環境

2009/10/16

「エコエコ詐欺」にご注意を!

信条として「エコ」と名が付いた商品は買わないことにしている。
理由は簡単で、「エコ」にはニセモノが多く、保護するどころか環境を破壊する商品が多いのが実状だ。
花王の人気食用油「エコナ」が、国から特定保健用食品(特保)の表示許可を受けながら、発がん性が懸念される成分が検出されたのは記憶に新しい。
問題になったのは、エコナに含まれる成分「グリシドール脂肪酸エステル」が体内で分解されると、発がん性物質の「グリシドール」になる危険性があると指摘されたものだ。
これだけではない。
「エコナ」は2003年にも専門家から、主成分ジアシルグリセロール(DAG)にがんの進行を促進させる可能性があると指摘されていた。マウステストで、通常の油に比べ癌が増える傾向が出たためだ。
もう6年も前のことだった。
だいたい油なのに体に脂肪が付かないという効能に、そもそもムリがあったのだ。
「エコな」が聞いて呆れる。

現在進められている20年度予算編成において、「エコポイント制度」と「エコカー減税」の存続が議論されているが、この「エコ」も真っ赤なニセモノである。
本当に環境保護を考えるなら、できるだけ車に乗らないようにし、輸送手段としては電車やバスなどの公共交通機関を利用することが求められる。
エコカーなら環境に優しいだと、冗談言っちゃあいけねえ。
新車を生産したり、スクラップの車を処分するのにどれだけのエネルギーを使うと思ってるんだ。
これだけでも膨大な温室ガスを排出することになる。
電気で動くからCO2が出ないたって、その電気はどうやって作るんだい。
少し考えれば分かりそうなものだ。

エコポイント制度も又然り。
この制度の目的は、テレビの地デジ化を促進するために、政府がぶら下げたニンジンだ。
環境保護のためには、今使っている電化製品を一日でも長く大事に使うことが大切であり、ワケの分からないポイント制度で釣って早く新製品を買わせるというのは、環境破壊を促進するようなものだ。

景気を良くするためには、とにかく消費者は新しい製品をどんどん買ってくれというのなら、それはそれで話は分かる。
それを屁理屈をつけて「エコ」を標榜するなら、これは政府による「エコエコ詐欺」である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/09/10

環境ファシズム「禁煙条例」

初めにお断りしておくが、私はタバコを吸ったことがないし、吸おうと思ったこともない。元々気管支が弱いので紫煙が苦手なのだ。列車では禁煙車、店では禁煙席を選ぶ。
しかし法律や条令で、他人の嗜好を制限したいとは思わないし、現状なにも不自由も感じていない。

神奈川県の松沢成文知事は9月9日、「公共的施設における受動喫煙防止条例(仮称)」の骨子案を発表した。これまでは「公共的施設における禁煙条例」という名称だったが、規制を緩やかにするとともに名前を変えた。
それなら施設の運営者や喫煙者の良識やマナーに拠る現状で十分ではないのか。
条例が施行されれば、違反した人間は処罰されることになる。

私はタバコは吸わないが酒は大好きだ。飲酒も考えてみれば、酒を飲まない人にとってはとても迷惑だろう。列車の中などで、酔っ払いのアルコールだか、それが分解されたアセトアルデヒドだかの含まれた息を吹きかけられて、不快な思いをした方も多い筈だ。
「禁煙法」の次は「禁酒法」ができるのではないかと、ヒヤヒヤしている。決して冗談ではない。アメリカでかつて禁酒法があったのは衆知の通りであり、飲酒を禁止している国だって現にある。

だけど考えて見て欲しい。人間というものは、お互いにチョットずつ迷惑をかけ合って生きているのではなかろうか。自分は絶対に他人に迷惑をかけたことがないという方があれば、教えて欲しい。
私は香水の臭いが苦手で頭が痛くなる。これだってリッパな健康被害だ。しかし「香水禁止法」を作りたいとは望まない。環境ファシストにはなりたくないのだ。
迷惑になることは全て法律で禁止するとなれば、清く正しく美しい社会にはなるだろうが、実に住みづらい、味気ない世の中になってしまう。

人間だってそうだ。「沈香も焚かず屁もひらず」、世の中そんな人ばかりになったら、きっとツマラナイゼ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/05/31

「サマータイム」で環境保護だとぉ!

近ごろ都に流行るもの、それは「環境病」患者。なんでもかんでも「地球環境保護」と結びつけ、効果が不明なのにも拘らず有り難がってお題目のように唱え続ける。その最たるものが、バイオ燃料だった。環境保護の切り札みたいにもてはやされていたが、結果はどうだろうか。当初から予想されていた通り、穀物価格が上昇し、貧困層の飢餓を世界に拡げることになった。こういう人々は、人の命より環境が大切なのだろう。

仕掛けた人間ははっきりとした企みを持っている。バイオ燃料なら穀物価格の上昇を織り込んで、先行投資していた連中である。処が、これに乗っかり推進している人たちは、善意の人が多い。この「善意」がまた始末に終えないのだ。
今の「レジ袋」追放運動もまた然り。喜んでいるのはエコバッグとやらの販売者であり、スーパーの経営者だ。当ブログでも、「レジ袋」問題のまやかしについて早くから指摘してきたが、最近になってようやく環境保護に逆効果だという論調が出始めている。
A(石油、レジ袋)をB(バイオ燃料、エコバッグ)に替えた時、Aのマイナス分しか計算せず、Bのプラス分を計算していない、こういう初歩的な(推進者は計算づくだが)思い違いがいけない。

さて本題の「サマータイム」、どうやら政府は本気になって導入を図っているらしい。
実は、私はサマータイムを過去に経験している。終戦直後の1948年に進駐軍の命令により、日本でもサマータイムが実施されたことがある。もっとも当時は「サンマータイム」と呼ばれていたが。しかし悪評で、日本の独立とともにわずか4年で廃止されてしまった。そんな前歴ありの制度を又やろうというのだ。

サマータイム導入にあたって良く持ち出されるのは、先行して実験している北海道で賛成が7-8割に達しているというアンケート調査である。処がこのアンケートは、サマータイムに賛同して実験に参加した企業の経営者や従業員を対象にしたものだそうで、それなら賛成が多いのは当然なのだ。こんな数字のマジックまで使って導入を図っているサマータイムとはどんな制度なのか。

夏季には夏時間になり、時計の針を1時間進ませるという制度である。例えば、会社の就業時間が午前9時から午後6時までとしよう。夏季になると1時間進ませているので、通常の時間でいえば、午前8時から午後5時までが勤務時間となる。
早く始まって早く終わる、良いじゃないかと思われるだろうが、どっこいそうはいかない。いつも午後8時まで仕事をしている人は、サマータイムになっても午後8時まで残業してしまう。悲しいサラリーマンの性が、結果として残業(あるいはサービス残業)を増やすことになる。

一時期、企業でフレックスタイム導入がはやされた事があり、私の勤めていた会社でもこの制度を導入した。一定時間仕事をすれば、時間帯は自由という一見すると合理的なシステムである。
正規の就業時間が9時から18時の企業で、これを7時から出勤して16時に退社しようとすると、周囲の眼が気になり、やっぱり18時まで仕事をすることになる。10時に出社して19時まで仕事をしたいと思っても、取引先から9時に電話があり、未だ出勤していないと答えると怪訝な反応が返ってくる。朝一番の打ち合わせに「又あいつがいない」などと言われかねない。結局気が付けば全員が正規の勤務時間に戻っていて、ちっともフレックスにならなかったという結果に終わった。
横並び意識の強い日本のサラリーマンには、不向きなのだ。

海外では多くの国が実施しているではないかというのも理由の一つだ。だけど外国と日本ではサラリーマンの仕事の仕方が違う。生活様式が違う。
以前アメリカの企業で働く人に訊いたところでは、サマータイムになると退社時間が早くなる一方、夏季は日没時間が遅いので、退社後に近くのゴルフ場で同僚たちとハーフ位は回れるので大歓迎と言っていた。そんなサラリーマンは、日本には先ずいないだろう。
どっちが良いか悪いかではなく、慣習が違うのだ。
「仏作って魂入れず」で、制度だけ導入しても中味が変わらなければ、結果は逆効果になる。
ゆめゆめ「サマータイムで地球環境保護」などと騙されぬように。

いつも政府批判ばかりしていると思われるでしょうが、決してそんな事はありません。誉めることもあるんです。
クラスター爆弾の禁止条約づくりを目指す「オスロ・プロセス」で、一部の最新型爆弾を除いて禁止する条約案の受け入れを日本政府は正式に表明しました。自衛隊が保有しているクラスター爆弾も、廃棄することになるでしょう。これは大変良いことです。
小泉、安倍と二代続いた総理大臣が揃ってアメリカの顔色ばかり窺って、禁止条約に賛成してこなかったのですが、福田首相久々(初めての?)のヒットです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/16

アスベスト被害と自動車産業

アスベストによる中皮腫や肺がんの発生について、主に石綿を原料としていた建材企業やその周辺、家屋の解体作業に伴う石綿の飛散などが発生源として採りあげられている。兵庫県尼崎市のクボタの旧神崎工場の元従業員の妻が、夫の作業服に付着したアスベストの吸引が原因で、肺がんで死亡したと認定されたのは、記憶に新しい。これが事実なら、石綿関連工場で仕事をしていた従業員の家族全てが、アスベスト被害にあう可能性が高いということになる。

アスベストによる健康被害について、なぜかあまり注目を浴びていない産業に自動車産業がある。自動車では、つい最近までブレーキパッドやライニングに石綿を使用してきた。現に大手ブレーキメーカーの曙ブレーキ工業で、アスベスト疾患による死亡者が公表されている。
自動車のブレーキでは、耐熱性樹脂とアスベストの複合体が使われていた。ブレーキを踏むごとに、この複合体の粉塵が撒き散らされていたわけで、空気中を浮遊したアスベストを含む粉塵を、大多数の国民は日常的に吸引していたわけだ。
東京都大田区内の環境測定で、幹線道路の周辺で石綿の粉塵濃度が高いと報告されているのは、このためだ。

しかし、自動車による不特定多数の人へのアスベスト被害は、殆んど問題とされていない。
その理由として、次の点があげられている。
①ブレーキでは、アスベストの周辺を耐熱樹脂がとりまいているため、アスベストが露出しない。
②中皮腫や肺がんが発生するのは、アスベストが繊維状であるからで、ブレーキから出る粉塵は粉状なので、健康被害の発生原因とならない。

本当にそうだろうか。ブレーキをかけた時に材料にせん断力が働き、材料が破壊する。複合体では、最も弱い部分が、優先的に破壊を受けることになる。
石綿/耐熱樹脂の複合体を考えると、一番弱いのは石綿単体であり、次に石綿と樹脂の界面、最後に樹脂単体の順で、恐らくその順位で破壊が起きると想定される。
そうなると、浮遊粉塵の表面の大部分は石綿が露出しているであろうし、超微粉であれば容易に人間の肺に吸い込まれる。
繊維状だから有害、粉状なら無害というのは、なぜアスベストが中皮腫や肺がんを引き起すのか、決定的なメカニズムの解明がなされていない以上、根拠が無い。

してみると、自動車産業が外されているのは、政治的発言力が強いからではなかろうか。

もう一つ、大きな問題がある。
アスベストが使われ始めたのは1879年である。しかしアスベストの健康被害がこれほどまでに明らかになったのは、およそ100年経ってからだ。
現在、石綿に替わる材料が開発され実用化されているが、これらの代替品が健康被害を引き起さないという何の保証もない。
石綿と同じ性能を持つ材料であるからには、同じような被害を及ぼす危険性は常にあるわけで、今後この点についても注視しなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/03/16

「レジ袋」ファシズム

Rejibukuro「レジ袋」削減について、3月14日に二つの動きがあった。
一つは東京都町田市と同市の中堅スーパー三和、市民団体の三者がレジ袋を全廃して効果を調べる全国初の実験が始まったこと。
もう一つは、東京都杉並区議会は14日、全国初のレジ袋有料化推進条例案を賛成多数で可決し、4月1日に施行することが決まったこと。
レジ袋を減らしていこうという取り組みを行うのは自由だが、一方的に廃止したり、杉並区のように「有料化」を条例で決めるなどということは、正気の沙汰ではない。
こうした運動を進めている人たちを見ていると、環境保護のためには絶対にレジ袋を廃止しなくてはいけないとの思い込みに上に立っており、まんまと環境省の術中にはまっている。

当ブログで以前「レジ袋」有料化に異議あり!」に書いた通り、日本中からレジ袋を全廃しても、原油換算で0.08%、廃棄物の重量換算で0.06%しか寄与せず、その効果は微々たるものだ。さらにこの試算には次の点が無視されており、実際の効果は更にその数分の1になると思われる。
①我が家では家庭ごみの袋として100%利用しているが、こうした利用率を無視していること。
②レジ袋を廃止すれば、他の買い物袋などを使うことになるが、こうした代替品に係わる燃料の消費量や発生する廃棄物量を無視していること。

ではなぜ行政がこれほどレジ袋だけを目の敵にしているかといえば、最大の理由は
①この運動が行政や産業界、商店の腹を一切痛めることがない、リスクは消費者が一方的に負う仕組みになっている。
②効果が数量で現れ、眼に見えやすいので、行政側のPRにはもってこい。
③買い物袋の購入など、新たな需要が期待できる。
からであろう。
環境保護運動で注意しなくてはならないのは、効果が不明瞭のまま結局は環境ビジネスに利用されることだ。その典型が「バイオ燃料」であり、一方でこのビジネスで莫大な利益を上げている者があれば、その一方で穀物価格の上昇による貧困層の増大を招く結果となっている。
いま話題になっている「捕鯨禁止」運動なども、目的は牛肉輸出産業を保護するためだ。

環境保護は誰もが反対できないところから、行政が市民運動を巻き込んで思惑通りに進めやすい。問答無用になるのだ。よほど注意してかからないと、終わってみれば環境ビジネスにのみ貢献したという事になりかねない。
過去の責任は一切棚に上げ、現状の危機だけを煽って国民の側に一方的に犠牲を押し付ける。石原都知事と同様の手法を、環境保護の美名の下に推し進めるのであれば、これは環境ファシズムだといえる。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/03/03

「環境保護」という名の「海のギャング」

Sea_shepardo又しても米国の「環境保護団体」が、日本の調査捕鯨に対し無法な行為を行った。
2月3日午前7時10分ごろ、オーストラリア・メルボルンの南南西約2960キロの公海上で、環境保護団体シー・シェパードの所属船「ステープ・アーウィン号」(1000トン)が、日本の調査捕鯨船「日新丸」に対し、1時間にわたり船橋後方甲板に酪酸入りの薬瓶と白色粉末状のものが入った茶色の紙包みを投げ込む妨害活動を行った。
投げ込まれた酪酸などが乗船していた海上保安官2人、乗組員2人の計4人にかかり、うち3人が受傷し医師の手当てを受けたと報じられている。

実はこのシー・シェパードという団体、1年前の2007年2月9日、同じ「日新丸」に対して船2隻が接近し、今回と同様の手口で酪酸入りの瓶を投げ付ける事件を起こしている。
この時も日新丸乗組員2名が負傷している。
その際、シー・シェパード側の米国人二人が海に落ち行方不明になり、何と日本側に救助を要請、日新丸がこの二人を救助したというオマケ付きだ。
恩を仇で返すたぁ、実にふてえ野郎どもである。

シー・シェパードは過去に、捕鯨船を爆破したり発砲したり照明弾を投げ込んだりと、やりたい放題の無法行為を繰り返している。一体これらの行為のどこが環境保護なのだろう。むしろテロリスト、あるいは海賊と呼ぶのが相応しい。
もう一つ、アメリカ政府はなぜ彼らの行為を取り締まらず、放置しているのだろうか。それともアメリカ人が行うテロ行為は見逃すというのが基本姿勢なのだろうか。

三浦和義を捕まえているヒマがあるなら、彼らのような無法者こそ取り締まるべきではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/30

「再生紙」が環境を破壊する

Koshi最近多くの製紙会社が古紙の配合率を表示より低くしていたという「再生紙偽装」問題、一体何が悪いのか私にはサッパリ分らない。
例をあげるとすれば、国産牛肉を米国産牛肉と表示したようなもので、これは「偽装」とは言えないだろう。
第一この「偽装」には被害者がいない。偽装によって誰かが被害を受けてわけではない。
食品や建築の偽装とは、根本的に違う。

コスト面から見れば、バージンパルプの価格は古紙の数倍以上するので、本来は古紙を混ぜれば混ぜるほどコストが下がる筈だが、実際はそうではない。むしろ安い古紙を使うと、却ってコストが上がるというケースもある。
こいした現状を無視した再生紙の押し付けは、むしろ環境破壊を促進している。

我が家では再生紙トイレットペーパを一切使わないことにしている。
その理由は、以前に仕事の関係で再生紙の工場を見学して、果たして環境保護に役立っているのか疑問を感じ、さらに再生紙の危険性を感じたからだ。
再生紙は、新聞紙や雑誌、広告などに一度使われた後で回収された古紙が原料とする。
最初に水をいれた巨大なミキサーで撹拌し、どろどろのスラリーを作る。その後、ホチキスやフィルムなどの異物を除去する。取り除かれた異物は、多量に水を含んだ廃棄物となる。

次に脱墨と呼ばれる、古紙に付着する印刷インクを除去する工程に入る。新聞紙で鼻をかんだ経験がある方ならご存知だろうが、鼻が真っ黒になる。インクを除かなければ、紙にはならない。
私が見た工場では、発泡剤を加えて泡立たせてインクの微粒子を表面に浮かせて除去する方法をとっていたが。紙の白度を上げるのは、この工程を繰り返すのだ。
もちろん、除去されたインク類は廃棄処理が必要となる。
古紙のスラリーには発砲剤が多量に含まれており、このままでは製紙工程に移れないので、消泡剤を添加して泡を完全に消す操作がいる。

製紙工程に入ると、古紙の大きな欠点として湿気を含むと極端に強度が落ちることだ。
製紙というのは紙が自身を引っぱりながら抄きあげて行くので、ある程度湿潤強度が求められる。そこで強度を上げるために添加剤が使われるのだが、これがかなり多量であったと記憶している。
この後、紙に必要なインクが滲まないようにするための添加剤、印刷した時裏写りが起きないような添加剤を加えて最終的に再生紙が得られる。

つまり再生紙というのは、実は「薬品漬け」の製品なのだ。
我が家のトイレットペーパーに再生紙を使わなくなった理由が、ここにある。
紙は通常、パルプ1に対して水を数百倍使う、製紙メーカーが自らの企業を水商売と呼ぶのも、このためだ。
工程が増えれば、それだけ使う水の量も増える。使用した水は必ず排水処理が必要だ。
こうした様々な理由で、古紙を使うと却ってコストが上がるという現象が起きるのである。
環境保護に貢献しているかどうかは、水や数々の添加剤、燃料使用量など総合的に判断する必要があり、単に古紙の割合さえ増やせば環境にやさしいなどと言うのは、妄信に過ぎない。

「偽装」の責任は製紙会社にあるのではなく、実態を無視した数字を押し付けた環境行政にあるのではなかろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/01/11

セコイ!「古紙持ち去り裁判」

Koshi_kaishu近所のごみ集積所で空き缶を回収していた男性と、町内会の役員らしき人が怒鳴りあいのケンカをしていた。区が資源ごみとして回収しているから、持ち去ってはいけないと文句を言ったのだ。
イイじゃないのか、それ位。
空き缶を回収している人はそれが生活の糧となっているのだし、最終的には資源として再利用されるのだから、これしきのことでそんなに目くじらを立てることも無いだろうに。
ナンだかセコイとなあと思っていたら、もっとセコイ話があった。

東京都世田谷区で、ごみ集積所から無断で古紙を持ち去ったとして、区の清掃・リサイクル条例違反罪に問われて、現在裁判が行われている。
12人が同条例違反で起訴され、1審の東京簡裁判決は5人を有罪としたが、7人については「条例はごみ持ち去りを禁じる『所定の場所』が明確でなく、刑罰を科すのは違憲」などとして無罪とした。
東京高裁は1月10日、1審で無罪だった古紙回収業者の男の控訴審判決で、無罪判決を破棄し求刑通り罰金20万円を言い渡した。
判決理由で須田裁判長は、「勝手な古紙持ち去りを放置すれば、高価に売却できる資源が虫食い的に持ち去られ、区の資源回収コストを引き上げる結果となる」としている。

そりゃまあ、法を厳密に解釈すれば違法なんでしょうよ。
だけど、ゴミとして出してある古紙を持って行かれてたとして、どれ程の損害があるというのだろう。古紙回収を生業としていた人にとっては、それこそ民業への圧迫ではないのだろうか。
私が住んでいる集合住宅では、以前から住民がゴミ集積所に古紙を出しておくと業者が回収して、買い取り金額に相当するお金を管理組合のポストに投入していてくれた。それを年間貯めて、僅かだが共益費への補助としていた。
それが、区が回収するようになってからは、管理組合に一銭も入ってこなくなった。これだって見方によれば、私たちの資産の横盗りではないだろうか。

まあ盗ったの盗られたのと、お互いにそんな細かいことは言いっこ無しにしようよ。要は資源が回収され、再利用されればそれで良いのだから。
私たちも区を訴えたりしないから、自治体もそんな古紙くらいのことで、裁判なんかやるのはミットモナイカラ オヨシナサイ。
古紙だけに、水に流そう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/10/15

バイオ燃料は地球環境を破壊する

バイオ燃料の増加が穀物価格を上昇させ、我が国でもパンやインスタントラーメンなどの食品値上げに影響が現れています。
下の図はいずれも米国のデータですが、バイオ燃料に転用されやすいトウモロコシの価格上昇が、2002年ごろから顕著になり、それに従って他の穀物価格も上がってきています。
そのトウモロコシですが、2007年にはアルコール向けが27%に達する見込みです。

Photo

穀物の値上げの影響は、決して平等ではありません。
国連食糧農業機関が発表した最新食料見通しによれば、バイオ燃料の急増により、今年の輸入食料品への支出は世界平均では前年比5%増ですが、途上国では倍の10%増に達するとしています。
つまり、貧しい国ほど影響が大きいのです。

食料の大部分を穀物に頼っている貧困層の人々は、更に大きな影響を受けています。
日本のような先進国では、価格に対する原料コストの割合が低いので、原料値上げ幅はさほどではありませんが、原料コストの割合が高い途上国では、穀物価格アップはより深刻です。
先日訪れた中央アジアでは、パンの価格が倍に跳ね上がったという声を聞きました。

世界の穀物需要予測では、対前年比で食料は1%、飼料は0.2%であるのに対し、バイオ燃料の用途は10%増となる見通しです。
穀物の価格が上昇するだけでなく、受給バランスが崩れ、食料不足に拍車がかかる恐れが出ています。
このままでは、飢餓に苦しみ、飢え死にする人々は増える一方になります。

また穀物の価格上昇は、畜産農家の経営を直撃しています。
ある酪農家の方のブログでは、飼料がトン当たり2万円も値上がりして、「もう限界に来ているのに、更に政府は穀物相場を上げる為、我々牛の飼料を車に食わせとは納得いかない。」と訴えています。

環境保護→地球温暖化防止→バイオ燃料の増産という構図となっていますが、貧しい国、貧しい人々の犠牲の上に立つ環境保護とは、どんな意味があるのでしょうか。
今年のノーベル平和賞は環境問題一色の感がありましたが、人間の生命を守ることこそ、地球環境保護の最大のテーマだと思います。

地球環境保護という言葉が、実は先進国のエゴの隠れ蓑になっていると思います。
「環境にやさしい」という言葉にウサン臭さを感じているのは、私だけでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/04

「反捕鯨」という宗教

Hogeiロンドンで開かれた国際捕鯨委員会(IWC)の年次総会は、捕鯨国と反捕鯨国が多数派工作と非難の応酬に終始し、双方の対立だけが際立った会議となりました。
反捕鯨国の主張はますます先鋭化し、IWCへの復帰を果たしたアイスランドが、商業捕鯨の一時停止を留保したため、投票権のないオブザーバーに格下げされる事態になっています。
IWCは国際機関としての機能を失ったかのごとき迷走ぶりです。

海洋資源保護というIWCの役割はどこかに飛んでしまい、反捕鯨国の主張はもっぱら「クジラを殺すのはかわいそう」「クジラを食べるのは残酷」という点に重きがおかれていて、これでは妥協のしようがありません。
もともと捕鯨反対国の多くは、かつて灯火燃料や機械油の供給源として捕鯨をしていた欧米諸国が中心であり、これに対して日本など捕鯨を主張している国はクジラを食料としていた国々です。
資源保護という観点からすれば、反捕鯨国が油を採取した後のクジラを廃棄していたのに対し、日本などはクジラを殆ど捨てることがなく利用してきました。

反捕鯨国の多くがキリスト教国であり、クジラの保護もその宗教的信念に基くものだという指摘があります。
ヒトと同起源の哺乳類である事を挙げて、「知能が高い動物を食べるのは残酷である」と主張しているというものです。
世界には様々な宗教、文化、風習があり、それぞれに食のタブーがあります。それは尊重されるべきだし、非難すべきではありません。
同時にどこかの国が他国に対して、自分の食のタブーを押し付けるべきではありません。韓国や中国で犬を食べるのを非難するのも、不当です。
誰も他人の食卓を支配することはできない。

反捕鯨国の急先鋒であるオーストラリアでは、現在増えすぎたカンガルーの間引きが行われています。私たち日本人にとっては、そちらの方がよほど「残酷」に映りますが、でも決して「体当たり」することはありません。
ついでに言わせて貰えば、クジラが可哀想と涙を流すのに、イラクで何万人という人間が殺されても何も感じない、私はそちらの神経こそ疑ってしまう。
それとも神を信仰しない民族は知性が欠落しているから、獣同然に扱って良いということなのでしょうか。

今回のIWC総会で、日本代表が脱退を口にしました。
勿論そうした最悪の事態は避けなければなりません。
そのためには先ず、IWCを宗教戦争の場にすることなく、科学的論拠に基づく議論を進める場にして欲しいと思います。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧