演劇

2017/05/11

「マリアの首」初日(2017/5/10)

かさなる視点―日本戯曲の力― Vol. 3「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」
日時:2017年5月10日(水)18時30分
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:田中千禾夫
演出:小川絵梨子
<   キャスト   >
鈴木杏:鹿
伊勢佳世:忍
峯村リエ:静
山野史人:坂本医師/第二の男
谷川昭一朗:次五郎/第四の男
斉藤直樹;桃園/第三の男
亀田佳明:矢張/第五の男
チョウヨンホ:巡査/第一の男
西岡未央:第一の女
岡崎さつき:第二の女

長崎市には一度しか訪れたことがない。それも15年以上前の出張で。
少し時間の余裕ができたので浦上天主堂に立ち寄った。爆心地の象徴ともいうべき場所をどうしても見たかったのだ。
浦上は市の中心部からは少し離れた場所にあり、路面電車と徒歩で向かった。被爆マリア像もその時に見ることができた。
原爆のの惨禍を残すため、被爆の天主堂を保存する運動が起き、当時の市議会もその方向で動いていた。しかし、カトリック司教の意向と、当時の市長がアメリカを刺激したくないという忖度から、遺構は撤去され元の場所に天主堂が再建されることになった。
1953年のことだ。
この芝居は特に時代を特定してはいないが、背景を考えると1953年の出来事と考えるべきだろう。

あらすじは。
時代は、被爆した浦上天主堂を保存するか否かで市議会が議論していた終戦後の長崎。
主人公は3人の女性で、鹿は昼は看護婦、夜はケロイドを隠し娼婦として客を取る。
忍は白血病の夫が書いた詩集と薬を売りながら客引きをして生計を立てている。
静は鹿が働く病院で看護婦として献身的に仕事をしている。
三人は、天主堂保存について一向に埒があかない市議会の状態に失望し、天主堂の中のマリア像の残骸を密かに集めて、自分たちの手でマリア像を保存しようと計画する。
三人の女性を軸にして、原爆で子供たちを失い忍に心を寄せる初老の男や、かつてその忍を強姦したヤクザの親分や、鹿を恋したう入院中の学生や、忍の夫と原水爆禁止運動家との論争など、様々なエピソードが重ねられる。
そして雪が降りだしたある晩、三人の女性と協力者たちが天主堂に集まり、マリアの首を運び出そうとするが・・・。

作者は、三人の女性は一人の女性の分身として描いているようだ。その女性像がマリアを象徴しているのだろう。
劇中の会話は、時に哲学的であり、宗教的であり、正直分かりづらい箇所も少なくない。
劇の構造としては現実と幻想が入り混じった形式になっていて、戸惑うこともある。
特筆すべきは言葉の美しさだ。セリフに詩が溢れている。

神への祈り、自由と平和への希求、そして何より愛。
出演者の熱演もあって、3時間の舞台は間然とする所がない。
公演は28日まで。

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2017/03/15

「私はだれでしょう」(2017/3/14)

こまつ座第116回公演「私はだれでしょう」
日時:2017年3月14日(火)18時30分
会場:紀伊国屋サザンシアター
脚本:井上ひさし
演出:栗山民也
<   キャスト  >
朝海ひかる:川北京子(33)
枝元萌:山本三枝子(35)
大鷹明良:佐久間岩男(42)
尾上寛之:高梨勝介(25)
平埜生成:山田太郎?(?)
八幡みゆき:脇村圭子(21)
吉田栄作:フランク馬場(32)
朴勝哲:(ピアノ奏者)

【あらすじ】
舞台は敗戦後の昭和21年7月、新番組「尋ね人」を担当する日本放送協会(NHK)の一室。戦時中のラジオは専ら大本営発表のツールだったが、戦後は国民の声が届く放送内容に変わり、誰もがラジオに耳を傾けていた。
「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」、そして川北京子が発案し自らが責任者となって「尋ね人」が始まり、一躍人気番組となる。
番組には戦争で離ればなれになった肉親、知人の消息を尋ねる人々の"声"が積み上げられ、「尋ね人」はこの無数の"声"をラジオを通して全国に送り届けた。
しかし、当時日本は占領下にあり、CIE(民間情報教育局)の監督下にあった。そのため原稿は事前の検閲があり、放送コード(禁止用語)にかからぬよう言葉の言い換えも求められていた。
そこにCIEの新しいラジオ担当官として日系二世のフランク馬場が赴任してくる。フランクは米国と日本の二重国籍を持っており、川北らの脚本班分室の仕事に理解を示し協力的だった。
ある日、「ラジオで私をさがしてほしい」という不思議な男・自称「山田太郎」が部屋に現れる。何故か英語もしゃべれるし、武術も得意。歌も歌えればタップも出来る。とにかく記憶力と身体能力が抜群なのだ。
彼をヒントにして、記憶を失った人を対象に番組内で「私はだれでしょう」というコーナーが設けられる。
川北らは労組の役員をしている男から、広島の地元紙に掲載された原爆の写真と記事の切り抜きを見せられ、あまりの惨状に息を呑む。
そして「尋ね人」の番組内では広島と長崎からの投書を決して扱ってこなかった事を思い出す。占領軍が原爆投下の事実や被害が公表されるのを嫌ったからだった。もし、そうした放送を強行すれば占領軍の利益に反する行為として刑事罰の対象になる。
川北は、原爆投下の事実を放送を通じて国民に知って貰うため、フランクの協力を得て広島と長崎からの投書を放送することを決断する。
一方、山田太郎は偽名で、実は中野学校出身の残地諜報者だったことが判明する。父親は陸軍将校で、今では実業家として成功しているが、2年の内に日本でも再び軍隊を持つという計画が進んでいることも分かってくる。
川北の決断の行方は、果して・・・・・。

食料難や労働運動の勃興と、占領軍の政策転換など、戦後の世相を織り込みながら舞台は進行してゆく。
「私はだれでしょう」は、国自身がアイデンティティを失っていた反映でもあった。
登場人物一人一人が「私はだれでしょう」を考え、そして大事なのは「私はだれであるべきか」という結論に辿りつく。

舞台は歌と踊りの音楽劇の形式をとり、終戦後の苦しいながらもどこか明るさがあった時代を表現していた。
劇中に出てくる「言葉の言い換え」は、ズバリ安倍政権下の国会論議を思い起こされる。
放送はどうあるべきか、どう真実を伝えるべきかというテーマも極めて今日的だ。
そういう点で、こまつ座の舞台としては空席が目立ったのは残念だった。

出演者では脚本班分室員の山本三枝子を演じた枝元萌の演技が光る。
他に、山田太郎を演じた平埜生成の身体能力の高さに感心した。

公演は26日まで。

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2017/03/08

「僕の東京日記」(2017/3/7)

劇団東演第149回公演『僕の東京日記』
日時:2017年3月7日(火)13時30分
会場:本多劇場
作/永井愛
演出/黒岩亮
<   キャスト   >
原田満男(大学生)/木野雄大
原田淑子(満男の母)/岸並万里子
小淵敏子(春風荘管理人)/腰越夏水
相良静雄(クリーニング屋店員)/能登剛
青木光江(新劇女優)/古田美奈子
ピータン(共同体ピースゲリラのメンバー)/奥山浩
ゲソ(共同体ピースゲリラのメンバー)/大川綾香
ユッケ(共同体ピースゲリラのメンバー)/三枝玲奈(青年座)
ポッキー(共同体ピースゲリラのメンバー)/中花子
井出哲朗(反戦おでん屋)/清川翔三
上村のり子(井出の恋人)/絈野二紗子
新見良弘(公認会計士を目指す男)/星野真広
土橋郁代(スーパーマーケット定員)/世奈(青年座)
福島睦美(井出の仲間)/東さわ子
須藤則夫(井出の仲間)/原野寛之 
鶴岡昭(満男の友人)/小泉隆弘
菊地陽子(満男の友人)/三森伸子

【ストーリー】
1971年の東京は高円寺にある2階建て木造アパートで、賄いつき。
大学生の原田満男は阿佐ヶ谷に実家があるのに、自立したい一心でこの四畳半一間のアパートに下宿し始めた。
満男は学生運動に参加したものの中途半端で投げ出して、自分を見つめ直す中で父母の保護下にいる「お坊ちゃん」生活を脱したかったのだ。新聞配達や皿洗いのアルバイトで自活することを決心する。
一方、満男の母は心配でたまらず、下宿先に来てアパートの住人たちに挨拶をして回る。怒った満男は母親を追い返す。
アパートの住人には猫好きのスーパーの店員や、公認会計士を目指し試験勉強中のサラリーマン。この二人はしょっちゅうもめ事を繰り返す。その女店員に密かに思いを寄せるやくざ風のクリーニング屋店員は、サラリーマンの男と衝突する。この争いに満男も巻き込まれる。
ラブ&ピースのコミューンを目指すヒッピーたちもいて、いずれ宮古島で共同生活を送ることを計画しており、満男にも参加を促す。
もう一組、新左翼の活動家の男女がアパートの近くで「反戦おでん屋」の屋台を出している。井出哲朗と、その同棲相手の上村のり子だ。二人はセクトの活動方針に疑問を感じていて、そうした食い違いからのり子は満男と親しくなってゆく。
そこへセクトの仲間が訪ねてきて、爆弾を所定の場所に届けるよう指示を受ける。任務を遂げればセクトを抜けるのを認めるというのだ。
哲朗は任務の重さや活動への疑問などから急性の胃腸炎を起こす。代りにのり子が持って行くというのを満男が止め、彼自身が届ける羽目になるが、ここは母親が機転を利かし難を逃れる。
自立をを目標にしてきた満男だが、重要な場面では母親の助けを借りねばならなかった。
結局、満男はアパートを引き払い実家に戻る。

芝居の終盤が暗示する登場人物たちの将来だが、満男は会社員になりやがて管理職になってゆく。新左翼の二人はセクトを抜け、政治活動から身を引く。ヒッピーのリーダー格だった男は本職の公務員に戻り、サラリーマンだった男は企業の公認会計士に、女優を目指していた女性はスナックのママに、それぞれが成っていくのだろう。
バリケードとゲバ棒の時代は終わり、セクトもノンポリもヒッピーも各人社会の一員となってゆく。
そんな時代を懐かしく思い出せる舞台は、多数のドアが交互にバタンバタンと開いては閉じ、登場人物たちが入れ替わりながら進行してゆく手法(名称を忘れてしまった)を使ったスラップスティック風な作劇だ。
見ていて面白い。
だが、作者はこの脚本を通して観客に何を訴えたかったのか、最後まで分からなかった。
人物の描き方はさすがだと思ったが、永井愛の作品としては不満の残るものだった。

出演者では下宿の管理人を演じた腰越夏水の演技が光る。
他に猫好きの女性を演じた世奈の怪演が印象に残った。

公演は12日まで。

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2017/03/02

「見よ、飛行機の高く飛べるを」(2017/3/1)

劇団青年座 第225回公演「見よ、飛行機の高く飛べるを」
日時:2017年3月1日(水)13時30分
会場:練馬文化センター・小ホール
作 =永井愛
演出 =黒岩亮
< キャスト >
光島延ぶ=安藤瞳
杉坂初江=小暮智美
大槻マツ=尾身美詞
山森ちか=黒崎照
小暮婦美=勝島乙江
梅津仰子=橘あんり
石塚セキ=坂寄奈津伎
北川操=田上唯
新庄洋一郎=石母田史朗
安達貞子=遠藤好
菅沼くら=藤夏子
中村英助=井上智之
青田作治=山﨑秀樹
難波泰造=平尾仁
板谷わと=片岡富枝
板谷順吉=久留飛雄己

この芝居のタイトルだが、恐らくは石川啄木の詩「飛行機」の冒頭にある

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

から採ったものと思われる。
啄木の死の前年の明治44年の作品だ。
劇中に出てくるいくつかのキーワードと年代は次の通り。
大逆事件:明治44年死刑執行
青鞜:明治44年発行開始
人形の家:明治44年上演
全てに明治44年が共通している。
そしてこの時代は良妻賢母が女性の道であり、女性には選挙権はなかったばかりでなく、治安警察法では女性の政治活動を禁じていた。
因みに「教育勅語」の発表は明治23年だ。
右翼の連中が教育勅語を有り難がったり、戦前あるいは明治の日本を賛美しているが、少なくとも女性からすれば暗黒の時代だったといえる。

【あらすじ】
そんな時代の岡崎にある岡崎にある女子師範学校には、各地から教師を目指す少女たちが集まっていた。
舞台は学校の寄宿舎で、中央に一階と二階を結ぶ階段があり、右手には学校に通じる廊下、そして左手には談話室がある。芝居は主に談話室の中で進行する。
学校の先生になろうという女性たちだから、当時としては進歩的な考えを持っていただろうし、経済的にも比較的裕福な家庭の女子だったといえる。
この中に国宝と学内で呼ばれるほどの優秀な生徒・光島延ぶがいる。家柄が良いし、美人だし性格は明るいし、しかもお茶目で人を笑わせることが好き。
うん、長い人生の中で一人だけ思い当たる女性がいますね。いま、どうしているかな~って、そんな事はどうでもいいけど。
もう一人、変わった子がいる。新聞を読み、「青鞜」に心を躍らせ、飛行機が飛び立つのを見て新しい時代の息吹を感じるような女子・杉坂初江だ。
二人が知り合い親しくなっていく内に、延ぶは初江の影響をうけ、次第に目覚めてゆく。
「青鞜」を読んだり、進歩的な教師から自然主義派(当時はこれらの作家にも警察の尾行がついていた)の小説を借りて読んだりしていく中で、自分たちの雑誌を作ろうと決意する。
賛同する仲間も次第に増え、自分たちの雑誌「Bird Women」発行に向けて着々と準備が進んでいた。
そんななか、仲間の一人が校内で男性と会った所を見つかり、退学させられる事件が起きる。仲間たちは怒り悲しむ。
延ぶと初江を中心に、抗議のためにストライキを決行しようと計悪を練り、学内の生徒の過半数を超える賛同者が集まる。
しかしストライキ決行を目前に、校長を始めとする学校側の切り崩しにあって、仲間から次々と脱落者が出てくる。
学校側の脅しは、もしストライキに参加したら退学になり、教師も道も閉ざされる。当局はストライキは「主義者」(共産主義者のこと)の仕業とみなしており、警察に捕まるかも知れないというものだった。そうなれば家から勘当されて行き場もなくなってしまう。
彼女たちに同調していた教師も校長の圧力に屈し、この件は国の方針なのだからどうにもならない。あなた方は、そんな少数で国家と闘うつもりかと説得側に回るのだ。
最後は延ぶと初江二人だけになり、ストライキの続行と雑誌の発行を誓い合うが、教師の一人が延ぶにプロポーズすると彼女の決意が揺らぎ、初江を残し去ってゆく。
空を行く飛行機を見上げながら、初江は自分の道を進む決意を固める。

明治の末、女性が人間として自立することに目覚めてゆく女生徒たちの青春グラフィティである。
自分の信念を曲げない初江は、この後きっと婦人解放運動のリーダーになってゆくことだろう。
脱落した生徒たちも、この場では圧力に負けてしまったが、一度身に付いた新しい息吹は決して消えることはないだろうし、この先の人生の中であの時の経験が生きるチャンスがある筈だ。
作者のそうしたメッセージが伝わるから、舞台が明るく感じるのだろう。

永井愛の脚本は相変わらず巧みだ。
例えば、女生徒たちが田山花袋の「布団」を読み合わせしながら、主人公の男が美男かどうか論争する場面では、彼女たちの「性」への好奇心が感じられる。
尊大な校長、それにへつらう教師、生徒たちに同情的だが最後は屈してしまう教師、妻を亡くし密かに生徒に思いを募らせる教師、それぞれにリアリティがある。
森友学園のアナクロな教育が問題になっている今日、改めてこの芝居の価値が高まっていると思う。

一つ、芝居の進行が舞台の下手が中心なので、席が右側だとセリフが聴き取りにくい。特に訛りのある生徒のセリフは何を言ってるのか分からなかった。
この点は工夫が必要だろう。

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2017/01/27

「ザ・空気」(2017/1/26)

二兎社公演41「ザ・空気」
日時:2017年1月26日(木曜日)14時 上演時間1時間45分
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
作・演出 永井愛
<  キャスト  >
田中哲司:今森俊一/編集長
若村麻由美:来宮楠子/キャスター
木場勝己:大雲要人/アンカー
江口のりこ:丹下百代/ディレクター
大窪人衛:花田路也/編集マン

劇評でこの芝居をホラーだと評していたのを見たが、言い得て妙だ。むしろホラー劇であって欲しいと思うのだが、これが現実に近いから始末に悪いのだ。

舞台はTV局のビル内の部屋、高層ビルらしく登場人物はエレベーターを使って部屋から部屋に移動する。
おりから、総務大臣による「放送内容が政治的公平性を欠く場合は、法に基づき電波停止を命じる」という発言を受け、ドイツにおける国家権力とメディアとの関係を取材した内容と対比させて、報道の自由についての特集番組を放送すべく準備が進んんでいる。
放送当日の昼頃とあって、全ての編集を終えて準備万端。
そこへ、編集内容について一部変更して欲しいという要望がくる。その一部だが、変更すると番組の趣旨が変えられてしまうため、編集長とキャスターは抵抗する。
しかし、番組を頭から偏向と決めつけ議会で問題にするぞという右翼団体からの脅し、子どもに扮した抗議電話、はてはキャスターとその家族の個人的な写真までが番組関係者のスマホに送られてくると、関係者に動揺が広がる。
政権やTV局の上層部の顔色をうかがいながら「空気」を読んで立ち回る人たちと、あくまで報道の自由を守るという立場の人たちとの論争、駆け引きが続き・・・。

日本のメディアが、なぜ政府寄りかという理由について、まとめてみる。
・TVやラジオの生殺与奪の権を握っているのが内閣の一員である総務大臣であること。資料を見る限りでは先進国で政府自身が電波の停止を命じる権限を持つのは、どうやら日本だけのようだ。ただ従来は、こうした伝家の宝刀をちらつかせるような事は歴代の内閣では避けていたが、安倍政権になって様相が変わってきた。
・放送の編集権が経営者にあると定められていること。劇中で、戦後新聞社の労働争議が多発した際にGHQが恐れをなしてこのような宣言をさせたのが、今も続いている。
・日本が近代化する過程で、政府とメディアが一体となって国民を善導していったという歴史的経緯があり、その伝統は今でも続いている。
・日本の記者クラブに代表されるように、報道がアクセスジャーナリズム、つまり権力に接近してネタを取ってくるというスタイルが主流である。
・メディアの経営者が首相とゴルフをしたり飲食をしたりするのが定例となっている。それは新聞の編集者やTVのアンカー、コメンテーターにまで及んでいる。
・右翼団体による抗議行動が活発になり、時には関係者の家族にまで危害を及ぼしかねない脅迫が行われ、報道の萎縮の一因となっている。

加えて、メディアに連帯感がない。
朝日新聞が慰安婦問題で記事の訂正を謝罪を行った際に、安倍首相が国会で名指しで朝日を批判した。
いま、米国のトランプ大統領が特定のメディアに嘘つきなどと攻撃しているのが話題になっているが、安倍首相の方が遥かに先輩である。
この時、朝日叩きに走った新聞社がいくつかあった。例えば読売は朝日批判の特別紙をもって拡販に回ったし、産経が我が家に勧誘に来たのは30数年住んでいて初めてのことだった。
こうした事は、他の先進国では有り得ないようだ。

以上の様な状況の中で、メディアは「空気」を読んで自主規制してしまうのだ。
そしてメディアが「空気」に支配され続ければ、やがて日本はこの芝居のラストシーンの様な状況になって行くと、この作品は警鐘を鳴らしている。
是非、多くの人に観てもらうことを願っている。

出演者では木場勝己の演技が光る。この人は何をやらしても実に上手い。

公演は東京が2月12日まで、その後3月20日まで各地で。

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2017/01/13

初めての新派「華岡青洲の妻」(2017/1/12)

初春新派公演「華岡青洲の妻」四幕
日時:2017年1月12日(木)15時15分
会場:三越劇場
有吉佐和子・作
齋藤雅文・演出
<  主なキャスト  >
於継:水谷八重子
華岡青洲:喜多村緑郎
加恵:河合雪之丞
小陸:波乃久里子
於勝:甲斐京子
ほか

雑食系なもので、様々な演劇分野を観てきたが、新派と宝塚だけは今まで縁がなかった。両方ともTVの舞台中継は何度か見ていてヅカにはおよそ魅力は感じないが、新派は一度観てみたいと前から思っていた。
本当は花柳章太郎らの名優が揃っていた時期が一番良かったのだろうが、見逃してしまった。
現在の新派は水谷八重子と波乃久里子の二人を柱にしているようだが、この日もさして大きな会場でないにも拘わらず空席が目立ち、人気の低迷が窺われる。
客層も年配のご婦人が多い。
昨年は、歌舞伎の先代猿之助の弟子から市川月乃助を移籍、数十年ぶりに2代目喜多村緑郎の名跡を復活させた。
今月からは同じく市川春猿を移籍、河合雪之丞を襲名させた。河合は新派創設時の名優「河合武雄」から採り、雪之丞は猿翁から許しを得たというもので、いかに力を入れているかが分かる。
こうしたテコ入れが奏功し、若い観客をどれだけ惹きつけられるかが大きな課題だろう。
  
華岡青洲は、江戸時代の外科医。記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた。
麻酔薬の開発を始める。研究を重ねた結果、曼陀羅華の実(チョウセンアサガオ)、草烏頭(トリカブト)を主成分とした6種類の薬草に麻酔効果があることを発見。動物実験を重ねて、麻酔薬の完成までこぎつけたが、人体実験を目前にして行き詰まる。
実母の於継と妻の加恵が実験台になることを申し出て、数回にわたる人体実験の末、於継の死と加恵の失明という大きな犠牲の上に、全身麻酔薬「通仙散」を完成させる。
その後、近隣の女性に全身麻酔を使った乳癌の摘出手術を成功させる。
彼の名を一躍世間に知らしめたのは有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』がベストセラーになったからで、この芝居はその小説を戯曲化したもの。

あらすじは、新派のHPより下記に引用。
江戸時代後期、紀州にある華岡家。
代々、貧乏ながらに志を持って医業に勤しむ家柄で、当主の青洲も三年前より京都で修行の身。
留守を預かるのは、青洲の母・於継に、妹・於勝と小陸、そして近郷の名家・妹背家から嫁いできた加恵で、遊学中の青洲に仕送りをするため、女たちは毎日機(はた)を織ることに余念がない。
加恵の慣れない様子にも優しく言葉をかける於継―二人の仲は人も羨むほどの睦まじさだ。
そんなある日、青洲が突然京都から帰ってくると、様子が一変する。まるで加恵の存在などなかったかのように、青洲の身の周りの世話をする華岡家の女たち。
実の母娘以上の結びつきすら感じていた加恵は戸惑い、於継に焦がれていた想いは変化して―姑と嫁、二人の間に目には見えない争いが起きていた。
最新の医学を学んで帰ってきた青洲は、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)を主薬とする麻酔薬の研究と乳癌手術の可能性に執念を燃やしている。
麻酔薬完成のためには人体による実験を残すのみとなったとき、於継と加恵は競って自らの身を捧げると言い出した――。

青洲の妻・加恵は、当初は青洲の母・於継に憧れて嫁入りし、夫が不在のうちは二人とも仲良くやっていた。処が、夫が帰宅した途端に状況は一変し、嫁姑は険悪になる。二人の女が一人の男を取り合うという、今も続く永遠のテーマだ。
二人の意地の張り合いは、やがて麻酔薬の人体実験をどちらが先に受けるかを争うまで先鋭化する。
二人の間柄は、最終的には嫁が姑を心から許すという結末になるのだが、それは姑の死を経てからだ。つまり、そこまで行かないと決着しない。
劇中で、青洲が医師でありながら二人の妹の命を救えなかったり、麻酔薬の実権で母を死なせ妻を失明させてしまった苦悩が描かれる。
だが、嫁姑の対立に青洲がどこまで真剣に悩み、解決しようとしていたのかは描き切れていない。

八重子と雪之丞が演じる嫁姑の火花を散らすごとき嫉妬のせめぎあいが見所。八重子が息子の前に出ると可愛らしい女に変貌する姿はさすがだが、声のかすれは聞いていてかなりキツイ。
雪之丞は新婚当初の初々しい嫁の姿から、年月を経るうちに次第に変わってゆく姿を演じて好演。貴重な存在となるだろう。
青洲を演じた祿郎は、やや一本調子のセリフが気になった。もう少し演技に陰影が欲しいと思ったが、或いはそういう役柄なのか。
青洲の妹を演じた久里子、京子はいずれも熱演で、他の脇役陣も堅実な演技を見せていた。

公演は23日まで。

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2017/01/08

「豚小屋」(2017/1/7)

地人会新社『豚小屋~ある私的な寓話~』
日時:2017年1月7日(土)19時
会場;新国立劇場 小劇場

作:アソル・フガード
翻訳・演出:栗山民也
<  キャスト  >
北村有起哉:パーヴェル・イワーノヴィッチ  
田畑智子:プラスコーヴィア

地人会新社の旗揚げ公演と同じ南アフリカ共和国の劇作家、アソル・フガードの作品『豚小屋~ある私的な寓話~』 。
本作品は、第二次世界大戦中に旧ソ連軍から脱走し、41年間豚小屋で生きていた実在の人物に刺激を受けた著者が書いた戯曲だ。
物語は。
舞台は、ある私的な寓話~と副題があるように、それは「想像上のどこかの小さな村にある豚小屋」。と言っても、登場人物の名前やセリフから旧ソ連のどこかと思われる。
主人公パーヴェル・イワーノヴィッチ(北村有起哉)は軍から脱走して10年。湿っぽくうすら寒い家畜小屋で、豚と隣り合わせに暮らしている。兵士の脱走は軍法でも最高刑で、見つかれば銃殺は免れない。
最初は彼を匿い、今では妻となって世話をしているプラスコーヴィア(田畑智子)。
「戦勝記念の日」に、その場に出て自分の存在を明らかにしようとするパーヴェル。しかし着ていくつもりだった軍服はぼろぼろだった。どちらにしても二人が「この場所」を出る事は危険であり、この先の運命がかかっているのだ。
それから長い長い月日が過ぎ去ってゆく。
外の空気が吸いたいと言い出したパーヴェルは女装し、二人は夜中の町に出る。風・大地の匂い・満天の星・コオロギさえも二人にとっては感動なのだ。そしてもっと先までと言うパーヴェルを妻は必死に止める。
再び豚小屋に戻ったパーヴェルだが、「人民委員会」からの声が届き、豚小屋を開き豚を解放するよう命じられ、その通りに実行する。
その姿を見て、自分も外へ出て行き軍に自首する決意をするパーヴェルに、妻のプラスコーヴィアは仕舞ってあった彼の服を持ち出し「結婚式の時に着たあんたのスーツ、いつかきっと必要な時が来るかもって気がして」と告げる。
二人は寄り添いあって、夜明けの街に中に消えて行く。

これといった大きな出来事もなく、舞台は淡々と進んでゆく。
後半に入ってパーヴェルが外の空気を吸い感想するあたりから舞台は大きく動き出す。豚小屋は社会からの隔離、あるいは拘束状態を示しているのだろう。
それは南アのアパルトヘイトや、旧ソ連の政治犯を寓意してかのようだ。人間の尊厳と自由への希望が、本作品のテーマと言える。
そうした厳しい状況の中での夫婦の深い絆、この作品のもう一つのテーマだ。
見終わってジワリと感動が呼び起こされる、そういう芝居。

公演は15日まで。

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2017/01/06

「カーテンコールをもう一度」初日(2017/1/5)

The レビュー「カーテンコールをもう一度!」
日時:2017年1月5日(木)17時
会場:天王洲 銀河劇場
脚本:山川啓介
演出:本間憲一
<   出演   >
金井克子、前田美波里、中尾ミエ、尾藤イサオ
ほか

今年は久々に寄席の初席をはずし、こちらの芝居を。大きな声では言えないが、寄席より安い料金で入れた。
ストーリーは、伝説のレストラン・シアター”カーテンコール”の舞台で活躍した金井克子・前田美波里・中尾ミエの3人が再開し、父親が彼女らのファンだったという男の依頼で、30年ぶりに伝説のレビューを再現するというもの。
まあ、ストーリーはあってなきが如く。専ら年齢を足すと210歳という3人と、これも同世代の尾藤イサオを加えたレビューが見もの。
客席も、若い人もチラホラいたが多くは出演者と同世代とお見受けした。
古くは日劇ウエスタンカーニバルから、NHK「歌のグランド・ショー」、そして資生堂の小麦色のポスターをリアルタイムで体験してきた人たちだ。
余談だが「歌のグランド・ショー」の冒頭で踊る金井克子がクルリと回るとパンツが見えるのが評判になって、「今週は何色かな?」なんてことを楽しみにしていた。西野バレエ団後輩の由美かおるが、「11PM」で網タイツ姿でカバーガールをつとめていたのもこの頃だ。
先ずは3人のスタイルの良さに驚嘆する。日頃も節制し、この日のために厳しいレッスンを続けた効果だろうが、大したものだ。
レビューの中の歌では中尾ミエも尾藤イサオも若い頃よりむしろ歌唱力が増しているように見えた。
女性3人のダンスはさすがに全盛期の様にはいかないが、それでも動きが良いし身体の線も綺麗だ。
レビュー全体の中の3人の出番が思ったより少なかったのと、マジックの場面はダレた。踊りの振り付けやキレも、最近のミュージカルを見慣れているとかなり見劣りする。
そうした弱点はあるものの、男性客にとっては若き日のトキメキを思い起こさせ、女性客にとっては努力すれば70歳になってもあれほど美しさが保たれるのだという希望(錯覚?)を抱かせ、いずれも新年を迎え元気な気持ちにさせてくれた。
公演は9日まで。

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2016/12/15

「定式能 十二月昼能」(2016/12/14)

「東京能楽囃子科協議会 定式能 十二月昼能」
日時:2016年12月14日(水)13時30分
会場:国立能楽堂
<  番組  > 
【舞囃子】
金剛流『巻絹』
シテ:金剛永謹
観世流『小袖曽我』
シテ:武田志房
ツレ:武田宗和
宝生流『班女』
シテ:大坪喜美雄
観世流『女郎花』
シテ:武田尚浩
観世流『玄象』窕
シテ:松木千俊

【狂言】
和泉流『楽阿弥』
シテ:野村萬斎
アド:野村万作 野村裕基
地謡:深田博治 高野和憲 中村修一 内藤連 飯田豪

【能】
宝生流『舎利』
シテ:辰巳満次郎
ツレ:和久荘太郎
ワキ:福王和幸
囃子:(笛)藤田次郎 (小鼓)住駒匡彦 (大鼓)亀井広忠 (太鼓)大川典良
地謡:朝倉俊樹 金井雄資 水上優 小倉伸二郎 澤田宏司 佐野玄宜 内藤飛能 

舞囃子(まいばやし)とは、能のある曲の中の舞所だけを取り出し、シテが面・装束をつけず、紋服・袴のままで地謡と囃子を従えて舞うものを指す。
つまりサワリの部分だけをダイジェストで舞うということだから、オリジナルを知らないと面白味は分からない。
私の様なビギナー向きではなかったのか、退屈だった。

狂言『楽阿弥』
楽阿弥の霊(シテ):野村萬斎
旅の僧(アド):野村万作 
所の者(アド):野村裕基
【物語り】
伊勢参詣の旅僧が,伊勢の国の別保(べつぽう)の松原に着くと,1本の松に尺八が数多くかけられているのを見る。所の者にいわれを尋ねると,昔ここに住んでいた楽阿弥という尺八吹きが尺八の吹き死にをして,今日はその命日にあたるので,あのように尺八を手向けるのだと語り,僧にも供養を勧める。
旅の僧も懐から尺八を取り出して奏しはじめると楽阿弥の幽霊が現れる。
二人は尺八によって時代を超えた縁があったことを喜んで、尺八を一緒に吹いて楽しく過ごす。
やがて楽阿弥は、自分が非業の死を遂げたことを語り、今でもあの世で苦しんでおり、輪廻出来るものではないと僧に助けを求めつつ、消えて去っていく。

コミカルなストーリーの多い狂言にあっては異色とも思える作品で、「夢幻能」の原型となる作品だそうだ。
見所は幽霊となった楽阿弥が、自らの非業の最期を舞い語る場面で、シテの野村萬斎の朗々たる声の響き、舞いの美しさに見とれてしまった。
人間国宝の野村万作の舞台も初めて見られたし、これだけでも来たかいがあった。

能『舎利』
里人(前シテ):辰巳満次郎
足疾鬼(後シテ):同上
韋駄天(ツレ):和久荘太郎
旅僧(ワキ):福王和幸
【物語り】
出雲の国美保の関の僧が京都へ上り、唐の国から渡って来たという仏舎利を見ようと、東山の泉涌寺にやって来る。寺の僧の案内で仏舎利を拝んでいると寺の近くに住むという男(里人)がやって来て、一緒に舎利を拝む。
突然空がかき曇り稲妻が光ると男の顔はみるみる鬼と変り、自分は昔の足疾鬼(そくしっき)の執心であると言い、仏舎利を奪って虚空に飛び去って行く。
旅の僧は、寺の僧から足疾鬼が釈迦の歯を盗んで飛び去ったが、韋駄天という足の速い仏が取り返したという逸話を聞く。
二人が祈ると韋駄天が現れ、足疾鬼を天上界に追い上げ下界に追いつめ、仏舎利を取り返す。足疾鬼は力も尽き果てて逃げ去る。

舎利とは釈迦の遺骨のことで、京都の泉涌寺にある舎利堂は古くから信仰が盛んであった。白米のことをシャリというが、語源はここから来ている。
韋駄天は今でも足の速い人を指して言う。
韋駄天が足疾鬼を追い詰め打ち据える場面などがあり、見ていても分かり易い。
ただ、ここでは帝釈天から下界の地獄までのタテの時空間を平面で表現しているのだそうで、そこまでの想像力には及ばなかったのは当方の限界だ。

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2016/12/14

「ヘンリー四世 第二部‐戴冠‐」(2016/12/13)

「ヘンリー四世 第二部‐戴冠‐」
日時:2016年12月13日(火)18時30分
会場:新国立劇場 中劇場

脚本:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
演出:鵜山仁
<  キャスト  >
中嶋しゅう:ヘンリー4世(イングランド国王)
浦井健治;皇太子ヘンリー(別名ハル)
佐川和正:クレランス公トマス
亀田佳明:ランカスター公ジョン
水野龍司:ウエストモランド伯
今井朋彦:高等法院長
佐藤B作:騎士フォールスタッフ(皇太子の遊び仲間)
岡本健一:(同上)
有薗芳記:ポインズ(同上)
ラサール石井:地方判事ロバート・シャロー
綾田俊樹:地方判事サイレンス
那須佐代子:その妻クイックリー
立川三貴:ノーサンバランド伯
勝部演之:ヨーク大司教
ほか

本公演は当初第一部のみ見るつもりでいたが、あまり面白かったので第二部も観劇することにした。
シュルーズベリーの戦いで勝利した国王軍だったが、ヨーク大司教が体制を立て直して再び戦いに挑む。しかし、援護を期待したノーサンバランド伯の軍が動かず、国王軍の司令官であるランカスター公に降伏し、処刑される。これを以って反乱軍は完全に鎮圧される。
フォールスタッフはシュルーズベリーの戦いで手柄を立て、過去の罪状を許されるが、相変わらず昔からの仲間とともに放蕩生活を続けていた。今度はノーサンバランド伯の討伐軍に加わることになり、昔馴染のシャロー判事の暮らすグロスターシアに徴兵に訪れえ、盛大な持成しを受ける。
一方、国王ヘンリー4世のもとに次々と勝利の吉報が届くが、病状が悪化し、3人の息子らに看取られて亡くなる。
皇太子のヘンリーは、国王としての責任と覚悟を引き継くことを決意し、ヘンリー5世として新国王に就任する。
この報せを聞いたフォールスタッフはすっかり有頂天となり、昔からのよしみで新国王から褒美や出世が得られると大喜び。仲間を引き連れて意気揚々と新王の前に姿を現すフォールスタッフだったが、ヘンリー5世からはもはや仲間との縁を切り、彼らに追放処分の命令を下す。彼らが通っていた居酒屋の女たちも投獄されてしまう。
反対に、皇太子時代に彼の放蕩を諫めて対立していた高等法院長の業績を讃え、引き続きその職務に励むよう命ずる。

戴冠したヘンリー5世には第一部で見せていた遊び好きで陽気な若者の姿は最早ない。弟が騙し討ちで敵を捕らえて処刑することを許し、今までのの遊び仲間を容赦なく追放する非情さを見せる。
それは父親の姿を見てきて、国王というものがどれだけ苛烈な役職なのかが身に沁みており、それを引き受けた覚悟と決意を示すものだ。
それとは正反対の、正義だの規範だのはクソクラエで、自らの欲望のままに生きるフォールスタッフの、どちらが人間としての魅力があるのか、シェイクスピアはこの劇を通して観客に問い直しているようだった。

全体としては喜劇と言ってよい。
第二部もフォールスタッフらが居酒屋で女たちと戯れる場面や、シャーロー判事らと宴会をする場面では、出演者同士が実に楽しそうに演じていて、それが客席にも伝わった。
クイーンのヒット曲をバックミュージックにしての楽しい舞台は、1部2部合わせて6時間の長さを感じさせない。

主役の佐藤B作を始めとして芸達者が揃い、先ずは一級のエンターテイメントと呼んでいい芝居だった。

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