演劇

2017/10/12

「トロイ戦争は起こらない」(2017/10/11)

「トロイ戦争は起こらない」

日時:2017年10月11日(水)14時
会場:新国立劇場 中劇場

脚本:ジャン・ジロドゥ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
<  キャスト  >
~トロイ側~
金子由之:プリアム/国王
三田和代:エキューブ/王妃
鈴木亮平:エクトール/王子
鈴木杏:アンドロマック/その妻
江口のりこ:カッサンドル/王女、予言者
川久保拓司:パリス/王子
福山康平:トロイリュス/王子
角田萌果:ポリクセーヌ/王女
大鷹明良:デモコス/元老院の長、詩人
花王おさむ:幾何学者
チョウヨンホ:ビュジリス/法学者
~ギリシャ側~
一路真輝:エレーヌ/スパルタ国王の王妃、パリスに誘拐される
谷田歩:オデュッセウス/ギリシャ軍の知将
粟野史浩:オイアックス/ギリシャ軍の隊長
(演奏:金子飛鳥)
ほか

【あらすじ】*ネタバレ注意
ゼウスとレダの間に生まれたエレーヌは絶世の美女。今はギリシャ国王の王妃となっていたが、彼女の美しさに魅かれたトロイの王子パリスはエレーヌを誘拐してトロイに連れ帰ってしまう。
妻を奪われ、名誉を汚されたギリシャ国王・メネラスは激怒し、「エレーヌを返すか、われわれ、ギリシャ連合軍と戦うか」とトロイに迫る。
一方、永年の戦いに勝利したトロイの王子エクトールが帰国し、妻のアンドロマックと再会を喜び合い、もう戦争はこれで最後にしようと決意する。
しかし、国王のプリアムやそのとりまきたちは、たとえ再び戦争を起こしてでもエレーヌを返すまいとする。
トロイの民衆もまたエレーヌの美貌の虜になり、国王を支持する。
幾度にもわたる戦場での生活に虚しさを感じていたエクトールは、平和を維持するためにエレーヌを返そうと説得するが、誰も耳を貸そうとはしない。
やがてエレーヌ引渡し交渉の最後の使者・ギリシャの知将オデュッセウスが、部下のオイアックスを引き連れてやってくる。
開戦派のオイアックスはトロイに中で数々の挑発行為を行うが、エクトールはこれを制し、オデュッセウスと会談の末、エレーヌをギリシャに返すことで合意する。
これでトロイ戦争は起きずにすんだかと思ったら、元老院の長であるデモコスが民衆を扇動し戦争に駆り立てようとする。
やむなくエクトールはデモコスを刺殺するが、これがギリシア軍のオイアックスの仕業と誤解され、結局トロイ戦争は起きてしまう。

この戯曲が初演されたのは1935年で、第一次世界大戦が終結したが、おりからドイツではナチスが勃興し、再び世界大戦の危機が迫っていた。事実、この数年後に第二次大戦が勃発する。
作者ジロドゥは外交官であり、第一次大戦に参戦し負傷をしている。それだけに再び戦禍が引き起こされることを憂慮し、恐らくはその警鐘をこめてこの作品を書いたものと思われる。
ちょっとしたきっかけであっという間に戦争に突入する恐ろしさや、劇中でエクトールによって語られる戦場の悲惨さなどは、作者自身の体験によるものだろう。
あるいは何とか戦争を回避するために努力するエクトールの姿は、作者自身の願いだったのかも知れない。
トロイ国王のとりまきの連中では、戦意高揚の標語を作ったり、軍歌を作詞したり、開戦の口実を探したり姿は、太平洋戦争時の日本を思い起こす。

今の日本の現状を考える上でも、意義のある芝居だと思う。
惜しむらくはセリフがやや分かり難いのと、第一幕が冗漫に感じられた。
後方の席には空席が目立っていたのが残念だった。

公演は22日まで。

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2017/09/21

Oh! 懐かしの浅草オペラ

「田谷力三物語」(2017/9/20)
日時:2017年9月20日(水)19時
会場:浅草・花やしき座

台本・作曲家:清島(佐々)利典
音楽監督・アレンジ:榊原徹
<   キャスト   >
田谷力三:杉潤一郎  テノール
ローシー 口上:中村憲司  バリトン
戸山英二郎(藤原義江):安保克則  テノール
小林愛雄、杉寛、木佐野 :上田誠司   バリトン
堀田金星、熊公:李昇哲    バリトン
安藤文子、おてく:佐藤智恵 ソプラノ
天野喜久代、登志子、八重吉:二宮望美 ソプラノ
木村時子、おかん:栗田真帆 アルト

ヴァイオリニスト:横山久梨子
電子ピアノ 内海清佳
テアトルアカデミー・Musica Celeste合唱団 ダンサー・合唱・アンサンブル

幕前解説:小針侑起
休憩トークショー:笹山敬輔

【演奏曲目】
〇浅草オペラ「カッフェーの夜」全編(コロッケの歌、おてくさんの歌、飲ん兵衛の歌、喧嘩の歌)
〇浅草オペラ人気曲より 大勝利の歌、ブン大将の歌、波をけり、お寺の壁に、リバプリック賛歌
〇オペレッタより ホフマン物語より舟歌、
ボッカチオよりベアトリ姐ちゃん、恋はやさし野辺の花よ、優しい手紙
〇歌劇 カルメンより序曲、闘牛士の歌、ハバネラ
リゴレットより女心の歌、椿姫よりアリア一部

浅草オペラが花開いたのは大正7年で、大正12年の関東大震災でその幕を閉じる。5年間という短い期間だったにもかかわらず、そしてその舞台を観たという人は皆無かと思われるが、未だにある種の郷愁を感じるのは何故だろう。
私自身も、この舞台で歌われた曲の歌詞のいくつかは朧気ながら諳んじているのだ。
その浅草オペラが生んだダイスター、田谷力三の活躍を中心に、当時の浅草オペラの隆盛と衰退を短いエピソードでつないだ作品だ。

開演前と休憩時に、浅草オペラに関する解説やトリビアの紹介があったが、当時の熱狂的ファン(男性)はお目当ての女優の舞台に通いつめ、入り待ち、出待ちをしていた。
また女優の人気投票もあって、雑誌のハガキを投票用紙にしていたため、ファンの女優が上位に選ばれるように雑誌を100冊も買い占める男もいたとか。
そうか、AKB総選挙はそのパクリだったのか。

観客にとっての楽しみは何と言っても劇中で、あるいは第2部のガラコンサートで歌われる曲の数々だ。
当時の日本語の歌詞のつけ方のセンスに驚く。
例えば、「ベアトリーチェ」は「ベアトリ姐ちゃん」になる。
♪歌はトチチリチン トチチリチンツン
なんて粋な歌詞ではないか。
♪恋はやさし、野辺の花よ 明日の日のもとに 尽きぬ花よ
ロマンチックですね。
(以上「ボッカッチョ」より)
♪風の中の羽のように いつも変わる女心
(以上「リゴレット」より「女心の歌」)
♪恋は気ままなもの 誰の言うことも聞かぬ
(以上「カルメン」より「ハバネラ」)
こうした歌詞は、一度は耳にしたことがあるだろう。
舞台で繰り広げられる歌と踊りに、満員の観客席からは拍手、手拍子、掛け声がかかり、時には合唱になり、ご当地浅草の大正の時代を蘇えられさせていた。

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2017/09/08

「ワーニャ伯父さん」(2017/9/7マチネ)

SIS Company,Kera meets CHEKHOV vol.3/4「ワーニャ伯父さん」
日時:2017年9月7日(木)13時30分
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT

作:アントン・チェーホフ
上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  キャスト  >
セレブリャコーフ(元大学教授):山崎一
エレーナ(若い後妻):宮沢りえ
ワーニャ(先妻の兄):段田安則
ソーニャ(先妻の娘):黒木華
ヴォイニーツカヤ夫人(ワーニャの母):立石涼子
テレーギン(隣人の没落貴族):小野武彦
アーストロフ(村の唯一の医師):横田栄司
マリーナ(乳母):水野あや
下男:遠山俊也
(ギター演奏:伏見蛍)

KERAさんのチェーホフ四大戯曲に挑戦するシリーズの第3作は「ワーニャ伯父さん」。
【あらすじ】
大学教授を引退したセレブリャコーフは、妻を亡くした後、年の離れた若い後妻エレーナを娶る。夫妻は都会暮らしに別れを告げ、先妻の親から受け継いだ田舎の屋敷に戻ってきた。
先妻の兄であるワーニャは、学者としてのセレブリャコーフ を長年崇拝し、彼の支えとなるために、25年にもわたって領地を切り盛りしながら、先妻の娘ソーニャ、 母ヴォイニーツカヤ夫人、隣人であった没落貴族テレーギンと共につましく暮らしてきた。
その一方、教授には毎年多額なお金を送金してきた。
しかし、ワーニャの目の前に現れたセレブリャコーフは、いつも体調も機嫌も悪く、尊大で身勝手な態度で人を困らせるただの年寄りだった。
その妻エレーナも、夫への不満と義理の娘との折り合いの悪さも手伝い、田舎暮らしに不安で憂鬱な日々を送っている。
屋敷には常に重苦しい空気が立ち込めるようになっていた。何よりもワーニャは、 人生の大半を捧げきた相手が、単なる俗物だった事実に虚しさと絶望を感じ、勤勉だった彼の生活は激変してしまう。事ある毎にセレブリャコーフに毒づき、母にたしなめられるが、その憤りは収まらない。
セレブリャコーフの具合が良くないと往診に来る医師アーストロフは、この村の唯一の医師として貧しい 農民への医療に従事する傍ら、森林の環境保護を訴えて、献身的な活動を続けてきた。
しかし彼もまた田舎暮らしに鬱積した思いを抱き、診療を放り出して屋敷に入り浸り、ワーニャと酒を酌み交わすことも多くなる。彼が屋敷に入り浸るもう一つの理由は、若い人妻エレーナへの恋慕だ。エレーナの方も彼には満更でない様子。
そしてワーニャもまたエレーナに対し熱い思いを抱いていた。しかし、エレーナに相手にされるはずもない。
一方、アーストロフを、ソーニャの熱い眼差しが追いかけるのだが、これもまた相手にもされない。
互いの心はすれ違い、それぞれの虚しい恋心だけが募っていく。
そんな中、セレブリャコーフが突然皆に、この領地の売却をしたいと告げた。
激怒したワーニャはセレブリャコーフにつかみかかり、発砲までするが幸い弾は外れる。
この騒動で夫妻はここを去る決心をし、医師のアーストロフも屋敷を出て行く。
元の生活に戻った形となったが、ワーニャは元教授への失望と、その妻エレーナへの失恋という二重の痛手の中で苦しむ。
彼の心情を察したソーニャは、ワーニャにそっと優しく「生きてゆきましょう、ワーニャ伯父さん・・・」と語りかけるのだ。

何か大きな事柄が起きるわけでもなく。物語としては淡々と進行する。
しかし、その時々の登場人物たちの心の動き、揺れ、そういった物が観客に静かに伝わる、そんな芝居だ。
特に幕切れの傷心のワーニャに対するソーニャの優しい言葉は素晴らしい。自らも傷ついていながら、叔父の心情に寄り添うソーニャの純真さには心が洗われる思いだ。
他の演出を見てないので何とも比較のしようがないのだが、KERAさんの手になるこの舞台はとても面白く出来ていた。

出演者では、やはり圧倒的にワーニャを演じた段田安則の演技が素晴らしい。この人は何を演らしても上手い。
純真で一途なソーニャを演じた黒木華の演技も良かった。器量が悪い娘という役柄だが、十分に美しい。
ワキでは、乳母役の水野あやの演技が目立った。いかにも19世紀末のロシアの地方に住む老女らしい雰囲気を醸し出していた。

公演は26日まで。

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2017/09/06

必見!文楽「玉藻前曦袂」(2017/9/5)

9月文楽公演第二部「玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)」
 清水寺の段
 道春館の段
 神泉苑の段
 廊下の段
 訴訟の段
 祈りの段
 化粧殺生石
日時:2017年9月5日(火)16時
会場:国立劇場 小劇場

落語の8代目春風亭柳枝が『王子の狐』のマクラでこの物語に触れているが、そのくらい良く知られた芝居なんだろう。
9月の文楽公演第二部は、「玉藻前曦袂」。
近松梅枝軒・佐川藤太の合作で、1806年(文化3)初演。
原作は天竺、唐土、日本にまたがるスケールの大きなものらしいが、今回はそのうちの日本編を上演。
ストーリー。
三国伝来の金毛九尾の狐伝説に、鳥羽院の兄・薄雲王子(うすぐものおうじ)の反逆を絡ませた構成になっている。
薄雲王子は弟から何とか帝位を奪おうと画策する一方、右大臣藤原道春の姉娘桂姫を妻に望むが退けられる。それに逆恨みして道春亡き後、鷲塚金藤次に命じて姫を討たせようとする。道春の後室萩の方は拾い子の桂姫に義理をたて、妹娘初花姫を差し出そうとするが、金藤次は桂姫の首を打ち、桂姫が自分の実の娘だったことを告げ、王子の悪計を白状して死ぬ。進んで犠牲になることを競って双六で勝負する桂姫・初花姫の哀れさ、萩の方の複雑な母性愛の表現、金藤次の「もどり」(悪から善に立ち返る表現)などが見どころの「道春館の段」が物語のクライマックスで、単独でも上演されている。
この後、初花姫は玉藻前となって入内し帝の寵愛を受けるが、金毛九尾の狐に殺され狐が玉藻前に化ける。
病気がちの帝に代わって薄雲王子が政務をとるが、愛妾の遊女への女色に溺れ政務に身が入らない。
そこに帝の病の平癒を祈祷するために訪れた安倍泰成によって玉藻前の正体が妖狐であることが暴かれ、同時に薄雲王子の悪事も露見してしまう。
那須野が原に逃げた妖狐は追手に討たれ、殺生石となる。

以上があらすじだが、舞台は愁嘆場あり口説きありチャリ場面ありに加えて、早替りから変身、おまけに宙乗りまであるという見所満載なのだ。
正に、ザッツ・エンターテイメント。
特に「化粧殺生石」では、座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎→奴に早替りで踊りを見せ、最後には玉藻前に変身した妖狐が十二単の姿で幕切れとなる。
それぞれの役の細かな動きが見もので、ここは人形遣いの桐竹勘十郎の奮闘公演の趣きだ。

4時間半を超える舞台は飽きることなく、私のような文楽のビギナーにはピッタリだった。
ということは、文楽が初めてという方にもきっと楽しんで貰えると思う。
見なきゃ損ですよ。

公演は18日まで。

一つ言い忘れていた。
玉藻前の正体が妖狐であることが暴かれる場面で、ふと小池百合子の顔が思い浮かんだ。
何故だろう?

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2017/08/31

テアトル・エコー「八月の人魚たち」(2017/8/30)

テアトル・エコー公演153「八月の人魚たち」
日時:2017年8月30日(水)14時
会場:恵比寿エコー劇場
作:J・ジョーンズ、N・ホープ、J・ウーテン
翻訳:鈴木小百合 
演出:酒井洋子
<  キャスト  >
森澤早苗:シェリー/永遠のチーム・キャプテン
杉村理加:レクシー/男漁りのイヴェントプランナー
薬師寺種子:ダイナ/男勝りの弁護士
重田千穂子:バーナデット/家族問題を抱える公立小学校教師
渡辺真砂子:ジェリー・ニール/天真爛漫な元修道女

毎回、肩の凝らないコメディで楽しませてくれるテアトル・エコーの芝居。
今回は米国のトリオ作家(珍しい!)の作品の舞台化で、劇団の看板女優たちが顔を揃えた。

かつて大学の水泳部のチームメイトだった5人の女性。卒業後はそれぞれの道、それぞれの人生を歩んでいるが、毎年8月には海辺にあるコテージに集まることにしている。
水泳部の監督の息子と結婚し、今でも仲間のキャプテンであるシェリー
男性より仕事の敏腕弁護士でリッチな生活を送るダイナ
3年周期で夫を取り換えては美容整形で若さを保つレクシー
家族に深刻な問題を抱えながらいつも明るくふるまう教員のバーナデット
修道女だったがシングルマザーになって皆を驚かせる天真爛漫なジェリー・ニール
彼女たちの44歳から77歳までの再会を通して、互いが抱える様々な人生の問題を、互いの友情とチームワークで乗り越えて行くという人生賛歌の物語。

舞台の小気味よい会話の応酬で客席は笑いに包まれるが、中年から老年にかけて女性たちが抱える問題の普遍性も明らかにされてゆき、とても良く出来た作品に仕上がっている。
いまトランプ政権で顕在化しているエスタブリッシュメントに対する南部の人々の反発も、チラッと顔をのぞかせていて興味深い。

何より5人の女優たちの個性溢れる演技に注目。
特に我々男性(私だけか?)にとっては、杉村理加のダイナマイト・バディに目が離せない。

公演は9月5日まで。

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2017/08/01

「旗を高く掲げよ」(2017/7/31)

劇団青年座第227回公演「旗を高く掲げよ」
日時:2017年7月31日(月)14時
会場:青年座劇場
作=古川健(劇団チョコレートケーキ)
演出=黒岩亮
<   キャスト   >
ハロルド・ミュラー(夫) =石母田史朗
レナーテ・ミュラー(妻) =松熊つる松
リーザ・ミュラー(娘) =田上唯
コンラート・シュルツ(祖父) =山野史人
ロッテ(娘の友人) =市橋恵
ペーター・マイヤー(SSの友人) =豊田茂
バウワー(副官) =鹿野宗健
ヘルガ・シュヴァルツ(妻の友人) =渕野陽子
オットー・ワルター(ユダヤ人の友人) =嶋田翔平
ブルーノ・コッホ(障がい者の友人) =小豆畑雅一

題名の「旗を高く掲げよ」は、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)党歌名、当時はドイツの準国歌扱いだった。
物語は、ナチスドイツの時代。ユダヤ人に対する組織的暴力事件(水晶の夜)直後の1938年11月13日から、ベルリン陥落直前の1945年4月21日までのの期間。
ベルリンに暮らすミュラー家は夫妻とその娘、妻の父親の三世代4人家族。夫のハロルドは善良な教師でナチスの思想とは距離を置いている。妻のレナーテはヒトラーが政権奪取してから暮らし良くなったのでナチスに魅かれ、娘のリーザはナチスが主導するドイツ女子同盟に入り、父親のコンラートは自らの経験からナチスを嫌悪している。
1938年11月に起きた「水晶の夜」で店が壊され恐怖をおぼえたユダヤ人の知人オットーが、家族と共に米国に移住するからとハロルドに別れを告げに来る。
そんな時、幼なじみSS(ナチス親衛隊)のペーターが、ハロルドの専門知識を活かせる仕事があるとSS入隊を勧誘する。
当初は気乗りがしなかったハロルドだったが、ナチス支持者の妻レナーテに背中を押されてSSに入隊する。
実際にハロルドはSSで専門知識が活かされ、それが評価されて順調に出世してゆく。友人で教師のブルーノから専門書を借りるが、彼は左手に障害があり、ナチスが障碍者は役に立たぬからと抹殺される恐れがあるとハロルドに告げる。
しかし時代は大きく動いていた。
ヒトラーはポーランドを侵略して手にいれると、西部戦線で欧州各国を撃破し、遂にはソ連に侵攻する。
その裏で、ナチスはユダヤ人絶滅を実行に移し始める。
戦線の拡大とともに、ハロルドは専門分野から次第に政策の中枢にかかわる仕事に就くようになりナチスの歯車に組み込まれてゆく。妻のレナーテは友人のヘルガの忠告にも全く耳を貸さずナチスに傾倒してゆく。高校生になった娘のリーザはヒトラーに心酔してゆき、父親のコンラートはますますナチスへの嫌悪感を強めてゆく。
しかし、ドイツがロシアに敗れロシア軍がベルリンに迫る事態になると、一家の運命は大きく回転してゆくが・・・。

ヒトラー、ナチスという魔物が、いかに善良な市民や家庭の主婦、そして子どもたちまでもを呑み込んでゆき、その中で人々はどう動いていたかをテーマにした芝居だ。
知らず知らずのうちに加害者になっていった人々を通してナチズムの恐ろしさを描くという意欲的作品である。
特にエピローグを加えることにより、ナチスの様な魔物は見て見ぬふりをしたり、知っていながら知らなかったことにする様な私たちの中に潜んでいることを示していたのは、作品の厚みを増していた。
ナチスの教訓は、極めて今日的な課題である。
人物がやや類型的に流れていたことと、ベルリンでのミュラー夫妻の結末が安易に感じられたのは疵であるが、この作品の意義を傷つけるものではない。

公演は、8月6日まで。

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2017/07/07

こまつ座「イヌの仇討」(2017/7/6)

こまつ座公演「イヌの仇討」
日時:2017年7月6日(木)13時30分
会場:紀伊國屋サザンシアター
作:井上ひさし
演出:東憲司
<   キャスト   >
大谷亮介:吉良上野介義央(62)
彩吹真央:お吟さま(上野介行火)(28) 
久保酎吉:榊原平左衛門(上野介付近習)(50) 
植本潤 :清水一学(同上)(25) 
加治将樹:大須賀治部右衛門(同上)(30) 
石原由宇:牧野春斎(上野介付坊主)(15) 
大手忍 :おしん(御犬さま御女中)(17) 
尾身美詞:おしの(同上)(18)
木村靖司:砥石小僧新助(盗っ人)(30前後) 
三田和代:お三さま(上野介付御女中頭)(50)

ときは、元禄15年12月15日の7ッ時分(午前4時頃)から明け6ッ時分(午前6時頃)。
ところは、本所回向院裏の吉良屋敷うち、お勝手台所の炭部屋兼物置。
ご存知、赤穂浪士が吉良邸に討入り、上野介が近習や女中、それに将軍お下げ渡しのイヌと共に炭小屋に隠れてから、上野介が自ら炭小屋から出るまでを描いた物語。
イメージとしては、突然テロリストによる襲撃を受け、シェルターに避難した人たちといった所。これは比喩ではなく、事実その通りだ。
この芝居は、吉良方から見たもう一つの忠臣蔵だ。

私が小学生の頃に、子ども雑誌の付録に忠臣蔵の漫画が別冊になっていた。全体は良く知られているストーリーだったが、作者は最後にこの討入りは正しかったのだろうかという疑問を投げかけていた。これが私にとって初めての「忠臣蔵」との出会いだった。
その後、芝居や映画、ドラマなどで何度も忠臣蔵を観てきたが、大きな疑問が生まれた。それは当時の江戸の治安状況の中で、50人近い人間が戦闘服に身を固め、徒党を組んで重臣の屋敷を襲撃することなぞ果たして可能だったのかということだった。
これには権力側(将軍とその周辺)による「泳がせ政策」が根底にあったのではないかという推論を持った。
これが確信に変わったのは、将軍の命令で吉良家の屋敷が呉服橋門内から本所に移し替えになったことだ。呉服橋門内はなんと言って将軍のお膝元で警戒が厳重だったので、外から近づくことさえ困難だったに違いない。討入りなぞ到底無理だった筈だ。であるなら、これは将軍家から赤穂浪士へのゴーサインだったと考えたのだ。

歴史として伝えられていることの中には、史実と大きく異なるものが少なくない。特に忠臣蔵のようにフィクションが独り歩きしているようなケースは、この傾向が顕著だ。
忠臣蔵(赤穂事件)について、事実として明確になっているのは次の2点だ。

【刃傷】
元禄14年3月14日、江戸城松の廊下において、赤穂藩主浅野内匠頭が高家肝煎吉良上野介に切りかかり負傷させた。
幕府は浅野内匠頭に対し切腹・御家断絶、吉良上野介に対しては「お構いなし」との裁定を行った。
内匠頭の弟で養子の浅野大学は閉門、赤穂藩の江戸藩邸と赤穂城は収公され、家臣は城下から退去となった。
【襲撃】
翌年の元禄15年12月14日、元家老職にあった大石内蔵助以下赤穂浪人46名が、江戸本所の吉良邸を襲撃、上野介とその家臣多数を殺害、負傷させた。
今回の事件に対する幕府の裁定は、襲撃に参加した赤穂浪人全員を切腹させ、遺児に遠島を命じた。
一方上野介の養子吉良左兵衛は知行地を召し上げられ、他家へお預けとなった。

両事件とも浅野側が吉良側を一方的に攻撃したもので、刃傷事件では浅野が吉良の背後から斬りかかっているし、襲撃事件では赤穂浪士側は無防備の吉良側を一方的に殺戮している。
つまり、忠臣蔵は「吉良家の御難」だと言える。

ちょっと前書きが長くなってしまったが、「イヌの仇討」という芝居は、私の抱いていた忠臣蔵に対する疑問とほぼ同じ視点で演じられている。
劇中で吉良上野介は、大石内蔵助が自分を討つ理由もなければ、自分が討たれる理由もない、と語る
1.殿中で大名が刃傷に及べば、その身は切腹、お家断絶、城明け渡しは決まり事であり、浅野内匠頭がそれを知らぬわけがない。
2.「遺恨あり」との理由だが、それならなぜ自分を殺害しなかったのか。小刀で相手を殺そうとするなら突くしかないのに、ただ振り回していただけだった。あそこで自分を殺していれば、この様な事態は避けられたのだ。
3.原因は浅野の持病である瘧病(おこりやまい)と、短慮な性格によるものとしか考えられない。それが極度の緊張感の中で暴発したものと見える。大名としてはおよそ相応しくない。
4.家老である大石は、こうした浅野内匠頭の性分に対して手を拱いていただけだ。殿が刃傷事件を起こしたときに、大石は自らの失態を恥じた筈だ。
大石内蔵助の狙いは一体なんなのか、と吉良上野介は考え込み、これは将軍への抗議が目的だという推論に達する。
その結果、吉良は意外な行動に出るのだが、それは芝居を観てのお楽しみ。

井上ひさしの脚本は、相変わらず緻密だ。
外部とは断絶した空間にも拘わらず、大石や浪士たちの動きは坊主の春斎によってもたらされる。
盗っ人(これだけが架空の人物)は吉良に、赤穂事件に対する世間の評判を吉良に伝える役目を負わせている。世論というのは移ろい易く、それだけに恐ろしいものだという事を、吉良は盗っ人から知ることになる。
この点は、現代に生きる私たちへの教訓にもなっている。
緊張感の中にも笑いが散りばめられていて、2時間の上演は飽きることがない。
舞台には一度も姿を見せない大石内蔵助が、影の主役という趣向も凝っている。
演出の東憲司による手作りのイヌの奮闘も見逃せない。
むしろ、これほどの面白い芝居が初演以来29年間も再演されなかった事が不思議だ。

吉良上野介を演じた大谷亮介を始め、芸達者を揃えた演技陣が舞台を盛り上げていた。

公演は23日まで。

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2017/07/04

劇団文化座「故郷」(2017/7/3)

創立75周年記念第2弾 劇団文化座公演149「故郷」
日時:2017年7月3日(月)14時
会場:東京芸術劇場シアターイースト
原作:水上勉 
作:八木柊一郎 
演出:黒岩亮
<出演者>
阿部敦子、佐藤哲也、伊藤勉、有賀ひろみ、阿部勉、津田二朗、酒井美智子、高村尚枝、鳴海宏明、沖永正志、小谷佳加、白幡大介、滝澤まどか、水原葵、皆川和彦、兼元菜見子、
佐々木愛、嵐圭史(客演)ほか

あらすじ。
時代は1980年代、米国から成田に向かう飛行機で偶然に隣り合わせになった在米の日本人の芦田孝二・富美子夫妻と米国人の若い娘キャシー。
芦田夫妻は、それぞれ日本を飛び出し、米国で出会い結婚。仕事も順調に行っているが、望郷の念去りがたく、どちらかの故郷で老後を送るべく来日。
キャシーの母・松宮はつ江は日本人で、米国人と結婚しキャシーを産んだがやがて離婚し、娘を置いて出てゆき、今は生死も行方も不明。キャシーはその母に会いたくて来日。
冨美子からの紹介状を持ってキャシーは母の故郷、原発に程近い若狭の寒村・冬の浦を訪れる。
最初は戸惑う村人たちだったが、フィリッピンからこの村に嫁いだホキの力を借りて事情を知り、祖父の松宮清作に引き合わす。偏屈物の清作は、はつ江とは縁を切っていたが、孫のキャシーとはたちまち打ち解ける。
そうこうしている内に、母・はつ江の消息も分かり連絡が取れる。今は再婚しているはつ江だが、知らせを聞いて故郷に戻り、キャシーと清作との再会を果たす。
一方の芦田夫妻は孝二の故郷丹後を訪れるが、懐かしより昔の辛い思いばかり浮かんで来て、ここで余生を送るのは諦める。
次に冨美子の故郷を訪れると、米寿の母親・工藤くめは一人暮らし、近くに住む長女が面倒を見ている。久々に再会した母娘は喜びの涙にくれる。
翌日、キャシーの事が気になっていた冨美子は若狭を訪れるが・・・。

およそ半世紀ぶりの文化座の舞台(確か「土」だったと思う)。当時は娘役だった佐々木愛もここでは老婆役。こっちもそれだけ年取ったということ。
水上勉の原作は、恐らくは故郷への思いが一杯詰まったものだと推測されるが、脚本はそれを消化しきれていない。
先ず大きな欠点は、登場人物の背景がさっぱり分からず、彼らの思考が「?」だらけで、感情移入ができないこと。
キャシーの母はなぜ米国人と離婚し、なぜ娘一人だけ置いて出て行ってしまったのか、その理由が分からない。キャシーがその間、どのような生活を送ってきたかも分からないし、突然行方不明の母親になぜ会いたくなって日本を訪れたのかも分からない。
米国で仕事に成功したという芦田夫妻は、どんな暮らしを現地でしていたのだろうか。二人揃って、日本で余生を送りたいと決心した経緯が分からない。望郷の念だけ?
途中で夫の孝二は、神戸の本社で会議があり、そこで急に米国に向かうことが決まったということだった。そうすると孝二は日本企業の社員(役員かも知れないが)で、米国の現地法人に派遣されているのだろうか。
米国で成功したと言ういい方は、現地で起業するか自営業で成功した場合に使うのであって、平仄が合わない。もし、米国の現地法人勤務であれば、いずれは日本に戻ってくるわけで、望郷の念とは別問題だ。
終盤で、キャシーが若狭に原発があることに怒るのだが、この背景も分からない。キャシーの今までの人生が不明なので、見ている方は戸惑ってしまう。
このように、主な登場人物に生活感が無いのが致命的だ。
ただ、色々なエピソードを詰め込んだだけというのが、率直な感想だ。

結局、佐々木愛と嵐圭史の名演だけが印象に残った。

公演は9日まで。

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2017/05/11

「マリアの首」初日(2017/5/10)

かさなる視点―日本戯曲の力― Vol. 3「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」
日時:2017年5月10日(水)18時30分
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:田中千禾夫
演出:小川絵梨子
<   キャスト   >
鈴木杏:鹿
伊勢佳世:忍
峯村リエ:静
山野史人:坂本医師/第二の男
谷川昭一朗:次五郎/第四の男
斉藤直樹;桃園/第三の男
亀田佳明:矢張/第五の男
チョウヨンホ:巡査/第一の男
西岡未央:第一の女
岡崎さつき:第二の女

長崎市には一度しか訪れたことがない。それも15年以上前の出張で。
少し時間の余裕ができたので浦上天主堂に立ち寄った。爆心地の象徴ともいうべき場所をどうしても見たかったのだ。
浦上は市の中心部からは少し離れた場所にあり、路面電車と徒歩で向かった。被爆マリア像もその時に見ることができた。
原爆のの惨禍を残すため、被爆の天主堂を保存する運動が起き、当時の市議会もその方向で動いていた。しかし、カトリック司教の意向と、当時の市長がアメリカを刺激したくないという忖度から、遺構は撤去され元の場所に天主堂が再建されることになった。
1953年のことだ。
この芝居は特に時代を特定してはいないが、背景を考えると1953年の出来事と考えるべきだろう。

あらすじは。
時代は、被爆した浦上天主堂を保存するか否かで市議会が議論していた終戦後の長崎。
主人公は3人の女性で、鹿は昼は看護婦、夜はケロイドを隠し娼婦として客を取る。
忍は白血病の夫が書いた詩集と薬を売りながら客引きをして生計を立てている。
静は鹿が働く病院で看護婦として献身的に仕事をしている。
三人は、天主堂保存について一向に埒があかない市議会の状態に失望し、天主堂の中のマリア像の残骸を密かに集めて、自分たちの手でマリア像を保存しようと計画する。
三人の女性を軸にして、原爆で子供たちを失い忍に心を寄せる初老の男や、かつてその忍を強姦したヤクザの親分や、鹿を恋したう入院中の学生や、忍の夫と原水爆禁止運動家との論争など、様々なエピソードが重ねられる。
そして雪が降りだしたある晩、三人の女性と協力者たちが天主堂に集まり、マリアの首を運び出そうとするが・・・。

作者は、三人の女性は一人の女性の分身として描いているようだ。その女性像がマリアを象徴しているのだろう。
劇中の会話は、時に哲学的であり、宗教的であり、正直分かりづらい箇所も少なくない。
劇の構造としては現実と幻想が入り混じった形式になっていて、戸惑うこともある。
特筆すべきは言葉の美しさだ。セリフに詩が溢れている。

神への祈り、自由と平和への希求、そして何より愛。
出演者の熱演もあって、3時間の舞台は間然とする所がない。
公演は28日まで。

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2017/03/15

「私はだれでしょう」(2017/3/14)

こまつ座第116回公演「私はだれでしょう」
日時:2017年3月14日(火)18時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター
脚本:井上ひさし
演出:栗山民也
<   キャスト  >
朝海ひかる:川北京子(33)
枝元萌:山本三枝子(35)
大鷹明良:佐久間岩男(42)
尾上寛之:高梨勝介(25)
平埜生成:山田太郎?(?)
八幡みゆき:脇村圭子(21)
吉田栄作:フランク馬場(32)
朴勝哲:(ピアノ奏者)

【あらすじ】
舞台は敗戦後の昭和21年7月、新番組「尋ね人」を担当する日本放送協会(NHK)の一室。戦時中のラジオは専ら大本営発表のツールだったが、戦後は国民の声が届く放送内容に変わり、誰もがラジオに耳を傾けていた。
「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」、そして川北京子が発案し自らが責任者となって「尋ね人」が始まり、一躍人気番組となる。
番組には戦争で離ればなれになった肉親、知人の消息を尋ねる人々の"声"が積み上げられ、「尋ね人」はこの無数の"声"をラジオを通して全国に送り届けた。
しかし、当時日本は占領下にあり、CIE(民間情報教育局)の監督下にあった。そのため原稿は事前の検閲があり、放送コード(禁止用語)にかからぬよう言葉の言い換えも求められていた。
そこにCIEの新しいラジオ担当官として日系二世のフランク馬場が赴任してくる。フランクは米国と日本の二重国籍を持っており、川北らの脚本班分室の仕事に理解を示し協力的だった。
ある日、「ラジオで私をさがしてほしい」という不思議な男・自称「山田太郎」が部屋に現れる。何故か英語もしゃべれるし、武術も得意。歌も歌えればタップも出来る。とにかく記憶力と身体能力が抜群なのだ。
彼をヒントにして、記憶を失った人を対象に番組内で「私はだれでしょう」というコーナーが設けられる。
川北らは労組の役員をしている男から、広島の地元紙に掲載された原爆の写真と記事の切り抜きを見せられ、あまりの惨状に息を呑む。
そして「尋ね人」の番組内では広島と長崎からの投書を決して扱ってこなかった事を思い出す。占領軍が原爆投下の事実や被害が公表されるのを嫌ったからだった。もし、そうした放送を強行すれば占領軍の利益に反する行為として刑事罰の対象になる。
川北は、原爆投下の事実を放送を通じて国民に知って貰うため、フランクの協力を得て広島と長崎からの投書を放送することを決断する。
一方、山田太郎は偽名で、実は中野学校出身の残地諜報者だったことが判明する。父親は陸軍将校で、今では実業家として成功しているが、2年の内に日本でも再び軍隊を持つという計画が進んでいることも分かってくる。
川北の決断の行方は、果して・・・・・。

食料難や労働運動の勃興と、占領軍の政策転換など、戦後の世相を織り込みながら舞台は進行してゆく。
「私はだれでしょう」は、国自身がアイデンティティを失っていた反映でもあった。
登場人物一人一人が「私はだれでしょう」を考え、そして大事なのは「私はだれであるべきか」という結論に辿りつく。

舞台は歌と踊りの音楽劇の形式をとり、終戦後の苦しいながらもどこか明るさがあった時代を表現していた。
劇中に出てくる「言葉の言い換え」は、ズバリ安倍政権下の国会論議を思い起こされる。
放送はどうあるべきか、どう真実を伝えるべきかというテーマも極めて今日的だ。
そういう点で、こまつ座の舞台としては空席が目立ったのは残念だった。

出演者では脚本班分室員の山本三枝子を演じた枝元萌の演技が光る。
他に、山田太郎を演じた平埜生成の身体能力の高さに感心した。

公演は26日まで。

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