演劇

2009/09/07

劇団大阪「闇に咲く花」@銀河ホール

9月5-6日に岩手県西和賀町で「#17 銀河ホール地域演劇祭」が行われ、その中の劇団大阪「闇に咲く花」を観劇。
西和賀町文化創造館「銀河ホール」は岩手県の北上と秋田県横手を結ぶ北上線の間にある「ほっとゆだ」駅で下車する。列車の本数は一日に数本だし、乗換えがスムースにいったにしても東京からおよそ4時間かかる。
Photo「ほっとゆだ」は駅舎の中に温泉がある珍しい駅だ。電車を待つ間に一風呂浴びることができるわけだ。

Photo_2駅から直ぐに「錦秋湖」が見えてくる。
名前の通り、秋には紅葉の名所となるそうだ。
一部すでに色づいているのが分かる。

Photo_3駅前から2-3分のところに西和賀町歴史民族資料館がある。
この辺りには旧石器時代の住居跡があったり、当時の石器も数多く出土している。
また周辺にはかつて沢山の鉱山があり、金や銅も産出していた。
この資料館は展示も豊富だし、町営の施設としては非常に充実している。

Photo_4資料館の向いに「Uホール」が見えてくる。
ここは銀河ホールの付属施設で、稽古場がある。劇場の隣に稽古場があるというのは極めて恵まれている。

Photo_5ここが「銀河ホール」。
錦秋湖の辺に建てられていて、ゆったりと広いスペースのロビーから湖が見える。
ここも町営の施設としてはとても立派な建物だ。

Photo_6ホール内部で、緞帳に銀河が描かれている。
ホールは客席338席(固定席288席、桟敷席50席)で、芝居には丁度いい広さだ。
客席をみると近所の爺ちゃん婆ちゃんと見られる方が多数を占めていて、普通の新劇とは随分と雰囲気が違う。芝居が始まっても、あちこちから話し声が聞えてくる。
こうした演劇に沢山の町民が集まるというのは、この地域の民度の高さを物語っていると思う。

さて劇団大阪の「闇に咲く花」。
作: 井上ひさし
演出:熊本一
<主なキャスト>
斉藤誠/愛敬稲荷神社の宮司・牛木公麿
上田啓輔/息子・健太郎
小柳亮/その親友・稲垣善治
粱礼子/近所の主婦・遠藤繁子
浅野恵/  同    ・田中藤子
清原正次/鈴木巡査
北尾利晴/GHQ雇員・諏訪三郎
高橋伸尚/ギター弾きの加藤さん

ストーリーは、
終戦後の東京神田にある愛敬稲荷神社、宮司である牛木公麿は、神社は開店休業状態で、近所の戦争未亡人を集めてはお面作り闇米買出しで食いつないでいる。
プロ野球のピッチャーだった自慢の息子・健太郎の戦死の知らせがきて落ち込んでいたが、ある日その健太郎がひょっこり帰ってくる。
親友の稲垣善治や公麿は大喜びをするが、そこにマッカーサー司令部の特務と名乗る諏訪三郎が現れ、健太郎をC級戦犯としてグアムに送り、現地で裁判を行うと通告する。
その理由というのが、健太郎がグアムに駐留していたときに、現地の若者相手にキャッチボールをしていて、相手が球を受け損なって額にボールがあたり負傷したということが、現地人を虐待したという罪に問われたものだ。
全くのいいがかりなのだが、健太郎はショックのあまり記憶喪失に陥るが、GHQの追求は続き・・・・・。

「私は貝になりたい」と似たテーマである。
このようないわれなき言いがかりで処刑されたC級戦犯は、決して少なくなかった。
現地に行って、誰か日本軍に虐められて人間はいないかと問われると、健太郎のように現地人に溶け込んで親しくなったばかりに名前を覚えられていて、かえって戦犯としてでっち上げられた人もいた。
しかも残念なことに、日本軍の生き残りの憲兵や情報将校の中には、占領軍の手先となって戦犯狩りを行った人間がいたことも事実である。
こうした20世紀の記憶を、私たちはいつまでも忘れてはならないと、この劇は訴えている。

2005年に上演したものを再演、それも一発勝負ということで、セリフを忘れたりトチッタりするのがやや目立ったが、全体としては熱演で見応えがあった。
主役の斉藤誠はシリアスな面とコミカルな面とを演じ分けて長丁場を好演、上田啓輔と北尾利晴が相変わらずの手堅い演技を見せ、小柳亮と女優陣の熱演が光る。
高橋伸尚のギター演奏が舞台をシメた。

【訂正】
「りお」様からご指摘があり、銀河ホールのある西和賀町の所在を当初「山形県」としておりましたが、正しくは「岩手県」です。
お詫びして、記事の一部を訂正いたします。


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2009/08/23

「斎藤幸子」@ル・テアトル銀座

Saito_yuki2,3ヶ月前に前売りを買ったりすると、はて何でこの公演を選んだのかしらと首を傾げることがある。
ル・テアトル銀座で行われている演劇「斉藤幸子」もそうで、出かける直前になって、ああそうだ、柳家喬太郎が初めて役者として舞台に立つというのでチケットを取ったのだと、ようやく思い出した。
客席は若い女性が目立ち、私のような爺さんは少数派である。

作 鈴木聡
演出 河原雅彦
<キャスト>
斉藤由貴/斉藤幸子
弘中麻紀/姉・悦子
きたろう/父・洋介
千葉雅子/叔母・吉田勝江
松村武/隣家の主・富山和夫
小林健一/息子・健一郎
明星真由美/近所のソープ嬢、占い師・矢口美奈子
粟根まこと/高校の担任・沢渡桂一
伊藤正之/同  教頭・村木茂 
中山祐一朗/同級生・坂本卓也
鬼頭真也/同級生・田中由紀夫
柳家喬太郎/ビジネスパートナー・山崎正光

舞台は東京の下町・月島、もんじゃやき屋が軒を並べる。
もんじゃやき屋「さいとう」は、妻に先立たれた主人斉藤洋介が姉・悦子、妹・幸子の二人を男手一つで育て上げた。
隣も同業で「冨ちゃん」、こちらの父子とはもう数十年の付き合いで、幸子を自分の子どものように可愛がっている。
斉藤幸子という名前は、姓名判断によれば波乱万丈ということだが、幸子は周囲から可愛がられ、平凡な高校生活を送っていた。
ある日、幸子が師匠と慕う近所のソープ嬢から貰った毒カエルに噛まれて卒倒してから、幸子は「人生とは?幸せとは?」を真剣に考え出し、その時から幸子の境遇は大きく変転する。
幸子と同級生との恋模様あり、担任教師との駆け落ちあり、ビジネスパートナーの出現ありと、幸子の運命は正に「禍福はあざなえる縄のごとし」(Bad luck often brings good luck.)。
果たして斉藤幸子は、人生の幸せをつかむことができるのか・・・。

とにかくオモシロかった。前半は笑いが絶えず、後半はシンミリと笑いのミックス。3時間の公演は間然とするところがなく、そういう意味では上出来のコメディだといえる。

作者の鈴木聡はこの芝居を書くにあたり、要旨次のように述べている。
【初演は2001年で、その頃から日本が大きく変化しているのを感じた。日本中がアメリカ型の合理主義能力主義になって、ギスギスした社会になっていた。
それまでの会社というのは花見に行ったり飲みに行ったり、そういう雰囲気が次第に失われていきつつあった。
日本の共同体、近所づきあいとか家族関係とか、そういうものは先ず自分たちの足元にあるのではないかという世界観。
ちょっと不自然な日本へのアンチテーゼのようなものかも知れない。】

そういう意味ではこの芝居のモチーフは、映画の寅さんシリーズと似ている。あっちが葛飾柴又なら、こっちは月島だ。
斉藤家の居間は、寅さんの「とらや」とソックリだ。

しかしこの芝居が観客に受け入れられる理由は、それだけではない。
この芝居のストーリーが、全世界共通の物語のパターンを踏襲しているのだ。それは
step 1 セパレーション:主人公の旅立ち
step 2 イニシエーション:主人公が艱難辛苦に立ち向かい克服する
step 3 リターン:帰郷
から構成されていて、桃太郎も浦島太郎もシンデレラも白雪姫も皆このパターンだ。
多くの人がこの芝居を安心して見ていられるのも、ストーリーが基本型を踏んでいるからだ。
エンディングがご都合主義のキライはあるが、エンターテイメントとして優れている。

出演者では、ソープ嬢兼占い師を演じた明星真由美の演技が群を抜いていた。言動が、ヤクザの愛人をしていた私の従姉を彷彿とさせていて、何かとても懐かしい気分になった。
特に、父親が亡くなった時にサッパリとしたと笑っていながら、突然号泣するシーンは秀逸。
担任教師を演じた粟根まことの怪演も見応えがあった。黙って立っているだけでこの人は笑いを誘う。
俳優として初舞台の柳家喬太郎は、先ずは無難な演技というところ。一人で演じる噺家という世界と、大勢のスタッフや出演者とのアンサンブルで作り上げてゆく演劇とは、勝手が違って戸惑っただろう。
それより休憩が終わった直後の舞台で、犬の着グルミ姿で、もんじゃやきの説明をしながら後半のイントロダクションを行ったシーン、これはさすがである。
主役を熱演した斉藤由貴をはじめ、その他出演者が揃って芸達者で、芝居を盛り立てていた。

公演は30日まで。

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2009/08/03

こまつ座「兄おとうと」@紀伊國屋サザンシアター(8/2)

Aniotouto現在こまつ座第八十八回公演「兄おとうと」が紀伊國屋サザンシアターで行われているが、8月2日の回を観劇。初演から数えて3度目の公演となるそうだ。
井上ひさし「兄おとうと」は吉野作造とその弟をテーマにしている。
吉野作造、若い方にはあまりお馴染みがないかも知れないが、明治の終りから昭和の初期にかけて活躍した言論人であり、民本主義の先駆者といわれる人だ。
東京帝国大学教授という学者だったのだが、広く国民本位の政治を説く一方、貧しい者や孤児のための病院、産院、孤児院を創って運営し、常に貧困にあえぐ人々の側に立って活動した人でもある。

これじゃあ立派過ぎて芝居にならないと考えた作者井上ひさしは、作造の弟・信次が岸信介や木戸幸一を部下にもつ高級官僚であり、大臣にまで登りつめた人物だったという事実に目を付けた。
更に、作造と信次兄弟の妻同士が姉妹だという事実に着目して、全く立場が正反対の兄弟の愛憎に、夫婦愛や姉妹同士の愛を重ねたドラマを作りあげた。

井上ひさし・作  
鵜山仁・演出
<キャスト>
辻 萬長:吉野作造
剣 幸:妻、玉乃
大鷹 明良:作造の弟、信次
高橋 礼恵:妻で玉乃の実妹、君代
宮本 裕子:女中/女工/天津から来た娘/説教強盗/大連のママ(妹)
小嶋 尚樹:文部官僚/警察官/右翼/説教強盗/中小企業の社長(兄)
《ピアノ演奏》朴 勝哲

ストーリーは、
吉野家の兄弟、作造と信次は年の差が10才ながら揃って秀才、二人とも東京帝国大学に進み主席で卒業する。
学者の兄は国民あっての国家だと主張し、官僚の弟は国家あっての国民だと主張する。
兄は国民が主人公となる憲法を制定すべしと考え、弟は大日本帝国憲法こそが崇高であり、天皇の命に反するような兄の思想は反逆罪になると考える。
兄は国民の願いに応えるのが政治だと言い、弟は国家は国民を統制せねば破滅すると主張する。
全てに正反対の兄弟はやがて対立を深め、たまに会っては激論を闘わせたあげく、最後はケンカ別れになる始末。
しかし二人の妻同士である玉乃と君代は大の仲良し。それぞれが夫の生活を支えながら、兄弟二人と何とか仲直りさせようと図るが、なかなか上手くいかない。
ドラマは大正から昭和初期の世相を背景に、説教強盗やら大陸の出稼ぎやら右翼のテロやら貧富の差の拡大やら様々な問題が兄弟の周辺におこり・・・。

こう書いていくと、いかにも硬そうな印象を受けるだろうが、そこは井上ひさし作品、ピアノの生演奏にあわせて劇中の挿入歌が10曲。唄って踊って飛び跳ねて。
昔のMGMミュージカル映画並のやや安易な大団円には多少の抵抗はあったが、先ずは泣いて笑って楽しんでという趣向になっている。
劇中の作造のセリフ、「財閥の番犬に甘んじている政党に喝を入れろ。自分かわいさに志を失っている議員諸侯の尻を叩け。」は、今でも通ずる。

出演者では作造を演じた辻萬長がユーモラスな演技で会場を和ませ、妻の剣幸と弟の大鷹明良はハマリ役と見た。高橋礼恵は立ち振る舞いが美しい。
特筆すべきは五役を演じ分けた宮本裕子の芸達者ぶりで、どの役をやらせても実に堂に入っているし、支那娘のカンフー演技もお見事。
同じ五役を演じた小嶋尚樹の怪演と共に芝居を盛り上げた。
毎度のことながら、こまつ座はワキがしっかりしている。

公演は10月6日まで全国各地で。

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2009/08/02

「ウエスト・サイド・ストーリー」@オーチャードH(8/1昼)

West_side2

誰にも青春の思い出と切り離せない、心に残る映画というのがあるだろう。
私の場合は「ウエス・トサイド物語」がそれだ。社会人成り立てのころ、初めて自分の給料で観に行った映画だ。それまでのミュージカル映画の概念をくつがえすような映像の連続で、感動と同時に衝撃を受けたことを覚えている。
1960年代の若者文化(当時は私だって若者だった)に最も大きな影響を与えたのは、この「ウエスト・サイド・ストーリー」とザ・ビートルズの出現だろう。

現在ブロードウェイ・ミュージカル“WEST SIDE STORY”の来日公演が行われているが、8月1日Bunkamuraオーチャードホールの昼の公演に出向く。
初演が1957年なので50周年記念ツアーと称した公演だ。
観客も若い人にまじって私と同様の年配者が目に付いたのは、やはり映画の影響だろう。
原案 ジェローム・ロビンス
脚本 アーサー・ロレンツ
音楽 レナード・バーンスタイン
演出・振付 ジェローム・ロビンス
以上はオリジナルのスタッフで、今回は次の通り。
音楽監督・指揮 ドナルド・ウイング・チャン
演出・振付 ジョーイ・マクニーリー
<主なキャスト>
スコット・サスマン(トニー)
ケンドール・ケリー(マリア)
エマニュエル・デ・ヘスース(ベルナルド)
マイケル・ヤブロンスキー(リフ)
オネイカ・フィリップス(アニタ)
なお、トニーとマリアはダブルキャストである。

ストーリーは、
1950年代の米国NYのダウンタウンが舞台。
人種の違いから対立する二つの不良グループ「ジェット団」と「シャーク団」、その「ジェット団」の元リーダー・トニーは、現リーダー・リフと共にダンスパーティーに出かける。
そこでトニーは美しい少女マリアに出逢い、恋に落ちる。 しかしマリアは対立する「シャーク団」のリーダー・ベルナルドの妹だった。
その夜、リフはベルナルドに決闘を申し込む。 トニーはマリアに頼まれて決闘をやめさせようとするが、その結末には悲劇が待ち受けていた・・・。
いうまでもなく、シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」の世界をNYマンハッタンに置き換えたものだ。
半世紀経っても話が色あせないのは、物語に普遍性があるからだろう。

さて舞台の方だが、先ず瞠目すべきは群舞の素晴らしさだ。
決闘やダンスパーティー・シーンでの集団の踊り、それに「アメリカ」「クール」「アイ・フィール・プリティ」など有名な曲にのせて踊るシーンは圧巻だ。
ダンスではアニタ役のオネイカ・フィリップスの大きな踊りが光る。
舞台装置の工夫にも感心した。休憩時間以外の場面転換は途切れることなく続けられる。無機質的な立体の装置と背景のスクリーンを駆使し、荒々しい場面からロマンチックな場面まで表現していた。
ただトニーとマリアの主役陣が今一つだったように思う。その結果、「マリア」の詠唱や「トゥナイト」のデュエットが心に響いてこない。
ダブルキャストなので、もう一組の配役の方を観たらまた印象が違っていたかも知れない。

ブロードウェイ・ミュージカルといっても、来日メンバーが果たしてどのレベルの役者を揃えたのかという疑問があるが、この作品に関しは映画の方が遥かに良く出来ていたように思う。

東京公演は9日まで。

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2009/06/16

劇団大阪公演「親の顔が見たい」

創立40周年をむかえる「劇団大阪」の第66回本公演は、学校でのイジメ問題をテーマにした「親の顔が見たい」を上演中。劇団のアトリエ「谷町劇場」での6月14日16時の会を観劇。
■作・演出
作/畑澤聖悟
演出/熊本一
■キャスト
齋藤誠/ミッションスクールの中学校長
神津晴朗/学年主任
もりのくるみ/自殺した生徒の学級担任
森祥子/自殺した生徒・みどりの母
清原正次/同級生・志乃の父
夏原幸子/同 母
上田啓輔/同級生・翠の父
小石久美子/同 母
高尾顕/同級生・のどかの祖父
山内佳子/同 祖母
中村みどり/同級生・麗良の母
池田ゆみ/同級生・愛理の母
市村友和/みどりのバイト先の店長

ストーリーは、
伝統ある星光女子中学校の2年3組の教室で、生徒のみどりが自殺する。
担任の教師にあてた遺書があり、そこには同級生である志乃、翠、のどか、麗良、愛理の名前が書かれていた。5人の保護者たちが会議室に集められ、校長や学年主任らと話し合いが行われる。
自殺を生徒本人の資質や家庭環境のせいにしてわが子を庇護する親たち、穏便に済ませようと対応に苦慮する教師たち。
やがて、少しずつイジメの実体が浮かび上がってくるが・・・。

ますます深刻化、陰湿化する学校でのイジメ、責任を全て学校に転化するモンスターピアレントの存在、それに小泉構造改革により生じた中流階級の崩壊などが背景として絡む。
この芝居の本当の主役は、実は舞台に姿を見せない生徒である。
親や教師の理解を超えた存在になってしまい、どう接してよいのか正解がみつからないもどかしさ、それこそがこの芝居のテーマではなかろうか。
しかしその背景にあるのは、実は大人の世界であり、その鏡として子どものイジメ問題が横たわっていると思う。
生徒が新型インフルエンザにかかったと報道されると、学校の業務がマヒするほど、朝から晩まで非難や嫌がらせ電話を集中させる、それも名前も顔も無いノッペラボウの人間がやっているのだ。
そうした社会的風潮の裏返しが、子供たちのイジメを生んでいるような気がしてならない。

舞台中央が会議テーブルになっていて、その周囲を出演者たちが囲む。
更にその周りを観客席が囲んでいるので、観客自身が舞台に参加しているような錯覚にとらわれる。あまりに理不尽な発言を繰り返す親がいると、舞台に出て行って殴りかかりたくなる衝動にかられるほどである。
小舞台の良さが生きた演劇だといえよう。
そういう意味で、今まで観てきた劇団大阪の芝居で、最も強い感動を受けた。

キャストでは、斉藤誠、中村みどり、上田啓輔ら劇団の中心メンバーが手堅い演技を見せていた。
みどりの母親役の森祥子の狂気に近い迫力と、志乃の母親役の夏原幸子のおぞましさ(もしかして「地」?)に満ちた演技が光る。
他に、担任を演じた客演のもりのくるみの熱演が印象に残った。

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2009/05/19

日本演劇の財産「化粧 二幕」@座・高円寺2

Photo前々から見たいと思っていた「化粧 二幕」が今月「座・高円寺」の杮落とし公演として行われており、5月16日観劇。
劇場は今月オープンしたばかりだが、今回の会場となった「座・高円寺2」は300席足らずの座席数で、一人芝居にはピッタリの大きさといえる。客席の勾配もゆったりと取っていて見やすい。
タイトルに「二幕」が加えられているのは、1982年7月の初演の際は一幕であったのが、再演の時にさらに一幕追加され二幕としたためだ。

作 | 井上ひさし 
演出 | 木村光一 
出演 | 渡辺美佐子 

この芝居は今回の上演期間中に600回を記録する。
日本国内だけでなく、北米、ヨーロッパ、アジア諸国でも上演を重ねてきた。
森光子の2000回には及ばないにしても、たった一人だけの舞台を通算27年間、600回も上演するというのは大変な記録だ。
まして初演の時に渡辺美佐子は既に俳優歴が30年を越していたと知れば、現在の年令も推定できるというもので、舞台での奮闘ぶりを見れば驚異的でもある。

渡辺美佐子はこの芝居で大衆演劇の座長・五月洋子を演じる。
乳飲み子を抱えていた時期に、前の座長だった夫が女と駆け落ち。乳児を施設に預けたまま彼女は座長となり、一人で座を切り盛りしていく、その過程での苦労は言葉に表せられない程だった。
この日、公演が終われば取り壊しになるという小屋で、母子の別れと再会の悲劇がテーマの「伊三郎別れ旅」(瞼の母に似たストーリー)に出演すべく、自分の人生を振り返りながら楽屋で化粧(メイク)を行っている。
そこにTV局の人間が訪れてきて、いま人気の若手スターが座長の別れた子供ではないかと、再会を勧めるが・・・。

劇中には何人かの登場人物があるのだが、そうした人物とのヤリトリも渡辺美佐子一人で演じる。時には小道具がいつの間にか彼女の手の中に現れる、まるで手品のような仕掛けも施されている。
でんぐり返りあり、立ち回りあり、そうかと思えばゴキブリを追いかけ客席の階段を駆け上がるという奮戦ぶりだ。
劇中、座長が演じる芝居の役柄と、分かれた息子との再会への期待と悔悟、これらがない交ぜになって次第に狂気を帯びてゆく。
さらに、渡辺美佐子という役者本人の生身もここに投影され、渡辺美佐子と五月洋子と伊三郎の母とが渾然一体となる重層構造が形作られている。

この劇がこれだけのロングランを続けてきたのは、もちろん原作や演出が優れていたからだろう。
しかし最大の要因は、渡辺美佐子の演技であり、彼女抜きには恐らくこの芝居は成り立たないだろう。
女のしたたかさや哀れさと同時に、この役には程よい色気と可愛いさが求められる。
脚本と役者のキャラが見事なまでに一体化した、日本演劇の財産の一つといえよう。

公演は31日まで。

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2009/05/18

「喜劇・日本映画頂上決戦」@青山劇場

正式には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演『喜劇 日本映画頂上決戦~銀幕の掟をぶっとばせ!~』」という長~いタイトルの公演が、東京・青山劇場で行われていて、5月17日昼の部を観劇。
伊東四朗が中心となり「東京の笑い”軽演劇”」を伝えようと2004年に旗揚げしたこのシリーズ、今回は三宅裕司こと熱海五郎の一座を加えた合同公演。ゲストに歌手の小林幸子とベテラン中村メイ子を迎え、賑々しい顔ぶれとなった。

作:妹尾匡夫
演出:伊東四朗 三宅裕司
~出演者~
伊東四朗
三宅裕司
渡辺正行
ラサール石井
小宮孝泰
小倉久寛
春風亭昇太
東貴博
伊東孝明
河本千明
中村メイコ
小林幸子
ほか

大正から昭和の時代にかけて、東京に軽演劇とよばれる喜劇があって、古くはエノケンやロッパ、戦後になると渥美清やてんぷくトリオなどの数々のスターを生み出してきた。森繁久弥も元々はボードビル出身だ。彼らは映画やTVの世界に進出し人気者になっていくが、本家の軽演劇は次第に勢いを失っていく。
その時代を生きてきた伊東四朗が、その時代を知らない三宅裕司や小倉久寛らと共に、もう一度東京に軽演劇の火を灯そうというわけである。
IT時代だからこそ、人々は生身の人間の演じる舞台に引き寄せられるという願いなのだろう。

ここで今回の芝居のテーマになっている五社協定について説明しておきたい。
五社とは映画全盛期に存在した5つの映画会社(他に新東宝があった)であり、お互いに専属俳優やスタッフは他社の映画に出演や参加ができないとする協定を結んでいた。
監督も同じで、小津安二郎は松竹、黒澤明は東宝、溝口謙二は大映という具合だった。
人気俳優の引き抜きでは、時に刃傷沙汰になることもあった。
例外的に他社の映画に出ることはあったが、それは所属する会社の了解があった場合に限られた。
今でもレコード会社は、専属契約制度を続けている。

五社協定は映画俳優の活動の自由を縛るということで、数々のトラブルが起きたが、反面、映画各社の特色がハッキリ出るという側面もあった。
松竹:ホームドラマ&メロドラマ
東宝:都会派ドラマ
大映:文芸大作
東映:時代劇&任侠もの
日活:無国籍アクションもの
新東宝:お色気もの
とまあ、ざっとこんな風だった。 
良くも悪くも、全盛期の映画界を支えた制度だったといえる。

劇中、当時の映画界のエピソードがいくつかとりあげられていた。
戦前の宝塚の大スター・ターキーこと水の江滝子が、石原裕次郎のプロデューサーだったことや、黒澤明が映画「天国と地獄」のロケで、撮影の邪魔になるといって家を一軒立ち退かせたことなど。
新東宝の大蔵貢社長の「女優を愛人にしてはいけないが、愛人を女優にしてなにが悪い。」という名セリフも、劇中で使われていた。

芝居は徹底したドタバタ劇で、これでもかこれでもかと笑わせてくれる。
セリフが出なかったり間違えたりという場面もあったが、それをもアドリブで凌ぎながら、むしろ楽しんでいた感がある。幕間も出演者が出てきてショートコントでつなぐなどサービス満点。
中村メイ子が往年のヒット曲「田舎のバス」を披露したり、コント赤信号がかつてのコントを演じて見せたり、小林幸子が紅白ばりのスペクタルな舞台装置で歌い、客席は大喜びだった。
ドタバタ喜劇というのは時代を越えた普遍的なエンターテイメントであることを改めて認識させられた。

公演は30日まで。

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2009/05/10

ジャズと軍歌の狭間で・こまつ座「きらめく星座」

Photo_2こまつ座&ホリプロ公演「きらめく星座」が、現在天王洲アイル「銀河劇場」にて上演中だが、5月9日に観劇した。
主なスタッフとキャストは次のとおり。

【作】井上ひさし
【演出】栗山民也
【音楽】宇野誠一郎
―出演者―
久保酎吉/小笠原信吉
愛華みれ/妻 ふじ
阿部力/長男 正一
前田亜季/長女 みさを
相島一之/その夫 源次郎
木場勝巳/間借人 竹田慶介
後藤浩明/ 同   森本忠夫
八十田勇一/憲兵伍長 権藤三郎
ほか

私に物心が付いた戦後、一番初めに覚えた歌はジャズだった。それほど周囲にジャズが溢れていたのだが、別に国民全てが進駐軍に迎合していたわけではない。元々、戦前から日本人はジャズが好きだったのだ。
既に大正の終わりごろから東京でジャズが流行り始め、昭和3年にはジャズのレコード第一号が発売され、ヒットする。二村定一が唄った「青空」と「アラビアの唄」である。
「狭いながらも楽しい我が家・・・」とか「砂漠に陽は落ちて夜となる頃・・・」といった歌詞が人口に膾炙することになる。
歌謡曲として空前の大ヒットとなった「東京行進曲」の中でも「♪ジャズで踊ってリキュールで更けて・・・」と歌われている。

昭和6年満州事変が起きると、次第に軍歌が多くレコーディングされるようになる。
昭和12年に日中戦争が本格化すると、軍部から「ジャズや流行歌は軟弱」と指弾されるようになり、灰田勝彦が歌った「煌く星座」という曲にも、軍の圧力がかかるようになる。
「男純情の愛の星の色 冴えて夜空にただひとつ溢れる思い・・・」という歌詞が、「星」は陸軍の象徴であり、それを「愛の星」とは何事であるかというのがその理由だった。

昭和16年の太平洋戦争の開戦を迎えるとますますジャズに対する風当たりは強くなり、昭和18年には内務省から敵性音楽リストが発表され、レコードの販売が禁止される。ジャズだけではない。現在は懐メロとして愛唱されている多くの歌が、この時に禁止の対象となった。
「鬼畜米英」「米英音盤をたたき出そう」といったスローガンの下、音楽はもちろん、カタカナ語も追放される。
昭和20年の終戦、それまで抑えられていたものが一気に爆発し、戦後のジャズの興隆の時代を迎える。
この劇では、ジャズが「人間の生への賛歌」、軍歌は「国家と戦争のための死への歌」として象徴化されているのは、そのためだろう。

舞台は日中戦争が始まっている昭和15年秋から、日米開戦の前夜である昭和16年12月8日まで。
浅草の小さなレコード店に、四人の家族と、二人の間借人が仲良く暮らしていた。しかし、この平和なオデオン堂に、大事件が起こる。
陸軍に入隊していた長男の正一が、脱走したというのだ。すぐさま追っ手がかかって、憲兵伍長「マムシの権藤」がオデオン堂に乗り込んでくる。やがて張り込みと称して、この家の間借人となる。
さらにもう一人、長女みさをが婿に選んだ傷痍軍人で堅物の愛国主義者、源次郎がこの家族に加わる。源次郎は、この家の住人たちのジャズがかった音楽好きがどうしても許しがたい。
やがてオデオン堂自身も、戦況の悪化の中で取り潰しになることが決まるが・・・・・。

居間の片隅にピアノが置かれ、中央に蓄音機が据えられているこの一家には、常に歌が絶えない。
戦時下の辛い境遇の中でも、立場こそ大きく異なるが、明るさと希望を持ち続ける庶民の姿が、生き生きと描かれている。

こまつ座の出演者たちのアンサンブルは、毎度のことながら素晴らしい。固定した劇団員がいない中で、これだけの芝居ができるとうのは、作品そのものが良く出来ているのは勿論、演出の腕も大いに寄与しているのだろう。

個々の出演者の中では、間借人でコピーライター役の木場勝巳の演技が光る。この人が出てくるだけで、「こまつ座」の舞台であることを実感させられる。
愛華みれが、華やかで強かな、芯の強い戦前のお上さんを好演していた。
久保酎吉の飄々としたオデオン堂主人も適役。
前田亜季はセリフが明解で、演技も堅実。娘役から大人の舞台女優へ、着実に脱皮しつつある。
後藤浩明は舞台での生演奏で、ピアノに雄弁に語らせ舞台をシメテいた。演技も堂にいっている。
憲兵役の八十田勇一には、もう少し凄味が欲しかった。

公演は24日まで。

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2009/05/02

ナンダコリャの舞台劇「六道輪廻」

爽やかな5月晴れの2日、東京芸術劇場中ホールの「六道輪廻」を観賞。
先ずはキャッチコピー、
「狂言、能などの古典芸能と現代劇を交え、シュールレアリスムによって精神の深淵を見つめる刮目の舞台劇。」
ね、スゴイでしょ。

スタッフとキャストも豪華絢爛。
【原作・総合監督】大谷暢順
【演出】野村萬斎 
【脚本・構成】笠井賢一
【主な出演者】野村万作、野村萬斎、麻実れい、若村麻由美、野村一門ほか
どうです、スゴイでしょ。
原作者の大谷暢順師は本願寺の法主で、経歴を見る東大卒後フランスに留学、あちらで博士号を取得。蓮如とジャンヌ・ダルクの関する研究書多数というんだから、スゴイ。
出演者も人間国宝の野村万作、今をときめく息子の野村萬斎、それにフアンである若村麻由美(変なカルトの教祖と結婚したのは気に入らなかったけど)と来れば、これはもう見るしかないでしょ。

肝心の感想は・・・、
ナンダコリャの一言だ。
面白かったわ、と言っていた女性客もいたので、どこが面白かったかは、そういう人のブログを見て下さい。
先ずは上演時間が1時間半だったこと。そろそろ途中休憩にはいるかなと思ったら、終了してしまった。
長きゃ良いというもんじゃないが、何だか物足りない感じが残った。
入り口で入場者全員に原作本が配られた(アリガタ迷惑)ので斜め読みしてみたが、ファンタジー仕立てのようだ。200ページ以上のボリュームを短時間にギュッと圧縮したせいか、どうもストーリーが掴みづらくモチーフが理解できない。
それで、終わった時の感想はナンダコリャだったというわけだ。
唯一、子役の演技が上手かったのが印象的だった。

そう書いてしまうとミもフタもないので、「六道輪廻」について少々解説してみよう。
仏教では六つ世界があるとされており、これが「六道」。人間だろうと動物だろと植物だろうと、全ての情を有する魂は、生死を繰り返しながらこの六道を経巡り歩くのだそうだ。一生の内で良い事をすれば六道の上の道へ、悪いことをすれば下の道に、それぞれ行くことになる。
六道とは、下から順に次の六つである。
【地獄】一番下で、ここに行ったら筆舌に尽くしがたい責め苦を負うことになる。全部で八大地獄があり、最も恐ろしいのが無間地獄だ。
【餓鬼】ここでは絶え間なく飢えと渇きに苦しめられ、骨と皮だけで腹だけふくれるという情けない姿になる。
【畜生】家畜や獣、鳥や虫や魚などになり、自分より強い動物の襲撃に恐れおののき、生きるために餌を探し回って生活せねばならない。
【修羅】国土は広く、宮殿は壮麗、いつも素敵な音楽が流れ、女性は全て美女だという。これを聞くと、私など明日にでも行きたくなってしまうのだが、なぜか天上界の帝釈天と戦って必ず敗れる宿命になっているのだそうだ。少々難有りなのだ。
【人間】今私たちが住んでいるこの人間世界。
【天上】ここが最高界。天人になると日々の悩みや苦しみから解放され、様々な歓楽を尽くして暮せる。天上界も三つの段階があり、最も上の無色界になると物質を超えた精神世界だけになる。
何だかそれも味気ないやね。

さて、あなたはどれを選ぶ?

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2009/02/21

これぞエンターテイメント「帰ってきた浅草パラダイス」

2月20日は新橋演舞場での公演「帰ってきた浅草パラダイス」に出向く。サブタイトルに「久世光彦4回忌追悼」とあるが、この芝居の演出家だった久世さん、亡くなってもうそんなになるのか。
このシリーズ、過去の公演は次のようになっている。
1997年 「浅草慕情~なつかしのパラダイス」
1998年 「浅草パラダイス」
2000年 「ご存知浅草パラダイス」
2001年 「さらば浅草パラダイス」
従って今回が5作目になり、前回で「さらば」したので、今回のタイトルが「帰ってきた」となったわけだ。

【主なスタッフ キャスト】
原作=金子成人
演出=久世光彦
潤色・演出=ラサール石井

柄本 明=卯之助の友人・中原源吉
小島 秀哉=大山辰五郎(興行師)
中村 勘三郎=池島卯之助
藤山 直美=その妻・勝
美波 =沼沢八重
青柳 喜伊子=勝の隣人・みね
井之上 隆志=久三他5役
今井 りか=川田まつ子
坂本 あきら=相良炉風(弁士)
田根 楽子=神崎あやめ(座長)

時は昭和初期の浅草、トーキー映画の出現で娯楽の中心が芝居から映画に移り変わろうとしている時期だった。
しっかり者で元女義太夫語りだった勝と、そのぐうたら亭主で売れない芸人卯之助、友人でやはり売れない楽士源吉の3人を軸に、夢や希望、あるいは金を求めて集まる群像を描いた喜劇だ。
中村勘三郎と藤山直美が夫婦とくれば、おおよそどんな内容の芝居になるかは見当が付くというもの。お約束の展開で最後はメデタシメデタシとなるわけだ。笑わせて泣かせて泪が出るほど笑わせる、そういう芝居である。
原作者の金子成人がたぶん寄席の世界に通じているのだろう、落語の世界をそっくり昭和初期の浅草に置き換えているようだ。
決してストーリーで見せる芝居ではない。役者の演技力とアンサンブルで見せる芝居だ。

主役の3人を含めて、演技陣が充実している。
先ずは妻・勝を演じる藤山直美の演技に圧倒される。上手いのは言うまでもないが、この人は踊りが達者なので動きが綺麗なのだ。動作の、セリフの一つ一つに溜め息が出る。
彼女の存在感が強すぎて、芝居全体がまるで松竹新喜劇を観ているような気分になった。恐るべし、藤山直美はあらゆる物を飲み込むブラックホールである。
売れない芸人を演ずる中村勘三郎と柄本明のコンビは絶妙、この役は二人以外は想像もつかないハマリ役だ。
勘三郎はさすが歌舞伎役者だ。踊りは上手いし所作が美しい。もしかして「地」では思わせるほどの軽妙な演技で唸らせる。ただ風邪気味だったのだろうか、声があまり出ていなかった。
柄本明はそこにいるだけでホンワカしてくるような独特の個性がある。緊張感をふっと抜かすような絶妙な間の演技に感心した。

興行師役の小島秀哉は風格をみせ、弁士を演じた坂本あきらが軽妙な芝居を演じ、隣人のみね役の青柳喜伊子が良い味を出していた。
沼沢八重役の美波は可憐だがセリフに硬さを感じた。川田まつ子役の今井りかのセリフ回しが全体の雰囲気にマッチしていた。
脇役では、まつ子の恋人役を演じた有薗芳記の熱演が光る。

幕間や場面転換の時のつなぎに出演者のコントが演じられたが、アドリブもありサービス満点。
「ジャンプと着地」という演出家のラサール石井の目標は、十分達せられたと思う。

「帰ってきた浅草パラダイス」は、原作・演出・出演者全ての力が集まった、確かな芸に裏づけられた第一級のエンターテイメントである。
本物の芸があって、はじめて本物の笑いが生まれる。このことを再認識させられた芝居だった。

公演は25日まで。

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2008/12/24

“KERA・MAP”公演「あれから」

12月23日、世田谷パブリックシアターでの劇団“KERA・MAP”公演、「あれから」を観劇。世田谷・三軒茶屋には何十年ぶりだろう。玉電でトコトコ行った頃のかつてのうら寂しい場末のイメージは、今はない。

[作・演出] ケラリーノ・サンドロヴィッチ
〔美術〕BOKETA
[主なキャスト] 
ニチカ/余貴美子
その夫ググ/渡辺いっけい
娘アン/植木夏十
ダダの弟ビビ/赤堀雅秋
ミラ/高橋ひとみ
その夫ミクリ/高橋克実
息子ジンタ/金井勇太
ミクリの助手ユゲ/柄本佑
ニチカとミラの恩師サキ/萩原聖人
   同    同級生パゴ/山西惇
ミラのカウンセラー/村上大樹
その助手ユウ/萩原聖人(二役)
アンのバイト仲間リク/三上真史
その恋人モナミ/岩佐真悠子

Arekara

物語は玩具メーカー(大人のオモチャ)経営者のググとニチカ夫妻、写真家ミクリとミラ夫妻という二つの家族を軸に展開する。
ひょんな事から高校の同級生だったニチカとミラが30年ぶりに再会する。二人の家族には一見すると平穏そうだが、実はそれぞれの深刻な問題を抱えていた。
二つの家族は色々な人を通して複雑につながっていて、正に禍福は糾える縄の如し。
そして二人の高校時代に起きた事件と事故が、やがて現在の家族の現実に影を落としていることが明らかになる。
夫婦・親子・兄弟といった家族愛、夫婦の倦怠、女同士の友情、中年と若者の世代間の軋轢をテーマとしたコメディタッチの芝居である。

複雑な人間関係を描きながら、それをエピソードを通して分かり易く観客に提示していく作者ケラリーノ・サンドロヴィッチの手腕は見事だ。笑いの中に不妊、不倫、カウンセリングなどの社会問題を織り込み、更にミステリー仕立てにもなっている。
約3時間の舞台は最後まで緊張感を保ち、飽きさせない。
シンプルだがインパクトのあるBOKETAの舞台デザインが効果を高めていた。

出演者は余貴美子、高橋ひとみの主演女優を中心にそれぞれ持ち味を発揮し、充実した演技を見せていた。
赤堀雅秋がエキセントリックな役柄を好演。萩原聖人のコミカルな演技と、高橋克実のふんわりと暖かい雰囲気が、刺々しさを和らげていた。
人生の不幸を一身に背負ったような男を自虐的に演じた山西惇の熱演が光る。

公演は12月28日まで。

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2008/12/14

国立能楽堂12月普及公演「合柿」「自然居士」

子どもの頃、新宿末広亭で三味線漫談の都家かつ江が高座で「ここと人形町(末広)じゃ客種が違う」と言い放った、それが「客種」―客筋、客層ともいう―という言葉を最初に聞いたきっかけだった。その後、人形町末広に行ってみて、確かに客種が違うことを実感した。
客種というのは観察してみると、なかなか面白い。芝居だって能楽、歌舞伎、新劇、大衆演劇では客種は全く異なる。劇場でもそうで、紀伊国屋ホールと明治座では客層が別だし、同じクラシックコンサートでも、オペラと歌曲とでは客筋が変わる。落語の世界でも寄席(定席)と独演会では違うし、その独演会だって小朝と談春とではやはり客種が違うのだ。
芝居を観に行った時、そんな観察をすることも興味深いものがある。

この中でも能楽の観客というのは、最もハイソな臭いがする。別にお金持ちという意味ではなく、生まれ育ちの良さそうな人が多い。私など完全な例外だと感じてしまう。外国人の多いのも能楽の特徴と言える。
国立能楽堂12月の普及公演は、狂言「合柿」と能「自然居士」の公演だった。
普及公演なので開演に先立ち、解説・能楽あんない「中世・放下僧の芸能」と題する、山路興造氏の講演が行われた。 

狂言・大蔵流「合柿(あわせがき)」
シテ・山本則俊
合柿(あわせがき)とは渋抜きの柿のことで、柿売りの商人が渋柿を合柿と称して通行人に売りつけようとする。味を疑う通行人は、それなら先ず柿売り本人が食べて見せろと言い、次の口笛を吹かせる。柿が渋いので口がこわばり口笛が吹けない。渋柿がばれて通行人から懲らしめられ、柿売りは散々な目に遭うというストーリー。
今まで観た狂言の中でも最も分かり易く、このまま現代のコントのネタに使えそうな題材だ。
「面白うてやがて哀しき柿売りかな」といった所。

能・宝生流「自然居士(じねんこじ)」
シテ・當山孝道
ワキ・高い松男
アイ・山本則重
自然居士(じねんこじ)というのは実在の人物だったそうで、南北朝時代に歌舞芸能を演じながら説教する異端の宗教者だったようだ。そういう姿で民衆に仏教を布教していたのだ。
説法の最中に、亡き父母の追善にと小袖を差し出した少女が人買いに連れ去られると見て、自然居士はその後を追い、彼らの求めに応じて芸能を披露し、小袖と引き換えに少女を連れ戻すというストーリーだ。これまた今まで観た能の中では最も筋が分かり易く、まるで歌舞伎でも観ているような気分になった。
自然居士が少女を救おうとすると周囲が引き止めるが、「今の女は善人、商人は悪人、すは、善悪のニ道ここに極まりたり。」と応じ、説法より先ず実行が大事という姿勢に、中世のヒーロー像が浮かんでくる。
筋の展開がとてもドラマチックだ。

能の小鼓、大鼓、笛の音を聴いていると、いつしか音は耳で、舞台は目で追っているのだが、脳は眠るという一種のトランス状態になるのだが、これが何とも言えず心地よいのだ。
嘘だと思ったら、一度能楽に足を運んで見てください。

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2008/12/07

こまつ座公演「太鼓たたいて笛ふいて」

Photo井上ひさし率いる「こまつ座」第八十七回公演は、「太鼓たたいて笛ふいて」。12月6日の紀伊国屋サザンシアターでの舞台を観劇。大竹しのぶをナマで見たいというのが、最大の目的。
主なスタッフとキャストは次の通り。
井上ひさし・作 
栗山民也・演出
宇野誠一郎・音楽
<キャスト>
大竹しのぶ (林芙美子)
木場勝己 (三木孝)
梅沢昌代 (林キク)
山崎一 (加賀四郎)
阿南健治 (土沢時男)
神野三鈴 (島崎こま子)
ピアノ演奏・朴 勝哲

この芝居は林芙美子の後半生をミュージカル風に仕立てた音楽評伝劇で、物語は昭和10年から26年までの間、つまり日中戦争前夜から、戦中を挟んで終戦後に至る時期を描いている。
林芙美子の評伝といえば、直ぐに森光子主演の「放浪記」が頭に浮かぶ。あの芝居がスタートした当時、ある新聞の劇評で、演劇の「放浪記」は肝心の部分が抜けている。それは林芙美子の戦時中の姿であって、そこを抜かしては彼女の本当の姿は描けないという主張だった。確かに「放浪記」は実に良くできた芝居だが、作家としての林芙美子が十分に描かれているとは言い難い。
演劇の「放浪記」の作者は菊田一夫だから、戦時中のことは書かなかったのだろう。
作者の井上ひさしは、その辺りを念頭に置いて、この作品を書いたのではなかろうか。
例えていうなら、「蒲田行進曲」のアンチテーゼとして山田洋次が「キネマの天地」を書いたように、である。

人気の女流作家の林芙美子は、従軍作家として南方戦線や満州や南京に派遣され、専ら戦意高揚のための記事を書く。しかし戦争の末期になると突然、「負けぶりのうまさを考えなければならない」と言い出し、当局の監視の対象になる。
そして終戦後、戦争未亡人や傷痍軍人など戦争で傷付いた人々を対象に、身を削るように猛烈な勢いで数多くの作品を書き出し、47歳で死んでいく。
林芙美子のこの「なぜ」を追及するのがこの芝居のモチーフであり、その答を彼女のセリフ「もっと書かなくてはね。わたしたちが自分で地獄をつくったということを・・・」で表現させている。

シリアスで暗くなりがちな舞台を音楽劇に仕立てることで、泪と笑いに包まれた実に楽しい芝居に仕上げている。
出演者はたったの6人だけだが、いずれも芸達者を揃えた。
先ず主役の大竹しのぶ、これが唸るほど上手い。セリフの、動作の一つ一つが研ぎ澄まされ、それでいて柔らかいのだ。島崎藤村の「椰子の実」を朗読する時の声の美しさ、もうウットリとしてしまった。レイテ島で戦死したとされていた土沢時男が生還し戻ってきた時の、深々とお辞儀をしてたった一言「おかえりなさい」と言う場面、万感の思いが込められていて胸が詰まる。こういう演技こそ、役者の腕の見せ所なのだ。

常に時流に乗って、世の中の動きを先取りするように動く三木孝役の木場勝己がまた、実に良い味を出していた。一見、お先棒担ぎだけのようでいて、芯が通っているという難しい役どころを好演し、芝居全体を盛り上げていた。この人がいなかったら、この芝居の価値は半減するだろう。
芙美子の母親役という老け役を演じた梅沢昌代の飄々とした演技も忘れられない。
島崎藤村の姪であるこま子を演じた神野三鈴は気品と一途さが感じられた。
土沢時男を演じた阿南健治は、悲惨な運命を面白おかしく語る泣き笑いの場面が秀逸だったが、喉の調子のせいか声が割れるのが気になった。
山崎一、この人だけが初役だったせいか、全体にやや固さが見られた。

さすがは数々の演劇賞を受賞した芝居だけあって、作品、演技共に申し分ない。
今年ベストの演劇だった。

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2008/11/20

劇団大阪「流星に捧げる」

大阪で活動する劇団大阪の第65回本公演は山田太一作「流星に捧げる」で、友人の齋藤誠が主演ということで、11月16日谷町劇場での公演に出掛けた。
山田太一の世界というのは、山田洋次監督の世界と共通するところがある。作中の人物に悪人が出てこない、全て善意の人々で構成されている。現実の社会では有り得ないメルヘンの世界。社会の現実を直視するというよりは、この世の中の精神安定剤的な役割を果たしているのと思われる。
山田洋次の「寅さん」シリーズが、実は自民党政治を陰で支えているとの悪口が聞かれるが、こうした傾向を指摘しているのだろう。

主なスタッフと、公演日のキャストは次の通り。
<スタッフ>
作/山田太一
演出/和田幸子   
舞台美術/石野 実
<キャスト>
ユニフォーム会社経営者=上田啓輔
車椅子の老人=齋藤 誠
保険外交員=中村みどり
老人の家政婦=梁 礼子
“善意”の女性=名取由美子
出社拒否症の女性=伊藤節子
工務店営業マン=伊原遼太
30代フリーター=熊谷志朗

物語は、
あるインターネットのサイトに「動かない風見鶏 車椅子の老人 ひとり」という書き込みがあった。書き込みの主は、大きな屋敷にひとりで住んでいる車椅子の老人で、他には家政婦が通ってくるだけだ。その書き込みを見て、思惑を持った人や他人との触れ合いを求めてきた人など、様々な事情を抱えた人々が集まってくる。最初はバラバラだった人たちがやがて主人を中心とした擬似家族を演じるようになるが・・・。

典型的な山田太一ワールドであり、人間賛歌であり、観ていてホノボノとした気分に浸れる。しかし各自が抱えていた問題は何ひとつ解決されないし、その見通しもない。メルヘンと書いた所以はその辺りだ。
気持ち良さに浸っていられるか、一歩ひいてシラケルかで芝居の評価は分かれよう。

出演者では上田啓輔が安定した演技で、齋藤誠が痴呆老人を真に迫った演技で見せ、中村みどりが舞台をシメテいた。他では名取由美子がつかみ所の無い役を好演していた。
固定された舞台セットは良く工夫されていて、最後に風見鶏がアップされるシーンは感動的だった。

アマチュア劇団というのは大変なのだろう。仕事を持っての公演は週末に限られるし、稽古時間も十分取れるわけではない。
役者は時には照明や大道具小道具の係りをやったり、会場受付や整理もこなしたり、一人で何役もやらねばならない。
舞台でセリフを忘れたり飛ばしたりも日常茶飯事だろう。しかしそこまでしてなお芝居をしたいという要求、これこそがアマチュア劇団の良さであり、プロの劇団と異なるところだ。
劇団大阪の芝居は今回で3回目になるが、いつも暖かい家族的な雰囲気を感じる。

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2008/10/26

前進座「解脱衣楓累」千秋楽

Kunitaro10月25日は浅草公会堂での前進座「解脱衣楓累」(げだつのきぬもみじがさね)を観劇。この演目は「東海道四谷怪談」などで知られる鶴屋南北の幻の未上演台本で、前進座が実に172年ぶりに1984年初演したもので、怪談話。
本来は文化九年(1812)に、江戸・市村座で幕を開ける予定だったちょうですが、主役を演じる役者が急病となり、その後亡くなるという因縁じみた逸話が残されている。
オリジナルは8時間ちかいものだったようですが、初演の台本(小池章太郎)でおよそ3時間の芝居に仕立て直した。今回が3度目の上演となる。

主な配役は次の通り。
空月=嵐圭史
お吉/累(二役)=河原崎國太郎
与右衛門=藤川矢之輔
金谷金五郎=瀬川菊之丞
羽生屋助七=嵐広也
丸藤の磯兵衛=津田恵一
小夜風=山崎辰三郎
庄屋作郎左衛門=姉川新之輔
定使い長太=松涛喜八郎
若党甲斐次=中嶋宏幸
おとら=亀井栄克
やたら勘次=渡会元之
小三=生島喜五郎

ストーリーは、
かつては武家であった僧・空月はお吉と情を交わし懐胎させてしまう。別れを決意し旅立つ空月の後を追ってきたお吉、短刀で自害を図るが止めようとした空月が誤ってお吉を刺してしまう。 お吉の生首と短刀を持って江戸の出てきた空月は、お吉そっくりの累(かさね、実はお吉の妹)に出会い、言い寄る。
ここから登場人物がそれぞれ兄弟姉妹、かつての上役や恩人など因縁の糸で結ばれていて、正にあざなえる縄のごとし。
最後は凄惨な殺し合いで幕をとじる。

鶴屋南北の作品としては登場人物もそう複雑ではなく、物語は分かり易いが、「四谷怪談」と比べるとやや単調で薄味だ。この辺りが永らく上演されずにいた理由なのかも知れない。
大詰めの舞台で、雨を降らせた中での与右衛門と累の立ち回りシーンが迫力十分。この場面が全てと思わせるほどの、見ごたえがあるシーンだった。
数ある歌舞伎の演目の中でも、立ち回りでは出色の出来ではなかろうか。

出演者では、お目当ての河原崎國太郎の演技が群を抜いていた。匂い立つような色気と、雨中での乱闘シーンでの凄惨な美しさ、共に申し分ない。欲をいえば、累にもう少し儚さがあったらさらに良かった。
嵐圭史は口跡が良く、こうした悪役をやらせても凄味がある。
嵐広也が颯爽とした若者ぶりと、渡会元之の軽妙な悪役ぶりが目を引いた。
生島喜五郎の女形は柔らかさに欠け、未だ女になりきっていない。
他に、津田恵一のコミカルな演技が客席を沸かしていた。

前進座はここのところ完全に國太郎が中心に座ってきた。
反面、中村梅之助ら第二世代の高齢化や、人気役者だった中村梅雀の退団で、立役のコマ不足の感が否めない。
前進座は曲がり角にかかってきている。

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2008/10/06

「私生活」@シアタークリエ

Terajima_shinobu東宝本社ビルに昨年オープンしたシアタークリエ、今月の公演は「私生活 PRIVETE LIVES」です。この劇場は初めてですが、600席の小ぢんまりとした小屋で、芝居にはちょうど良い大きさです。ロビーやトイレのスペースが小さく落ち着かないのが欠点ですが、日比谷という場所柄仕方がないでしょう。
観客の8割以上が女性、それも“アラ40”(40歳凸凹)辺りが中心です。10月5日に出向いたのですが他にも年配者がいて、辛うじて最長老でなくて良かった。
主なスタッフとキャストは次の通りです。

[スタッフ]
作: ノエル・カワード
演出:ジョン・ケアード
翻訳:松岡和子
美術:二村周作
[キャスト]
内野聖陽 =エリオット(シビルの夫、アマンダの元夫)
寺島しのぶ=アマンダ(ヴィクターの妻、エリオットの元妻)
中嶋朋子 =シビル  (エリオットの新婦)
橋本じゅん=ヴィクター(アマンダの新郎)
中澤聖子 =ルイーズ(アパートのメイド)

作品は1930年に書かれたものだそうですが、物語は時代の古さを感じさせません。ソーシャル・コメディとなっていますが、それほど社会的な背景が描かれているわけではなく、いわゆるラブ・コメディの範疇に入ると思います。男と女の話ですから色あせない。結構きわどいシーンやセリフも多く、今から80年ほど前に上演された時は衝撃的だったでしょうね。

ストーリーは、再婚同士の2組のカップルが、ハネムーンで部屋が隣どうしになります。バルコニーでばったり顔を合わせてしまったエリオットとアマンダの元カップル、焼けボックイに火が付いてそのまま駆け落ち、パリのアマンダのアパートでよりを戻します。しかし元々が気性の激しい二人、「人の気持ちが読めない」「気持ちを読む。あなたには思いやりがない」と口論が始まり、果ては掴み合いの大喧嘩に。そこにヴィクターとシビルの二人がやってきて・・・。

20世紀初めのころのイギリス上流階級の生活、セリフにウィットやユーモアが詰め込まれ、日本語訳もよくこなれていて肩の凝らない楽しい舞台に仕上っていました。
エリオットのセリフ「協定は、結ぶのはたやすく守るのは難しい」、正にその通りで、それだから男と女はくっ付いたり離れたりする。
日本の歌舞伎の世界もそうですが、昔の方が男女関係は奔放だったようです。今の時代の方が倫理観が強くなっている、そんな気がします。
アマンダが言っていました、「私がこんなに奔放じゃないのは、生まれて初めて」と。

個性的で芸達者な俳優を揃えての舞台。
寺島しのぶがフェロモンをムンムンさせて好演、こんな勝気な女とは到底一緒に暮せないと思わせる迫力十分の演技でした。
中嶋朋子は演技は上手いのですが、女優として色気が足りない。
同じ事は主役の内野聖陽にも言えます。演技力には文句のつけようがありませんし、セリフも良く通る。でも洒落っ気が足りないんです。こういう役はもっと「粋」でなくちゃいけない。内野聖陽に限らず、この手の芝居に適した男優が日本に少ないのが悩みですね。例えば往年の名優ジャック・レモンみたいな。これは無いものネダリかな。
橋本じゅんが手堅い演技を見せていましたが、それより脇役の中澤聖子に存在感がありました。カーテンコールで舞台を片付けながら客席にお辞儀する姿が実にカワイイ。

公演は今月31日まで。

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2008/09/14

青年劇場「藪の中から龍之介」@紀伊国屋サザンシアター

ボクは10-30代の頃、「閃輝暗点(せんきあんてん)」という病を持っていた。どういう症状の病気かというと、芥川龍之介の遺稿「歯車」が、次のように詳しく描写している。
「僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?——と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖(ふ)やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失(う)せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、——それはいつも同じことだつた。」
龍之介はこの病の病名を知らず、幻聴だと思い込んで悩んでいた。自殺の動機の一つと言われている。
ボクは同病相憐れむで何となく芥川龍之介に親近感を持ち、中学生の頃には主な作品は全て読んでしまった。

9月13日、「青年劇場」の「藪の中から龍之介」という芝居に行く気になったのは、やはり龍之介がテーマであったからだ。
作=篠原久美子
上演台本・演出=原田一樹
<キャスト>
葛西和雄=武藤刑事(鬼の酋長)
北直樹=芥川龍之介(レエン・コオト君)
大月ひろ美=妻・文(ろおれんぞ)
吉村直=養父・道章(杜子春の父)
千田京子=養母・トモ(婦人)
藤井美恵子=伯母・フキ(お釈迦様)
伊藤めぐみ=森田幸子(小女房)
矢野貴大=石田平六(下人)
大木章=中田編集長(騎兵)
菅原修子=秀しげ子(沙金)
広戸聡=久板卯之助(猿)
(カッコ)内は龍之介の作品のなかの登場人物で、この名前から小説のタイトルが当てられれば、アナタは龍之介通です。

ストーリーは、1927年7月24日芥川龍之介は服毒により死亡するが、ここに彼の作品の登場人物が集まり、彼らが実在の人物に扮し、もう一度龍之介が生きてきた道を辿ろうということに決まる。
龍之介の現実の生活と、登場人物の世界が交差する中で、次第に見えてくるものはなにか・・・。

とても面白い着想だが、脚本は成功したとは言えない。主人公・芥川龍之介について、従来にない新しい解釈がなされたかというと、そういう訳でもない。
それならエンターテイメントに徹すれば良いのだろうが、そちらも中途半端な印象だ。石田平六と森田幸子の恋愛模様は余計だったし、彼らの絶叫口調はこの芝居の雰囲気を壊す。
石原敬の舞台美術は良く工夫されていた。

出演者では、葛西和雄の落ち着いた演技が光る。登場してくると舞台が締まる。
妻・文を演じた大月ひろ美に品があり、ひたむきさが伝わってきた。
主人公を演じた北直樹は、龍之介の雰囲気を醸し出していたが、着物の着付けがいつもだらしなく、あれは意図してやったものだろうか。ダンディな龍之介のことだから、来客の時はもう少し服装がきちんとしていたのではなかろうか。
矢野貴大はどう見ても農村の青年には見えない。あれでは都会の労働者だ。
龍之介に社会主義思想を教えた久板卯之助役の広戸聡には、もっと凛とした風格が欲しい。
吉村直のヒョウヒョウとした演技が、笑いを誘っていた。

公演は9月25日まで都内各地で。

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2008/08/25

元禄めおと合戦―光琳と多代―@明治座

Fujiyama_naomi_28月24日は明治座へ。どうもこの小屋はやたら売店が多く、落ち着かないのであまり好きではないが、今回はナマ藤山直美を一度見たいと思って、「元禄めおと合戦―光琳と多代―」の芝居に出向く。
楽日の前日の日曜日ということもあって一杯の客席だが、8割方は中高年のご婦人で、何だか場違いの所に来たみたいで、どうも居心地が悪い。

主なスタッフとキャストは次の通り。
原作:保戸田時子 
脚本:金子成人 
潤色・演出:宮田慶子
【主なキャスト】
藤山直美:光琳の妻・多代 
中村梅雀:尾形光琳
岡本健一:弟・尾形乾山
西川忠志:その友人・源丞
大津嶺子:尾形家の女中・おらく
小西美帆:同下女・おさん
太川陽介:赤穂の浪人・鈴田重八
床嶋佳子:その妻・おしま
羽場裕一:幕府の役人・中村内蔵助 
松金よね子:物売り・お竹

ストーリーは至ってシンプル。才能はあるが放蕩のし放題で頼りない亭主と、しっかり者の女房という組み合わせで、それを梅雀と直美が演じるのだから分かりやすい。これに身持ちの堅い弟、忠義な女中、健気な下女とくれば、読者の皆さんの筋は大方見当がつくというもの。
味付けに元禄のバブリーな雰囲気と、赤穂浪士の討ち入りが絡む。
大いに笑わせ、時にホロリとさせ、最後はメデタシメデタシの大団円。
ベタな脚本だが、TVの水戸黄門と同じで、「お約束」のストーリーの方が、観客は安心して観ていられるのだろう。

出演者ではお目当てだった藤山直美の演技が断然光る。周囲の俳優とは段違いの演技力で、舌を巻いた。
先ず立ち姿が綺麗だ(スタイルは決して美しいとは言えないにも拘らず)。一つ一つの動きにムダがない。そして実に可愛らしい。台詞回しが良く、声が凛としてよく通る。つまり役者として言う事がない。
敢えて欠点として上げるなら、あれだけ個性的だと、どの役をやっても藤山直美になってしまうのではないかと。まあ、そう思わせるほど芸達者なのだ。

共演の中村梅雀は喉を痛めていたのか、声が割れるのが気になった。全体に精彩を欠いていたと感じたのは、気のせいだろうか。

助演の松金よね子の存在感が目をひいた。物売りの役だが、この女が背負ってきた過去が目に浮かぶような、奥の深い演技なのだ。役作りのお手本である。

他には、西川忠志が軽妙な演技を見せ、越後屋の主を演じた綱島郷太郎の慇懃無礼ぶりが光る。

この芝居、藤山直美の演技を観ただけで、元を取った気がする。

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2008/06/16

志らくさん、良かったです!「あした ~愛の名言集」

Shiraku先日当ブログで立川志らくのシネマ落語について批判的なことを書いたら、ご本人から「シネマ落語は駄目かもしれませんが、是非、6月の紀伊国屋の私の芝居「あした」を観てください。また評価が変わるはずです。」とのカキコミがあった。
ここで行かなきゃ男が廃る、止めてくれるなおっかさん、背中のタトゥが泣いているとばかり、6月14日紀伊国屋ホールへ。昼の「恐竜と隣人のポルカ」を見終えて渋谷から新宿へ移動という、変則ダブルヘッダーと相成った次第。

さて、「あした ~愛の名言集」は立川志らく劇団「下町ダニーローズ」の最新公演。
ポスターには、
脚色・演出:立川志らく
大林宣彦監督作品映画 「あした」より
原作:赤川次郎「午前0時の忘れもの」
とあり、赤川次郎の原作を大林宣彦監督が映画化し、それを志らくが芝居の舞台用に脚色し演出たものだ。原作も映画も観ていないのだが、志らくの脚本はかなりかけ離れた内容に仕上がっているものと想定される。
作者本人の解説でこう述べている。
「舞台を現代から昭和33年に変え、登場人物もキャラを喜劇的にし、志らくワールドとしての『あした』をつくりました。愛する大林宣彦監督の大事な映画を、狂った志らくがどこまで舞台で描けるか。オマージュであり、新作であり、そして芝居であり映画であり絵画であり落語でもあるという『あした』、堪能していただけたら幸いです。」

主なキャストは次の通り。
立川志らく:池之内勝
森口博子  :池之内歌子
須藤温子  :原田法子
細山田隆人 :大木貢
なべおさみ:金澤弥一郎
入江若葉  :金澤澄子
北原佐和子:森下美津子
柳家一琴  :笹山剛
酒井莉加  :綿貫ルミ
原武昭彦  :神様
入月謙一  :森下徹(宝玉)
柴山智加  :一ケ崎布子
宇賀神明広:永尾要司
岩間沙織  :小沢小百合
ロリィタ族  :朝倉恵
山田貴久  :笹山哲
山本良也  :船頭
寺尾由布樹 :高柳淳
橘ゆかり  :永尾厚子
竹川美子  :安田沙由利
中村康介  :唐木幻詩

場内に入ると既に幕は開いており、舞台には大きなセットが置かれている。渡し舟の船着場だが、実に見事なデザイン(舞台美術:佐藤さい子)で、先ずこれに感心した。このセットを見ただけで期待を抱かせ、この芝居が一幕ものであることを暗示している。
ストーリーは昭和33年に渡し舟の転覆事故があり、乗客一人が救助されるが、他の乗客6名と船頭が死亡する。一月後にこれを哀れと思った神様が、一日だけこの世に生き返らせ、愛する人と対面させるというもの。
全ての関係者がこの船着場に集まり、それぞれが再会を喜び会う中で、生前明らかにされなかった真実もまた露わにされてゆく。最初は家族同士はお互いバラバラであったのが、次第につながって行くようになる。そして約束された一日が終わり、死者は再びあの世に帰って行くのだが・・・。

作者の「狂った志らくが」という言葉とは裏腹に、芝居は極めてオーソドックスな展開を見せる。死者とその関係者6組の個別の物語が、やがて相互に関連し始め、群集劇へと発展してゆく。
親子、夫婦、恋人、師弟、親分子分、それぞれの愛憎劇が一つに収斂し、ラストシーンを迎えて行く。
全体をコミカルに仕立てながらホロリとさせる場面を差し挟み、そして古今東西の名言や映画の名セリフを随所にちりばめてゆく演出、実に見事だ。
脚本家、演出家としての志らくの力量を示すものだ。

出演者個々では演技のレベルに差が大きく、アンサンブルも完璧とはいえない。せっかく落語家が演出しているのに神様のキセルの使い方がなってないし、幇間はさっぱり幇間らしくなく、粗さも目立った。
しかしこの舞台では、演出家や出演者の芝居に対する情熱や意気込みが感じられ、そうした個々の欠点を吹き飛ばしていた。
芝居の最大の魅力は舞台の熱気であり、それがあるから名優の揃った大舞台でも、素人が演じる小劇場でも、観客は等しく感動するのである。

役者では、なべおさみの演技力、存在感には舌を巻いた。正直、これ程上手い人とは思ってもみなかった。
原武昭彦がヌーボーとした良い味を出していて、志らくとの掛け合いは場内を沸かせていた。
女優陣では森口博子が堅実な役作りを見せ、北原佐和子が舞台に華を添え、ロリィタ族の熱演が光る。

志らくさん、とても良かったですよ。

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2008/06/15

「恐竜と隣人のポルカ」は駄作

Terawaki6月14日渋谷パルコ劇場にて「恐竜と隣人のポルカ」を観劇。キッカケは評判の後藤ひろひとという作家がどういう芝居を書いているのか、一度観ておきたかったからだ。
作者自身の作品解説によれば、常に複数の要素を組み合わせて作品を書いており、今回は恐竜への興味と、マンションの理事を経験したことを機に隣人、そしてグラミー賞にポルカ部門があると分かったことから、この三つのキーワードを組み合わせて作劇した由。
さて、どんな展開になるのだろうか。

主なスタッフとキャストは次の通り。
後藤ひろひと;作・演出・柴栄博士
寺脇康文  :戸田幸夫
手塚とおる :熊谷柿一郎
水野真紀  :戸田千春
森本亮治  :戸田翔太
大和田美帆 :熊谷桃子
竹内都子  :熊谷亜矢子
兵動大樹  :島之内(ディレクター)
石野真子  :石野真子(本人)

ストーリーは、
タウンハウス(舞台設定ではそうなっている)に隣り合う同級生同士が、ある時一方の戸田家の庭から恐竜の骨が発見され、隣家の熊谷家に内緒で一儲けを企んだ所から両家の間に大騒動が持ち上がり、家族は勿論、恐竜博士やTVディレクター、果ては戸主二人の共通のアイドルだった石野真子まで巻き込み大混乱という物語。

作者が解説で書いている「感動ゼロ」「理屈ゼロ」、アンコールで作者が言っていた「筋は渋谷駅に着く頃は忘れている」、いずれもその通り、実に他愛ないお話だ。
コメディの基本は「アリソデ・ナサソ」であり、設定のどこかにリアリティが求められる。今時、自宅の庭から恐竜の骨が出てきたといって、大儲けできると考える人は誰もいないだろう。
むしろ敷地から文化財が発掘されてしまったり、所有する家財が文化財に指定されてしまったりすると、実際には大変な負担になるのだ。
そういうカンドコロを外してコメディを作ると、これはもうドリフのコント並になってしまう。いや、ドリフのコントの方がまだ設定にリアリティがあるだろう。
かといって荒唐無稽にしては中途半端だ。
アイドル石野真子の扱いも月並みで、工夫が感じられない。
要は、作者のメッセージが観客に伝わってこないのだ。
芝居を観ている最中はそれなりに面白いのだが、笑いの底が浅いのだ。
後藤ひろひとの過去の作品は全く知らないが、この作品に関しては駄作だと思う。

出演者では手塚とおるの怪演が光っていた。軟体動物のような身体の動きは存在自体がオカシク、この人は別の舞台で見てみたい。
森本亮治と大和田美帆が堅実な演技を見せていたが、竹内都子と兵動大樹についてはキャスティングの意図が分からない。コメディだからお笑い系を連れてきたのだろうか。

7月6日まで各地で巡演。

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2008/05/24

劇団K助「ステージ」

K_suke大好評(それにしてはアクセスが少ない)連載中の「ある満州引き揚げ者の手記」、これから未だ未だ続きますが、ここでちょっと一息入れて。5月23日中目黒ウッディシアターで行われた劇団K助「ステージ」を観劇しましたので、その感激をお伝えしたいと思います。
親友の息子さんが主役で出演するということで観にいきましたから、劇団のことも役者のことも殆んど知りません。

スタッフとキャストは次の通りです。
劇団K助 第9回公演
『ステージ』
脚本・演出/金沢知樹
脚色・演出/大関真(劇団SET)
[キャスト]  
大隈いちろう(デフロスターズ)
大竹浩一(劇団SET) 
大関真(劇団SET) 
Kいち(トラストワンホープ)
斉藤誠人(SMA)
堀田勝(劇団アルターエゴ)
相原美奈子(劇団†勇壮淑女)
兎本有紀(宝井プロジェクト)
内田もも香(E.NESTO)
土屋史子(YOUGO OFFICE)
松村真知子(劇団SET)
出演者情報によれば、全員舞台やTV、CMなどの出演歴のあるプロの俳優(斉藤誠人だけがお笑いタレント)です。
ただ配役がどこにも書かれていないのは不親切です。

ストーリーは弟分に殺されたヤクザが、死後の世界から自分の辿ってきた過去がリプレイされる中で、次々と真実が明らかになってゆきます。その中でもう一度自分自身を見詰めなおし、現実の世界に戻って新たな人生を歩んでいくという物語で、発想そのものはそう目新しいものではありません。
金沢知樹の脚本は、笑いの中にシリアスな場面を織り込み、笑いと泪で休憩無しの2時間をたっぷりと楽しませてくれました。個々の役者も序盤にはドタバタする所もありましたが、それぞれの力量を発揮していたと思います。
舞台のセットは貧弱と思われるほど一見質素ですが、その分役者の演技を際立たせていました。
過去の公演については分りませんが、今回の舞台を見る限りでは、小劇場の芝居として十分成功だったといえるでしょう。
計6回の公演は全て完売だったようで、やはりお客は良く知っています。

出演者では、主役の斉藤誠人が歳に似合わぬシブイ演技を見せ、母親役の兎本有紀(写真)が登場すると舞台が締まります。息子と母がビールを飲みながら語り合うシーンが秀逸でした。
他には、大隈いちろうが軽快な演技で沸かせ、土屋史子が可憐。

公演は25日まで。

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2008/03/17

「ベガーズ・オペラ」@日生劇場

Beggars_opera3月15日話題のミュージカル「ベガーズ・オペラ」を観劇。日本では2006年1月に初演で、その際は全日程即完売だった由。当日は貸切公演だったがもちろん完売。それでも早めに予約したせいか、舞台上手の袖付近ではあったが、中二階の最前列で役者の動きが良く見えた。
覚悟はしていたが、観客の8-9割は女性。男も若い人が多く、もしかしたら男子最高齢ではなかったかと。精神年齢が若いんだから、まあイッカ。

芝居の背景は18世紀のロンドン、当時のスラムは犯罪の温床で、警官はいるにはいたが薄給のためワイロがはびこり、治安は最悪。おまけに当時の官職は金で買えたため、金さえあれば希望の官吏になれた時代でもあった。
治安回復のために政府が行ったのは、窃盗でも死刑にするという厳罰強化であり、密告の奨励であった。つまり密告者には多額の報奨金を出し、犯罪人を捕まえては容赦なく縛り首にした次第。
処がドッコイ、こうした治安対策を逆手にとって、仲間同士をお互いに監視させ、悪党集団を束ねる盗賊支配者が現れる。この代表的人物がジョナサン・ワイルドで、「ベガーズ・オペラ」の主人公のモデルとされている。

ジョン・ゲイが原作を書いた18世紀は、イギリスでもイタリアオペラが全盛で、物語はもっぱら古典を題材にしたロマンチックなストーリー、終わりはハッピーエンドが定番だった。
その時代に、社会の恥部をテーマにした作品を作ったのだから反響は大変なもので、この作品は当時としては記録的な大当たりをとり、史上初のミュージカルとして名を残すこととなった。
第一、「ベガーズ・オペラ」つまり「乞食のオペラ」というタイトル自身が、かなり挑戦的ではないか。
この作品はその後ドイツに渡り、20世紀に入ってブレヒトの代表作「三文オペラ」に結実する。

日本公演の演出・脚色を担当したジョン・ケア―ドによる舞台作りは、原作の持つ社会風刺や、法的正義に対する原作者の鋭い目は極力おさえ、肩がこらずに楽しめるミュージカルに仕立てたようだ。
設定には工夫を凝らし、ベガーズ(乞食)のトムが書いた台本を老役者の計らいで、大劇場で1夜限り上演できる芝居としている。出演者は一人一人様々な過去を持ちながら、今は社会の底辺にいる人たちが、それぞれ劇中で、追いはぎ、盗賊、娼婦、密告者、警官、看守などの役を演じるという、いわば二重構造の設定。
ストーリーは至って単純。主人公の追いはぎマクヒースと、彼を巡ってのポリー・ピーチャムとルーシー・ロキットという二人のヒロインによる三角関係が軸になっている。そこに親子や夫婦の愛憎が絡み、裏切ったり裏切られたり、密告したり密告されたり、そんな物語が展開し、最後は・・・と、これは観てのお楽しみ。

主な出演者だけでも、内野聖陽(マクヒース)、髙嶋政宏(ピーチャム)、村井国夫(ロキット)、橋本さとし(トム/フィルチ)、近藤洋介(老役者)、島田歌穂(ルーシー・ロキット)、笹本玲奈(ポリー・ピーチャム)、森公美子(ミセス・ピーチャム)らの豪華キャスト。
「ステージサイドシート」と称する舞台の両袖に客席が設けられ、時にはそこの観客が舞台に参加させられる。上演中あるいは休憩時間に、出演者が客席を回り話しかける、フィナーレでは沢山の観客が舞台に上がり、一緒に歌い踊る。これらは原作の持つ俳優と観客のバリアを無くすという思想に基く、演出家の工夫によるもののようだが、こうした演出方法と、人気役者を揃えたところに、このミュージカルがヒットした大きな要因があると思われる。

反面、劇的なストーリー展開と物語の深みに欠けているため、例えば「屋根の上のバイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」「レ・ミゼラブル」「オペラ座の怪人」などのブロードウエイミュージカルと比べると、遥かに感動が薄い。観終わった後で、余り印象に残らないのが欠点といえる。

出演者では、主役の内野聖陽は演技や歌は良いのだが、無骨なイメージが強く、大勢の女を手玉に取るというジゴロのイメージとはかけ離れている。シャレッ気が足りないのだ。ミスキャストではなかろうか。
歌では森公美子がさすが真価を発揮し、島田歌穂がすっかりミュージカル俳優としての貫禄が出てきた。
橋元さとしが軽快な演技を見せて、脇の女優陣では山崎直子(スーキー・トードリー)が妖艶さで、宮菜穂子(モリ―・ブレイズン/トム・ティップル)が体当たりの演技で、それぞれ魅せてくれた。
3月30日まで。

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2008/03/09

お懐かしや!内藤陳”DOGA DOGA+第3回公演”

Naito_chin劇団「ドガドガプラス」の第3回公演「贋作・伊豆の踊り子」が、浅草東洋館で行われていますが、3月8日つまり千秋楽の前日に観劇。なぜ観に行く気になったかといえば、ナマ内藤陳を一目見たかったからです。
内藤陳、かつて「トリオ・ザ・パンチ」というグループを率いて、「ハードボイルドだど!」というギャグで一世を風靡した伝説的なコメディアンです。その後はお笑いの舞台に立つことは少なく、映画に出演したり、新宿ゴールデン街にある「深夜+1」という店を経営する傍ら、日本冒険小説協会会長をつとめるなど、書評家として活躍しています。

劇場である浅草東洋館ですが、ここはかつての浅草フランス座であり、ストリップの殿堂でした。同時に渥美清や三波伸介など戦後に活躍したコメディアンの大半が、ここを舞台として飛躍したコメディアンの殿堂でもありました。もちろん内藤陳もその一人です。そうそう、作家の井上ひさしも、ここフランス座の出身でしたね。
また劇団の「ドガドガ」は踊り子をモチーフにした画家ドガからとっており、名前の通り踊り子(衣装は着けていますので間違えないように)が中心の劇団であり、旧フランス座で公演するというのも意義のあることなのでしょう。

さて当日、早めに着いたので無事かぶりつきの席を確保。補助席も出る満員でしたが、劇団や主演者の関係者が多かったようで、私のような一見の飛び込みは少数だったと思われます。客は若い人が多く、もしかして最年長だったかも。

本家の「伊豆の踊り子」ですが、随分と昔に読んだので忘れましたが、旧制高校生・私(川端康成自身がモデル)が、伊豆の一人旅で旅芸人の一行と出会い、その中にいた踊り子・薫に惹かれ、彼女たち一行と旅を共にする。
温泉で薫の全裸を見て嬉しくなったりと色々あって、最後は再会を約束して別れる。
こうして粗筋だけ書くと、何だかミもフタもないことになります。

満年齢なら男は19歳、踊り子は13歳というから中学2年生位の年齢で、主人公にややロリコンの傾向が見られます。一行の後を追い続けていたのは、追っ掛けかストーカーみたい。風呂場で裸を見たときは、「萌え~」の気分というところでしょうか。
川端センセイの原作では、想いを寄せる男の方の感情は描かれても、想いを寄せられた踊り子の側はどうなのよという疑問もあります。
「贋作」の舞台、作・演出は望月六郎ですが、どうやらこの辺りの視点からパロディに仕立てたと思われます。
踊り子の話が、伊豆下田つながりからいつのまにか「唐人お吉」の話に変わっていったり、明治維新というのは日本が西洋に負けたということ事ではないかという問いかけがあったり、秋葉系オタクの3人組が「オズの魔法使い」だったり、様々な仕掛けが入れ込んでありました。
歌と踊りが入るミュージカル仕立てになっていて、そこそこ楽しめる舞台だったかと思いますが、作者がいわんとする意図がよくみえなかったし、踊りが単調だったと思います。
出演者では、戸田佳世子が品の良い色気を見せ、崔哲浩がハマリ役でした。

幕間にお目当ての内藤陳率いる「トリオ・ザ・パンチ2008」のコントが演じられましたが、やあ内藤陳、年は取りましたが相変わらずカッコウイイ! ちょっと身体を反らした立ち姿は男の色気に溢れ、ほれぼれします。
私はかねがね、「ルパン3世」のモデルは内藤陳だと確信しています。
昨年ガンから復帰した「永久のガンマン」、これからも元気な姿で私たちを楽しませてください。

本公演は今日が千秋楽ですので、内藤陳見たい人、急いで浅草東洋館へ。

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2008/02/18

こまつ座公演「人間合格」

Ningengokaku2月17日、紀伊国屋サザンシアターのこまつ座84回公演「人間合格」を観劇。
前日の「恋はコメディー」とは打って変わった芝居、客層も全く異なる。ボクの場合は何でもOK。良く言えばキャパが大きい、悪く言えば無節操。でもそれぞれ面白いんだから、いいジャン。

というわけで「人間合格」、タイトルが示すように作家・太宰治をモチーフした芝居です。作はもちろん井上ひさし、演出はこまつ座の芝居演出などで数々の賞を獲得している鵜山仁です。この芝居は1989年初演以来、今回が5回目の公演です。
出演は、岡本健一(津島修治=太宰治)、山西惇(佐藤浩蔵)、甲本雅裕(山田定一)、馬渕英俚可(チェリー旗ほか7役)、田根楽子(青木ふみほか7役)、辻萬長(中北芳吉)の6名。相変わらずこまつ座の女優陣は、一人で何役も演じねばならないので、大変ですね。今回のキャストの目玉は、主役に元「男闘呼組」のオカケンこと岡本健一を起用したことでしょう。むろん初役です。

太宰治が生きた時代と言うのは、激動の時代でした。彼が生まれた年に伊藤博文が暗殺されていますし、翌年には大逆事件が起きています。
少年期はちょうど大正デモクラシーの時期になりますが、大学に入って作家となる時期に、日本は日中戦争から太平洋戦争に突入する軍国主義の時代になります。
そして敗戦、何かも価値観が変わっていく中で、戦後間もない1948年に自殺によって39歳の短い人生を閉じます。

太宰治が青年期に、戦前の左翼運動に共鳴、というよりは共産党のシンパであったことは良く知られています。
「人間合格」はその時期から後半生の太宰の姿を、生涯の親友として佐藤、山田という二人に友人(架空の人物と思われる)との人生と重ねて描いています。
そして戦前は「天皇陛下万歳」一色だったのが、敗戦と共にいとも簡単に「マッカーサー元帥万歳」に変わって行った当時の日本人の心象を、太宰の保護者役である中北芳吉に代表させています。
太宰は当時のそうした風潮がガマンならず、戦後その著作の中で「今こそ天皇陛下萬歳を叫べ」という表現で怒りをぶつけています。

井上ひさしの作品は、太宰が自殺を繰り返す破滅型人生から死に至る軌跡を、左翼運動へのシンパシー、挫折、戦後の大きな時代変化と親友の死にその原因を求めています。
それが事実であるかどうかというより、井上の筆は太宰という人物の名を借りて、戦前戦後を自らの信条を貫き誠実に生き抜いた青年群像を描きたかったのでしょう。
こう書くと重いテーマを想像するでしょうが、実際は喜劇といえる作品です。
登場人物が類型的なキライはありますが、分かり易く、肩肘張らずに楽しめる商業演劇として、良く出来ていると感じました。

出演者では、主役の岡本健一が良い。本人が「何もせず立っているだけで太宰に見えたら最高」と言ってますが、正にその通り、太宰治のイメージにピッタリでした。抑制された演技でしたが、7幕目で怒りを爆発させるシーンは、ジーンときました。
脇では辻萬長の俗物ぶりが秀逸。ちょっと九州訛りの入っている津軽弁がご愛嬌です。
女優では、馬渕英俚可の熱演が光っていました。
山西惇、甲本雅裕、田根楽子の3名は決して演技が悪いわけ無いのですが、要は役が「らしく見えない」所から、不満が残りました。

3月中旬まで東京公演。

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2008/02/17

ナマ秋吉久美子に感激!”恋はコメディー”

Akiyoshi_kumiko2月16日、ル テアトル銀座で上演されている『恋はコメディー』を観に行く。目的は唯一つ、ナマの秋吉久美子を見ること。
好きな女優を一人あげるなら、文句なく秋吉久美子である。1972年のデビュー作『旅の重さ』以来、70年代の彼女の映画は殆んど観ている。特に1974年に公開された日活の藤田敏八監督の青春映画、『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』での秋吉の演技は強く印象に残っている。
映画のタイトルは忘れたが、作品の中で相手方の女優が秋吉に「あんたの顔って具体的じゃないのよね」と言うセリフがあったが、実に的確な表現だ。その「具体的でない」ところこそ彼女の特長であり、1970年代という時代を象徴している。
TVドラマでは、何といっても『夢千代日記』での芸者・金魚の演技が素晴らしかった。あの役は秋吉久美子しかできない。
「人間には3種類ある。男と女と女優。」という諺があるが、その意味での数少ない女優の一人でもある。

ストーリーは、泥棒稼業から今は足を洗った中年女性セリーヌ(浅丘ルリ子)とアンナ(渡辺えり)の二人暮しの家に、新米の泥棒ギョーム(石井一孝)が泥棒に押し入るが軽くあしらわれ、そのまま居候になる。そこへセリーヌの息子(風間俊介)が恋人ナターシャ(秋吉久美子)を連れてくるが、これがナント母親と同世代のお歳。
ここから話は二転三転して、最後はハッピーエンドに終わるというコメディー。

原作はマリア・バコーム『教えてよ、セリーヌ』で翻訳劇だが、岡本さとるの脚色はよくコナレテいて、随所に日本語のダジャレを織り込んで観客の笑いを誘う。加納幸和の演出は、3人の女優それぞれの魅力を引き出して、楽しませてくれた。
最初の上演時には『泥棒家族』というタイトルだったようだが、笑いの中に適度な諷刺もこめられ、品のあるコメディーに仕立てられていたと思う。

主演の浅丘ルリ子は、年齢を感じさせぬ身体の柔らかさを見せていたが、踊りはダメ。
特筆すべきは渡辺えりの怪演だ。圧倒的な存在力で舞台を締める。そして踊りが実に上手い。劇中で踊る『シボネー』は、他の出演者とレベルの違いを見せつけた。お見事。
石井一孝は不器用な新米泥棒を好演したが、踊りが頂けない。動きに色気がないのだ。
風間俊介はハマリ役で、気持ち良さそうに演じていた。

そして秋吉久美子。最初は黒のつなぎのライダー服で登場、それを脱ぐと下は鮮やかな黄色のワンピース姿、次の幕では真っ赤なミニのタイトで現れた。
実に美しい! 実に可愛いらしい! 実にかっこイイ! ただただウットリと眺めていた。とても50ん歳とは信じられない、やはり女優は化け物だ。
ナマ秋吉久美子が見られただけで十分満足した。

今月の東京公演を皮切りに、3月末まで全国各地で上演される。

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2008/01/31

「能」と言える日本人

Noh_butai周囲に歌舞伎や寄席に行ったことがない人がいると、「東京に住んでいながら、芝居も寄席も行かないというのはモッタイナイ。」などと偉そうな事を言っていたが、恥ずかしながら「能」というものを見たことがなかった。大概の古典芸能には一度や二度接しているが、能楽だけは縁が無かった。
そこで今回初めて能を観賞すべく、1月30日国立能楽堂に赴いた。

先ず目を奪われたのは、劇場の立派なことだ。たっぷりとした敷地に建てられていて、他の国立劇場とは、金の掛け方が違う。
会場内には中庭や展示室があり、休憩所のスペースも広い。内装も風格がある。
同じ国立といっても、能楽―歌舞伎―オペラー寄席という厳然たる序列が出来ていることを実感。

客筋も違いますね。和服の女性客が多いのが目に付く。それと外国人の姿が多い。
そのためか、場内放送が英語でも流される。前の座席に液晶モニターが備えられ字幕が表示されるが、これもボタンで日本語/英語が切り替えられる。
何だか日本を代表する古典芸能を観賞しに来たという感覚が、ジワジワと湧いてくる。
平日の昼にも拘らず、600席余りの座席はほぼ埋まっていた。固定客がいるんですね。

この能楽堂で行われる公演の殆んどが、能と狂言の二本立てになっている。
当日の演目は次の通り。

【狂言】惣八(そうはち) シテ・山本則俊(大蔵流)
金持ちの屋敷に、元料理人の出家と、元出家の料理人が召抱えられるのが発端。主人から言いつけれた仕事を、二人が入れ替わって行ってしまうというストーリー。中世の日本で出家した人がたやすく還俗していたという風潮を諷刺したもの。
やあ、狂言はいつ見ても面白い。諷刺の精神こそ、笑いの基本であることが再認識させられる。

【能】難波(なにわ) シテ・田崎隆三(宝生流)
「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民の竃(かまど)はにぎわいにけり」という歌で有名な仁徳天皇の善政を偲ぶストーリー。
「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」と歌ったとされる、仁徳天皇即位の功労者・王仁の霊が主人公(シテ)の物語である。
開幕といっても幕は無いが、先ず楽器の演奏が始まる。
能楽の楽器は、笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類だが、この音が実に良い。聴いているだけで気持ちが和んでくる。
演者はすり足で静かに登場するが、まるでスローモーションを見ているような感じだ。演者の抑制された動きと、楽器演奏と地謡の声とが独特のハーモニーを構成していく。
音だけ耳から入ってくるが、時折演技は飛んでいる所を見ると、眠っていたのかも知れない。夢と現の間を行ったり来たりの時間は心地良い。
でも、途中休憩無しの約2時間は、正直言ってかなり退屈。来月もまた是非来ようと言う気分にはなれなかった。
近くにいた年配のご婦人同士が、「とても素敵でしたね」と会話を交わしていたが、そうした心境に達するまでには相当の距離がある。

それでも、今日から私も「能」と言える日本人。

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2007/10/31

感動の舞台 前進座「俊寛」

Syunkan江戸時代に一日に千両の商いがあったのは3ヶ所で、吉原、魚河岸、それに芝居(歌舞伎)だったことから、「日に三箱 鼻の上下 ヘソの下」という川柳が生まれた。
鼻の上が目で芝居、鼻の下が口で魚、残るヘソの下はいうまでもなく吉原である。
それほど歌舞伎と言うのは、江戸庶民に愛されていたわけだ。
吉原が男の世界なら、歌舞伎は女・子供の世界であった。本来の歌舞伎は大衆娯楽、笑わせて泣かせて楽しませる、そういう世界だ。
前進座の舞台は常に、そうした歌舞伎本来の姿を見せてくれる。

10から11月にかけて、前進座は中村梅之助主演の「俊寛」の公演を行っている。
10月27日昼の部の前進座劇場での舞台を観劇した。
【配役】
俊寛僧都:中村梅之助
平判官康頼:山崎辰三郎
丹波少将成経:嵐広也
海女千鳥:河原崎國太郎
丹左衛門基康:嵐圭史
瀬尾太郎兼康:小佐川源次郎 ほか

原作は近松門左衛門作の人形浄瑠璃『平家女護嶋』全五段で、その中の「鬼界ヶ島の場」だけが独立して「俊寛」として演じられる。
歌舞伎の演目の中でも人気が高く、この10月には「俊寛」が、3ヶ所で上演されている。

物語は、平清盛の権勢は天下をおおっていた頃、その清盛への謀反を企てたという罪で、法勝寺の僧・俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の3人が絶海の孤島・鬼界ヶ島の流人となった。
以来、はや三年の月日がたち、三人は憂き艱難の日々を送っていたところ、迎えの船がやってくる。
一時は3人揃って帰還と喜び合うが、最後は俊寛一人島に取り残されて、船が去って行く。

この演目は、一幕の中に喜怒哀楽が全て詰め込まれていて、しかもそれが次々と展開していく。
①3名の流人の嘆き
②成経に千鳥が夫婦固めの杯を交わす喜び
③迎えの船を見つけた喜び
④赦免状に俊寛の名前が無いと知った悲しみ
⑤別の赦免状に俊寛の名があった時の喜び
⑥俊寛の妻が都で殺されたと知った時の悲しみ
⑦千鳥は乗船させないとされた時の怒り
⑧妻の仇として瀬尾を討つ俊寛の怒り
⑨自らを身代わりに千鳥を船に乗せる俊寛の慈しみ
⑩3人と分かれ一人島に残される俊寛の嘆きと最後の笑い

前進座の舞台は、こうした喜怒哀楽にメリハリをつけ、ともすると陰気な舞台になりがちな「俊寛」を、泣いて笑って楽しませ感動させるという魅力的な演出を行っている。
例えば、成経が千鳥との馴れ初めを語るとき、千鳥が裸で汐汲みをしている姿を、身振り手振りでかなりキワドク表現しているシーンがあげられる。

その一つは、海女・千鳥を単なる可憐な娘として描くのではなく、自立した女性として描いていることだ。
成経と引き裂かれて島に置かれると知るや、「武士(もののふ)はものの哀れを知るというは偽り、虚言(そらごと)よ。鬼界ヶ島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや・・・」と嘆き、自殺しようとして俊寛に止められる場面である。
加えて、俊寛と瀬尾の立ち回りの最中、塩かき熊手をもって俊寛に加勢しようとする場面があるが、これは恐らく前進座独自の演出と思われる。
この舞台では、千鳥が影の主役となっていた感があった。

もう一つは、帰還してゆく3人を見送り一度は悲嘆にくれる俊寛が、ラストシーンでは彼らに未来を託して、正面を向き笑みを浮かべるという演出。この物語を単なる悲劇に終わらせず、そこに救いを持たせている。
更に俊寛が乗った岩をグルリと回すと同時に、客席に向けてせり出させることによって、俊寛の最後の表情が、客席から見てクローズアップされるという工夫を凝らしている。
喜びが大きければ、その反動の悲しみも深くなる。
嘆きが深ければ、それだけ未来への希望も大きくなる。
計算され尽くした演出といえよう。

久々に歌舞伎の舞台で、感動を味わった。

役者では、千鳥役の河原崎國太郎が実に良かった。
初々しさと芯の強さを併せ持つ難役だが、見事に務め上げていた。何より、匂い立つ色気が良い。怒りを爆発させる場面でも、決して可愛らしさを失わない。
最近の國太郎は、役者としての風格も出てきて、いよいよ座を背負う存在となりつつある。

瀬尾太郎兼康役の小佐川源次郎の、悪役ぶりが板に付いていた。
声に張りがあり、舞台をシメていた。

俊寛の中村梅之助、最後の岩場で別れを惜しみ嘆くシーンは、胸を打たれる。
ただ最近の梅之助は声の張りを欠き、大きな劇場では後方の席に声が届かないのではと、心配になる。健康状態が、どうなのだろうか。
それでも瀬尾との立ち回りシーンでは、迫力十分だった。

前進座のアンサンブルが光る舞台だった。
他に「人情一夕噺」を上演。

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2007/10/30

第34回NHK古典芸能鑑賞会

Danjuro年に1度のNHK古典芸能鑑賞会、34回の今年は10月28日NHKホールで行われた。
歌舞伎や狂言を中心に、日本の古典芸能の真髄を紹介する公演で、毎回各ジャンルの第一人者が出演して、磨き上げた芸を披露する。

第1部は「芸競四季粧(わざくらべしきのよそおい)」 と題して、日本の四季にまつわる演目が並んだ。
◇義太夫 「関寺小町(せきでらこまち)」
 浄瑠璃:竹本住大夫 
 三味線:野澤錦糸、鶴澤清志郎
 小鼓:堅田喜三久 笛:中川善雄
「関寺小町」、季節は秋、年老いて100歳となった小野小町が、月光の下で落魄をなげき、華やかなりし頃を想い出し、最後は現世を賛歌するという筋になっている。
義太夫は、歌舞伎や文楽ではお馴染だが、義太夫単独での公演は普段接する機会がなく、初体験であった。
冒頭に堅田喜三久の小鼓が、ポポンポンポンポンと響き渡る。なんという心地よい音色だろうか。
次いで、浄瑠璃・竹本住大夫が静かに語り出す。凛として、しかも柔らかい声だ。コクがあるのにキレがあるみたいなものか。
笛、三味線、どれも心に沁みる。

◇狂言(和泉流) 「蚊相撲(かずもう)」
 大名:野村萬、
 太郎冠者:野村扇丞、
 蚊の精:野村万蔵
和泉流の狂言、と言ってもあのインチキ臭い和泉某とは別格。
狂言「蚊相撲」は、大名と蚊が相撲をとる愉快な場面や、蚊の姿を模した滑稽な扮装や仕草など、まるでドリフのコントのように分かり易い笑いの世界。
人間国宝の野村萬の、軽妙洒脱な芸に感心するばかり。

◇舞踊 上「傾城(けいせい)」、下「半田稲荷(はんだいなり)」 
 立方:坂東三津五郎 ほか
2作品共に、坂東流に伝承されているもので、当代の家元、10代目坂東三津五郎が舞う。「傾城」の方は、初めての舞台とか。加えて三津五郎の二人の娘が、これまた初共演というオマケ付き。
「傾城」は三津五郎の踊りに硬さが感じられたが、「半田稲荷」になると俄然面目躍如。
こういうコミカルな踊りをさせたら、三津五郎は天下一品。
これは舞台とは関係ないが、大向こうの掛け声がうるさ過ぎ。多くは動員された人間が掛けていたようだが、時と場をわきまえない掛け声は無粋だし、却って舞台の興をそぐ。

第2部「歌舞伎」
◇「菅原伝授手習鑑」寺子屋
 松王丸:市川團十郎
 武部源蔵:中村梅玉
 松王丸女房千代:中村魁春
 源蔵女房戸浪:中村芝雀 ほか
「寺子屋」は言うまでもなく、歌舞伎の代表的作品。舞台を観たことが無い方でも、この演目の中のセリフ、「いずれを見ても山家育ち」「せまじきものは宮使い」などという言葉は、ご存知だろう。
主の若君を助けるために、我が子を犠牲にする松王丸の抑制された悲しみ。十数年ぶりにこの役を演じた(意外!)市川團十郎の演技に、ただただ惹き付けられた。千代役の中村魁春が、タップリ泣かせる。
心理描写と様式美が一体となった作品、名作に相応しい舞台となっていた。

本公演は、12月7日夜、NHK教育TVで放送の予定。

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2007/05/21

前進座5月国立劇場公演

Tatugoro前進座が毎年1回行う国立での公演ですが、ここ数年観劇するのを恒例としています。
プログラムが意欲的で、今年も歌舞伎十八番の『毛抜』と、前進座が得意とする演目で、31年ぶりに出演者全員が初役という『新門辰五郎』の組み合わせでした。
5月19日の夜の部を観に行きました。

今年から前進座友の会に入会し、通常発売日より1日早く予約が取れたもので、前から7列目の花道脇と、良い座席が確保できました。
年会費は払いますが、チケットの割引とプログラム半額サービスで、直ぐに元が取れる仕組みです。
花道の役者と目が合うと感じるほどで、やはり芝居は良い席で観たいですね。

『毛抜』 
―配役―
粂寺弾正      嵐 圭史
小野左衛門春道  山崎 辰三郎
小野春風      瀬川 菊之丞
八劒玄蕃      山崎 竜之介
数馬         中嶋 宏幸
秦民部       小佐川源次郎
秀太郎       嵐 広也
桜町中将清房   武井 茂
百姓万兵衛    藤川 矢之輔
実は石原瀬平
錦ノ前        山崎 杏佳
侍女 巻絹     河原崎 國太郎

『毛抜』の粂寺弾正は、歌舞伎界きっての異色のヒーローです。
脅し賺(すか)しにハッタリかまし、男女別なく美形と見れば言い寄る両刀使い。それでいて医学に通じ、イザとなると名探偵ポアロのような見事な推理を働かせて難問を解決し、一方で悪人の首を打ち落とす腕前も披露する。
正にスーパーヒーローです。

古典歌舞伎には珍しく喜劇的な要素が強く、それだけに粂寺弾正役はとても難しいと思われます。
豪快な面と洒落た面、両者を併せ持つ大らかな演技が要求されますが、嵐圭史が見事に演じきりました。
口跡が良く、風格もあり、特に花道の引っ込みの場面での、なんとも言えぬ愛嬌が良い。
脇も、小野春風役の瀬川菊之丞、錦ノ前役の山崎杏佳に品があり、好演。
難を言えば、敵役の藤川矢之輔が、力を入れてセリフを言う時に声が割れること。この点は後の『新門辰五郎』の芝居でも同様でしたので、注意して欲しいところ。

『新門辰五郎』
―配役―
新門辰五郎    中村 梅雀
花川戸の小竹   武井 茂
海苔屋の久次   山崎 辰三郎
金看板の源次   益城 宏
山谷掘の彦造   嵐 広也
秋葉屋お六    河原崎 國太郎
九紋竜の定五郎 山崎 竜之介
黒部六之進    志村 智雄
三春の猪之吉   小佐川 源次郎
会津の小鉄    藤川 矢之輔
八重菊       瀬川 菊之丞
絵馬屋の勇五郎 中村梅之助

『新門辰五郎』は真山青果の原作で戦前発表された作品ですが、戦時中に前進座により初演されています。
戦後になって何回か再演されましが、辰五郎が当たり役だった中村翫右衛門の死去以来、上演が途絶えていたものが、この度の復活の運びとなりました。

時は幕末、騒然とした空気の京都の街。
将軍上洛のお供人足として子分を引き連れ京都に入った新門辰五郎、ひょんな事から義理のある水戸藩の武士をかくまってしまいます。
一方京都守護職の会津藩主・松平容保の警備にあたる見廻り組の中間・小物の中には、権威をかさにきて乱暴狼藉を働く者たちがおりました。その組頭が会津の小鉄です。
いつしか権力闘争に巻き込まれていく彼らと、辰五郎と小鉄の対決と意地の張り合いが、この芝居の見所となっています。

江戸町火消しの組頭という辰五郎、颯爽と威勢の良い所を見せると同時に、小鉄らとの対決場面では腹のある演技が求められ難役です。
前進座が31年も上演してこなかったのは、辰五郎を演じる役者がいなかったためと思われます。
主演の中村梅雀ですが、初役にもかかわらず、見事にこの大役をこなしました。
先ず口跡が良い。凛としたセリフが舞台を締めます。腹の据わった演技で、改めて梅雀の成長を窺わせてくれました。

二つの組の立ち回り場面は迫力があり、火事場に向かう勢揃い場面は感動的でした。「木遣」も結構でした。
この辺りは、前進座のアンサンブルの優れたところです。
小鉄役の藤川矢之輔は押し出しが良く、貫禄を示しましたが、口跡が良くないのが難点。
八重菊役の瀬川菊之丞に気風(きっぷ)の良さがあり、秋葉屋お六役の河原崎國太郎は最近色気が出てきました。

絵馬屋の勇五郎役の中村梅之助は、出だしに少しセリフがもつれ衰えを感じさせましたが、途中から立ち直り、酸いも甘いも噛み分けた男の姿を見せたのは、さすがです。

ただ寄席前の喧嘩場で、三春の猪之吉役の小佐川源次郎が啖呵を切るシーンで、セリフを咬んだのは頂けない。せっかくの見せ場に水を差してしまう。
それと芝居とは直接関係ありませんが、プログラムの「あらすじ」の書き方が不親切過ぎる。この程度では、HPの解説と変らない。一考を要します。

全体としては、ここ数年の前進座国立劇場公演で、最も充実した舞台でした。

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2006/12/24

元禄忠臣蔵[第三部]@国立劇場

Koushiro今年10月から3ヶ月かけて上演された元禄忠臣蔵、今月で終演となります。
前に書いた通り元禄忠臣蔵の特徴として、松の廊下と吉良邸討ち入りの場面がありません。
それに加え、今月上演の第三部は討ち入りが終わってから、赤穂浪士たちの切腹の直前までという構成になっています。つまり通常の忠臣蔵が討ち入りで終わるのに対し、元禄忠臣蔵は全体の約3分の1が討ち入り後の物語に充てられているわけです。
では第三部を構成する4つの幕の見所を紹介します。

第一幕「吉良上野介屋敷裏門前」では、吉良の首級をあげた後の浪士たちの放心状態、大事を成し遂げた直後に襲われる虚脱感が描写されています。

第二幕「芝高輪泉岳寺浅野内匠頭墓所」では、墓前に討ち入りの報告を行った後に、心ならずも浪士の連判を抜けた高田郡兵衛が駆けつけてきます。
親友だった堀部安兵衛は高田に、「武士には3部の愚かさが必要」という言葉を投げて去って行きます。
あまりに目端が利きすぎる人より、どこか愚直な部分を持つ人の方が大事を成し遂げるということは、私たちサラリーマンの世界でも度々目にしてきました。

第三幕「仙石屋敷」では、大石らが大目付の仙石伯耆守に対し、討ち入りの詳細を説明します。
ここで仙石伯耆守は大石に、浅野を切腹は公儀の裁きであり、吉良を敵と狙うのは誤りではなかったのかと問います。これに対して大石は、天下の法に従って浪士となった者が、ただ亡き主君の一念をはらすために討ち入りを果たしたと主張します。

第四幕「大石最後の一日」では、浪士の一人である磯貝十郎左衛門と許婚のおみのとの悲劇をからませながら、切腹に向かう浪士たちの姿が描かれます。
最終シーンで大石は、万感の想いをこめて「初一念が届きました」と言い残し、花道を去ります。

この長大な戯曲を、作者の真山青果は、最後の幕である「大石最後の一日」から書き始めました。
今回の芝居を観て、この理由が分かりかけてきました。
作者が言いたいことは最終編に提示されており、そのメインテーマに沿って前半部分を書き進んだものと想定されます。
人間は聡明であることは必要です。しかしそこに3部の愚直さが備わらないと大望は成就できない。そして事に当たり最初に浮かんだ、損得抜きに最初に思い立ったこと、即ち「初一念」を貫くことが、人間にとり最も大事なことだと、作者は訴えているのでしょう。

芝居の出来栄えですが、残念ながら11月の第二部は見損なってしまい比較は出来ませんが、10月の第一部に比べると遥かに良く仕上がった舞台となっています。
先ず大石内蔵助役の松本幸四郎が断然良い。腹から絞り出すような声色が、観客の胸を打ちます。凛とした気品がありながら、役者としての華やかさがあります。
大石内蔵助役としては、幸四郎が現在最高の役者なのかも知れません。
今回は松本幸四郎の芝居だ言っても、過言では無いでしょう。

助演の仙石伯耆守役の坂東三津五郎が、さすが貫禄で舞台を締めていました。
この人は大河ドラマなどTV映像ではくすんで見えるのですが、舞台に立つと俄然引き立ちます。

堀内伝右衛門役の市川左團次、セリフを二度も咬んでいるようでは、心もとない。
この元禄忠臣蔵は、もとはといえば2世市川左團次のために書かれた芝居です。
左團次の名前が泣きます。

他におみの役の中村芝雀の可憐な美しさが、涙を誘っていました。

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2006/10/23

「元禄忠臣蔵」第一部

Kichiemon忠臣蔵ほど日本人に愛されている物語は他にないでしょう。歌舞伎や映画、落語、浪曲、講談からTVドラマ(NHK大河ドラマ、年末年始の長時間ドラマの定番)まで、あらゆるジャンルで採りあげられ、日本人の思想や精神にも多大な影響を与えてきました。
忠臣蔵というと通常は「仮名手本忠臣蔵」を指しますが、それに比べやや知名度は落ちるものの、他に「元禄忠臣蔵」という名作があります
作者である真山青果が昭和10年から16年にかけて書き上げたもので、戦前から度々舞台にかけられました。前進座が得意とし、歌舞伎界では2世市川左團次が当たり役でした。
執筆された時期は日中戦争の真っ只中、対米開戦の直前という時期ですから、物語の思想に当時の世相が反映されています。
何せ全10編と長大なもので、従来は部分上演が殆どでした。
今年国立劇場が開場40周年を記念し、10、11、12の3ヶ月に分けて全編を上演することになりましたが、これは初の試みだそうです。

「仮名手本」に比べ「元禄」は史実に近いストーリーになっており、唄や踊りが一切入らず、登場人物が長いセリフをしゃべるという、歌舞伎というより時代物の新劇と言ったほうが分かり易いでしょう。
この芝居の主人公の大石内蔵助は、主君の仇を討とうとすれば幕府に歯向かうことになる、二つの選択肢の間を揺れ動く人物として描かれています。
そして最終的に、「天下のご正道に反抗する気だ」として、主君の仇討ちをすることを決意します。
浅野家の断絶、城明け渡しという事態になっても、幕府中枢や天皇周辺の反応に気を配り、開城に向けて事務処理を粛々と進め、領民の生活の安定を第一にと考える官僚としての顔を覗かせます。

10月公演の第一部は、内匠頭の刃傷から赤穂城明け渡しまで。
忠臣蔵でありながら、幕が開くといきなり松の廊下の刃傷が終わったところから芝居が始まり、内匠頭の切腹の場面もありません。名場面がみんなカットされた忠臣蔵です。
周囲からは、「あっさりして物足らない」とか「歌舞伎らしくない」という、歌舞伎ファンからの戸惑いの声が聞こえてきました。
しかし第一部終幕で、赤穂城を明け渡し退出するに際し、それまで胸の内に秘めていた万感の思いを一挙に吐き出すがごとく、城に向かって泣き伏す内蔵助の姿に、共感を覚えた観客も多かったと思われます。

肝心の芝居の出来ですが、全般に云えることは、大作上演の割に役者の層が薄いということです。
というよりは、主役の中村吉右衛門の一人舞台といった方が分かり易い。吉右衛門が舞台に出ているときは締まり、いないときはダレる。声良し姿よし器量良しです。
圧倒的な存在感といってしまえばそれまでだが、他の出演者との格が違い過ぎます。
中村吉右衛門は、今や大石内蔵助役の第一人者と言って良いでしょう。
「元禄」の舞台の主役は、11月は坂田藤十郎、12月は松本幸四郎に替わりますが、さて出来映えはどうなるでしょうか。

他では、多門伝八郎役の中村歌昇が良い。内匠頭への幕府の裁定に激しく抗議する姿は、気迫に満ちていました。
内匠頭役の中村梅玉は淡白過ぎる。切腹を控えた場面で、無念さが伝わってこない。
井関徳兵衛役の中村富十郎は決して悪い出来ではないが、明らかなミスキャスト。死を覚悟してきた無骨な浪人というイメージに似合わない。
私は昔この幕を2世尾上松緑の大石、坂東彦三郎(後の17世市村羽左衛門)の井関で見ましたが、そちらの舞台はもっと緊張感が漂っていました。
倅の井関紋左衛門役の中村隼人は失格。泣き声になると声が割れ、客席から失笑を買っていました。配役を交代すべきです。

全体に脇役の層が薄いため、印象の浅い舞台となってしまったのが惜しまれます。
他の劇場との兼ね合いもあるのでしょうが、歴史に残る記念公演として、歌舞伎界がもう少しバックアップすべきでしょう。
(22日に鑑賞)

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2006/05/23

前進座五月公演@国立劇場

Umenosuke
ここの所歌舞伎に少々ご無沙汰で、久々の観劇となりました。5月の国立劇場は、前進座75周年記念公演です。5月21日の昼の部です。
前進座は、昭和の初期に行われた歌舞伎の革新運動の中で誕生しました。下級俳優(家柄が下級であり、演技力とは別問題)中心に結成された経緯からか、世話物が得意で、座員に女優がいるという特色もあります。
1980年頃までは、座員が集団生活していたこと、時には鞭が飛んだという厳しい稽古が、この劇団に独特のアンサンブルを生んでいました。

今回の公演は、通し狂言「謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)」と「魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」の2本で、作者が前者は鶴屋南北、後者は河竹黙阿弥です。
「謎・・・」は、「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」を南北が改作したものです。登場人物や場所はそっくり借りて、ストーリーは全く書き替えたものです。
南北の作品としては余り上演されてこなかったもので、前進座も戦後初めての再演となりました。
登場人物の多くが、いかにも南北らしく極悪非道な人間として描かれていて、特に主役の大島団七は、後の南北作品である「東海道四谷怪談」の中の、民谷伊右衛門を彷彿とさせます。

団七は嵐圭史が演じましたが、序幕の第一場では集中力を欠いた演技で心配しましたが、以後は立ち直り、二枚目の極悪人という難役を演じ切りました。
特に二幕目で、大雨の田圃の中で女房お梶を惨殺する場面は、凄みと迫力がありました。
もう一人の主役吾妻屋徳兵衛は、中村梅雀が演じましたが、ここの所すっかり貫禄を増してきて、大詰で団七と対決するシーンでは一歩も引かず、腹の据わった演技が舞台を締めました。
立女形のお梶とお辰は、河原崎国太郎が二役を演じました。姉妹でありながら、お梶は幸せ薄い人生を送り、姉のお辰は鉄火な芸者という好対照の性格ですが、国太郎はきちんと演じ分けていました。
特にお梶が殺害されるシーンは、美しくも凄惨で、魅せてくれました。
国太郎は、見る度に進歩をしています。
「謎・・・」は、実に良く出来た芝居で、余り上演されないのが不思議なくらいです。

「魚屋宗五郎」は、お目当ての中村梅之助の一人舞台です。
本来はもっと長い芝居ですが、今回はその中のクライマックスシーンである魚屋内の場面が上演されました。
旗本の家に妾奉公に出ていた宗五郎の妹おつたが、無実の罪で惨殺されたのを知った宗五郎が、酒を飲むうちに次第に怒りが爆発し、旗本の家に向かうというストーリーです。
当初は妹の不義密通が原因と聞かされ、懸命に自分を納得をさせていた宗五郎が、腰元から真相を聞かされ、怒りがこみ上げてきます。
梅之助の演出は、事実が分った段階で、妹の仇を討とうと腹に決めて、その後に禁酒の誓いを破って酒を飲むという解釈のようです。
決意を固めた瞬間の目の鋭さに、思わずこちらがぞっとしました。
やはり役者は“目”です。
それと梅之助が、次第に酒に酔ってゆく演技も、この芝居の見所です。

脇役の演技もそれぞれ手堅く、特に「謎・・・」の女郎お磯と、「魚屋・・・」の腰元おなぎを演じた女形、山崎杏佳の不思議な色気が眼につきました。

久々の歌舞伎観賞は、十分満足のいくものでした。
ただ残念なのは、観客の高齢化です。前進座としては、今回のような埋もれた名作に光を当てながら、いわゆる“女子供”にも満足して貰う構成を考えることが、興行的には求められるでしょう。
大変な難題ではありますが。

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2005/07/23

文句なしの五つ星「プロデューサーズ」

producers
ミュージカル好きなどというと、柄にもないといわれそうですが、人間、顔で判断しちゃあいけません。ここ10年くらい、ブロードウエイミュージカルの日本公演が、度々行われています。しかし、観に行ってガッカリして帰ることも多かったのです。ブロードウエイといっても、出演者が米大リーグでいえばマイナーリーグ級なこともあり、看板倒れの公演もありました。
今回の「プロデューサーズ」日本公演では、主役級の二人がブロードウエイでも同じ役を演じていて、先ずは第一線クラスの顔ぶれといって良いでしょう。

ミュージカルは、かつてはミュージカルコメディと呼ばれていましたが、「ウエストサイド・ストーリー」あたりから、ミュージカルという言葉が一般的になったようです。呼称の変化は、ミュージカル作品の内容にも影響します。それまでの喜劇の要素が薄れ、「屋根の上のバイオリン弾き」や「レミゼラブル」のような、物語性が強いものに変わっていきます。
この「プロデューサーズ」は、ミュージカルの原点に返ったような、“笑い”の要素が濃いもので、今の観客には新鮮に映るのかもしれません。

2001年トニー賞史上最多の12部門を受賞した作品は、落ち目のプロデューサーが、金儲けを企んで史上最低のミュージカル「ヒットラーの春」を上演するが、これが予想に反して大当たりになるという、ややブロードウエイの楽屋落ちのコメディーになっています。
一昔前の、MGMのミュージカルを見ているような、懐かしさを覚えます。

全編にシモネタ満載で、私のような純情な人間は、ついつい顔を赤らめながら笑いを誘われます。それでいて、決して野卑にならないのは、演出家スーザン・ストローマンの腕でしょう。そして何より感心させられるのは、場面の転換の手際良さで、この芝居のテンポの良さを、活かし切っていました。
歌も踊りも上等、出演者も適役が配置され、ブロードウエイの層の厚みを感じます。

中でも特筆すべきは、ウーラ役のアイダ・リー・カーチスの好演です。金髪、美人、長身、色白、美脚、巨乳、コケティッシュでキュート。そして何より、セクシー。男(私だけかな?)の夢が、全て詰まったような存在感です。
オーディションに来た彼女を見た、二人の男性プロデューサーの下半身が、思わずstanding ovation(総立ち)したのも頷けます。実際の年令は40台半ばとお見受けしましたが、この女優さんのなんという色香。 この芝居、日本人での公演もあるようですが、彼女の役をやれる女優がいないでしょうから、あまり期待できませんね。
美女の話になると、ついつい力が入ってしまう、ワタシです。

オケの音が安っぽい、タップシーンでやや不揃いがあったなど、細かな瑕疵はありましが、過去のブロードウエイ来日公演では、最高の舞台であったと言って良いでしょう。
7月22日、東京厚生年金会館にて観賞。

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