演劇

2008/06/16

志らくさん、良かったです!「あした ~愛の名言集」

Shiraku先日当ブログで立川志らくのシネマ落語について批判的なことを書いたら、ご本人から「シネマ落語は駄目かもしれませんが、是非、6月の紀伊国屋の私の芝居「あした」を観てください。また評価が変わるはずです。」とのカキコミがあった。
ここで行かなきゃ男が廃る、止めてくれるなおっかさん、背中のタトゥが泣いているとばかり、6月14日紀伊国屋ホールへ。昼の「恐竜と隣人のポルカ」を見終えて渋谷から新宿へ移動という、変則ダブルヘッダーと相成った次第。

さて、「あした ~愛の名言集」は立川志らく劇団「下町ダニーローズ」の最新公演。
ポスターには、
脚色・演出:立川志らく
大林宣彦監督作品映画 「あした」より
原作:赤川次郎「午前0時の忘れもの」
とあり、赤川次郎の原作を大林宣彦監督が映画化し、それを志らくが芝居の舞台用に脚色し演出たものだ。原作も映画も観ていないのだが、志らくの脚本はかなりかけ離れた内容に仕上がっているものと想定される。
作者本人の解説でこう述べている。
「舞台を現代から昭和33年に変え、登場人物もキャラを喜劇的にし、志らくワールドとしての『あした』をつくりました。愛する大林宣彦監督の大事な映画を、狂った志らくがどこまで舞台で描けるか。オマージュであり、新作であり、そして芝居であり映画であり絵画であり落語でもあるという『あした』、堪能していただけたら幸いです。」

主なキャストは次の通り。
立川志らく:池之内勝
森口博子  :池之内歌子
須藤温子  :原田法子
細山田隆人 :大木貢
なべおさみ:金澤弥一郎
入江若葉  :金澤澄子
北原佐和子:森下美津子
柳家一琴  :笹山剛
酒井莉加  :綿貫ルミ
原武昭彦  :神様
入月謙一  :森下徹(宝玉)
柴山智加  :一ケ崎布子
宇賀神明広:永尾要司
岩間沙織  :小沢小百合
ロリィタ族  :朝倉恵
山田貴久  :笹山哲
山本良也  :船頭
寺尾由布樹 :高柳淳
橘ゆかり  :永尾厚子
竹川美子  :安田沙由利
中村康介  :唐木幻詩

場内に入ると既に幕は開いており、舞台には大きなセットが置かれている。渡し舟の船着場だが、実に見事なデザイン(舞台美術:佐藤さい子)で、先ずこれに感心した。このセットを見ただけで期待を抱かせ、この芝居が一幕ものであることを暗示している。
ストーリーは昭和33年に渡し舟の転覆事故があり、乗客一人が救助されるが、他の乗客6名と船頭が死亡する。一月後にこれを哀れと思った神様が、一日だけこの世に生き返らせ、愛する人と対面させるというもの。
全ての関係者がこの船着場に集まり、それぞれが再会を喜び会う中で、生前明らかにされなかった真実もまた露わにされてゆく。最初は家族同士はお互いバラバラであったのが、次第につながって行くようになる。そして約束された一日が終わり、死者は再びあの世に帰って行くのだが・・・。

作者の「狂った志らくが」という言葉とは裏腹に、芝居は極めてオーソドックスな展開を見せる。死者とその関係者6組の個別の物語が、やがて相互に関連し始め、群集劇へと発展してゆく。
親子、夫婦、恋人、師弟、親分子分、それぞれの愛憎劇が一つに収斂し、ラストシーンを迎えて行く。
全体をコミカルに仕立てながらホロリとさせる場面を差し挟み、そして古今東西の名言や映画の名セリフを随所にちりばめてゆく演出、実に見事だ。
脚本家、演出家としての志らくの力量を示すものだ。

出演者個々では演技のレベルに差が大きく、アンサンブルも完璧とはいえない。せっかく落語家が演出しているのに神様のキセルの使い方がなってないし、幇間はさっぱり幇間らしくなく、粗さも目立った。
しかしこの舞台では、演出家や出演者の芝居に対する情熱や意気込みが感じられ、そうした個々の欠点を吹き飛ばしていた。
芝居の最大の魅力は舞台の熱気であり、それがあるから名優の揃った大舞台でも、素人が演じる小劇場でも、観客は等しく感動するのである。

役者では、なべおさみの演技力、存在感には舌を巻いた。正直、これ程上手い人とは思ってもみなかった。
原武昭彦がヌーボーとした良い味を出していて、志らくとの掛け合いは場内を沸かせていた。
女優陣では森口博子が堅実な役作りを見せ、北原佐和子が舞台に華を添え、ロリィタ族の熱演が光る。

志らくさん、とても良かったですよ。

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2008/06/15

「恐竜と隣人のポルカ」は駄作

Terawaki6月14日渋谷パルコ劇場にて「恐竜と隣人のポルカ」を観劇。キッカケは評判の後藤ひろひとという作家がどういう芝居を書いているのか、一度観ておきたかったからだ。
作者自身の作品解説によれば、常に複数の要素を組み合わせて作品を書いており、今回は恐竜への興味と、マンションの理事を経験したことを機に隣人、そしてグラミー賞にポルカ部門があると分かったことから、この三つのキーワードを組み合わせて作劇した由。
さて、どんな展開になるのだろうか。

主なスタッフとキャストは次の通り。
後藤ひろひと;作・演出・柴栄博士
寺脇康文  :戸田幸夫
手塚とおる :熊谷柿一郎
水野真紀  :戸田千春
森本亮治  :戸田翔太
大和田美帆 :熊谷桃子
竹内都子  :熊谷亜矢子
兵動大樹  :島之内(ディレクター)
石野真子  :石野真子(本人)

ストーリーは、
タウンハウス(舞台設定ではそうなっている)に隣り合う同級生同士が、ある時一方の戸田家の庭から恐竜の骨が発見され、隣家の熊谷家に内緒で一儲けを企んだ所から両家の間に大騒動が持ち上がり、家族は勿論、恐竜博士やTVディレクター、果ては戸主二人の共通のアイドルだった石野真子まで巻き込み大混乱という物語。

作者が解説で書いている「感動ゼロ」「理屈ゼロ」、アンコールで作者が言っていた「筋は渋谷駅に着く頃は忘れている」、いずれもその通り、実に他愛ないお話だ。
コメディの基本は「アリソデ・ナサソ」であり、設定のどこかにリアリティが求められる。今時、自宅の庭から恐竜の骨が出てきたといって、大儲けできると考える人は誰もいないだろう。
むしろ敷地から文化財が発掘されてしまったり、所有する家財が文化財に指定されてしまったりすると、実際には大変な負担になるのだ。
そういうカンドコロを外してコメディを作ると、これはもうドリフのコント並になってしまう。いや、ドリフのコントの方がまだ設定にリアリティがあるだろう。
かといって荒唐無稽にしては中途半端だ。
アイドル石野真子の扱いも月並みで、工夫が感じられない。
要は、作者のメッセージが観客に伝わってこないのだ。
芝居を観ている最中はそれなりに面白いのだが、笑いの底が浅いのだ。
後藤ひろひとの過去の作品は全く知らないが、この作品に関しては駄作だと思う。

出演者では手塚とおるの怪演が光っていた。軟体動物のような身体の動きは存在自体がオカシク、この人は別の舞台で見てみたい。
森本亮治と大和田美帆が堅実な演技を見せていたが、竹内都子と兵動大樹についてはキャスティングの意図が分からない。コメディだからお笑い系を連れてきたのだろうか。

7月6日まで各地で巡演。

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2008/05/24

劇団K助「ステージ」

K_suke大好評(それにしてはアクセスが少ない)連載中の「ある満州引き揚げ者の手記」、これから未だ未だ続きますが、ここでちょっと一息入れて。5月23日中目黒ウッディシアターで行われた劇団K助「ステージ」を観劇しましたので、その感激をお伝えしたいと思います。
親友の息子さんが主役で出演するということで観にいきましたから、劇団のことも役者のことも殆んど知りません。

スタッフとキャストは次の通りです。
劇団K助 第9回公演
『ステージ』
脚本・演出/金沢知樹
脚色・演出/大関真(劇団SET)
[キャスト]  
大隈いちろう(デフロスターズ)
大竹浩一(劇団SET) 
大関真(劇団SET) 
Kいち(トラストワンホープ)
斉藤誠人(SMA)
堀田勝(劇団アルターエゴ)
相原美奈子(劇団†勇壮淑女)
兎本有紀(宝井プロジェクト)
内田もも香(E.NESTO)
土屋史子(YOUGO OFFICE)
松村真知子(劇団SET)
出演者情報によれば、全員舞台やTV、CMなどの出演歴のあるプロの俳優(斉藤誠人だけがお笑いタレント)です。
ただ配役がどこにも書かれていないのは不親切です。

ストーリーは弟分に殺されたヤクザが、死後の世界から自分の辿ってきた過去がリプレイされる中で、次々と真実が明らかになってゆきます。その中でもう一度自分自身を見詰めなおし、現実の世界に戻って新たな人生を歩んでいくという物語で、発想そのものはそう目新しいものではありません。
金沢知樹の脚本は、笑いの中にシリアスな場面を織り込み、笑いと泪で休憩無しの2時間をたっぷりと楽しませてくれました。個々の役者も序盤にはドタバタする所もありましたが、それぞれの力量を発揮していたと思います。
舞台のセットは貧弱と思われるほど一見質素ですが、その分役者の演技を際立たせていました。
過去の公演については分りませんが、今回の舞台を見る限りでは、小劇場の芝居として十分成功だったといえるでしょう。
計6回の公演は全て完売だったようで、やはりお客は良く知っています。

出演者では、主役の斉藤誠人が歳に似合わぬシブイ演技を見せ、母親役の兎本有紀(写真)が登場すると舞台が締まります。息子と母がビールを飲みながら語り合うシーンが秀逸でした。
他には、大隈いちろうが軽快な演技で沸かせ、土屋史子が可憐。

公演は25日まで。

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2008/03/17

「ベガーズ・オペラ」@日生劇場

Beggars_opera3月15日話題のミュージカル「ベガーズ・オペラ」を観劇。日本では2006年1月に初演で、その際は全日程即完売だった由。当日は貸切公演だったがもちろん完売。それでも早めに予約したせいか、舞台上手の袖付近ではあったが、中二階の最前列で役者の動きが良く見えた。
覚悟はしていたが、観客の8-9割は女性。男も若い人が多く、もしかしたら男子最高齢ではなかったかと。精神年齢が若いんだから、まあイッカ。

芝居の背景は18世紀のロンドン、当時のスラムは犯罪の温床で、警官はいるにはいたが薄給のためワイロがはびこり、治安は最悪。おまけに当時の官職は金で買えたため、金さえあれば希望の官吏になれた時代でもあった。
治安回復のために政府が行ったのは、窃盗でも死刑にするという厳罰強化であり、密告の奨励であった。つまり密告者には多額の報奨金を出し、犯罪人を捕まえては容赦なく縛り首にした次第。
処がドッコイ、こうした治安対策を逆手にとって、仲間同士をお互いに監視させ、悪党集団を束ねる盗賊支配者が現れる。この代表的人物がジョナサン・ワイルドで、「ベガーズ・オペラ」の主人公のモデルとされている。

ジョン・ゲイが原作を書いた18世紀は、イギリスでもイタリアオペラが全盛で、物語はもっぱら古典を題材にしたロマンチックなストーリー、終わりはハッピーエンドが定番だった。
その時代に、社会の恥部をテーマにした作品を作ったのだから反響は大変なもので、この作品は当時としては記録的な大当たりをとり、史上初のミュージカルとして名を残すこととなった。
第一、「ベガーズ・オペラ」つまり「乞食のオペラ」というタイトル自身が、かなり挑戦的ではないか。
この作品はその後ドイツに渡り、20世紀に入ってブレヒトの代表作「三文オペラ」に結実する。

日本公演の演出・脚色を担当したジョン・ケア―ドによる舞台作りは、原作の持つ社会風刺や、法的正義に対する原作者の鋭い目は極力おさえ、肩がこらずに楽しめるミュージカルに仕立てたようだ。
設定には工夫を凝らし、ベガーズ(乞食)のトムが書いた台本を老役者の計らいで、大劇場で1夜限り上演できる芝居としている。出演者は一人一人様々な過去を持ちながら、今は社会の底辺にいる人たちが、それぞれ劇中で、追いはぎ、盗賊、娼婦、密告者、警官、看守などの役を演じるという、いわば二重構造の設定。
ストーリーは至って単純。主人公の追いはぎマクヒースと、彼を巡ってのポリー・ピーチャムとルーシー・ロキットという二人のヒロインによる三角関係が軸になっている。そこに親子や夫婦の愛憎が絡み、裏切ったり裏切られたり、密告したり密告されたり、そんな物語が展開し、最後は・・・と、これは観てのお楽しみ。

主な出演者だけでも、内野聖陽(マクヒース)、髙嶋政宏(ピーチャム)、村井国夫(ロキット)、橋本さとし(トム/フィルチ)、近藤洋介(老役者)、島田歌穂(ルーシー・ロキット)、笹本玲奈(ポリー・ピーチャム)、森公美子(ミセス・ピーチャム)らの豪華キャスト。
「ステージサイドシート」と称する舞台の両袖に客席が設けられ、時にはそこの観客が舞台に参加させられる。上演中あるいは休憩時間に、出演者が客席を回り話しかける、フィナーレでは沢山の観客が舞台に上がり、一緒に歌い踊る。これらは原作の持つ俳優と観客のバリアを無くすという思想に基く、演出家の工夫によるもののようだが、こうした演出方法と、人気役者を揃えたところに、このミュージカルがヒットした大きな要因があると思われる。

反面、劇的なストーリー展開と物語の深みに欠けているため、例えば「屋根の上のバイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」「レ・ミゼラブル」「オペラ座の怪人」などのブロードウエイミュージカルと比べると、遥かに感動が薄い。観終わった後で、余り印象に残らないのが欠点といえる。

出演者では、主役の内野聖陽は演技や歌は良いのだが、無骨なイメージが強く、大勢の女を手玉に取るというジゴロのイメージとはかけ離れている。シャレッ気が足りないのだ。ミスキャストではなかろうか。
歌では森公美子がさすが真価を発揮し、島田歌穂がすっかりミュージカル俳優としての貫禄が出てきた。
橋元さとしが軽快な演技を見せて、脇の女優陣では山崎直子(スーキー・トードリー)が妖艶さで、宮菜穂子(モリ―・ブレイズン/トム・ティップル)が体当たりの演技で、それぞれ魅せてくれた。
3月30日まで。

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2008/03/09

お懐かしや!内藤陳”DOGA DOGA+第3回公演”

Naito_chin劇団「ドガドガプラス」の第3回公演「贋作・伊豆の踊り子」が、浅草東洋館で行われていますが、3月8日つまり千秋楽の前日に観劇。なぜ観に行く気になったかといえば、ナマ内藤陳を一目見たかったからです。
内藤陳、かつて「トリオ・ザ・パンチ」というグループを率いて、「ハードボイルドだど!」というギャグで一世を風靡した伝説的なコメディアンです。その後はお笑いの舞台に立つことは少なく、映画に出演したり、新宿ゴールデン街にある「深夜+1」という店を経営する傍ら、日本冒険小説協会会長をつとめるなど、書評家として活躍しています。

劇場である浅草東洋館ですが、ここはかつての浅草フランス座であり、ストリップの殿堂でした。同時に渥美清や三波伸介など戦後に活躍したコメディアンの大半が、ここを舞台として飛躍したコメディアンの殿堂でもありました。もちろん内藤陳もその一人です。そうそう、作家の井上ひさしも、ここフランス座の出身でしたね。
また劇団の「ドガドガ」は踊り子をモチーフにした画家ドガからとっており、名前の通り踊り子(衣装は着けていますので間違えないように)が中心の劇団であり、旧フランス座で公演するというのも意義のあることなのでしょう。

さて当日、早めに着いたので無事かぶりつきの席を確保。補助席も出る満員でしたが、劇団や主演者の関係者が多かったようで、私のような一見の飛び込みは少数だったと思われます。客は若い人が多く、もしかして最年長だったかも。

本家の「伊豆の踊り子」ですが、随分と昔に読んだので忘れましたが、旧制高校生・私(川端康成自身がモデル)が、伊豆の一人旅で旅芸人の一行と出会い、その中にいた踊り子・薫に惹かれ、彼女たち一行と旅を共にする。
温泉で薫の全裸を見て嬉しくなったりと色々あって、最後は再会を約束して別れる。
こうして粗筋だけ書くと、何だかミもフタもないことになります。

満年齢なら男は19歳、踊り子は13歳というから中学2年生位の年齢で、主人公にややロリコンの傾向が見られます。一行の後を追い続けていたのは、追っ掛けかストーカーみたい。風呂場で裸を見たときは、「萌え~」の気分というところでしょうか。
川端センセイの原作では、想いを寄せる男の方の感情は描かれても、想いを寄せられた踊り子の側はどうなのよという疑問もあります。
「贋作」の舞台、作・演出は望月六郎ですが、どうやらこの辺りの視点からパロディに仕立てたと思われます。
踊り子の話が、伊豆下田つながりからいつのまにか「唐人お吉」の話に変わっていったり、明治維新というのは日本が西洋に負けたということ事ではないかという問いかけがあったり、秋葉系オタクの3人組が「オズの魔法使い」だったり、様々な仕掛けが入れ込んでありました。
歌と踊りが入るミュージカル仕立てになっていて、そこそこ楽しめる舞台だったかと思いますが、作者がいわんとする意図がよくみえなかったし、踊りが単調だったと思います。
出演者では、戸田佳世子が品の良い色気を見せ、崔哲浩がハマリ役でした。

幕間にお目当ての内藤陳率いる「トリオ・ザ・パンチ2008」のコントが演じられましたが、やあ内藤陳、年は取りましたが相変わらずカッコウイイ! ちょっと身体を反らした立ち姿は男の色気に溢れ、ほれぼれします。
私はかねがね、「ルパン3世」のモデルは内藤陳だと確信しています。
昨年ガンから復帰した「永久のガンマン」、これからも元気な姿で私たちを楽しませてください。

本公演は今日が千秋楽ですので、内藤陳見たい人、急いで浅草東洋館へ。

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2008/02/18

こまつ座公演「人間合格」

Ningengokaku2月17日、紀伊国屋サザンシアターのこまつ座84回公演「人間合格」を観劇。
前日の「恋はコメディー」とは打って変わった芝居、客層も全く異なる。ボクの場合は何でもOK。良く言えばキャパが大きい、悪く言えば無節操。でもそれぞれ面白いんだから、いいジャン。

というわけで「人間合格」、タイトルが示すように作家・太宰治をモチーフした芝居です。作はもちろん井上ひさし、演出はこまつ座の芝居演出などで数々の賞を獲得している鵜山仁です。この芝居は1989年初演以来、今回が5回目の公演です。
出演は、岡本健一(津島修治=太宰治)、山西惇(佐藤浩蔵)、甲本雅裕(山田定一)、馬渕英俚可(チェリー旗ほか7役)、田根楽子(青木ふみほか7役)、辻萬長(中北芳吉)の6名。相変わらずこまつ座の女優陣は、一人で何役も演じねばならないので、大変ですね。今回のキャストの目玉は、主役に元「男闘呼組」のオカケンこと岡本健一を起用したことでしょう。むろん初役です。

太宰治が生きた時代と言うのは、激動の時代でした。彼が生まれた年に伊藤博文が暗殺されていますし、翌年には大逆事件が起きています。
少年期はちょうど大正デモクラシーの時期になりますが、大学に入って作家となる時期に、日本は日中戦争から太平洋戦争に突入する軍国主義の時代になります。
そして敗戦、何かも価値観が変わっていく中で、戦後間もない1948年に自殺によって39歳の短い人生を閉じます。

太宰治が青年期に、戦前の左翼運動に共鳴、というよりは共産党のシンパであったことは良く知られています。
「人間合格」はその時期から後半生の太宰の姿を、生涯の親友として佐藤、山田という二人に友人(架空の人物と思われる)との人生と重ねて描いています。
そして戦前は「天皇陛下万歳」一色だったのが、敗戦と共にいとも簡単に「マッカーサー元帥万歳」に変わって行った当時の日本人の心象を、太宰の保護者役である中北芳吉に代表させています。
太宰は当時のそうした風潮がガマンならず、戦後その著作の中で「今こそ天皇陛下萬歳を叫べ」という表現で怒りをぶつけています。

井上ひさしの作品は、太宰が自殺を繰り返す破滅型人生から死に至る軌跡を、左翼運動へのシンパシー、挫折、戦後の大きな時代変化と親友の死にその原因を求めています。
それが事実であるかどうかというより、井上の筆は太宰という人物の名を借りて、戦前戦後を自らの信条を貫き誠実に生き抜いた青年群像を描きたかったのでしょう。
こう書くと重いテーマを想像するでしょうが、実際は喜劇といえる作品です。
登場人物が類型的なキライはありますが、分かり易く、肩肘張らずに楽しめる商業演劇として、良く出来ていると感じました。

出演者では、主役の岡本健一が良い。本人が「何もせず立っているだけで太宰に見えたら最高」と言ってますが、正にその通り、太宰治のイメージにピッタリでした。抑制された演技でしたが、7幕目で怒りを爆発させるシーンは、ジーンときました。
脇では辻萬長の俗物ぶりが秀逸。ちょっと九州訛りの入っている津軽弁がご愛嬌です。
女優では、馬渕英俚可の熱演が光っていました。
山西惇、甲本雅裕、田根楽子の3名は決して演技が悪いわけ無いのですが、要は役が「らしく見えない」所から、不満が残りました。

3月中旬まで東京公演。

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2008/02/17

ナマ秋吉久美子に感激!”恋はコメディー”

Akiyoshi_kumiko2月16日、ル テアトル銀座で上演されている『恋はコメディー』を観に行く。目的は唯一つ、ナマの秋吉久美子を見ること。
好きな女優を一人あげるなら、文句なく秋吉久美子である。1972年のデビュー作『旅の重さ』以来、70年代の彼女の映画は殆んど観ている。特に1974年に公開された日活の藤田敏八監督の青春映画、『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』での秋吉の演技は強く印象に残っている。
映画のタイトルは忘れたが、作品の中で相手方の女優が秋吉に「あんたの顔って具体的じゃないのよね」と言うセリフがあったが、実に的確な表現だ。その「具体的でない」ところこそ彼女の特長であり、1970年代という時代を象徴している。
TVドラマでは、何といっても『夢千代日記』での芸者・金魚の演技が素晴らしかった。あの役は秋吉久美子しかできない。
「人間には3種類ある。男と女と女優。」という諺があるが、その意味での数少ない女優の一人でもある。

ストーリーは、泥棒稼業から今は足を洗った中年女性セリーヌ(浅丘ルリ子)とアンナ(渡辺えり)の二人暮しの家に、新米の泥棒ギョーム(石井一孝)が泥棒に押し入るが軽くあしらわれ、そのまま居候になる。そこへセリーヌの息子(風間俊介)が恋人ナターシャ(秋吉久美子)を連れてくるが、これがナント母親と同世代のお歳。
ここから話は二転三転して、最後はハッピーエンドに終わるというコメディー。

原作はマリア・バコーム『教えてよ、セリーヌ』で翻訳劇だが、岡本さとるの脚色はよくコナレテいて、随所に日本語のダジャレを織り込んで観客の笑いを誘う。加納幸和の演出は、3人の女優それぞれの魅力を引き出して、楽しませてくれた。
最初の上演時には『泥棒家族』というタイトルだったようだが、笑いの中に適度な諷刺もこめられ、品のあるコメディーに仕立てられていたと思う。

主演の浅丘ルリ子は、年齢を感じさせぬ身体の柔らかさを見せていたが、踊りはダメ。
特筆すべきは渡辺えりの怪演だ。圧倒的な存在力で舞台を締める。そして踊りが実に上手い。劇中で踊る『シボネー』は、他の出演者とレベルの違いを見せつけた。お見事。
石井一孝は不器用な新米泥棒を好演したが、踊りが頂けない。動きに色気がないのだ。
風間俊介はハマリ役で、気持ち良さそうに演じていた。

そして秋吉久美子。最初は黒のつなぎのライダー服で登場、それを脱ぐと下は鮮やかな黄色のワンピース姿、次の幕では真っ赤なミニのタイトで現れた。
実に美しい! 実に可愛いらしい! 実にかっこイイ! ただただウットリと眺めていた。とても50ん歳とは信じられない、やはり女優は化け物だ。
ナマ秋吉久美子が見られただけで十分満足した。

今月の東京公演を皮切りに、3月末まで全国各地で上演される。

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2008/01/31

「能」と言える日本人

Noh_butai周囲に歌舞伎や寄席に行ったことがない人がいると、「東京に住んでいながら、芝居も寄席も行かないというのはモッタイナイ。」などと偉そうな事を言っていたが、恥ずかしながら「能」というものを見たことがなかった。大概の古典芸能には一度や二度接しているが、能楽だけは縁が無かった。
そこで今回初めて能を観賞すべく、1月30日国立能楽堂に赴いた。

先ず目を奪われたのは、劇場の立派なことだ。たっぷりとした敷地に建てられていて、他の国立劇場とは、金の掛け方が違う。
会場内には中庭や展示室があり、休憩所のスペースも広い。内装も風格がある。
同じ国立といっても、能楽―歌舞伎―オペラー寄席という厳然たる序列が出来ていることを実感。

客筋も違いますね。和服の女性客が多いのが目に付く。それと外国人の姿が多い。
そのためか、場内放送が英語でも流される。前の座席に液晶モニターが備えられ字幕が表示されるが、これもボタンで日本語/英語が切り替えられる。
何だか日本を代表する古典芸能を観賞しに来たという感覚が、ジワジワと湧いてくる。
平日の昼にも拘らず、600席余りの座席はほぼ埋まっていた。固定客がいるんですね。

この能楽堂で行われる公演の殆んどが、能と狂言の二本立てになっている。
当日の演目は次の通り。

【狂言】惣八(そうはち) シテ・山本則俊(大蔵流)
金持ちの屋敷に、元料理人の出家と、元出家の料理人が召抱えられるのが発端。主人から言いつけれた仕事を、二人が入れ替わって行ってしまうというストーリー。中世の日本で出家した人がたやすく還俗していたという風潮を諷刺したもの。
やあ、狂言はいつ見ても面白い。諷刺の精神こそ、笑いの基本であることが再認識させられる。

【能】難波(なにわ) シテ・田崎隆三(宝生流)
「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民の竃(かまど)はにぎわいにけり」という歌で有名な仁徳天皇の善政を偲ぶストーリー。
「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」と歌ったとされる、仁徳天皇即位の功労者・王仁の霊が主人公(シテ)の物語である。
開幕といっても幕は無いが、先ず楽器の演奏が始まる。
能楽の楽器は、笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類だが、この音が実に良い。聴いているだけで気持ちが和んでくる。
演者はすり足で静かに登場するが、まるでスローモーションを見ているような感じだ。演者の抑制された動きと、楽器演奏と地謡の声とが独特のハーモニーを構成していく。
音だけ耳から入ってくるが、時折演技は飛んでいる所を見ると、眠っていたのかも知れない。夢と現の間を行ったり来たりの時間は心地良い。
でも、途中休憩無しの約2時間は、正直言ってかなり退屈。来月もまた是非来ようと言う気分にはなれなかった。
近くにいた年配のご婦人同士が、「とても素敵でしたね」と会話を交わしていたが、そうした心境に達するまでには相当の距離がある。

それでも、今日から私も「能」と言える日本人。

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2007/10/31

感動の舞台 前進座「俊寛」

Syunkan江戸時代に一日に千両の商いがあったのは3ヶ所で、吉原、魚河岸、それに芝居(歌舞伎)だったことから、「日に三箱 鼻の上下 ヘソの下」という川柳が生まれた。
鼻の上が目で芝居、鼻の下が口で魚、残るヘソの下はいうまでもなく吉原である。
それほど歌舞伎と言うのは、江戸庶民に愛されていたわけだ。
吉原が男の世界なら、歌舞伎は女・子供の世界であった。本来の歌舞伎は大衆娯楽、笑わせて泣かせて楽しませる、そういう世界だ。
前進座の舞台は常に、そうした歌舞伎本来の姿を見せてくれる。

10から11月にかけて、前進座は中村梅之助主演の「俊寛」の公演を行っている。
10月27日昼の部の前進座劇場での舞台を観劇した。
【配役】
俊寛僧都:中村梅之助
平判官康頼:山崎辰三郎
丹波少将成経:嵐広也
海女千鳥:河原崎國太郎
丹左衛門基康:嵐圭史
瀬尾太郎兼康:小佐川源次郎 ほか

原作は近松門左衛門作の人形浄瑠璃『平家女護嶋』全五段で、その中の「鬼界ヶ島の場」だけが独立して「俊寛」として演じられる。
歌舞伎の演目の中でも人気が高く、この10月には「俊寛」が、3ヶ所で上演されている。

物語は、平清盛の権勢は天下をおおっていた頃、その清盛への謀反を企てたという罪で、法勝寺の僧・俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の3人が絶海の孤島・鬼界ヶ島の流人となった。
以来、はや三年の月日がたち、三人は憂き艱難の日々を送っていたところ、迎えの船がやってくる。
一時は3人揃って帰還と喜び合うが、最後は俊寛一人島に取り残されて、船が去って行く。

この演目は、一幕の中に喜怒哀楽が全て詰め込まれていて、しかもそれが次々と展開していく。
①3名の流人の嘆き
②成経に千鳥が夫婦固めの杯を交わす喜び
③迎えの船を見つけた喜び
④赦免状に俊寛の名前が無いと知った悲しみ
⑤別の赦免状に俊寛の名があった時の喜び
⑥俊寛の妻が都で殺されたと知った時の悲しみ
⑦千鳥は乗船させないとされた時の怒り
⑧妻の仇として瀬尾を討つ俊寛の怒り
⑨自らを身代わりに千鳥を船に乗せる俊寛の慈しみ
⑩3人と分かれ一人島に残される俊寛の嘆きと最後の笑い

前進座の舞台は、こうした喜怒哀楽にメリハリをつけ、ともすると陰気な舞台になりがちな「俊寛」を、泣いて笑って楽しませ感動させるという魅力的な演出を行っている。
例えば、成経が千鳥との馴れ初めを語るとき、千鳥が裸で汐汲みをしている姿を、身振り手振りでかなりキワドク表現しているシーンがあげられる。

その一つは、海女・千鳥を単なる可憐な娘として描くのではなく、自立した女性として描いていることだ。
成経と引き裂かれて島に置かれると知るや、「武士(もののふ)はものの哀れを知るというは偽り、虚言(そらごと)よ。鬼界ヶ島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや・・・」と嘆き、自殺しようとして俊寛に止められる場面である。
加えて、俊寛と瀬尾の立ち回りの最中、塩かき熊手をもって俊寛に加勢しようとする場面があるが、これは恐らく前進座独自の演出と思われる。
この舞台では、千鳥が影の主役となっていた感があった。

もう一つは、帰還してゆく3人を見送り一度は悲嘆にくれる俊寛が、ラストシーンでは彼らに未来を託して、正面を向き笑みを浮かべるという演出。この物語を単なる悲劇に終わらせず、そこに救いを持たせている。
更に俊寛が乗った岩をグルリと回すと同時に、客席に向けてせり出させることによって、俊寛の最後の表情が、客席から見てクローズアップされるという工夫を凝らしている。
喜びが大きければ、その反動の悲しみも深くなる。
嘆きが深ければ、それだけ未来への希望も大きくなる。
計算され尽くした演出といえよう。

久々に歌舞伎の舞台で、感動を味わった。

役者では、千鳥役の河原崎國太郎が実に良かった。
初々しさと芯の強さを併せ持つ難役だが、見事に務め上げていた。何より、匂い立つ色気が良い。怒りを爆発させる場面でも、決して可愛らしさを失わない。
最近の國太郎は、役者としての風格も出てきて、いよいよ座を背負う存在となりつつある。

瀬尾太郎兼康役の小佐川源次郎の、悪役ぶりが板に付いていた。
声に張りがあり、舞台をシメていた。

俊寛の中村梅之助、最後の岩場で別れを惜しみ嘆くシーンは、胸を打たれる。
ただ最近の梅之助は声の張りを欠き、大きな劇場では後方の席に声が届かないのではと、心配になる。健康状態が、どうなのだろうか。
それでも瀬尾との立ち回りシーンでは、迫力十分だった。

前進座のアンサンブルが光る舞台だった。
他に「人情一夕噺」を上演。

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2007/10/30

第34回NHK古典芸能鑑賞会

Danjuro年に1度のNHK古典芸能鑑賞会、34回の今年は10月28日NHKホールで行われた。
歌舞伎や狂言を中心に、日本の古典芸能の真髄を紹介する公演で、毎回各ジャンルの第一人者が出演して、磨き上げた芸を披露する。

第1部は「芸競四季粧(わざくらべしきのよそおい)」 と題して、日本の四季にまつわる演目が並んだ。
◇義太夫 「関寺小町(せきでらこまち)」
 浄瑠璃:竹本住大夫 
 三味線:野澤錦糸、鶴澤清志郎
 小鼓:堅田喜三久 笛:中川善雄
「関寺小町」、季節は秋、年老いて100歳となった小野小町が、月光の下で落魄をなげき、華やかなりし頃を想い出し、最後は現世を賛歌するという筋になっている。
義太夫は、歌舞伎や文楽ではお馴染だが、義太夫単独での公演は普段接する機会がなく、初体験であった。
冒頭に堅田喜三久の小鼓が、ポポンポンポンポンと響き渡る。なんという心地よい音色だろうか。
次いで、浄瑠璃・竹本住大夫が静かに語り出す。凛として、しかも柔らかい声だ。コクがあるのにキレがあるみたいなものか。
笛、三味線、どれも心に沁みる。

◇狂言(和泉流) 「蚊相撲(かずもう)」
 大名:野村萬、
 太郎冠者:野村扇丞、
 蚊の精:野村万蔵
和泉流の狂言、と言ってもあのインチキ臭い和泉某とは別格。
狂言「蚊相撲」は、大名と蚊が相撲をとる愉快な場面や、蚊の姿を模した滑稽な扮装や仕草など、まるでドリフのコントのように分かり易い笑いの世界。
人間国宝の野村萬の、軽妙洒脱な芸に感心するばかり。

◇舞踊 上「傾城(けいせい)」、下「半田稲荷(はんだいなり)」 
 立方:坂東三津五郎 ほか
2作品共に、坂東流に伝承されているもので、当代の家元、10代目坂東三津五郎が舞う。「傾城」の方は、初めての舞台とか。加えて三津五郎の二人の娘が、これまた初共演というオマケ付き。
「傾城」は三津五郎の踊りに硬さが感じられたが、「半田稲荷」になると俄然面目躍如。
こういうコミカルな踊りをさせたら、三津五郎は天下一品。
これは舞台とは関係ないが、大向こうの掛け声がうるさ過ぎ。多くは動員された人間が掛けていたようだが、時と場をわきまえない掛け声は無粋だし、却って舞台の興をそぐ。

第2部「歌舞伎」
◇「菅原伝授手習鑑」寺子屋
 松王丸:市川團十郎
 武部源蔵:中村梅玉
 松王丸女房千代:中村魁春
 源蔵女房戸浪:中村芝雀 ほか
「寺子屋」は言うまでもなく、歌舞伎の代表的作品。舞台を観たことが無い方でも、この演目の中のセリフ、「いずれを見ても山家育ち」「せまじきものは宮使い」などという言葉は、ご存知だろう。
主の若君を助けるために、我が子を犠牲にする松王丸の抑制された悲しみ。十数年ぶりにこの役を演じた(意外!)市川團十郎の演技に、ただただ惹き付けられた。千代役の中村魁春が、タップリ泣かせる。
心理描写と様式美が一体となった作品、名作に相応しい舞台となっていた。

本公演は、12月7日夜、NHK教育TVで放送の予定。

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2007/05/21

前進座5月国立劇場公演

Tatugoro前進座が毎年1回行う国立での公演ですが、ここ数年観劇するのを恒例としています。
プログラムが意欲的で、今年も歌舞伎十八番の『毛抜』と、前進座が得意とする演目で、31年ぶりに出演者全員が初役という『新門辰五郎』の組み合わせでした。
5月19日の夜の部を観に行きました。

今年から前進座友の会に入会し、通常発売日より1日早く予約が取れたもので、前から7列目の花道脇と、良い座席が確保できました。
年会費は払いますが、チケットの割引とプログラム半額サービスで、直ぐに元が取れる仕組みです。
花道の役者と目が合うと感じるほどで、やはり芝居は良い席で観たいですね。

『毛抜』 
―配役―
粂寺弾正      嵐 圭史
小野左衛門春道  山崎 辰三郎
小野春風      瀬川 菊之丞
八劒玄蕃      山崎 竜之介
数馬         中嶋 宏幸
秦民部       小佐川源次郎
秀太郎       嵐 広也
桜町中将清房   武井 茂
百姓万兵衛    藤川 矢之輔
実は石原瀬平
錦ノ前        山崎 杏佳
侍女 巻絹     河原崎 國太郎

『毛抜』の粂寺弾正は、歌舞伎界きっての異色のヒーローです。
脅し賺(すか)しにハッタリかまし、男女別なく美形と見れば言い寄る両刀使い。それでいて医学に通じ、イザとなると名探偵ポアロのような見事な推理を働かせて難問を解決し、一方で悪人の首を打ち落とす腕前も披露する。
正にスーパーヒーローです。

古典歌舞伎には珍しく喜劇的な要素が強く、それだけに粂寺弾正役はとても難しいと思われます。
豪快な面と洒落た面、両者を併せ持つ大らかな演技が要求されますが、嵐圭史が見事に演じきりました。
口跡が良く、風格もあり、特に花道の引っ込みの場面での、なんとも言えぬ愛嬌が良い。
脇も、小野春風役の瀬川菊之丞、錦ノ前役の山崎杏佳に品があり、好演。
難を言えば、敵役の藤川矢之輔が、力を入れてセリフを言う時に声が割れること。この点は後の『新門辰五郎』の芝居でも同様でしたので、注意して欲しいところ。

『新門辰五郎』
―配役―
新門辰五郎    中村 梅雀
花川戸の小竹   武井 茂
海苔屋の久次   山崎 辰三郎
金看板の源次   益城 宏
山谷掘の彦造   嵐 広也
秋葉屋お六    河原崎 國太郎
九紋竜の定五郎 山崎 竜之介
黒部六之進    志村 智雄
三春の猪之吉   小佐川 源次郎
会津の小鉄    藤川 矢之輔
八重菊       瀬川 菊之丞
絵馬屋の勇五郎 中村梅之助

『新門辰五郎』は真山青果の原作で戦前発表された作品ですが、戦時中に前進座により初演されています。
戦後になって何回か再演されましが、辰五郎が当たり役だった中村翫右衛門の死去以来、上演が途絶えていたものが、この度の復活の運びとなりました。

時は幕末、騒然とした空気の京都の街。
将軍上洛のお供人足として子分を引き連れ京都に入った新門辰五郎、ひょんな事から義理のある水戸藩の武士をかくまってしまいます。
一方京都守護職の会津藩主・松平容保の警備にあたる見廻り組の中間・小物の中には、権威をかさにきて乱暴狼藉を働く者たちがおりました。その組頭が会津の小鉄です。
いつしか権力闘争に巻き込まれていく彼らと、辰五郎と小鉄の対決と意地の張り合いが、この芝居の見所となっています。

江戸町火消しの組頭という辰五郎、颯爽と威勢の良い所を見せると同時に、小鉄らとの対決場面では腹のある演技が求められ難役です。
前進座が31年も上演してこなかったのは、辰五郎を演じる役者がいなかったためと思われます。
主演の中村梅雀ですが、初役にもかかわらず、見事にこの大役をこなしました。
先ず口跡が良い。凛としたセリフが舞台を締めます。腹の据わった演技で、改めて梅雀の成長を窺わせてくれました。

二つの組の立ち回り場面は迫力があり、火事場に向かう勢揃い場面は感動的でした。「木遣」も結構でした。
この辺りは、前進座のアンサンブルの優れたところです。
小鉄役の藤川矢之輔は押し出しが良く、貫禄を示しましたが、口跡が良くないのが難点。
八重菊役の瀬川菊之丞に気風(きっぷ)の良さがあり、秋葉屋お六役の河原崎國太郎は最近色気が出てきました。

絵馬屋の勇五郎役の中村梅之助は、出だしに少しセリフがもつれ衰えを感じさせましたが、途中から立ち直り、酸いも甘いも噛み分けた男の姿を見せたのは、さすがです。

ただ寄席前の喧嘩場で、三春の猪之吉役の小佐川源次郎が啖呵を切るシーンで、セリフを咬んだのは頂けない。せっかくの見せ場に水を差してしまう。
それと芝居とは直接関係ありませんが、プログラムの「あらすじ」の書き方が不親切過ぎる。この程度では、HPの解説と変らない。一考を要します。

全体としては、ここ数年の前進座国立劇場公演で、最も充実した舞台でした。

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2006/12/24

元禄忠臣蔵[第三部]@国立劇場

Koushiro今年10月から3ヶ月かけて上演された元禄忠臣蔵、今月で終演となります。
前に書いた通り元禄忠臣蔵の特徴として、松の廊下と吉良邸討ち入りの場面がありません。
それに加え、今月上演の第三部は討ち入りが終わってから、赤穂浪士たちの切腹の直前までという構成になっています。つまり通常の忠臣蔵が討ち入りで終わるのに対し、元禄忠臣蔵は全体の約3分の1が討ち入り後の物語に充てられているわけです。
では第三部を構成する4つの幕の見所を紹介します。

第一幕「吉良上野介屋敷裏門前」では、吉良の首級をあげた後の浪士たちの放心状態、大事を成し遂げた直後に襲われる虚脱感が描写されています。

第二幕「芝高輪泉岳寺浅野内匠頭墓所」では、墓前に討ち入りの報告を行った後に、心ならずも浪士の連判を抜けた高田郡兵衛が駆けつけてきます。
親友だった堀部安兵衛は高田に、「武士には3部の愚かさが必要」という言葉を投げて去って行きます。
あまりに目端が利きすぎる人より、どこか愚直な部分を持つ人の方が大事を成し遂げるということは、私たちサラリーマンの世界でも度々目にしてきました。

第三幕「仙石屋敷」では、大石らが大目付の仙石伯耆守に対し、討ち入りの詳細を説明します。
ここで仙石伯耆守は大石に、浅野を切腹は公儀の裁きであり、吉良を敵と狙うのは誤りではなかったのかと問います。これに対して大石は、天下の法に従って浪士となった者が、ただ亡き主君の一念をはらすために討ち入りを果たしたと主張します。

第四幕「大石最後の一日」では、浪士の一人である磯貝十郎左衛門と許婚のおみのとの悲劇をからませながら、切腹に向かう浪士たちの姿が描かれます。
最終シーンで大石は、万感の想いをこめて「初一念が届きました」と言い残し、花道を去ります。

この長大な戯曲を、作者の真山青果は、最後の幕である「大石最後の一日」から書き始めました。
今回の芝居を観て、この理由が分かりかけてきました。
作者が言いたいことは最終編に提示されており、そのメインテーマに沿って前半部分を書き進んだものと想定されます。
人間は聡明であることは必要です。しかしそこに3部の愚直さが備わらないと大望は成就できない。そして事に当たり最初に浮かんだ、損得抜きに最初に思い立ったこと、即ち「初一念」を貫くことが、人間にとり最も大事なことだと、作者は訴えているのでしょう。

芝居の出来栄えですが、残念ながら11月の第二部は見損なってしまい比較は出来ませんが、10月の第一部に比べると遥かに良く仕上がった舞台となっています。
先ず大石内蔵助役の松本幸四郎が断然良い。腹から絞り出すような声色が、観客の胸を打ちます。凛とした気品がありながら、役者としての華やかさがあります。
大石内蔵助役としては、幸四郎が現在最高の役者なのかも知れません。
今回は松本幸四郎の芝居だ言っても、過言では無いでしょう。

助演の仙石伯耆守役の坂東三津五郎が、さすが貫禄で舞台を締めていました。
この人は大河ドラマなどTV映像ではくすんで見えるのですが、舞台に立つと俄然引き立ちます。

堀内伝右衛門役の市川左團次、セリフを二度も咬んでいるようでは、心もとない。
この元禄忠臣蔵は、もとはといえば2世市川左團次のために書かれた芝居です。
左團次の名前が泣きます。

他におみの役の中村芝雀の可憐な美しさが、涙を誘っていました。

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2006/10/23

「元禄忠臣蔵」第一部

Kichiemon忠臣蔵ほど日本人に愛されている物語は他にないでしょう。歌舞伎や映画、落語、浪曲、講談からTVドラマ(NHK大河ドラマ、年末年始の長時間ドラマの定番)まで、あらゆるジャンルで採りあげられ、日本人の思想や精神にも多大な影響を与えてきました。
忠臣蔵というと通常は「仮名手本忠臣蔵」を指しますが、それに比べやや知名度は落ちるものの、他に「元禄忠臣蔵」という名作があります
作者である真山青果が昭和10年から16年にかけて書き上げたもので、戦前から度々舞台にかけられました。前進座が得意とし、歌舞伎界では2世市川左團次が当たり役でした。
執筆された時期は日中戦争の真っ只中、対米開戦の直前という時期ですから、物語の思想に当時の世相が反映されています。
何せ全10編と長大なもので、従来は部分上演が殆どでした。
今年国立劇場が開場40周年を記念し、10、11、12の3ヶ月に分けて全編を上演することになりましたが、これは初の試みだそうです。

「仮名手本」に比べ「元禄」は史実に近いストーリーになっており、唄や踊りが一切入らず、登場人物が長いセリフをしゃべるという、歌舞伎というより時代物の新劇と言ったほうが分かり易いでしょう。
この芝居の主人公の大石内蔵助は、主君の仇を討とうとすれば幕府に歯向かうことになる、二つの選択肢の間を揺れ動く人物として描かれています。
そして最終的に、「天下のご正道に反抗する気だ」として、主君の仇討ちをすることを決意します。
浅野家の断絶、城明け渡しという事態になっても、幕府中枢や天皇周辺の反応に気を配り、開城に向けて事務処理を粛々と進め、領民の生活の安定を第一にと考える官僚としての顔を覗かせます。

10月公演の第一部は、内匠頭の刃傷から赤穂城明け渡しまで。
忠臣蔵でありながら、幕が開くといきなり松の廊下の刃傷が終わったところから芝居が始まり、内匠頭の切腹の場面もありません。名場面がみんなカットされた忠臣蔵です。
周囲からは、「あっさりして物足らない」とか「歌舞伎らしくない」という、歌舞伎ファンからの戸惑いの声が聞こえてきました。
しかし第一部終幕で、赤穂城を明け渡し退出するに際し、それまで胸の内に秘めていた万感の思いを一挙に吐き出すがごとく、城に向かって泣き伏す内蔵助の姿に、共感を覚えた観客も多かったと思われます。

肝心の芝居の出来ですが、全般に云えることは、大作上演の割に役者の層が薄いということです。
というよりは、主役の中村吉右衛門の一人舞台といった方が分かり易い。吉右衛門が舞台に出ているときは締まり、いないときはダレる。声良し姿よし器量良しです。
圧倒的な存在感といってしまえばそれまでだが、他の出演者との格が違い過ぎます。
中村吉右衛門は、今や大石内蔵助役の第一人者と言って良いでしょう。
「元禄」の舞台の主役は、11月は坂田藤十郎、12月は松本幸四郎に替わりますが、さて出来映えはどうなるでしょうか。

他では、多門伝八郎役の中村歌昇が良い。内匠頭への幕府の裁定に激しく抗議する姿は、気迫に満ちていました。
内匠頭役の中村梅玉は淡白過ぎる。切腹を控えた場面で、無念さが伝わってこない。
井関徳兵衛役の中村富十郎は決して悪い出来ではないが、明らかなミスキャスト。死を覚悟してきた無骨な浪人というイメージに似合わない。
私は昔この幕を2世尾上松緑の大石、坂東彦三郎(後の17世市村羽左衛門)の井関で見ましたが、そちらの舞台はもっと緊張感が漂っていました。
倅の井関紋左衛門役の中村隼人は失格。泣き声になると声が割れ、客席から失笑を買っていました。配役を交代すべきです。

全体に脇役の層が薄いため、印象の浅い舞台となってしまったのが惜しまれます。
他の劇場との兼ね合いもあるのでしょうが、歴史に残る記念公演として、歌舞伎界がもう少しバックアップすべきでしょう。
(22日に鑑賞)

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2006/05/23

前進座五月公演@国立劇場

Umenosuke
ここの所歌舞伎に少々ご無沙汰で、久々の観劇となりました。5月の国立劇場は、前進座75周年記念公演です。5月21日の昼の部です。
前進座は、昭和の初期に行われた歌舞伎の革新運動の中で誕生しました。下級俳優(家柄が下級であり、演技力とは別問題)中心に結成された経緯からか、世話物が得意で、座員に女優がいるという特色もあります。
1980年頃までは、座員が集団生活していたこと、時には鞭が飛んだという厳しい稽古が、この劇団に独特のアンサンブルを生んでいました。

今回の公演は、通し狂言「謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)」と「魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」の2本で、作者が前者は鶴屋南北、後者は河竹黙阿弥です。
「謎・・・」は、「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」を南北が改作したものです。登場人物や場所はそっくり借りて、ストーリーは全く書き替えたものです。
南北の作品としては余り上演されてこなかったもので、前進座も戦後初めての再演となりました。
登場人物の多くが、いかにも南北らしく極悪非道な人間として描かれていて、特に主役の大島団七は、後の南北作品である「東海道四谷怪談」の中の、民谷伊右衛門を彷彿とさせます。

団七は嵐圭史が演じましたが、序幕の第一場では集中力を欠いた演技で心配しましたが、以後は立ち直り、二枚目の極悪人という難役を演じ切りました。
特に二幕目で、大雨の田圃の中で女房お梶を惨殺する場面は、凄みと迫力がありました。
もう一人の主役吾妻屋徳兵衛は、中村梅雀が演じましたが、ここの所すっかり貫禄を増してきて、大詰で団七と対決するシーンでは一歩も引かず、腹の据わった演技が舞台を締めました。
立女形のお梶とお辰は、河原崎国太郎が二役を演じました。姉妹でありながら、お梶は幸せ薄い人生を送り、姉のお辰は鉄火な芸者という好対照の性格ですが、国太郎はきちんと演じ分けていました。
特にお梶が殺害されるシーンは、美しくも凄惨で、魅せてくれました。
国太郎は、見る度に進歩をしています。
「謎・・・」は、実に良く出来た芝居で、余り上演されないのが不思議なくらいです。

「魚屋宗五郎」は、お目当ての中村梅之助の一人舞台です。
本来はもっと長い芝居ですが、今回はその中のクライマックスシーンである魚屋内の場面が上演されました。
旗本の家に妾奉公に出ていた宗五郎の妹おつたが、無実の罪で惨殺されたのを知った宗五郎が、酒を飲むうちに次第に怒りが爆発し、旗本の家に向かうというストーリーです。
当初は妹の不義密通が原因と聞かされ、懸命に自分を納得をさせていた宗五郎が、腰元から真相を聞かされ、怒りがこみ上げてきます。
梅之助の演出は、事実が分った段階で、妹の仇を討とうと腹に決めて、その後に禁酒の誓いを破って酒を飲むという解釈のようです。
決意を固めた瞬間の目の鋭さに、思わずこちらがぞっとしました。
やはり役者は“目”です。
それと梅之助が、次第に酒に酔ってゆく演技も、この芝居の見所です。

脇役の演技もそれぞれ手堅く、特に「謎・・・」の女郎お磯と、「魚屋・・・」の腰元おなぎを演じた女形、山崎杏佳の不思議な色気が眼につきました。

久々の歌舞伎観賞は、十分満足のいくものでした。
ただ残念なのは、観客の高齢化です。前進座としては、今回のような埋もれた名作に光を当てながら、いわゆる“女子供”にも満足して貰う構成を考えることが、興行的には求められるでしょう。
大変な難題ではありますが。

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2005/07/23

文句なしの五つ星「プロデューサーズ」

producers
ミュージカル好きなどというと、柄にもないといわれそうですが、人間、顔で判断しちゃあいけません。ここ10年くらい、ブロードウエイミュージカルの日本公演が、度々行われています。しかし、観に行ってガッカリして帰ることも多かったのです。ブロードウエイといっても、出演者が米大リーグでいえばマイナーリーグ級なこともあり、看板倒れの公演もありました。
今回の「プロデューサーズ」日本公演では、主役級の二人がブロードウエイでも同じ役を演じていて、先ずは第一線クラスの顔ぶれといって良いでしょう。

ミュージカルは、かつてはミュージカルコメディと呼ばれていましたが、「ウエストサイド・ストーリー」あたりから、ミュージカルという言葉が一般的になったようです。呼称の変化は、ミュージカル作品の内容にも影響します。それまでの喜劇の要素が薄れ、「屋根の上のバイオリン弾き」や「レミゼラブル」のような、物語性が強いものに変わっていきます。
この「プロデューサーズ」は、ミュージカルの原点に返ったような、“笑い”の要素が濃いもので、今の観客には新鮮に映るのかもしれません。

2001年トニー賞史上最多の12部門を受賞した作品は、落ち目のプロデューサーが、金儲けを企んで史上最低のミュージカル「ヒットラーの春」を上演するが、これが予想に反して大当たりになるという、ややブロードウエイの楽屋落ちのコメディーになっています。
一昔前の、MGMのミュージカルを見ているような、懐かしさを覚えます。

全編にシモネタ満載で、私のような純情な人間は、ついつい顔を赤らめながら笑いを誘われます。それでいて、決して野卑にならないのは、演出家スーザン・ストローマンの腕でしょう。そして何より感心させられるのは、場面の転換の手際良さで、この芝居のテンポの良さを、活かし切っていました。
歌も踊りも上等、出演者も適役が配置され、ブロードウエイの層の厚みを感じます。

中でも特筆すべきは、ウーラ役のアイダ・リー・カーチスの好演です。金髪、美人、長身、色白、美脚、巨乳、コケティッシュでキュート。そして何より、セクシー。男(私だけかな?)の夢が、全て詰まったような存在感です。
オーディションに来た彼女を見た、二人の男性プロデューサーの下半身が、思わずstanding ovation(総立ち)したのも頷けます。実際の年令は40台半ばとお見受けしましたが、この女優さんのなんという色香。 この芝居、日本人での公演もあるようですが、彼女の役をやれる女優がいないでしょうから、あまり期待できませんね。
美女の話になると、ついつい力が入ってしまう、ワタシです。

オケの音が安っぽい、タップシーンでやや不揃いがあったなど、細かな瑕疵はありましが、過去のブロードウエイ来日公演では、最高の舞台であったと言って良いでしょう。
7月22日、東京厚生年金会館にて観賞。

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