演劇

2018/10/16

「誤解」(2018/10/15)

「誤解」
日時:2018年10月15日(月)13時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
演出:稲葉賀恵
<  キャスト  >
小島聖:マルタ
原田美枝子:その母
水橋研二:ジャン
深谷美歩:その妻・マリア
小林勝也:ホテルの老使用人

(註:以下にあらすじを記すが、感想を述べる上でストーリー概要を紹介せざるを得ないので、支障のある方は読み飛ばして下さい。)
【あらすじ】
チェコの田舎の小さなホテルを営むマルタとその母親は、この土地で暮らすのに辟易とし、太陽と海に囲まれた国での生活を夢見て、その資金を手に入れるため二人でホテルにやってくる客を殺しては金品を奪っていた。
そこにジャンという泊り客が現れるが、彼は母親の息子、マルタの兄だが、幼い頃に家を出てアルジェリアにいた。風の便りに実家の父は亡くなり母娘でホテルを営んでいることを知り、彼女らを助けるためにここにやって来た。
しかし、なぜかジャンは自分の身分を二人に明かさなかった。
マルタと母は彼が肉親であることに気付かず、計画通りジャンを殺害し金品を奪ってしまう。その中でジャンのパスポートを発見して肉親であることを知るが・・・。

解説によればこの芝居は不条理劇とある。
不条理とは実存主義の用語で、「人生の非合理で無意味な状況を示す語としてカミュによって用いられた」とある。
そうか、カミュが元祖だったのか。
ジャンは母と妹マルタを助けるために会いに来たのに、最後まで自分の身を明かさなかった。もしも一言「母さん、息子のジャンだよ」言っていたら、悲劇は起きなかった。もっとも、この劇も成り立たかった。
母親はジャンをどこか近しい人間の様に感じ、殺害をやめさせようとするが、マルタが計画を押しとおす。そして息子であることが分かると悲嘆にくれ、後を追ってしまう。
マルタとしては、ジャンが自分が憧れていた地中海の浜辺に住み、最後はに母親の心まで奪っていった分けで、ジャンを嫉妬しむしろ彼は幸せだったのだと断じ、自らは絶望的な気持ちに陥る。
こうしたマルタの心情は、終盤のジャンをさがしに来た妻のマリアとの激しい言い争いの中で明らかになってゆく。
ウ~~ン、分かったような、分からないような。
もっと不思議なのは、舞台の上をフワフワと漂うホテルの老使用人の姿だ。
なんたって不条理劇ですからね。

その一方、ジャンが理想的に語っていたアルジェリアはカミュの出身地だし、マルタが忌み嫌っているチェコは、カミュが若い頃に旅していて嫌な思い出があったそうだ。
又、この戯曲の初演の時に主演のマルタを演じた女優は、カミュの思い人だった。
そう見ていくと、けっこう背景は通俗的な面もある。

この芝居をみながら、長谷川伸の戯曲「瞼の母」を思い起こした。
幼いときに別れた母を慕うヤクザな息子は、やっとめぐり合った母から自分の子ではないと追い返される。後で思い直した母親が息子をさがすが、その呼び声を聞きながら息子は瞼に浮ぶ母の姿を慕い続けて旅に出るというストーリーだ。
「誤解」は逆「瞼の母」、なんて言ったら叱られるかな。

出演者では、主役の小島聖が良かった。彼女は舞台映えする。
他の演者も好演で、特にフワフワ老人を演じた小林勝也が存在感があった。

公演は21日まで。

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2018/07/15

「アンナ・クリスティ」(2018/07/14)

「アンナ・クリスティ」
日時:2018年7月14日(土)13時
会場:よみうり大手町ホール

脚本:ユージン・オニール
翻訳:徐賀世子
演出:栗山民也
<   キャスト   >
篠原涼子:アンナ・クリストファーソン
たかお鷹:父親のクリス・クリストファーソン
佐藤隆太:マット・バーク
立石涼子:マーシー・オーウェン
ほか、原康義、福山康平、俵和也、吉田健悟

【あらすじ】
舞台は1920年代のニューヨーク。
波止場に舫う石炭を運搬する艀に住むクリス。
若い頃から船乗りだったクリスは妻を亡くしてから、5歳のアンナを親類の農園に預けて育てて貰っていた。
そのアンナが15年ぶりに父親に会いにやって来る。
娘に再会できて喜ぶクリスだったが、アンナには何かわだかまりがあるようだ。
父娘が艀で暮らし始めた頃に、船が沈没してボートで漂流していた男たちをクリスが助ける。
その中の一人であるマットはアンナに一目惚れし、求婚する。
船の事故で親や息子たちを失くしたクリスは、アンナが船乗りの妻になるのは反対だった。
アンナはマットの求婚を拒否する。アンナは農園で養父やその息子たちから受けた虐待や、耐え切れず農園を出た後の荒んだ暮らしを、初めてクリスとマットの前で告白する。
自責の念と悲嘆にくれるクリス。
告白に戸惑うマット。
父親と愛する男の間で悩むアンナが、最後に出した決断は・・・・。

アンナは暗い過去の経緯から、父親に対しては許せない気持ちを持ち続けていた。マットに対しては、自分は妻になるには相応しくないと思いがある。
そうした悩みを吹っ切って決断を下すアンナの姿に、自立した女性の強さを感じる。
休憩を含め2時間30分の舞台は常に緊張感があり、飽きさせない。
クリスを演じた・たかお鷹が好演、マットを演じた佐藤隆太は荒くれ者だが真っ直ぐな男を体当たりで演じていた。
舞台は初主演だという篠原涼子には、もうちょっとセリフに陰影が欲しい。
これは難しい注文だとは思うが、荒れた人生を送って来たとはいえ20歳の女性だ。そうした若さも覗かせて貰いたかった。

公演は8月5日まで。

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2018/07/07

「睾丸」(2018/7/6)

ナイロン100℃ 46th SESSION「睾丸」・初日
日時:2018年7月6日(金)18時30分
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
脚本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  キャスト  >
三宅弘城:赤本建三
坂井真紀:妻・赤本亜子
根本宗子:娘・赤本桃子
赤堀雅秋:光吉(亜子の弟)
廣川三憲:霧島作郎(亜子の恋人)
新谷真弓:浩子(光吉の元妻)
みのすけ:立石伸高
長田奈麻:妻・立石静
森田甘路:息子・立石伸也
菊池明明:歌田愛美
大石将弘:江戸一(愛美の恋人)
吉増裕士:歌田(愛美の父)
喜安浩平:多田厚夫(巡査)
安井順平:七ツ森豊(赤本や立石の先輩)
ほか

夫「昨日さ、『睾丸』って芝居見てきたよ」
妻「ヘエー、それ、前から見たいと思ってたの?」
夫「いや、タマタマさ」

こう見えても私だって子どもの頃は、「コウガン可憐な美少年」だったのさ。

次は実話。
私の母が玄関に出ていたら、お向かいの家の主人が家人に向かって「金玉持って来い!」と叫んでいた。母が驚いて見ていたら、家人が奥から持参したのは国旗の竿のてっぺんに乗せる金色の玉だったそうだ。あれって、そういう名前なんですかね。

中学の教科書に、北原白秋の「からたちの花」が載っていた。
これを国語の教師が、必ず女子生徒に朗読させていた。
「からたちも秋はみのるよ。まろいまろい金のたまだよ。」と女子生徒が読み上げると、男子どもは大喜び。
今なら、この教師はセクハラで処分だね。

劇中にも下ネタが沢山出てくるので、ちょいとマクラを振ってみた。
この戯曲はナイロン100℃創立25周年を記念してKERAさんが書き下ろしたもので、舞台は今から25年前、つまり1993年の出来事だ。バブルがはじけて何となく暗い雰囲気が漂い出した頃の話。
旅行代理店を営む赤本の家、何やら不穏な空気が流れている。妻の亜子が別の男と暮らすので家を出て行こうとしているのだ。
同居している亜子の弟の光吉は妻と離婚しているが、その妻はこの家に訪れては光吉とセックスに励む。
そこへ学生運動の仲間だった立石と妻が、家が全焼したからとこの家に転がりこんでくる。
おりしも、彼らの学生運動のリーダーだった七ツ森の訃報が届く。事故で25年間植物人間だったのが死亡したというのだ。
そうした事を契機に、彼らの25年前、つまり1968年の時代に遡る。1968年といえば大学紛争、学生運動が最高潮に達していた時期であり、赤本夫妻や立石らも七ツ森をリーダーにしたセクトで、激しい闘争を展開していた。
舞台は、この1993年と1968年の二つの年を行きつ戻りつしながら進行し、彼らの過去と現在の抱えている闇が炙り出されてゆく。
こう書くと、かなり深刻な芝居のようだが、そこはほらKERAさんのこと、面白さもタップリ詰まっている。
怖くて面白い芝居は、休憩を除き3時間があっという間に過ぎてしまう。
学生運動の描き方があまりに類型的だという不満はあるが、本筋とは無関係だ。

公演は29日まで。

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2018/06/26

「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」(2018/6/26)

二兎社公演42「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」
日時:2018年6月26日(火)14時
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
脚本:永井愛
演出:永井愛
<  キャスト  >
安田成美:井原まひる(ネットテレビ局・代表)
眞島秀和:及川悠紀夫(リベラル系全国紙・官邸キャップ)
馬渕英里何:秋月友子(大手テレビ局・解説委員)
柳下大:小林司(保守系全国紙・官邸総理番)
松尾貴史:飯塚敏郎(保守系全国紙・論説委員)

本作は、2017年に初演された「ザ・空気」の姉妹編で、続編ではない。前作とのつながりは、ニュース番組のアンカーで自ら命を絶った「桜木」で、登場人物の会話の中で真のジャーナリストとしてリスペクトされている様子が窺える。
今回の舞台は、報道各社の政治部が入居する国会記者会館の屋上。これから総理記者会見が行われようとしている矢先に、記者クラブのコピー機に記者が書いたと思われる総理会見のQ&Aが残されていたのが見つかった。これは特定の記者が、総理に予め入れ知恵していたことになり、大きなスキャンダルに発展しかねない。
この文書の取り扱いをめぐって、追及しようとする及川や、穏便に済ませようとする秋月。隠避を図るQ&Aを書いた当事者である飯塚、その部下だがジャーナリストとしての良心の間に揺れる小林。さらには国会デモを屋上から撮影しようとしていたネットのジャーナリスト井原が加わり、それぞれの思惑が絡み合って物語が進行してゆく。
社名は出していないが、状況やセリフから判断して、及川は朝日、秋月は日テレ、飯塚と小林は産経といった所か。
途中までは侃々諤々の議論を戦わせていながら、最後は記者クラブという運命共同体に逆らえず、曖昧な決着に終わり、井原一人だけが悲憤慷慨して幕となる。
結論は「誰も書いてはならぬ」。

日本には大小あわせて800余りの記者クラブが存在しているそうで、重要な情報は記者クラブを通して流される。各省庁や自治体には記者室が置かれ、そこに記者が常駐している。記者クラブの加盟社は大手メディアに限られていて、それ以外のメディアは排除されている。
官邸クラブが所属する国会記者会館を例にとれば、国の建物(国民の資産)なのに、記者クラブが独占的に使用し、しかも無料。駐車場料金は年間で2000円という夢の様な待遇を受けている。
この結果、政府や官庁の一方的な情報が大手メディアを通じて国民に流されている。
この点は朝日も讀賣も産経も、所詮は同じ穴のムジナである。

今回の舞台は、この記者クラブの実態に鋭く切り込んだもので、コメディ仕立てながら現在の我が国の報道の自由について考えさせるものだった。
扱う問題が、いま正に進行形であり分かり易い。
松尾貴史による安倍総理の物真似はよく似ていて、会場を沸かせていた。
反面、前作に比べるとやや軽いという印象は否めず、薄味だったように思う。

公演は7月16日まで。

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2018/06/24

「安楽病棟」(2018/6/23)

劇団青年座第232回公演「安楽病棟」
日時:2018年6月23日(土)14時
会場:本多劇場

原作=帚木蓬生
脚本=シライケイタ
演出=磯村純
<  キャスト  >
柴木(85)=藤夏子
池辺(82)=山本与志恵
長富(90)=阪上和子
石蔵(92)=岩倉高子
松川 (88)=五味多恵子
高倉(85)=井口恭子
花栗(87)=吉本選江
板東(92)=堀部隆一
吉岡(93)=名取幸政
室伏(91)=嶋崎伸夫
下野(89)=永幡洋
三須(90)=山野史人
菊本(90)=児玉謙次
城野=小暮智美
浅井=津田真澄
山口=世奈
三田=鹿野宗健
香月=石母田史朗
理恵=橋本菜摘
茂雄=長克巳
佐和子=野沢由香里

舞台は、ある病院の認知症病棟。重症な人から軽症の人まで症状はさまざまだ。
人生の終幕を迎えようとしている彼らにも輝かしい日々があった。
そうした患者たちを甲斐甲斐しく看病する看護師たち。
ある日、元気だった患者が突然亡くなると、他の患者の急死が相次ぐ。
理想の看護を目指す新任の看護師が疑問を感じて調べていくと、いずれの患者も担当の医師が直前に新薬を処方していることを突き止める。
以前に、この看護師が医師と安楽死について意見を交換した事を思い出し、医師を呼び出し問い詰める。そして、今回の行為を医師自らが世間に明らかにし、安楽死に対する自説を公表するよう求める。

長寿社会を迎えて、安楽死の是非が議論されている。日本でも一定の条件の下では延命装置を外すなどの処置が認められている。
より積極的な安楽死を法的に認めている国としてオランダやベルギーなどがあるが、いずれの場合でも本人の意思の確認が前提となる。
しかし、認知症の患者に対して本人の意思を確認することは不可能である。もし判断が出来るとしたら、それは担当の医師しかいないというのが、この演劇に登場する医師の主張だ。
人間には、どう生きるかと同時に、どう死んでゆくかという選択肢も与えられるべきだと言う人もいる。それもあながち否定はできまい。

安楽死の方法として人工呼吸器を外すというのが一般的に行われ、一定の条件を満たせば認められている。しかしこの方法だと、患者は窒息状態で亡くなるので苦しみながら死んでゆくことになる。
もし致死量のモルヒネを投与できたら、患者は安らかなうちに死んでゆくことが出来る。でも、この処置を行った医師は殺人罪に問われる。
では、果たしてどちらの方が人道的だと言えるだろうか。

生まれたばかりの新生児に重度の障害があった場合、仮に親が望むとしても安楽死させることは認められない。
だが、胎内にいるうちに検査で障害児だと分かった場合、堕胎することは認められている。
この両者、本質的にどう違うんだろうか。

この芝居で突きつけられた問題は、いずれも重く、かつ正解が出しにくい。だが避けて通れぬ問題であり、いずれ私たちは結論を迫られるだろう。

原作をどう舞台に落とし込むのは相当苦心が要ったと思われるが、シライケイタによる脚本はよく工夫されていた。

出演者の中のセリフの言い間違いが気になった。この劇団にしては珍しい。
公演は7月1日まで。

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2018/05/27

文学座公演「怪談 牡丹燈籠」 (2018/5/28)

「怪談 牡丹燈籠」
日時:2018年5月28日(土)13時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター

原作:三遊亭円朝
脚本:大西信行 
演出:鵜山 仁
<出演者>
早坂直家、石川 武、大原康裕、沢田冬樹
釆澤靖起、相川春樹
富沢亜古、つかもと景子、岡寛恵、梅村綾子
髙柳絢子、永宝千晶

【あらすじ】
この物語のメインストーリーは、飯島平左衛門の忠僕孝助の仇討だが、お馴染みの落語や芝居ではその部分はカットされ、サイドストーリーである伴蔵とお峰夫婦の物語を本筋としている。
圓朝の原作では年代を1743年としているが、大西信行の脚本では約100年ほど後ろにずらし幕末頃に設定している。
旗本飯島平左衛門の一人娘お露はふとした縁で浪人萩原新三郎を見染め、恋い焦がれた末に焦がれ死に、女中のお米もその後を追った。それを伝え聞いた新三郎は念仏三昧の供養の日々を送っていた。折しも盆の十三日、死んだと聞いていたお露とお米が牡丹燈籠を提げて門口に立った。二度と会えぬと思い詰めていた二人は激しく燃えあがる。
平左衛門の妾お国は、隣の屋敷に住む宮野辺源次郎と人目を忍ぶ仲。家督を早く乗っ取りたく焦った二人は、奸計を巡らし平左衛門を斬殺するが、源次郎も足に深手を負ってしまい、二人はそのまま江戸を出奔する。
新三郎は夜毎お露と逢瀬を重ねていたが、この家に出入りをする伴蔵は家の様子を見てお露とお米が幽霊だと見抜く。このままでは新三郎がとり殺されると、新幡随院の良石和尚から死霊退散のお札を貰い、戸口や窓に貼りつけ、新三郎の海音如来の尊像を身に付けさせる。このため家の中に入れず二人は萩原の家の周りを漂うばかり。
新三郎に逢えぬお露の嘆き悲しみを見て、不憫に思ったお米は伴蔵にお札と如来像を取り除いてくれと頼む。それを知った女房お峰の入れ知恵で、百両の大金と引き替えに伴蔵夫婦が一計を案じて新三郎海音如来像を盗み、お札を剥 がすと、牡丹燈籠はうれしげに高窓に吸い込まれて行った。
その1年後、ところは野州栗橋宿の関口屋という大店の旦那におさまった伴蔵とお峰の姿があった。 商売も順調だったが、近ごろ伴蔵は近くの料理屋の酌婦・お国に入れあげ夜遊びの日々。飯島家を出奔したお国と源次郎だったが、この地で源次郎の足の怪我が悪化し、その治療費を稼ぐためお国が店に出ていたのだ。
事情を知ったお峰は伴蔵を問い質すと、伴蔵が居直る、怒ったお峰が新三郎の一件を持ち出し伴蔵を詰る。ここで伴蔵は平謝りして、よその土地に移ってまた二人で一から出直そう説得し、お峰も承知する。
ついては新三郎から奪った金の海音如来を掘り出して逃げようとお峰を幸手堤に誘い出し、見張りをさせていたお峰を伴蔵は背後から刺殺する。

落語の演目でいえば、『お札はがし』『栗原宿』にあたる。
上演時間は休憩を除きおよそ2時間、間に三遊亭圓朝に扮した役者が高座に登場し、ストーリーの足りない部分を解説するという演じ方だった。手際よくまとめられ、筋が分かりやすい様に工夫されている。
「世の中の人の心を分析すれば 色気三分に欲七分」という都々逸があるが、「牡丹燈籠」はズバリその世界だ。
今の惨めな生活から何とか這い上がろうと必死にもがく男女、いったんは幸せを掴んだかに見えたが、その先にはもっと大きな不幸が待っていた。
因果応報という単純なものよりもっと深い、人間の不確実な運命を描いた作品だからこそ、100年経ても色あせないのだろう。

公演は6月3日まで。

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2018/05/24

ヘンリー五世(2018/5/23)

「ヘンリー五世」
日時:2018年5月23日 (水) 13時
会場:新国立劇場 中劇場

作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
演出:鵜山仁
<  主なキャスト  >
浦井健治:ヘンリー五世
岡本健一:ピストル
中嶋朋子:王女キャサリン
立川三貴:シャルル六世
水野龍司:ウエストモランド伯
吉村直:騎士ガワー
木下浩之:皇太ルイ
田代隆秀:キャンタベリー大司教/オルレアン公
塩田朋子:王妃イザベル
浅野雅博:エクセター公
横田栄司:騎士フルーエリン
那須佐代子:ネル/アリス
勝部演之:イーリー司教/バーガンディー公
金内喜久夫:ハーフラー市長/騎士トーマス・アーピンガム
小長谷勝彦、下総源太朗、櫻井章喜、清原達之、
鍛治直人、川辺邦弘、亀田佳明、松角洋平、内藤裕志、
田中菜生、鈴木陽丈、小比類巻諒介、永岡玲央

【あらすじ】
即位したばかりのヘンリー五世の宮廷にフランスからの使節が訪れる。さきごろヘンリーの曽祖父エドワード三世の権利に基づき要求した公爵領への返事を、フランス皇太子から遣わされたのだ。そこにはヘンリーの要求への拒否だけではなく、贈呈として宝箱一箱が添えられていた。中身は、一杯に詰められたテニスボール。それは、若き日のヘンリーの放埒を皮肉った、皇太子からの侮蔑だった。それを見たヘンリーは、ただちにフランスへの進軍を決意し、フランスに内通していたケンブリッジ伯らを処刑する。
フランスに上陸したヘンリー五世の軍は苦戦しながらも、軍勢において圧倒的に不利だったアジンコート(アザンクール)の戦いに大勝利し、シャルル六世を降伏させる。その後フランスと講和(トロワ条約)を結び、フランスの王女キャサリンを王妃に迎える。

このシェイクスピア劇を観た当時のロンドン市民らは、さぞかし痛快な思いをしただろう。何しろイギリス軍がにっくきフランス軍に大勝利してというストーリーなのだから。
私たちは既に「ヘンリー四世」を観ており、五世の皇太子時代の悪い遊び仲間(フォールスタッフの仲間)との放埓な生活を知っているので、王に即位した彼の姿をまるで息子の成長を見るような気分になる。
そのフォールスタッフの仲間の連中も、この劇ではフランスとの戦争に従軍し、仲間の一人であるピストルの奮戦ぶりが描かれている。
フランスで苦戦していたヘンリー五世が家来からマントを借りて羽織り、一人でうずくまって思案していると、そこに兵士が現れ国王とも知らず話しかける。兵士との他愛ない会話で元気を取り戻した国王が、兵士と手袋を交換し再会を誓い合う。
何だか「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」を連想させるような筋立てだ。
ただ大きな違いは、ヘンリー五世の方は例え知り合いでも規律に反する者は容赦なく切り捨てる非情さがあることだ。
またイギリス軍といえどもスコットランドやウエールズ、アイルランドなどの地域の兵士も従軍しているので、お互い訛りがあるので言葉が通じない。これを邦訳では東北弁や九州弁などで表現していて、可笑しみを出していた。
イギリスに負けたフランスの王女が、お付きの者から一所懸命に英語のレッスンを受けるシーンもある。
本来は政略結婚だったヘンリーとの婚姻も、劇中ではヘンリーがキャサリンに恋してプロポーズするという筋にしている。
こうした味付けが劇の中身を膨らませ、約3時間の芝居を楽しませてくれた。
今回初めて一連のシェイクスピア劇を観たのだが、こうした大衆性がシェイクスピア作劇の人気の源なのだと感じた。
一連の作品の上演にあたり、スタッフや出演者をほぼ固定するという試みは、観る側にとって安心感をを与えるという効果があったようだ。

公演は6月3日まで。

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2018/05/22

5月文楽公演第二部「彦山権現誓助剣」(2018/5/21)

「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」
須磨浦の段
瓢簞棚の段
杉坂墓所の段
毛谷村六助住家の段
日時:2018年5月21日(月)16時
会場:国立劇場 小劇場

【あらすじ】
作者は、梅野下風と近松保蔵で、初演は天保6年(1786年)。仇討物語だ。
物語の背景は秀吉の朝鮮出兵で、それに明智光秀の遺恨がからむ。
秀吉より命令を受けた大名は剣術の優れた者をスカウトせねばならなくなった。その一人が彦山の麓にある毛谷村に住む六助という男で、吉岡一味斎という剣術指南役から手ほどきを受け一巻を伝授される。
また六助を見込んだ一味斎は長女のお園の婿に迎え家督を継がせようとしていた。次女のお菊は既に他家に嫁いでおり、弥三松という男の子がいる。
そのお菊に横恋慕していた京極内匠は一味斎との御前試合に敗れた腹いせに、一味斎を暗殺し逃亡する。
敵討の許しを得たお園は母のお幸と、お菊は弥三松を連れて、それぞれ仇討の旅に出る。
「須磨浦の段」
お菊は仇の一味斎に出会うが、返り討ちにあって殺される。幼い弥三松は葛篭に入っていて難を逃れる。
「瓢簞棚の段」
博徒に扮していた内匠は光秀の亡霊に導かれて自分が光秀の遺児だと知り、織田家の名刀・蛙丸を手に入れる。瓢箪棚でお園は名刀をめぐって内匠と斬り合いになるが、内匠は秀吉の象徴である瓢箪を切り払い、逃げてゆく。
「杉坂墓所の段」
小倉藩は、六助と試合をして勝った者を五百石で召し抱えるとう高札を立てる。
六助の前へ微塵弾正と名乗る男が現れ、病弱な母親に孝行するために剣術の試合に負けてくれと頼まれる。人が良い六助は頼みを引き受ける。
六助はまた瀕死の男から幼い男児を託されるが、この男児が実は殺されたお菊の子の弥三松だと後から分かる。
「毛谷村六助住家の段」
約束通り六助は御前試合で相手に負けてやるが、相手は感謝どころか尊大な態度に出て、六助の眉間を割る始末。
六助の家に老女が訪れ一夜の宿を借りるが、自分を母親だと思ってくれと言うので奥の部屋に泊める。
六助は預かった弥三松の着物を家の外に干しておいたが、その着物を見て虚無僧が来て「家来の敵」と六助に斬りかかる。その虚無僧は実は女で、弥三松が女の顔を見て「おばさまか」と縋りつく。
六助が弥三松を預かることになったいきさつを話し名を名乗ると、女も女は一味斎の姉娘のお園であることを明かし、父が内匠に殺された経緯を語る。
そこに奥から最前の老女が現れるが、老女は一味斎の妻でお園の母親のお幸だった。六助をお園はお幸の前で祝言をあげる。三人が今までの事を話し合っていると、六助が御前試合で負けてやった男こそが仇の内匠だと分かる。
六助は師であり舅である一味斎の敵を討つ決心をして、勇んで支度をする。

イヤー、面白かった。予想以上だった。
人物でいえば、お園という女性は剣術の達人にして力持ち、男装して虚無僧に扮したりするのだが、相手が許嫁の六助と分かるといきなり「お前の女房」と言い出し、シナを作ったり、姉さんかぶりで竈の火をおこしたりと、すっかり女房気取り。その反面、三々九度の酒を一気にあおるなど、豪快な面も見せる。
古典の歌舞伎にはあまりお目にかかった事がない女性像で、興味を魅かれた。

そして何より文楽の醍醐味である、太夫と三味線と人形が一体となった素晴らしい演技が見られた。
とりわけ瓢簞棚の段の「奥」での
竹本津駒太夫
鶴沢藤蔵
お園:吉田和生
内匠:吉田玉志
また、毛谷村六助住家の段の「奥」での
竹本千歳太夫
豊澤冨助
六助:吉田玉男
お園:吉田和生
太夫と三味線と人形遣いのぶつかり合いは感動的だった。
文楽の素晴らしさを改めて感じさせてくれた。

文楽に詳しい方のサイトを見ると、大阪での公演は空席が多い反面、東京公演では土日ともなるとチケットが取れないという悩みがあるという。確かにこの日も平日にも拘わらず、入りが良かった。
その方は、文楽公演は東京中心にすべきだと主張しておられるが、一考を要するだろう。

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2018/05/10

柳家喬太郎奮闘公演の「たいこどんどん」(2018/5/9)

こまつ座「たいこどんどん」
日時:2018年5月9日(水)13時
会場:紀伊國屋サザンシアター

脚本:井上ひさし
演出:ラサール石井
<  キャスト  >
柳家喬太郎:幇間・桃八
江端英久:若旦那・清之助
あめくみちこ:女郎・袖ヶ浦、他
武者真由:女郎・藤ノ浦、他
新良エツ子:女郎・里ノ浦、他
野添義弘:主人、他
有薗芳記:ひげ侍、他
木村靖司:あばた侍、他
小林美江:魚婆、他
俵木藤汰:片目侍、他
森山栄治:駕籠かき。他
酒井瞳:お篠、他

井上ひさし作「たいこどんどん」は、2011年5月にシアターコクーンで上演された
演出:蜷川幸雄
中村橋之助(当時):若旦那・清之助
古田新太:幇間・桃八
鈴木京香:女郎・袖ヶ浦、他
のキャストの舞台を観ていた。
それで今回の公演にはあまり食指が動かなかったのだが、10日ほど前にふと新聞を読んでいたら、喬太郎が主演とあった。それではどんな芝居になるんだろうかと興味を持ち、観劇した次第。
本作品は、井上が直木賞受賞後の第一作として書いた小説「江戸の夕立ち」を1975年にみずから戯曲化したもの。
以下、あらすじは当時の記事より引用。

【あらすじ】
時代は幕末。
江戸日本橋の薬種問屋の若旦那・清之助と、幇間(たいこもち)・桃八が、品川の女郎屋で隣席の薩摩のイモ侍と揉め事をおこし、あわやの時に海へドボン。
危ういところを東周りの千石船に拾われる。
着いたところは陸中釜石。
そこから江戸に戻る予定が、行く先々で清之助がトラブルに巻き込まれ、それを桃八の機転で何とか乗り切る。
そんな繰り返しをしているうちに、東北から北陸までグルリと、まるで「奥の細道」のようなコースをたどることになってしまう。
時に清之助からひどい仕打ちを受け、離れ離れになる時があっても、桃八は若旦那に尽くし続ける。
だって、タイコモチだもん。
9年にわたる遍歴の果てに慶応4年8月、ようやく江戸に戻った二人を待ち受けていたものは・・・。

幕が上がるとメクリに「柳家喬太郎」、出囃子の「まかしょ」が鳴り、喬太郎が登場してこの戯曲のイントロを語る。
終幕には再び喬太郎が高座姿で登場し、シメの一言を語る。
カーテンコールでは、「たいこどんどん音頭」を唄い踊りながら、喬太郎が最後に舞台をおりる。
今回の演出は、喬太郎の高座の中の芝居として「たいこどんどん」が演じられるという趣向のようで、これが2011年の蜷川演出との決定的な違いだ。
いうなれば、「柳家喬太郎座長公演」といった趣きだった。

芝居全体としては、いかにも井上ひさしの初期作品らしい猥雑で卑猥だが、迸るようなエネルギーと笑いに溢れたものだ。
出演者は喬太郎、あめくみちこを始め、全員が実に楽しそうに演じていた。
江端英久が急な代役にもかかわらず好演。

終演後アフタートークがあり、喬太郎が落語家もこうした芝居にどんどん参加した方がいいと言っていた。
でも「(こういう芝居が出来るは)オレしかいないよ」と言ってたのは、本音だろう。

公演は20日まで。

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2018/04/27

「百年の秘密」(2018/4/26)

ナイロン100℃ 45th SESSION「百年の秘密」
日時:2018年4月26日(木)
会場:本多劇場

脚本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  主なキャスト  >
犬山イヌコ:ティルダ・ベーカー/ニッキー(ティルダのひ孫)
峯村リエ:コナ・アーネット(ティルダの同級生)/ドリス(コナのひ孫)
みのすけ:チャド・アビントン(同上)
村岡希美:リーザロッテ・オルオフ(同上)
大倉孝二:エース・ベーカー(ティルダの兄)
廣川三憲:ウイリアム・ベーカー(ティルダの父)
松永玲子:パオラ・ベーカー(ティルダの母)
山西惇:フォンス・ブラックウッド(ティルダの夫)
萩原聖人:カレル・シュナイダー(コナの夫)
泉澤祐希:フリッツ・ブラックウッド(ティルダの息子)
伊藤梨沙子:ポニー・シュナイダー(コナの娘)
長田奈麻:メアリー(ベーカー家の女中)
藤田秀世:カウフマン(リーザロッテの夫)
菊池明明:ヴェロニカ(エースの恋人)

ストーリーは、ティルダとコナ、同級生で親友同士の二人の女性とその家族、さらにはその周辺の人々の人生を描いたもの。最後は二人のひ孫まで登場するので、およそ百年の時を経ることになる。
もう一つの主人公は、ティルダの実家の庭にそびえる1本の楡の大木で、この木の下で繰り広げられる人間ドラマを見守っている。
登場人物はみな市井の人々で、どこの家庭でも起こり得るような幸せや揉め事が繰り広げられる。そして他人には言えない秘密を抱えていて、それが様々な不幸を招く元になってゆく。
登場人物の多くは不幸な死に方をするが(又は暗示しているが)、最後は救いが用意されている。

この演劇の脚本と演出を手掛けたケラリーノ・サンドロヴィッチ(ケラさん)は、今回の上演にあたって、次の様に述べている。

―「どうしても再演しておきたい公演」というのは滅多にない。「どうしても」となると、劇団での上演に関しては、今やこの作品が唯一。最後の一本だ。
(中略)
実は初演時から「絶対再演したい」とプロデューサーに直訴していた。初演の出来が悪かったからとか、観客の評判が良かったからではない。強いて言うなら、作品側から求められていたのだ。
―劇中に震災を想起させるような要素は皆無だが、執筆≠稽古中、ずっと頭にあったのは、幸せとは言えぬ亡くなり方をした方々の、その人生を引っくるめて「悲惨」と称してしまうことへの反発と、そう称されてしまう人生たちへの擁護だった。「終わり良ければ」は人の一生には当てはまらないのではないか。別の言い方をすれば、そもそも悲惨でない人生なんてないんじゃないか。そんな気持ちだった。

私は、この芝居を東日本大震災の翌年の初演の舞台を観ている。
正直に言えば、その時はさして感動もしなかったし、あまり良い作品だとも思わなかった。
この6年、当たり前だが私も6つ歳をとったし、この間に何人かの親しい人を失った。人間の死亡率は常に100%だ。どういう風に死んでいくのか誰も分からない。だから、死に方によって幸せだった不幸だったかを決められたら、堪ったもんんじゃないという主張は今なら共感できる。
もちろん、この6年で沢山の芝居を観てきたことも影響しているだろう。
今回の舞台は、とても良かった。

人生の歩みによって、劇評も変わってゆくことを実感した。

公演は30日まで。

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