演劇

2019/07/14

青年座「明日-1945年8月8日・長崎」(2019/7/13)

劇団青年座 第237回公演「明日-1945年8月8日・長崎」

日時:2019年7月13日(土)14時
会場:東京芸術劇場・シアターイースト
原作=井上光晴
脚色=小松幹生
演出=鈴木完一郎
演出補=山本龍二
<   キャスト   >
巡査/堂崎彰男=桜木信介
堂崎ハル=津田真澄
銅打弥助=山﨑秀樹
銅打みね子=柳下季里
三浦泰一郎/高谷藤雄(声)=山賀教弘
三浦ツイ/高谷藤雄の母(声)=山本与志恵
石原継夫=逢笠恵祐
福永亜矢=小暮智美
水本広=高松潤
水本満江=田上唯
助産婦/産婆=佐野美幸
山口由信=五十嵐明
山口キヨ/おばさん=遠藤好
三浦ヤエ=角田萌果
中川庄治=前田聖太
ツル子=田邉稚菜
<演奏>
ピアノ=大貫夏奈
ヴァイオリン=菅野千怜
チェロ=石貝梨華

この作品は、1945年8月8日から9日の早朝までの、つまり長崎に原爆が投下される直前までの、長崎市に住む市井の人々の生活を描いたもの。つまり原爆を書かずに原爆の惨禍を描いた作品だ。
原作者の井上光晴によれば、長崎の原爆投下地点周辺を歩いていたら、住宅の物干し台に洗濯物が干されひらひらしているのが目に留まった。それで原爆投下の前の日もこうした光景だったんだろうと、この作品が閃いたとある。
調べてみると、この地域では前日に一組の結婚式が行われ、二人の赤ん坊が誕生していた。原作者は生存者の記録や証言を得て、本作品を書き上げたようだ。

舞台は、結婚式を挙げた二人とその列席者たちの家族の様子が描かれ、それぞれが「明日~~するけんね」といった会話を交わしあっていた。8月1日には長崎市内が空爆され、また米軍が九州に上陸してみな殺しにされるという噂が流れ緊迫した状況もあったが、それでも人々はごく当たり前の日常を送っていた。
8月9日午前4時17分に新たな生命が誕生する。「かあさん、きつかよ」とうめく娘の手を握り、赤ん坊の泣き声が響くと、ほっとした母親が空を見上げながら、こうつぶやく。
「ああ、明けたよ。今日もよか天気になるじゃろう。よか日和たい。ほんなこつ」
このおよそ7時間後に原爆が投下され、7万3千人あまりの人が亡くなるのだ。

演劇を観る機会はそう多くはないが、なかで青年座の舞台を観る比率が高い。
それは、この劇団の上演作品の多くが社会問題に切り込んでおり、かつ楽しい舞台を披露してくれるからだ。
やはり芝居は楽しくなくてはならない。
本作品も登場人物と一緒に笑ったり泣いたりホッとしたりしながら、終ってから怒りがこみあげてくる、そういう舞台だった。

公演は17日まで。

 

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2019/07/07

新国立『骨と十字架』(2019/7/6)

『骨と十字架』プレビュー公演
日時:2019年7月6日(土)14時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:野木萌葱
演出:小川絵梨子
<  キャスト  >
神農直隆:ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(イエズス会の司祭、古生物学者)
小林隆:ブラディミル・レドゥスキ(イエズス会総長)
伊達暁:エミール・リサン(イエズス会の司祭、考古学者)
佐藤祐基:アンリ・ド・リュバック(ピエールの弟子)
近藤芳正:レジナルド・ガリグー・ラグランジュ(バチカンの枢機卿)

新国立小劇場で上演された『骨と十字架』のプレビュー公演を観劇。プレビュー公演での客の反応をみて手直しし、更に3日間稽古を行った後に本公演となる。従って本公演では多少演出が変わる可能性があるようだ。
作品のテーマは「信仰と科学への探求心との関係」。
時代は明確にされてないが、北京原人の発見が行われていたことから1920-30代の物語と思える。
本戯曲は、進化論を否定するキリスト教の教えに従いながら、同時に古生物学者として北京原人を発見し、一躍世界の注目を浴びることとなったフランス人司祭、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの物語だ。
人類の進化を認めれば、人間の祖先はアダムであるという聖書の教えに背くことになる。
ピエールを異端と指弾するバチカンの枢機卿は言う、「探求心は認める、但し、神の教えに反しない限りは」。何故なら全能の神は何もかもご存じだからだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」によれば、人類の科学革命は「ヒトが知らないことを認めた」からとしている。知らないことを認めれば、新たな知識を得ようとする。それによって科学は進歩したという。
芝居は、信仰と科学をめぐる5人の登場人物によるディスカッション・ドラマとして進行する。
どう折り合いをつけてゆくか、5人5様の葛藤が繰り広げられ、それぞれがこの課題に真摯に向き合っていく様子が描かれている。
ただこの辺、私の様な無神論者(形式上は日蓮宗の檀徒だがハナから信じていない)にはなかなか理解し難い処だ。

神農直隆が真っ直ぐな主人公を好演、小林隆と近藤芳正がいい味を出していた。

公演は28日まで。

 

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2019/07/02

民藝「闇にさらわれて」(2019/7/1)

劇団民藝「闇にさらわれて」
日時:2019年7月1日(月)18時30分
会場:紀伊國屋サザンシアター

作=マーク・ヘイハースト 
訳・演出=丹野郁弓
<  キャスト  >
イルムガルト・リッテン=日色ともゑ
ハンス・リッテン=神敏将
カール・フォン・オシエツキー=佐々木梅治
エーリヒ・ミューザム=横島亘
コンラート博士=千葉茂則
フリッツ・リッテン=西川明
グスタフ・ハメルマン=大中耀洋
クリフォード・アレン卿=篠田三郎(客演)
突撃隊員、親衛隊員など=岡山甫 近藤一輝

命の危険にさらされている息子を必死に助けようとする母親を描いたこの戯曲は、1930年代のドイツでヒトラーが政権を奪取し、思想弾圧や民族浄化を強めた時代に実際にあった物語だ。
弁護士のハンス・リッテンは、父フリッツは高名な大学学長、母イルムガルトという良家に育つが、保守的な愛国者の父とは正反対にマルクス主義に傾倒し、反戦平和運動に身を投じる。父が結婚を契機にユダヤ教からキリスト教に改宗したことの反発から、ハンスはユダヤ教徒となる。
ハンス・リッテンを一躍有名にしたのは、1930年にベルリンの酒場エデンパレスに集まっていた共産党の若者に、ナチス突撃隊(SA)が武器を手に襲い掛かり殺傷した「エデンパレス事件」だ。
この裁判でリッテンはヒトラーを証人喚問した。リッテンは証拠を示してヒトラーの非合法・暴力路線の実態を追及する。
処が、1933年にヒトラーのナチ党が政権を握ると「緊急令」(自民党の改憲案にも類似の案がある)を発令し、国民の基本的人権を奪う。続いて「全権委任法」を発動し、立法権がナチ政府の手に渡ってしまう。政治犯やユダヤ人は逮捕され、強制収容所に送られる。リッテンもこうした中で捕らえられ残虐な拷問を受け、強制収容所に送られてしまう。
当時のドイツは、ヒトラーーとナチは国内では熱狂的な支持を受け、国外でも英国や米国ではむしろヒトラーの手腕を評価する向きまであった。そのため、ドイツ国内で行なわれたユダヤ人殺戮などが一部を除き大きく採り上げられ事が稀だった。
ハンスの母イルムガルトは、杳として行方を絶った息子を救出するために、身の危険を顧みず孤独な闘いを始めるのだが……。

民藝の芝居を観るのは久しぶり、というか数十年ぶりだ。
舞台は、リッテンやその仲間に加えられる残酷な行為と、母親が助命のためにゲシュタボの本部まで乗り込んで交渉、嘆願する姿が交互に演じられる。
リッテンたちの困難な中でも明るさを失わず、最期まで公正で清廉な生き方を貫く姿は感動的だ。
母親を演じる日色ともゑの、凛とした姿は舞台を引き締めていた。
ただ、テーマがテーマだけにいかにも重い。
また、命を助けたい一身とはいえ、息子に仲間を売るよう勧める母親の姿はあまり見たくなかった。実話だから仕方ないのだろうが。

 

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2019/06/06

「宮武外骨伝」(2019/6/5)

演劇集団ワンダーランド 第46回公演『過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝』
日時:2019年6月5日(水)19時
会場:座・高円寺

作・演出:竹内一郎
<  出演者  >
武末志朗 松村穣 岡本高英 中田寿輝
本郷小次郎 高橋亜矢 桑島義明 嚴樫佑介
茨木学 木ノ下椿 北村りさ 葉山奈穂子
成澤奈穂 小川友暉 竹良光 遠田恵理香
髙橋明日香 三谷千季 光永勇輝 山田久海

宮武外骨(みやたけがいこつ)、知る人ぞ知る。私も以前に読んだ明治時代の新聞に関する本で名前を知った程度だ。ペンネームかと思ったら17歳の時に自分で改名した本名だ。これだけでも変人ぶりが分かる。
著述家・明治文化史家。号は半狂堂。慶応3年生れだから、夏目漱石や正岡子規らと同年。明治20年『頓智協会雑誌』を、のち大阪で『滑稽新聞』を発行。風俗史・政治裏面史に造詣があり、古川柳・浮世絵の研究者としても知られる。晩年は日本新聞史研究に尽力した。昭和30年(1955)歿、88才。
反骨のジャーナリストで投獄3回、発禁は数知れず。その一方、結婚は5回(最後の結婚は74歳)、妾が最盛期には16人いたという艶聞家でもある。ウラヤマシイ。
モットーは「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪(かんしゃく)を経(たていと)とし色気を緯(よこいと)とす。過激にして愛嬌あり」。ね、恰好いいでしょ。
もう一つ、「迫害こそ勝利」。これも恰好いい。
薩長藩閥政治を徹底的に嫌い、明治憲法は国民主権、四民平等さえないと批判した。今では当たり前のことだが、当時はこれで弾圧された。
敵が多かったが、講釈師で国会議員にもなった伊藤痴遊や、博報堂の創業者の瀬木博尚とは交友があり援助も受けていた。
社会主義とは一線を画す一方、彼らが発行した「平民新聞」には資金を出している。
『滑稽新聞』では、政治批判だけでなく下ネタやゴシップ記事も載せたり、イラストを効果的に使うなど、現在の週刊誌を予測させる紙面にしていた。また、活字を並べて絵に見せたり、縦組みのページを横に読むとネタが隠れていたり、官憲による伏せ字を逆手にとって残った字をたどると一つの文章になるなど、宮武外骨のアイディアと遊び心に溢れたものだった。

芝居はこうした宮武外骨の物語を、過去と現在のウェブ新聞の編集室にタイムトラベルさせながら描いたものだ。
現在のメディアが批判精神を失い、権力へ迎合し続けているかかという作者の思いが籠められている。
ちょいと軽いかなという印象もあるが、これもまた外骨精神の現れかな。

公演は9日まで。

 

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2019/05/26

「神々の残照」(2019/5/26)

「神々の残照-伝統と創造のあわいに舞う-」
日時:2019年5月25日(土)14時30分
会場:国立劇場 大劇場

国立劇場とアーツカウンシル東京は、ジャンル等の垣根を越えて広く舞踊(ダンス)の魅力にふれる、〈言葉~ひびく~身体〉を2019年よりスタートさせる。
その第1回目となる「神々の残照」では、「神」をキーワードに、日本舞踊、インド舞踊、トルコ舞踊、コンテンポラリーダンス(新作)を企画、上演した。

【日本舞踊】
長唄 『翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)』
翁 :尾上墨雪
千歳 :花柳寿楽
三番叟 :若柳吉蔵
地方=杵屋東成・杵屋勝禄 ほか
囃子=藤舎呂浩連中

【インド古典舞踊】
『オディッシー』
マンガラチャラン/バットゥ/パッラヴィ/パシャティ・ディシ・ディシ/モクシャ
小野雅子
シルシャ・ダッシュ
ラシュミー・バット
ビシュワ・ブーシャン・モハーパトラ
演奏=サンギータ・ゴーサイン
     ブッダナート・スワイン
     シュリニバス・サタパシー
     スワプネシュワル・チャクラボーティ
     クシティ・プラカッシュ・モハーパトラ

【トルコ舞踊】
『メヴラーナ旋回舞踊〈セマー〉』
トルコ共和国文化観光省所属 コンヤ・メヴラーナ楽団

【コンテンポラリーダンス】
構成・振付・演出=笠井叡 衣裳=萩野緑
マーラー作曲〈交響曲第五番〉と群読による古事記祝典舞踊
『いのちの海の声が聴こえる』
テキスト=古事記~大八島国の生成と冥界降り~
近藤良平・酒井はな・黒田育世・笠井叡/
浅見裕子・上村なおか・笠井瑞丈/
岡本優・小暮香帆・四戸由香・水越朋/
〔群舞〕ペルセパッサ・オイリュトミー団/
〔群読〕天使館朗唱団

その昔、歌舞伎座で踊りの神様と謳われた七世 坂東三津五郎と十七世 中村勘三郎による『三番叟』を観て、感心した。
もう30年以前になるが、南インドで名前は忘れたが著名な女性舞踊家によるインド舞踊を観たことがある。一人だけで約40分ほど踊ったのだが、その素晴らしさに目を奪われた。静かな踊りだったが、手の指先から足のつま先までの身体全体を使った繊細な動きや、目の動きで感情を表現していたのだ(この女性の目がクリっとしていたので動きが分かり易かった)。
そんな思い出もあって、本公演を鑑賞。

長唄 『翁千歳三番叟』
元は能の『翁』で、国土安穏、五穀豊穣を祈る祈祷舞踊。この舞踊も能や狂言に近い厳粛な舞だ。
威風堂々の翁の舞、爽快な千歳の舞、そしてダイナミックな三番叟の舞、さすが舞踊各流派の家元級の舞だけあって気品に満ちたものだ。
落語の『うどん屋』に出てくるお馴染みの「鳴るは滝の水」もあるお目出度い詞が続き、「八百万代も国も栄えん」で舞い納めとなった。

『オディッシー』
インド東部の古典舞踊で、神への奉納として営まれてきた。男女4人によるかなり動きのある舞で、インドでしばしば見られる彫刻がそのまま踊っているような感じだ。目、手、胴、腰、足がそれぞれ独立に動き、その繊細で多彩な動きが特長だ。ただ、目の動きはこの会場の大きさだと良く分からない。

『メヴラーナ旋回舞踊〈セマー〉』
名前の通り、裾の長い白いマントの様な衣装の男性の踊り手が終始旋回し続ける。こうして神と一体となれるという。
イスラムの舞踊については全く無知なせいか、率直に言って良さは感じなかった。

『いのちの海の声が聴こえる』
マーラーの交響曲第5番にあわせて「古事記」の国生み、冥府降り、天の岩戸開きが朗誦され、それに合わせてコンテンポラリーダンスが舞うという趣向。
コンテンポラリーダンスというのは始めてだったが、人間の身体の美しさ、躍動感は感動的だった。
舞踊(ダンス)というものが、これほど人の心を動かすのかと、改めて感心した。

 

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2019/03/13

文学座 『 寒花 』(2019/3/11)

文学座公演 『 寒花 』  
日時:2019年3月11日(月)18時30分
会場:紀伊國屋サザンシアター  
作:鐘下辰男
演出:西川信廣
<   キャスト   >
瀬戸口郁:安重根(アン・ジュングン)
佐川和正:楠龍生(通訳)
新橋耐子:楠の母
細貝光司:黒木鉄吉(外務省政務局長)
若松泰弘:宮田健蔵(監獄医)
大滝寛:吉原健次郎(典獄)
得丸伸二:蘇我啓輔(看守長)
鈴木弘秋:高木治介(模範囚)
池田倫太朗:清水貞雄(看守)
常住富大:佐々木幹夫(看守)
横山祥二:刑事

本作品は1997年に初演、読売演劇大賞や紀伊国屋演劇賞を受賞したもので、今回が再演。
「私が伊藤公を殺したのは、公爵がいれば東洋の平和を乱し、日本と朝鮮の間を疎隔するのみであります。本当にやむにやまれぬ心から公爵の命を奪ったのであります。」
「悠久なる朝鮮の歴史の上に一個の捨て石となれば満足であると私は思っています。いつの日か朝鮮に、日本に、そして東洋に、本当の平和がやってきて欲しいのです。」
以上は、伊藤博文を暗殺した朝鮮人青年・安重根の言葉である。本作品は、安重根が死刑囚として収監されてから処刑されるまでを描いたものだ。

【あらすじ】
明治43年(1910年)、旧南満州・旅順の監獄に、ハルビン駅前で時の韓国統監であった伊藤博文を暗殺した安重根が収監されてくる。 日露戦争の戦勝国として、文明国としての体面を保つため、無事に安の死刑を執行すべく派遣されるエリート外務省高官と、その指示に忠実に従う監獄の長である典獄。それに抵抗する看守長は、囚人は暴力で抑えるしかないと主張する。安の隣の独房には獄内の情報提供者である模範囚が配置され、監視役をやらされる。彼らの確執を冷ややかに見ているシニカルな監獄医。
そこに統監府から差し向けられた朝鮮語通訳の楠龍生は、精神を病んだ母を抱えて赴任してくる。
安の手記を読み、その毅然たる態度に惹かれてゆく楠と安の間は次第に心が通じ合い、静かな対話が続くが・・・。

安重根について、当時の日本の新聞は不逞浪人とされていたようだが、実家は高級官僚で、本人はクリスチャンだった。処刑を前にして泰然自若としていたのは信仰のせいもあったのだろう。
この芝居は安重根そのものを描いたものではなく、安を取り巻く日本人たちの葛藤を描くことに重点が置かれている。
一つは、外務省の高級官僚は薩長閥だが、その他の監獄の関係者はいずれも官軍に打ち負かされた東北の士族の出身だ。この時代は、薩長閥でなめれば出世できなかったので、みな不遇をかこっているという共通点がある。その怒りの矛先が看守長の場合は、囚人や朝鮮人に向けられていく。
通訳の父親は戊辰戦争で官軍によって処刑され、兄は先の日露戦争で戦死。そうした事から母親は気が狂ってしまう。仕方なく母の手を紐で縛り柱に括り付けるのだが、それはあたかも安が獄中でも常に手錠をかけられていると同義であることに気付くのだ。
安と通訳との対話は文学的だが、安が伊藤博文を暗殺にするに至った心の内をもっと描いて欲しかった気もする。

出演者では、通訳の母を演じた新橋耐子の存在感が群を抜いている。彼女が出てくると舞台全体を浚ってしまう。

この戯曲が初演された23年前と今とでは、在日に対するヘイトスピーチの横行や、韓国や朝鮮人に対する差別意識は大きく変わっている。私たちが冷静に過去に向き合うべき時に、こうした作品が上演されるのはとても意義のあることだ。

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2019/03/09

米国の格差と差別を描く「SWEATスウェット」(2019/3/7)

劇団青年座第235回公演「SWEATスウェット」
日時:2019年3月7日(木)
会場:駅前劇場(下北沢)
作=リン・ノッテージ
翻訳=小田島恒志、小田島則子
演出=伊藤大
<    キャスト    >
トレーシー=松熊つる松(ドイツ系白人/工員)
シンシア=野々村のん(黒人/工員)
ジェシー=佐野美幸(イタリア系白人/工員)
イーヴァン=山賀教弘(黒人/保護監察官)
ジェイソン=久留飛雄己(ドイツ系白人/トレーシーの息子)
クリス=逢笠恵祐(黒人/シンシアの息子)
スタン=五十嵐明(ドイツ系白人/バーテンダー)
オスカー=松田周(コロンビア系アメリカ人/バーの従業員)
ブルーシー=加藤満(黒人/シンシアの元夫)

【あらすじ】
舞台は2000-2008年にかけての、全米で最も貧しい街の一つとされるペンシルバニア州レディング。
この町で最も大きな工場で、もう20数年工員として働くトレーシー、ジェシー、シンシアの3人はお互い親友同士で、同じバーに通い続けている。
トレーシーの息子ジェイソンとシンシアの息子クリスは友人で、母親と同じ工場で働いている。
しかし、経済のグローバル化の波はこの土地にも容赦なく押し寄せ、安い労働力を求め工場がメキシコに移転されるという噂が流れる。
そうした不安定な状況から抜け出そうとトレーシー、ジェシー、シンシアの3人は管理職試験を受けるが、シンシアだけが合格し、3人の友情に亀裂が入ってしまう。
シンシアにはブルーシーという夫がいたが、別の工場を解雇されたのがきっかけでドラッグに頼る生活に陥っていた。
クリスはそうした両親の姿を見て大学を受験して合格、進学に向けて貯金を始めようと準備をしている。
折しも、会社は更なるコストダウンを目標に掲げ、メキシコへの工場移転を発表する。それに対し組合はストライキを決行するが、反対に工場から完全に締め出される。
会社側は生産を維持するためにより安い労働力を求め、彼らが通うバーのバーテンダー・スタンの下で働く移民のオスカーたちを臨時雇用する。
工場をロックアウトされた労働者たちの怒りはオスカーに向けられ、悲劇的な事件が引き起こされてしまうが・・・。

親子3代にわたって同じ工場に勤め、貧しいながらも暮らしを楽しんでいた人々が、一瞬のうちに生活を奪われてしまう米国のラストベルト(錆びついた工業地帯)で働く労働者の姿と、極端な格差社会の現状を描いた作品だ。
日本でも同様の問題は起きているが、米国の場合はこれに加えて白人vs.黒人、マイノリティ、移民といった対立や差別がより問題を複雑化している。
シンシアという女性工員は12時間立ちっぱなしという勤務を20数年間続け、もう身体もボロボロだった。だからエアコンの効いた部屋で椅子に座って仕事ができる管理職を得たのだが、仲間からは裏切りと見做され攻撃の対象となる。彼女が黒人だったことも周囲からは優遇されたのだと映るのだ。
南米からの移民の子であるオスカーだって、決して工場の労働者たちを敵視しているわけではなく、ただまともな仕事とまともな暮らしをしたいため工場の臨時の仕事に就いたのだ。しかし、周囲からはヨソモノが自分たちに土地に勝手に入り込み仕事を奪った存在として憎悪の対象となってしまう。
本来なら彼らの怒りは、会社の利益のためにより安い労働力を求め海外へ工場移転するような経営者に向かうべきなのだが、それが却って仲間同士に攻撃の矛先が向けられてしまう。
劇中で「アメリカという国はどうなってしまうんだ」と叫ぶシーンがあるが、その行き着く先がトランプ大統領の出現だったという事になるだろう。
本作品は今回が日本での初演になるようだが、再演されるべき価値のある戯曲である。

演技陣では、バーテンダーを演じた五十嵐明や、ヤク中の黒人っを演じた加藤満の好演が光る。

公演は12日まで。

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2019/02/15

今月の文楽公演は落語でお馴染みの「お半長」(2019/2/14)

上方落語の『胴乱の幸助』を聴かれた方も多いでしょう。
胴乱の幸助と呼ばれる喧嘩の仲裁だけが唯一の趣味という男。今日もどこかで喧嘩がないかと探していると、義太夫の稽古屋の前を通りかかる。中では『桂川連理柵(通称がお半長)』の帯屋の段の稽古の真っ最中で、長右衛門の継母・おとせが、長右衛門の妻・お絹をいびる場面だ。これを親子喧嘩と勘違いした幸助は周囲の人に事情を訊くと、これは有名な浄瑠璃で・・・と筋書きを教える。浄瑠璃なんて見たこともない幸助は筋書きが事実と勝手に思い込み、京都から三十石の夜船に乗って帯屋の舞台となっている柳馬場押小路虎石町の西側にある帯屋宅を訪れる。たまたまその場所に帯屋の店があったので、店の番頭に幸助は、聞いてきた筋書きの通りに事の次第を問い質す。ようやく事情が呑み込めた番頭が、
「それ、もしかしたら、ハハハ……『お半長』と違いますか?」
「何がおかしいねん」
「笑わずにおれますかいな。お半長は、とうの昔に桂川で心中しましたわいな」
「えっ、死んでもた、てか! しもた……ゆうべのうちに来たらよかった」
でサゲ。
この当時は子どもでも知っていたという『お半長』、恥ずかしながら私も幸助と同様、知らなかった。
今月の国立の文楽公演でこの『お半長』が掛かるというので、これを見なけりゃ先祖の助六に顔向けできないと、早速出向いた次第。

『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』
石部宿屋の段
六角堂の段
帯屋の段
道行朧の桂川
日時:2019年2月14日(木)11時
会場:国立劇場 小劇場

実際にあった心中事件を題材にした浄瑠璃で、『朧の桂川』など先行のお半長右衛門情話を、菅専助が脚色したもの。安永5 (1776) 年に初演以来、浄瑠璃や歌舞伎で度々再演されてきた。
帯屋の主人・長右衛門は、隣家の信濃屋の娘お半と伊勢参りの旅宿で泊り合せたのを縁に契りを結ぶ。長右衛門の貞淑な女房お絹が2人の身を案じるものの,親子ほどに年の違う2人の仲に長右衛門の苦悩は深まるばかり。長右衛門の継母・おとせは息子の儀兵衛に店を継がせるべく、難癖をつけては長右衛門やお絹を責めたてる。ついには,長右衛門がさる武家屋敷から預っていた刀をお半に横恋慕していた丁稚にでっちにすりかえられたことや、お半の懐妊で進退きわまり,お絹に心を残しつつ,お半と桂川で心中する。

長右衛門38歳、お半14歳、おそらく数ある心中ものでも最大の年の差だろう。一夜の過ちとは言え、親子ほどの年下の生娘であり、女房のお絹の弟の許嫁でもあるお半と関係を持ち妊娠させてしまう。過去には芸子と心中のし損ないをしていて、お半が妊娠したと知ると女房の弟と縁組させようと図る。女房の真心に打たれて全てを告白するが、肝心のお半の妊娠や、大事な刀がすり換えられていたことは打ち明けられない。
全ては、長右衛門の優柔不断さが生んだ悲劇と言えよう。
そう冷静に分析してしまうと感情移入が出来ないので、ひとまずは物語の世界に浸かって観るしかない。
やはり圧巻は「帯屋の段」で、松竹新喜劇ばりの笑いあり、口説きありで、たっぷりと楽しませる。前半を呂勢太夫、後半を咲太夫がじっくり語る。人形では勘弥のお絹が凛とした品格を見せ、清十郎のお半が一途な心を表現させていた。

落語ファンにも必見の浄瑠璃だ。

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2019/02/08

面白うてやがて哀しき・・「Le Père 父」(2019/2/7)

「Le Père 父」
日時:2019年2月7日(木)19時
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
脚本:フロリアン・ゼレール
翻訳:齋藤敦子
演出:ラディスラス・ショラー
<   キャスト   >
橋爪功:アンドレ
若村麻由美:娘アンヌ
壮一帆:女
太田緑ロランス:ローラ
吉見一豊:男
今井朋彦:ピエール

この戯曲は、ある父を巡る悲しいコメディであり、誰にとっても身近な物語だ。
若い看護師が泣きながらアンヌに電話をしてきたため、父に何らかの異変を感じ、行くはずだった旅行を急きょ取りやめてやって来た。父は看護師を自分の腕時計を盗んだと悪党呼ばわりし、自分は1人でやっていけるから看護師の助けなど必要ないと言いはる。しかし、アンヌに指摘されると、その腕時計はいつもの秘密の場所に隠してあった。なぜアンヌは誰も知らないはずの自分の隠し場所を知っているのか、と父は訝る。そして今自分が居るのは、長年住んだ自分のアパートなのか? ここは何処なんだ? 部屋の出入りする男や女は何者なのか? いや、娘の顔さえ思い出せないこともある。何が真実で何が幻想なのか? 
自分自身の信じる記憶と現実との乖離に困惑する父と、父の変化に戸惑う娘。
最終的にアンヌはある決断をするが・・・。

テーマは、ずばり「認知症」だ。
私の母は91歳でが、最後の数年間は私の顔さえ覚えていなかった。
母の妹、つまり叔母は死の直前まで意識がしっかりしていたが、連れ合いの死、息子の経済的破綻により自宅を売られ施設に入所した現実を嘆き悲しんで亡くなっていった。
どちらが人間として幸せだろうか。叔母も認知症であれば、あれほどの悲惨な思いをせずに済んだかも知れないと。
そんな思いを巡らせながら、この芝居を観ていた。

そうした現実をユーモラスに描いているので、父アンドレ(実は自分の名前さえ忘れてしまっているのだが)のチグハグな言動は観ていてしばしば笑いを誘う。
面白うてやがて哀しき物語なのだ。
この戯曲は2012年の初演以来、欧米諸国や南米、アフリカ、アジアなど多くの国で上演が繰り返されてきた。
日本では今回が初演なのは不思議なくらいだ。

主役のアンドレを演じた橋爪功は正に「はまり役」。残酷な現実をこれほどユーモラスに演じることが出来る人はそうはいない。
娘のアンヌを演じた若村麻由美のひたすら純粋な姿は心が打たれる。いつも思うのだが、彼女は舞台映えする女優だ。
他の演技人もそれぞれ良かった。
アンドレも美女たちに囲まれ幸せそうだったのが救いか。

決して観て損のない芝居なのでお薦めできる。
公演は24日まで。

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2018/12/28

【演劇部門】2018年、この1作

『赤道の下のマクベス』
観劇日:2018年3月13日
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
脚本:鄭義信
演出:鄭義信
<  主なキャスト  >
池内博之:朴南星(清本南星)
浅野雅博:山形武雄
尾上寛之:李文平(清原文平)
丸山厚人:金春吉(金田春吉)
平田満:黒田直次郎
木津誠之:小西正蔵

【講評】
アジア・太平洋戦争について、私たちが知らないことが沢山ある。
例えば、戦争終結後に軍事裁判によって死刑判決を受けた人数だ。
A級戦犯    7名
BC級戦犯  934名
命令を下した者より、命令に従った者の処刑者の数の方が圧倒的に多いのだ。
さらに、BC級戦犯の死刑のうち11%は捕虜収容所の関係者で、捕虜に対する虐待や暴力が処刑の理由となっていて、捕虜収容所の監視員らがその対象とされていた。
戦犯で処刑されたのは日本人だけでなく、朝鮮人も含まれている。
この舞台は、1947年のシンガポール、チャンギ刑務所で、BC級戦犯として収容されていた日本人と元日本人だった朝鮮人の物語だ。
判決から処刑までおよそ3ヶ月という期限に日々怯えながら、過酷な環境の中で精神的にも肉体的にも追い詰められるていく。
朝鮮人死刑囚が日本人死刑囚に対して「あんたたちは、それでも名誉が残るからまだいい。俺たちは何も残らない」という言葉は重い。国に残された家族たちも、息子が日本軍の協力者だったということで迫害を受ける。彼らには全く救いがなかった。
明るく振舞っていた死刑囚の一人が、執行を前にして「生きたい、もっと生きていたい」と嘆く場面は胸を打つ。
舞台はいかにも鄭義信の作品らしく賑やかな場面もあるが、それが反面の熾烈さを印象づけていた。
出演者は全員が熱演で舞台を盛り上げていた。

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