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2022/10/10

「孟母三遷の教え」は本当です

「孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)」の意味は、孟子の母が子どもの教育に適した環境を選んで住所を三度移し変えたという故事から来たもので、転じて教育には環境が大切であるという教えも意味する。
私は生まれてから20年間ほど東京都中野区に住んでいたが、父親の仕事の関係で途中約1年半は新宿区四谷にある社宅に住まいしていた。
家は中央線の信濃町駅の近くで、駅前に慶応病院があり、その後ろの四谷第六小学校に通っていた。小学2-3年生の時期だ。
中野の木造校舎と違って、四谷第六小はコンクリート造りで蔦が絡まっている風格のある校舎だった。
音楽の時間では、中野の学校はクラスの担任が教室の隅にあるオルガンを弾いて授業をしていたが、四谷では音楽教室があり音楽担当の教師がグランドピアノの弾いての授業だ。体育館があったので雨でも体育の授業ができた。
我が家は信濃町駅から学校とは反対方向で、今は創価学会の本部のある方へ5分ほど歩いた場所にあった。
途中に高碕達之助通産大臣の邸宅と、犬養健(いぬかいたける)法務大臣の邸宅があり、近くには池田勇人大蔵大臣の家(普通の一軒家だった)もあった。因みに高碕家の孫二人とは遊び友達で、時には達之助さんが庭の手入れをしている姿を見ることがあった。金鶏鳥を飼っていたのが印象的だった。
近くに大臣が3人もいたので、内閣改造の時期ともなると黒塗りの車がズラリと列をなしていた。
そんな環境なので、クラスでも政治が話題になることがあり、どの政党が日本の再軍備に反対しているかを話しあった記憶がある。
一番驚いたのは、当時アメリカの大統領選挙が行われていたが、民主党と共和党のどちらの候補が勝つかが話題になっていたことだ。当方はチンプンカンプンだったが、民主党の勝利を期待していた級友もいた。結果は共和党のアイゼンハワーが勝利したのだが。
大相撲の歴代の横綱の名前を憶えているヤツや、走ってくるアメ車の名称を片端から言えるヤツとか、中野の学校ではお目にかかれないのがいた。
夏休みになると近くの神宮外苑へ筵を持って行き、アイスキャンディを食べながら日長一日木陰に寝転がって過ごした。今から見れば夢の様な暮らしだった。
中野と信濃町の間は大した距離ではないが、環境は天と地の差があった。
「孟母三遷の教え」は本当だ。

2022/04/10

ヤングケアラーって、不幸ですか?

厚労省によれば「ヤングケアラーとは」、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされている。最近の調査によれば、小学6年生の6.5%がなんらかの家事にたずさわっているという。
気になるのは、ヤングケアラーが否定的に扱われていることだ。
厚労省のHPでは、ヤングケアラーについて次のように結んでいる。
”「子どもが子どもでいられる街」を、みんなでつくっていきませんか。それはきっと、すべての人が幸せに暮らせる社会をつくる一歩になるはずです。”
ヤングケアラーの子どもたちが、学校教育や部活、友人関係などでハンディを負うことを心配しているようだが、家族の一員として大人がやるべき家事や家族の世話の一部を子どもが日常的に分担することは、決して悪い事とは思えない。
私事にわたり恐縮だが、私の妻は子どものころは典型的なヤングケアラーだった。
家が農家だったので、小学低学年のころから畑仕事を手伝っていた。11歳で実母が亡くなると、それに加えて家事全般から幼い妹や弟の世話まで、彼女の肩に負わされた。
だからか、小学から中学を通して家で勉強した記憶がなく、高校に入るための受験勉強も特にしなかったと言っている。
しかし、そうした経験が彼女の生き方や人生観、仕事に対する取組み姿勢に大きな影響を与えたように思える。看護師という仕事を選んだのも、その一つだろう。
それは、私の妻だけの特別な事情ではなく、同世代の農家に育った子どもたちの多くが同様の状況にあった。都会の子どもたちも、家が商店など自営業の場合は、店を手伝ったり弟妹の面倒を見たりしていた。
ヤングケアラーだからといって、一律に「子どもが子どもでいられない」なんて事はないのだ。

2021/05/15

授業より大切なこと

コロナの影響を受けて遠隔(リモートorオンライン)授業が広く行われている。リモートorオンライン授業のメリットとデメリットについて様々な議論がされているが、その多くが「学校教育=授業」と捉えている様だ。授業を受けて知識を得るというのは大事なことではあるが、学校教育の一部に過ぎない。
学校教育にとって重要なのは、授業やクラブ活動、行事などを通して人間関係を学ぶことではあるまいか。社会に出て必要なのは専門知識より、人間関係だ。
人は生まれも育ちも異なるし、性格や能力、考え方もみな違う。そうした違いをお互いに尊重し、対応する能力を身につけることも学校教育の目的の一つだと思う。真の友人というのも社会に出てからは得るのが難しい。やはり親友は学校時代の友人だ。
中学でも高校でもクラスに親がヤクザというのがいた。その一人は喧嘩で腹を刺されたといって傷口を見せてくれた。作家志望で、授業中は国語辞書ばかり読んでいたっけ。女生徒は中学のスケバンで、たびたび警察沙汰を起こしていた。二人とも私との関係は良好だった。クラスには番長もいて、不良に脅された時は助けてくれた。
父親が共産党で、自宅が家宅捜索を受けたと言っていたのも。学校にエロ雑誌を持ち込んでは授業中に読んでいたので、どうやら親の志は継げなかったようだ。
右翼もいた。高校の同窓会で逢ったら、早稲田に進み右翼団体に入ったと言っていた。卒業の時には私に自作の漢詩を贈ってくれた。「国の将来君の双肩にあり」なんてね。
中学時代の親友は二人いて、一人は継母から虐めを受け、母親を殺そうと出刃包丁を手裏剣に仕立てて柱に突き刺す練習を繰り返していた。ある日本当に母親に向かって投げたので、驚いた父親が田舎の祖父の家に預けてしまった。
もう一人は趣味が喧嘩で、怪我をして家に帰ると父親が先ず「勝ったか、負けたか?」と訊く。「勝ったよ」と答えると「それで良し」となる。時には仲間を集めて他の中学に殴り込みに行っていた。それでいて、成績は学年でもトップクラスだった。
中学の同じクラスには交換日記をするほど好きな子がいて、あの時だけは夏休みを恨めしいと思った。
こんな経験は、遠隔授業では絶対できない。
だから、諸事情で通学できないケースもあるだろうが、出来るだけ学校には行って欲しい。

2020/03/04

「日本は終わった」のか

「ニューズウィーク日本版」に、慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應ビジネススクール)准教授の小幡績による「一斉休校でわかった日本人のレベルの低さ」という記事が配信されている。
ネットのニュースで読んだ方もおられるだろうが、政府の全国一斉休校要請について、あらためて気付かされた点があった。
小幡績の論点は以下の通りだ。
①政府の一斉休校要請は最悪だ。感染拡大を抑えるということだが、子供の感染率は低いし、それよりも高齢者のスポーツジム利用自粛要請の方がまだましだ、という例で明らかなように、手段の優先順位が間違っている。
②最大の驚きは、官邸のこの意思決定に対する人々の反応だ。人々は、子供が家にいたら働きにいけない、と反発した。親が困る、と強く反対した。
③これに対し、官邸はこれまた見事に大きな誤りで反応した。公設の託児所、学童は閉めないと。
④小中学校よりも、託児所、保育園、学童の方が濃厚接触による集団感染のリスクは高い。そちらは親の反発を避けるために全力で開ける、というのは二重に間違っている。
⑤本当に大事なのは、親が働きに行けないことではない。一斉休校によって子供たちの教育がおろそかになることだ。
⑥学校教育で最重要なのは授業だ。その授業がなくなって 子供たちが勉強する機会を失う。これが学校を閉鎖することの問題のすべてだ。
⑦人々が、その点について全く無視しているのは、日本においては、教育というものをまったく重要だと思っていないことを現している。だから日本は終わりなのだ。
⑧日本ほど、世界で教育に関心のない国はない。日本は教育の中身に関心のない国なのである。これが、今回の休校要請騒ぎで明らかになった。

論点の①から④までは多くの人が指摘しており、昨日の参院の委員会審議でも政府の全国一斉休校要請には根拠がないことが明らかにされた。
問題は⑤以下の論点だ。
確かに、一斉休校により子どもの教育の場が奪われ、学力が低下するという心配の声は聞こえてこない。識者やメディアからもそうした指摘はあまりなされていない。
心配してなしということは、学校教育に関心がないか、あるいは期待してないということになろう。

「日本ほど(日本人ほどと言い換えても良いかも)、世界で教育に関心のない国はない」という指摘は耳が痛い。海外の事情はよく分からぬが、我が身を振り返っても、子どもの学校教育の中身や教育水準に関心を持ってこなかった。
子どもたちがどんな教科書を使っているのかさえ関心を持たなかった。
公立の小中学校の教科書はその地域の教育委員会が選定している。私が住む地域では毎年、学校で使う各社の教科書を展示し、閲覧した人が意見を提出することもできる。
教科書を審議し決定する教育委員会を傍聴することもできる。
これらは愚妻が一時期、熱心に取り組んでいたので知ったのだが、こうした事に関心を持つ親はごく少数だそうだ。かくいう私も無関心だった。

「日本は終わり」なんてことにならぬよう、私たち大人がもっと学校教育に関心を持たねばなるまい。
今回の一斉休校問題も、そうした観点から改めて検証する必要がある。

2019/10/08

「校長室」は廃止したら

多くの学校に「校長室」というのがあるが、あれは必要なんだろうか。生徒が数千人といった規模の学校ならともかく、小中学校に校長室は要らないだろう。
校長の最大の責務は円滑に学校を運営することだろうし、そのためには生徒や教職員の状況を正確に把握せなばなるまい。だから校長は職員室にいるべきだ。
教育現場で問題が起きたとき、しばしば校長が知らなかったという報道に接するが、それは校長室にいて教頭らから報告を受けているから、どうしても実態にバイアスがかかるのだ。
企業でも、ある規模以下では社長が事務室に在席しているケースが多い。大企業でも工場では、工場長が事務室にいる例が少なくない。
かつて私の取引先の企業が色々な問題を抱えていたが、社長交代に合わせて社長室を廃止し、社長が事務室に席を移した途端に社内の風通しが良くなり、業績も改善した。
校長は教育現場の責任者だ。校長室を出て職員室に移り、空いたスペースは応接室や会議室にすれば良い。

2017/06/21

道徳の教科書に安倍首相の写真

Photo_4

上の写真、自民党の宣伝ビラではない。
驚くことに、小学校の道徳の教科書に掲載された写真だ。
最初は、「こういう人に絶対なってはいけない」という写真かと思ったら、そうではない。

文科省が進める道徳の教科化にともない、「特別の教科 道徳」が検定教科書として、小学校では2018年度(平成30年度)から、中学校では2019年度(平成31年度)から導入される。
私が住んでいる区では、小学校用の「特別の教科 道徳」が区役所などで展示され、各出版社の内容比較ができるようになっている。
冒頭に掲げた写真は「教育出版」の道徳教科書(小学校5年生)だが、「下町ボブスレー」の中で、「ポーズを決める安倍首しょう」というタイトルで掲載されている。他にも、東大阪市長の写真も載っている。
この教科書の編集者3人のうち2人が、育鵬社の道徳副読本の編著者であり、意図は明確だ。
教科書の現役の政治家を掲載することは、政党、政治家掲載の公平性にも反する。

ネットでは、日本中を「安倍晋三記念小学校」にするつもりかといった批判の声が多く寄せられている。
私の住む区の教育委員の中には複数の「日本会議」メンバーが含まれており、この様な教科書が採択される可能性があって油断ができない。
現在、各自治体では教科書の展示会を開いていて、自由に意見を投書できるようになっている。
保護者や市民として、積極的に声をあげてゆきたい。

2016/12/22

ここにも教育格差が

月刊誌「図書」2016年12月号に、「北海道ブックシェアリング」代表理事をしている荒井宏明氏が、北海道の小学校図書館の惨状について書いている。
札幌の隣町にある市立小学校で、学校図書館に並んでいる本がどれもひどく痛んでいて、半分以上は背表紙がはがれタイトルの判別さえできない。
中から一冊の本を取り出すと図鑑だったが40年も前に出版された本だ。
百科事典には「西ドイツの首都はボン」と書かれ、地図帳にはソ連がのっている。これでは図書館で勉強するほど間違った知識を身につけることになる。
閲覧机はなく、会議室用テーブルにパイプ椅子が並べてあるだけだ。これでは本の魅力も読書の楽しみも伝わってこない。
道内には週に数時間しか利用できない「開かずの学校図書館」が多いのもムベなるかなだ。
北海道では一般書店の閉店もあいつぎ、道内179市町村のうち約50が無書店自治体となっている。子どもから大人まで、本を手に取る手段が失われているのだ。
同じ北海道でも札幌の学校図書館は、蔵書数や図書更新の充実のみならず、学校図書館地域開放制度といった全国でも先進的な取り組みをしている。
先ほどの隣町とは雲泥の差だ。
先の小学校校長は生徒に「本が好きな子は進学で札幌に行って好きなだけ読め」と言ったこともあるそうで、悲しい現実としかいい様がない。
こうした状況は北海道だけでなく、おそらく全国の多くの地方自治体が抱える問題だろうと推測される。

なぜ学校図書館が地域によって大きな格差が生まれたのか。
その理由は、かつて学校図書の購入費は補助金扱いだったので、生徒の規模に応じて公平に配分されていた。
それが現在は地方交付税扱いになり、地方自治体の裁量で増減の措置が取られる。
財政状況が厳しい自治体だと、図書の購入費が削減されてしまうのだ。北海道のケースだと措置率が、文科省の指針の半分以下になっている。それも先進的な札幌を含めての数字なので、他の自治体は推して知るべしだ。

少なくとも義務教育である小中学校では、全国どこでも公平な教育環境が担保されるべきだ。
財政が厳しい地域の学校では、まともに学校図書を購入できないといった状況は即座に解消せねばなるまい。
その主たる原因が財源の問題であるなら、以前の補助金制度に戻せばよい。
文科省の役人たちは、一体この問題をどう考えているのだろうか。

2013/04/05

「体罰アンケート」で教師に脅される

孫の一人が都内の公立中学に通っている。現在中3だが、1年生からバスケットボール部に入部し現在も続けている。
昨年秋ごろから部活動の顧問の教師による体罰が始まり、最初のころは軽くビンタ程度だったが次第にエスカレートして時には拳で殴るようになり、子どもが顔にアザを作ったり頬が腫れたり唇を切ってくることもあった。
この教師は以前にも体罰で処分を受けたことがあったようだ。
見るに見かねた生徒の母親たちが学校を訪れ、顧問の教師に体罰をやめるようお願いした。当初は体罰はしていない指導しただけだと強弁していたが、最終的には謝罪し、以後は一応収まってはいる。

今年1月、東京都教育委員会は、都立学校長および区市町村教育委員会教育長に対し、部活動指導における暴力による体罰の実態把握のために実態調査を実施することにした。
実態調査での教師に対しての質問で、「部活動の指導で、生徒に暴力による体罰を行ったことがあるか」「生徒からは暴力による体罰ではないかと受け止められかねない行為をしたことがあるか」など6項目。
生徒に対しての質問では「部活動中に、顧問教諭から、暴力による体罰を受けたことがあるか」「部活動中に、上級生から、暴力による体罰を受けたことがあるか」「部活動中に、顧問教諭から、暴力ではないが、肉体的や精神的苦痛を感じる体罰を受けたことがあるか(長時間にわたる正座など)」など同じく6項目に渡る。
孫はアンケートに正確に答えるかどうか迷い母親に相談したところ、母親(わたしの娘)は事実をありのまま回答するようにと勧めた。どうやら孫はその助言に従ったようだ。

処がその後、バスケットボール部の顧問の教師から孫が呼び出され、アンケートの内容について強く叱責を受けたそうだ。
その内容は、「体罰があると答えたのはお前だけだ」「親は承知してるのか」「なぜあんな事を書いたのか」「こうなったらお前が部をやめるか、俺がやめるか、どちらしかない」「お前はレギュラーを続けたくないのか」など。
孫は、来年に高校受験を控えている。
顧問の後段の脅しは、部活動を熱心に続けたかどうかは内申書に響くので、明らかにそこの弱みを衝いてきたものだ。
教育者にあるまじき卑劣な手口だ。
ただ「受験」の二文字がどうしても頭に浮かぶので、孫も母親も悩んでいる。

「体罰アンケート」に対する学校側の嫌がらせは、孫の中学だけではあるまい。恐らく多くの学校で行われているんだろう。
教育委員会といえば、見て見ぬ振り。
そうした調査結果というのは、果たしてどれだけ信用がおけるのだろうか。
全国で行われている「体罰」や「いじめ」の実態調査に関しても、その結果については疑ってかかった方が良さそうだ。

2013/01/11

体罰は何故なくならないか

親族の中学生がバスケットボール部に入部している。
先日、顔に痣が出来ていたので母親が事情をきいたところ、コーチの教師に殴られたと答えた。
本人は体罰そのものには抵抗感が無いのだが、そのコーチの暴力が理不尽な理由からであることと、次第にエスカレートしていることに不満を持っている様子だった。
同級生の部員はもっとひどい体罰を受けていて、唇を切ったり頬が腫れたりした。この生徒の場合、コーチは連続して10発前後平手打ちしていたようだ。
調べてみるとそのコーチの教師というのは数年前に体罰で処分を受けていて、しばらくは暴力をふるうのを控えていたが、最近になって再び体罰を開始したようなのだ。
息子が止めるのを振り切って母親は学校に行き、部の顧問に面会して事情を話すと、顧問の教師は「暴力ではありません。熱心に指導しているだけです」と言って取り合わない。母親はこのまま暴力が続くようなら、息子の部活を止めさせると啖呵を切って帰ってきた。
その抗議が功を奏したのか、その後コーチの暴力は止まっているそうだ。

この件で私も興味を抱いたので、少しその子の母親から中学の内情をきいてみると、いくつか分かったことがある。
一つは、この区立中学が部活、特に体育部の活動に力を入れている。親族の男の子が所属するバスケット部は常に区内で優勝を争う実力がある。そのせいでコーチの手腕を学校側が高く評価していて、問題があってもこの教師をコーチを外すことが出来ないのだ。
だから問題が起きても学校側は先ずコーチをかばい、明るみに出ぬよう事実を否定し、徹底して隠蔽する。
二つ目には、バスケット部員の保護者たちの中では、体罰を認めている人が多数であること。むしろ顧問やコーチにもっとビシビシやってくれという親も少なくない。
三つ目は、最初は文字通り指導の意味での体罰あったものが、その内なんの理由もなく殴りつけるようになっていたことから、恐らくこのコーチにとって暴力が次第に快感になっていたものと推察される。
暴力や威嚇をもって一方的に相手を従わせるというのは気持ちの良いものなのだろう。
イジメもズバリそうだし、家庭内のDVもそうだ。企業のパワハラやセクハラも同じだ。
麻薬と一緒で一度味を覚えると病みつきになるのだ。

教師の体罰が何故なくならないか、何故エスカレートしていくのかだが、
・学校側の隠ぺい体質
・保護者の容認
・教師が暴力で生徒を服従させる快感
の3要素が存在する限り無くすことは出来ないと思う。
現在、大阪市立桜宮高校2年のバスケットボール部主将の男子生徒(17)が顧問の男性教諭(47)の体罰を受けた翌日に自殺した問題が大きくとり上げられているが、私の親族のケースとその原因に共通性を感じるのだ。

2010/02/19

働き者だった大正時代の小学生

東京・大田区内のある小学校の、開校135周年記念誌を読む機会があって、そこに大正時代の子どもたちの生活が書かれていたので紹介したい。
明治8年に開校したこの学校だが、大正7年から「朝学」が始まったとある。
「朝学」というのは早朝から授業をおこなうことだが、その理由というのは。この地域ではこの頃から海苔獲りが盛んになり、子どもたちがその手伝いに追われて欠席するケースが増えたためとある。
その時代のこの地域の子どもたちの一日の生活スケジュールは、ざっとこんな具合だったそうだ。

午前1時 起床
登校までは家業の手伝い
午前5時~7時30分 授業
この間に家に帰り朝食と、海苔干しの手伝い
午前9時~9時40分 授業
そして帰宅後は、
海苔の干し返し
海苔の穫り入れ
を午後3時まで手伝い。
夕食後は午後5時頃には就寝。

深夜1時には起きて、学校での授業が行われる3時間10分以外はずーっと家業の手伝いをして、夕方には眠りにつく生活をしていたわけだ。
今の子どもたちには想像もつかないだろう。
農村や漁村に住んでいた子どもたちも、ほぼ似たような生活だったに違いない。
東京の多摩地区でも昭和30年ごろまでは、子どもたちは学校から帰ると農作業を手伝っていたし、農繁期には学校も休みだった。
子どもは立派な労働力だった時代だ。
貧困で学校に行けない子どももいただろうが、今でいう「不登校」や「引きこもり」は起き得なかった時代でもある。
「自分さがし」をしている暇など無い。
引きこもろうにも、家に居場所などなかった。

その後のこの小学校の歴史は、昭和7年には夜学(小学校で!)が始まり、やがて太平洋戦争が激化してくると児童は熱海と三島に疎開。
さらに東京大空襲が始まるころには、岩手県の小沢へ再疎開になる。
昭和20年には空襲で校舎が全焼し、終戦直後は近所の神社の境内で青空教室を開いていたとある。
校舎が建てられたのは昭和22年になってからだ。

海外の開発途上国に行くと、沢山の子どもたちが農作業や商売の手伝いをしている姿に出会う。
大変だろうなと思いつつ、そこに数十年前の私たちの姿を見い出すことができる。