、シャルル六世を降伏させる。その後フランスと講和(トロワ条約)を結び、フランスの王女キャサリンを王妃に迎える。

このシェイクスピア劇を観た当時のロンドン市民らは、さぞかし痛快な思いをしただろう。何しろイギリス軍がにっくきフランス軍に大勝利してというストーリーなのだから。
私たちは既に「ヘンリー四世」を観ており、五世の皇太子時代の悪い遊び仲間(フォールスタッフの仲間)との放埓な生活を知っているので、王に即位した彼の姿をまるで息子の成長を見るような気分になる。
そのフォールスタッフの仲間の連中も、この劇ではフランスとの戦争に従軍し、仲間の一人であるピストルの奮戦ぶりが描かれている。
フランスで苦戦していたヘンリー五世が家来からマントを借りて羽織り、一人でうずくまって思案していると、そこに兵士が現れ国王とも知らず話しかける。兵士との他愛ない会話で元気を取り戻した国王が、兵士と手袋を交換し再会を誓い合う。
何だか「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」を連想させるような筋立てだ。
ただ大きな違いは、ヘンリー五世の方は例え知り合いでも規律に反する者は容赦なく切り捨てる非情さがあることだ。
またイギリス軍といえどもスコットランドやウエールズ、アイルランドなどの地域の兵士も従軍しているので、お互い訛りがあるので言葉が通じない。これを邦訳では東北弁や九州弁などで表現していて、可笑しみを出していた。
イギリスに負けたフランスの王女が、お付きの者から一所懸命に英語のレッスンを受けるシーンもある。
本来は政略結婚だったヘンリーとの婚姻も、劇中ではヘンリーがキャサリンに恋してプロポーズするという筋にしている。
こうした味付けが劇の中身を膨らませ、約3時間の芝居を楽しませてくれた。
今回初めて一連のシェイクスピア劇を観たのだが、こうした大衆性がシェイクスピア作劇の人気の源なのだと感じた。
一連の作品の上演にあたり、スタッフや出演者をほぼ固定するという試みは、観る側にとって安心感をを与えるという効果があったようだ。

公演は6月3日まで。

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2018/05/22

5月文楽公演第二部「彦山権現誓助剣」(2018/5/21)

「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」
須磨浦の段
瓢簞棚の段
杉坂墓所の段
毛谷村六助住家の段
日時:2018年5月21日(月)16時
会場:国立劇場 小劇場

【あらすじ】
作者は、梅野下風と近松保蔵で、初演は天保6年(1786年)。仇討物語だ。
物語の背景は秀吉の朝鮮出兵で、それに明智光秀の遺恨がからむ。
秀吉より命令を受けた大名は剣術の優れた者をスカウトせねばならなくなった。その一人が彦山の麓にある毛谷村に住む六助という男で、吉岡一味斎という剣術指南役から手ほどきを受け一巻を伝授される。
また六助を見込んだ一味斎は長女のお園の婿に迎え家督を継がせようとしていた。次女のお菊は既に他家に嫁いでおり、弥三松という男の子がいる。
そのお菊に横恋慕していた京極内匠は一味斎との御前試合に敗れた腹いせに、一味斎を暗殺し逃亡する。
敵討の許しを得たお園は母のお幸と、お菊は弥三松を連れて、それぞれ仇討の旅に出る。
「須磨浦の段」
お菊は仇の一味斎に出会うが、返り討ちにあって殺される。幼い弥三松は葛篭に入っていて難を逃れる。
「瓢簞棚の段」
博徒に扮していた内匠は光秀の亡霊に導かれて自分が光秀の遺児だと知り、織田家の名刀・蛙丸を手に入れる。瓢箪棚でお園は名刀をめぐって内匠と斬り合いになるが、内匠は秀吉の象徴である瓢箪を切り払い、逃げてゆく。
「杉坂墓所の段」
小倉藩は、六助と試合をして勝った者を五百石で召し抱えるとう高札を立てる。
六助の前へ微塵弾正と名乗る男が現れ、病弱な母親に孝行するために剣術の試合に負けてくれと頼まれる。人が良い六助は頼みを引き受ける。
六助はまた瀕死の男から幼い男児を託されるが、この男児が実は殺されたお菊の子の弥三松だと後から分かる。
「毛谷村六助住家の段」
約束通り六助は御前試合で相手に負けてやるが、相手は感謝どころか尊大な態度に出て、六助の眉間を割る始末。
六助の家に老女が訪れ一夜の宿を借りるが、自分を母親だと思ってくれと言うので奥の部屋に泊める。
六助は預かった弥三松の着物を家の外に干しておいたが、その着物を見て虚無僧が来て「家来の敵」と六助に斬りかかる。その虚無僧は実は女で、弥三松が女の顔を見て「おばさまか」と縋りつく。
六助が弥三松を預かることになったいきさつを話し名を名乗ると、女も女は一味斎の姉娘のお園であることを明かし、父が内匠に殺された経緯を語る。
そこに奥から最前の老女が現れるが、老女は一味斎の妻でお園の母親のお幸だった。六助をお園はお幸の前で祝言をあげる。三人が今までの事を話し合っていると、六助が御前試合で負けてやった男こそが仇の内匠だと分かる。
六助は師であり舅である一味斎の敵を討つ決心をして、勇んで支度をする。

イヤー、面白かった。予想以上だった。
人物でいえば、お園という女性は剣術の達人にして力持ち、男装して虚無僧に扮したりするのだが、相手が許嫁の六助と分かるといきなり「お前の女房」と言い出し、シナを作ったり、姉さんかぶりで竈の火をおこしたりと、すっかり女房気取り。その反面、三々九度の酒を一気にあおるなど、豪快な面も見せる。
古典の歌舞伎にはあまりお目にかかった事がない女性像で、興味を魅かれた。

そして何より文楽の醍醐味である、太夫と三味線と人形が一体となった素晴らしい演技が見られた。
とりわけ瓢簞棚の段の「奥」での
竹本津駒太夫
鶴沢藤蔵
お園:吉田和生
内匠:吉田玉志
また、毛谷村六助住家の段の「奥」での
竹本千歳太夫
豊澤冨助
六助:吉田玉男
お園:吉田和生
太夫と三味線と人形遣いのぶつかり合いは感動的だった。
文楽の素晴らしさを改めて感じさせてくれた。

文楽に詳しい方のサイトを見ると、大阪での公演は空席が多い反面、東京公演では土日ともなるとチケットが取れないという悩みがあるという。確かにこの日も平日にも拘わらず、入りが良かった。
その方は、文楽公演は東京中心にすべきだと主張しておられるが、一考を要するだろう。

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2018/05/10

柳家喬太郎奮闘公演の「たいこどんどん」(2018/5/9)

こまつ座「たいこどんどん」
日時:2018年5月9日(水)13時
会場:紀伊國屋サザンシアター

脚本:井上ひさし
演出:ラサール石井
<  キャスト  >
柳家喬太郎:幇間・桃八
江端英久:若旦那・清之助
あめくみちこ:女郎・袖ヶ浦、他
武者真由:女郎・藤ノ浦、他
新良エツ子:女郎・里ノ浦、他
野添義弘:主人、他
有薗芳記:ひげ侍、他
木村靖司:あばた侍、他
小林美江:魚婆、他
俵木藤汰:片目侍、他
森山栄治:駕籠かき。他
酒井瞳:お篠、他

井上ひさし作「たいこどんどん」は、2011年5月にシアターコクーンで上演された
演出:蜷川幸雄
中村橋之助(当時):若旦那・清之助
古田新太:幇間・桃八
鈴木京香:女郎・袖ヶ浦、他
のキャストの舞台を観ていた。
それで今回の公演にはあまり食指が動かなかったのだが、10日ほど前にふと新聞を読んでいたら、喬太郎が主演とあった。それではどんな芝居になるんだろうかと興味を持ち、観劇した次第。
本作品は、井上が直木賞受賞後の第一作として書いた小説「江戸の夕立ち」を1975年にみずから戯曲化したもの。
以下、あらすじは当時の記事より引用。

【あらすじ】
時代は幕末。
江戸日本橋の薬種問屋の若旦那・清之助と、幇間(たいこもち)・桃八が、品川の女郎屋で隣席の薩摩のイモ侍と揉め事をおこし、あわやの時に海へドボン。
危ういところを東周りの千石船に拾われる。
着いたところは陸中釜石。
そこから江戸に戻る予定が、行く先々で清之助がトラブルに巻き込まれ、それを桃八の機転で何とか乗り切る。
そんな繰り返しをしているうちに、東北から北陸までグルリと、まるで「奥の細道」のようなコースをたどることになってしまう。
時に清之助からひどい仕打ちを受け、離れ離れになる時があっても、桃八は若旦那に尽くし続ける。
だって、タイコモチだもん。
9年にわたる遍歴の果てに慶応4年8月、ようやく江戸に戻った二人を待ち受けていたものは・・・。

幕が上がるとメクリに「柳家喬太郎」、出囃子の「まかしょ」が鳴り、喬太郎が登場してこの戯曲のイントロを語る。
終幕には再び喬太郎が高座姿で登場し、シメの一言を語る。
カーテンコールでは、「たいこどんどん音頭」を唄い踊りながら、喬太郎が最後に舞台をおりる。
今回の演出は、喬太郎の高座の中の芝居として「たいこどんどん」が演じられるという趣向のようで、これが2011年の蜷川演出との決定的な違いだ。
いうなれば、「柳家喬太郎座長公演」といった趣きだった。

芝居全体としては、いかにも井上ひさしの初期作品らしい猥雑で卑猥だが、迸るようなエネルギーと笑いに溢れたものだ。
出演者は喬太郎、あめくみちこを始め、全員が実に楽しそうに演じていた。
江端英久が急な代役にもかかわらず好演。

終演後アフタートークがあり、喬太郎が落語家もこうした芝居にどんどん参加した方がいいと言っていた。
でも「(こういう芝居が出来るは)オレしかいないよ」と言ってたのは、本音だろう。

公演は20日まで。

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2018/04/27

「百年の秘密」(2018/4/26)

ナイロン100℃ 45th SESSION「百年の秘密」
日時:2018年4月26日(木)
会場:本多劇場

脚本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  主なキャスト  >
犬山イヌコ:ティルダ・ベーカー/ニッキー(ティルダのひ孫)
峯村リエ:コナ・アーネット(ティルダの同級生)/ドリス(コナのひ孫)
みのすけ:チャド・アビントン(同上)
村岡希美:リーザロッテ・オルオフ(同上)
大倉孝二:エース・ベーカー(ティルダの兄)
廣川三憲:ウイリアム・ベーカー(ティルダの父)
松永玲子:パオラ・ベーカー(ティルダの母)
山西惇:フォンス・ブラックウッド(ティルダの夫)
萩原聖人:カレル・シュナイダー(コナの夫)
泉澤祐希:フリッツ・ブラックウッド(ティルダの息子)
伊藤梨沙子:ポニー・シュナイダー(コナの娘)
長田奈麻:メアリー(ベーカー家の女中)
藤田秀世:カウフマン(リーザロッテの夫)
菊池明明:ヴェロニカ(エースの恋人)

ストーリーは、ティルダとコナ、同級生で親友同士の二人の女性とその家族、さらにはその周辺の人々の人生を描いたもの。最後は二人のひ孫まで登場するので、およそ百年の時を経ることになる。
もう一つの主人公は、ティルダの実家の庭にそびえる1本の楡の大木で、この木の下で繰り広げられる人間ドラマを見守っている。
登場人物はみな市井の人々で、どこの家庭でも起こり得るような幸せや揉め事が繰り広げられる。そして他人には言えない秘密を抱えていて、それが様々な不幸を招く元になってゆく。
登場人物の多くは不幸な死に方をするが(又は暗示しているが)、最後は救いが用意されている。

この演劇の脚本と演出を手掛けたケラリーノ・サンドロヴィッチ(ケラさん)は、今回の上演にあたって、次の様に述べている。

―「どうしても再演しておきたい公演」というのは滅多にない。「どうしても」となると、劇団での上演に関しては、今やこの作品が唯一。最後の一本だ。
(中略)
実は初演時から「絶対再演したい」とプロデューサーに直訴していた。初演の出来が悪かったからとか、観客の評判が良かったからではない。強いて言うなら、作品側から求められていたのだ。
―劇中に震災を想起させるような要素は皆無だが、執筆≠稽古中、ずっと頭にあったのは、幸せとは言えぬ亡くなり方をした方々の、その人生を引っくるめて「悲惨」と称してしまうことへの反発と、そう称されてしまう人生たちへの擁護だった。「終わり良ければ」は人の一生には当てはまらないのではないか。別の言い方をすれば、そもそも悲惨でない人生なんてないんじゃないか。そんな気持ちだった。

私は、この芝居を東日本大震災の翌年の初演の舞台を観ている。
正直に言えば、その時はさして感動もしなかったし、あまり良い作品だとも思わなかった。
この6年、当たり前だが私も6つ歳をとったし、この間に何人かの親しい人を失った。人間の死亡率は常に100%だ。どういう風に死んでいくのか誰も分からない。だから、死に方によって幸せだった不幸だったかを決められたら、堪ったもんんじゃないという主張は今なら共感できる。
もちろん、この6年で沢山の芝居を観てきたことも影響しているだろう。
今回の舞台は、とても良かった。

人生の歩みによって、劇評も変わってゆくことを実感した。

公演は30日まで。

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2018/04/19

イプセン「ヘッダ・ガブラー」(2018/4/18)

SIS Company「ヘッダ・ガブラー」
日時:2018年4月18日(水)18時30分
会場:Bunkamuraシアターコクーン
脚本:ヘンリック・イプセン
翻訳:徐賀世子
演出:栗山民也
<  キャスト  >
寺島しのぶ/ヘッダ・テスマン(ガブラー)、ガブラー将軍の娘
小日向文世/イェルゲン・テスマン、ヘッダの夫、学者
佐藤直子/ミス・テスマン、イェルゲンの叔母
水野美紀/エルヴステード夫人、ヘッダの友人、レェーヴボルクを恋い慕う
池田成志/レェーヴボルク、ヘッダの元カレ、イェルゲンとはライバルの学者
段田安則/ブラック判事、テスマン夫妻の共通の友人、ヘッダにソノ気ありあり
福井裕子/テスマン家のメイド

【あらすじ】
高名なガブラー将軍の娘で美しく気位が高いヘッダは、キラ星のごとき男の中から将来性があると踏んだ学者イェルゲン・テスマンを夫として選び、結婚する。
ところが夫は学問にばかり夢中で、死ぬほど退屈な男。
そこへ、ヘッダの元カレで、ヘッダが銃を突き付けてまでして関係を断った男、レェーヴボルクが突然現れる。
以前は身を持ち崩していたが、今ではエルヴステード夫人の手助けによって立ち直り、学者として実績を上げつつあった。
一方、エルヴステード夫人は恋しいレェーヴボルクを追って家を捨て、彼を追いかけてくる。
テスマン家で再会を喜び合う二人に、ヘッダは嫉妬の心を燃え上がらせる。テスマン夫妻の知り合いであるブラック判事によれば、次の教授にはレェーヴボルクが有力だという。そうなれば、ヘッダの人生計画も狂ってしまう。
ヘッダはレェーヴボルクを再び堕落の道へ落とすべく計画を練り、成功するかに見えたが・・・。

時代は19世紀。家庭に不満を持っているが、ヘッダは自立する気もない。かと言って、友人のエルヴステード夫人の様に、好きな人のためなら家も家族も投げ出してといった行動に出るわけでもない。
もっとも19世紀という時代の制約の中では、女性の自立は極めて困難だっただろうが。
人を見くだし、自分より恵まれたと思う人間に嫉妬を募らせ、相手の足を引っ張るだけの人生。
最後は破滅の道に進むのは当然だろう。
しかし、ヘッダの心境というのは、21世紀に生きる人々にも、共感が得られる部分はあるだろう。
この芝居は、人間の愛欲、嫉妬、打算といった普遍的な問題をテーマにしており、そこが現代人にも受け容れられるのだと思うj。

出演者では、寺島しのぶの存在感、演技力が舞台を圧倒していた。やはりDNAか、舞台映えする。
他の共演者もそれぞれいい味を出していた。
小日向文世がフサフサのカツラをかぶると、あんなに若く見えるんだね。オレも髪を真っ黒に染めてみようかしら。息子より若く見られたりしてね、フフ。

公演は30日まで。

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2018/03/14

必見!「赤道の下のマクベス」(2018/3/13)

「赤道の下のマクベス」
日時:2018年3月13日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:鄭義信
演出:鄭義信
<  キャスト  >
池内博之:朴南星(清本南星)
浅野雅博:山形武雄
尾上寛之:李文平(清原文平)
丸山厚人:金春吉(金田春吉)
平田満:黒田直次郎
木津誠之:小西正蔵
チョウヨンホ:ナラヤナシ
岩男海史:看守A
中西良介:看守B

私は終戦の前年に生まれたので戦争の記憶は全くないが、家族や親類、ある時は銭湯で見知らぬ人から、戦争の実相を聞かされた年代だ。
我が家はは戦前は中野駅の近くで水商売をしていて、軍隊生活を送っていた人も客として来ていた。そうした場所では、彼らも気を許して自分の家族にさえ話せなかったことも喋ってしまう。
父は何も言わなかったが、母親からは兵士たちの嫌な話を顔をしかめながら私に語ってくれたことがあった。
だから最近の日本軍を賛美するような論説は、あまりに実態と異なるものだと違和感があるのだ。
その一つに極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する批判がある。私もこの裁判には大いに不満があるが、それは巷間のものとは正反対からの批判だ。
次の数字は軍事裁判によって死刑判決を受けた人数だ。
A級戦犯    7名
BC級戦犯  934名
戦争を遂行し命令を下した側と命令された側の死刑の数があまりにアンバランスなのだ。
BC級戦犯の死刑のうち11%は捕虜収容所の関係者で、捕虜に対する虐待や暴力が処刑の理由となっている。捕虜収容所の監視員らがその対象とされていた。
しかし彼らは軍の最高方針である捕虜に対して「無為徒食をせしめず」に従って捕虜を労役に使ったのであって、命令に従っただけなのだ。

この演劇は、1947年のシンガポール、チャンギ刑務所が舞台。
第二次世界大戦のBC級戦犯として収容されていた日本人と元日本人だった朝鮮人の物語だ。
死刑囚が収容される監獄・Pホールには、演劇に憧れシェイクスピアの「マクベス」の本をボロボロになるまで読んでいる朴南星、戦犯となった身の上を嘆き悲しむ少年の李文平、一度は無罪で釈放されながら再び死刑判決を受けてここの戻されてきた金春吉の朝鮮人。そして山形、黒田、小西の3人の日本人とあわせて6人の死刑囚が収容されている。
判決から処刑までおよそ3ヶ月という期限に日々怯えながら、過酷な環境の中で精神的にも肉知的にも追い詰められるている。
そうした中でも朴南星だけは明るさを失わず、落ち込む仲間を励ましてムードメーカーの役割を果す。
舞台はいかにも鄭義信の作品らしく賑やかな場面もあるが、それが反面の熾烈さを印象づけている。
朝鮮人死刑囚が日本人死刑囚に対して「あんたたちは、それでも名誉が残るからまだいい。俺たちは何も残らない」という言葉は重い。国に残された家族たちも、息子が日本軍の協力者だったということで迫害を受ける。彼らには全く救いがない。
外見は朗らかにしていた朴南星がいよいよ死刑執行を前にして、「生きたい、もっと生きていたい」と嘆く場面は胸を打つ。

私は以前タイに旅行した際、この芝居の背景にもなった泰緬鉄道に乗車した。カンチャナブリー連合軍共同墓地も訪れ、その墓石の多さに驚いた。
クワイ川にかかる「戦場にかける橋」は徒歩で渡り、橋の袂にあった日本軍慰霊碑も訪れた。
泰緬鉄道の建設期間中に、約1万6千人の連合軍の捕虜が、飢餓と疾病と虐待のために死亡した。
忘れてはならないのは4-7万人と推定されるアジア人労働者の犠牲者だ。その正確な人数は未だに分かっていない。
戦争は狂気である。

舞台は重いテーマにも拘わらず笑いの場面もあり、舞台を跳ね回る演者たちのエネルギッシュさに圧倒される。
そして、泣ける。
出演者は全員が熱演で舞台を盛り上げたが、なかでも主演の池内博之の演技が素晴らしい。
テーマも舞台も、まさに必見!

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2018/02/16

「ムサシ」(2018/2/15)

「ムサシ」
日時:2018年2月15日(木)13時30分
会場:Bunkamuraシアターコクーン

脚本:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
<  キャスト  >
宮本武蔵:藤原竜也
佐々木小次郎:溝端淳平
筆屋乙女:鈴木杏
沢庵宗彭:六平直政
柳生宗矩:吉田鋼太郎
木屋まい:白石加代子
平心:大石継太
忠助:塚本幸男
浅川甚兵衛:飯田邦博
浅川官兵衛:堀文明
只野有膳:井面猛志

2009年の初演以来、ロンドンやニューヨークなど海外を含めて何度も再演されてきたが、今まで観る機会がないままになっていた。
今回、蜷川幸雄三回忌追悼公演として2014年の出演メンバーが全員揃ったシアターコクーンの舞台を観劇。
幸いバルコニー席の最前列の舞台寄りという良席だった。

あらすじ。
慶長十七年(1612年)陰暦四月十三日正午、豊前国小倉沖の舟島で行われたご存知、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は武蔵の勝利に終わる。
佐々木巌流の名前から、後に巌流島の決闘として世に伝わる。
倒れた小次郎を見ると未だ息があり、武蔵は検視役に手当を頼み立ち去る。
決闘から6年後の元和4年(1618年)の季節は夏。場所は鎌倉は佐助ヶ谷、源氏山宝蓮寺。
講堂と厨子、それを結ぶ渡り廊下しかない小さなこの寺で、いままさに寺開きの参籠禅が執り行われようとしていた。
大徳寺の長老沢庵宗彭を導師に迎え、将軍指南役で能狂いの柳生宗矩、寺の大檀那である木屋まいと筆屋乙女、そして寺の作事を務めた武蔵も参加している。
そこへ突然、佐々木小次郎が現れた。舟島でかろうじて一命をとりとめた小次郎は、武蔵憎しの一念で、6年間武蔵の行方を追いかけて、遂にここ宝蓮寺で宿敵をとらえたのだ。
先の決闘では武蔵の策によって敗れたと信じる小次郎にとり、今度こそは「五分と五分」で決着をつけようと、武蔵に「果し合い状」を突きつける。こうして、宮本武蔵と佐々木小次郎の命をかけた再対決が「三日後の朝」と約束される。
しかし、なぜか周囲の人たちは二人の決闘をやめさせようとする。
沢庵和尚は殺生はいかんと説くし、柳生宗矩は刀が物言う時代は終わったといい、筆屋乙女は父の仇討ちを通して復讐の連鎖はやめようと言い出し、木屋まいに至っては自分とやんごとなきお方とのご落胤こそが佐々木小次郎だと主張し出す始末。
こうした中で行われる武蔵と小次郎の最後の決闘の結末は・・・。

いかにも井上ひさしの戯曲らしい笑いの多い作品だ。剣術の訓練がいつのまにかタンゴののリズムになり、全員が踊りだす、そんな場面もある。
作品のテーマは、生への賛歌だ。生きることの素晴らしさ。
もう一つのテーマは能で、舞台装置である寺そのものが能の舞台の構造となっている。
演者たちの能の謡や舞に乗せた科白や所作が随所に披露される。

柳生宗矩が創作する新作能「カチカチ山の続編」が、本作のテーマを暗示している。
もっともオリジナルの「カチカチ山」を知らない方も多いだろうから、ここでwikiの記事を下に引用する
【昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。
老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまっていた。業を煮やした翁(おきな)はやっとのことで罠でタヌキを捕まえる。
翁は、媼(おうな)に狸汁にするように言って畑仕事に向かった。タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って媼を騙し、縄を解かせて自由になるとそのまま媼を杵で撲殺し、その上で媼の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁」(ばばぁ汁)を作る。そしてタヌキは媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰った。翁は追いかけたがタヌキに逃げられてしまった。
翁は近くの山に住む仲良しのウサギに相談する。「仇をとりたいが、自分には、かないそうもない」と。事の顛末を聞いたウサギはタヌキ成敗に出かけた。
まず、ウサギは金儲けを口実にタヌキを柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った柴に火打ち石で火を付ける。火打ち道具の打ち合わさる「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキがウサギに尋ねると、ウサギは「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いている」と答え、結果、タヌキは背中にやけどを負うこととなった。
後日、ウサギはタヌキに良く効く薬だと称してトウガラシ入りの味噌を渡す。これを塗ったタヌキはさらなる痛みに散々苦しむこととなった。
タヌキのやけどが治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出した。ウサギは木の船と一回り大きな泥の船を用意し、思っていた通り欲張りなタヌキが「たくさん魚が乗せられる」と泥の船を選ぶと、自身は木の船に乗った。沖へ出てしばらく立つと、泥の船は溶けて沈んでゆく。タヌキはウサギに助けを求めるが、逆にウサギに艪で沈められてしまう。タヌキは溺れて死に、こうしてウサギは見事媼の仇を討った。】
落語の「強情灸」に「これじゃまるでカチカチ山の狸だ」というセリフが出てくるし、「泥船に乗る」という表現もここから来ている。
本題に戻ると、柳生宗矩は続編として殺されたタヌキの子どもがウサギを敵討ちにするというストーリーを編み出すのだ。

出演者では断然、白石加代子の演技力と存在感が光る。彼女が出て来ると、舞台全体をさらってしまう。この役は白石加代子以外にはあり得ないと思えるほどだ。
他では、六平直政と吉田鋼太郎のユーモラスな演技が、井上芝居らしさを醸し出していた。

とにかく楽しい人間賛歌に溢れた芝居、公演は25日まで。

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2018/02/14

文楽「女殺油地獄」(2018/2/13)

文楽2月公演第三部「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」
日時:2018年2月13日(火)18時
会場:国立劇場 小劇場

近松門左衛門=作
徳庵堤の段
河内屋内の段
豊島屋油店の段
同   逮夜の段

出演者は下記の通り(クリックで拡大する)。
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<主な人形役割>
河内屋徳兵衛:吉田玉也
   女房・お沢:吉田勘彌
   息子・与兵衛:吉田玉男
豊島屋の女房・お吉:吉田和生

あらすじ。
大阪天満の油屋、河内屋の主人・徳兵衛は番頭あがりの婿入りで、それを良いことに義理の息子・与兵衛は増長し、店の有り金を持出しては放蕩三昧。
母親のお沢と徳兵衛は懲らしめのために与兵衛を勘当したものの、小遣い銭に事欠いては不憫であるとして、同じ町内の油屋、豊島屋の女房お吉を通じて密かに銭を与えていた。
それでも遊ぶ金に困った与兵衛は義父の偽判を用いて借金をする。返すあてなどない与兵衛は、日限に責められてお吉に無心をするが断られ、ついにお吉を惨殺し店の掛け金を奪って逃げる。
お吉の三十五日の供養に列席していた与兵衛だが、天井でネズミが暴れ、殺しの現場で与兵衛がお吉の血潮を拭った古証文を落とす。それには動かぬ証拠として与兵衛の署名があり、悪事が露見した与兵衛は召し取られる。

近松門左衛門の作ながら江戸期には再演されず、明治になってから作品が評価されるようになったようだ。
明治末に歌舞伎で上演され、人形浄瑠璃としては昭和37年が初演ということだから新しい演目といえる。
近年になって評価が高まったのは、この作品の持つ奥の深さだと思う。

劇中ではカットされているが、河内屋の前の主は若くして亡くなり、その時に長男は7歳、次男である与兵衛は4歳だった。後家となったお沢は番頭の徳兵衛を婿にするのだが、幼い与兵衛としては実父を失い母親が再婚するという現実を受け容れなかったのだろう、グレてしまうのだ。
お沢は与兵衛の不行状に怒りながら、一方で息子が不憫でならない。主人の徳兵衛は以前は奉公人だったという負い目があり、与兵衛には遠慮がちだ。

この時点の与兵衛は23歳、豊島屋のお吉は27歳。双方とも油屋で同業者であり、与兵衛にとってお吉は姉の様な存在だったろうし、甘えられる相手でもあった。あるいはほのかな恋心を抱いていたかも知れない。
そうした気配も感じたお吉の夫にとっては心穏やかではない。
そうした両者の関係も事件の背景となってゆく。

親の名前を勝手に使って金を借りた与兵衛、返せねば親に迷惑がかかる。さりとて返済のあてのないまま日限を迎えてしまい、お吉宅に赴く。
そこに両親が来ていて、与兵衛のための小遣いとしてお吉に金を渡すのを覗き見してしまう。
両親が帰ったあとで与兵衛は一人お吉に、今度こそ真人間になるのでこの度だけは借金を用立てて欲しいと頼み込む。この時、与兵衛は本心から出た言葉だろう。
しかし、お吉としては主人が留守の間に与兵衛に大金を貸すわけにはいかない。断るお吉に懇願し続ける与兵衛。
遂に与兵衛はお吉を脇差しで殺害し、金を奪ってしまう。

事件の起きる前に、お吉が娘たちのために蚊帳をつってあげる。旧暦の端午の節句の頃には蚊が出ていたのだ。
これは落語の「二十四孝」でもお馴染みの、呉猛の親孝行の逸話とかけたもの。
与兵衛の悪事が露見し捕まるのが、お吉の三十五日の忌日の前夜である「逮夜」。
季節の移ろいも晩春から初夏という趣向。
当時の社会体制を反映した、いかにも近松の作品らしい芝居だ。

最大の見せ場は、与兵衛がお吉を殺害する場面だ。
店先で油の壺から桶に小分けしているお吉の背後から、脇差を抜いた与兵衛が近づく。油に映る刃の光に驚くお吉が逃げようとするのを与兵衛が斬りかかる。一瞬の静寂の後に、油をまきながら逃げ惑うお吉に与兵衛は何度も斬り付ける。
油で滑りながらの殺しの場面は人形が激しく動き、観ていて手に汗を握る思い。
これほどの凄惨な殺しの場面は他にないだろう。
太夫の語りと三味線が、緊迫した舞台をいっそう盛り上げていた。

聴きごたえ見ごたえ十分。結構でした。

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2018/01/18

馬の足に拍手!「世界花小栗判官」(2018/1/17)

近松徳三・奈河篤助=作『姫競双葉絵草紙(ひめくらべふたばえぞうし)』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言「世界花小栗判官(せかいのはなおぐりはんがん)」 
四幕十場
発端    (京)  室町御所塀外の場
序幕<春> (相模)鎌倉扇ヶ谷横山館奥庭の場
             同 奥御殿の場
             江の島沖の場
二幕目<夏>(近江)堅田浦浪七内の場
              同 湖水檀風の場
三幕目<秋>(美濃)青墓宿宝光院境内の場
             同 万屋湯殿の場
             同 奥座敷の場
大詰 <冬>(紀伊)熊野那智山の場

<  主な配役  >
尾上菊五郎:盗賊風間八郎
中村時蔵:執権細川正元/万屋後家お槙
尾上松緑:漁師浪七、実ハ美戸小次郎
尾上菊之助:小栗判官
坂東彦三郎:横山次郎
坂東亀蔵:膳所の四郎蔵
中村梅枝:万屋娘お駒/浪七女房小藤
尾上右近:照手姫
河原崎権十郎:万屋下男不寝兵衛
ほか

新春の国立劇場の歌舞伎は、音羽屋一座による「世界花小栗判官」。
「小野小町か照手姫か」と謳われた照手姫と、これも伝説上のヒーロー小栗判官との恋模様を軸に、足利幕府に弓を引く盗賊(新田義貞の末裔)やその仲間との死闘を描いた作品。
いかにも歌舞伎の狂言らしい状況設定がなされている。

・お家騒動をめぐる忠臣と逆臣の対立、これには必ずお家の宝物をどちたが手に入れるかが重要なポイントとなる。
・忠臣のヒーローは美男でしかも滅法強い。ヒーローを命がけで守る家来がいる。
・ヒーローを慕うヒロインの美女がいて、二人はすれ違いを繰り返す。
・ヒーロー又はヒロインに横恋慕する人物が現れ、二人の間を邪魔する。
・主君やヒーローへの忠義のために、大事な人を殺めるという設定がある。
・ヒーロー又はヒロインが一時は絶対絶命のピンチを迎えるが、神仏のご加護で助かる。
・最後はヒーローが逆臣を成敗し宝物を取り返してお家は安泰、ヒロインと無事結ばれる。めでたしめでたし!で幕。

この筋立ては多くの歌舞伎狂言に共通するもので、鉄板と言ってもいいだろう。
今回の芝居では、悪人の盗賊風間八郎は成敗を免れた(なんと言っても菊五郎が演じてるからね)。
小栗判官に横恋慕する娘を母親が殺害し、娘が幽霊になって出て来るという場面もあって、怪談話入りの大サービス。
全体にエンターテインメント性の高い芝居となった。

見所は二つ。
・小栗判官が馬術の名手ということで、逆臣たちが暴れ馬に小栗を乗せて殺害を図るのだが、小栗は馬を鎮めて乗りこなすという場面がある。
ここで馬がサーカスで演じる様な曲芸も見せるのだが、何せ中は前足と後足の二人の俳優だ。背中には主役を乗せての動きなので相当に難しい動きだと思うが、これを見事に演じて観客からは大喝采。
馬の足に拍手!
・かつて小栗家の家臣で今は漁師となっていた浪七が、照手姫を悪人たちの魔の手から救うために彼らと死闘を繰り返し、最後は一命を賭して姫を救う場面。
この立ち回りが見せ場で、松緑の奮闘公演の様相を呈していた。女房小藤との別れの場面もしっとりと演じて良い出来だった。
松緑はかつてはセリフ回しに難があったが、今は全くそれを感じさせない。

役者の中では、松緑以外では梅枝の演技が光る。
命がけで夫を助けるという女房の役と、小栗に横恋慕したあげく母親の手にかかって殺されてしまうという対照的な二役だったが、それぞれの心中を深く表現していた。

場面が春夏秋冬という季節の変化、場所も京から相模、近江、美濃、紀伊と移り、目を楽しませていた。
初春らしい華やかな舞台だった。

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